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2006年11月

2006.11.30

おたまと一緒

 以前、おたまアニメ時差の記事でご紹介させていただいたRちゃんが、夏休みにハワイ旅行に出掛ける少し前に、結婚十周年のお祝いにと、手作りのぬいぐるみを送って来てくださった。私たちは包みを開けた途端、Rちゃんの手作りのあたたかさに触れた。

 手作りのプレゼントはマジックだと思う。たちまちあたたかい気持ちにさせてくれるマジック。世の中にたった一つしか存在しないというマジック。思わず、手作りのプロセスを想像してしまうマジック。あたたかい想いがこめられているというマジック。私はこれらのぬいぐるみに「ガンまるベア」と名づけ、私たち「ガンまる」と同じように抱き合わせてみた。

ガンまるベア(1)

ガンまるベア(2)

 私は不器用な上に雑なので、誰かに手作りの品をプレゼントするということがなかなかできない。しかし、もしも私に何かできるものがあるとすると、文章を書くことと、写真を撮ることくらいしか思いつかない。だから今日は、Rちゃんが送ってくださった手作りのおたまをご紹介させていただこうと思う。

 Rちゃんは、今年の四月にガンモが会社からプレゼントされたハワイ旅行に一人で出掛けていたときも、私が「ガンまる日記」にガンモのいない寂しさを綴っていると、「ガンモさんの代わりにはならないかもしれないけれど」と言って、手作りのおたまを送ってくださった。しかも、取り外し可能な猫耳オプション付きのおたまである。私はそんなRちゃんの優しい心遣いに励まされながら、ガンモの不在の寂しさを乗り切ることができたのだった。

 だから私は、ガンモがいないときに私を励ましてくれたおたまを、夏休みにガンモと二人で出掛けたハワイに連れて行ったのだ。ハワイにやって来たおたまは、とてもうれしそうだった。

おたま in ハワイ(ポリネシア・カルチャー・センター)

おたま in ハワイ(ダイアモンドヘッド)

おたま in ハワイ(インターナショナルマーケットプレイスの近く)

おたま in ハワイ(スターオブホノルル号)

 更に、北京に行く少し前に、またまたRちゃんがおたまを送ってくださったのである。今度は何と、私の大好きなカメのおたまのペアだった。身体はカメでも、顔はしっかりおたまの表情だ。とにかくかわいい! 私が大のカメ好きであることをちゃんとわかってくださっているのだ。こんなふうに見守ってくださっているとは、何とありがたいことだろう。私は勝手にカメおたまと名づけ、カメおたまのペアを北京に連れて行った。

おたま in 北京(万里の長城)

おたま in 北京(北京動物園)

おたま in 北京(北京動物園)

おたま in 北京(天安門)

 Rちゃんが送ってくださったおたまが私たちと一緒に旅をする。まるで映画『アメリ』の中に出て来るドワーフのように。

 Rちゃんの作ってくださったおたまは、あたかもRちゃんの人柄を映し出しているかのような平和な表情をしている。以前、良く笑い、良く食べたの記事にも書かせていただいたように、Rちゃんは、私のカメラ仲間の友人の奥さんである。Rちゃんとは、知り合ってからまだ二年半くらいしか経っていないはずなのに、まるでずっと以前からのお友達であるかのような、とても不思議な存在なのだ。それだけ、Rちゃんのご主人さんの環境に馴染んでいるのだろう。もしかすると、Rちゃんの魂は、ずっと以前から彼女のご主人さんにくっついていたのかもしれない。

 先日、友人と二人で食事に行ったとき、なかなか彼氏ができないと嘆く友人に、Rちゃんたちご夫婦のことを話した。例え出会う時期が遅くなってしまったとしても、運命的な出会いを果たして結ばれたご夫婦がいると。Rちゃんのご主人さんは、Rちゃんに出会うために、助手席を空けて待っていたのだと思う。多少、年が離れていたって、お互いの住んでいる場所が離れていたって、出会った瞬間にその人とわかるような愛は、確実に存在している。そのような二人は、お互いが出会っていない時期をも含有してしまうかのように、これまでの環境にごく自然に根をおろして行くのである。

 愛を大切に生きていれば、愛し合いされる存在にきっと出会える。私はそう思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m なかなか彼氏ができないと嘆く友人から、「魂の繋がりを感じられる関係ってどういうの?」と聞かれ、言葉でどのように説明したらいいか、考えました。考えた末に私は、「お互いが理解し合うのに、言葉で埋め合わせる必要のない関係」とか「時間を掛けて理解し合う必要のない関係」と答えました。ガンモと私もそうですが、Rちゃんとご主人さんも、付き合い始めてから結婚までの期間がものすごく短かったのです。お互いの魂のパワーがぐいぐい引っ張るのでしょうか。例え住んでいる場所が離れていても、二人が結びつくように、状況がどんどん整って行きます。更に、魂の繋がりがある相手というのは、言葉で愛を確認し合うよりも前に、お互いの気持ちをわかり合っていると思うのですが、皆さん、いかがでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2006.11.29

北京総括

※写真をたくさん貼り付け過ぎて表示が重いかと思いますので(シャレではありません)、トップページに表示する記事の数を三つに限定しました。

 今回で、北京旅行に関する記事は最終回を迎える。これまで書き漏れたことを盛り込みながら、北京の総括をオムニバス形式でお届けすることにしよう。

<My 広口瓶>

 北京の人たちに最も良く飲まれているのは、烏龍茶ではなく茉莉花茶(まつりかちゃ)だそうである。日本では、ジャスミンティーの名で良く知られている。北京の人たちは、出掛けるときに、茉莉花茶の葉を入れた透明な広口瓶の中にお湯を注いで持ち歩くようである。街を歩いているとき、また、店番をしている人のすぐ脇に、お茶の入った広口瓶がそっと置かれているのをしばしば目にした。おそらくだが、広口瓶の中にお茶の葉を入れているのは、飲み終わったあとでもお湯を注いで飲み足しできるからではないだろうか。こうした中国茶が効いているのか、中華料理には油っこい料理が多いというのに、ハワイで見掛けたようにパンパンに太った人がいない。そう考えると、やはり、中国茶は身体を整える効果が高いようである。中国茶の専門店で聞いた話だが、ダイエットには特にプアール茶が適しているのだそうだ。

<お札チェック>

 北京で買い物をすると、レジ係の人が必ずお札を光に透かして確認する。決して日本人観光客を疑っているわけではなく、北京にはそれだけ偽札が多いのだと思う。だから、誰がお札を使っても、レジ係の人はお札を光に透かして本物かどうかを確認している。しかし、レジでいきなりこのようなことをされると、ちょっと驚くかもしれない。

<支払いチェック>

 日本人観光客に対しては、計算間違いをした振りをして、しばしばお釣りを少なく返すことがあるようである。私たちはそういうことはなかったのだが、お金を払うときは、きちんと計算したほうがいいらしい。終日フリータイムの前日に、現地係員の男性から、
「タクシーに乗るときは、京Bのマークのタクシーに乗って、きちんと領収書をもらっておいてください」
と言われた。京Bというのは、北京のナンバープレートの付いた正規のタクシーである。京Bのナンバープレートの付いていない認可されていないタクシーだと、お釣りをごまかされたり、法外な金額を要求されることが多いらしい。

<虎の前で水鉄砲?>

 北京動物園で虎を見ていたときに驚いたことがある。私たちの右隣に中国人の家族連れがいたのだが、私たちの視界の右側で突然、ぴゅーっと何か透明な液体が飛び始めた。誰かが水鉄砲でも使っているのかと思いながら右側に目を向けてみると、何と、親が小さな子供を抱いたまま、子供におしっこをさせているのである。どこかよそに避けるわけでもなく、虎のほうを向いたまま、手すりの前で子供におしっこをさせていた。恐るべし。

<北京の人たちが使う日本語>

 特にお土産売り場などでは、日本語を話す店員さんが多い。決して流暢な日本語ではないが、日本人にお土産を買ってもらうための彼らの必死の想いが伝わって来る。本来ならば、北京を訪問する観光客が中国語を勉強しておくべきなのだ。しかし、何とか日本人とコンタクトを取ろうとして、彼らはどこかで日本語を学んでいる。そんな彼らには、独特の表現方法がある。例えば、以下のような勧誘の言葉をあちらこちらで耳にする。
「翡翠(ひすい)のものはいかがですか?」
「こちらは、大きいのほうです」
何を言おうとしているのかわかるのだが、普段、あまり聞き慣れない表現である。彼らにとって、助詞「の」の使い方は難しいらしい。おそらく、誰かが覚えて広めたのではないかと推測している。

※この件に関して、中国語に詳しいSHANAくんから掲示板にコメントをいただいた。中国では、○○的という表現が良く使われているらしいのだが、この、○○的の「的」が日本語の「の」に相当するらしい。そのために、中国の人が日本語を使うときに、「の」が多くなるのだとか。なるほど! さすが中国語を勉強しているSHANAくん。どうもありがとう。おかげ様でスッキリ!

<中国語>

 北京をを訪問するというのに、私は中国語を勉強して行かなかった。今ではそのことを申し訳なく思っている。ガンモは旅の中国語ガイドブックを買って勉強していたようだが、それでも全然足りなかった。

 日本人に良く知られている中国語に、「ニーハオ」や「謝謝」があるが、ありがとうを意味する「謝謝」は、私たちが思っていたよりも三倍くらい速いスピードで交わされていた。
「シェイシェイ」
ではなく、
「シェシェ」
という感じなのだ。しかも、「シェシェ」と言ったあとは、すぐにそこを立ち去らなければならないほどばっさりとしたスピード感があった。「シェシェ」は吐き捨てるように言う。これが北京らしい「謝謝」だと感じた。

<纏足(てんそく)>

 明の十三陵を訪問したときに、纏足(てんそく)をした人が履いていた靴が展示されていた。とにかく小さい。実は、私の足も、二十二センチと小さいほうなので、周りから
「纏足?」
などと言われていたが、二十二センチどころじゃない。十二、三センチくらいしかないのではないだろうか。手の平にちょうど乗るくらいの大きさだった。

 纏足に関しては、以前、漫画で読んだことがあるのだが、小さい頃から足に布を巻いて指を折り曲げ、足の成長を止めてしまうのだそうだ。ひどく痛むために、まともに歩けない女性も多かったとか。

纏足(てんそく)

<北京のポスト>

 北京のポストは緑色だ。確か、ヨーロッパを訪問したとき、イギリスのポストは赤だったと記憶している。だから、ポストは全世界共通で赤なのだと思っていた。そう言えば、サイモン&ガーファンクルの曲に『木の葉は緑』という曲があるが、それに倣うなら『ポストは緑』である。

北京のポスト

<北京の公衆電話>

 北京にも公衆電話はある。これらは、北京の街角で見掛けた様々な公衆電話である。ICカード式の公衆電話もあったようである。北京でも携帯電話が普及しているからだろうか。使っている人はあまり見掛けなかった。

北京の公衆電話(1)

北京の公衆電話(2)

北京の公衆電話(3)

北京の公衆電話(4)

<日本にもあるお店・企業>

 日本にもあるお店や企業が、漢字の看板を掲げていた。なかなか面白い。吉野家はそのままだった。ちなみに、吉野家で牛丼のセットを食べると、ペプシが付いてくる。日本では、吉野家にペプシなど、想像もできないのではないだろうか。

麦当労(マクドナルド)

佳能(キヤノン)

華堂商場(イトーヨーカ堂)

吉野家

 北京は、日本に近い場所ではあるが、日本とはまったく異なる場所だった。北京の人たちの顔は日本人と似ているが、表情がまったく違う。お金に関してもシビアだったり、日本人へのアプローチがやたら強引だったりと、あまりいい印象を持たない人もいらっしゃるかもしれない。しかし私は、北京は北京としてそこにあればいいのではないかと思った。北京への訪問を、個人を表現するホームページやブログへの訪問と重ね合わせたのかもしれない。

 北京は、私たちが訪問する前からずっと、そこに存在していた。決して、私たち自身が北京の形成に関わって来たわけではない。私たちが、北京を訪問することを自分たち自身で選んだのだ。北京が日本と異なっているのは北京の欠点ではなく、北京の個性だ。私は、そうした北京の個性を否定するのではなく、生かす存在でありたいと思った。

 そう思うのは、北京行きの飛行機の中で観た映画『ただ、君を愛してる』の中の台詞にひどく共感したからだ。宮崎あおい演じる静流(しずる)が、映画の中でこんなことを言う。
「私は決して変なわけじゃない。ただ、人よりもちょっとオリジナルなだけなんだって」
私は、この台詞に涙したのである。私自身、人と変わっていると言われることが多いからかもしれない。だから、この映画の中の静流の気持ちがとても良くわかった。人よりも違うことが個性にならず、あたかも欠点であるかのように指摘されることもあることの悔しさがとても良くわかるからだ。

 北京が日本と違っていたおかげで、違うということが欠点ではなく、個性であることを実感した旅だった。北京はいつまでも北京らしくあればいいのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一週間に渡り、長い長い北京の旅行記を読んでくださり、ありがとうございます。m(__)m そう言えば、昔、いぬいとみこさんという方が、『ながいながいペンギンのはなし』という本を書かれたの、ご存知ですか? 私が書いたのは、『ながいながい北京のはなし』であります。おかげ様で、私もじっくりと自分のペースで消化することができました。ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。

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2006.11.28

ブラックボックス

 先日の日記に、今回のツアーでは観光地にある小さなお土産売り場には一切寄ることができなかったと書いた。終日フリータイムだった一日を除くと、北京に到着した午後からと二日目の丸一日、それから最終日に北京首都国際空港に向かうまでの実質二日間で五つの世界遺産を回るというハードスケジュールだったために、駆け足の観光になってしまっても仕方がないのかもしれない。しかし私は、観光地の中にある小さなお土産売り場に激しく心惹かれていた。万里の長城の絵が描かれたTシャツや、いかにも中国製らしい布製のショルダーバッグや、明の十三陵で売られていたトランプなど。それらの一つ一つを、時間を掛けてじっくり見たかった。そんな私の想いとは裏腹に、今回のツアーではじっくり写真を撮る時間もなく、また、じっくりお土産を選ぶ時間もなく、五つの世界遺産をただ慌しく通り過ぎて行ったのだった。

 そんな慌しさの中にあっても、トイレ休憩という名目で、私たちは少々高価なお土産の専門店に案内された。例えば、中国茶の専門店、翡翠(ひすい)の専門店、七宝焼きの専門店、シルクの専門店、書道や水墨画の専門店などである。それらの専門店では、ツアー客全員にあたたかいお茶が出され、トイレを利用させてもらえた。私たちのようにワンボックスカーやバスで移動している観光客にとって、このようなサービスはとてもありがたい。しかし、これらのお店で働いている人たちのひどく積極的なアプローチや、自分が心から望んで入ったお店ではないという状況が、私たちの購買意欲を萎えさせた。私は、旅行会社とこうした専門店との間に、どこか策略めいたものが存在していると感じずにはいられなかった。しかも、それらのお店に案内されているのは九十九パーセント以上が日本人観光客だった。

 ところで皆さん、下の写真を何と思われるだろうか。

さて、これは何でしょう?

 これは、繭(まゆ)である。今日は、それらの専門店の中で、最も印象的だったシルクの専門店をご紹介しよう。

 私たちはシルクの専門店に到着すると、トイレをお借りした。トイレから出ると、待機していたシルクの専門店の担当係員が説明を始めた。そこには、繭を機械にかけて作業をしている女性たちがいた。

繭を解いて糸を作る

 彼女たちは、蚕(かいこ)が作った繭を解いて、糸を取り出し、糸巻きに巻く仕事をしていた。良く見ると、湯の中に繭を浸して柔らかくしてから、糸を取り出しているようである。繭は一本の糸で作られているらしく、一度引っ掛けると、つるつると糸巻きの中に巻かれて行くようである。写真ではわかりにくいかもしれないが、下段にあるのがお湯に浸された繭、中段にあるのが糸を解いている最中の繭、上段にあるのが糸巻きである。中段の繭と糸巻きの間は、細い糸で繋がっている。

繭の中から取り出された蚕(かいこ)の蛹(さなぎ)

 衝撃的だったのは、繭の中からいくつもの蛹(さなぎ)が取り出されているのを目の当たりにしたことだ。彼らは蛾になろうとして、ひっそりと繭の中にこもったはずだった。しかし、人間の手によって、彼らの家である繭を解体され、繭の素材である糸を奪われて丸裸にされ、ごみ箱当然の入れ物の中に放り込まれているのである。これが人間ならば、強盗殺人に相当し、世間を騒がす大事件になる。しかし、事件にならないのは、彼らが蚕だからだ。しかも、ただ殺傷するばかりでなく、殺傷するために彼らを大量に飼育している。身包みはがされた蛹(さなぎ)に残された道は、ただ死んで行くしかないのではないだろうか。人間は、いつも奪うことしかできないのかと思うと、何だか情けなくなってしまった。

繭から作った糸を数枚折り重ねる

 続いて隣の部屋に案内され、繭から取り出した糸を重ね合わせている作業を見学した。お湯で柔らかくした繭の生臭い匂いが部屋の中に立ちこめている。

折り重ねられた糸は、引っ張ってもちぎれない

 折り重ねられた糸を引っ張ってみてくださいと言われ、引っ張ってみる。私も引っ張ってみたが、確かに強かった。繭から盗んだ糸は、強く引っ張ってもちぎれないことがわかった。

小さな絨毯(じゅうたん)を織っている人

 ここはシルクの専門店である。その先の部屋では、たくさんの真綿布団やシルク製品が販売されていた。小さな絨毯も売られていた。たった今、身包みはがされた蛹を見たばかりの私は、そうしたプロセスを経て作られた商品を購入する気にはなれなかった。少しばかり商品を手に取って触ってみたものの、人間という存在があまりにも身勝手で情けなくて仕方がなかった。私たちは、奪ったものに対し、高価な値段を付けて売っている。そのことだけは間違いないということがわかった。

 確かにシルク製品は肌触りもいいし、高級感が漂っている。しかし、実際にシルクを好んで身につけている人たちが、こうした商品化のプロセスを目にしたとしたら、どのように感じるだろうか。こうしたプロセスがブラックボックスになっているからこそ、成り立っている世界があることを改めて痛感したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ツアーに参加すると、このようなお土産の専門店に連れて行かれることが多いようですが、日本人は格好のターゲットなのでしょうね。気前がいいというのか、まるで海外に行ってお土産を買うことに命を掛けているかのようです。そういう私も典型的な日本人なのか、お土産を買っていないことが気になって仕方がありませんでした。結局私は、終日フリータイムの日にもお土産らしいお土産を買うことができなかったので、最終日の北京首都国際空港でお土産を買いました。ようやくお土産らしいお土産を買うことができて、満足でした。お土産って、渡す人のことを思いながらじっくり選びたいものですよね。今回は、とにかく余裕がなかったので、空港でたっぷりと時間があったことがせめてもの救いでした。

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2006.11.27

西太后と頤和園(いわえん)

※連日に渡り、写真を貼り付け過ぎて重いかもしれません。もしも重いと感じられる方がいらっしゃいましたら、サイドバーに設置しているカレンダーの下に一日ずつの記事へのリンクがありますので、そちらからご覧ください。カレンダーの日付をクリックしてくださっても、一日ずつの記事へのリンクになっています。

 また北京の話? まあまあ、そうおっしゃらずに、もうしばらくお付き合いくだされば幸いである。何しろ、駆け足のツアーだったため、自分が体験して来たことを消化するには、こうして写真を整理しながら歴史を紐解く時間が必要なのである。

 駆け足と言えば、ここ数日の「ガンまる日記」を読んだガンモが、
「まるみは写真をいっぱい撮ってる」
とうらやましそうに言った。ガンモは、駆け足で説明する現地係員の男性に遠慮して、あまり写真を撮れなかったらしい。いや、私だって、納得の行く構図で写真を撮ったわけではない。写真を撮るのはカメラだが、どの風景を切り取るかは、自分で決めなければならない。納得の行く構図にするには、ある程度、試行錯誤の時間が必要なのである。

 今日は、そんな駆け足の観光で、二日目に出掛けた頤和園(いわえん)をご紹介しよう。世界遺産にも登録されている頤和園は、西太后が軍事費を使って大幅に修復し、別荘として使用していた場所で、映画『西太后』の舞台にもなっているという。映画『西太后』は、公開時にかなり話題に昇った映画だったと記憶しているが、私はこの映画は観ていない。『ラストエンペラー』をもう一度観るなら、『西太后』も併せて観ておきたい。

北京の三輪バイク

 さて、いきなりではあるが、頤和園の入口に停車していた北京の三輪バイクである。北京では、自転車もそうだが、荷物を運べるような工夫がなされ、自転車の後ろに大きな荷台が付いていたりする。これは、バイクを三輪にして囲いを施したものである。タクシーとして利用されている場合もあるようだ。

麒麟

 仁寿門をくぐって正面にあるのが、中国の伝説上の動物、麒麟(きりん)である。日本のキリンビールのキリンは、こちらの麒麟らしい。

人工の昆明湖

 頤和園の大部分を占める昆明湖である。人工の湖だそうだが、とても美しかった。

昆明湖を眺める窓のある回廊

埋め込まれた窓から眺めた昆明湖

 その昆明湖を眺めながら歩けるように、回廊には洒落た窓が埋め込まれている。実はこの窓、いろいろな形をしていた。

西太后が住んでいた楽寿堂

たくさんの絵が描かれた長廊

 昨日ご紹介した壮大な故宮にも驚いたが、頤和園の七百五十メートルもある長廊に描かれた数多くの絵にも驚かされる。しかも、一つ一つが違う絵なのだ。長廊に描かれた絵の数は八千枚以上もあると言われている。これらの絵を、一人の画家が描いたのだろうか。このようなところに絵を描けるのは光栄かもしれないが、数が膨大なだけに、どのような絵を描くか頭を悩ませたのではないだろうか。

 人工の湖といい、八千枚を超える絵と言い、ここでもたくさんのお金がかけられているのがわかる。またしても、庶民の生活は大丈夫だったのだろうかと想像してしまうのだった。

 西太后は、第一婦人の東太后に対し、第二婦人の意味で使われている。西太后は、皇子を出産した頃から権力への執着が強くなり、やがて独裁への道を歩むことになる。権力を完全に自分のものにするために、東太后を毒殺したという説もあるとか。歴史的に名の残る人物だからこそ、映画にもなるのである。

毛筆をしている老人

老人が書いた字

 長廊の隣にある石畳に、毛筆で何か書いている老人がいた。薄い墨のようなものを使っていた。中国ならではの風景である。いや、ちょっと待てよ。世界遺産に落書きをしてもいいのだろうか? それとも、落書きなどではなく、有名な書道家だったのだろうか。

頤和園の中の広場で大きな赤い扇子を持って踊りの練習をする人たち

 また、広場では、大きな赤い扇子を持って踊りの練習をしている人たちがいた。扇子を広げるときに、大きな音がする。

雲輝玉宇

排雲門

豪華な回廊

石舫

屋形船?

