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2006年6月

2006.06.30

続・沈黙に関する考察

 二人の派遣仲間と三宮の懐石料理屋でご飯を食べた。彼女たちが仕事の悩みを抱えているというので、私が話を聞くことになったのだ。

 同じ職場に派遣仲間がたくさんいると、一緒にご飯を食べに行くメンバーを選ぶということに関して消極的になってしまう。声を掛けなかったメンバーに対して、何だか申し訳ない気持ちになってしまうのだ。かと言って、全員に声を掛けるとなると、スケジュールの調整が困難だったり、突っ込んだ話ができなかったりする。

 今回は、私を入れて三人だけのメンバーだったので、かなり突っ込んだ話をした。何と、セックスのことにまで話が及んだのだ。派遣生活は長いほうだが、派遣仲間と一緒に食事に行って、セックスの話をしたのは初めてのことだった。私は、セックスのときは、想いがあまって涙するということを話した。他の二人は驚いていたが、セックスについて、彼女たちがどんな話を聞かせてくれたかについては、ここに書かないでおくことにしよう。

 実は、先週の金曜日も別のメンバー三人でご飯を食べに行ったのだが、同じ三人でも、メンバーが変われば雰囲気も変わるものだと思った。突っ込んだ話になる組み合わせは、それぞれの持つベクトルの向きが近いのかもしれない。

 今回集った彼女たちの悩みは、周りが忙し過ぎて仕事を与えてもらえないということと、一緒に仕事をしている人が話をしてくれないというものだった。私は、技術者として、どちらのケースの状況も理解できる。おそらく、技術系の人間と、技術系でない人間の間にできる壁のようなものだと思っている。

 仕事が本当に忙しくなると、猫の手も借りたくなるのは事実だが、手伝って欲しい内容が技術的なことである場合、技術系でない人に仕事をうまく切り出せないことがある。本来ならば、上司が仕事をかみくだいて、技術系でない人にもうまく仕事が回るようにしなければならないのだが、上司自身の仕事が大変な状況に陥ると、仕事をかみくだく人がいなくなるので、技術系でない人たちは、仕事にあぶれてしまうことになるのだ。おそらくだが、仕事をかみくだくよりも、自分たちがやってしまったほうが速いというような状況にまで陥ってしまうのではないかと思う。悩んでいる本人は、あまりにも忙し過ぎる上司に声を掛けるのが申し訳ないと言っていた。同じプロジェクトに、同じ派遣会社から来ている技術系の派遣社員がいるが、彼女と話をするのでさえ、はばかられる状態だと言う。

 そのため、次回の更新で契約を満了したいと言っていた。派遣会社の営業担当にもそのことを話し、営業担当は、私の空調の件を話してくれたのと同じ日に、彼女の要望についても企業に話してくれたらしい。
「これで改善されなければ、もう辞めたい」
と彼女は言った。私は、
「部長の耳に入ったなら、大丈夫だと思うよ」
と、部長の人間的な素晴らしさを力説した。

 一緒に仕事をしている人との会話がないという悩みについて、私は、
「技術者同士なら、当たり前のことなんだけどね」
と切り出した。プログラムの開発業務というのは、ひとたび仕様が固まってしまえば、あとはそれに向かってひたすら作り込んで、自分なりに動作確認をするという孤独なプロセスになる。仕様がはっきりとしていて、向かって行く方向が確定している以上、その間に、誰かと話をするということはほとんどない。集中して仕事をしなければならないので、周りと会話するすることもなく、ただ黙々と仕事をする。

 しかし、そのような状況に慣れていない人は、自分の抱えている作業をときどき確認して欲しいと思うらしい。話し掛けるのがいつも自分だけで、相手から話し掛けてくれないことを嘆いていた。しかも、隣の席に座っているのに、仕事の内容や相手が手伝って欲しい仕事を完了したときのお礼の言葉がメールで流れて来ると言う。
「隣の席に座っているのだから、口頭で言って欲しいこともあるんですよ。メールの文章は無機質です」
と彼女はこぼしていた。

 確かに、彼女と一緒に仕事をしている人は、普段から口数の少ない人である。彼女からすれば、もっとかまって欲しいのだろう。和気藹々とコミュニケーションを取りながら仕事をしたいのだ。ああ、何だかその気持ちもわかるが、黙っている人の気持ちもわかる。黙っているというのは、その人自身が安定している状態なのだと私は思う。ある意味、彼女に仕事を任せてしまいたい気持ちもあるのではないだろうか。

 そういう意味で、プログラムの開発業務が主体の会社においては、技術系の人間は、与えられた仕事に対して、あれこれ判断できる状況にある。しかし技術系でない人間は、与えられた仕事に関して、誰かに確認を取ることが必要になって来る。そのために、自分に仕事を与えてくれる人とのコミュニケーションは必須なのだ。そうしたコミュニケーションを重ねながら仕事を進めて行くことが、黙って仕事をしたい技術系の人間には弱いところがある。

