関西のおばちゃん
朝、通勤の途中に地下鉄の中でノートパソコンを広げていると、隣に座っていたおばちゃんに声を掛けられた。東京では有り得ないことだが、関西地方ではしばしばこういうことが起こり得る。以前も、道行く人たちの休息のために設置された椅子に座ってノートパソコンを広げていると、通行中のおばちゃんがわざわざ私の座っているところまで歩いて来て、私のノートパソコンを覗き込んだ。そして、
「ふうん、何をしとるのかと思とったら、そんなことやりよったんやね」
と言って立ち去った。
今回、私に声を掛けて来たおばちゃんの年齢は、六十代後半くらいだろうか。髪の毛は真っ白に染まっていたが、とても元気のいいおばちゃんだった。元気がいいので、おばあちゃんと言うよりは、おばちゃんと表現したほうがふさわしい。おばちゃんは、私が開いているノートパソコンを横から覗き込み、
「へええ、いろんなことができるんやねえ。わたしゃ、さっぱりわからんわ」
と言いながら笑った。そして、自宅にも大きなパソコンがあり、息子さんがそれを使っているが、自分はさっぱりわからないのだと繰り返した。おばちゃんは更に、
「私ね、携帯電話も持ってへんのよ」
と言った。私は、
「必要ないんだったらいいんじゃないですか」
と言っておばちゃんに味方した。おばちゃんはそれには答えず、自分の話を始めた。
おばちゃんの話によると、携帯電話を持ち歩いている息子さんから電話があり、話をして電話を切ってからお風呂に入っていると、すぐに息子さんが帰って来たのだと言う。おばちゃんは、まさか息子さんが家の近くまで帰って来ているとは思っていなかったので、息子さんが帰って来るまでには時間があると思い、お風呂に入ったのだと言う。ところが、息子さんは家の近くから電話を掛けていて、電話後、間もなく帰宅されたのだと言う。おばちゃんは驚いて、帰って来た息子さんにすっぽんぽんで対応されたのだそうだ。何だかかわいいおばちゃんである。
おばちゃんは、話をしながら、私のほうへと少しずつにじり寄って来る。少しずつ、少しずつ。最初のうちは、間に小さな子供が座れるくらいのスペースが空いていたのだが、いつの間にか、おばちゃんは私のすぐ隣に座っていた。物理的な距離が縮まると、おばちゃんは話をしながら私の肩を叩くようになった。話をしながら笑いのタイミングを見計り、相手の肩をぱんぱん叩くのは、関西のおばちゃんの特徴である。
「まさか、家の近くまで帰って来とるとは思わへんやろ? もう、裸で出て行ったがな」
と言いながら、ぱーんと私の肩を叩く。それからは、話の切れ目ごとに私の肩を叩くようになった。
私はおばちゃんに肩を叩かれながらも、友好的な態度を示していた。何故ならおばちゃんは私に、
「学生さん?」
と聞いてくれたからだ。四十歳を過ぎて
「学生さん?」
と聞いてもらえるのはとてもうれしい。私は、おばちゃんの夢を壊してはいけないと思い、とても本当の年は言えなかった。いや、夢を壊してはいけないと思ったというよりも、おばちゃんを驚かせて、また肩をぱんぱん叩かれないように、そっとしておいたというのが本音かもしれない。
私が社会人だとわかると、おばちゃんは更に、私の職業を聞いて来た。私が、
「コンピュータ業界です」
と答えると、
「ははあ、なるほどね」
と言いながら納得していた。そして、私がどこに住んでいて、この地下鉄に乗ってどこまで仕事に通っているかについても尋ねて来た。
次第に私に対して心を許して来たおばちゃんは、自分が着ている服を私に見せた。
「これ、トレーナーやねん」
と言う。確かにおばちゃんは、トレーナーを着ていた。電車に乗ってどこかに出掛けて行くにしては、やけにラフな格好である。おばちゃんは、自分が何故、トレーナーを着ているかを説明し始めた。おばちゃんの説明によれば、おばちゃんは、仲間たちとのボーリングを楽しむために、地下鉄沿線にあるボーリング場に向かう途中だと言う。そして、トレーナーだけでは寒いので、袖のない薄い半纏を羽織っていると言った。おばちゃんは、手にコートを持っていた。電車に乗るのにトレーナーを着ているのは、ボーリングに行くためだということを弁明したかったらしい。私がホットヨガに出掛けて行くときに、レッスン用のズボンを履いて行くのと同じだ。しかし私は、電車の中で隣になった人に声を掛けて、
「私がこんなズボンを履いているのは、これからホットヨガに出かけるためやねん」
などと、相手の肩を叩きながら弁明したりはしない。
おばちゃんは、この時間に出掛けて行っても、別のチームの人のプレイがまだ終わっていないので、すぐにはプレイできないこと、マイシューズを持っているが、荷物になってしまうので、毎回、二百円払ってシューズを借りていること、地下鉄に乗るために自宅からバスに乗ったが、目の前でバスが走り去ってしまって、次のバスまで十分待ったこと、明日から神戸ルミナリエが始まること、そして、明日の昼間、石川さゆりさんのコンサートに行くことなどを聞かせてくれた。話の区切りごとに、私の肩をぱんぱん叩きながら。
しばらくすると、おばちゃんの降りる駅が近づいて来た。おばちゃんは、
「乗り過ごしたらあかん」
と言いながら早々と席を立ち、私にあいさつをして、ボーリング場のある駅で降りて行った。とにかく、元気なおばちゃんだった。
夜、ガンモにこの話を聞かせた。
「おばちゃんに、『学生さん?』って言われたんだよ」
と言うと、
「確かに、今日のまるみの格好なら学生に見られてもおかしくないかもね。その帽子、とても良く似合ってるよ」
と言ってくれた。私は、冬になると毛糸の帽子を愛用しているのだが、そのときかぶっていた帽子がどうも私を若く見せてくれるらしかった。
「話の区切りごとに肩を叩かれたよ」
と言うと、
「肩を叩くのは、関西のおばちゃんの特徴だから」
とガンモは言った。噂には聞いていたが、関西に住み初めて十年、ようやく本格的な関西のおばちゃんに出会うことができたようである。
私がこうして「ガンまる日記」におばちゃんと出会ったときのことを綴っているように、おばちゃんもまた、家に帰って私のことを息子さんたちに話して聞かせたかもしれない。息子さんの肩をぱんぱん叩きながら。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m すべての関西人のおばちゃんが、今回ご紹介したようなおばちゃんであるとは限りません。中にはおとなしいおばちゃんもいますので、どうぞご安心ください。何だか、明日はまた、おばちゃんのことを題材にして、ショートショートを書いてしまいそうです。(笑)
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