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2006.06.14

Re: 旅の途中

 さて、今日は、先日、りさちゃんが書き込んでくださったコメントに返信させていただこうと思う。かなり長くなってしまったので、更新が遅くなってしまった。ごめんなさい。

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■No1506に返信(りささんの記事)

りさちゃんへ

こんにちは。改めてお久しぶり!

> お久しぶりです。
> りさです。
> なかなかここに書き込むことができない日々が続いていました。

うんうん。
そういう時期もあるよ。
単に右から左へと流して行くだけの言葉なら、いくらでも垂れ流すことができる。
でも、魂の想いと言葉を一致させた言葉を紡ぐには、エネルギーがみなぎった状態でないと、なかなか難しいよね。
特に、自分が発した言葉を受け取ってくださった方たちとの交流までも考えるとね。

調子がいいときは、魂の想いと言葉を一致させることも容易だし、言葉もさくさく出て来るんだけど。

> けれど最近、ツインソウルの彼との終着点と
> ソウルメイトの彼との出発点に、やっとたどり着けたんです。
>
> 6年という年月の中で、少しずつ積み上げてきた想いが形になりました。
> 前世という見方からすると500年以上も待っていたことになるのかな。
> 想念というのは強いなぁと思いました。
>
> 不思議な気分です。とても静かな境地に居ます。

そうだったのかあ。
以前の書き込みで、「新たな学びに突入しそう」と書いていたけれど、これが、その学びのことだったんだね。
ツインソウルの彼のコンサートが区切りになって、本格的な終わりと本格的な始まりがやって来たのかな。

> あとひとりだけ探して、待っている人が居ます。こどもです。
> わたしの今生での最後の仕事は、その子に出会うことだなぁと思います。

ああ、何だか私もその子の魂を感じる。
男の子だ!
(こんなこと書いていいのか?)
りさちゃん、前に身体の悩みを書いてくれていたけれど、克服できるといいね。
食べ物でも改善された例があるみたいだよ。

以前、「ガンまる日記」でも紹介させていただいたけれど、

食事で治す 前更年期症候群―細胞から元気になるクッキング

という本が参考になるかも。
りさちゃんはまだまだ若いけれど、タイトルに負けないで。(笑)

> 少しずつだけど、ここに居る皆さんとのやり取りを通して
> また新しい発見があるといいなと思います。
> まだ返信ができていないちひろさん、てんてんさん、まるみん
> ごめんなさい。
> マイペースで行きたいと思います。

返信のことは気にせずにね。
私もかなりマイペースだから。(笑)

と言いつつも、もう一つのコメントにも返信。

■No1513に返信(りささんの記事)

>>強いですね。(苦笑)
>> 強いです。同じことを繰り返しているようで、その繰り返しの中で
>> 少しずつ私が変化してきた。それでも、私はまだ形になりません。
>> 結婚ということや、一緒に暮らすことが形じゃないと感じています。
>> 何だろうなあ。この想いは・・・。
>
> 形ってなんなんでしょうね・・・わたしも自分で言っていてよくわからなくなってます。でも感覚的に言ってしまえば、あるべきところに収まるという感じかなぁ。
>
> 絵に描いたような幸せな結婚、なんてあるのかなぁと思う。
> 苦しみも悲しみも学びだから、きっとしぬときにはそれも愛しく思える気がする。

てんちゃんが言うと、妙に説得力があるよね。

形にこだわろうとすると、結婚や一緒に暮らすことに固執してしまうけれど、形にこだわらないでいると、結婚や一緒に暮らすこととは別のところで愛を感じることができる。
でも、ひとたび男女が愛し合うと、一緒に居たい気持ちが強くなるのは、ごく自然なこと。
その自然な想いが、結婚や一緒に暮らすという流れに繋がる。

私はね、これから先、子供を産んで育てるかどうかについて考えていたとき思ったの。
人生の学びとして、子供を産んで育てる学びも、子供を産まないで夫婦だけで暮らす学びも、最終的にはイコールにならないとおかしいんじゃないかってね。
イコールにならないのは、愛を欠如させたままの生き方を選択したときだと思うの。

結婚や一緒に暮らすということに関しても、愛に溢れた選択であることが第一だよね。
愛に溢れた選択であれば、どっちもアリなんだと思う。
それが多分、地球が丸いということに繋がっている。

>>大きな波に揺られながらも、泣きながらも、淡々と過ごしています。
>>繰り返しの中に身を置きながら、耐えるでもなく、抗うでもなく
>>時を待っています。何を待っているのか、自分でもよく分からないのです。
>>心が開放されるのを待っています。
>>苦しみが解き放たれるのを待っています。
>>
>>それは、この世で終わるかどうか私には分からないです。
>>手放すものが、たくさんありすぎます。すぐに重くなって、一休みしちゃう。(笑)
>
> 素敵だな。てんてんさんにはきっと現れる。何が現れるのかはわからないけれど、
> きっともうすぐなんじゃないかな。