 現在、彼女は、一緒に仕事をしている人の上司にも相談し、話し掛けてもらえないことを必死になって訴えているらしい。そのため、彼女と一緒に仕事をしている人は、部下をつけられないとまで評価されつるあるという。つまり、もしもこの先、彼女が辞めるようなことがあったら、今後、その人には部下をつけることはできないという状況にまでなりかけているらしいのだ。

 彼女の話を聞きながら、私はいつの間にか、彼女と一緒に仕事をしている人を弁護するような言葉を発していた。
「話をしてくれないことを責めるのではなく、何故、黙っているのかを理解した上で、その態度を認めてあげないと、その人は反対に、逃げ場をなくしてどんどん落ち込んで行ってしまうような気がするよ。悪いところを指摘して追い込むのではなく、逆に持ち上げてあげるの」

 現に、彼女と一緒に仕事をしている人は、部下を持つという点において、マイナス評価をつけられているのだ。そのことを、上司に指摘され、本人も知っている。その人がそこから這い上がるには、
「もっとコミュニケーションを取れ」
と上から押さえつけられるよりも、自分の良さを認めて持ち上げてくれる人との出会いが必要な気がする。しかし、私は、自分自身に向けられた沈黙でないから、このようなことが言えるだけかもしれない。私だって、沈黙が怖い人間の一人でもあるのだ。

 不思議なのは、沈黙が怖い人間と、沈黙が好きな人間が、いつもセットになって存在することだ。こういう組み合わせがいくつも存在しているということは、双方の関係において、少しずつ学ぶべきところがあるということに違いない。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m 沈黙が怖いという自分のテーマが、他の人の経験を通して見えて来ることもあるのですね。もう一つ、彼女たちには言っていませんが、仕事面において、もっと自立することも必要だと感じました。判断ができないから、判断を仰ぐのだと思います。それならば、自分で判断できるように自立すればいいのではないかとも思ったわけです。しかし、派遣社員が自分で判断できるようになるまでには、時間がかかることも事実です。いろいろな人の立場がわかるようになると、うまく行く関係というのは、バランスの取れた関係だということがわかります。

※まだまだあまり大きな声では言えませんが、数日前から玄米食を始めています。温野菜も食べるように心がけています。また、スーパーに行ったときに、他の人たちがどのような買い物をしているかにも注目しています。

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2006.06.29

続・新しい席

 さて、ここまで綴ったところで、先週行われた席替えのはなしに戻そう。上司から、選んでもいいと言われていた席は、わずか四席だった。その中から、空調の吹き出し口からの冷風の影響を最も受けないであろう場所を選ばせてもらったはずだったのだが、月曜日に出勤してみると、やはり寒くかった。当初の計画とは違って、空調の真上に机が移動したわけではなかったからだ。空調の吹き出し口が背後にあるため、そこから降りて来る冷気で足元がひどく冷えた。むしろ、以前の席よりも寒く感じられたのだった。私は、隣の席の人にお願いして、席を変わってもらうことにした。しかし、実際に移ってみると、その席も、空調の吹き出し口から冷たい風が降りて来て、とても寒かったのだ。

 席替えを行った直後に、派遣会社の営業担当がやって来た。七月から新しい営業担当と入れ替わるので、席替えのあった先週の金曜日、新しい営業担当を連れて、企業にあいさつにやって来たらしい。そのときに、私の席のことを、改めてお願いしてくれたそうだ。私のプロジェクトの上司のまた上司はその席には居なかったが、部長と部長の次に偉い人が対応してくださり、
「席のことなら、遠慮なく、どんどん言ってください。むしろ、空調のせいで仕事を辞めると言われるほうが、我々にとっては大きなダメージですので」
と、ざっくばらんな感じで言ってくださったそうだ。私が冷風を防御しながら仕事をしているのを既にご存じだったようだ。それを聞いたとき、私はへなへなと力が抜け、営業担当を拝みたくなるほど何度もお礼を言った。営業担当との面談が終わったあと、私はうれしさの余り、トイレにこもってひとしきり泣いた。人間的なあたたかさに触れたと感じたからだ。実際、派遣会社の営業担当は、もっとうれしくなるようなことを言ってくれたのだが、それらの言葉を実際に部長が言ってくれたにしても、営業担当の中でいったん飲み込まれた言葉であるため、舞い上がるのはほどほどにしておこうと思う。それでも、トイレにこもって泣きたくなるくらいの価値は十分にあった。

