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2006.08.06

HONOLULU ZOOとポリネシア・カルチャーセンター

 ホノルル二日目の今日は、ポリネシア・カルチャーセンターへの現地ツアーを申し込んでいた。集合時間まで、まだ時間に余裕があったので、私たちはHONOLULU ZOO(ホノルル動物園)までてくてく歩いて行った。私は、動物は大好きだが、動物園はあまり好きではない。自由を奪われた動物たちが、檻の中での生活を強いられている姿を見るのは忍びないからだ。

 ビーチのすぐ近くにあるHONOLULU ZOOは、日本では考えられないくらいの敷地を持っていた。とにかく広い。広々とした敷地の中で、動物たちも幾分、生き生きとしているように見えた。ただ、広いだけに、水が濁っていたり、水の上に葉っぱが浮いていたりと、充分な手入れは行き届いていないように見えた。それでも、日本の動物園に閉じこめられている魂が抜けたようになっている動物たちと比べれば、少なくとも、HONOLULU ZOOの動物たちには魂が残っていた。日本の家屋は「ウサギ小屋」などと言われているが、動物園についても同じことが言えるようだ。自由を奪われながらも、広い敷地でのびのび生活できるのと、狭い敷地で魂が奪われたような生活を強いられるのでは、動物たちの輝きの度合いは異なって来ることだろう。

 HONOLULU ZOOの利用客のほとんどは、アメリカ本土からやって来た人たちで、日本人観光客は比較的少なかった。どこの国にも共通で言えるのは、動物に興味を示す子供たちに対し、親は子供たちに動物を見せたがる傾向があるということだった。

 HONOLULU ZOOでおよそ二時間を過ごしたあと、私たちはツアーバスのお迎えに間に合うように、宿泊先のホテルに戻った。これから、ポリネシア・カルチャー・センターの現地ツアーに参加するのだ。ツアーバスはやや遅れてやって来て、私たちを拾ったあと、他のホテルからの日本人参加者を次々に乗せて、ポリネシア・カルチャーセンターへと向かった。

 ホノルルからポリネシア・カルチャー・センターまでは、バスでおよそ一時間二十分かかった。その間、ガイドをつとめてくれたのは、大阪出身の日本人女子大学生だった。彼女は、こちらの大学に留学し、観光学を学んでいると言う。ポリネシア・カルチャー・センターで日本人観光客を案内するアルバイトをしながら、ハワイでの高い生活費をまかなっていると言う。彼女が言うには、何と、ポリネシア・カルチャー・センターで働く人の九十パーセント以上を、彼女と同じような立場の学生たちが占めているそうだ。

 ポリネシア・カルチャー・センターとは、トンガやタヒチなどポリネシアの七つの島々の様子を再現しながら、それぞれの文化を紹介する施設で、上半身裸の原始人風の男性たちの愉快なパフォーマンスや小気味よく腰を振り続ける女性たちの踊りなどを見学することができる。ポリネシア・カルチャー・センターへのツアーは、かなりポピュラーなツアーらしく、駐車場にはたくさんのツアーバスが停車している。そのため、バスを降りるときは、自分たちの乗って来たバスのナンバープレートを記憶しておくように、しっかりと念を押された。

 ポリネシア・カルチャー・センターでは、申し込んだコースによって、いくつかのグループに分かれることになった。コースによって料金が異なっていて、食事やメインとなるポリネシアン・ショーの座席が区別されているのだ。私たちが申し込んだのはスタンダード・コースで、夕食はバイキング、夜に行われるポリネシアン・ショーはステージからかなり遠い席というコースだった。

 施設内でガイドを担当してくれたのは、千葉から来ている日本人女子大学生だった。私たちがいつでも見つけ易いように片手を上げて、後ろ向きに進みながら、大きな声で施設内の説明をしてくれた。後ろ向きに歩くことで、ツアーの参加者に顔を向けたまま説明ができるというわけである。人の多い場所で、後ろ向きに歩くのは心許ないことだろう。いつ、誰にぶつかってもおかしくない状態である。私たちのために、とてもありがたいことだと思った。

 実際、ポリネシア・カルチャー・センターで働いているハワイの大学への留学生はとても多かった。彼女たちの中には、ハワイの大学に留学したいという希望が、若いうちから根付いていたのだろうか。日本の大学に進学するか、それとも海外の大学に留学するか。それだけでも、道は大きく分かれてしまう。私が若い頃には思いつきもしなかった選択肢を選んだ彼女たちが、とても頼もしく思えた。

