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2006.09.06

親王さまのご誕生に思う

 私の職場では、お昼休みになると、NHKのニュースが流れる。そのニュースの第一報で、紀子さまが男の子の赤ちゃんをご出産されたと聞いて、私の心は大きく揺れた。何だろう、このざわざわした気持ちは。雅子さまのお気持ちを想像すると、決して両手放しには喜べない状態であった。

 私は、専修大学文学部文学部国文学科の卒業生である。専修大学に在学中、小和田教授という漢文の先生から、漢文学を学んだ。小和田教授は、雅子さまのお父様のお兄様に当たる方である。私は言語学のゼミに入ったので、漢文を研究する小和田ゼミではなかったのだが、授業を受けたという意味で、小和田教授の姪に当たる雅子さまを影ながら応援する立場を取っている。ちなみに、現在の専修大学には、国文学科という学科も、小和田教授の存在もない。

 そんな背景から、雅子さまが流産されたときも、私はひどく心を痛めたものだった。そうした苦難を乗り越えて、雅子さまがようやく女のお子様をご出産されたときは、ほっと胸をなでおろしたものだった。ところが、世間はお世継ぎとなる男のお子さんの誕生を期待している。雅子さまのプレッシャーを考えると、胸がつぶれる思いだった。子供を待ち望んで流産された雅子さまのお気持ちを、果たしてどのくらいの人たちが想像することができただろう。

 私はかつて、男尊女卑という記事を書いた。この記事を今、読み返してみると、これ以上のことはもう書けないと感じる。私が皇室に対して感じていることのすべてが、この記事の中に詰まっている。私の中にあるのは、「何が伝統だ!」という反発心である。決して、すべての伝統を否定しているわけではない。最も大切であるはずの愛をどこかに置き忘れたまま守り抜かれたような伝統ならば、くそくらえだということである。

 側室という立場まで用意して守り抜かれて来た男性天皇。単に元気な男の子のお世継ぎを産むためだけに迎えられた側室。昭和天皇の時代から、側室制度がなくなっただけでも、愛を大切にする時代になったと言えるのかもしれない。私は、皇室だけを特別視したくない。自分と同等に考える。自分と同等に考えると、子供が生まれないから側室を迎えるなどという制度がまかり通っていた時代に腹が立って来るのだ。子供は、愛がはじけて生まれて来る存在なのではないだろうか。そして、愛をはじけさせる方法は、子供を生んで育てる以外にもあると思う。

 そう思う反面、紀子さまに男のお子様が誕生されたことで、雅子さまはプレッシャーから解放されたのではないかという気もしている。これは私の勝手な想像だが、雅子さまは、年齢的にも、自分はもう子供を生めないと感じていらっしゃるかもしれない。それを考えると、紀子さま、ありがとうと言いたくなる。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大きな喜びの裏側に存在しているものに注目し、今回の記事を書かせていただきました。本当は、もっといろいろ書きたいことはあるのですが、また別の機会に。

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