トンネルの上にも小さな建物がある

ユニークな橋

 故宮は広さを感じさせる場所だったが、頤和園は贅沢を感じさせる場所だった。西太后が軍事費を使って修復しなければ、頤和園はもっと質素な場所に留まっていたかもしれない。

 やはり、権力は寂しい。そのことを、今回の北京訪問でつくづく実感させられた。私は、故宮や頤和園のような広大で豪華な建物の対比として存在している、初日に訪れた庶民の街である胡同(フートン)を思い出した。決して広いとは言えなくても、ついさっきまでそこに立っていたのではないかと思わせるほど生活感の溢れた台所や、狭くても整頓された寝室がある。家族が団欒するテーブルがある。あのときの住人の女性の笑顔が忘れられない。見知らぬ観光客の私たちに、にこにこしながらお茶を入れてくれた。西太后は、彼女のようににこにこ笑ったことがあっただろうか。何を幸せと感じるか、価値観の違いかもしれない。しかし、どんなに権力があったとしても、胡同の彼女のような笑いを知らなければ、満たされない想いをいつまでも抱え、求めることを止められないのではないだろうか。そう思うと、今更ながら、北京でもっともっともっと庶民と触れ合いたかったと思うのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 撮影した写真の整理をしていたら、こんな時間の更新になってしまいました。いかんですね。北京のことを書き始めてからというもの、一回の記事作成に時間が掛かり過ぎています。(^^; あともう少し、北京の話題が続きますが、明日からはできるだけ写真を減らしますね。それにしても、今回の旅行で撮影した写真は、構図が気に入りません。普段なら、もっと構図を練ってから撮影するのですが。もっと撮影の時間が欲しかったと思います。・・・・・・と言い訳です。(^^;

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2006.11.26

北京最終日

 北京で過ごす最終日は、朝、起きてみると雪が降っていた。北京では、例え気温が低くても滅多に雪は降らないと聞いていたのに珍しい。どうやらこの雪は、北京にとっては初雪となったようだ。雪はやがて小雨に変わり、私たちが最後の観光を始める頃には上がっていた。滞在中、ずっと雨が降らずにいてくれたことを心から感謝した。空はまるで、泣いてはいけないと教えらられた男の子がぐっと涙を押さえ込むように、私たちのために雨を降らせないように頑張ってくれていたのかもしれない。

 私たちは、七時五十分にチェックアウトを済ませた。十四時三十分のフライトを控えて、これから最後の観光が残っているのである。

 現地係員の男性がホテルまで迎えに来てくれたので、私たちは再びワンボックスカーに乗り込み、同じツアーに参加しているもう一組の家族が宿泊しているホテルへと向かった。もう一組の家族とは同じツアーだったのだが、私たちはインターネットの使える(ただし、有料)長富宮(チャン・フー・ゴン)を指定したのである。

 現地係員の男性の話によれば、二日目まで案内してくれた運転手さんは、今日はお休みだと言う。そのため、新しい運転手さんが別のワンボックスカーに乗って迎えに来てくれた。二日間案内してくれた運転手さんに、きちんとありがとうを言うことができなかったのは残念だった。

 ワンボックスカーの中から、雨上がりの北京の街を自転車で走る人たちの姿が見えていた。彼らは、自転車の前籠まですっぽり覆うことのできるカッパを着て自転車に乗っていた。カッパで自転車の前籠まですっぽり覆ってしまうとは、自転車の多い北京ならではの工夫である。

自転車の前籠まですっぽり覆うカッパを着て自転車に乗る人

 もう一組の家族が宿泊しているホテルに向かうワンボックスカーの中で、現地係員の男性に、
「お二人は今年結婚されたのですか?」
と聞かれた。私が、
「いえいえ、もう結婚十年です」
と答えると、彼はとても驚いていた。そして、
「いいご夫婦ですね」
と言ってくださった。私たちがお揃いの体型で、お揃いの服を着て、お揃いのリュックを背負って、同じように一眼レフ式のデジタルカメラを首からぶら下げていたからかもしれない。また、彼は私たちの年齢が既に四十歳を超えていることを知ると、更に驚いていた。私は、年齢を若く見られたことよりも、新婚さんと思われていたことのほうがうれしかった。

 同じツアーに参加しているもう一組の家族と合流すると、私たちは天安門広場へと向かった。これから天安門広場に続いて、故宮を観光するのだ。

毛沢東の肖像が飾られている雨上がりの天安門

 天安門広場は、かつて、民主化を求めた学生たちと軍が衝突した場所である。ここで多くの人たちが命を落とした。天安門事件は、一九七六年と一九八九年の二回起こっている。前者を四五天安門事件、後者を六四天安門事件と区別し、一般的に天安門事件と言うと、後者を指している。

 天安門は、明・清の時代の紫禁城(故宮)の正門である。そして故宮は、ベルナルド・ベルトリッチ監督の映画『ラストエンペラー』のロケ地となった場所だ。『ラストエンペラー』は、私も一度だけ観た映画だ。私たちは天安門から故宮に入り、その壮大な宮殿を観光した。

牛門

修復中の太和門

 何と、太和門と太和殿は修復中だった。観光客のために、実物と同じ絵が描かれた布が掛けられている。ちょっと残念だ。故宮だけでなく、北京は全体的に二〇〇八年のオリンピックに向けてあちこち工事中だった。二〇〇八年のオリンピックのために世界各国から訪れる人たちに、美しい北京を観て欲しいのだろう。

 故宮を訪れたあとで、『ラストエンペラー』をもう一度観てみるのもいいかもしれない。しかし、『ラストエンペラー』を観て、修復中の宮殿が映っているのは悔しいではないか。いやいや、修復中の宮殿なんて、滅多に観られるものではない。私はそう、自分に言い聞かせながら、広い故宮をずんずん歩いた。

 実は、故宮に入った直後から、ガンモがトイレに行きたいと言っていた。私も行きたかったので、現地係員の男性に、トイレはあるのかと聞いてみたところ、
「ここは宮殿ですから、トイレありません。最後のほうになります」
と言われた。私はまだまだ余裕があったが、ガンモはひどくがっかりしていた。果たしてガンモは、故宮を出るまで頑張り切れるのだろうか。

とにかく広い故宮(1)

とにかく広い故宮(2)

とにかく広い故宮(3)

石彫の入った階段

 皇帝の妾は三千人もいたそうである。三千人も妾がいれば、顔も覚えられなかったのではないだろうか。もしかすると、皇帝という職業は、ものすごく寂しい職業だったのかもしれない。ただ一人の女性さえもまともに愛せず、三千人も妾がいるのに、心から愛し愛される喜びを知らずにこの世を去って行ったのかもしれない。妾たちが愛したのは、皇帝自身ではなく、皇帝の権力だったのではないだろうか。妾たちの多くは、大勢の妾たちの中から、権力を持った皇帝に愛されることを望んだのではないだろうか。と、勝手な想像を働かせた。

 ところで北京では、獅子が阿吽(あうん)のポーズを取っていない。両方とも口を開いているのだ。ただ、玉を転がしている足が違う。こうした獅子が観光地の至るところにいるのだが、どの獅子も阿吽のポーズを取っていないのだ。

阿吽のポーズを取っていない獅子

 それにしても、故宮は広い。歩いても歩いても、次から次へと建物が出て来る。故宮の部屋の数は、全部で九千九百九十九.五室あるそうだ。皇帝を意味する一万という数を超えてはならなかったために、そのような中途半端な数になったとか。しかし、私はここで疑問に思ったのである。これだけ広大で数多くの部屋を持っていた皇帝の時代、果たして庶民の生活はどうだったのだろうと。庶民の生活が貧しいのに、皇帝がこれほどの贅沢をしていたなら、国の最高権威として本当に崇められるべき存在なのかと疑問に思った。

とにかく広い故宮(4)

とにかく広い故宮(5)

とにかく広い故宮(6)

 故宮の土は、二メートルの深さまで掘られ、中に石が敷き詰められていたそうである。何故なら、石を敷き詰めておけば、地下にトンネルを掘って攻めて来る敵もいないだろうと考えてのことだったらしい。そのようなトンネルを掘らなければならないほど、周りを信頼できなかった時代なのである。

 石が埋められた固い道を歩くと、振動が伝わって来るために、トイレを我慢しているガンモにとっては、かなりきつかったようだ。頑張れ、ガンモ。

 さて、続いては、皇帝と妾が夜を共に過ごした部屋である。ガラス越しに撮影したため、人影が写ってしまったが、とにかく豪華な部屋だった。しかし、こうして故宮の豪華さを目にする度に、豪華さとは裏腹の、皇帝の寂しさをますます感じ取ってしまうのだった。

皇帝の寝室

 もう少しで北門だ。北門の近くには、皇帝が妾を選んだ部屋があった。この部屋で、西太后も選ばれたとか。

妾を選んだ部屋

 トイレまでもう少しだ。そう思っていると、現地係員の男性が向こうの建物を指差して説明を始めた。高台の上にある建物の中で、皇帝と妾がなんとかかんとか言っている。「皇帝と妾が月見を楽しむ建物」だったろうか。私たちはとにかくトイレに行きたくて、この建物にどんな説明がなされたのか、ほとんど覚えていない。

皇帝が妾と一緒に何とかかんとか

 ようやく北門を出て、待ちに待ったトイレ休憩となった。私たちは、トイレに駆け込んだ。しかし、ガンモがあれほど切望していたトイレは、男子トイレだけが清掃中だった。私はガンモのことを哀れに思いながら、女子トイレに入って用を足した。あれだけ我慢していたのに、最後にこんな落ちがあったとは。ガンモは大丈夫なのだろうか・・・・・・。

 私がトイレから出ると、ガンモがすっきりとした顔をして待ってくれていた。どうやら係の人がすぐに清掃中の札を外して中に入れてくれたそうである。ガンモは、
「ここまでトイレを我慢したのは久しぶりだった」
と言った。

 それから私たちは、再びワンボックスカーに乗り込み、北京首都国際空港に向かった。こうして慌しくも、三泊四日の北京の旅が無事に幕を閉じたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 天安門広場から故宮に行かれる方は、トイレを済ませてからお出掛けください。(笑)故宮の中には、小さなお店もたくさんあったのですが、実は、こうしたお店には一切寄らせてもらえないツアーだったのです。これは、旅行会社の策略のようなものだったのかもしれません。故宮を観光したあとにも、故宮の敷地内にある書道や水墨画を売っているお店に案内されました。このあたりの策略のような案内については、また別の日に記事にまとめたいと思います。

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2006.11.25

終日フリータイム(後編)

 北京動物園の広さは、八十六ヘクターだそうだ。八十六ヘクタールと言われても、どのくらい広いのか良くわからない。上野動物園の広さが十四ヘクタールということなので、上野動物園のおよそ六倍の広さということになる。とにかく広い。以前も書いたように、もともと私は動物園があまり好きではない。しかし、夏休みに出掛けたハワイのホノルル動物園では、広い敷地内で動物たちがのびのびと過ごしている姿を見て安心した。北京動物園も敷地が広いので、きっとホノルル動物園のように動物たちがのびのびと過ごしていることを期待して、ガンモと二人で北京動物園の門をくぐったのである。

北京動物園の入口

パンダ券付きの北京動物園の入場券。大熊猫と書かれているのはパンダのこと。入場料は一枚十五元。一元およそ15円なので、日本円でだいたい二百三十円くらいである

 パンダは、入口付近にある大熊猫館にいる。室内にもパンダはいるのだが、私たちが訪れたときは、屋外のほうが数が多かった。私は、日本の動物園にいるパンダは見たことがないのだが(神戸市の王子動物園にもいる)、動物園にありがちなぐったりしたポーズではなく、一見じっとしているようでもあったが、しっかりと活動していた。

ん? 滑り台の上にいるのはもしや?

ズームを使って撮影してみると、こんな感じ

どうやら、うずくまってじっとしているようだ

 ガンモはこのパンダを見て、「だれパンダ」と名づけた。

別のパンダもうずくまっている。もしかして、低血圧?

 別のパンダも、うずくまってじっとしていた。私は低血圧ではないのだが、朝、起きた直後にパンダと同じポーズを取っているので、親近感がわいた。パンダはしばらく経つと起き上がり、笹のところまで歩いて行き、笹を食べ始めた。

低血圧のポーズから起き上がり、笹を食べ始めたパンダ

 パンダを見て思ったことがある。大熊猫とは実に言い得て妙で、パンダの身体は熊のようだが、仕草は猫のようだ。調べてみると、パンダはかつては肉食性だったそうだ。飼育員や観光客がパンダに襲われるケースも多々あるそうだ。しかし、外見が愛らしいためか、パンダは多くの人たちに愛される存在である。日本ではあちこちに熊が出没し、射殺されるケースも少なくない。しかし、熊の仲間であるパンダは、このように大事にされている。そのことを考えると、何だかやるせないものがある。人間が山を開発するために、熊の食べ物がなくなり、山を降りて射殺されるお腹を空かせた熊と、人間を襲いながらも、外見が愛らしいために多くの人たちに愛され続けるパンダ。熊たちは、自分たちの外見もパンダのように愛らしければと願うのではないだろうか。

大熊猫館付近にあるパンダグッズのお店

 さて、じっくりとパンダを見物した私たちは、園内をずんずん歩いた。有料ガイドブックを買わなかったので、どこに何があるかが良くわからない。とりあえず、気の赴くままに歩いてみた。すると、鳥が放し飼いされている大きな池に辿り着いた。

鳥の島

 何の柵もなく、様々な鳥たちが自由気ままに暮らしている。彼らは、自由意思でここに留まっているのだ。

これは、鶴だろうか

美しい模様のおしどりも泳いでいた

思慮深い白鳥もいる

 私たちは、北京動物園の広い敷地の中で、鳥たちがのびのびと生活しているのを見て、
「ここは広くていいねえ」
と連発していた。景色も美しく、何よりも、動物たちが元気に生活しているのがうれしい。しかも、動物たちとの距離も近く、餌を与えることもできる。

ダチョウ

 私はダチョウを見ると、宝塚を思い出す。ダチョウの外見が、タカラジェンヌたちがレビューのときに着る衣装に似ているからだと思う。ダチョウは何故か、シマウマと同じ柵の中にいた。シマウマは、静かに草を食べている。確か、ホノルル動物園でもそうだった。ダチョウとシマウマは、セットで飼育するものなのだろうか。実はこのダチョウ、人間の手から餌を食べる。私たちも、緑の葉っぱを拾ってダチョウに与えた。ダチョウは、私たちの手から葉っぱを食べた。私は、手を離すタイミングが遅れて、ダチョウに手を噛まれた。少しだけ痛かった。ダチョウが葉っぱを食べるために寄って来たら、ダチョウが葉っぱを狙って顔を寄せて来る直前に葉っぱから手を離すのがダチョウに噛まれないためのコツである。ダチョウがあまりにも緑の葉っぱを良く食べるので、ガンモがこんなことを言った。
「これだけ食べるなら、この木を柵の中に植えてやればいいのに」
確かにその通りだった。

 北京動物園を訪れる人たちの中には、動物たちに与える餌を持参する人たちがいる。大豆を持って来て、鳥に大豆を与えている人もいれば、白菜を丸ごと持って来て、ダチョウに与えている人もいた。白菜を丸ごと持って来るとは、さすが中国。スケールが違う。

ダチョウに白菜を与える女性

 しばらく歩くと、鷹(たか)の檻があった。大きな檻の中で、鷹たちがのびのびと生活していた。彼らの目はやはり鋭い。獲物を狙う目だ。鷹の柵の中には、カメラを入れる場所なのか、丸くくりぬかれている箇所があり、私たちはその丸の中にカメラを突っ込んで鷹を撮影した。

 もっといろいろ回りたかったのだが、広い敷地内を歩き回って、私たちはへとへとに疲れてしまった。重い足をひきずりながらも、まだちゃんとしたお土産を買っていないことがひどく気にかかり、私たちは北京動物園をあとにした。これまでのツアースケジュールでは、お土産品らしいお土産を買うことができなかったのである。

 北京動物園から更に数百メートル歩いて、フランスのスーパー、Carrefour(カルフール)に着いた。ここは、庶民が利用するスーパーである。私たちはここでしばらく買い物を楽しんだ。価格がリーズナブルだからだろうか。店内はものすごい人だった。あまりもの人の多さに、狭い通路を通ることに遠慮していると、後ろから別の人がやって来て、人を掻き分けて前に進んで行った。日本では、狭い通路を通ろうとすると、道を塞いでいる人が気がついて道を空けてくれるものだが、北京ではそのようなことはない。気がついていても知らんぷりなのだ。だから、自分で道を空けてもらえるように、周りの人に対して主張するしかない。私は、別の人が通った後に続いてその狭い通路を通り抜けた。

 Carrefourはたくさんの利用客で溢れ返っていたが、私たちのような外国人観光客はほとんどいなかった。クレジットカードで支払ったのだが、私たちが並んだのはクレジットカードの使えるレジではなかったようで、お店の人に迷惑を掛けてしまった。しかも、中国語がわからないので、何を聞かれても答えることができず、申し訳なかった。Carrefourでは結局、お土産らしいお土産を買うこともできなかった。

 その上、広大な北京動物園を歩き回った疲労が激しく、これから一キロ以上歩いて地鉄の駅に戻るのも一苦労だった。路線バスやトロリーバスを利用しても良かったのだが、恐ろしく混んでいたことと、中国語がわからないことがネックになり、地鉄の西直門駅まで重い足をひきずりながら一生懸命歩いた。西直門駅に辿り着くまでに、途中で何度も休みたいと思ったが、休むと誰かに声を掛けられそうで怖かった。北京の路上には、一体何をしているのかわからない人たちがたくさんたむろしている。有名な観光地の入口にもそういう人たちがたくさんいる。おそらく、何か闇取引のようなものが行われているのだろうと思う。やっとの思いで西直門駅に着くと、再びガンモが筆談して切符を買ってくれた。

 あまりにも疲れ過ぎた私たちには、レンタサイクルを借りるパワーはもう残っていなかった。しかも、時刻は既に十八時を回っていて、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。ホテルの人がせっかく一生懸命調べてくれたというのに、本当に申し訳ない。できれば、レンタサイクルを利用してホテルの人にちゃんとお礼を言いたかった。しかし、この夜の私は、最後の力を振り絞って「ガンまる日記」を書き上げたほど疲労困憊していた。申し訳ないので、私たちのためにレンタサイクルを一生懸命調べてくださったホテルの名前を書いておこう。長富宮(チャン・フー・ゴン)。日本名でホテルニューオータニである。長富宮(チャン・フー・ゴン)のボーイさん、本当にありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 帰国して一日経った今日は、疲れ切った身体をゆっくりと休ませました。結局、北京では掲示板には一言も返信できず、申し訳ありません。ガンモと二人で、一度で消化し切れなかった北京の復習をしています。冬の北京はとても寒いためか、ツアー料金も安くなっているようです。十二月になるともっと安くなるとか。寒い北京を訪れて再認識したことがあります。私は、決して寒いのが苦手なのではなく、人工的な寒さ(特に夏のクーラー)が苦手なのだとわかりました。そう言えば、ずっと昔から、寒い日に暖かくして出掛けるのは好きでした。風がなければ、気温が低くても快適に過ごせることもわかりました。

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2006.11.24

終日フリータイム(前編)

 滞在三日目は、北京に来て初めての終日フリータイムとなった。ようやく自分たちのペースで回ることができる。心行くまで写真を撮ることができる。私たちは、そんな期待に胸を膨らませながら、フリータイムをどのように過ごすかについて、計画を立てていた。

 予め、ガンモの中には地下鉄に乗って北京動物園に行くという計画があったようだが、前日の夜、私はガンモに言ったのだ。
「せっかく北京に来たんだから、自転車に乗って、北京の街をスイスイ走ってみたいよね」
北京に馴染むには、北京を外から見るのではなく、内から見てみたいと思ったのである。ガンモも私の意見に賛成してくれたので、私がレンタサイクルのサービスを行っているお店をインターネットで探すことになった。調べているうちにわかったのだが、一部のホテルでレンタサイクルのサービスを行っているようである。私は、もしやと思い、自分たちの泊まっているホテルの名前で検索してみた。すると、ホテルのオフィシャルページではないのだが、様々なホテルのサービスをまとめたページに私たちの宿泊しているホテルにレンタサイクルのサービスがあると記載されていたのである。私はガンモに、
「このホテルにもレンタサイクルのサービスがあるみたいだよ」
と言った。するとガンモは、室内に設置されているホテルのガイドで確認し始めた。しかし、そこにはレンタサイクルのサービスがあるとは書かれていなかった。

北京の自転車に憧れて

 出掛ける準備を整えて、フロントの女性にレンタサイクルのサービスがあるかどうかを尋ねてみた。すると、レンタサイクルのサービスはもう行っていないとのことだった。私が、
「どこかこの近くにレンタサイクルを扱っているお店はありますか?」
と尋ねると、
「少々お待ちください」
と言われ、男性スタッフに事情を説明してくださった。すると、男性スタッフがどこかに電話を掛け始めた。男性スタッフは、何やら長い時間、誰かと話をしている。もしかすると、忘れられてしまったのだろうかと思い、ガンモと二人で不安を感じながらも、ロビーでしばらく待っていた。しかし、待てど暮らせど男性スタッフの電話は終わらない。男性スタッフが話しているのは中国語なので、何をしゃべっているのか私たちにはわからなかったのである。

 自分たちが忘れられているのかどうかわからなかった私は、ガンモに、
「あそこで電話を掛けている男性の会話が終わって、私たちに対して何もアプローチがなかったらもう出発しようか」
と言った。

 根気強く待っていると、ようやく男性スタッフの電話が終わった。しかし、その男性スタッフは、今度はロビーに居た別の男性と話を始めた。やはり、私たちのことは忘れられてしまったのだろうか。ガンモに、
「確かに『少々お待ちください』って言ってくれたよね」
と確認したところ、ガンモにも同じように聞こえていたようだ。

 しばらくすると、背後から美しい日本語が聞こえて来た。振り返ると、マネージャーらしき男性が私たちに向かって話し掛けてくれていた。
「お客様、自転車をお探しとのことですが、この近くにあります○○というホテルでレンタサイクルのサービスを行っていることがわかりまして、そのホテルに現在、自転車の空きがあるかどうか、問い合わせをしているところです。もう少ししましたら、○○ホテルから自転車の在庫に関して連絡が入ることになっていますので、もう少しお待ちいただけますでしょうか」
恐れ入った。すっかり忘れ去られてしまっているのではないかと疑った自分たちが恥ずかしくなった。長い時間、男性スタッフが電話で話をしていたのは、近隣のホテルにわざわざ電話を掛けて、レンタサイクルのサービスがあるかどうかを確認してくださっていたのである。

 大変恐縮しながらしばらく待っていると、候補に上がっていた○○ホテルでは、空き自転車がないと連絡が入ったようである。それだけでなく、ここから地下鉄に乗って出掛けた場所に、レンタサイクルの業者があるということを調べてくださったようで、そのお店の住所と電話番号を調べてくださった。しかも、
「場所がわかりにくいかと思いますので、これから自転車をこちらのホテルまで持って来てくれるそうですが、いかがいたしましょうか?」
と言ってくださったのである。そこまでしていただいては、さすがに申し訳ない。私たちが、
「いえ、自分の足で向かいます」
と言うと、マネージャーらしき男性が地図を広げて場所を説明してくださった。何と素晴らしい対応なのだろう。私たちの道楽のためにここまで丁寧に調べてくださって、大変恐縮していた。ただ、その方が言うには、
「日本と違って右側通行ですので、右折はしやすいのですが、左折のときはかなり危険な状態になりまして、自動車との接触事故も多くなっています。どうかくれぐれもお気をつけください」
とアドバイスをくださった。

 私たちは、ホテルの方たちの完璧な対応に狂喜しながら、ホテルを出た。これまでいろいろなホテルに宿泊して来た私たちだが、ここまで丁寧なサービスを受けたのは初めてのことだった。

 最初の計画では、ホテルのレンタサイクルを借りて北京の街をスイスイ走るつもりだったが、時間が少し遅くなってしまったので、自転車に乗るのは後回しにして、自転車に乗ることを決める前からの計画だった北京動物園まで地下鉄で向かうことにした。できれば、夕方のラッシュアワーに合わせて北京の街を走ってみたいと思ったからである。北京動物園に行こうと思ったのは、パンダがいるからだ。

 ホテル近くから地下鉄に乗るために地下鉄の駅へと向かった。北京では、地下鉄のことを地鉄と言う。地鉄と言うと、私は富山県にある私鉄、富山地鉄のことを思い浮かべてしまう。地鉄の切符は、日本のように自動券売機で買うのではなく、人のいる窓口で行き先を言って買うのである。私たちは中国語を話せないので、ガンモが行き先と切符の枚数を紙に書き、筆談しながら切符を買ってくれた。地鉄の切符はくじのようなぺらぺらした切符だった。改札も有人改札である。

 ホテルの最寄駅から動物園の最寄駅である西直門までの所要時間はおよそ二十分ほどだった。通勤時間はとっくに過ぎているはずなのに、地鉄はひどく混んでいた。乗り換えのために駅の構内を歩く人たちの数が半端じゃないのである。動物園方面に向かう地鉄は環状線になっていて、私たちのホテルの最寄駅からちょうど半分のところだった。

北京の地鉄

 驚いたのは、地鉄の中に、売り子らしい女性が乗っていたことである。乗客に向かって、何か大きな声でしきりに勧誘している。売られているものはどうやらガイドブックらしい。地鉄の中でガイドブックを売るという行為が、地鉄に認可されているのかどうかもわからない。静かな地鉄の中に響き渡る勧誘の声に、私にはとにかく驚いた。

 目的地の西直門で降りると、駅の周辺の路上で手袋やマフラー、雑誌などを売っている人たちがいた。私たちは、北京動物園までおよそ一キロの距離を、昼食を取ったりショッピングを楽しみながら歩いた。

西直門周辺で手袋などを売っている人たち

(長くなるので、この続きはまた明日)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これを書いている今、無事に帰宅致しました。とても濃い四日間でした。それにしても、今回は本当にハードなスケジュールでした。そのために更新が遅くなってしまいました。何度もアクセスしてくださった皆さん、本当にごめんなさい。実は、まだまだお土産話がたくさんあります。もうしばらく、北京の出来事にお付き合いくだされば幸いです。私自身、自分の撮影した写真を貼り付けながら、旅行記を書くのがとても好きです。ショートショートも好きなのですが。(笑)そうそう、ショートショートを楽しんでくださっているという内容のメールをくださったRちゃん、どうもありがとう。そういう一言に、とっても励まされています。皆さんに楽しんでもらえることが自分の喜びに繋がり、それが記事に還元されると、良い循環が出来上がります。そして、記事を一人で書いているのではないという連帯感が生まれるのです。いろいろな形で応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.11.23

長城を持って、長城に行こう!

