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2006.09.20

友達の友達は、皆、友達か?

 夏の初め頃からずっと、私の中にもやもやとした思いがある。今日はここで、そのもやもやした思いを整理してみたい。

 今でも放送されているのかどうか知らないが、昔、『笑っていいとも!』というバラエティ番組の中に、テレフォンショッキングというコーナーがあった。著名人のゲストが、自分の友達や知り合いを、次なるゲストとして自ら電話を掛けて呼ぶというものである。私は、次に呼ばれる著名人が大物ゲストだったらいいのにと、わくわくしながら見ていたものだった。

 そう言えば、私も、観覧希望ハガキを出して、何度か公開生放送を見に行ったことがある。昔のスタジオアルタは、『笑っていいとも!』のあとにも公開生番組が放送されていて、公開生放送の二本立てプラス放送終了後のお楽しみプログラムもあって、なかなか愉快なひとときを過ごすことができたのだ。テレフォンショッキングのゲストが、会場の人たちにプレゼントを持って来てくれるのも楽しみだった。それとは別に、私は、『笑っていいとも!』の「年齢当てコンテスト」の予選にも足を運んだことがある。しかし、私よりも年齢不詳の強敵が居たため、採用はされず、予選落ちになってしまった。さて、話が脱線しかけたので、話を元に戻そう。

 『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」のコーナーがきっかけになって、「友達の友達は、皆、友達だ。世界に広げよう、友達の輪。WA!」というフレーズが流行語になっていた時代があった。そう、前置きが長くなってしまったが、今回の記事で取り上げたいのは、本当に、「友達の友達は、皆、友達か?」というテーマである。

 数年前、私はインターネットの掲示板を通じて、二人の若い女性と出会った。彼女たちは、そのサイトの管理人さんも含めて、別サイトで知り合った間柄らしい。二人は、私の運営しているサイトの掲示板に書き込みをしてくれたり、二人と私が出会ったサイトの管理人さんの掲示板で会話を楽しんだりした。しかし、あることがきっかけで、私は、そのうちの一人の女性との交流が成り立たなくなってしまった。お互いに話がかみ合わず、ついには大喧嘩にまで発展してしまったのである。そのとき、彼女と仲の良かったもう一人の女性は、私とその女性のやりとりを静かに見守っていた。

 それ以来、大喧嘩をした女性とは、まったく交流がなくなってしまった。私は、彼女たちと出会ったサイトの管理人さんと、彼女と仲の良かったもう一人の女性を、私のいざこざに巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。その後、私が最も頭を悩ませたのは、彼女と仲の良かったもう一人の女性と、今後、どのように付き合って行ったらいいか、ということだった。

 彼女は、私が大喧嘩をした女性とのことは抜きにして、今後も私と交流を持ちたいという意志を示してくれていた。しかし私は彼女に対し、どのような態度を取っていいかわからず、次第に彼女からのアプローチを避けるようになってしまった。今思えば、距離の取り方が難しかったのだと思う。大喧嘩をしなかった彼女とフレンドリーな関係を結んでしまうと、喧嘩をした女性が快く思わないのではないかと勝手に気を回したのである。しかし、私は彼女と直接大喧嘩をしたわけではない。ただ、彼女が私と大喧嘩をした女性と仲が良かったというだけのことだった。

 一方、二人と知り合ったサイトの管理人さんは、その後もちゃっかり私が大喧嘩をした女性とは交流を持っていた。しかし、その交流も、一年経ち、二年経った頃にはすっかり途切れてしまったようだ。現在は、そのサイトの管理人さんと私との交流が続いているだけで、彼女たちとの交流は一切なくなってしまった。また、彼女たち二人も、目に見えている限りでは、既に交流が途絶えてしまっているようである。

 こんなことがあってから、私は大喧嘩をしたわけではないのに避けてしまった女性に対し、ずっと申し訳ない気持ちを抱えていた。しかし、あのとき私はどうすれば良かったのかと考えると、なかなか答えを出すことができなかった。

 そうこうしているうちに、今度は私が逆の立場に回ることになった。またしてもネットでの話なのだが、先ほどとは別のサイトを運営していた管理人さんとの折り合いが悪くなってしまった。しかし、管理人さんとは折り合いが悪くなっても、そのサイトで知り合った別の人との交流が続くということがあった。その人は、サイトの管理人さんとの交流は別のところに取っておいて、私との交流を個別に進めてくれたのでる。私は、最初のうちは戸惑いながらも、そうした行為がとてもうれしかった。そのときになって初めて、「ああ、私も数年前に、このような選択を取ることができたら良かったのに」と思ったのである。

