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2006.11.26

北京最終日

 北京で過ごす最終日は、朝、起きてみると雪が降っていた。北京では、例え気温が低くても滅多に雪は降らないと聞いていたのに珍しい。どうやらこの雪は、北京にとっては初雪となったようだ。雪はやがて小雨に変わり、私たちが最後の観光を始める頃には上がっていた。滞在中、ずっと雨が降らずにいてくれたことを心から感謝した。空はまるで、泣いてはいけないと教えらられた男の子がぐっと涙を押さえ込むように、私たちのために雨を降らせないように頑張ってくれていたのかもしれない。

 私たちは、七時五十分にチェックアウトを済ませた。十四時三十分のフライトを控えて、これから最後の観光が残っているのである。

 現地係員の男性がホテルまで迎えに来てくれたので、私たちは再びワンボックスカーに乗り込み、同じツアーに参加しているもう一組の家族が宿泊しているホテルへと向かった。もう一組の家族とは同じツアーだったのだが、私たちはインターネットの使える(ただし、有料)長富宮(チャン・フー・ゴン)を指定したのである。

 現地係員の男性の話によれば、二日目まで案内してくれた運転手さんは、今日はお休みだと言う。そのため、新しい運転手さんが別のワンボックスカーに乗って迎えに来てくれた。二日間案内してくれた運転手さんに、きちんとありがとうを言うことができなかったのは残念だった。

 ワンボックスカーの中から、雨上がりの北京の街を自転車で走る人たちの姿が見えていた。彼らは、自転車の前籠まですっぽり覆うことのできるカッパを着て自転車に乗っていた。カッパで自転車の前籠まですっぽり覆ってしまうとは、自転車の多い北京ならではの工夫である。

自転車の前籠まですっぽり覆うカッパを着て自転車に乗る人

 もう一組の家族が宿泊しているホテルに向かうワンボックスカーの中で、現地係員の男性に、
「お二人は今年結婚されたのですか?」
と聞かれた。私が、
「いえいえ、もう結婚十年です」
と答えると、彼はとても驚いていた。そして、
「いいご夫婦ですね」
と言ってくださった。私たちがお揃いの体型で、お揃いの服を着て、お揃いのリュックを背負って、同じように一眼レフ式のデジタルカメラを首からぶら下げていたからかもしれない。また、彼は私たちの年齢が既に四十歳を超えていることを知ると、更に驚いていた。私は、年齢を若く見られたことよりも、新婚さんと思われていたことのほうがうれしかった。

 同じツアーに参加しているもう一組の家族と合流すると、私たちは天安門広場へと向かった。これから天安門広場に続いて、故宮を観光するのだ。

毛沢東の肖像が飾られている雨上がりの天安門

 天安門広場は、かつて、民主化を求めた学生たちと軍が衝突した場所である。ここで多くの人たちが命を落とした。天安門事件は、一九七六年と一九八九年の二回起こっている。前者を四五天安門事件、後者を六四天安門事件と区別し、一般的に天安門事件と言うと、後者を指している。

 天安門は、明・清の時代の紫禁城(故宮)の正門である。そして故宮は、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画『ラストエンペラー』のロケ地となった場所だ。『ラストエンペラー』は、私も一度だけ観た映画だ。私たちは天安門から故宮に入り、その壮大な宮殿を観光した。

牛門

修復中の太和門

 何と、太和門と太和殿は修復中だった。観光客のために、実物と同じ絵が描かれた布が掛けられている。ちょっと残念だ。故宮だけでなく、北京は全体的に二〇〇八年のオリンピックに向けてあちこち工事中だった。二〇〇八年のオリンピックのために世界各国から訪れる人たちに、美しい北京を観て欲しいのだろう。

 故宮を訪れたあとで、『ラストエンペラー』をもう一度観てみるのもいいかもしれない。しかし、『ラストエンペラー』を観て、修復中の宮殿が映っているのは悔しいではないか。いやいや、修復中の宮殿なんて、滅多に観られるものではない。私はそう、自分に言い聞かせながら、広い故宮をずんずん歩いた。

 実は、故宮に入った直後から、ガンモがトイレに行きたいと言っていた。私も行きたかったので、現地係員の男性に、トイレはあるのかと聞いてみたところ、
「ここは宮殿ですから、トイレありません。最後のほうになります」
と言われた。私はまだまだ余裕があったが、ガンモはひどくがっかりしていた。果たしてガンモは、故宮を出るまで頑張り切れるのだろうか。