 初日に解散する前に、
「明朝は七時半にホテルにうかがいます」
と現地係員の男性が言った。私は内心、「えええ? 何でそんなに早いの? きのうも早起きだったんだよ」と思っていた。翌日も案内付きのツアーで、西太后の別荘である頤和園(いわえん)、明の十三陵、万里の長城を回るという超ハードスケジュールが控えていたのだ。七時半出発ということで、私たちは六時起きを余儀なくされた。私たちが六時に起きられるように、現地係員の男性がホテルの方にお願いしてくれたらしく、六時にモーニングコールがかかるような設定になっていた。

 当日の朝、六時よりも前にガンモの携帯電話のアラームが鳴った。実はそのアラームは、前日の朝、関西国際空港に向かうために早起きしようとガンモが日本時間の五時過ぎにセットしたアラームだった。北京と日本の時差は、北京のほうが一時間遅い。つまり、北京時間の四時過ぎにアラームが鳴ったことになる。このアラームは、連日の寝不足と過密なスケジュールに更に拍車をかけた。身体があまりにも疲れていると、なかなか眠ることができない。私がこのあと二度寝できなかったのは言うまでもない。

 今回のツアーは、五つの世界遺産を回るというツアーである。そのためか、短時間のうちにいろいろなところを精力的に回ることになっている。そのスピードがとても速いのだ。立ち止まって、じっくりと写真を撮りたい私たちだが、そんな時間は与えられない。立ち止まっていると、どんどん置いて行かれてしまうのだ。実際、デジタルカメラで撮影した写真を見ても、構図やピントがいま一つのものばかりである。時間がなく、大急ぎでシャッターを切っているために、納得の行く写真が撮れていないのである。

 案内をしてくれている現地係員の男性は、トイレに関しては気を遣ってくださるのだが、私たちが初めてここを訪れたという視点に立って時間配分をしてくれていないように思う。つまり、北京に詳しい彼のペースの観光であり、北京を初めて訪れた私たちのペースの観光ではないのだ。そのことが、次第に私たちのストレスになっていった。私はこのときになって初めて、普段はガンモのプランでゆっくりと観光していることを実感したのである。

 もう一つ、気になっていることがあった。今回のツアーの移動はすべてワンボックスカーで行われた。普段の旅では公共の交通機関を利用して自分たちの足で移動している私たちは、案内してもらった場所が北京からどのくらい離れているのか、また、北京市内からどのような交通手段で移動することができるのか、わからないままに観光していたのである。(ガンモは地図で確認していたようだったが、私は見ていなかった)

 確かに、世界遺産と言われるほど有名な観光地までワンボックスカーで送ってもらい、入った入口とは別の出口から退場したときでさえ、ワンボックスカーが出口まで迎えに来てくれるのはありがたい。しかし、ありがたい気持ちはあるのに、何となく空しいのである。私は、独身の頃に出掛けたヨーロッパ旅行で、オプショナルツアーに参加せずに、ベルサイユ宮殿まで迷いながら列車で行ったことがある。確か、行き先の違う列車に乗ってしまい、途中下車して改札を無理矢理くぐり抜けて切符を買い直したはずだった。パリの列車は、列車の行き先がとてもわかりにくいのである。しかも、行き先の違う切符で自動改札を出ようとすると、警告音が鳴るのだ。そんな経験がいつまでも良き思い出になっているように、例え失敗しながらでも、自分の足で目的地に辿り着きたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 それらのストレスとハードスケジュールが重なって、私たちは心身ともに疲れ果てていた。そんな中で頤和園と明の十三陵の観光をこなし、万里の長城へと出掛けたのだった。私は、寝不足を取り戻すために、ワンボックスカーの中で何度も居眠りをした。ガンモもさすがに疲れが出て来たようで、コックリコックリ居眠りしていたようである。その居眠りのおかげで、何とか体力だけは回復させることができた。

 さて、万里の長城だが、出発前にガンモがこんなことを言ったのだ。
「長城を持って、万里の長城へ行こう!」
おそらく、「ガンまる日記」を読んでくださっている方の多くは、長城という名前のカメラが存在していることをご存知ないことだろう。中国で製造されたカメラに、長城という名前のカメラがあるのだ。もともとそのカメラは、外国人向けのお土産品として売られていたカメラのようである。

長城

 実はこの長城、私が独身時代に購入したカメラである。ガンモと初めてオフ会で会ったときに、持っていたカメラでもある。ガンモは、その長城を今回のツアーに、あたかも自分が昔から持っていたカメラであるかのようにお供させたのである。ガンモとしては、中国の人たちにそのカメラが里帰りしたことを気づいて欲しかったらしい。しかし、万里の長城でガンモが長城を持っていても、誰も声を掛けてはくれなかった。それでも、ガンモ自身はとても満足していたようである。

万里の長城(その1)

万里の長城(その2)

万里の長城(その3)

 万里の長城には、女坂と男坂があるらしい。女坂は比較的ゆるやかだが、男坂は道が険しいのだそうだ。現地係員の男性が女坂を勧めてくださったので、私たちもそれに従うことにした。万里の長城へは、現地係員の男性は登らずに、フリータイムとなった。しかし、その時間がまた短い。何と、集合時間までわずか四十五分しかない。これでは、写真を撮りながら上のほうまで登ることはできない。

 写真を撮らずに上のほうまで登るか、それとも、写真を撮るか。私たちは悩んだ末に、写真を撮ることを選択した。万里の長城と言っても、私たちが歩いたのはほんの一角である。わずか数百メートル程度しか歩いていないのではないだろうか。何だか写真を撮りに行っただけのようなものである。

 それでも、そんなわずかの時間の間に、世界遺産である万里の長城に訪れている、世界各国の人たちに出会った。世界遺産を訪れた彼らの表情は、住んでいる国に関係なく笑顔だった。健康な人たちばかりでなく、中には高齢のおばあちゃんもいる。足の悪い女性もいる。かつては国を守るために造られたという万里の長城が、今では国と国を結ぶ存在になっている。時代が変われば、役割も変わるものである。もしもまた来ることがあったら、今度は鉄道を使って自分の足で来てみたい。そして、自分たちのペースでゆっくりと満喫したい。そう心に誓ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 北京に来てから、盛りだくさんな毎日を過ごしています。もう、毎日へろへろで、こうして「ガンまる日記」を書くのも精一杯であります。やはり、自分のペースで行動しなければ、実にならず、目の前の現実がするすると通り抜けて行くような気がします。まるで、再訪問のきっかけ作りをしているようなものです。時間の進み方は、本当に人それぞれですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2006.11.22

自転車の国

 朝起きて支度を整え、リムジンバスで関西国際空港に向かうつもりで六時過ぎに家を出た。ところが、リムジンバスの乗り場に着いてみると、予想外の利用客でごった返している。おそらく、二十三日が祝日だからだろう。私たちと同じように休暇を取り、連休を作って海外に出掛ける人たちが多いようだ。

 リムジンバスの乗り場には、切符の販売と乗客の荷物をリムジンバスのトランクに運び込んでくれるおじさんが、いつも一人だけ待機している。そのおじさんが、あまりもの利用客の多さに対処し切れず、オーバーフローを起こしているのが側で見ていてわかった。おじさんが他の人に説明しているのが聞こえて来たのだが、どうやら利用客が多過ぎて、私たちを含めたほとんどの利用客は、この次に到着するリムジンバスには乗れそうにないらしい。おじさんは、臨時便を出してもらうように連絡するので、十分か十五分くらい待って欲しいと順番待ちをしている利用客たちに言った。

 私たちが北京に出掛けるということが、いろいろな人たちに作用している。私の職場の人たちにも、ガンモの職場の人たちにも、リムジンバスのおじさんにも、更には、臨時便を運転してくれるバスの運転手さんにも。私はそのことに大きな感動を覚え、思わず目頭が熱くなった。出発の段階から涙腺を緩ませているなんて、今回の旅は一体どのような旅になるのだろう。

 おじさんが、携帯電話でリムジンバスの事務所に臨時便の要請を出すと、ただちに臨時便のバスがやって来た。私たちはその臨時便のリムジンバスに乗り込み、無事に関西国際空港まで移動することができたのである。臨時便がすぐにやって来るなんて、リムジンバスはどのような勤務体制を取っているのだろう。すぐに対応してくれることは、大変ありがたいことである。

 行きの飛行機の中で、映画『ただ、君を愛している』を観た。機内アナウンスにより途中で何度も上映が中断されてしまったが、涙なしにはとても観られない愛の物語だった。飛行機の中で上映される映画というのは、映画館と違って、明るい機内で自分専用の小さなスクリーンを見つめることになるのだが、自分の周辺の人たちも同じ映画を観ながら自分と同じように感激にひたっているとは限らない。私は、その映画を観ながら、目に涙をいっぱい溜めていた。トイレに立って通路を歩く人たちが、そんな私のことをどのように思うだろうかなどと思いながらも、涙を流さずにはいられない映画だった。

 およそ三時間で北京首都国際空港に着いた。着陸前の機内アナウンスで、北京の気温は二度だと聞いた。予め、ガンモがインターネットで北京の気温を調べてくれていたので、私たちはしっかり防寒をして来た。そのせいか、上陸してもそれほど寒さは感じなかった。風がないせいかもしれないが、寒いというよりもむしろ、冷たいという感じである。

 今回は、私たちにしては珍しい現地添乗員付きのツアーである。到着ロビーから出ると、ツアーの名前を書いた紙を持った人が立ってくれていたので、無事に現地係員と他のツアー客たちと合流することができた。私たちと同じツアーに参加しているのは、三人の家族連れ一組だけである。北京滞在中のほとんどの時間を、現地係員の男性と運転手の男性、それからこのご家族たちと一緒にワンボックスカーに乗りながら、行動を共にするのである。

 日本人同士は、欧米人のように"Nice to meet you."と言いながら握手をするわけにもいかず、最初のうちはお互いに相手を知らずにもじもじしていたが、すぐに打ち解けて話せるようになった。片方が口を開けて待っている場合、もう片方が歩み寄れば、すんなりとことが運ぶものである。

 最初に訪れたのは、天壇(てんだん)公園だった。回廊を歩くと、庶民の方たちが集まってトランプや羽などで遊んでいる。中にはカラオケを楽しんでいる人たちもいた。子供が集まって遊んでいるのではなく、昼間から大人たちが集まって一緒に遊んでいるという光景はとても珍しく、私は驚きのあまり、目を見張った。

 天壇公園は、明や清の皇帝が豊作を祈った場所だと言う。

祈年殿(チー・ニイエン・ディエン)

白石門

圜丘(ホァン・チュイ)。まるで、ローマのコロッセオみたいである。

 公園内には、観光客目当てにお土産品を売買している人たちが何人かいた。実は、この人たちはかなり強引な売り方をする人たちで、日本人観光客を見つけると、あれ買え、これ買えとせり寄って来る。かなり積極的な売り方で、これとあれをおまけにつけて○○元(元は中国のお金の単位。一元約十五円)と言いながら、時には車の中まで追いかけて来ることもある。買いたくなければ、その意志をはっきりと示さないと、押しが強いので要注意だ。

 それから私たちは、庶民の町胡同(フートン)を訪問するオプショナルツアーに参加した。横丁を思わせる胡同では、狭い路地を輪タクに乗って観光した。日本の奈良公園のように、胡同にはたくさんの輪タクがいる。奈良公園の人力車は人が引く車だが、胡同の輪タクは、自転車で引く車に人を乗せて走るのである。私たちは重いのに二人で乗るように言われた。大丈夫なのだろうかと心配だったが、自転車をこぐ人はいとも簡単に私たちを乗せて走らせた。現地係員の方に聞いた話によれば、胡同の地域は都市整備が進んでいて、二〇〇八年のオリンピックの頃までには庶民の家も輪タクもなくなってしまうだろうとのことだった。

輪タクからの風景(その1)

輪タクからの風景(その2)

輪タクからの風景(その3)

 北京という街は実に不思議な街である。やはり、自転車に乗っている人が圧倒的に多い。最近では、電動式の自転車に乗る人も増えて来ているらしいが、ほとんどの人たちは、何十年も乗り続けているのではないかと思われるほど使い込まれた古い自転車に乗っている。しかも、自転車の後ろにプロパンガスをくくりつけて運んでいる人もいる。また、自転車と荷台が一緒になった三輪車のようなものに乗っている人を多く見かける。更に、ミゼットのような一人用の小さな車に乗っている人もいる。不思議なことに、ほとんど見かけないのはオートバイだ。北京の人たちは、身体を動かすことが好きなのかもしれない。

 胡同では、庶民の家を訪問し、ジャスミンティーをいただいた。寝室や洗濯部屋、シャワー室、台所などを拝見する。一つ一つの部屋はとても狭いのだが、部屋がいくつもある。その部屋が、いくつかの離れになっていたり、家の真ん中に庭があるのも面白い。見学させていただいた家は、生活感があふれていて、とてもいい雰囲気の漂う家だった。

訪問した庶民の家

 夜は、同じツアーのご家族と同じテーブルで四川料理を食べた。ご家族のお父さんがビールを勧めてくださり、それ以降は気兼ねなく話せるようになった。その日に初めて会った人たちと同じ食卓を囲むというのも、なかなか体験できることではない。四川料理は、私たちには少し辛(から)かったが、初めての経験に心を躍らせた一日だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 車に乗って移動しているときに、歩道橋の上で凧をあげているのが見えました。連凧というのでしょうか。いくつもの凧が連なっているのです。天段公園の回廊で遊んでいた人たちが、日本の羽子板で使うような羽に錘(おもり)のついたものを足で蹴って遊んでいました。凧も、羽子板の羽も、日本ではお正月に子供が使う遊び道具ですが、北京では日常の大人の遊びのようです。大人が集まって外で遊ぶという光景に慣れていなかったので、とても驚きましたが、北京の人たちは、このようにしてコミュニケーションを取っているのですね。

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2006.11.21

北京ドタバタ前夜祭

 私たちは、二十二日から出掛けることになっている北京の話題で盛り上がっていた。私は、街で大中(だいちゅう)を見つけると必ず入ってしまう。安価なものを扱っている大中は、雑貨好きの私にとって、とても楽しい場所の一つなのである。そんな私の好みを知っているガンモは、
北京に行けば、街中が大中だから
と言った。

 また、私たちは、夏休みに出掛けたハワイのチャイナタウンで取った昼食がとてもおいしかったことを思い出していた。ハワイに到着してからずっと、冷たいものばかり食べていた私たちにとって、温かい料理を食べさせてくれるチャイナタウンは、とてもありがたい存在だった。ガンモは、
北京に行けば、街中がチャイナタウンだから
と言った。私は、チャイナタウンで食べたおいしい炒飯を思い出し、北京でおいしい本格中華料理が食べられることを想像しながら、北京行きを心待ちにしていた。

 さて、いよいよ出発の前日となった。同じプロジェクトメンバーから、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)、明日から休暇を取られてますよね」
と確認されたので、私の休暇中に仕事で面倒なことが起こったり、他の人の作業が停滞したりしないように手はずを整えてから帰宅しようと思っていた。仕事は思いのほか順調だった。この分だと、十九時過ぎには仕事を上がれるだろう。そう思っていたのだ。

 ところが、十九時を過ぎたあたりに、私が担当した部分のプログラムに問題があることが発覚し、一度作ったプログラムを修正しなければならなくなってしまった。そして、修正したプログラムの動作確認を全パターンで行うという事態になってしまったのである。

 普段なら、慌てふためくところだったのだが、私は冷静に対処し、何とか悔いのないところまで作業を行い、無事に休暇前の仕事を終わらせることができた。実は、納品直前に何かが起こってバタバタするのは、いつものことなのである。こうした傾向は、同じプロジェクトメンバの抱えている悪い癖なのかもしれない。普段、あまりにも忙しく仕事をしているために、その少し先のものしか見ていない。ところが、納品直前になって、成果物を手放す段階になると、広い視点でものを考えられるようになり、これまで見落としていたものに気がつくようなのである。

 「それじゃあ、あとをよろしくお願いします」
と、同じプロジェクトのメンバにあいさつをして退社し、帰宅したのは二十三時頃だった。

 帰宅するやいなや、私は先に帰宅していたガンモと固く抱き合わずにはいられなかった。帰宅しようとしていた直前にトラブルが発生し、冷静に対処していたつもりでも、帰宅してからガンモの顔を見るまでは、まだ緊張を解放できていなかったのかもしれない。ガンモの顔を確認することで、北京行きがようやく現実のものになったわけである。

 私は、スーツケースに準備していた荷物を再点検し、足りないものをてきぱきと補った。翌日は五時過ぎに起きて六時過ぎには家を出ることになっている。ハワイ行きの直前もドタバタだったが、今回もかなりドタバタだった。いつも思い切り仕事をして、思い切り遊ぶ。それが私たちのスタンスのようだ。こうして出発の支度を整えた私たちは、興奮しながら眠りに就いた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これを書いている今、無事に北京に到着しました。こちらは日中の最低気温が二度と、とても寒いです。言葉がさっぱりわかりませんが、現地で世話をしてくださる方がいます。その方に教わったのですが、携帯電話のことは、手机と言うそうです。日本から持参した私の手机は、圏外になっています。明日からしばらく北京の話題が続きますが、よろしくお付き合いくださいませ。

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2006.11.20

お守り

 半年に一回の検診の日がやって来た。いつもなら、仕事を休んで出かけて行くのだが、今週は北京旅行で有給休暇を取ることになっているため、遠慮がちに午前中だけ休むことにした。

 朝一番の予約だったせいか、いつも一時間以上待ってようやく診察となるところを、待ち時間も少なく、わずか十数分程度で名前が呼ばれた。診察室に入り、主治医に診察していただく。しかし、何だかいつもと違う感じである。

 いつもは、お腹の上からエコーを取っていたのだ。しかし、今回は下から棒のようなものを突っ込んでエコーを取った。何故? 主治医は、
「うーん、大きいですねえ。数もたくさんありますねえ」
と言ったあと、
「では、触診しますよ」
と言って、私のおなかを手で押さえた。そして、
「固いですねえ。そろそろ手術も含めて何か対策を取らんとあかんかな」
と言ったのである。

 その後、待合所で待つこと十数分。再び名前が呼ばれ、今度は医師と対面で話をした。私は、手にメモ帳を握り締め、医師との対話にのぞんだ。前回の検診のあと、私は日本の産婦人科事情という記事を書いた。このとき、医師との対話が成り立たないことに苛立ちを覚えたのだが、性懲りもなく、今回も似たようなことを聞いてみた。

まるみ:「エストロゲンが多くなるのは何故ですか?」
医師: 「エストロゲンは、生理があれば、バンバン出てますよ」
まるみ:「では、生理が不順な人には、筋腫がないのですか?」
医師: 「いや、そういうわけではないです。閉経して、生理が止まれば、エストロゲンは分泌されなくなりますので、筋腫も小さくなります」

 私が知りたかったのは、何故、エストロゲンが過多になるかということだった。しかし、医師はそれには答えてはくれなかった。閉経したらエストロゲンが分泌されなくなることくらい、私だって知っている。そして、エストロゲンが不足するために、更年期障害が起こるのだ。だから、エストロゲンを補充するホルモン療法は行われている。ううむ、医師との対話が全然成り立っていない。

 前回の検診では、一番大きな筋腫が以前よりも二センチ小さくなっていたはずだったが、今回の検診では、大きさはわからないとのことだった。確か、エコーは、対象物に対して超音波を出して、跳ね返って来る反響で対象物の大きさを計っているはずだった。しかし、対象物が大きいと、距離ができてしまい、大きさがわからないのだそうだ。ということで、今回の大きさの判定はなしである。

 医師は、カルテを見ながら、
「大きいと言っても、前から大きかったんやね。となると、以前とそんなに変わってへんのかなあ。そろそろ処置を考えたほうがええとは思うけどね。でも、全摘してしまうと、子供が産まれなくなるし、うーん、難しいとこやな」
と言った。

 私が何も言わないでいると、またしばらく様子を見て半年後に検診しましょうということになり、半年後の検診の予約を入れて病院をあとにした。帰り道、ガンモに報告の電話を入れながら、今のような半年ごとの検診はあまり意味がないと感じ始めていた。女性の四人に一人は筋腫があるという時代に、筋腫にはエストロゲンが作用しているということがわかっているというのに、何故、エストロゲンが過多になるかがわかっていないなんて。やはり、筋腫ができれば切ればいいという考えが定着しているということに、強い抵抗を覚えたのである。

 半年後の検診では、ガン検診も行ってもらえることになっている。毎年、そのような流れで、もう二年くらい同じ病院に通い続けている。しかし、エコーの検査には誤差がある。計り方も違う。おまけに、医師の言うことも、時には大雑把だったり、時には丁寧だったりする。私のこれまでの感触では、今回のような朝一番の診察では比較的丁寧だ。しかし、受付時間が遅くなるにつれて、まるで流れ作業のように診察されることもある。筋腫の大きさはそれほど変わっていないはずなのに、その都度、医師の反応は違っている。つまり、そろそろ手術を考えたほうがいいと言ったり、何も言わなかったりするということだ。

 もしかすると、エコーなどよりも、私の感触のほうがずっと正確なのではないだろうか。筋腫は、生理の周期に合わせて固くなったり柔らかくなったりを繰り返す。生理が近くなると固くなり始め、生理が終わると、筋腫なんてないのではないかと思ってしまうほど柔らかくなっている。それだけ筋腫が伸縮しているのに、そもそも大きさを計ろうとするなんておかしいのではないか。計る度に一喜一憂している自分が馬鹿みたいだ。もう、半年ごとの検査に行くのを止めてしまおうか。止めたところで、何かが変わるわけではない。私にとって、病院に通うということは、単なるお守りのようなものなのだ。自分の身体のことは自分が一番良く知っている。筋腫が固くなったか柔らかくなったか、手帳につけているのは私自身なのだから。病院には、本当に何かあったときだけ行けばいいのではないのか。そんなことを考え始めていた。

 私が天然のプロゲステロンクリームを使い始めて、十ヶ月が経過した。これまでの医師との対話を思えば、リー博士の研究は偉大だと思う。婦人病にエストロゲンが作用していることがわかった時点で、エストロゲンと拮抗するプロゲステロンを補うという考えに到達したのだから。実際、私の筋腫が大きくなっていないという点で、この方法は、私自身には効果があったと実感している。ただ、私の大きな筋腫を小さくできるほどの威力はない。

 おそらくだが、私の場合は、天然のプロゲステロンクリームを使うことで、プロゲステロンレベルが上がったために、女性ホルモンのバランスをある程度、取り戻せたのだと思う。しかし、これが根本的な解決方法ではない。現在は、外が寒いのに、窓を開けっ放しのまま暖房をかけ続けている状態と同じなのだと思う。部屋を暖めるには、暖房をかけ続けることではなく、開いている窓を閉めなければならない。私は、窓を閉める方法を医師に尋ねたかったのだ。

 ここで私は、東洋医学のことを思い出した。西洋医学では、閉経しない限り、一度大きくなった筋腫は小さくはならないと言われている。それなのに、東洋医学では、婦人病のツボにお灸をすえると筋腫が小さくなるだとか、漢方薬で筋腫が小さくなるとかいう話がある。一度だけ診てくださった整体師さんも、整体で筋腫が小さくなるとおっしゃった。直径十二センチの彼女も、カイロの先生に同じようなことを言われたそうだ。(注:整体とカイロは、厳密には違うらしい。整体は中国からだが、カイロはアメリカから入って来た学問だとか)また、背骨の歪みや骨盤の歪みを矯正することで、ホルモンバランスを整えることができるとも言われている。西洋医学と東洋医学は、異なる分野をカバーし合っていると言われているが、西洋医学が東洋医学にもっと歩み寄れば、治療の幅も広がるのではないかと思うのだ。

