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2006.06.09

映画『ネバーランド』

 六月九日は我らがジョニー・デップの四十三歳の誕生日だ。そこで、彼の誕生日にちなんで、映画『ネバーランド』の感想を書いてみようと思う。

 この映画を観るまでは、そのタイトルからして、ピーターパンの物語に出て来る架空の国のことを想像していた。確かに架空の国の物語ではあるのだが、この映画の興味深いところは、ファンタジー映画ではなく、ヒューマンドラマであるということだ。ヒューマンドラマの向こう側に、ファンタジーが見え隠れしているのだ。しかも、これは、ピーターパンにまつわる実話に基づくストーリーらしい。

 描かれているのは、子供好きの劇作家ジェームズ・バリと未亡人シルヴィアとシルヴィアの四人の子供たちとの交流だ。劇作家の役をジョニー・デップが演じている。妻のいるジェームズが、未亡人であるシルヴィアの子供たちと一緒に遊ぶために、彼女たちの元へと足繁く通う。それは、純粋に子供と遊びたいという気持ちと、シルヴィアに対する友情からなのだが、世間からは、あたかも男女の仲であるかのような噂を立てられてしまう。

 実際、映像の中にも、二人が男女の関係を結ぶようなシーンは一つもない。それでも、シルヴィアの子供たちとの交流を通して、それぞれがかけがえのない存在になって行く。

 一方、ジェームズとシルヴィアの関係に嫉妬し、ジェームズとの夫婦関係に隙間風が吹き始めたジェームズの妻もまた、別の男性の影がちらつき始める。こちらは、最初から男女の関係であるかのように描かれている。そうした展開になり、あたかもジェームズとシルヴィアが結ばれるかのように物語が進んで行くのだが、やがて意外な結末を迎えてしまう。その結末は、あまりにもあっけない結末なのだが、観客の心が置き去りにされるような結末ではない。むしろ、その結末があるからこそ、『ネバーランド』というタイトルにこだわったことがわかる。ちなみに、原題は、"Finding Neverland"となっている。「ネバーランドを探して」といったところだろうか。

 この映画を観ると、男女間の友情のあり方について再考させられる。ジェームズは、妻と一緒に過ごす時間よりも、シルヴィアたちと一緒に過ごす時間のほうが圧倒的に長かった。単に時間だけで計れるものではないにしても、妻が嫉妬するほど一緒に過ごす時間が長いとなると、既にその時点で友情の領域を越えていると言っても過言ではないだろう。それでも、ジェームズとシルヴィアの中に、特別激しい感情が宿っていたわけではなく、物語は実に静かに流れて行く。あまりにも静か過ぎて、二人が同じ時を過ごしていることが自然に思えてしまうのだ。

 もう一つ、この映画が伝えようとしている重要なテーマは、愛する人を亡くしたときの立ち直り方の魔法である。それは、心の中に「ネバーランド」を思い描くことだ。シルヴィアの四人の子供のうち、三男のピーターは、父親を亡くしたことによって、すっかり心を閉ざしていた。ジェームズは、閉ざされたピーターの心を開くために、書くことの楽しさを教え、自分自身も小さい頃に兄を亡くした辛い経験があることを話して聞かせる。それらの経験を共有することによって、ピーターも次第に心を開いて行くのだった。ちなみに、ピーター役の男の子は、映画『チャーリーとチョコレート工場』でもジョニー・デップと共演したフレディ・ハイモアくんである。

 もっとも感動したシーンは、病気のシルヴィアに、何とかしてお芝居を見せてあげようと、ジェームズやお芝居の出演者たちが力を合わせたシーンだった。そのあまりにも大掛かりな発想と仕掛けに痛く感動した私である。ジェームズとシルヴィアの交流を反対して、つっけんどんな態度を取っていたシルヴィアの母までもが、真っ先に拍手していた。今まで反対していたはずのシルヴィアの母の共感を味方に付けたことで、一気に感動の波がやって来る。

 ジェームズの書いた「ピーター・パン」の脚本は、彼女の四人の子供たちの物語だった。その物語を、決して押し付けるわけではなく、彼女への純粋なプレゼントとして、彼女に贈ったのだ。

 押し付けという強引さがないことが、この映画の特徴かもしれない。だから、映画の中で起こるありとあらゆる現象が、必然に見えて来るのだ。強引さがない分、観客の心はいつまでも深いところで漂い続ける。そんな映画だった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ジョニー・デップの主演映画を観る度に、いつも新しい彼を発見します。まるで、怪人二十面沿うのような役者さんです。(^^)

※最近、何となく、本調子が出ません。(^^; 更新も遅れがちでごめんなさい。m(__)m

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