てんちゃんが乗り越えて来たものを想うと、泣けて来るよね。
あまりにも壮大で、壮絶で。
それでも、自分に起こっていることに対して受身になれるというのは、神への信頼があるからこそだと思う。
壮絶な学びの中でも、てんちゃんが、それだけ多くのものを受け取って来た証だと思うんだ。

> わたしはツインソウルの彼とさよならをしました。
> もう一生会えないかもしれない。でもわたしは今とても嬉しいの。
> 本当の意味で彼とひとつになれた気がするから。
> 同じ気持ちだから。会えなくても声が聞けなくても、そこに愛があるから。

ツインソウルと、とてもポジティヴな別れ方をしたのだね。
執着を手放して、永遠を手に入れたという感じかな。
そうでなければ、ツインソウルと交流を絶ってしまうことが、うれしいとは思えないだろう。
離れても、とてもうれしいという気持ちが、既に一つであることを物語っているね。
すごいなあ。私にはできない。(苦笑)

そうそう、りさちゃんにお勧めしてもらった映画『きみに読む物語』、とっても感動的だったよ。
あの映画の中の若い二人を、りさちゃんとツインソウルに重ねながら観ていたよ。

>>500年かあ。いい時間(とき)ですね。
>>
>>さあ、私もまた歩き出しますね。
>>ゆっくり時を歩きながら、私も旅を続けます。
>
> 旅は終わらないんですね。
> ゆっくりと、時に速い流れの中で。
> 果てしなく、愛を学ぶ旅。

うん。ほんとに、いつまでも旅は終わらないね。
いくつかの区切りはあるけれども。

>>りささんが、過ごした時がこういう形なって、すごく嬉しい。
>>泣けてきますね。その時を想うと。
>>その涙は、悲しみの涙ではなく、愛しさの涙です。
>
> ここまで至るのに、本当に途方もないくらいの愛をいろんな人からもらった。
> 人だけじゃなくて森羅万象すべてから。愛しくて本当に涙が出る。
> だからわたしもその愛に溶けてひとつになってしまいたい。

りさちゃんの経験が、てんちゃんの想いと溶け合って、涙になった。
こういう表現は、光のスピードで伝わるね。

ツインソウルの愛を知った人は、
ツインソウル以外のすべての存在との関わりが、
ツインソウルの愛に匹敵することを知るときが来るのかもしれないね。

> 最後に、このホームページについてです。
>
> まるみさんへ。皆さんへ。
>
> わたしはまるみさんが好きでここにやってきました。
> けれどなかなか自分から交流することは控えざるえませんでした。
> 日々いろんな人たちが、いろんな価値観のもとに自分の思いをぶちまける場です。
> ぶちまける、という表現が良いのかはわかりません。
> けれどわたしにはそのように感じられました。

ありがとう。
あはは、ぶちまける。うん、確かに、そういう一面もあったかな。
凸(話し手)になりたい人がいて、凹(聞き手)になる人がいる。
凸と凹の役割が固定化していた交流もあれば、凸と凹がときどき入れ替わっていた交流もあった。
凸と凹の入れ替わりのある交流は、対等な関係だね。
それが理想的だ。

> 少なからず、まるみさんの負担を今まで感じてきました。
> わたしも負担になってしまうのでは、と思っていました。

そうか、そんなふうに感じてくれていたんだ。
確かに、ここ最近の私はパワー不足だから。(^^;
それで、わざわざ言葉を控えてくれていた部分もあったんだね。
申し訳ない。そして、ありがとう。
ずっと以前はね、こんな感じじゃなかったんだよ。
ちーちゃんが、その頃の私を知っている。
最近丸くなったね、なんて、ちーちゃんに言われてるくらいだよ。
身体と比例するのかなあ。(苦笑)

> ネットという世界で、言葉のみの交流で、まして精神世界の話を不特定多数でするということに限界があるというのは自然なことです。
>
> まるみさんや、相談に親身になって答えてくれるひとたちは、とても勇敢だと思います。本当に優しいと思う。限界を知っていながら諦めない姿勢に尊敬する。

限界は、いつも見え隠れしているね。
ネットにおけるコミュニケーションに関しては、これまでにも何度も何度も試行錯誤を重ねて来たよ。
でも、その度に、限界を超えて来られたような気がする。
私が挫折すると、いつも励ましてくれたのがちーちゃんだった。
まだまだ限界は見えてないよってね。

