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2006.06.24

好物

 今日は、ちーちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。ちーちゃん、十日以上も時間差ができてしまってごめんね。

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■No1517に返信(ちひろさんの記事)

> >>りささん、それからみなさまへ
>
> おはようございます。
> ちひろです。
>
> まるみんは、ずっと前から表現したいことは
> ガンまる日記の中にあると書いていましたね。
>
> その言葉をどれだけ大切に心に留めて
> 私の言葉の中で表現しただろうかと振り返りました。
>
> まるみんが、掲示板に熱を持って存在する時、
> それはいつも決まって、男女の愛、しかもその愛への感謝と喜びの中でした。

ちーちゃん、いつも私を知ろうとしてくれてありがとう。
うん、男女の愛。
もっと限定すると、継続的な男女の愛。
そういう愛の尊さを、心の中に秘めている人たちとの交流に、私は溶けたくなる。

> 私は、ここに立ち寄り何をしたのかな。
> まるみんへのお土産話に何を持ってきただろう。
>
> 男女の愛の話を切望して待っている人に、何を持ってきただろう。
>
> そう振り返った時に、私は表現の仕方を間違っていたと感じました。
>
> そうだった。
>
> ここは、まるみんのお家だ。
>
> くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。

いや、何と書いたらいいんだろう。
私がツリーの掲示板にこだわるのは、枝分かれした木々を見ながら、本物の木が育って行くように感じられるからだと思う。
継続的な男女の愛がちゃんとベースにあって、そこから次第にスピリチュアリズムへと移行して行くプロセスはたまらないね。
入口を見つけた人との交流になるから。

だけど、確かに、継続的な男女の愛から枝分かれしたものではないものも含まれている。
そういう話題に私自身が参加できなかったのも事実だな。
一言で言うと、持っているブロックの形が違っているために、繋がることができなかった。

「くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。」という表現に関して、ずっと考えているんだけど、なかなか思うように表現できないでいるよ。

東京で一人暮らしをしていた独身の頃、田舎から、高校時代の友人が、それぞれ別のタイミングで泊まりに来たことがあるの。
一人は中学時代からの友人で、もう一人は、同じ演劇部だった友人。

中学時代からの友人が泊まりに来たとき、彼女は私の部屋がすごく落ち着くと言って、たくさん眠ったの。
何だかとてもリラックスできたみたいで、滞在中、毎日のように昼過ぎまで寝ていた。
私は、彼女が私の部屋でくつろいでくれたのがうれしかった。

演劇部で一緒だった友人が泊まりに来たとき、彼女は、ひどく喉が乾くと言って、冷蔵庫にあったはとむぎ茶をごくごく飲んだ。
飲むペースがとても速くて、はとむぎ茶の製造が間に合わないほどだった。
彼女は、私の部屋にあったはとむぎ茶のティーバックを次から次へと入れ物に詰めて、冷蔵庫で冷やして何度も飲んだ。

中学時代からの友人と演劇部で一緒だった友人。
どちらも私の部屋に来て、マイペースで振舞ったはずなのに、私は、演劇部の友人の態度にひどく腹を立てて怒ったんだ。
演劇部の友人は、実家に帰ってから、お詫びのためにお金を送って来た。
私は再びそれに腹を立て、そのお金をそのままつき返した。

何で二人の友人に対してそんなに違いが出たのか、今になって考えてみると、中学時代からの友人は、私の環境に馴染んでくれたけれど、演劇部の友人は、私のしなかったことをしたり、私の環境を変えようとしたからだと思う。
それで、自分の部屋の居心地が悪くなって、とうとう爆発したんだと思う。

だから、「くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。」という表現に関しては、自分が受け入れられているかどうかによって、反応が異なって来ると思う。

ホームページの場合、自分が受け入れられているかどうかは、相手が自分を知ろうとしてくれているかどうかで手応えを感じる。

> りささん、わたしもまるみんが大好き。
>
> 私の生き方は変わらないけれど、お土産話は選べますね。
>
> 私たち夫婦は、変わってるし、人に聞かれたら笑われるような
> おバカなことばかり話してる。
>
> でも、これからは、男女の愛、わたしと彼の尊い愛の歴史を話していこうと思う。
> その喜びと感謝の想いをまるみんに知らせにこようと思う。
>
> りささん、目を覚まさせてくれてありがとう。

ちーちゃん、気遣ってくれてどうもありがとう。
お土産話かあ。
うん、好物があるのは確かだよ。(^^)
好物ばっかり食べてると飽きるだろうと言う人もいるけれど、私はちっとも飽きない。

ちーちゃんたちご夫婦は、既に十分過ぎるくらい、愛に溢れている。
世の中の夫婦が乗り越えられないようなことをたくさん乗り越えて来たご夫婦なのだから。

こうして波紋を投げかけてみてからというものの、私が受け入れて行くかどうか考えなければならないのは、私という存在から遠い人たちのことだということがわかって来た。
リアルの世界にも、私という存在から遠い人はたくさんいる。
例えば、職場の人たちとかね。
そういう人たちと、継続的な男女の愛のはなしはできない。
だからこそ、自分が心地良いと思う表現の場であるホームページが大切な場所になる。

でもね、ホームページのあり方を思う気持ちは、自分自身の状態によって、揺れるの。
時にはこれでいいのだと思えたり、でも、やっぱりこれじゃいかんと思ったり。

私はもともと、ホームページという自己表現の場においては、自分と近い人を探したかったの。
自分と近い人というのは、自分の決めた愛にずっと熱心な人。
そういう継続性や熱さを共有できる人たちと関わって行きたいの。
同じ熱さが、私の中心でずっとグルグル回っているから。

だけど、掲示板には、私から遠い人たちからの書き込みもある。
そういう方たちは、「精神世界のはなし掲示板」のある「精神世界のはなし」というページの内容をほとんど読んでくださっていないことも事実なの。
時には、私がもっとも伝えて行きたいことだと公言している「ガンまる日記」でさえも。
だから余計に、掲示板に書き込まれる内容が、ホームページの内容からはどんどんかけ離れて行く。
そういうときに、皆さんがフォローしてくださっているのに、私自身がそれについて行けなかったんだ。
何故なら、ずっと好物を追い続けていたから。

これからも、私は好物を追い続けることになると思う。
まだまだ私は中心に居たい。
中心から離れるのは、もっとエネルギッシュになって拡大が起こるときだと思ってる。

ちーちゃん、改めて、いつも暖かいメッセージをありがとう。
他にも暖かいメッセージをいただいているんだけど、また後日書かせてね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回の記事を書きながら、すべての人に向かって同じ言葉で発信することの難しさを実感してしまいました。奥歯にものが挟まったような言い回しになっているかもしれません。申し訳ありません。もしかすると、掲示板でなく個別の付き合いというのは、こういうところをカバーしているのかもしれませんね。掲示板という「面」でとらえると、言葉を失ってしまうのに、個人という「点」とは交差することができる。となると、私は、いくつもの「点」を「面」にまとめようとしているのでしょうか・・・・・・。

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