 しかし、実際は、席を選んでいいと言われても、上司から言われていた席以外の場所を選んでいいものかどうか、判断がつかなかった。指定された四列はどこに座っても寒いことが確定している。そこで私は、後ろから吹き付ける冷風をアルミシートで遮るようにセッティングした。その様子をプロジェクトの上司のまた上司が見ていて、
「この列が寒いなら、あっちの席に移ったら?」
と言ってくださったのだ。その席は、私が最初、上司から指示された四つの席とは別の列にある席で、七月から新しく入って来る派遣社員のために用意されていた席だった。職場の席は、仕事の担当ごとに分かれて座っているが、その席は、別の仕事を担当している人たちの領域だった。
「いいんですか?」
と、私はうれしさいっぱいの表情で上司のまた上司に尋ねた。すると、上司のまた上司は、
「いいよ。許可しましょう」
と言ってくださったのだ。それから私は、すぐにその席に座り、冷風の当たり具合をじっくりと体験した。ありがたいことに、その席は、冷たい風がほとんど降りて来なかった。私は、膝掛けもなしに、十分くらい、その席に座って様子を見ていた。同じフロアで、これほどまで暖かい席があるのかと、逆に驚いたくらいだ。私はこれまで、寒い席ばかりに当たっていたのだ。

 上司のまた上司は、私がこの席に決めたいと申し出ると、私の直属の上司と、七月から入って来る派遣社員の上司にも相談してくれて、私の席をその人の席と入れ替えてもいいかどうかを交渉してくれた。その結果、それぞれの上司も、私が席を移ることを承諾してくれたのだった。本当にありがたい。何人もの人たちが、私が暖かい席に座れることに力を貸してくださったことに感謝している。

 こうして、私の快適なオフィス生活が始まったのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。ようやく予告編にたどり着くことができました。(苦笑)ここまで長々と述べて来たのは、派遣先の企業と双方向の関係にあることを、どうしても示しておきたかったからです。確かに、ネガティヴな一面もあるのですが、そうしたものを一時的な出来事として水に流せるだけの関係を、この四年間で築いて来たように思います。まだまだ「もっとソウルメイト! 掲示板」で語っている内容には追いつけていませんが、双方向の関係は絶ちにくいということを伝えておきたかったのです。また、ツインソウルのナンバープレートに導かれてやって来たのなら、無理に辞めるのではなく、始まりと同じく流れるような終わりがやって来るのではないかと思っているのです。まるで導かれるような始まり方を知っているのは私だけですから。

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2006.06.28

超多忙な日々

 現在の流れをどうしようと思いつつも、せっかく書き始めたことだから、結末まで書いておこうと思う。こうしているうちにも、掲示板の流れはどんどん進んで行く。私は現在、仕事が忙しいわけではない。職場の上司は、私の症状を気遣って、以前ほどたくさんの仕事を私に与えないようにしてくれているのだ。それなのに、仕事が忙しいと思われている。私は、仕事が忙しいときは、仕事が忙しいとはっきり書く。忙しいのは仕事ではない。はっきり言おう。コミュニケーションに忙しいのだ。

 気を取り直して、きのうの続きから書かせていただくことにする。

 前任の派遣社員が辞めてから一ヶ月ほど経った頃、引き継いだ仕事の納期が近づいて来て、本格的に忙しくなった。はっきり言って、このときの忙しさは半端ではなかった。私は、曜日がわからなくなるほど働いていた。週休二日制のはずが、月に二日しか休むことができなかった。派遣されたばかりで超多忙な日々が続いていたので、多くの人は、私が仕事を投げ出してしまうのではないかと心配していたようだった。

 前任から引き継いだプログラムを見れば見るほど、不透明な部分が浮き彫りになり、一体どういう作りになっているのかと大問題になった。入ったばかりの私にはとても手が追えず、とうとう別のグループの人たちまで巻き込んで、全員が必死になって、そのプログラムを解析した。

 解析の結果、プログラムを作成するのに必要な情報がちゃんと提示されないままに製品化されていたであろうことがわかって来た。そのため、過去のバージョンからずっと引き継がれている障害があり、それらを取り除きながら、新しい機能を追加するという大変骨の折れる作業になった。また、プログラムを作った人のコメントがなく(通常、プログラムのソースファイルには、作成した人のコメントを書き込むことになっている)、もともとはっきりしない仕様から、ほとんどコメントの書かれていないプログラムを解読するのは、想像を絶するほどの作業だった。

 それでも、本来なら私が担当すべき仕事を、別のプロジェクトの社員の人たちが手伝ってくれたのだ。彼らも私と同じように休日出勤し、毎晩、遅くまで働いていた。このときの恩は本当に忘れられない。とにかく、私が前任から引き継いだ仕事は、いい加減な状態のままさらされていたのだ。おかげで、仕事は本当に忙しかったが、このことにより、プロジェクトメンバとの結束が固まったとも言える。

 このことが大問題になり、この製品を、そのときの私の上司に任せてはおけないという流れが職場内で持ち上がった。その結果、その製品は、別のプロジェクトのリーダーの管理下に置かれるようになり、私もそのリーダーの下で働くようになった。