 ちなみに、私の住んでいる兵庫県には、芦屋に有名な美容整体医院があるのだが、一回の治療に数千円から一万円くらいかかるらしい。それでも、とても有名なところなので、予約はすぐに埋まってしまうらしい。こうした治療にも、保険が効いてくれたらいいのにと私は思うのである。

 半年後、またまた休暇を取って診察を受けに行くかどうかは、現在のところ、未定である。現在の私は、アメリカから個人輸入した天然のプロゲステロンクリームに加え、同じくアメリカからフローエッセンスを個人輸入して愛飲している。フローエッセンスは、デトックスのセミナーで初めて存在を知ったハーブティーである。フローエッセンスを飲み始めてから一ヶ月くらい経ったが、ここにはなかなか書けないような変化もあった。八.五センチの筋腫があった人が飲み続けて、一年後には筋腫がなくなっていたと言われているフローエッセンス。私に本格的な効果が現れ始めるのは、いつのことだろう。その効果を知ってもらうためにも、半年に一回の検診を受けながら、医師にアピールして行きたい気持ちもある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ポピュラーな病気であるにもかかわらず、西洋医学では切るしか方法がないと言われている筋腫ですが、とうとう筋腫三人娘のもう一人の女性も手術を受けることになりました。彼女の場合は、出産経験があるからなのか、それとも、二.五センチと筋腫が小さいからなのか、開腹しない手術になるそうです。筋腫三人娘のうち、私だけが手術をせずに残ることになりました。しかし、ここに来て、私は、病院に行くのがだんだんアホらしくなって来ました。だって、コブがあるだけで、病気じゃないんですもの。大きさなんて、自分でわかりますしね。私が病院に行くのは、医師とちゃんと話がしたいからです。しかし、対話が成り立ちません。もっともっと、女性ホルモンに詳しい医師に出会いたい。心からそう思います。

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2006.11.19

映画『手紙』

 ホットヨガのスタジオを出たあと、私は少し遅めの昼食を取り、MOVIX京都という大きな映画館に向かった。向かったと言っても、ノートパソコンでインターネットに接続し、地図を見ながら場所を確認してみたものの、京都の碁盤の目を理解していない私にはちんぷんかんぷんだった。どうやら、私の大好きな新京極の中にあるようだが、京都に来ると東西南北の感覚が失われてしまう私にとって、河原町周辺から新京極に辿り着くのはいつも二分の一の確率だった。そして、今回は、二分の一の確率が的中したのである。私は、少しの間、新京極でショッピングを楽しんでいた。

 そのままショッピングを楽しみながらMOVIX京都を探せば良かったはずなのに、私は何を思ったのか、新京極の商店街を河原町通りまで戻り、ひとまず四条河原町まで出たあと、四条河原町から河原町通りを歩きながら三条方面へ向かったのである。しかも、四条から三条方面への進行方向を決めるのも、二分の一の確率だった。思い切って、にぎやかな方向へと歩いて行くと、カメラの三條なんとかというお店が見えて来たので、きっとここは三条に違いないと確信したのだった。

 三条周辺には、以前、友人が住んでいて、やはり、迷いながら遊びに来たことがある。そのときも、電話で場所を説明してもらいながら、懸命になって歩いた覚えがある。友人の家には何とか辿り着けたのだが、また同じ道を一人で歩いて来いと言われたら、おそらく、辿り着けないだろう。

 あとからガンモに、京都では迷子になってしまうという話を聞かせると、京都の人たちは、通りの名前を暗記しているらしいと言った。また、暗記するための歌があるのだそうだ。上ルとか下ルという表現も独特だが、通りを暗記している京都の人たちは、自分の中で地図を組み立てているのだと言う。

 さて、河原町三条から歩いて来た私は、再び新京極の商店街に戻った。そのときになって初めて、新京極の商店街をずっと歩いて来れば良かったことに気づくのである。しかし、MOVIX京都がどこにあるかわからない。そこで、街を歩いている女性に声を掛けて、教えてもらったのだった。私が道を尋ねた場所から、わずか二十秒ほどでMOVIX京都に着いた。

 MOVIX京都は、ツインビルという名前の通り、通りを挟んだ二つのビルから成り立っている。私はここで『手紙』を観たいと思っていたのである。もともと、この映画を観ようと思ったのは、派遣会社の福利厚生のページで、わずか七百円という格安の値段で鑑賞券を購入できたからである。そんな単純な動機からこの映画を観ることに決めた私だったが、実はこの映画、大当たりの映画だった。

 映画の紹介ページに書かれている程度の簡単な説明を書かせていただくと、強盗殺人の罪で刑務所に入っている兄と、殺人者の弟ということで、世間から冷たい視線を浴びながらの人生を送っている弟、直貴が、手紙のやりとりをするという話である。一言で言って、スクリーンを見つめているだけで涙の出て来る映画だった。勝手な解釈でものを言い、判断しようとする世間。その突き刺さるような言葉にじっと耐え続ける直貴。殺人者の近親という言われ方でなくても、勝手な解釈で個人が判断されてしまう状況は、世の中には少なくないはずだ。そのような人は、その人の人生のほんの一部分を切り取って判断しているだけだ。その人が生まれてからこれまで、どのような人生を歩んで来たかを知っているわけでもないのに、ただ一つの事実を突きつけ、そこから勝手な想像を膨らませて、その存在を遠ざけようとする。

 そうした風当たりの冷たい人たちに対し、反論するわけでもなく、じっと堪え続ける直貴。その姿が何とも切ないのだ。しかし、そうした屈辱が積み重なって、直貴はとうとう同じ職場の人に手をあげることになってしまう。兄から届いた手紙を取り上げられ、住所を見られたとき、その住所が千葉の刑務所の住所だということがわかってしまうのだ。いつになくキレて暴力をふるってしまった直貴だったが、その相手とはすぐに仲直りできるチャンスが訪れる。

 実は、この映画を観た私には、思い出すことがあった。それは、今でも公開している掲示板に、直貴の立場に近い男性が書き込みをしてくれたことだ。初めて彼の書き込みを読ませていただいたとき、私は胸が苦しくなるほどの強い衝撃を覚えた。そのようなことが彼の身近で起こり、それを受け入れながら生きているということは、私には想像すらできないことだった。

 書き込みをしてくれた彼は、この映画の中で直貴が体験したのと同じようなことを体験して来たようである。彼は、誰かに何かを言われる度に、相手に理解してもらおうと必死で説得し続けて来たと言う。そんな彼に、私は相手とわかり合えないことがあると、すぐに諦める傾向があると言われたことがある。もっともっと相手とわかり合うために、必死で頑張ればいいのにと。直貴のような人生を歩んで来た彼からの言葉は、とても重みがあり、私は自分が逃げていることを自覚することになった。

 この映画の中には、殺人者の弟である直貴を差別する人たちと、差別しない人たちが登場する。差別しない人たちの直貴に対する接し方は、とにかく感動的だ。例えば、幼馴染の祐輔。彼は、直貴と漫才のコンビを組む。そして、直貴が殺人者の弟であることなど、一切関係がないかのように振舞う。そして、沢尻エリカ演じる由美子。直貴に片思いをしている彼女は、強引なアプローチを繰り返す。そして、直貴が自分の生い立ちを告げても、決して直貴から去ろうとしない。そこで私は理解した。「本当の愛とは?」ということについてである。

 ぬくぬくと生きている人たちが本当の愛を知るのは、並大抵のことではない。しかし、直貴のような人生を歩んで来た人は、本当の愛に触れられるチャンスがある。相手が自分の中に何を見ているかで、それはわかる。自分の本質に触れようとしているのか、それとも、殺人者の弟という仮面を通して自分を見ているのか。

 実際に、直貴のような人生を歩んでいる人が自分の周りに居た場合、私たちがどのような行動を取るべきであるかをこの映画は教えてくれる。更に、加害者の家族と被害者の家族がどのようにして和解に至るかについても描写されている。この映画の中で、直貴に対してごく普通に接していた人たち。彼らの取っている行動こそが愛だと私は思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 新京極は、中学校の修学旅行で訪れて大好きになったところです。皆さん、ご存知だと思いますが、お店がたくさん並んでいて、とても楽しいところなんです。そんな新京極に大きな映画館があるとなると、ホットヨガの京都四条通店でのレッスンも楽しみになります。今回観た『手紙』ですが、いろいろな方のコメントを読ませていただくと、泣けなかった方もいらっしゃるようです。どうやら、直貴があまりにも受身の生き方をしているのが気に入らなかったようですね。おそらく、そういう方は、普段から、自分の言いたいことをはっきりと言える方なんでしょうね。私もかつてはそういうタイプの人間だったかもしれません。そのような生き方を選択していると、直貴のような人を見ると、「何故、もっと反論しないの?」と疑問に思ってしまうのだと思います。私もこの映画を観て泣けるようになったということは、陰陽のバランスが取れて来たのかもしれません。(笑)

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2006.11.18

ホットヨガ(二十二回目)

 この週末は、ガンモが職場の人たちと泊まりで鳥取までカニを食べに行くことになっていた。確か、去年は十二月の初めにこのイベントがあり、ガンモの鳥取行きに合わせて、私も鳥取県倉吉市のホテルに宿を取り、初めて三朝温泉を訪れたのだった。今回も、去年と同じように、三朝温泉に行こうかとも考えたのだが、数日後に出掛けることになっている北京行きの準備もまだ終わっていないことから、私は一人で家に残ることにしたのである。

 午前中、私は歯医者の予約を入れていたので、ガンモをベッドに残して歯医者に出掛けた。特に虫歯があるわけではないのだが、二、三ヶ月に一回の割合でケアしていただいているのである。歯医者から帰ると、ガンモがベッドの中で目を覚ましていた。さて、このあとの予定だが、実は、ガンモが鳥取に出掛けると言うので、私も何か旅行気分を味わえないものかと、いつもは三宮店で受けているホットヨガのレッスンを、京都四条通店で受けてみようと予約を入れてみたのだ。

 私は慌しく支度を整えると、まだベッドの中で暖かい布団にくるまれているガンモの上に覆いかぶさり、そっと抱きしめた。私は、ガンモが暖かい布団に包まって、幸せそうな顔をしているのを見ると、たまらない気持ちになる。
「ガーン(ガンモの愛称)、ガーン。おいしいカニ、たくさん食べて来い」
と言いながら、私はガンモに優しくキスをして、家を出た。

 以前から私は、ホットヨガ全店のスタンプを集めたいと思っていた。ホットヨガでは、レッスンを受ける度に、回数券にスタンプを押してもらえる。私がこれまでに通った神戸店と三宮店のスタンプの色は、それぞれ異なっている。ラジオ体操の出席カードのように、色とりどりのスタンプが貯まって行くのが楽しくて、私はこの回数券を色とりどりのスタンプで埋め尽くしたいと考えていたのだった。そして、ガンモが鳥取に行くなら、私もいつもとは違う雰囲気でホットヨガのレッスンを受けてみようと思ったのである。

 我が家から京都に出掛けて行くには、二つのルートがある。JRを利用するルートと、阪急電車を利用するルートだ。JRを利用すると、当然、JR京都駅に着く。ここは、東京で言うと、東京駅周辺に該当するだろうか。一方、阪急電車を利用すると、JR京都駅からは少し離れたところにある繁華街の河原町周辺に着く。東京で言うと、新宿や渋谷といったところだろうか。ホットヨガのスタジオは、JR京都駅前にもあるし、河原町周辺にもある。しかし、レッスンを受けたあとに、映画を観るのが最近のお楽しみコースの定番になっていたので、京都駅店よりも、大きな映画館のある河原町三条に近い京都四条通店のほうが便利だと思っていた。

 そこで私は、普段はあまり利用することのない阪急電車に乗り、ホットヨガの京都四条通店に近い烏丸(からすま)へと向かった。我が家から烏丸までは、特急電車を使うと一時間くらいだろうか。自宅から目的地までの所要時間を合わせると、多めに見て一時間半くらいである。私の普段の通勤時間とほとんど変わらない。

 レッスン開始は十三時からの予定だったが、烏丸に着いたのは十二時前だった。烏丸駅を降りて、Webで確認した出口から地上に出てみると、ホットヨガのスタジオが入っているビルがあった。レッスン開始まであと一時間もある。着替えの時間を考慮するとしても、少なくなくともあと三十分はぶらぶらできる。私は、京都の街を歩き始めた。

 京都の街は碁盤の目のようになっているため、わかりやすいと言われている。しかし、私は、方向音痴ではないと自負しているのだが、河原町周辺に来ると、いつも迷ってしまう。阪急の河原町と烏丸の駅は、歩いてわずか数分の距離なのだが、その中間に立つと、どちらに歩けば河原町なのか、あるいは、烏丸なのか、いつも迷ってしまうのだ。おそらくだが、碁盤の目のように整備されているために、かえって東西南北の感覚が麻痺してしまうのだと思う。途中でいびつな形をした通路でもあれば、それが東西南北を確定する目印になるのだ。

 少し散歩をして時間を潰したあと、私はいよいよホットヨガのスタジオに入った。そこは、ホットヨガのスタジオがあるようなビルではなく、むしろ、平日に稼動しているような会社が集まっていそうなビルだった。受付で回数券を提示し、ロッカーの鍵とタオルを受け取った。前回、水素水を買って調子が良かったので、今回も水素水を買って、レッスンの開始前と後に飲んだ。受付で、京都四条店を利用するのが初めてであることを伝えると、スタッフの女性が更衣室まで案内してくれた。

 一言で言って、京都四条通店は広い! Aスタジオ、Bスタジオ、Cスタジオと、スタジオが三つもある。神戸店も三宮店も、スタジオは二つしかない。更に、更衣室も広い。さすが、大都市京都である。更衣室に案内してくださったれスタッフにお礼を言い、着替えを済ませてスタジオに入ると、またしても驚いた。スタジオの大きさは、神戸店や三宮店とそれほど変わらないのだが、ヨガマットが三列に敷かれているのである。神戸店や三宮店は、横幅が広いのか、二列に敷かれている。私は、いつもとは違う雰囲気を楽しみながら、真ん中の列の空いているヨガマットを選んだ。

 実は、今回受けるレッスンは、九十分のベーシックコースだった。六十分のビギナーコースを自主的に卒業してからは、三宮店で七十五分のベーシックコースや同じく七十五分のアクティヴコースを受けて来たが、九十分のレッスンは初めてである。自分の身体がどのような反応を示すのか、また、用意した水で足りるのか、未知数の部分もあったが、私は期待に胸を膨らませながらレッスンが始まるのを待っていた。

 レッスン開始時間になり、スタジオに現れたインストラクターを見て、私は何だかぐっと込み上げて来るものを感じた。自分でも良くわからないのだが、そのインストラクターが、これまで関わって来たインストラクターとは違うということをスピリチュアルな部分で感じ取ったのだと思う。そのインストラクターは、呼吸法の教え方からして、これまでレッスンを受けて来たインストラクターとは異なっていた。ホットヨガを開始するときは、ウォーミングアップのためにいくつかのストレッチを行うのだが、そのときの説明が、丸暗記ではなく、まるでヨガの物語を聞かせてもらっているような不思議な展開だったのである。

 私は、彼女の説明を決して聞き漏らすまいと必死に耳を傾けていた。しかし、具体的に、彼女がどのような言葉を使ったのか、ここで伝えることができない。言葉でもなく、表現でもなく、一体何だろう。ヨガに対する根本的な姿勢のようなものに感動したのかもしれない。彼女は、
「九十分のコースを受けるのが初めての方、いらっしゃいますか?」
と尋ねてくださった。私は手を上げた。他にも、手を上げた方がいらっしゃったようだ。彼女は、そんな私たちの不安を取り除くかのように、
「九十分のベーシックコースは、六十分のビギナーコースで取って来たポーズとほとんど変わりはありません。ただ、ポーズを取る時間が多少長くなっていることと、新しいポーズがほんの少し含まれているくらいです。初めて取るポーズもあるかと思いますが、最初からきれいなポーズが取れる人もいませんので、自分のペースを崩さずに、少しずつ慣れて行ってください」
と言ってくださった。私は安心し、この九十分、彼女に付いていこうと決心したのである。

 実際、九十分のベーシックコースは、七十五分のアクティヴコースを受けたときよりも身体に負担がなく、ごく自然な感じで終わった。レッスン開始後には二十二名ほどいた人たちは、レッスンの後半になると、半分くらいの人たちが、レッスンを中断してスタジオの外に出てしまっていた。最後までレッスンを受けたのは、私を含めておよそ半数の人たちだった。京都四条通店のレッスン表を見ると、七十五分のベーシックコースのプログラムはない。ということは、九十分では長過ぎると思っている人たちも中にはいるのかもしれない。

 九十分間、インストラクターを勤めてくださった彼女に感謝しながら、レッスンを終えた私は更衣室に向かった。心地良い疲労感に包まれながら、ゆっくりとシャワーを浴びた。およそ半数の人がレッスンの途中で出て行ったので、シャワールームは混み合っていない。広い更衣室でのびのびと着替えをしながら、私はまたここでレッスンを受けたいと強く思っていた。いつもの通勤時間と変わらない時間で京都まで来られるなら、ガンモの仕事が遅くなるときに、京都まで出掛けてくればいいのではないか。そんなことを考えていた。是非ともそうしよう。そう、心に誓って、受付に行くと、回数券を返してくれた。いつもなら、
「次回のご予約はどうなさいますか?」
と尋ねられるのだが、私が遠いところから通っているのがわかっているのか、聞かれなかった。聞かれなくても、Webで予約できるようになっているので、まったく問題はないのだが。私は、受け取った回数券を開いて、何色のスタンプが増えているのかと思いながら、スタンプの色を確認した。

 それは、三宮店と同じ緑色のスタンプだった。ここで初めて、スタンプの色が、お店によって異なっているというのは、私の勝手な思い込みによるものだったということを知ることになる。私は、京都だからきっと紫のスタンプが押されているに違いない。そんな勝手な妄想を膨らませていたというのに。スタンプの色が三宮店と同じ緑色だったので、少しがっかりしながら京都四条通店をあとにしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いつもと違う雰囲気でホットヨガのレッスンを受けてみました。やはり、広い更衣室はとてもリラックスできますね。切符のICカード化が進んで、阪急電車にも、普段使っているJRのICOCA(ICカード定期券)で利用できるようになったので、とても便利です。これまで、いろいろなインストラクターからレッスンを受けて来ましたが、今回のインストラクターは特に印象的でした。レッスンを受ける前から涙が出そうになったのは初めてのことでした。あの素晴らしいインストラクターにもう一度会いたいと思っても、なかなか会えないのが、ホットヨガの悲しいところですが、どうかどうかまた会えますように。

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2006.11.17

マフリャー(後編)

 国立蛇研究所の所長は、太ったおばさん夫婦の蛇に、強力な毒消しを注射した。その毒消しは遺伝子にまで到達し、今後この夫婦の蛇に生まれる子供は毒を持たない蛇となるという。
「チクリとしますが、いいですか。はい、チクリー」
本当にこの人に任せてしまっても大丈夫なのだろうかと不安になってしまうくらい、ギャグを連発したがる所長だった。所長は更に、蛇が寒い冬の間でも活動できるような改良を加えた遺伝子を組み込んだ。そして、最後の仕上げとして、暖かい毛皮を持ったミンクの遺伝子と、太ったおばさん夫婦の蛇の遺伝子を仲良く絡ませて、二匹の体内に埋め込んだ。この遺伝子がうまく作用すれば、およそ十日間ほどで暖かい体毛が生えて来るはずだという。太ったおばさん夫婦の蛇には、身体の中に起こって行くであろう大きな異変が予測されたため、蛇専用のベッドに縛りつけられたまま十日間を過ごした。

 「毛が生えて来てる!」
十日目の朝、目覚めた太ったおばさんの蛇は、自分の身体に毛が生えて来ているのを確認して、喜びの声をあげた。見ると、夫の蛇にも同じように毛が生えている。それらはまだ産毛だったが、太ったおばさん夫婦の蛇のほぼ全身を覆い尽くしていた。

 「やった! 成功じゃ! このあと、ご夫婦が性交すれば、ご夫婦の間に生まれて来る子供たちはみんな、ミンクのような毛を持つ蛇になるぞよ」
所長はまたしてもシャレを飛ばしながら大喜びしていた。所長のシャレは、いつも説明が必要になるくらいにわかりにくい。何はともあれ、所長が行った改良は、大成功を収めたのである。

 やがて、太ったおばさん夫婦の蛇の全身は、ミンクの毛皮で包まれるようになった。二匹の蛇が這っていると、高級なマフリャーが一人で勝手にもぞもぞと動いているかのようだった。

 太ったおばさん夫婦の蛇は、まもなく国立蛇研究所を出て、仲間たちのところへ戻った。二匹を迎えた仲間たちは、全身を毛皮で覆われた二匹を見て、驚きの声をあげた。
「大成功だ! これで人間たちと仲良くなれるぞ。ばんざーい、ばんざーい」
蛇たちは尻尾を取り合って大喜びした。更にありがたいことに、国立蛇研究所の所長からのプレゼントで、十日間飲み続けるだけで、太ったおばさん夫婦の蛇のような暖かい体毛を持つ蛇に生まれ変わることのできる秘薬を手土産に持たせてくれていたのだ。すべての蛇が我も我もとその秘薬を飲み、十日後には、すべての蛇に産毛が生えて来たのである。やがて、すべての蛇が高級なマフリャーに変身した。

 一方、人間たちの世界では、高級な毛皮に包まれた蛇が登場したということが広まり、大変な騒ぎになっていた。これまで気持ち悪いと思ってなかなか近づくことのなかった蛇が、高級な毛皮に身を包んだ動物に生まれ変わったのである。やがて蛇は、生きたまま捕獲され、値段がつけられ、マフリャーとして人間たちの首に巻かれるようになった。高級デパートのマフリャー売り場には、暖かい体毛に包まれた大蛇たちが並べられていた。彼らは人間たちの首を暖めることで、人間たちにかわいがられるペットとなったのである。これまで忌み嫌われる存在だった蛇たちにとって、こんなうれしいことはなかった。

 蛇たちは、人間たちのペットになると、おいしいものをたくさん食べさせてもらえることを知った。そして、これまで人間たちにかわいがられていた動物たちが、いかに優遇されていたかを知ったのである。蛇たちは、これまでにない待遇に浮かれていた。

 しかし、このような浮かれモードも、そう長くは続かなかった。冬の間は、首に巻かれて人間たちにかわいがってもらえる蛇たちだったが、蛇たちがもっとも生き生きと活動している夏の間は、マフリャーとしての役目を果たせないため、人間たちにかまってもらえないことが次第に蛇たちのストレスになって行った。また、夏の間、防腐剤の効いたタンスの中に仕舞われることに対して、不満を訴える蛇も出て来た。そして、とうとう、蛇のマフリャーを覆す、衝撃的な事件が起こったのである。

 それは、ある心ない人間の行為から始まった。彼女はとても裕福だったが、蛇に食べさせる餌を何とかして節約したいと思っていた。彼女がこれまで使っていた毛皮は、死んだ動物の毛皮だった。死んだ動物に餌を与える必要はない。蛇もそうあるべきだ。彼女はそう思い、使用人に命じてマフリャーの蛇を殺し、蛇の身体に生えている暖かい毛皮だけを剥ぎ取ったのである。そして、あたかも蛇が生きているかのように、蛇の模造品を作らせ、剥ぎ取った毛皮を貼り付けて、マフリャーとして首に巻いたのだ。

 人間たちにはわからなかったが、マフリャーとなって、別の人間たちの首に巻かれている蛇たちには、そのマフリャーがもはや生きている蛇ではないということがすぐにわかった。彼女は、マフリャーの蛇があたかも生きているかのように振舞い続けていたので、蛇たちはいよいよ不審に思った。そして、蛇の興信所を使って事実を調査したところ、自分たちの仲間が彼女の使用人によって殺されたことを知ることになるのである。蛇たちは、仲間の死を心から嘆き悲しんだ。

 彼女は、ある社交の場において、お酒に酔った勢いで、自分は死んだ蛇の毛皮を使っていると暴露した。すると、彼女の真似をする人がまたたく間に増えて行ったのである。人間たちは次々にマフリャーの蛇を殺し、暖かい毛皮だけを剥ぎ取って、蛇の模造品に毛皮を貼り付け、首に巻き始めた。多くの人間たちは、マフリャーの蛇の世話を面倒だと感じている上に、蛇に与える餌を節約したいと思っていたようだった。蛇たちは、この事実に強い衝撃を受け、もう二度と子孫を反映させないと誓った。

