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2006.10.18

 月に一度の定時退社日。さて、映画を観ようか、それともホットヨガに行こうか。そんなことを考えていると、前日になって、派遣仲間の女性からお誘いのメールが届いた。十月いっぱいで退職することになっている別の派遣仲間の送別会を彼女の家で開くことにしたので、仕事帰りに寄らないかという内容だった。

 誘ってくれた派遣仲間は、以前、私が仕事中に大喧嘩した女性である。彼女は職場の最寄駅のすぐ隣の駅近辺のマンションに住んでいるため、仕事帰りに寄れるだろうと、これまでにも何度となく遊びに来ないかと声をかけてくれていたのだった。しかし、私は彼女が私と違ってとてもきれい好きだということを知っていたので、何となく彼女に対する引け目があり、なかなか彼女の家を訪問することができずにいた。

 それでも、最近、家がきれいになることの喜びを少しずつ感じつつあった私の中で、家に対する意識がゆっくりと変化していた。そうした背景もあって、このように何度も訪問のきっかけを与えてくれる彼女の厚意に感謝しつつ、二つ返事で「行く」と返事をしたのだった。きれい好きの彼女の家を訪問して、もっと刺激を受けたいと思ったのかもしれない。

 一週間後に手術を控えた直径十二センチの女性も参加できることになり、十月いっぱいで退職する派遣仲間の送別会は、参加する人たちが食べ物を持ち寄るホームパーティ形式で行われることになった。パンとデザートを担当した私は、仕事帰りに職場の最寄駅前にあるデパートに立ち寄り、パンとデザートを調達した。直径十二センチの彼女は、量り売りの惣菜サラダを買って来てくれた。そして、家主の彼女は、おいしいワインとビールと紅茶、それから、彼女のご主人さんの手料理をいくつか用意してくれた。

 お宅を訪問し、家の中に入ると、真っ先に掃除が行き届いた部屋に感動した。決して物が少なくないわけでははないのだが、あらゆる小物がきちんとしかるべきところに配置されている。私は、きれい好きの人の住む家は、ビシッと整理整頓されていて、少しでも埃を立てようものなら、しかめっ面でもされるのではないかと思い込んでいた。しかし、確かに整理整頓はされているものの、訪問客が埃を立ててはいけないような堅苦しい雰囲気ではなく、むしろ、訪問客がくつろぎを感じることのできる空間になっていた。落ち着いた色合いで揃えられた家具や、思い切り生活感を感じさせる使い慣れた生活用品が私たちをリラックスさせてくれたのかもしれない。家の中をピカピカにすることは、訪問者を寄せ付けないことではなく、家を自分たちの生活の基盤にするということだった。
 
 ダイニングルームに置かれたテーブルには、余分なものが何一つ置かれていなかった。テーブルは、テーブルとして使われていた。我が家のテーブルは、既に物置になっている。テーブルがテーブルとして機能していないのである。これは大きな違いである。私は彼女に言った。
「人を家に呼ぶ習慣をつけておくと、家がどんどん片付いて行くものなんだね」
彼女は、
「そうなのよ。人が来るから片付ける癖がついちゃうね」
と言った。実際、お酒の好きな彼女はこうしたホームパーティをしばしば開いているらしい。なるほど、彼女はそういう循環を自分で作り上げていたのだ。私の家とは逆の循環である。

 台所はカウンターキッチンで、シンクもガスコンロもピカピカに磨かれていた。彼女は私よりも忙しく仕事をしているはずだった。しかし、どんなに仕事で帰りが遅くなったとしても、自宅でご飯を食べているのだと言う。もちろん、職場から近いというのもあるのかもしれない。ご夫婦で台所に立ち、手作りの料理をたくさん作り置きしておいて、それを何日もかけて二人で食べるのだと言う。そのため、野菜に味がしみこんでいて、とてもおいしかった。

 ご主人さんの手料理だというそれらのお料理を、私はおいしいおいしいと言いながら、おかわりしていただいた。何だろう、家が片付いているのにあたたかいこの感じは。家が片付いていると、堅苦しい雰囲気になると思い込んでいた私にとって、まったく予想もしない展開だった。