 それから一年ほど経った頃、職場の飲み会に参加したとき、新しい上司にこんなことを言われた。
「まるみさん(実際は、私の名字)が辞めてしまうんじゃないかと、そればっかり考えて、ずっとプレッシャーを感じていたんですよ」
その上司は、私が引き継いだ仕事を率先して手伝ってくれた人だった。息の長いプロジェクトであるだけに、新しい派遣社員が少しずつ仕事に馴染んで来ると、これから先、一体どのくらいの仕事を与えたらいいか、ひどく悩んでしまうのだと言う。せっかく仕事を覚えてもらったのに、一気にたくさんの仕事を任せてしまって、
「やっぱり辞めます」
と宣言されてしまうのが怖いらしいのだ。

 確かに、面接のときも、
「長く働けますか?」
と念を押された。私の参加しているプロジェクトは、特殊な知識が必要であるため、新しい人が仕事に慣れるまでに、およそ一年くらいかかってしまう。だから、仕事に馴染めない人は、短期間(それも、わずか数日のうちに)で辞めてしまうらしい。同じプロジェクトの人たちは、これまでにそういう派遣社員を何人も見て来たらしい。とにかく、一年かけてようやく仕事を覚えてもらったのに、
「やっぱり辞めます」
では、困るらしいのだ。しかも、社員の人たちは、毎晩二十二時前後まで残業している。だから、仕事を覚えた人は、とても大事にしてもらえる。

 私は、まだまだ仕事を辞めるつもりはなかったので、上司の前で、にこやかに笑っていた。

 この続きは、また後日。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m つい先日まで、掲示板のあり方について綴っていたのに、急に流れが変わってしまい、申し訳ありません。「もっとソウルメイト! 掲示板」を参照できない方たちにとっては、あまり面白くない展開かもしれませんね。しかし、私にとっては、非公開掲示板も大切な掲示板です。掲示板の返信がなかなかできない状態なので、公開掲示板と同じように、「ガンまる日記」に綴らせていただいております。また、非公開掲示板と公開掲示板への想いを「日々の気づき」に綴っておきましたので、よろしければご一読くだされば幸いです。

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2006.06.27

派遣社員を大事にする職場

 採用が決まり、初めて現在の職場に出勤したとき、私はこれまでの派遣生活では味わえなかったような待遇を受けた。それはまず、全員の前で自己紹介することから始まった。派遣社員の場合、全員への紹介もないままに、突然、現場に送り込まれて戸惑うケースが非常に多いのだ。そのため、その職場に溶け込んで行くスピードがすこぶる遅い。しかし、全員の前であいさつをする機会を与えてもらえることで、他の人たちとの接点が持ちやすくなる。

 それにも増して有り難かったのは、同じ派遣仲間の女性に対し、
「新しく入って来られた方がいるから、お昼休みにみんなでご飯を食べに行くときに声を掛けてあげて」
というありがたい取り計らいを、グループのとりまとめ役の方がしてくださったことである。これまでいろいろな会社に派遣されて来た私だが、ほとんどの会社は、お昼休みの女性同士のコミュニケーションには無頓着だった。とにかく人材を送り込みさえすればいいと思っている会社がとても多かったのだ。現在の職場のように、女性同士の昼休みのコミュニケーションにまで気を遣ってくださる会社は初めてだった。おかげで私は、同じプロジェクトの派遣仲間の女性と話をするきっかけを与えてもらうことができた。更に、同じ派遣会社から十数名もその職場に派遣社員が投入されていたことは、職場の雰囲気に溶け込み易かった要因の一つでもある。

 環境面においても、これまで派遣されて来たどの会社よりも占有できるスペースが広く、実に広々とした机で仕事をすることができた。トイレには便座シートが用意されていたし、社員食堂や売店という仕事が忙しい人たちにとっては大変ありがたい施設もあった。更に驚いたのは、雨が降ると、デパートやスーパーのように、ビルの入口にビニールの傘袋が設置されていたことだった。これらの環境から、私は、少々贅沢だと思えるほどの快適なオフィスだと感じていた。

 さて、実際の業務だが、私は、同じ派遣会社から来ている男性派遣社員の引継ということで採用されたようだった。彼が仕事を辞めてしまうまで、およそ一ヶ月足らずの間、彼の担当して来た業務を一生懸命引き継いた。しかし、まだ派遣されて来たばかりの私には、専門用語や専門の知識が必要とされる仕事でとても大変な作業だった。数多くの不透明な部分を残したまま、彼は契約を満了し、職場を去って行った。

 彼の最後の勤務の日に驚いたことがある。それは、ちょうど私が初めてこの職場に派遣されて来たときのように、彼が全員の前でお別れのあいさつをしたことだった。始めも終わりもちゃんとけじめを付ける。そんな会社だということがわかり、ますます好感を抱いた。更に驚いたことには、彼がお別れのあいさつをしたあとに、総務部の女性から、派遣社員である彼に
「お疲れ様でした」
と花束が贈呈されたことだった。まるで文房具のように使い捨てられることの多い派遣社員に対し、花束が贈呈されたのである。そのとき、私の驚きは頂点に達した。