 「俺たちは、ずっと人間たちと仲良くなりたいと思っていたけど、人間たちが動物をかわいがる理由がやっとわかったよ。彼らは、自分たちの利益に繋がるかどうかで、どの動物をかわいがるかを決めるんだ」
最後に残った蛇が、恨み言のようにそう言って、森のどこかに去って行った。このようにして、暖かい毛皮を持ったマフリャーの蛇は、世の中から姿を消してしまったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 動物に対する人間の愛情は、どこまでが本物なのでしょう。そもそも、動物を捕獲するという行為が、私には不自然に思えてなりません。ペットショップで動物を「買う」という行為にも、抵抗があります。ペットショップで「買って」、無責任に捨てられてしまう動物も、世の中には多いですよね。彼らは人間に対して、一体どのような感情を抱いているのでしょうか。餌を与えてくれる優しい人なのか、それとも、自分の都合のいいときだけかわいがってくれる人なのか。一度、彼らの気持ちを聞いてみたいものです。もしかすると、利用されているのは、私たち人間のほうだったりして・・・・・・。(^^;

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2006.11.16

マフリャー(前編)

 名古屋の人は、マフラーのことをマフリャーと言うのだろうか。そう思って「マフリャー 名古屋」という検索キーワードで検索してみると、かなりのサイトがヒットする。それはさておき、今日はマフリャーに関するショートショートをお送りしよう。

 蛇は、自分たちが人間たちに忌み嫌われる存在だということをはっきりと自覚していた。しかし、そのことは、蛇たちにとって大変不名誉なことだったのだ。何とかして人間たちに好かれるような存在になりたい。そこで、蛇たちは、皆で集まって会議を開いたのである。

 会議の席で、ある蛇が言った。
「人間たちが私たちのことを忌み嫌っているのは、私たちが体温を感じる存在ではないからじゃないだろうか」
それを聞いた別の蛇が口を開いた。
「なるほど。確かに、人間にかわいがられている犬や猫たちは、体温を感じられる存在ですね」
「その通りです。だから、私たちも体温を感じられる存在に生まれ変わればいいのです」
会議に参加している蛇たちは、これはいいアイディアだと思ったが、体温を感じられる存在に生まれ変わるのは、並大抵のことではないこともわかっていた。誰もそのことを口にしないでいると、中年の蛇が口を開いた。
「体温を感じられる存在に生まれ変わるのはかなり難しいと思います。せめて、人間たちに暖かさを与えられる存在になることはできないでしょうか」
それに対し、年配の蛇が口を開いた。
「そう言えば、人間たちにかわいがられている犬や猫には暖かい体毛がある。しかし、私たちには暖かい体毛がない。暖かい体毛さえあれば、人間たちにかわいがってもらえるのではないだろうか」
「なるほど! 体温を感じられる動物になるよりも、身体に毛を生やすほうがきっと近道に違いない」
「そうだそうだ!」
ほとんどの蛇が賛成意見で盛り上がっているところへ、水をさす蛇が出て来た。
「でも、暖かい体毛なんかなくても、熱帯魚のように、人間たちに気に入られている動物はたくさんいる」
せっかくいい案だと思っていたのに、水をさされてしまったので、蛇たちは揃ってため息を漏らし、やがてしんと静まり返った。しばらくすると、沈黙を破るかのように、のっぽの蛇が口を開いた。
「熱帯魚たちが人間たちに気に入られているのは、彼らの肌の模様が美しいからじゃないだろうか。それに、彼らは、人間が観賞するのに、手頃な大きさだ」
「なるほどなるほど。私たちは、肌の模様も美しくないし、大きさもまちまちだからね」
そう言うと、頭にリボンを付けたおしゃれな蛇が、
「あら、私の肌の模様は美しいですわよ」
と胸を張って言った。(作者注:実際のところ、蛇の胸がどこにあるのか良くわからない。)すると、おしゃれな蛇の隣で話を聞いていた蛇が、
「肌の模様は確かに美しいかもしれんが、お前さんには毒があるからねえ」
と言った。確かにその蛇の肌の模様は美しかったが、彼女は人間たちが最も恐れている毒蛇だったのである。
「ははあ、こういうところに人間が忌み嫌う原因があるのかもしれませんね」
学者タイプの蛇がそう言うと、おしゃれな蛇は、がくっとうなだれた。

 蛇たちは、長い時間、ああでもない、こうでもないと言いながら討論を繰り返していた。途中で何度も休憩を挟みながら、何時間も何時間も討論を続けた。やがて、討論に疲れて果てて皆が黙り始めた頃、
「マフリャー」
と誰かが言った。太ったおばさんの蛇だった。
「暖かい体毛を生やして、マフリャーになって、人間たちの首回りを暖めてあげればいいんじゃないかしら?」
彼女の瞳があまりにも輝いていたので、他の蛇たちの瞳にも輝きが移り、皆の瞳が次第に輝き始めた。すると、太ったおばさんの蛇とは対照的なやせっぽちの蛇が口を開いた。
「そう言えばおいら、以前、大きな病気をして、国立蛇研究所にお世話になったことがあるんだ。おいら、あそこの所長にとても世話になって、今でも交流があるから、相談してみようかな?」
「国立蛇研究所? そこに行けば、毒を取ってもらった上に、私たちにも暖かい体毛が生えて来るっていうのかい?」
「うん。日本で一番有名なところだから、大丈夫だと思うよ。そこの所長さんは、おいらたちのこと、何でも知ってるよ。おいらが知らないことまでさ。これはおいらの考えだけど、おいらたちの中から代表で男の蛇と女の蛇を一匹ずつ選んで、国立蛇研究所に連れて行って、暖かい体毛のある蛇に改良してもらうんだ。すると、その二匹の蛇から生まれるすべての子供には、暖かい体毛が生えるってわけさ。もちろん、毒を抜くこともできるはずだよ」

 その提案に対し、会議に参加していた蛇たちの間で一斉にどよめきが起こった。一体どの男女が国立蛇研究所を訪れるのか? 「俺が行く」、「お前が行け」、「私が行くのよ」。まあ、とにかく、やんややんや大騒ぎになった。しかしやはり、選ばれるのは、夫婦の蛇で訪れなければ意味がない。そうして、更にやんややんやと言いながら、蛇たちは一組の夫婦を選び出したのである。それは、マフリャーの言いだしっぺの太ったおばさんの蛇とその夫の蛇だった。

 「じゃあ、よろしく頼むよ」
仲間たちに期待を背負って送り出された太ったおばさん蛇の夫婦は、照れながらも、やせっぽちの蛇に案内されて、蛇の目(じゃのめ)町にある国立蛇研究所へと向かった。

 やせっぽちの蛇は、国立蛇研究所の所長の前で、仲間たちとの会議で決めたことを話して聞かせた。
「おいらたちのような蛇が、人間たちから忌み嫌われている存在だということは、所長さんもご存知のことと思う。でも、おいらたちは、これ以上、人間たちに忌み嫌われた存在であり続けるのはもう嫌なんだ。人間たちと友好的な関係を築きたいと思っている。そこで、どうしたらおいらたちが人間たちと仲良くできるか、仲間たちと会議を開いたんだ。その結果、人間たちに忌み嫌われているのは、おいらたちが暖かい体毛を持っていないからだという結論に達した。そこで、所長さんにお願いなんだけど、そこにいる蛇の夫婦に改良を加えて、暖かい体毛を持つ蛇にして欲しいんだ。そして、今後その夫婦から生まれるすべての蛇たちが、暖かい体毛を持つ蛇であるようにして欲しい。それから、どんな蛇も、毒を持たないようにして欲しい。おいらたちは、人間たちが寒いときに首に巻きつけるマフリャーに生まれ変わって、人間たちの役に立ちたいんだ。とにかく俺たち、人間たちと仲良くなりたいんだよ」
やせっぽちの蛇の熱弁にじっと耳を傾けていた国立蛇研究所の所長は、傾いた耳を元に戻しながらこう言った。
「それはそれは、思い切ったことを思いついたもんじゃね。人間たちとのこれまでの関係ではご不満なのかね? 長いものには巻かれろって言うじゃないか。しかも、こんなヘビーな話」
「・・・・・・」
「ん? 面白くないかえ? 一応、シャレを言っておるつもりなんじゃが」
「シャレなんて言ってないで、真剣に相談に乗っておくれよ」
「わ、わかったよ。そちらの蛇のご夫婦を暖かい体毛を持つ蛇に改良してあげよう。今後、このご夫婦の蛇から生まれる子供たちも、暖かい体毛を持つ蛇にしよう。それから、牙から一切の毒を排除しよう。これでいいのかえ? ああ、おやすいご用じゃよ。だから、これに対する謝礼はいらんよ」
「それを言うなら、シャレはいらんよ、じゃないの」
「何、何? 文句あるのかえ?」
「いや、ないない。所長さん、どうかこの二人をよろしく頼むよ!」

 こうして、やせっぽちの蛇は、蛇の夫婦をシャレ好きな国際蛇研究所の所長に預け、仲間たちのところへ帰って行った。

(明日の記事に続く)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても、はちゃめちゃなショートショートを書いてしまいました。それにしても、何故でしょう。最近、何か一つの存在や出来事を思い浮かべるだけで、思考がどんどん広がります。おかげ様で、楽しみながら記事を書かせていただいています。皆さん、ありがとうございます。一気に書き上げるつもりで書き始めたのですが、長くなってしまったので、前編と後編に分けてお届けします。この結末は、いかに?

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2006.11.15

※蛇が苦手な方は、ご注意ください。

 私は、いつも持ち歩いているノートパソコンを寝室で充電しながら眠りに就く。そして、朝目覚めると、充電の終わったノートパソコンを立ち上げ、ゴソゴソと操作してからノートパソコンを持って出勤する。

 仕事が休みだったガンモは、私が起きたあともまだベッドで寝ていた。私はいつものように、充電の終わったノートパソコンを、ベッドで寝ているガンモの足元で開いてゴソゴソと操作しながら、寝室の窓を開けた。窓の外では、鳩の父ちゃんが、餌をくれないものだろうかと、私の様子をうかがっている。実にのどかな朝の風景だ。

 しばらくすると、ガンモが何やら寝言を言っているのが聞こえて来た。その寝言はやがて、うめき声に変わった。
「まぁるみ! まぁるみ!」
とても苦しそうな、声にならないような声をあげて私を呼んでいる。一体何ごとかと思いながらガンモを揺り起こすと、ガンモは目を覚まし、
「窓から小さな蛇が入って来て、今、足元にいる」
と言う。ガンモの足元を見ると、私のノートパソコンに繋がっている細い電源ケーブルがガンモの足に接触していた。私が窓を開けたことに気がついたガンモは、自分の足に当たっているノートパソコンの電源ケーブルの感触を蛇と結びつけたのだろう。なるほど、夢はこのようにして現実の出来事と合成されるのだ。私は、
「蛇じゃなくて、蛇年(私は蛇年である)ならここにいるよ」
と言いながら笑った。何ともかわいい夢である。

 田舎で生まれ育った人は、蛇の夢を良く見るらしい。小さい頃から当たり前のように蛇を見て育っているからだろうか。蛇の夢を見ると、金運が上昇するなどと言う。中でも、白蛇の夢は特別いいらしい。ただし、白蛇の夢を見たら、できるだけ人に言わないほうがいいそうだ。私は、蛇に噛まれる夢を良く見ているが、蛇に噛まれる夢はあまり良い夢ではないらしい。

 そう言えば、私の大学時代の卒業論文は、日本語のことわざと英語のことわざの比較だった。そのときにわかったことは、日本のことわざには蛇が数多く登場しているが、英語のことわざにはほとんど登場しないということだった。日本は、蛇が育ちやすい気候なのだろうか。

 実は、私の実家の庭にも蛇が棲んでいる。そのため、庭に蛇の抜け殻が落ちていることが多い。脱皮したばかりの蛇の抜け殻はとても美しいらしく、私の母は美しい蛇の抜け殻をいくつも大事そうに保管している。まるで、たった今脱いだかのような完璧に近い状態の抜け殻もある。私もその中の一つを譲ってもらったのか、それとも、旅先の田んぼで拾ったのか、財布の中に蛇の抜け殻をそっと忍ばせている。

 以前、実家に帰ったとき、庭で蛇がとぐろを巻いているのを見たことがある。一瞬の出来事で、恐怖心もあったが、蛇のほうも臆病なのか、すぐに隠れてしまった。私はこのとき、蛇にテレパシーを送っていたのだ。庭にいるなら姿を見せて欲しいと。そうしたら、本当に蛇が出て来て驚いた。次に実家に帰ったときは、写真に撮らせて欲しいと願っているのだが、あれから蛇が活動する暖かい季節に帰省していない。

 ところで、蛇と言えば、別ブログで以下のような蛇の写真を公開している。

骨董市で見掛けた安全なヘビ

お互いに安全だと思えば、ここまで近寄ることができる

 これは、大阪の四天王寺で行われている大師会(だいしえ)という骨董市で見掛けた蛇である。見世物になってしまっているが、蛇と人間の共存を連想させてくれる。ニシキヘビはとても大人しい蛇のようだが、普段、どのようなものを食べているのだろう。

 更に、同じブログで以下のような写真も公開している。

蛇の干物

 これは、三重県の関宿(せきしゅく)というところの近くにある畑で撮影したものである。最初、これを見つけたときは何がぶら下がっているのかわからなかったのだが、良く見てみると蛇だった。ぶら下げられているのが蛇だとわかったときの衝撃はとても大きかった。「農作物に危害を加えると、こんな風にしてやるから良く覚えておけ」ということなのだろうか。それとも、魔よけのためのおまじないなのだろうか。私は、この蛇がどのようにして死に至ったのかがとても気になった。

 ガンモのかわいい蛇の夢に、蛇にまつわるいろいろな出来事を思い出した蛇年生まれの私であった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 蛇は、忌み嫌われている動物の一つかもしれませんが、マンガのキャラクターとして描かれると、とてもかわいいですよね。しかも、どういうわけか金運と結び付けられます。十二支の中の蛇年で言うと、蛇が活動しない冬に生まれた蛇年の人は、お金が良く貯まるそうです。私は、蛇が活動している夏生まれの蛇年なので、お金は貯まらないとか。確かに私の中にはあまり貯金という概念はないように思いますが。(^^; 冬生まれの蛇年の方、本当にお金が貯まってますでしょうか?

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2006.11.14

整体ジム

 私が書いているのは、寓話というよりもショートショートと表現することのほうが相応しいことに気がつき、先日より新たに設置した「寓話」カテゴリを、「ショートショート」カテゴリに変更させていただいた。今回は、ひどく背骨の曲がったレントゲン写真から想像を膨らませながら書き上げたショートショートをお送りしよう。

 ひどく背骨の曲がったレントゲン写真を見た私は、「またか」と思いながら深いため息をついた。私の背骨は、いつまで経ってもまっすぐにはなってくれない。ホットヨガにも背骨の歪みを調整するポーズがあるが、それだけだけでは全然足りないのかもしれない。

 支払いを済ませて病院を出ようとすると、レントゲン撮影をしてくれた技師が私のほうをチラチラ見ているのに気がついた。見ると、何やら手にちらし寿司、いや、チラシを持っている。私が視線を送ったのに気がついたレントゲン技師は、さりげなく病院を出て来て私に近づいて来た。
「良かったら、これ、どうぞ。今、歳末セールをやっていて、いつもよりもいい器具を使えるようになってます」
レントゲン技師はそう言って、私に一枚のチラシを差し出した。いかにもパソコンを使って手作りしたと思われるそのチラシには、「整体ジム」と書かれている。

 「何ですか? 整体ジムって?」
とチラシを受け取った私が尋ねると、
「世間一般の整体医院は整体師さんが患者さんを治すでしょ。整体ジムはそうじゃなくて、整体できる設備を患者さんにお貸しして、ご自分で身体の歪みを矯正していただく施設のことです。私の兄が経営しています。あなたの背骨、かなりかなり醜く曲がってますよね? 一度利用されてみてはいかがですか?」
なるほど、レントゲン技師は、撮影ばかりでなく、現像も担当していたのだ。だから、私の背骨がひどく曲がっていることを知って、このような勧誘をして来たのだろう。

 レントゲン技師から手渡されたチラシには、整体ジムと名づけられた施設に三日間通うだけで、背骨がまっすぐになると書かれている。
「本当に背骨がまっすぐになるんですか?」
と半信半疑で私が尋ねると、
「もちろんですよ。土日もやってますので、三日間なら、一日だけお休みを取られて通うことができるでしょう。あなたのその背骨じゃ、ホルモンバランスが崩れてしまうのは無理はない。あなた、婦人科系の疾患があるんじゃないですか?」
私はぎくりとした。確かに私には婦人科系の疾患があり、二つの女性ホルモンのうち、エストロゲンが過多になってしまっている。そのため、分泌が少なくなってしまったもう一つの女性ホルモンであるプロゲステロンをアメリカから個人輸入した天然のホルモンクリームで補っている。
「背骨がまっすぐにならないと、いつまで経っても女性ホルモンのバランスは取り戻せませんよ」
とレントゲン技師は言った。
「整体ジムでは、どのようなことをするのですか?」
と私が尋ねると、レントゲン技師は、
「そこに出向いてもらって、一日十五時間、矯正器具にぶら下がって背骨を矯正するんです」
と言った。
「一日十五時間?」
私は驚きのあまり、すっとんきょうな声をあげた。
「それじゃ、仕事があるので、私はこれで。整体ジムは、あなたのような方のお越しをお待ちしていますよ」
そう言って、レントゲン技師は病院に戻って行った。

 私は、帰りの電車の中でレントゲン技師からもらったチラシをしげしげと眺めた。現在は幸いにして、比較的仕事も穏やかだ。月曜日に一日くらい休みをもらっても大丈夫じゃないだろうか。ひどく曲がった背骨をまっすぐにしたい私は、頭の中でそんなことを考えていた。

 帰りにガンモと待ち合わせてチラシを見せると、
「そんな胡散臭いところに行くのはやめろ」
と反対した。しかし私は、短期間で背骨をまっすぐにしたい一心で、月曜日に有給休暇を取り、整体ジムに予約を入れたのである。電話に出たのは、「さしすせそ」の発音がひどく不自然な中年男性だった。

 電話を掛けてみてわかったことだが、三日間、毎日ジムに通うのかと思っていたところ、帰宅しないで整体ジムに宿泊し、もっと集中的に矯正する方法もあると言う。そうすれば、三日間の矯正が二日間に縮まると言うのだ。私は一泊だけならと、宿泊コースを選んだ。

 チラシに描かれている地図で示された駅で降りて、地図通りに歩くと、整体ジムの看板が見えて来た。何やら怪しげなプレハブ式の古びた建物である。一歩足を踏み入れると、体育館の用具室のような臭いがした。恐る恐る、受付の呼び鈴を鳴らすと、中からジャージを着たおじさんが出て来た。その人が、整体ジムのオーナーであり、レントゲン技師のお兄さんだった。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました。さあ、どうぞ。まず、こちらの書類に必要事項を書き込んでください」
オーナーは、上の前歯が欠けていた。それで、「さしすせそ」の発音が不自然だったようである。私は、案内されるまま、ひとまず椅子に座り、書類に目を通しながら必要事項を書き込んだ。宿泊コースの欄に○をつけて、書類に住所と名前を記してオーナーに渡した。料金は前払いと言われたので、その場で支払いを済ませた。
「ありがとうございます。それでは、ご案内致します」
オーナーはそう言って、私をジムの中に案内した。ジムの中は広い体育館のような部屋で、数人の人たちが矯正器具を使いながらうごめいていた。私は、その異様な雰囲気に圧倒された。ダイエットのためなのか、お腹の上に大きな石を置いている女性がいる。
「あの方は、お腹の脂肪を取ってしまいたいのです。中高生のときに、布団の下に制服を敷いて寝てたでしょ。あの感覚ですよ。すぐにぺちゃんこになるでしょう」
他にも、口の中に太い金具を突っ込んでじっとしている人や、重い石を背負いながら、イボイボの石を足で踏みつけている人がいた。オーナーは、驚いている私を更衣室に案内した。
「ここで楽な格好に着替えて、また戻って来てください。それまでに、あなたが使う器具を用意しておきますからね」

 着替えたあとに更衣室から出ると、オーナーが器具を用意してくれていた。それは、ベッド付きのぶら下がり健康器のようなものだった。
「今、歳末セールをやっているので、ちょっと奮発してみました。いつもなら、あちらの器具を使っていただくんですけどね」
オーナーは、そう言いながら、右手にある鉄棒のような器具をあごで指して言った。それは、ベッドの付いていないぶら下がり健康器だった。今回は、ベッドが付いている分、サービスということらしい。つまり、ベッドが付いているために、矯正中でもそのまま眠ることができるのだ。しかも、そのベッドの中には、立ったまま用を足せる簡易トイレまで付いていた。トイレさえついていれば、わざわざ器具から離れることなく、矯正に専念できるというわけである。

 私は恐る恐る器具にぶら下がった。背中にベッドがあるために、ぶら下がるにしてもかなり楽チンである。おまけに簡易トイレは、下着の中に大小二つの管を通すだけで使用することができた。その器具は、一見、ぶら下がり健康器のようではあるが、手でぶら下がっても全体重が手にかかることのないように、足でも支えられるよう、工夫されていた。支ええる比率は、手が六十パーセント、足が三十パーセント、ベッドが十パーセントといったところだろうか。しかも、ぶら下がった両手も止め具でがっちりと上から固定されるので、思いのほか楽チンだったのである。

 こうして私は、まるまる二日間、曲がった背骨の矯正のために、その器具にぶら下がり続けた。初めて簡易トイレで用を足すときは、水着を着たまま海の中でおしっこをするような気持ち悪い感覚に襲われたが、それも回数を重ねるごとに慣れて来た。また、身動きが取れなくても、六時間ごとにオーナーが食事を取らせてくれるので、空腹に悩まされることもなかった。

 四十八時間ぶら下がり続けた私は、無事に背骨の矯正を終え、ぶら下がり健康器から離れることになった。固定されていた止め具が外され、両手が自由になった。簡易トイレの管も外され、私の足は四十八時間ぶりにジムのコンクリートの地面を踏みしめた。確かに背骨の不快感がなくなっている。短期間で背骨がまっすぐになるなんで、本当に素晴らしい! と、そのときである。何やら自分の身体に異変が起こっていることに気がついたのである。手が伸びているのだ。

 私は慌てふためいた。手をだらんと身体の側面に下ろしてみると、自分の手の平が地べたに付いた。
「うわああ! オーナー、私の両手が伸びてしまっています!」
私は絶叫した。オーナーは顔色一つ変えず、
「なあるほど、あなたの体重なら、わずか一日半の矯正で良かったのかもしれませんね」
とつぶやいた。
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。どうしたら元に戻るのですか? 何とかしてくださいよ!」
私は金切り声をあげた。すると、オーナーは、落ち着き払ってこう言ったのだ。
「手を短く矯正するプログラムがあります。重い石を二日間、頭の上で持ち上げ続けるのです」
「また矯正ですか! もう、いい加減にしてください!」

 私は結局、手を短くする矯正にもトライする羽目になった。しかし、今度は石が重すぎて、手が短くなり過ぎてしまった。そこで再び手を長くする矯正を行ったが、今度は左右の長さが違ってしまい、それを矯正するために、あれやこれや・・・・・・。そうして私は、ジムから出ることができずに、この記事をジムの中で書いている。ああ、いつになったらガンモに会えるのだろう・・・・・・。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 根本的な治療を行わなければ、一つだけ治しても、どこか別のところがおかしくなるといったことが多々ありますよね。この話は、そういうことを表現したショートショートでした。このような勧誘はないと思いますが、時間がかかるはずの処置を短時間で行おうとする場合、何か落とし穴があるかもしれないということの教訓でもあります。長い文章を読んでくださってありがとうございました。m(__)m

