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2006.09.29

ルール

 最近、とても気になっていることがある。それは、ルールについてだ。

 小泉内閣が解散し、新しい内閣が誕生したとき、新たに就任した長勢法相は、死刑問題について、以下のようにコメントしたそうだ。
「大変重大な刑罰で、慎重に考えなければならない問題だが、確定した裁判を厳正に執行することも大切なことだ」
このとき、長勢法相は、法の規定に沿って判断するとの考えを示したそうである。

 ここで出て来た「法の規定に沿う」という表現に対し、私は、「何だそれは?」という強い反発心でいっぱいになった。おそらく、長勢法相がすぐ近くを歩いていたなら、確実に呼び止めている。「ちょっとちょっと、法って何? 人を生かさない法があるの? 法とやらに、がんじがらめにされてないかい?」と。それでなくても、ここ最近の裁判で、死刑確定の判決を聞く度に、日本という国が、精神的に誇れる国ではないと感じていた。そして、そうした死刑の判決に対して同意する人たちのブログを拝見する度に、胸を痛めていた。

 今でも日本に死刑が残っているのは、怒りと悲しみを混同しているからだと私は思う。愛する人を誰かに殺されてしまったとする。そのときに、愛する人を失った深い悲しみと、殺した相手への激しい怒りがこみ上げて来る。愛する人を殺した犯人が死刑になれば、怒りは何とか収まるかもしれない。しかし、悲しみは消えないのだ。悲しみが消えない限り、死刑を執行しても解決にはならないのに、せめて怒りだけでも収めようとする方向へと動いて行く。そこに大きな誤算があるように思う。そして、その誤算を、法とやらで埋め合わせようとしているようにも思える。

 そもそも、ルールが存在しているのは、愛が行き渡らない部分においてのみである。愛が行き渡らない部分をルールでカバーしているのである。その証拠に、愛情で結ばれた間柄にはルールがない。愛情で結ばれている間柄は、お互いの自由意思を許容しているからだ。だから、例え愛情で結ばれていない間柄で、ルールが存在している場合であっても、ルールを取り締まる側と友好的な関係を結べば、ルールに反した行動を取っても見逃してくれたりする。

 どんなに激しい怒りを感じても、人を殺さないというのは、愛だ。その愛は、例え殺人を犯した人にさえも向けられるべきものではないだろうか。法で定められているから死刑を執行するというのは、本末転倒であって、私には納得が行かない。何が本末転倒かというと、愛がない部分をルールでカバーしていることを大前提にすると、愛がないことが根本原因なのに、その根本原因を素通りして、法で定められているから死刑を執行するという結論に安易にたどり着いてしまっていることである。

 どんな極悪人にも、魂の部分はあると思う。その部分に向かって働きかけることを簡単に諦めて、死をもって償う必要があると判断し、死刑を執行するというのは、魂の部分に対する信頼を失ってしまっていると思う。人を殺めてしまったとき、魂の部分が反応しないはずはないと私は思うのだ。だから、魂の部分においては、加害者も被害者も同等だと思う。殺人事件があったときは、被害者の苦しさだけがクローズアップされがちだが、加害者となった人やその周辺の人たちもまた同等に辛いはずなのである。

 また、別の見方をすれば、法は、人を殺すことを職業とする人たちを生み出していることにもなる。例えその人たちの行為が法で守られているとしても、果たして、死刑執行人の魂の部分はどうなのだろう。辛い仕事には、達成感で救われる部分が大きいと思うが、実際のところ、死刑執行人は、自分を騙しながら仕事をしていたりしはしないだろうか。

 ところで、タレントの向井亜紀さんのことをニュースの記事で読んだ。子宮がんのために子宮を摘出されている向井亜紀さんは、アメリカ人女性に代理出産を依頼し、めでたく双子の赤ちゃんを授かったという。しかし、この赤ちゃんの出生届が、長いこと品川区役所に受理されなかったそうだ。理由はおそらく、ルールに違反するからだ。先日の裁判で、ようやく、品川区役所に向井さんの出生届を受理するように指示が出たと言う。

 最初のうち、向井さんは、品川区役所の受付の人たちに対し、何と頭の固い人たちだろうと思ったことだろう。それだけに、今回の判決には、大きな喜びを隠し切れないご様子だ。ご自身は、子宮を摘出されて子供を埋めない状態なのに、代理母を依頼してまで子供を生もうとする姿に感動する人もいれば、こうした頑張りをひねくれて見てしまう人もいる。出産に向ける情熱は別として、私は、向井さんが取られたような究極の情熱を持って生きている人たちが大好きだ。その情熱を何に注いで行くかは人それぞれだ。その情熱がある人とない人では、魂の輝きが違う。そんな情熱を持って生きている人に向かって、ルールを突きつけるのはどうかと思うのだ。

 英語のことわざにもある。There is no rule but has exceptions. 例外のないルールはない。できる限り、ルールにとらわれないで生きたいと思う。しかし、もしも身近にルールが存在しているなら、それは、愛を注ぎ切れなかったことに対する戒めだ。

※皆さん、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私も向井さんのブログを拝見してみました。(向井亜紀ブログ : 「一番星へ」)掲示板には、激励のメッセージばかり書き込まれているかと思っていたのですが、ひどくネガティヴな書き込みもありました。向井さんが既に子宮を失っていることに対し、お金があるから子供を授かったという見方をする方もいらっしゃいました。同じ状況にあるとき、お金がない人は子供を授かることができないという皮肉が入っているように思えました。何かを見聞きして、その感想を述べるとき、その言葉が光に包まれているかどうかは、その人の過去の経験によるものなのでしょうか。自分の中に光がなければ、情熱を持って輝いている人の行動が、まぶし過ぎて見えなくなるのかもしれません。

さて、今後も引き続き、記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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