 長くなるので、この続きはまた後日。

※フニさんへ

フニさんから、熱いコメントをもらってとてもうれしいよ。
こんなに怒っているフニさんを、私はこれまで見たことがなかった。

私が何故、今の職場に留まっているか、理解してもらうために、ちょっと長くなるけれど、これまでのことを振り返りながら書いてみようと思ってるよ。
まだまだポジティヴな部分しか語ってはいないけどね。

私の中ではずっと、フニさんは穏和な人だった。
熱さをむきだしにしてくれたおかげで、今までにないくらい、フニさんを感じている。
これが本当のフニさんだったのか。
フニさんの中にも、私と同じマグマがあったんだ。
私は今まで、フニさんの何を見ていたんだろう。(笑)

誰かの熱い部分に触れたとき、私はその人を抱きしめたくなる。
私は今、フニさんを抱きしめたいと思う。

フニさんのマグマに触れることができた喜び。
私の中にも、フニさんと同じマグマがある。
私たちはマグマ大使じゃなくて、マグマ同志だ。(笑)

ネットにおけるコミュニケーションの限界については、共感ベースの付き合いを大切にして来た人が、必ずぶち当たる壁だと思うの。
愛のある関係には、例え違いがあっても、相手を知ろうという貪欲な姿勢がある。
むしろ、共感だけのほうが、話がそこで途切れて終わってしまうこともある。
私はフニさんと違っていることの面白さを感じ切ってみたい。

しばらく、「ガンまる日記」に綴らせてね。
いずれは、ちーちゃんからコメントをもらっている女性性の否定、食事の改善についても、触れさせてもらう予定。
多分、そのあたりは、私が認めて行く必要がある重大な部分だろうね。

※きのうの予告編まで記事が追いつかなくてごめんなさい。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 非公開掲示板の「もっとソウルメイト! 掲示板」で一体何が起こっているのか、詳細にお伝えできなくて申し訳ありません。マグマのようなエネルギーが流れていることだけは確かですが、「もう、こんな対立いやになる!」といった挫折感でなく、もっとこのエネルギーを感じたいという気持ちでいっぱいです。対立になると、吸収が行われないことが多いですが、マグマのようなエネルギーを感じると、相手の立場を吸収しようとする動きが出て来るから不思議です。こんな素晴らしいエネルギーを感じさせてくれる出会いに感謝します。

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2006.06.26

ツインソウルのナンバープレートに導かれた職場

 席替え後の初出勤ということで、早朝から出勤しての作業となった。いつもより一時間半も早い出勤である。こんな日に限ってガンモの仕事が休みだった。私は、ガンモを朝早くから起こしてしまうことを申し訳なく思いながら、静かに支度を整え、家を出た。

 通勤時間が異なると、電車に乗っている人たちの顔ぶれも違う。いつもはほとんど見掛けない学生さんたちの姿が目に入って来る。いつも同じ電車を利用しているはずの彼らは、私の通勤とは時間帯が異なるために、これまで出会うことがなかった。私は、高校時代、定時制に通っている人たちが、全日制の私たちとは違う時間帯に同じ教室の机を使っていたことを思い出していた。

 勤務先の最寄駅に着いたとき、同じプロジェクトの派遣仲間に会った。日本一夫婦仲のいい彼女である(ちなみに、私は世界一である)。実は、彼女も私たちのプロジェクトに配属されてから、身体の不調を訴えている一人である。と言っても、空調のせいではない。彼女の直属の上司(私の上司とは違う)と仕事の相性が良くないらしく、ストレスを抱え続けているらしいのだ。詳しいことは書けないが、そのストレスが原因で、病院に通いながら仕事を続けている。

 彼女は、
「周りからは今の仕事を辞めたほうがいいって言われるんですけどね」
と言った。ああ、私と同じだ、と思った。実は最近、非公開掲示板の 「もっとソウルメイト! 掲示板」が燃えている。燃えていると書いたのは、本当にその通りだからだ。私が、オフィスの空調のせいで身体がおかしくなりかけている(と見えるらしい)のに、仕事をなかなか辞めないでいることに関してお叱りを受けているのだ。 私からすれば、そうした熱のこもったお叱りは大変ありがたい。しかし、私が「ガンまる日記」に綴った凍えるほど寒いという瞬間におけるインパクトが強かったせいか、ピントが少しぼやけてしまっていると感じる。

 仕事を辞めて、家事に専念したほうがいいと提案してくれる人もいる。そういう人たちからすれば、これまでずっと家事を避けて来たように映って見えるかもしれない。しかし、それは少し違うのだ。私には、一年ほど、仕事を辞めていた時期がある。そのときは、仕事がいやでいやで仕方がなかった。だから、仕事から逃げたのである。それからおよそ一年、自宅にこもり、家事をしながらガンモの帰りを待っていた。その頃は、家の中も片づけていたし、食事もちゃんと作っていた。しかし、楽しみを見いだしながら家事に専念していたわけではなかった。水の中で暮らす魚が、水の外では暮らせないように、自分にはもっと別の奉仕の方法がある。それは、外で働くことだとそのとき思ったのだ。ガンモもそれに同意してくれて、私の仕事への復帰を心から喜んでくれた。