 先日、掲示板にも書かせていただいたように、今年の夏の初めに、五年間続いた非公開掲示板をクローズすることになった。そのときに、上記したような人間関係のもつれが、これまでとはまったく違う立場から起こった。そのとき、私には、個別であっても継続させたい交流があったのだ。しかし、私とは別のところでの結びつきが強く、それは適わなかった。私は今も、そのことが残念でならないのである。

 何しろもやもやしている状態なので、整理するために、あれこれ書いてしまって申し訳ない。これまた昔話になるのだが、私はガンモと結婚してから数年間、独身の頃から付き合っていた音楽関係の友人と、東京に出掛ける度に時間を作って会っていたことがあった。彼女はガンモと一緒には会うことができないタイプの友人で、私が彼女と会っているとき、ガンモには秋葉原で時間を潰してもらっていた。私は、ガンモと離れてしまうのが寂しくて、ガンモも一人で寂しくしているのではないかと気になって仕方がなかった。

 あるとき私はガンモに、
「まるみは東京に行く度に○○ちゃん(その友人)と会ってるけど、ほんとに○○ちゃんと話が合ってるの?」
と言われてしまった。ガンモはなかなか鋭いところを突いて来る。ガンモから見ると、私は○○ちゃんとは合っていないと思っていたらしい。事実、その通りだった。私は、何となく無理をして、ガンモと離れ離れになりたくないと思いながらも、無理に時間を作り、○○ちゃんと会っていた。

 ○○ちゃんは、アイドル系アーチストのファンでもあり、私の名前を使ってそのアイドル系アーチストのファンクラブに入り、コンサートチケットの獲得枠を増やしている人だった。もちろん、私が自分の名前を貸すことに同意したわけなのだが。また、そのアーチストが出演するテレビの公開番組に積極的に応募するために、私の名前やガンモの名前を使わせて欲しいと言って来て、しばしば応募ハガキを出していた。私は何となく、○○ちゃんとは友人の間柄ではなく、利用されている関係なのではないかと思っていた。○○ちゃんに対するそうしたストレスが、ガンモにも伝わっていたようだ。だから、○○ちゃんと会っているときは、私と離れて一人で行動しているはずのガンモのことが気がかりで仕方がなかったのである。

 結論から言ってしまおう。「友達の友達は皆、友達である」は真である。しかし、この命題が真であるためには、そもそも最初の友達同士の友情が真でなければならない。かつて、私が交流していた若い女性。彼女たちの友情はそれほど固かったわけではなく、わずか数年のうちに途切れてしまった。私は、二人を共同体のようにとらえ、ともに付き合うか、どちらとも付き合わないかの選択で四苦八苦した。おそらく、誰も我慢していなければ、このような展開にはならなかったのではないだろうか。誰かが何かを我慢し、どこかに無理があったからこそ、このような展開になってしまったのではないだろうか。また、会う度にガンモを寂しくさせてしまう○○ちゃんと私の友情も、真のものではなかった。だから、○○ちゃんはガンモと一緒に会うことができなかった。つまり、ガンモと私という真の友情に対し、ブロックのように繋がる相手ではなかったということである。

 友達と友達が両手で繋がることができれば一番いい。しかし、片手でしか繋がらない場合もあれば、片手さえも繋がらない場合もある。それは多分、どこかに結びつきが弱くなっている部分があるからだ。それを騙し騙しに付き合っていると、やがて弱いところが崩壊して行くような出来事を自分自身で引き起こすことになる。

 更に、私にとって、その人との関わりで何か我慢しているかどうかを判断する材料は、ガンモを交えた上で同じ時間を過ごすことができるかどうかであるように思う。例えそれが男性であっても女性であっても。最近の私は、ホットヨガのためにしばしば自分の時間を過ごしている。その時間は私にとって、とても有意義な時間だ。だから、ガンモと離れていることが、心の中では寂しいと思っていても、決して苦痛な時間ではない。しかし、そうでない場合は、ガンモの不在に思いを馳せてしまうのだ。そういう意味で、例えガンモと別々の時間を過ごして会うことになったとしても、その時間を共に有意義に過ごし、帰宅してからガンモに話して聞かせることができるような相手なら、私というブロックとも、ガンモというブロックとも共に繋がることのできる存在なのだと思う。

※皆さん、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ちょっと今回は、生みの苦しみを味わってしまい、更新が遅くなってしまいました。それでも、ここで表現することで、かなり心の中のもやもやが解消されたように思います。書いたことによって、結論が出たわけではありません。でも、非公開掲示板の崩壊も、自分自身で引き起こしたのですよね。自分自身がその出来事を通しての学びを希望しなければ、何事も起こるはずがありません。私は、同じような状況が起こったときに、自分がしてもらってうれしかったことを、他の人に返して行けばいいのだと思いました。皆さん、ここまでお付き合いくださってありがとうございます。m(__)m さて、今後も引き続き、記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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