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2006.11.13

鮮血

※現在、お食事中の方がいらっしゃいましたら、お食事を終えられて、しばらく経ってから読まれたほうがよろしいかと思います。

 仕事中、派遣仲間の一人が鼻声だったので、
「風邪を引いたの?」
と尋ねてみた。すると彼女は、
「もう治りかけてるんですけど、声だけがまだおかしいみたいです」
と答えた。そして、私が風邪を引いていないかどうか気遣ってくれたのだが、私は風邪以外のことでは不健康かもしれないが、年間を通して風邪だけは引かないのだと彼女に言った。いつもうがい薬を持ち歩き、喉がイガイガすると感じたら、すぐさまうがいをして、風邪のウィルスを追い出していることを話して聞かせた。

 急に寒さがやって来たせいで、オフィス内では、既にあちらこちらで風邪の症状が出始めている。セキュリティカードを通さなければ出入できない締め切られたオフィスでは、風邪のウィルスが蔓延しやすい。おまけにオフィスが乾燥しているとなると、私の喉も次第にイガイガして来た。そのため、まだ喉の辺りにいるであろうウィルスを追い出してしまおうと、私はトイレに立つ度にうがい薬を持参し、ガラガラとうがいをしていた。彼女に「私は風邪を引かない」と宣言した手前、いつもよりもうがいに力が入った。「風邪を引かない人」を守り抜くために、絶対に風邪を引くわけにはいかなかったのである。

 定時のチャイムが鳴って、残業時間に入り、トイレに立ったときも、私はうがい薬をトイレに持ち込んで、ガラガラとうがいをしていた。うがいをすると、喉に絡まっている痰(たん)がうがい薬に引きずられて一緒に出て来る。私は痰を念入りに自分の身体の外に排出しようとしていた。そのときだった。痰を吐いたつもりが、痰に混じって鮮血が出て来たのである。

 私は一瞬、青ざめた。まさかと思い、何度も痰を吐き出してみたのだが、吐き出す度に、まるでテレビドラマでも見ているかのように、鮮血も一緒に出て来る。しかも、痰よりも鮮血のほうが量が多い。まさか、良くない病気にかかってしまったのだろうか? もしかすると鼻血が出ているのかもしれないと思い、トイレの洗面所ではあったが、震える手で、自分の鼻に手を突っ込んでみた。しかし、鼻血は出ていないようである。

 私は怖くなり、トイレから帰ると、残業時間中だったにもかかわらず、すぐさま「血痰」というキーワードでインターネットを検索した。すると、鮮血が出た場合、ただちに耳鼻咽喉科か内科を訪れるべきだと書かれてあった。喉が切れた場合と、肺に異常がある場合があるようである。私の症状は一体どちらなのだろう。そう思いながら、ちょうど打ち合わせで席を外していた上司にメールを打った。「うがいをしていたら血痰が出たので、本日は病院に寄ってから帰宅します」と。

 職場を出てすぐにガンモに電話を掛けた。
「血痰を吐いたから、病院に行って来るよ」
と。ガンモは驚いていた。病院に向かう途中も、痰を吐き出すと、まだ鮮血が出ていた。

 職場近くには、いくつかの個人病院がある。直径十二センチの彼女が入院していた大きな病院もあるのだが、おそらく外来受付は午前中のみだろう。耳鼻咽喉科に行くべきか、それとも内科に行くべきか。さんざん迷った挙句、私は循環器科・呼吸器科の個人病院を見つけて入った。もしも肺に異常があるなら、こちらのほうが専門だと思ったのだ。

 受付で保険証を提示し、症状を書いた問診表を提出してしばらく待つと名前が呼ばれ、診察室に入った。診察室では、先生が、太いアイスクリームの棒のようなものを使って、私の喉を調べた。
「扁桃腺が少し腫れているみたいだけど、その先が切れたんじゃないのかな」
と先生がおっしゃった。
「肺に悪いところがある場合、レントゲンを撮ればほぼ確実ですから、レントゲンを撮りましょう」
と言われ、診察室の隣にあるレントゲン室に入った。そのとき、七月に健康診断を受けたばかりだし、私は肺に異常があるわけがない。そう確信したのである。

 レントゲンを撮ってうただいたあと、しばらく待合室で待っていると、再び名前を呼ばれた。先生がさきほど撮影したレントゲン写真を見ながら説明してくださった。毎回、レントゲン写真を見ると驚くのだが、私の背骨はひどく曲がっている。
「肺には異常は見られないようですね。異常があれば、影が写るはずなんですよ。ただ、もしも出血が止まらないようでしたら、レントゲンには写らない裏側や内部を見るために、CTを撮る必要がありますので、また来てください。でも、おそらく、喉が切れたんでしょう」
と言われた。言われてみると、確かに喉の奥のほうがすり切れているような感覚があった。おそらく私は、風邪のウィルスを受け入れるわけにはいかないとやっきになってうがいを繰り返し、痰を吐き過ぎたのだ。

 病院を出たあと、再びガンモに電話を掛けた。
「あのね、喉が切れているだけらしい」
私がそう言うなり、ガンモは笑い出した。心配していたのに、緊張の糸がぷつんと切れたようだった。ガンモは、
「普段から咳もしていないのに、肺の病気であるわけがないだろう」
と言った。私は、ぶすっとふてくされた。

 結局、私が診ていただいたのは耳鼻咽喉科ではなかったので、おそらく切れているであろう私の喉は、治療されないまま放置されてしまった。切れてしまっているであろう喉に、せめて赤チンくらいは塗って欲しかった。ああ、赤チンはもう使われてないのか。しかし、鮮血のおかげで、いつもよりも早く帰宅できたのはうれしかった。鮮血が出たら、何を置いても病院を訪れることが先決である。なんちゃって。

参考URL:喀血,血痰

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お食事中の方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。m(__)m それにしても驚きました。本当にテレビドラマや映画で見るような鮮血が口の中から出て来たのです。現在、確かに喉にひっかき傷のようなものがあるのを感じていますが、これは、自然に治るのでしょうか。多分、喉を傷つけたのは、絶対に風邪を引きたくないという私の意地からですね。(^^; おかげで、風邪は引いていませんが、皆さんも、うがいはほどほどにしましょう。(苦笑)

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2006.11.12

ガンモ心と秋の空

 急に寒くなったので、季節は秋というよりも、もう冬かもしれない。相変わらず、暖かくなったり寒くなったりの繰り返しである。今日は、そんな気まぐれな気候にもマッチした記事を書いてみよう。

 ウィークディの残業がこたえたのか、土曜日の夜だというのに私はひどく眠かった。いつもならちょっぴり夜更かしして悪い子になるところなのに、どうしても起きていられなくて、午前一時過ぎにはベッドに入った。

 仕事で帰りが遅くなると言っていたガンモは、午前四時頃、帰宅した。物音で目覚めた私は、ガンモに、
「お帰り。お疲れさん」
と言ったあと、睡魔に負けて再び眠りに就いた。お風呂に入ったガンモがベッドにもぐりこんで来たのがわかったが、私はとにかく眠くてたまらなかった。

 午前九時頃、いつもの日曜日ならとっくに目覚めているはずの時間、私はガンモの声で起こされた。ガンモが、
「行くから!」
と言っている。
「えっ? どこへ?」
私は眠い目をこすりながら起き上がった。ガンモは、どこへ行くかについては答えずに、
「行くから!」
とだけ言う。
「どこに行くのよ?」
と聞くと、ようやく、
「地下鉄西神(せいしん)・山手(やまて)線の名谷(みょうだに)駅で鉄イベントがある」
と答えた。
「何、言ってるの? 今朝、帰って来たの、何時だったの?」
と私が尋ねると、ガンモは、
「四時。俺も眠い」
と答えた。眠くても、鉄道のイベントには出掛けたいらしい。

 寝不足だった私は、もう少し寝ていたい気持ちでいっぱいだったのだが、ガンモが鉄道のイベントに行くと言うなら支度を始めようと、台所に向かった。そのとき、ちょうどガンモと一緒に観たい映画があったことを思い出し、ガンモに提案した。
「じゃあ、出掛けて行くついでに『トンマッコルへようこそ』も観ようよ」

 もともと、『トンマッコルへようこそ』という映画は、ガンモが観たいと言い出した映画だった。しかし、上映している映画館が少ない上に、仕事帰りには寄れない時間帯に上映されていることから、休日に出かけて行くしかなかったのだ。

 ガンモからこの映画を観たいと提案されたとき、私はこの映画に対する前知識がまったくなかったので、映画を観ることに対し、あまり乗り気ではなかった。しかし、三宮の金券ショップでこの映画の鑑賞券を見つけることができれば、ガンモに電話しようと思っていた。ガンモも、金券ショップで鑑賞券を見つけたら電話を掛けて欲しいと言っていたのだ。それが確か、一週間ほど前のことだったと思う。

 一週間前のホットヨガの帰り、私は、三宮の金券ショップで、『トンマッコルへようこそ』の鑑賞券を見つけた。金券ショップで買えば、前売券を購入していなくても、千四百円程度で映画を観ることができる。夫婦二人で揃って観るなら、合わせて八百円程度の節約になる。私はガンモに電話を掛けた。
「金券ショップに『トンマッコルへようこそ』の鑑賞券、あったよ」
と。すると、ガンモはしばらく考えたのちに、
「ううん、やっぱりいい」
と言ったのだった。
「ええっ? どういうこと?」
と尋ねると、どうやらガンモ自身、本当にその映画を観たいのかどうかわからなくなってしまったらしい。更に、同じ金券ショップで関空(関西国際空港)までのリムジンバスのチケットが定価よりも安く販売されているのを見つけた私は、
「関空までのリムジンバスのチケットも定価より安く売ってるから買っておこうか?」
と尋ねた。しかしガンモは、
「いや、買わなくていい」
と答えたのだった。

 私たちは、今月の下旬に北京に出掛けることになっている。そのときに、鉄道ではなく、リムジンバスで関空に向かう予定なのだ。何だ何だと思いながら、私は結局、『トンマッコルへようこそ』の鑑賞券も、関空までのリムジンバスの格安チケットも購入せずに帰宅した。

 それから私は、『トンマッコルへようこそ』について下調べをした。すると、何だかわくわくして来たのだ。どうしてもこの映画を観たい。そんな気持ちにさえなっていた。そして、私のほうからガンモに、
『トンマッコルへようこそ』を観に行こう!」
と誘うようになっていた。しかし、旅の計画が入っていないときのガンモの腰はひどく重い。私はガンモに、『トンマッコルへようこそ』の映画を観たい気持ちだけ盛り上げられて、突然、突き落とされたような気持ちになっていた。

 それから何日か経って、ガンモが言った。
「関空のリムジンバスのチケット、買わなきゃなあ」
私は驚きのあまり、あんぐりと口を開けていた。
「ええっ? だって、私が金券ショップで見つけたときに、いらないって言ったじゃない!」
と私は反論した。ガンモの頭の中は一体どうなっているのだろう。

 そして、極めつけは、鉄道イベントに行くと言ってまだ眠いうちから私を起こしたのに、
「やっぱり眠いから行かない」
と言ったことだった。しかも、行かないと宣言したあとのガンモは、ベッドにごろんと横になって、グーグー寝始めた。まあ、午前四時に帰宅したのだから無理もない。これがホントのGuGuガンモ?

 またしても私は、ガンモにその気にさせられ、テンションが高くなったところで、一気にテンションを落とさずにはいられなかった。しかし、結果的には、私もウィークディの疲れが溜まっていたので、昼寝をして睡眠不足を取り戻せる一日となった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実際、このようなことは多々あるように思います。それを口にするときは、確かにその気になっているのですが、もう一方で、別の気持ちも同時に存在しているのだと思います。だから、条件が整って、一つの方向に向かい始めると、もう一つの考えが急に首をもたげて来るのでしょう。心の中で、六十パーセントと四十パーセントくらいの気持ちでそうしたいと思っているときに、起こりやすいのかもしれません。でも、こんな状況になっても、数時間も経てばお互いケロっとしているのですから、夫婦とは不思議なものですね。

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2006.11.11

ホットヨガ(二十一回目)

 ホットヨガ(二十一回目)では、前回のレッスンで気になり始めた真・水素水を買って飲んでみた。真・水素水のパッケージには、「開封後は直ちに飲んでください」と書かれているが、四百ミリリットル入りだったので、一気に飲むことはできず、三分の一くらいまで飲んで、残りはレッスン終了後に飲むことにした。

 あまり天候が良くなかったせいだろうか。レッスンに来ている人の数は少なく、私を入れて十三名ほどだった。人数が少ないと、両手を思い切り伸ばせるのがいい。インストラクターは、先週の無機質なインストラクターだった。

 レッスンを終えたあと、真・水素水の残りを飲んでみた。さて、気になる効果だが、確かに首周りの不快感は緩和されたようである。ホットヨガを始める以前の私は、磁気ネックレスとピップエレキバンを手放せないほど酷い状況だったので、その頃から比べると、素晴らしい進歩である。ただ、スタジオの外に出てから気がついたのだが、首を保護するためのマフラーが当たっている部分は暖かいが、マフラーが当たっていない部分は肌が冷たくなっていた。どうやら、首周りの血行があまり良くないのは確かなようである。

 ところで、レッスン後にシャワーを浴びているときに驚いたことがある。それは、汗でびちょびちょになったレッスン着をきれいに折りたたんでいる人がいたことである。私は、脱いだレッスン着は、そのまま洗濯機の中に入れるつもりで、ビニール製の袋にぐじゃぐじゃっと丸めて入れてしまう。早くシャワーを浴びてしまいたい気持ちがあるのと、できるだけ早くシャワーを明け渡したい気持ちがあるためだ。ただ、このときは、シャワーが空くのを後ろで待っている人もいなかったので、ゆっくりとシャワーを浴びても良かったのである。

 汗でびちょびちょになったレッスン着をきれいに折りたたむ丁寧さと冷静さを、私は持ち合わせていない。しかし、このようにレッスン着をきれいに折りたたむことによって、荷物に余分な空気が入らないという利点があることに気がついた。そのとき私は、先週のレッスンのあとにエレベータの中で一緒になった気になる女性のことを思い出したのだ。彼女の荷物が少なかったのも、汗でびちょびちょになったレッスン着をきれいに折りたたんでコンパクトにしているからではないだろうかと。

 実は、このことは、私には大変なカルチャーショックだった。バッグの中までも、きちんと収納が行われていたのである。いろいろなものを持ち歩きたい私は、何でもかんでも持ち歩けるように、バッグも大きめの布バッグを使用している。バッグが大きいものだから、どこに何が入っているかもわかり辛い。大きなバッグの中から、何か小さなものを探そうものなら、いつもしっちゃかめっちゃかである。確かに、私のように大きなバッグを持ってホットヨガに通っている人はいない。ということは、ほとんどの人たちは、バッグの中をも整理整頓し、効率良く収納できる空間を作り出していたのだ。

 着替えを済ませて更衣室を出ると、更に驚いたことがある。入口で、ホットヨガ(十六回目/十七回目/十八回目)に書いたポーカーフェイスの女性に会ったのだ。彼女は、このあと行われるレッスンに参加するようである。その彼女が、誰かと話をしているのである。相手は、ホットヨガスタジオで知り合った仲間のようである。私は、彼女の表情を確認した。やはり、笑ってはいなかったが、誰かと会話をしている彼女が、何に対しても無関心ではないということを確認できてうれしくなった。彼女の笑っている顔を見られるのもきっと近い。そんな気がして私はスタジオを出た。

 ガンモの仕事が深夜まで掛かるというので、私は映画を二本観て帰宅した。観た映画は、ブラック・ダリアSad Movue<サッド・ムービー>の二本である。ブラック・ダリアは、実際に起こった事件を題材にした映画で、とても難解なストーリーだったが、かなり見ごたえのある映画だった。理解を深めるために、もう一回くらい観たい映画だが、上映期間中には、おそらく足を運べそうにない。Sad Movue<サッド・ムービー>は、珍しく二回目割引を適用している映画だったのだが、公開前の宣伝が派手な割には、大きな感動の少ない映画だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この週末は、日頃の睡眠不足を解消しようと、たっぷりお昼寝をしました。ブラック・ダリアの事件を私は知らなかったのですが、この事件を題材にしたベストセラー小説もあるようですね。
ただ、登場人物が多くて人間関係が難解でした。映画を観終わったあと、公式サイトでの復習が必要です。

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2006.11.10

着メロのおかず

 今日は、昨日書いた耳コピーに思うをショートショートでお届けしよう。

 ある男女がお見合いの席で出会った。最初はもじもじして接点を見つけられなかった二人だったが、話が趣味の話題に及んだとき、二人の会話は一気に弾んだ。

男:「ところで、ご趣味は何ですか?」
女:「とても恥ずかしいのですが、着メロ作りでございます」
男:「えっ? 着メロ作り・・・・・・? それは意外ですね。どのようにして着メロを作っているのですか?」
女:「はい。好きな音楽や気になる音楽を耳で聴いて覚えては楽譜に起こして、着メロに変換するのでございます」
男:「なるほど。でも、着メロと言っても、携帯電話の会社や機種によって、ファイル形式が異なると思うのですが・・・・・・」
女:「はい。作るときは、MIDIシーケンサに向かって音符を打ち込みます。そのようにして出来上がったMIDIファイルを着メロ用のファイルに変換するのです」
男:「なるほど。それならわかります」
女:「そう言えば、お勤めは○○電機だということですが、十五時になると、こんな音楽が流れませんか?」

 女はそう言って、おもむろに自分の携帯電話を開き、着メロを聞かせた。

男:「おおっ! これは驚いた。私の会社の体操の音楽ですよ。もしや、あなたがこれを着メロにされたのですか?」
女:「はい、そうです。以前、○○電機に派遣されていたことがありますので」
男:「なるほど、これは愉快だ。よろしければ、その着メロファイルをいただけませんかな?」
女:「おやすいご用です。では、こちらのサイトにアクセスして、ダウンロードしてください」

 自然な流れの中で、男と女はメールアドレスを交換し合い、男は女が手作りしたという着メロの体操の音楽をダウンロードして自分の携帯電話に取り込み、会社の人気者になった。中には、男の携帯電話が鳴ると、体操を始めてしまう同僚もいた。

 男と女は体操の音楽の着メロをきっかけに急接近し、やがて二人は愛し合うようになり、結婚した。プロポーズの言葉は、「着メロのように、二人で人生の和音を奏でよう」だった。

 結婚して家庭に入った妻は、やがて自分が作った着メロを食卓に並べるようになった。おかずを作るよりも、着メロを作るほうが好きなのである。食卓に並べられた着メロは、口に含む度に、美しい音色を奏でた。

夫:「おや、この着メロは、少し辛いみたいだね」
妻:「あら、そう? ちょっと待っててね。作り直して来るから」

妻はそう言うと、パソコンの前に座り、真剣な顔つきでMIDIシーケンサを操作した。

妻:「ええと、ここをこうしてと・・・・・・」

しばらくMIDIシーケンサと格闘していた妻は、再び食卓に戻り、お皿の上に作り直した着メロを盛り付けた。

妻:「これでどうかしら。第二十三小節からのトランペットのボリュームが大きかったので、少し絞ってみたの」
夫:「うん、なかなかいいよ。これならいける」

 夫はそう言って、お皿に盛り付けられた着メロをもぐもぐとおいしそうにたいらげた。

 妻は着メロを作り、毎日食卓に並べる。仕事から帰宅した夫は、妻の作った着メロをおかずにして、おいしそうにご飯を食べる。しかし、料理に得意分野があるのと同じように、妻には着メロ作りの得意分野と不得意分野があった。

夫:「おや、今日もロックかい」
妻:「そうよ。たまには水割りにする?」
夫:「いや、そうじゃなくて、着メロの分野。日本のフォークソングもなかなかいいぞ」
妻:「そうね。私も日本のフォークソングは大好きよ。熱いエネルギーを感じさせてくれるから」
夫:「そう言えば、クラシックの着メロはビタミンやミネラルが豊富らしいね」
妻:「噂にはそう聞いているけど、私にはクラシックは難しいわ」
夫:「まあ、人には向き、不向きってものがあるからね」
妻:「ロックばかりだと、栄養が偏っちゃうかしら」
夫:「まあ、栄養が偏ったとしても、個性だと思えばいいさ」
妻:「ありがとう。愛しているわ、あなた」
夫:「僕も愛しているよ。これからも、同僚があっと驚くような着メロを作り続けておくれ」

 着メロをきっかけに結ばれた二人は、いつまでも幸せに暮らしたという。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ようやく週末になりました。急に寒くなって来たので、体調管理には充分気をつけましょう。私は、手洗いやうがいを心がけているせいか、年間を通してほとんど風邪を引かないのですが、先日、オフィスで喉が痛いと言っている人に、「うがいをしたら?」と言ったところ、驚かれてしまいました。彼女にはうがいをする習慣がないようです。少し喉がイガイガする程度のときは、うがいをするだけでウィルスを追い出すことができますので、皆さんもどうかお試しくださいませ。

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2006.11.09

耳コピーに思う

 別府に旅行に出かける前に、修理に出していた携帯電話をNTT DoCoMoのサービスセンタから引き取ったのだが、初期状態に戻ってしまった携帯電話を以前使用していたのと同じ状態に戻そうとしていて驚いたことがある。それは、手作りの着メロをいくつか使用していたことだ。着メロサイトからダウンロードしたファイルを使うのではなく、自分が気に入った曲を耳でコピーし、MIDIシーケンサに打ち込み、出来上がったMIDIファイルを着メロ用の変換ソフトで携帯電話の着メロ用ファイルに変換して自分のサイトにアップロードしたあと、携帯電話からダウンロードして使っていた。そのような手間をかけて作成した着メロがいくつかあったのだ。

 そう言えば、以前、愛妻着メロという記事を書いたことを思い出した。あれから私は、鉄道に興味を示すようになったガンモのために、車内アナウンスの前に流れる音楽をMIDI化されている方のサイトからMIDIファイルをダウンロードし、そのうちの何曲かを着メロに変換している。

 手作りの着メロの中には、企業で流れる体操の音楽もあり、自分で変換したのにおかしくて笑ってしまった。私がこれまで派遣されて来た企業の多くは、十五時になると、体操の音楽がビル全体に流れて休憩モードが漂う。毎日のようにその音楽を耳で聴いているので、自然に耳で覚え、自宅に帰ってMIDIシーケンサに向かい、それを打ち込んで、着メロに変換していたのである。その着メロを当時の仕事仲間に聞かせたとき、結構楽しんでもらえたのを覚えている。

 しかし、今の職場に派遣されてから既に四年半も経っているというのに、今の職場の体操の音楽の着メロは作成していない。携帯電話の着メロは、作り始めるときっと楽しいには違いがないのだが、以前よりも集中力がなくなってしまったり、自宅で過ごす自由な時間が少なくなってしまったりと、いろいろな要因が重なって、実現できていないようである。それでも私は、着メロを作成するプロセスが楽しいことを既に知っている。

 携帯電話の着メロなんて、わざわざ自分で作成しなくても、誰かが作成した曲をダウンロードして使えばいいじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれない。着メロを自分で作るほどの時間があったら、晩御飯のおかずの一つでも作れと言いたくなる方も多いのではないだろうか。しかし、着メロをダウンロードして使えるのも、耳コピーして着メロを作成している人たちがいるからである。もちろん、着メロを作っている人たちすべてが晩御飯のおかずを作る時間を惜しんでまで着メロ製作にいそしんでいるとは言い切れないのだが。

 私は最近、他の人が生きるようには生きられないことを痛切に感じている。あたかも地球の中心に向かって行くかのように、大多数の人たちが実践していることを真似ながら生きることはできないと感じるようになって来た。すべての人が地球の中心に向かっていては、地球が丸いことの意味がない。地球が丸いということは、中心だけでなく、その周辺を守っている人たちもいるはずなのだ。何ごともバランスが大切だと言うが、すべての人たちが何に対してもバランスを保ってしまったら、個性がなくなってしまうように思う。アンバランスは個性なのだ。だから私は、自分の個性を潰すことなく、守って行くことに決めたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても、更新が遅くなりました。きのうと同様、帰宅途中であります。(苦笑)ここ数ヶ月、自分の生活を変えてみようといろいろなことに挑戦して来ましたが、胸を張って持続できていることと言えば、ホットヨガくらいです。やはり、自分を無理に変えようとしても、変えられませんね。私は自分の変わらない部分を個性と認めることにしました。(苦笑)その個性は、それぞれが役割を持っているはずだと思うのです。

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2006.11.08

自分を取り戻す時間

 直径十二センチの彼女(彼女はもう直径十二センチではなくなったのだが)のお見舞いに行ったときに、彼女が私に話して聞かせてくれたことがある。それは、私と同じ職場で仕事をしていた頃、仕事に大変なストレスを感じて、自宅に帰ってから自分自身を取り戻す時間がどうしても必要だったということだった。自分を取り戻す時間が長くなるにつれ、彼女は危険信号を感じ始めていたと言う。私は、そこまで彼女が追い込まれていたとは知らなかった。それでも、仕事を持っていると、多かれ少なかれ、自分を取り戻す時間が必要になって来るのはわかる。