 家主の彼女は、
「もうすぐ夫が帰って来るけど気を遣わないでね」
と言っていた。彼女のご主人さんが帰宅したのは、二十一時前だったろうか。私はこれまでに、彼女のご主人さんのお姿をチラリと拝見したことはあったのだが、面と向かってお話をするのは初めてだった。彼女は予め、私たち四人が食事をしているテーブルの端っこに特等席を作り、
「ここで夫がご飯を食べるからね」
と言った。そのあたたかさに、私は驚いたのだ。訪問客がいても、ご飯を食べるテーブルは一つなのだ。仕事から帰宅した彼女のご主人さんは、テーブルの隅っこの特等席に座り、私たちが持ち寄った食べ物をありがとうと言いながら食べ始めた。私たちに気を遣って、どこかよその部屋でコソコソ食べたりしない堂々とした態度に、より一層アットホームな感じを抱いた。なるほど、相手に気を遣わせないようにするには、自分から気を遣わない態度を示すことが一番だったのだ。単に言葉だけで、
「どうか気を遣わないでね」
と言うのとは違う。

 私たちは整理整頓された部屋の中で、完全にリラックスしていた。言うまでもなく、いつの間にか、彼女のご主人さんをも交えて五人で話を始めていた。そして、気がついたらもう二十三時を回っていたのだ。私は、長居をするのも何だし、帰りの電車の時間も気になるしで、
「そろそろおいとまします」
と立ち上がった。

 先入観を捨てて、思い切って彼女の家を訪問して正解だったと思う。家を片付けていても、あんなにアットホームな雰囲気に包まれるとは、驚きだった。私は独身の頃から、家の中にごちゃごちゃといろいろなものを置いていた。友人が遊びに来るときは散らかっている部屋を片付けてはいたが、それでもものが多いので、初めて遊びに来た友人はとにかく驚いたものだった。そして、多くの友人が、
「ここに来ると何故か落ち着く」
と言ってくれた。それは、私がそこでざっくばらんに自然体で生きているからだと思っていた。

 ごちゃごちゃしたものがなくても自然体になれる。これは私にとって、新たな発見だった。自然体でいるには、整理整頓されていても、生活感を漂わせることが大切だ。それは、冒頭でも述べたように、家を生活の基盤にするということでもある。彼女とご主人さんは、そのことを私に教えて教えてくれた。

 私たちも今のマンションに引っ越してから少しの間は、友人たちを招待していたことがあった。近所の賃貸アパートから引っ越して来るとき、新しいマンションで始める新しい生活への期待に胸を膨らませながら、ガンモと二人で少しずつ荷物を運んだことを思い出す。いつの間にか、その頃のうきうきした気持ちを忘れてしまっていた。今の私たちの家は、生活の基盤ではなく、物置のようである。

 かつて、ルーフバルコニーに子供用のプールを出して、仕事仲間と一緒に水浴びしたこともあったのに。そのルーフバルコニーにもしばらく足を運んでいない。あそこで「ガンまる日記」を書くことができたら最高じゃないだろうか。そして、家に親しい人を呼んでもてなすという喜び。愛し合う夫婦の生活の基盤を見せるチャンスなのに、長いこと実践できていなかった。これから先、今回、私が受けたような衝撃を、私たちの家を訪れた人に感じてもらうこと^ができるといいのに。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一度にたくさんの料理を作り、それを何日もかけて食べるというのは、感動的でした。彼女もまた、子供のいない夫婦の共働きなのですが、ご主人さんもやはり、コンピュータ業界で働く人なのです。また、私たちの出会いはパソコン通信ですが、お二人の出会いもネットだったそうです。しかも、遠距離恋愛で結ばれたカップルです。ご主人さんが帰って来て、ご飯を食べるためにテーブルに向かうと、彼女の顔がほころぶんですね。それは、職場では決して見せない彼女の素顔でした。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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