 施設内を彼女に案内をしてもらいながら、数々の面白いパフォーマンスを見学した。中には、観客参加型のパフォーマンスもあった。選ばれた観客との関係はアドリブのはずなのに、とても自然な上に機転が利いていた。パフォーマンスをしている人たちは、場の雰囲気を掴む能力に長けているばかりでなく、間の取り方がすこぶるうまいのだ。おかげで私たちは、始終笑いっぱなしだった。

 夕方になり、バイキングを食べたあと、いよいよポリネシアン・ショーが行われる会場へと移動した。小振りの球場くらいの大きさの会場が、世界各国からやって来た人たちでぎっしりと埋まっていた。座って開演を待っていると、会場の端のほうから、人の波がやって来た。さすが、アメリカだ。
「フー」
と言いながら両手を上げて立ち上がると、その波を受け継ぐかのように、隣の塊が両手を上げて立ち上がった。私たちの塊の順番がやって来たので、私たちも「フー」と言いながら手を上げた。そんなことを数回に渡って繰り返した。アメリカは、最初から乗りが違う。会場のこうした乗りが演じる側にも伝わり、より一層面白いパフォーマンスが成り立っているのかもしれない。

 さて、いよいよお待ちかねのポリネシアン・ショーが始まったのだが、ショーが始まった途端、あろうことか、私たちは揃ってコックリコックリ居眠りを始めてしまった。時差ボケは解消されたと思っていたものの、寝不足であることには変わりがなかった。ポリネシアン・ショーが行われていたのは、日本時間では昼間のはずだったが、とにかく眠くて眠くて仕方がなかった。おそらく、照明が落とされ、暗くなっていたからだと思う。それに加えて、踊りだけの大人しいパフォーマンスが続いたからかもしれない。

 ところが、その後、完全に目が覚めるきっかけになるパフォーマンスに出会うことになる。それは、原始人のような格好をした男性が、ひらひらした草のスカート(?)に火をつけ、仲間うちで砂を使って消したりしているパフォーマンスだった。観客のひどく騒がしい声で目が覚めたのだ。日本では、このようなパフォーマンスを目にすれば、驚きの悲鳴が一斉に上がるに違いないのだが、ハワイに来ている陽気な人たちは、みんな大声で笑っていた。おそらく、次に彼らが何を引き起こすかについての信頼があるのだろう。

 更に、火のパフォーマンスはエスカレートした。左右に火のついた炎の棒を持って、バトンのようにグルグル回しながらポーズを取っている。火のついていないバトンでさえ、落とすこともあるというのに、火がついていると、失敗は許されない。失敗すると、火傷をして自分の身体を痛めてしまう。しかも、火のついたバトンを自分の足に挟み込み、ポーズまで取っている。バトンを足で挟んだ左右からは、火がボーボー燃えているのだ。

 ここまで来れば、まるでサーカスだと私は思った。非常に危険な行為であるには違いないが、失敗の心配などないほどの熟練を感じさせてくれる素晴らしいパフォーマンスだった。他にももっとたくさんのパフォーマンスが行われていたはずだったが、残念なことに、居眠りしてしまったせいで、私たちはそのほとんどを見逃してしまった。ガンモは、
「また来るから」
と言った。旅先でやり残したことがあるときの、ガンモの決まり文句である。

 およそ一時間半に渡るポリネシアン・ショーはそこで幕を閉じ、私たちは駐車場で自分たちの乗って来たバスを探して帰路についた。確かに、バスのナンバープレートを覚えていなければ、迷ってしまうほどのバスの数だった。帰りのバスの中でも、さすがに疲れが出てぐったりしていた。ホテルに着いたのは、ハワイ時間の午後十一時だった。半日余りをポリネシア・カルチャー・センターで過ごしたわけである。ホテルに着いてからは、ポリネシアン・ショーの熱気を残したまま、私たちはお風呂に入り、ベッドになだれ込んだ。

参考URL:
Honolulu Zoo Home Page
ポリネシア・カルチャー・センター

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ううう、すみません。掲示板に何か書けると思っていたのですが、油断した隙に、どっと疲れが出て来てしまいました。せっかく来たのだから、いろいろ回っておきたい気持ちと、体力回復のためにたっぷり睡眠を取りたい気持ちが交差しています。今のところ、いろいろ回りたい気持ちのほうが勝っているようです。(^^; 可能な範囲で対応させていただきます。m(__)m

※一部、差別用語に相当する表現を用いていたかもしれないと思い、表現を変えました。表現が気になられた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

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