 私の場合、帰宅してからの時間ではなく、勤務先での休憩時間をとても大切にしている。休憩のチャイムが鳴ると、私はすぐさま自前のノートパソコンを開き、「ガンまる日記」の記事を書いたり、自分のサイトにアクセスして掲示板に目を通したりしている。また、ヘッドフォンを耳に差し込んで、好きな音楽を聴きながらノートパソコンに向かうこともある。同僚たちからすれば、そうした時間を過ごしているときの私は、「話し掛けないで欲しいオーラ」を発しているらしい。

 特に仕事が忙しくなると、私はハリネズミのように周りから自分を守りながら自分の世界を創る。世間の人たちにとって、私はがむしゃらに仕事をする人間のように映っているかもしれないが、仕事が忙しくなって自分自身を守り切れなくなると、私はしばしば午前中だけ休みを取ったり、仕事に出掛けて行くのに愛用のカメラを一緒に連れて行ったりする。自分の時間を取り戻し、自分の周りを好きなもので固めておきたいのだ。

 今の職場は、女性同士であっても距離を置いた付き合いができるので助かっているが、職場によっては、貴重なお昼休みを、女性だけで会議室にこもり、ずっとおしゃべりをして過ごすところもある。今の職場は、ほとんどの人が、それぞれ自分の席でお昼ご飯を食べるのだ。そうした環境は、自分自身の世界を守って行く上で、とてもありがたい。

 私は、直径十二センチの彼女が、職場のトイレで泣いているのを何度か見掛けたことがある。そういう彼女を見て来ただけに、やはり彼女は仕事を辞めて正解だったのかもしれないと思うのだった。

 私自身は、今の職場では仕事が辛くて泣いたことはないと思う。もしかするとあったかもしれないが、忘れてしまった。以前の職場では辛いことや苦しいこともたくさんあった。その頃、一緒に仕事をしていた人たちとは、もはや連絡を取り合っていない。ただ、今の職場のビル内で、以前、同じ職場で働いていた人の姿を見掛けることがある。きっと、私が働いているのとは別の階の別会社で働いているのだ。この業界は広いようで狭いのか、そうしたことがしばしばある。

 今の職場ではないのだが、仕事でひどく辛い思いをしているときに、支えてくれた派遣仲間がいる。彼女は私が働いているのとは違う派遣会社の派遣社員だった。私たちが派遣先の会社から更に別の会社に出向して作業していたときに、私の作るプログラムの質が悪いと言われたことがある。私はその言葉が悔しくて、彼女に話を聞いてもらいながら、彼女の前で泣いた。私の涙を見た彼女は、
「休憩に行こう」
と誘ってくれた。

 彼女はとても仕事ができる人で、私がその派遣先での仕事を満了したのちに派遣された別の会社でも働いていたことがあった。つまり、かつて彼女が担当していた仕事の一部を私が担当することになったわけである。私は、その会社での仕事もあまりうまく行かず、彼女に電話を掛けて、仕事の内容について質問したりしていた。今思えば、その系列の会社は、上司が仕事の内容をあまり細かく理解していない会社だった。概要だけではプログラムは作ることができないのに、おおまかなことだけ説明され、詳細を質問したくてもどこかに出掛けて不在だったりして、なかなか仕事がはかどらなかった。そのため、その仕事に詳しかった彼女の力を借りようとしたわけである。

 プログラムの作り方には、オブジェクト指向と言って、プログラムを部品化する方法がある。彼女はそういうプログラムの作り方が得意だった。私は、部品化された彼女のプログラムを見て、うなり声をあげたものだ。勤務時間以外に私を助けてくれた彼女にお礼をするために、彼女を一度飲みに誘ったが、また飲みに行こうねと言いながら、次第に疎遠になってしまった。彼女は確か、私の職場近くに住んでいるはずなのだが。

 いろいろな出会いと別れが繰り返される派遣生活の中で、また一人、仕事を辞めたいと言っている派遣仲間がいる。最近、彼女が良く休みを取っているのでどうしたものかと訪ねてみたところ、彼女は他にやりたい仕事があるのだと言う。それは、彼女がずっと以前からやりたい仕事だったらしいのだが、年齢的なことも考えて、そろそろ本格的な活動を始めようと、その仕事のプロになるための養成学校に通い始めたのだそうだ。最初は、今の職場を辞めるつもりで派遣会社の営業や派遣先の企業とも話し合いをしたらしい。しかし、やはり熱心に引き止められて、状況を改善する方法はないかと提案されたらしいのだ。その結果、月曜日に休みを取り、養成学校に行くことを承諾してもらったのだそうだ。

 私は、彼女が今の仕事ではなく、彼女自身がやりたいと言っている仕事のほうが、彼女には合うと思っている。しかし、そこに行き着くまでには寄り道をする場合もあるのだろう。実際、今、通っている養成学校に通うのに、年間百万円の授業料かかるのだそうだ。そうした状況をクリアするためには、資金作りのために働く選択もありなのかもしれない。

 彼女が自分のやりたい仕事のほうへと傾いたのは、自分のやりたいことを見つけた彼女が自分自身を取り戻したからだと思う。誰しも、彼女が辿り着いたように、自分自身を取り戻す時間へと向かっている。ただ、時間がかかるかかからないかの違いだけだ。無理に自分を変えようとしなくても、誰かに指図などされなくても、いずれその日はやって来る。だから、それまでの間、自分が納得の行くまで試行錯誤を繰り返してもいいのではないかと私は思う。私は、そうした試行錯誤の時間を無駄だとは思わない。

 今は、自分の好きなものに囲まれ、自分の世界を守ることでバランスを取ることができている私も、きっとそこに向かっている。しかし、どんなに好きなものに囲まれても、バランスを取ることがどうしても難しくなったときに、直径十二センチの彼女が選んだ道が私にも見えて来るのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m はああ、仕事がとても忙しいです。実はこの記事も、仕事帰りに駅のホームでパソコンを取り出して書いています。でも、今日はそんな自分のために仕事を午前中だけ休んで、お気に入りのカメラを連れて出勤しました。お天気がいいので、カメラで撮影しようと思ったのですが、家を出るのがギリギリになり、十三時からの開始に間に合うためには、カバンの中からカメラを取り出す暇もなく、職場に向かう羽目になってしまいました。(苦笑)そんな中でも「ガンまる日記」を書き続けることができるのは、皆さんの励ましのおかげです。本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.11.07

デジタルとアナログ

 世の中にデジタルが浸透しつつあるのに、すべてがデジタル化されないままでいるのは、私たちを取り巻く環境や私たちの存在自身がアナログだからだ。しかし、もしも私たちを取り巻く環境や私たちの存在自身もデジタルならば、以下のようなことも起こり得るのではないだろうか。今日は、昨日の転勤の話にちなんで、私たちを取り巻く環境や私たちの存在自身もデジタルだったらどうなるかという仮定のもとに大きく想像を膨らませながら、「ショートショート」をお届けしたい。

 私たちを取り巻く環境や私たちの存在自身がデジタルならば、例え会社から転勤を言い渡されたとしても、悲劇的に感じることなく、簡単に住居を変更することができる。インターネットを使って住民管理システムにログインし、転勤先の会社に近い空き地を選択し、移動日時を指定したあと、移動ボタンを押すだけである。仕事を休んで住民票を更新しに行く手間も必要なければ、家の売却について不動産業者に相談する必要もない。また、引越し屋さんに荷物を運んでもらう必要もないので、面倒な荷物の梱包も不要である。ボタン一つで、現在の住居をそのまま移動させることができる。

 転出元や転入先のご近所さんたちへのごあいさつも、ご近所さんたちのメールボックスに、デパートのサイトから電子マネーを支払ってダウンロードした引越し用のご挨拶アイテムを添付して送付するだけである。

 また、私たちは、携帯電話のように、自分自身をカスタマイズすることができる。引越しをすれば、自分自身のコントロール画面を開き、使用する言語を選択することができる。まず、日本語、英語などの母国語カテゴリがあり、その下に標準語、大阪弁、京都弁、神戸弁、広島弁、岡山弁、名古屋弁などの方言のカテゴリがある。方言は、居住する場所に関係なく、自分の好きな方言を選択して良い。

 睡眠時間に関しては、起床時間と就寝時間を設定しておくだけで、毎日、同じ時間に起床し、就寝するという規則正しい生活を送ることができる。食べ物に関しては、充電式なので、バッテリさえ持つならば、一日中でも活動し続けることができる。自宅の専用ベッドの中で就寝している間に充電することもできれば、コンビニエンスストアの中に設置された休憩所で仮眠を取りながら充電することもできる。

 毎日の着替えはアバター形式になっている。衣料品店のサイトから、季節に合わせて電子マネーを支払ってダウンロードした服をクローゼットにストックしておいて、日替わりで着用する。アバターでは、髪型のほか、顔の表情まで選ぶことができる。

 結婚相手は、結婚したいと思い立ったときに、結婚相手紹介サイトにアクセスする。結婚相手紹介サイトは、住民管理システムの個人情報とリンクしているため、結婚したい相手の条件を登録しておけば、相手はすぐに見つかる。

 条件に合った相手と出会い、結婚したあと、うまくやって行くことができなくても、決して泣いたり悲しんだりする必要はない。アバターの服を着替えるように、結婚相手を何度でも取り替えることができる。その代わり、運命的な出会いにむせび泣くこともない。

 電子マネーは、労働したり奉仕すると、ポイントとしてもえらる。行動に応じて、いつの間にかポイントが溜まっているのである。自分にどのくらいのポイントが残っているのか、住民管理システムにログインしてチェックしておくと良い。

 さて、ここまで書いてみて、アナログとは、誰かと相対的な関係を築いたり、喜怒哀楽を感じたり、時間を掛けたりすることだということがわかる。悩みがあるのも、私たちがアナログの人間だからだ。喜びがあるのも、私たちがアナログの人間だからだ。木枯らし一号に吹かれてひどく寒いと感じるのも、私たちがアナログの人間だからだ。アナログの人間だから、これまで住んでいた環境を手放すことは一筋縄では行かない。新しい場所に、これまでの環境をごっそり連れて行くことができない。家ごと引っ越しをすることができない。

 また、デジタルは、バーチャルに置き換えることもできる。つまりは仮想なのである。デジタルの良さとは、タフであること、処理のスピードが速いこと、正確であること、人間の限界を超えた処理が可能なこと、同じ処理の繰り返しができること、多くの正確な複製を作り出すことができるところにあるのではないだろうか。しかし、それは電気と同様、0か1の世界で、まったく動作しないか、快適に動作するかのどちらかである。決して、その中間の状態はない。アナログの世界は、時には0にも1にもなり得るし、また、0と1の中間を彷徨い続けることもある。

 転勤を打診され、
「わかりました。行きます」
と即答できるのは、デジタルだと思う。0と1の中間の世界を彷徨えば、即答なんてできるわけがない。デジタルは、見た目は美しいが、0と1の間にあるものを削ぎ落としてしまっているということを忘れてははならないのではないか。デジタルなものを仕事で生み出し続けている私はそう思うのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m かつて、文章を書くことが好きだと宣言しましたが、毎日綴っているエッセイの他に創作という形を取るならば、その中でも「ショートショート」や「寓話」を書いて行きたいと思いました。私のサイトでも、いくつかの「ショートショート」や「寓話」を公開しているのですが、どれも気合の入っていないものばかりであります。(苦笑)今回、アナログの大切さをデジタルを引き合いに出すことで述べてみましたが、逆説的な方法は、大切なものを表現しやすいと気がつきました。寓話の多くが逆説的な表現方法を取っているのは、そのほうが表現しやすいせいかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2006.11.06

やっぱり家(ウチ)がいい

 いろいろなイベントでてんこ盛りだった先週、実はもう一つ大きな出来事が起こっていた。それは、夜、残業中の私に、ガンモから一通のメールが届いたことから始まった。そのメールには、
できるだけ早く帰って来て欲しい。相談したいことがある
と書かれてあった。メールの文面からも、いつもユーモアたっぷりのガンモとは違う様子だった。ガンモからのメールに気がついて、すぐにガンモに電話を掛けてみると、ガンモは帰宅途中の電車の中だった。
「どうしたの?」
と尋ねる私に、ガンモは、
「早く帰って来てくれ」
とだけ言った。私は、何の話なのか、何となく予想はついていた。おそらく、ガンモに転勤の話が持ち上がったのだろう。先日、ある地方都市の事務所に二、三年という約束で転勤した人を関西地区に呼び戻すために、関西地区の事務所からその地方都市に向けて人を異動させる予定があるとガンモが言っていた。その地方都市に転勤する社員は既に決定しているとのことだったが、今度は転勤することになっている社員がこれまで担当していた仕事を引き継ぐ人員が必要になるらしい。その仕事は、特定の顧客に常駐する仕事だった。もしかすると、ガンモがその仕事を担当することになったのだろうか。しかし、それなら、これほど改まった様子で「相談したいことがある」などとメールを寄越したりはしないはずだ。

 仕事を終えて地下鉄に乗っている間、私は暗い気持ちになっていた。とにかく、早く家に帰ってガンモの話を聞こう。これは、私たちが結婚して以来の一大事かもしれない。しかし、三宮に着く頃になると、どういうわけか、私の中で、不安な気持ちが消え去っていた。ガンモはきっと、転勤することにはならない。そんな気がしたのだ。

 三宮に着いてガンモに再び電話を掛けてみると、ガンモはもう帰宅したようである。ガンモは私に対し、とにかく早く帰って来てくれの一点張りだった。ガンモに、
「ねえ、異動のことなんでしょ?」
と尋ねると、
「うん・・・・・・」
という答えが返って来た。

 私が帰宅すると、ガンモは寝室にこもっていた。見るからに、元気がない様子である。ガンモの話によれば、地方都市に転勤する社員は既に決まっていたのだが、その社員は勤務態度に少し問題があるということを、地方都市の事務所にいる部長が知っていたのだそうだ。その部長はガンモの元上司でもあるため、候補として、長いこと転勤せずにいるガンモの名前があがったらしい。そして、現在の部長に呼ばれ、その地方都市に行ってくれないかと打診されたと言うのだ。

 ガンモは、
「そこに行ったら、今よりも仕事は楽になるかもしれないけど、今までみたいに休みは取れなくなると思う。旅行にも行けない。もちろん、海外にも行けない。俺、嫌だ」
と言った。

 ガンモの年齢で地方都市への転勤を命じられるということは、二、三年の約束で関西に帰って来られるような転勤にはならないらしい。ということは、今の会社に残るなら、定年までその地方都市で働くということである。すなわち、今、住んでいる家も手放さなければならない。家のローンもまだ払い終わっていないというのに。もちろん、私も仕事を辞めなければならない。その地方都市では、私が今働いてるようなソフトウェアの開発の仕事はおそらくないだろう。ガンモの転勤により、私たちの生活は一変してしまうわけである。

 ガンモはかなり落ち込んでいた。今は部長から「行ってもらえないか?」という程度のお願いだったが、これが業務命令になってしまうと、もはや背くことはできなくなると言う。そして、その地方都市に行くのがどうしても嫌なら、会社を辞めることになるのだ。

 確かに、周りを見渡せば、ご主人さんの転勤で海外に移住されている方もいらっしゃる。または、ご主人さんだけが単身赴任されて、奥様は家を守っていらっしゃるケースもある。私はかつて、家を守ってらっしゃる奥様に対し、ご主人さんと一緒に引越しされれば良かったのにと言ったことがあるが、奥様は、ご自宅でお仕事をされていて、既に生活の基盤が現在の家にあったのだ。また、お子さんも二人いらっしゃるので、家族全員の環境を変えてしまうよりは、変化を最小限に食い止める意味で、ご主人さんが単身赴任されることを選択されたのだと思う。仕事を辞め、家を売り、引越しをし、生活の基盤を変えてしまうということは、それだけ大きな出来事なのだ。果たして、私たちにそれができるのだろうか。いや、できない。私たちは、環境が大きく変わることに対し、恐れがあることに加え、家を手放したくないという強い想いが湧き上がって来た。

 ガンモは、
「俺、今の家が一番いい。だから、もしも仕事を辞めることになっても、俺はここに居る」
と言った。私も同じ気持ちだった。自分が望まない転勤など、愛のない結婚と同じではないだろうか。そうは言うものの、ガンモが今の会社で培って来たものも大きい。例え、地方都市への転勤を命じられたとしても、その命令を受けたくないという理由で本当に会社を辞められるのだろうか。

 ガンモは、自分の会社が好きなのだ。もちろん、私もガンモの会社が好きだ。だから、普段、持ち歩いているノートパソコンもガンモの会社で製造されたものを使っている。しかし、だからと言って、いきなりの地方都市への転勤には、なかなか胸を張って「はい」と言えない。それは、私たちが二人とも田舎育ちだからかもしれない。私たちは、都会の生活に憧れて田舎に出て来たのだ。田舎育ちの私たちが、せっかく築き上げた都会暮らしの環境を捨てて、地方都市に移住することへの抵抗も大きいと思う。

 ガンモは翌日、部長と話をして、転勤の話を丁重にお断りしたそうだ。ガンモに期待を寄せていた部長は頭を悩ませていたらしいが、ひとまず、ガンモの気持ちは受け入れてもらえたらしい。ガンモと部長が再び面談した日、私は仕事中に家のことを思い、涙が出て来た。私はあの家が大好きだ。だから、あの家から動きたくない。しかし、これまで家に対し、それだけの愛情を注いで来たと胸を張って言えるだろうか。今回のことは、家が私たちに対し、自分への愛情を確かめてみたくなったために起こった出来事なのではないだろうか。

 ガンモの地方都市への転勤の話は、後日、部長会議に掛けられ、ガンモの直属の部長はガンモが転勤を望んでいないことを他の部長たちに伝え、他の部長たちが再びガンモを指名しないように取り計らってくれたと言う。何というありがたいことだ。ガンモの部長に深く感謝である。

 しかし、まだまだガンモの地方都市への転勤が完全になくなったわけではないと言う。他の人たちにも打診しながら、地方都市に転勤する人を決めて行く方針なのだそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実際に転勤されて、見知らぬ土地で生活していらっしゃる方もたくさんいらっしゃるかと思います。中には、自ら望んだのではない転勤もあるかもしれませんね。転勤をチャンスだと思うことができれば思い切って動き易いのかもしれませんが、やはり、これまでの生活を大きく変えるようなことは、今はしたくないと思いました。まだまだこれからどうなるかわかりませんが、私たちは、家の中をぐちゃぐちゃにしながらも、この家で生活の基盤を整えていたのだと改めて思いました。失いそうになって初めて、こんなことに気づくなんて、まったくもって、かっこ悪い私たちです。(^^; これを機会に、もっと家に対してはっきりとした愛情を示すことができたら、と思っています。

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2006.11.05

ホットヨガ(二十回目)

 ホットヨガ(二十回目)は、三連休の中日に三宮店でベーシックコースのレッスンを受けた。やはり、連休中のためか、皆さん、どこかにお出掛けなのだろう。いつもは二十二、三人の人たちでひしめき合っているスタジオも、わずか十四名程度の参加者で広々としていた。

 インストラクターは、今回初めて顔を合わせた女性だった。ホットヨガには、一体何人のインストラクターがいらっしゃるのだろうといつもながらに思う。とにかく、次々に新しいインストラクターに出会えるので、レッスンを受ける側としては、どのインストラクターに当たるのか、毎回、ドキドキワクワクである。今回のインストラクターは、とても無機質な感じの方だった。どのインストラクターに当たるかで、ホットヨガの周辺を彷徨ったり、また奥深くまで入り込んだりと、レッスンの雰囲気がガラリと変わる。

 久しぶりのレッスンだったこともあって、私のとびきり固い肉体は悲鳴をあげていた。背骨の歪みが矯正されつつあるのか、今回は腰に痛みが走ってしまい、一部の寝ポーズが苦しくてたまらなかった。旅先で固いベッドに当たり、翌朝、腰が痛くてなかなか起き上がれないときの状況に似ている。脱力したような疲労感に包まれながら、七十五分のベーシックコースが何とか終了した。

 身体を休ませながらシャワーを浴びて着替えを済ませ、受付でロッカーの鍵を返すと、前回のレッスンで「ハートのチャクラ」という言葉を使って私を泣かせたインストラクターが対応してくださった。彼女は私に、
「次回のご予約はどうなさいますか?」
と聞いてくださったのだが、私は、
「また、Webで予約させていただきます」
と答えた。しかし、心の中では、「私が知りたいのはあなたがインストラクターをするスケジュールだ」と思っていた。思わず、
「ところで、あなたが来週、インストラクターを担当されるご予定は?」
と聞こうと思ったが、その言葉を引っ込めた。

 大きな病院などでは、月曜日の午前中は○○先生、火曜日の午前中は△△先生というふうに、外来担当医のスケジュールを提示している。ホットヨガでも、どのインストラクターがどの曜日のどのコースを担当するのか、予め提示してくれたらいいのにと思う。そうすれば、自分がレッスンを受けたいと思っているインストラクターが担当するレッスンを受けられるようになるのではないか。しかし、そのようなシステムを導入すると、インストラクターの人気がはっきりとわかるようになってしまうため、避けているのだろうか。もしくは、これだけたくさんのインストラクターがいるということは、インストラクターが自由にレッスンスケジュールを選べる、インストラクター主体のレッスンスケジュールになっているのかもしれない。

 帰りのエレベータの中で、以前から気になっている女性と一緒になった。しかし、特に会話をすることもなくそのまま分かれた。何と、彼女の荷物の少なかったこと! ホットヨガの帰りとはとても思えないほど身軽な荷物だったのだ。おそらく、持参しているのはウェアと簡単なお風呂セットだけなのではないだろうか。タオルはスタジオでレンタルし、水も購入しているのだろう。小さなバッグで、極力荷物を少なくしているようだった。一方、私はと言うと、大きな布バッグに自前のバスタオル、着替え、お風呂セット、水、ノートパソコンなどを入れて持ち歩いている。その上、映画を観るために、ひざかけも必要だ。手帳も、スケジュール帳とメモ帳の二冊を持ち歩いている。とにかく私は、夜逃げでもできそうなくらいの大荷物なのである。同じ場所に出掛けてレッスンを受けているはずなのに、持っている荷物にこれほど差が出るのは面白い。

 ところで、私はホットヨガに通い始めてから、ピップエレキバンや磁気ネックレスとはさよならしたままなのだが、しばらくホットヨガに通えないでいると、やはり肩が固まったようになってしまう。しかも、ホットヨガで激しく身体を動かして血行が良くなっているにもかかわらず、肩こりの延長線上にある頭痛に悩まされることがあるのだ。血行が良くなっているはずなのに、これは一体どういうことなのだろうと思っていたところ、ホットヨガの更衣室に設置されているトイレに気になる広告が掲げられていた。それは、電解水素水の広告だった。

真・水素水

 身体の中で活性酸素が増えると、生活習慣病を悪化させてしまうらしい。どのような人に活性酸素がたまりやすいかについては、活性酸素たまりやすい度チェックをご参照あれ。活性酸素は、ホットヨガで激しく身体を動かして新しい酸素を取り入れたあとも身体の中で増えているのだそうだ。そのために、電解水素水を摂取すると良いという内容の広告だった。しかし、どうも調べてみると、電解水素水の働きは、科学的な証明には至っていないようである。健康食品の世界で騒がれているだけだといった情報もあった。確かに、健康食品を売るために掲げられた宣伝文句が必ずしも医学的、科学的な見解と一致しているわけではない。だから私は、健康食品のお店が掲げている内容については、注意深く目を通すようにしている。

 実際、ホットヨガのスタジオ内にも電解水素水のチューブを持ち込んでごくごく飲んでいる人をしばしば見掛ける。トイレの広告によれば、電解水素水は、レッスンの前と後に飲むのが良いそうである。ホットヨガの受付でも、電解水素水が売られているようなので、肩こりを感じているときに試してみることにしよう。それにしても、確か、いつも実家の母が送ってくれている海洋深層水は、活性水素(還元水)で割っているというようなことを聞いたことがあるのだが・・・・・・。いずれこちらも確認してみることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 電解水素水は、本当に身体にいいのでしょうか。活性酸素たまりやすい度チェックを参照して、私の身体の中は、活性酸素だらけなのではないかと疑ってしまいました。煙草を吸わないだけまだマシです。(^^; 皆さんもどうか気をつけてください。