でもね、こういう比較は良くないかもしれないけれど、私自身、いろいろなホームページの掲示板を拝見させてもらって来たけれど、これほど感情を交わした交流が実現できている掲示板も珍しいかなと思うの。
世間話や知識だけの交流はたくさんある。
でも、感情を交わすということに限って言えば、オープンな掲示板においては、なかなか実現できないことが多い。
そんな珍しい掲示板は、ポジティヴな面とネガティヴな面の両方を持ち合わせていて、あるときはポジティヴに傾き、あるときはネガティヴに傾きながら、次第に成長を遂げているのかもしれない。

私だけでなく、みんな、コメントを書き上げるのに、多くの時間を費やしているはず。
一つのコメントを書き上げるのに、一時間以上かかったりするじゃない?
それでも、パソコンに張り付いて、一生懸命コメントを書く。
そこには、掲示板に参加した人だけが体験できる、一種のエクスタシーがあるんじゃないのかな。
多分ね、そのエクスタシーをまた感じたくて、一時間、二時間もの時間を費やすのだと思うの。
でも、そのエクスタシーはまだまだ麻薬のようなものに過ぎなくて、麻薬が切れてしまうとネガティヴに転んでしまうのかも。(笑)

> わたしの場合は人にアドバイスというのができない。というかしたくなんです。
> 逃げてるだけなのかもしれないと思うけれど、人は自分がやりたいようにやるしかないと思ってるから。だから悩んでいる人が居ても声をかけられない。
> 自分と価値観が違う人にはなおさら。ことを荒立てたくない、というのもあるかもしれないし、自分の価値観が絶対に正しいとはわたしには言えないから。

確かに、「どうしたらいいでしょうか?」系のコメントには、私も頭を悩ませてしまうよ。(苦笑)
でも、アドバイスはできなくても、感想を述べることはできるんじゃないかなあと、最近、思うようになって来たの。
精神が病んでいるときは、自分自身の中に眠っている答えを自分で引き出すことができないから、直接的な答えを求めてるわけじゃなくても、誰かに話を聞いてもらいたくなったりするんだろうね。
直接的な答えは、自分で見つけて行かないと、後悔するからね。

肉体が病んでいるときは、励ましてあげると、元気になるみたい。
植物でも、声を掛けながら育てると、声を掛けないで育てるよりも、すくすく育つらしいね。

そう言えば、この間、小高い山の上にある餘部(あまるべ)駅に登ったあと、私たちが下山していると、山を登って来る老夫婦に出会ったの。
すれ違うとき、男性のほうが、私たちにこう尋ねたの。
「駅はまだですか?」
って。その老夫婦は、急な坂道を一生懸命登って来たところだったのね。
私たちも、同じ坂道を、まだかまだかと思いながら登って来たから、老夫婦の気持ちがとても良くわかった。
だから、迷わず、
「あと少しですよ」
と、すぐ上のほうを指差して励ましたの。

ゴールがどこかなんて、知らなくてもいいことだったかもしれない。
でもね、何だか本当に、山道を登るのがきつそうだったの。
だから、ゴールは近いよと教えてあげたかった。
私たちに尋ねた老夫婦は、安堵したように、最後の力を振り絞って、坂道を登って行ったよ。
「あと少しですよ」
と教えてあげたとき、老夫婦が安心した様子が伝わって来てうれしかったのを覚えてる。

> 何が言いたいのかわからなくなってしまったけど。。^^;
> わたしもまるみんのファンとして、このホームページのまるみんのカラーを
> 大事にしたいなぁと思う。けれどまるみんに負担を感じて欲しくない。
>
> こんなに素敵な管理人さんのこんなに素敵な掲示板なんだから、大事にみんなで考えていきたいなぁ。みなさんはどう感じていますか??
>
> えらそうにつらつら書いてしまいました。
> わたしも今まで言えなかった事が言えてすっきりしました。
> 読んでくれて有難う。

りさちゃん、本当にありがとうね。
私も、心優しいりさちゃんが大好きだな。
いつもいつも静かに見守ってくれている。
私にも、「見守る」という学びが必要だなあ、きっと。
見守り方を教えてよ。(苦笑)

もしかすると、私自身の中に、掲示板に対する執着があるのかもしれないなあ。
掲示板を手放すチャンスなのか、それとも、活発に参加できるようになるチャンスなのかわからないけど、とにかく、しばらく今の流れに乗ってみようと思ってるよ。

ああ、とてつもなく長くなってしまった。(^^;
こちらこそ、長い文章を読んでくれてありがとうね。
長いので、返信については気にしなくていいからね。
見守ってくれているのがわかってるから。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 特に、一昨日の記事に、たくさんの応援クリックをありがとうございました。m(__)m こうして亀のように進んでいる私を、どうかこれからも見届けてやってくだれば幸いです。

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