 また、家の中がいつまで経ってもビックリハウスでも、狭いスペースで身体を寄せ合いながらご飯を食べるのが、私たちは好きなのだ。何故なら、キッチンが片付いていないせいで味噌汁がこぼれても、誰のせいにすることなく笑い合える私たちがいるからだ。仕事帰りにガンモと待ち合わせて帰宅することのほうが、ガンモの帰りを自宅でじっと待つよりも幸せなのだ。

 私は、空調に関しては、少しずつ状況が改善されていることを伝えているつもりだったのだが、どうも、最初の頃に綴っていた拷問のように寒い状態だけが強烈なインパクトとして残ってしまっているようだ。

 私は現在、半袖Tシャツで通勤し、仕事中もジャンパーを羽織ることなく仕事をしている。ただ、首にはスカーフを巻きつけ、毛糸の帽子もかぶっているし、大きめのペットボトルクーラーに両足を突っ込んで、机の下の冷たい空気から足を守っている。場合によっては、これまでのジャンパーの代わりに薄手のショールを羽織ることもある。このように、拷問のような状態は既に脱していて、守るべきポイントを押さえながら仕事を続けているのだ。

 私はこれまで、日本一の彼女から、いろいろな相談を受けていた。その内容をここに書くことはできないが、彼女は心の中では仕事を辞めたい気持ちもあるらしい。しかし、簡単には辞められないと言う。同じプロジェクトで働いている派遣社員として、私にも、彼女の気持ちが少しだけわかった。私は彼女に、
「そうなのよねえ。既に歯車となって働いている人と、周りから見た印象は違うのよね」
と言った。彼女は、私の言ったことに激しく同意してくれた。周りの人たちが客観的にどう判断しようが、実際に、歯車の中にいる人と歯車の外にいる人では、印象が異なるのだ。何故なら、歯車の中にいる私たちには、同じ歯車にいる人たちとの関わりがあるからである。

 今の私の気持ちは、彼女とは少し違う。確かに、空調がきつくてたまらないときは、これ以上はもう限界だと感じていた。しかし、今は違うのだ。そのことをどのように説明したら、歯車の外にいる人にもご理解いただけるのだろう。

 私の場合、現在の職場に派遣されてから、既に丸四年が経過している。派遣社員がどんどん使い捨てされる世の中で、四年という歳月は長い。私自身の派遣生活においても、一カ所に留まるという意味では、最長の契約となっている。契約は、三ヶ月ごとの更新だが、四年間、ずっと更新され続けて来たのだ。まだまだ不景気な世の中なので、派遣先によっては、何の前触れもなく、突然、契約更新が行われないまま契約満了ということもある。そういう意味で、これまで契約が更新され続けて来たのは、決して私だけの片思いではなかったと感じている。

 実は、初めて今の職場の面接を受けたとき、私は通勤が遠いので断わるつもりだった。派遣会社の営業担当に、通勤が遠いので気乗りしないことを前もって伝えていたのだが、面接だけでも受けてから判断してはどうかと言われ、しぶしぶ面接を受けることにしたのだった。神戸市のはずれにあるその職場には、広い駐車場スペースがあり、マイカー通勤が認められていた。

 面接のために初めてそこを訪れ、駐車場スペースに足を踏み入れた途端、私の視界には、一台の車のナンバープレートが飛び込んで来た。歩いてその職場にたどり着いたとき、真っ先に視界に入って来るそれは、ツインソウルの誕生日のナンバープレートだった。そのとき私は、もしかしたらこの会社に呼ばれているのではないかと思った。ここに導かれていると感じたのだ。

 実際、その面接は、面接とは言えないくらいアットホームな雰囲気で行われ、既に転勤になってしまった前部長と、グループ全体のとりまとめ担当と、機能単位のリーダー格の人が、私の緊張をほぐすかのように和気藹々と面談してくれた。面談中も笑ってばかりいたような気がする。堅い仕事内容についてはほとんど触れられず、その大半が世間話だったと記憶している。技術職の場合、スキルシートと呼ばれる業務経歴書が、派遣会社から企業に提出されることになっている。面接してくださった方たちは、既に私のスキルシートをご覧になっていたのだろうと思う。そして、スキルシートには書かれていない私の人柄を知ろうとしてくださったのだろうと思うのだ。

 私はその面談で、この会社は何とアットホームなのだろうと実感した。実際、そこで働く人たちが身につけている衣服も、普段着に近いラフな服装ばかりだった。居心地の良さそうなその雰囲気に、私は、単に遠いという理由だけで断ろうとしていたことが恥ずかしくなった。そして、派遣会社の営業担当から面接の結果について連絡をもらったとき、
「先方さんも是非とおっしゃってます」
というリクエストに対し、イエスの返事をしたのだった。