三連休が終わり、ウィークディが始まりましたが、今週いっぱいは仕事が忙しく、身動きが取れない状態です。書き込んでくださっている掲示板のコメントにもなかなか返信できず、申し訳ありません。更新も返信もスローペースですが、どうぞ気長によろしくお願いします。

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2006.11.04

映画『トリスタンとイゾルデ』

 久しぶりのホットヨガでヘトヘトに疲れたあと、映画館に寄って『トリスタンとイゾルデ』を観た。映画の割引券を扱っている派遣会社の福利厚生のページで、トリスタンとイゾルデが熱いキスを交わしている写真を観て一目で気に入り、前売券を注文しておいたのである。

 ウィキペディア:トリスタンとイゾルデによれば、トリスタンとイゾルデの物語は、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えた恋愛物語なのだそうだ。また、この物語を題材にしたワーグナーの楽劇もあるらしい。さて、物語の内容は、『ロミオとジュリエット』のように、深く愛し合っていても一緒にはなれない男女の悲恋の物語となっている。実は、その『ロミオとジュリエット』こそ、シェイクスピアがこの物語を参考にして創作した物語なのだとか。

 現代も残っているのかどうかわからないが、昔は政略結婚と呼ばれるものが存在していた。敵対している国との仲を取り持つために娘を敵国に嫁がせたり、資金援助を請うために娘を資産家に嫁がせたりする時代があったのだ。女性の意志に関係なく、女性が友好的な取引の道具のように扱われていたのである。

 当然、そうした結婚に愛はなく、結婚式の当日までお互いの顔を知らないなどということも多々あったようである。特に娘が美しい場合は、嫁いで来た娘に夫が片思いをする場合もあるようだ。

 トリスタンとイゾルデの場合は、お互いの身分など省みない時期に出会い、激しい恋に落ちる。私は、恋愛映画を観るとき、愛の始まりを見届けるのが好きだ。この二人も、ごく自然に惹かれ合い、やがて結ばれる。相手が自分に好意を持ってくれているかどうかは、お互いにわかるものだ。だから、「ボクと付き合ってください」などとわざわざ言葉にする必要がない。

 しかしこの二人、お互いに敵国の重要人物であり、正々堂々と愛し合える関係ではなかった。そのために、二人はいったん離れ離れになるのだが、やがて最も皮肉な形で再会することになる。

 ここからは多分、意見がいろいろと分かれるところだろう。この映画を不倫の映画として観る人もいらっしゃるかもしれない。しかしそれは、結婚を絶対的な制度として見た場合のことだろうと思う。私は、結婚は制度ではなく、愛し合う男女が自由意思で結ばれるものだと思っている。愛のない政略結婚を正当な結婚だとは思いたくないのだ。そもそも愛のない結婚をすることから間違っている。しかし、だからと言って、イゾルデを愛するマーク王の目を盗んで二人がこそこそ会うのは賛成できない。

 トリスタンは、マーク王との結婚が決まったイゾルデに対し、
「運命を受け入れろ」
と言った。しかし、自分でそのように言ったにもかかわらず、心の中では泣いているのである。何故、泣いているのか。それは、イゾルデが本当に愛しているのが自分だということに気がついているからだと思う。相手が別の人と一緒に過ごすことが喜びにならないのは、相手が愛に包まれていないことがわかっているときだと思う。イゾルデが嫁ぎ先のマーク王のことを愛することができれば、トリスタンもイゾルデのことを影でそっと見守ることができたのではないだろうか。

 それにしても、結婚してから何年も、マーク王はイゾルデに対し、自分が片思いをしていることに気がつかなかったのだとしたら、こちらも悲劇である。敵国に戦争をしかけて、強引に自分の国を大きくして行くような時代だから、イゾルデの中に自分への愛がないことにも気づかなかったのかもしれない。

 この映画の中で引用された詩の中に、
「愛は死をも超える」
というフレーズがあり、何とも心の中に響いた。それは、愛の大切さを詩にしたフレーズの一部だった。輪廻転生を重ねて来た私の中にも同じような想いがあるからだろうか。この詩の内容に従って、もっとも愛に生きようとした二人なのに、このような悲恋になろうとは。

 観方によっては、「愛は何者にも引き裂くことはできない」ということを表現した映画のようにも思える。しかし私には、「愛のない結婚は悲劇を呼ぶ」ということを表現した映画のように思えた。愛に正直に生きることの大切さを逆説的に教えてくれる映画だった。この映画は映像も美しい。特に、戦いに敗れたトリスタンが船に乗せられ、王室の葬儀の流儀で葬られるシーンは格別のものがある。

映画『トリスタンとイゾルデ』公式サイト

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画の宣伝画像を貼り付けてみましたが、思わず見惚れてしまうようなキスシーンだと思いませんか? 上記公式サイトに恋愛占いがあり、私も占ってみました。すると、「あなたが求めている愛の形は?」に対する答えとして、「無条件の愛」が出ました。「あなたは、"愛があれば他に何もいらない"、そんな無条件の愛を望んでいます」ですって。確かに、私は愛をもっとも優先させていると思います。家の中が汚くても気にしないですから。(笑)でも、果たしてこういうのが「無条件の愛」に当てはまるのでしょうか。私の感覚では、「無条件の愛」とは、「見返りを求めない愛」なのですが・・・・・・。

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2006.11.03

主人在宅ストレス症候群

 無料のサイトにはいろいろな広告が掲載されている。それが広告だとわかっていても、その内容に好奇心をそそられて、思わずクリックしてしまうことがある。あるとき、気になる広告が目に留まり、クリックしてみた。その広告とは、以下のようなものである。

定年夫は何故じゃまなの?
妻の居場所を占拠してごろ寝の定年夫 ‘主人在宅ストレス,の予防策を公開

 クリックして辿り着いたのは、以下のサイトだった。

収納講座【4】 定年前リフォームのすすめ

 このサイトに書かれていることは、夫が定年になってずっと家に居るようになり、これまで一人で自由な時間を過ごしていた妻が次第にストレスを感じるようになるというものである。妻がストレスを感じなくていいように、夫の定年前に家をリフォームをして、夫の居場所を作っておきましょうという内容だった。

 以前から、「亭主元気で留守がいい」という表現があることには驚いていたが、このサイトに書かれていることは、その表現を更に上回っている。元々広告に載せているくらいのサイトなので、無断ではあるが、その内容を少し引用させていただくことにしよう。

ここで、収納コーディネーターという立場から、ひとつの解決策を提案します。
それは、ご主人がリビングや、奥さんのお気に入りの場所を占拠してごろごろしないよう、上手に「収納」してしまおうという方法です。

 これにはとにかく驚いた。「夫を収納する」などという表現が出て来ていることにも驚いたが、そもそも、定年を迎えた夫が家に居ることがストレスになるという実情にも驚いている。二人は愛し合って結婚したはずではなかったのか。長年寄り添うと、夫がいない間、寂しいとは思わなくなってしまうのだろうか。

 私は、自分の新婚時代を思い出す。結婚直後に私がまだ仕事をしていなかった頃、仕事に出掛けて行くガンモを送り出さなければならない辛さを感じていたことを。「二人はこんなに愛し合っているのに、何故、ガンモが仕事に出掛けて行って、離れ離れにならなければならないの?」と、目に涙をいっぱい浮かべながらガンモを送り出していたものだった。また、ガンモが東京に出張に出掛けて行くときも、新神戸駅で見送りながら、二人で泣いていた。そのときガンモは、新大阪駅で降りようと思ったらしい。

 あれから十年経ち、私がホットヨガを始めたりして、仕事以外で別行動も取れるようになって来た。それでも、予定のない日は、仕事帰りに待ち合わせて一緒に帰宅する姿勢は変わらない。何故そうするかは、やはり、一緒に居たいからである。それが、夫婦の基本形なのではないだろうか。

 妻にとって、定年退職した夫が家に居ることは、喜びにはならないのだろうか。愛する人と毎日一緒に居られるわけである。夫が定年退職すれば、離れ離れになるのが嫌だと涙を流しながら、夫を送り出さなくても良いわけである。そんな素晴らしいチャンスに恵まれているというのに、妻は何故、夫が家に居るとストレスを感じてしまうのだろうか。

 私なりの解釈だが、これは、遠距離恋愛と似ているのではないかと思う。遠距離恋愛と言っても、強烈に引き合いながら、お互いの休みとお金が許す限り、デートを重ねているような遠距離恋愛ではない。そのような二人の愛を綴ったブログをしばしば見かけることがあるが、引き合う二人の愛がとても微笑ましく、思わず応援したくなるものである。しかし、ここで引き合いに出した遠距離恋愛とは、お互いにもっと歩み寄れば一緒になることができるのに、強烈に引き合うことなしに、何となく現状を変えないまま続いている遠距離恋愛のことである。そのような恋愛は、付き合いが長くなっても、なかなか距離は縮まらない。何故なら、その距離が、二人にとって一番いい距離だからだ。

 定年を迎えた夫が家に居ることがストレスになってしまう夫婦は、夫が外で働き、妻が家で自分の時間を持つという距離が、お互いにとって最も心地良い距離になっているのだろうと思う。しかし、夫が定年を迎え、夫が家に居るようになり、二人の物理的な距離が縮まることによって、これまでのバランスが崩れてしまうのだろう。ご紹介したサイトで提示されている解決策は、夫との心地良い距離を取り戻す方法なのだと思う。

 もしもこのような状況が、多くの夫婦に起こり得るなら、夫ががむしゃらに働く時期を逆転させればいいのではないだろうか。すなわち、定年と働き盛りを逆行させるのである。

 新婚のときは、二人で一緒に過ごす時間を作るために、夫は働かずに家に居る。そして、年を重ねて定年を迎える頃に働き始める。そうなると、主人在宅ストレス症候群を抱えている人たちも、いつまでも夫婦円満でいられることになるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ハワイの出来事・タイムシェア・コンドミニアム編に書いた説明会で聞いたのですが、アメリカではリタイア後の夫婦関係を良くするために、タイムシェア・コンドミニアムなどの制度を利用して、夫婦で過ごす時間を大切にしようと努めているようです。この説明会を受けたとき、私は、わざわざ夫婦の時間を持つために別荘のようなものを買わなくても、ただ一緒に居るだけでいいのではないかと違和感を感じました。このように、アメリカでは、夫婦の時間を大切にしようという動きがありますが、日本では、「夫を収納する」というアメリカとは反対の方向に行き着いているのですね。愛を思い出そうとしているか、愛を封印してしまうかで、国民性の違いを感じました。

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2006.11.02

手術後の訪問

 九月いっぱいで退職した直径十二センチの彼女は、十月の下旬に職場近くの病院で手術を受けた。子宮全摘手術ではなく、核手術である。私がずっと恐れ続けて来た手術を、彼女は勇気をもって受けたのである。

 入院中の彼女とは、彼女の携帯電話のメールで連絡を取り合うことができた。彼女のお見舞いに行く時期を見計らっていたのだが、私が別府に出掛けたり、また、ライブに出掛けたり、二十時までの面会時間に間に合うように仕事を上がれなかったりと、なかなかタイミングが合わなかった。そこで、思い切って午前中、仕事の休みをもらい、午後からの出勤前に彼女の元を訪れたのである。

 彼女が手術を受けたのはとても大きな病院で、地上階にはレストランや売店があり、たくさんの患者さんたちが行き来していた。四人部屋に入院している彼女は、レストランのほうがゆっくり話ができるからと、病室からわざわざ地上階まで降りて来てくれた。彼女は、およそ一週間前に手術を終えたばかりとはとても思えないほど元気な様子だった。

 彼女は、手術とは孤独な戦いだと思っていたが、とても大きな病院だったこともあって、手術を受ける人が次々に手術室に運ばれて来るのを見ていると、手術を受けるのは自分だけではないということがわかり、勇気づけられたと言う。手術の前に、背中に痛み止めの注射をされたあと、全身麻酔の注射を打たれたてからは、すぐに意識がなくなってしまったのだそうだ。そして、気がついたときには手術が終わっていたと言う。

 彼女が入院している病院は、手術の過程を写真に収めて見せてくれるらしい。彼女は、自分の子宮から摘出された塊の大きさに驚いたそうだ。摘出されたのは、十センチくらいの塊と、七センチくらいの塊と、他に、いくつかの小さな塊があったと言う。私は、インターネット上で公開されている、取り出された塊の画像しか見ていないのでわからないのだが、彼女が見せられた写真の中には、自分の子宮と繋がっている塊の画像もあったらしい。

 彼女は、ほぼ同じ時期に核手術を受けた女性と同室になり、いろいろな話をしたらしい。何と、私が働いているビルの別の階(系列は同じだが別会社)で働いていた女性と出会い、あそこは仕事が忙しくてストレスが溜まりやすいという話をしたそうだ。なるほど、入院をすれば、同じような症状を抱えた患者さんたちと出会えるわけだ。

 彼女が入院している病院は、手術の技術力がとても高い病院らしい。彼女の手術も大成功だったそうだ。回復の早い彼女は、とても充実した入院生活を送っていると言う。手術をした直後で、お腹にブラックジャックのような傷跡があるというのに(見せてもらった)、とても元気な彼女を見て、安心した反面、少々不謹慎かもしれないが、うらやましい気もした。彼女自身も、手術のあとで療養しているからこそ、このような時間が持てるのだと言っていた。療養という形でなく、仕事もせずに自宅で自分の好きなことをしていたら、きっと罪悪感を感じてしまうだろうと彼女は言っていた。彼女もずっと、私と同じ職場で忙しく働いていたので、今の療養は仕事を頑張って来た彼女へのご褒美なのだと思う。

 彼女は今度の日曜日に退院するそうだ。子宮から大きな塊を摘出してもらい、彼女はとてもすっきりしていた。彼女が自分のために用意した二週間の入院期間。更に、退院してから二週間は、入院期間と同じ状況で、自宅療養が必要だと言う。つまり、手術をしてから社会復帰できるまでにおよそ一ヶ月かかるわけである。その一ヶ月をどうとらえるかだ。

 私のように、最初から手術に恐怖を感じて、現状を維持することに専念し、その一ヶ月を惜しむ人もいる。しかし彼女は、思い切って仕事を辞めて、勇気をもって手術を受けた。一ヶ月間休養したとしても、一ヵ月後には次第に加速して、やがて一ヶ月の遅れを取り戻すことだろう。そうした時間の使い方ができる人と、できない人がいる。おそらくだが、私はできない派に属している。もちろん、手術への恐怖も大きいのだが。それでも、彼女が手術を乗り越えたことは、これまで未知数であった手術に対し、未知数ではなくなった部分も大きい。これほど早く回復できるということは、驚きでもあったのだ。だからと言って、私自身がすぐに手術を受けるということではないのだが。

 最近、私は特に思うのである。私は、自分らしい生き方を選択することしかできない。誰かの生き方を真似ることはできないと。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とても元気そうな彼女を見て安心しました。実際、彼女が手術を受けるまでには、いろいろな山場があったのです。手術直前にカイロを紹介され、施術してもらったところ、ストレスが原因で身体が傾いたためにホルモンバランスが崩れたと言われたそうです。彼女は、身体のバランスを取り戻すために、手術を受けずにしばらくカイロに通ったらと言われたそうですが、悩んだ挙句、手術を受けました。しかし、手術を受けたからと言って、これで解決したわけではありません。今度は再発しないような注意が必要です。ところが、何が原因で筋腫ができるのかが医学的に解明されていないため、核手術後も何に注意したら良いのかわからないのが現状です。医学的な観点からではありませんが、一説によると、彼女がカイロで言われた通り、身体の傾き、そしてシャンプーやリンスなど、皮膚を通して影響を受ける環境ホルモンなどに原因があるようです。原因が特定されないことから、子宮筋腫にはおそらくいろいろな入口があるのでしょうね。

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2006.11.01

二者択一の熱狂ライブ

 別府から帰って来た翌日は、好きなアーチストのライブが神戸で開催される日だった。実は、今回のライブに参加できるようになるまでには、様々なエピソードがあるので追ってご紹介しておきたい。

 ゴールデンウィークの頃、好きなアーチストと、中学の頃から好きだったゴダイゴのコンサートが同時期に開催されるという話をここに書いたと思う。私は三朝温泉に湯治に出掛けて行くつもりでいたので、ゴールデンウィークに鳥取で行われる好きなアーチストのライブに参加するつもりでいたのだが、どういうわけか、今年はゴールデンウィークに鳥取でのライブが予定されなかった。また、私自身の状況も変わり、三朝温泉に湯治に出掛けなかった。その代わり、ゴールデンウィークは、奈良の東大寺で行われた世界遺産劇場 結成30周年記念 ゴダイゴ特別コンサート「轟き」in東大寺に参加した。

 このライブに痛く感動した私は、秋から始まるゴダイゴの全国ツアーで、再び彼らのステージを観たいと思っていた。しかし、何ということだろう。彼らは私たちが別府に出掛けている最終日とその翌日(つまり、私の好きなアーチストのライブが神戸で行われる日)に大阪で公演を行うことになっていたのである。十月三十一日という日に、神戸と大阪の両方で別々に行われるライブ。一体どちらのアーチストのライブに行くべきか、私は迷いに迷った。たった一つしかない肉体を、どちらの空間に存在させたらいいのだろうと・・・・・・。

 結局私は、中学の頃から好きだったゴダイゴよりも、高校の頃に好きになったアーチストのライブに出掛けることにしたのである。

 しかし、実際にライブに出掛けるまでの道のりは遠かった。私は、日々あまりにも忙し過ぎて、好きなアーチストのライブのチケットを申し込むのをすっかり忘れてしまっていたのである。気がついたときには、既に郵便振替による先行予約が終了してしまっていた。私は、十月に入ってから、ネットオークションに出品されているファンの方から、ライブのチケットを定価で譲っていただいた。

 ようやくチケットを入手し、いよいよライブに参加できるという前日(すなわち、私たちが別府で過ごした最終日)になって、私が担当しているプログラムにトラブルが発生していた。私は、ライブの当日に出勤してからこの事実を知ることになる。実はこのトラブル、九月の終わり頃からずっと引きずっているもので、どんな対処をしてもなかなか解決しない頑固なトラブルだった。同様の現象が他の環境ではまったく発生しないことから、おそらくだが、客先の環境が特殊な状況に陥っているのだろうと思われる。

 私の休暇中にトラブルが発生したとき、一緒に仕事をしている男性が、私の代わりにひとまずの対応してくれていた。もしもその方法で解決できなければ、すぐにまた別の解決策を提示しなければならない状況だった。やりとりをしているのは、客先担当のSE(システムエンジニア)だったのだが、そのSEが言うには、十一月二日までにきちんと動作するものを提供してもらわないと困るということだった。提供することがどうしても難しい場合は、客先まで出向いて欲しいとまで言われていた。

 一緒に仕事をしている男性に、ひとまずの回答をしていただいて、その反応がもう少しで返って来るかもしれないという緊迫した状況の中、私は一緒に仕事をしている男性にあとを任せて、ライブに参加するために定時過ぎに仕事を上がった。別府に出かける日の有給休暇とライブの日に定時退社したいという宣言は、事前に済ませておいたのである。私の職場は、そうした事前の申し出にはかなり寛大なのである。それでも、何となく自分の仕事を人に押し付けて仕事を上がってしまうようで、申し訳ない気持ちもあった。どうか、今日中に何とかして欲しいなどと言われませんように。そう願いながら、私はライブ会場へと急いだのだった。

 定時に仕事を上がれば、十八時半からの開演にはかろうじて間に合うはずだった。しかし、定時のチャイムが鳴ってから十五分ほど、一緒に仕事をしている男性と仕事の引継ぎをしていたため、職場を出るのが予定よりも遅くなってしまった。結局、会場に着いたときには、ライブはもう始まってしまっていた。照明が落とされた暗い会場の中を、会館の女性の案内で自分の座席についた。

 ネットオークションで譲っていただいた席は、思っていたよりも良く見える席だった。席に着いた途端、私は彼らの生み出す音の良さに酔いしれた。いつもながら、他のアーチストには見られないほどクリアな音質である。音に対する彼らの徹底的なこだわりが感じられる。

 周りを見渡すと、これまでよりも男性の参加者が目立っていることに気がついた。スーツ姿の人もいれば、トレーナー姿の人もいる。彼らは、曲に合わせて元気良くノリながら拳を振り上げている。この男性たちは、十八時半の開演に間に合うように、仕事を終えて駆けつけて来たのだろうか。トレーナー姿の男性は、この日のためにわざわざ有給休暇を取ったのかもしれない。きっと私と同じように、神戸でライブが開催される日は、彼らにとっても特別な一日なのだ。普段の仕事を頑張っているからこそ、いざというときに都合をつけられるのではないか。そんなことを想像していた。

 後ろを振り返ってみると、四階まである会場をたくさんの観客が埋め尽くしていた。平日の十八時半に、これだけの人たちが都合をつけて集結している。私は、彼らが多くの人たちに愛されているのを感じ取り、うれしくなった。会場内の強いエネルギーを感じていた。そして、このライブを私の好きな人たちにも見せたいと思った。このエネルギーを私の好きな人たちにも感じて欲しいと思ったのである。

 彼らのライブを観ていていつも感動するのは、古い曲がアレンジされて、蘇ることだ。今回のライブでも、アレンジされたいくつかの古い曲が演奏された。CDに入っているのではない、ライブでしか聴くことのできないアレンジされたバージョン。古い曲に息を吹き込んで行く彼らの演出が、長年のファンの心をつかんで離さないのだ。

 今回、ガンモは、仕事のために参加できなかったのだが、ガンモと私はしばしば一緒に彼らのライブに参加している。そう言えば、先日、友人からもらった手紙に、夫婦で彼らのライブに出掛けられることはとても貴重だと書かれてあった。その友人は、以前、ご主人さんを彼らのライブに誘ったのだが、また行きたいとは言ってくれなかったらしい。彼女の二人の友人のご主人さんも、最初のうちは何度か一緒にライブに足を運んでいたものの、次第に足が遠のいて行ってしまったようである。だから、私がガンモと一緒にライブに出掛けているのがうらやましいと手紙に書かれていたのだった。

 ライブの途中、世の中の多くの男性たちは、愛する妻が通いつめているこのライブにどうして同行しなくなってしまうのかを考えていた。おそらくだが、私の好きなアーチストが熱狂的、継続的にファンに愛され続けているために、中途半端な気持ちでは彼らの世界に入り込めないからではないかと思った。手拍子をしたり、リズムに合わせて身体を動かしたり、拳を振り上げたりする行為が、まるで申し合わせたように会場一体となっている。そうしたライブに、「ほんのちょっと彼らのライブを体験してみたい」という人や「妻が好きな世界を自分も垣間見てみようか」という気持ちだけでは、参加し続けることが困難になってしまうのは当たり前だ。参加しても会場と一体になれないために、次回はもういいということになってしまうのだろう。

 一方、ガンモには、私が夢中になっているものを知ろうとする貪欲な姿勢がある。私たちはお互いに、熱狂的に好きなものが次第に似て来る。そういう夫婦だから、私が熱狂的になっているものにガンモが興味を示し、ガンモが熱狂的になっているものに私が興味を示すという構図が出来上がっている。もちろん、ライブに関しては、ガンモは私ほど熱狂的ではない。しかし、ガンモは私以外の熱狂的な人たちをライブ会場で観察するのも好きなようである。ガンモにそうした要素があるから、継続的に一緒にライブに参加し続けることができるのだと思う。

 今回のライブが終わったのは、二十二時前だった。三時間あまりの熱演に大満足して、会場をあとにした。これほどの熱いライブを見せてくれる彼らだから、きっと中途半端な気持ちでは参加できないのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今週は、とにかくイベントの多い濃い一週間でした。一ヶ月以上に渡る仕事の問題は、ライブの翌日にようやく解決しました。ホッと一息つく暇もなく、次なる山場が・・・・・・。(^^; それでも、待ちに待った週末です。更新が遅れても、あたたかく見守ってくださって、本当にありがとうございます。m(__)m それにしても、やっぱりライブはいいですね。テレビが他人の家なら、ライブは自分の家かもしれません。もっともリラックスして、自分らしさを表現しているアーチストに出会いたいものですよね。私が応援しているアーチストは、テレビではきっと別人だと思います。皆さんも、覚悟ができたら、彼らのライブに参加してみてください。(笑)それでは、充実した三連休をお過ごしください。

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