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2006.10.03

半二重と全二重

 先日より、「書く」ということについて、ポジティヴな方面からも、ネガティヴな方面からも考察を続けている。

 まず、私は何故、書いているのか。それは、書きたいからだ。では、何故、書きたいのか。それは、嗜好によるものだから、それ以上のことは答えられない。おそらく、理由があって好きなわけではない。昔、「何故、山に登るのか?」という問いかけに対し、「何故なら、そこに山があるからだ」と答えた人がいた。若い頃に何気なく耳にしていたこの問答だが、私自身の書きたいという情熱に置き換えてみると、「何故なら、そこに山があるからだ」という言葉の持つ本当の意味は、「何故なら、山の存在そのものが、私を無性に掻き立てるからだ」であることがわかる。

 ガンモと出会った頃、私たちはパソコン通信の電子掲示板に、たくさんのコメントを書き込みながら交流することに大きな喜びを見出していた。しかし、交流方法がネットからリアルに移行するにつれて、私たちは次第に書くことから遠ざかって行った。確かに、夫婦になって、毎日顔を突き合わせているというのに、まるで筆談でもするかのように、時間差の生じる「書く」という表現方法でやりとりするのもおかしい。相手が目の前にいるのに、言いたいことを書いていると、相手の時間にどんどん追いつかなくなってしまう。下手をすると、三日遅れのガンモに話し掛けるようなことにもなりかねない。そう考えると、バーチャルの対比として使われているリアルは、リアルタイムのリアルでもあったのかもしれない。

 通信の世界では、トランシーバのように、「はい、こちら○○です。応答願います、どうぞ!」と相手に呼びかけてから相手の応答を待つような通信を、半二重と呼んでいる。半二重は、通信回線が一本しかないので、呼びかけている側が通信回線を占有していると、回線はビジーになり、相手からの応答は受信できない。トランシーバでは、自分が話をするときに通話ボタンを押すようになっていたと思う。それは、これから自分が通信回線を占有するという宣言でもある。つまり、半二重は、送信と受信を同時に行うことのできないモードなのである。インターネットの掲示板や電子メールなどの「書く」という行為を介して行われるほとんどのやりとりは、相手の応答を待ってから書き込みをするので、半二重に相当すると思う。

 これに対し、全二重という通信方法がある。全二重は、通信回線が二本用意されているために、例え相手が話をしているときであっても、もう一方も口を開くことができる。つまり、送信と受信が同時に可能なのである。しかし、そうなると、二人が同時に口を開いてしまい、聞き手のいない会話に発展してしまうこともある。だから、必ずしも全二重のやりとりが半二重よりも進化しているとは言い切れない。通信回線が増えて、送受信できる情報量が増える分、オーバーフローを引き起こし、送信と受信のバランスが崩れてしまうことにもなりかねないからだ。

 ところで、私は、リアルの友人からメールをもらうと、長い時間をかけて返事を書くよりも、直接会って話をしたほうが早いと思ってしまうことがある。たくさん書けば書くほど時間差を生じさせてしまうので、書くことによるコミュニケーションは、毎日顔を合わせるようなリアルの交流には向かない。

 しかし、たくさん書くことによって時間差が生じてしまうことが欠点だとしたら、書くことの魅力は、時間をかけてじっくりと相手に向き合うことができるということかもしれない。緊急を要する内容でなければ、書くことによるコミュニケーションは最高に楽しい。私は少し前に、何日も何日もかけて、数百行にも及ぶ掲示板のコメントを書かせていただいた。このときの達成感と言ったらない。何もそんなに長いコメントを書かなくてもいいと思うのだが、書くことが楽しくてたまらない私は、これを受けてくださる方は大変だなあと思いながらも、ついつい書いてしまったのである。それも、心から楽しみながら。

 たいていの掲示板は、数百行にも及ぶコメントの入力を受け付けない設定になっていることだろう。しかし私は、自分の掲示板には思い切り長いコメントを書き込みできるような設定にしている。何故かと言うと、言葉がどんどんこぼれて行ってしまうことが悲しくてならないからだ。そのあたりのことは、以前もここに書かせていただいたので、割愛させていただくとして、思っていることを書くということは、お互いの交流の記録を残して行くことでもある。記録を取っておくと、時間を巻き戻して過去を振り返ることが可能になる。ある時期には理解できなかったことが、あとになってから理解できるようになるかもしれない。学校の授業をノートに取って、家に帰ってから復習するのも、理解を一層深めるための工夫だろう。私は昔から、掲示板の過去ログを読むのが大好きで、掲示板に書き込んでくださったすべての内容を保存し、時間のあるときに読み返しては感慨に耽っている。家の中のものをなかなか捨てられないのと同じように、皆さんが時間をかけて一生懸命書いてくださったコメントを捨てる気にはなれないのである。

 ただ、書くことに重点を置いていると、時間の進み方がスローになってしまうことは確かだ。私はそのために、時間の感覚が狂ってしまっているのかもしれない。時には掲示板の返信を数ヶ月遅れで書かせていただいたりもする。多少、言葉を取りこぼしながらでも、何とか先に進もうとする姿勢と、数ヶ月も経ってから、じっくりとコメントに返信が書き込まれるのとでは、どちらが好まれるのだろうか。人それぞれかもしれないが、私は、時間をかけてじっくりとコメントを書きたいタイプだ。言葉がどんどんこぼれて行ってしまうことがもったいと思うばっかりに、中途半端なことを書けないのである。数週間前から、私の掲示板に信号機の色をした亀が棲んでいるのは、そんなスローな私の状況を反映しているのかもしれない。そんな亀の存在に、いち早く気づいてくださった方たちもいて、スローな私を気遣って、独り言モードでコメントを書いてくださったりしている。いつもあたたかいお心遣いをどうもありがとう。亀がなかなか緑色に変わらなくてごめんなさい。m(__)m

 そうそう、私が魂を込めて文章を書くときは、身体がふわっと軽くなる。魂が文章の中に入って行くので、魂の抜けた分、身体がふわっと軽くなってしまうのだろうか。しかし、軽くなるのは一時的なもので、しばらくすると重みがまた戻って来る。だから、文章の書き過ぎによって死に至ることはないだろう。

※皆さん、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 書くということは、スピードの面ではリアルタイムに負けますが、理解を深めるために記録を振り返ることができます。ビジネスの世界で、文書のやりとりが多いのは、記録を残すためでもあるのでしょうね。ただ、書かれたものは、それを書いた人の、ある時期における真実でしかありません。過去に書かれたものに対し、「あのときあんなことを書いていたのに」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、極端な話、例えば私がこれを書いた瞬間から、もう変化が起こっているとも言えます。

今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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