とにかく広い故宮(1)

とにかく広い故宮(2)

とにかく広い故宮(3)

石彫の入った階段

 皇帝の妾は三千人もいたそうである。三千人も妾がいれば、顔も覚えられなかったのではないだろうか。もしかすると、皇帝という職業は、ものすごく寂しい職業だったのかもしれない。ただ一人の女性さえもまともに愛せず、三千人も妾がいるのに、心から愛し愛される喜びを知らずにこの世を去って行ったのかもしれない。妾たちが愛したのは、皇帝自身ではなく、皇帝の権力だったのではないだろうか。妾たちの多くは、大勢の妾たちの中から、権力を持った皇帝に愛されることを望んだのではないだろうか。と、勝手な想像を働かせた。

 ところで北京では、獅子が阿吽(あうん)のポーズを取っていない。両方とも口を開いているのだ。ただ、玉を転がしている足が違う。こうした獅子が観光地の至るところにいるのだが、どの獅子も阿吽のポーズを取っていないのだ。

阿吽のポーズを取っていない獅子

 それにしても、故宮は広い。歩いても歩いても、次から次へと建物が出て来る。故宮の部屋の数は、全部で九千九百九十九.五室あるそうだ。皇帝を意味する一万という数を超えてはならなかったために、そのような中途半端な数になったとか。しかし、私はここで疑問に思ったのである。これだけ広大で数多くの部屋を持っていた皇帝の時代、果たして庶民の生活はどうだったのだろうと。庶民の生活が貧しいのに、皇帝がこれほどの贅沢をしていたなら、国の最高権威として本当に崇められるべき存在なのかと疑問に思った。

とにかく広い故宮(4)

とにかく広い故宮(5)

とにかく広い故宮(6)

 故宮の土は、二メートルの深さまで掘られ、中に石が敷き詰められていたそうである。何故なら、石を敷き詰めておけば、地下にトンネルを掘って攻めて来る敵もいないだろうと考えてのことだったらしい。そのようなトンネルを掘らなければならないほど、周りを信頼できなかった時代なのである。

 石が埋められた固い道を歩くと、振動が伝わって来るために、トイレを我慢しているガンモにとっては、かなりきつかったようだ。頑張れ、ガンモ。

 さて、続いては、皇帝と妾が夜を共に過ごした部屋である。ガラス越しに撮影したため、人影が写ってしまったが、とにかく豪華な部屋だった。しかし、こうして故宮の豪華さを目にする度に、豪華さとは裏腹の、皇帝の寂しさをますます感じ取ってしまうのだった。

皇帝の寝室

 もう少しで北門だ。北門の近くには、皇帝が妾を選んだ部屋があった。この部屋で、西太后も選ばれたとか。

妾を選んだ部屋

 トイレまでもう少しだ。そう思っていると、現地係員の男性が向こうの建物を指差して説明を始めた。高台の上にある建物の中で、皇帝と妾がなんとかかんとか言っている。「皇帝と妾が月見を楽しむ建物」だったろうか。私たちはとにかくトイレに行きたくて、この建物にどんな説明がなされたのか、ほとんど覚えていない。

皇帝が妾と一緒に何とかかんとか

 ようやく北門を出て、待ちに待ったトイレ休憩となった。私たちは、トイレに駆け込んだ。しかし、ガンモがあれほど切望していたトイレは、男子トイレだけが清掃中だった。私はガンモのことを哀れに思いながら、女子トイレに入って用を足した。あれだけ我慢していたのに、最後にこんな落ちがあったとは。ガンモは大丈夫なのだろうか・・・・・・。

 私がトイレから出ると、ガンモがすっきりとした顔をして待ってくれていた。どうやら係の人がすぐに清掃中の札を外して中に入れてくれたそうである。ガンモは、
「ここまでトイレを我慢したのは久しぶりだった」
と言った。

 それから私たちは、再びワンボックスカーに乗り込み、北京首都国際空港に向かった。こうして慌しくも、三泊四日の北京の旅が無事に幕を閉じたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 天安門広場から故宮に行かれる方は、トイレを済ませてからお出掛けください。(笑)故宮の中には、小さなお店もたくさんあったのですが、実は、こうしたお店には一切寄らせてもらえないツアーだったのです。これは、旅行会社の策略のようなものだったのかもしれません。故宮を観光したあとにも、故宮の敷地内にある書道や水墨画を売っているお店に案内されました。このあたりの策略のような案内については、また別の日に記事にまとめたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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