待ち切れない
玄米がなくなってしまったので、職場近くのダイエーに寄り、玄米と野菜を買い込んだ。玄米は、現在、オークションで入札中なのだが、落札までまだ日にちがあるので、落札できるまでの繋ぎのために購入した。買い物を終えて、ガンモが仕事をしている三宮まで移動すると、既に二〇時を回っていた。ガンモに電話を掛けてみると、仕事が終わるには、もう少しかかると言う。これから家に帰れば二十一時前には家に着くだろう。ガンモの帰りを自宅で待ちながら、ご飯の支度を整えるか、それとも、このままガンモの仕事が終わるのを待って、一緒にご飯を食べて帰るかどうか、悩んでいた。
結婚したての頃、私は自宅から一時間以上かけて、大阪方面の会社に仕事に出掛けていた。通勤時間だけで考えると、現在の職場よりも近い。その頃、私は仕事を終えると、ガンモと待ち合わせをするために、電車に乗って、自宅の最寄駅を通過して、ガンモが仕事をしている神戸方面まで移動していた。私たちの最寄駅は、神戸と大阪の中間にあるのだ。私は、ガンモが仕事をしている最寄駅の待合い室にどっしりと腰を降ろし、長い時間、ガンモの仕事が終わるのを待っていた。何時間待つことになったとしても、私はいつも、最も早くガンモに会える方法を探していた。
大阪方面での勤務を終えて、神戸方面の仕事に移ったとき、自宅の最寄駅を通過することなく、自然な方向でガンモと待ち合わせをして一緒に帰宅できることがとてもうれしかった。だから、休日に出勤して、振替休日のために平日に休みを取るガンモが、私の出勤日に家に居るということは、居ても立ってもいられない気持ちになってしまうのだ。帰宅途中のどこかでガンモと合流できるわけでもなく、一時間半かけて帰宅しなければ、ガンモに会うことができないからだ。ガンモが自宅に居るとき、とにかく、帰宅途中も待ち切れない気持ちでいっぱいになるのである。仕事を終えてガンモに電話を掛けると、ガンモも、
「早く帰って来い」
と私に言う。
だから私は、ガンモが平日休みのときは、そそくさと仕事を終えて、まっしぐらに帰宅する。お互い、仕事がある日、私たちは携帯電話で連絡を取り合いながら、
「じゃあ、○○で待ち合わせね」
と言って、自分たちの現在地点と移動時間を照らし合わせながら、待ち合わせ場所を決める。私の職場はいつも同じだが、ガンモはあちこちの客先に移動しながら仕事をしているため、待ち合わせ場所は不定なのだ。
そんなふうに、二人で待ち合わせをして帰宅するということをずっと大事にして来た私たち。それが、仕事を終えて帰宅してご飯を作るということは、私が先に帰宅して、ご飯を作って待っているということになる。いくら身体のためといえども、私は、その点に関しては、抵抗したい気持ちを覚えた。ガンモが平日休みのときに、私だけが自宅まで移動するのでさえも待ち切れないと言うのに、私だけがガンモの居ない家に先に帰宅し、ご飯を作り、ガンモの帰りを静かに待つというのは、何と孤独な作業なのだろうと感じてしまったのだ。例えば仮に、私が仕事を辞めてガンモの帰りを自宅で待つにしても、やはり孤独を感じてしまうのではないかと思う。
私がまだ仕事を始めていなかった結婚したての頃、仕事に出掛けて行くガンモを送り出すときに、「愛し合っている者同士が、何故、仕事という名目で離れ離れにならなければならないの?」と真剣に思っていた。私は、目に涙をいっぱい浮かべながらガンモを送り出したものだった。今でこそ、別々の部屋で別々のことをできる間柄になったが、もともと私たちは、そこからスタートした夫婦なのだ。だから、今でもその名残はある。
そんなことを思い起こしていると、私は意地でも、このままガンモの仕事が終わるのを三宮で待っていようと思っていた。結局、ガンモの仕事を終わったのは二十一時半だった。そして私たちは、二人でインド料理のお店に行き、夕食を取って帰宅したのだった。今日、買った野菜は、明日のお弁当のおかずにしようと思いながら。
※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 健康生活を始めてみたものの、同時に孤独との戦いでもあるような気がします。職場で、焼却炉で亡くなられた老夫婦について、私の思うところを述べたところ、やはり、同意は得られませんでした。夫婦二人だけの生活というのは、それだけ特殊なのかもしれませんね。
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