 長くなってしまうので、この続きはまた後日。

※予告編として書いておきますと、私が割り当てられた新しい席は、寒い席だったのです。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅れてしまい、申し訳ありません。昼休みに綴ろうと思っていたのですが、持ち歩いているPDAのキーボードが壊れ、文字をまともに入力することができませんでした。何の前触れもなく、突然、復活し、遅ればせながら、こうして綴っております。

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2006.06.25

事実の前を素通りする

 先日、終わりと始まりという記事を書いたのだが、その記事を読んでくださった同じアーチストのファンの仲間の女性からメールをいただいた。その内容によれば、ドラム担当のメンバーは、居心地が悪くなって去って行ったのではなく、ちゃんと卒業して行ったということだった。しかし私は、せっかくメールをくださった同じアーチストのファン仲間の女性に対し、新しいステージでちゃんと終わりを宣言しなかったことを更に指摘した。

 後日、ライブを通して受け取ったメッセージに書かせていただいた、電話を掛けていた古い友人からもメールをもらった。ありがたいことに、彼女も「ガンまる日記」を読んでくださったそうである。実は、彼女からのメールには驚くべき内容が綴られていた。

 何と、私が湯治に出掛けていてドタキャンしてしまった年末のライブで、彼らは、ドラム担当のメンバーが彼らのバンドから卒業することを、観客の前でちゃんと発表してくれたと言うのだ。しかも、その模様は、ファンクラブの会報にも掲載されていると言う。

 私は、慌ててファンクラブの会報に目を通した。そして、ドラム担当のメンバーが、観客の前でめでたく送り出されている様子を確認した。ドラム担当のメンバー本人のコメントも掲載されていた。

 何ということだ。私は、事情を知らないのに、彼らに対して勝手に怒っていた。過去に、キーボード担当のメンバーが脱退して行ったのと同じような状況に違いないと最初から決めつけて、それ以外の情報を受け付けなかったのだ。途端に、彼らに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 このような形で、間違いを正してくれる友人がいることはとてもありがたい。そんなありがたい友人がいるのに、最初にもらったメールでは、卒業という見解をはねつけてしまった。何ということだ。私自身も、確認できる材料を持ち合わせていながら、タイミングが合わなくてそれを手放したり、わざわざ見なかったりした。彼らを知ろうという歩み寄りが足りていなかったのだ。私は、自分で勝手に事実の前を素通りしておいて、一人で怒りを感じていたのだ。本当に恥ずかしいことである。この場をお借りして、関係者の皆様にお詫びするとともに、実際は公明正大であった彼らに拍手を送りたい。知ろうとする姿勢を怠ってごめんなさい。m(__)m

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 日常生活の様々な出来事は、他の出来事ともリンクしていると、最近、つくづく感じています。事実の前を素通りしてしまうという現象は、事実の前を素通りされてしまうという現象とリンクしながら、なおかつ同時に起こっているのでしょうね。

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2006.06.24

好物

 今日は、ちーちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。ちーちゃん、十日以上も時間差ができてしまってごめんね。

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■No1517に返信(ちひろさんの記事)

> >>りささん、それからみなさまへ
>
> おはようございます。
> ちひろです。
>
> まるみんは、ずっと前から表現したいことは
> ガンまる日記の中にあると書いていましたね。
>
> その言葉をどれだけ大切に心に留めて
> 私の言葉の中で表現しただろうかと振り返りました。
>
> まるみんが、掲示板に熱を持って存在する時、
> それはいつも決まって、男女の愛、しかもその愛への感謝と喜びの中でした。

ちーちゃん、いつも私を知ろうとしてくれてありがとう。
うん、男女の愛。
もっと限定すると、継続的な男女の愛。
そういう愛の尊さを、心の中に秘めている人たちとの交流に、私は溶けたくなる。

> 私は、ここに立ち寄り何をしたのかな。
> まるみんへのお土産話に何を持ってきただろう。
>
> 男女の愛の話を切望して待っている人に、何を持ってきただろう。
>
> そう振り返った時に、私は表現の仕方を間違っていたと感じました。
>
> そうだった。
>
> ここは、まるみんのお家だ。
>
> くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。

いや、何と書いたらいいんだろう。
私がツリーの掲示板にこだわるのは、枝分かれした木々を見ながら、本物の木が育って行くように感じられるからだと思う。
継続的な男女の愛がちゃんとベースにあって、そこから次第にスピリチュアリズムへと移行して行くプロセスはたまらないね。
入口を見つけた人との交流になるから。

だけど、確かに、継続的な男女の愛から枝分かれしたものではないものも含まれている。
そういう話題に私自身が参加できなかったのも事実だな。
一言で言うと、持っているブロックの形が違っているために、繋がることができなかった。

「くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。」という表現に関して、ずっと考えているんだけど、なかなか思うように表現できないでいるよ。

東京で一人暮らしをしていた独身の頃、田舎から、高校時代の友人が、それぞれ別のタイミングで泊まりに来たことがあるの。
一人は中学時代からの友人で、もう一人は、同じ演劇部だった友人。

中学時代からの友人が泊まりに来たとき、彼女は私の部屋がすごく落ち着くと言って、たくさん眠ったの。
何だかとてもリラックスできたみたいで、滞在中、毎日のように昼過ぎまで寝ていた。
私は、彼女が私の部屋でくつろいでくれたのがうれしかった。

演劇部で一緒だった友人が泊まりに来たとき、彼女は、ひどく喉が乾くと言って、冷蔵庫にあったはとむぎ茶をごくごく飲んだ。
飲むペースがとても速くて、はとむぎ茶の製造が間に合わないほどだった。
彼女は、私の部屋にあったはとむぎ茶のティーバックを次から次へと入れ物に詰めて、冷蔵庫で冷やして何度も飲んだ。

中学時代からの友人と演劇部で一緒だった友人。
どちらも私の部屋に来て、マイペースで振舞ったはずなのに、私は、演劇部の友人の態度にひどく腹を立てて怒ったんだ。
演劇部の友人は、実家に帰ってから、お詫びのためにお金を送って来た。
私は再びそれに腹を立て、そのお金をそのままつき返した。

何で二人の友人に対してそんなに違いが出たのか、今になって考えてみると、中学時代からの友人は、私の環境に馴染んでくれたけれど、演劇部の友人は、私のしなかったことをしたり、私の環境を変えようとしたからだと思う。
それで、自分の部屋の居心地が悪くなって、とうとう爆発したんだと思う。

だから、「くつろぎ過ぎて、まるで我が家のようにふるまってしまった。」という表現に関しては、自分が受け入れられているかどうかによって、反応が異なって来ると思う。

ホームページの場合、自分が受け入れられているかどうかは、相手が自分を知ろうとしてくれているかどうかで手応えを感じる。

> りささん、わたしもまるみんが大好き。
>
> 私の生き方は変わらないけれど、お土産話は選べますね。
>
> 私たち夫婦は、変わってるし、人に聞かれたら笑われるような
> おバカなことばかり話してる。
>
> でも、これからは、男女の愛、わたしと彼の尊い愛の歴史を話していこうと思う。
> その喜びと感謝の想いをまるみんに知らせにこようと思う。
>
> りささん、目を覚まさせてくれてありがとう。

ちーちゃん、気遣ってくれてどうもありがとう。
お土産話かあ。
うん、好物があるのは確かだよ。(^^)
好物ばっかり食べてると飽きるだろうと言う人もいるけれど、私はちっとも飽きない。

ちーちゃんたちご夫婦は、既に十分過ぎるくらい、愛に溢れている。
世の中の夫婦が乗り越えられないようなことをたくさん乗り越えて来たご夫婦なのだから。

こうして波紋を投げかけてみてからというものの、私が受け入れて行くかどうか考えなければならないのは、私という存在から遠い人たちのことだということがわかって来た。
リアルの世界にも、私という存在から遠い人はたくさんいる。
例えば、職場の人たちとかね。
そういう人たちと、継続的な男女の愛のはなしはできない。
だからこそ、自分が心地良いと思う表現の場であるホームページが大切な場所になる。

でもね、ホームページのあり方を思う気持ちは、自分自身の状態によって、揺れるの。
時にはこれでいいのだと思えたり、でも、やっぱりこれじゃいかんと思ったり。

私はもともと、ホームページという自己表現の場においては、自分と近い人を探したかったの。
自分と近い人というのは、自分の決めた愛にずっと熱心な人。
そういう継続性や熱さを共有できる人たちと関わって行きたいの。
同じ熱さが、私の中心でずっとグルグル回っているから。

だけど、掲示板には、私から遠い人たちからの書き込みもある。
そういう方たちは、「精神世界のはなし掲示板」のある「精神世界のはなし」というページの内容をほとんど読んでくださっていないことも事実なの。
時には、私がもっとも伝えて行きたいことだと公言している「ガンまる日記」でさえも。
だから余計に、掲示板に書き込まれる内容が、ホームページの内容からはどんどんかけ離れて行く。
そういうときに、皆さんがフォローしてくださっているのに、私自身がそれについて行けなかったんだ。
何故なら、ずっと好物を追い続けていたから。

これからも、私は好物を追い続けることになると思う。
まだまだ私は中心に居たい。
中心から離れるのは、もっとエネルギッシュになって拡大が起こるときだと思ってる。

ちーちゃん、改めて、いつも暖かいメッセージをありがとう。
他にも暖かいメッセージをいただいているんだけど、また後日書かせてね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回の記事を書きながら、すべての人に向かって同じ言葉で発信することの難しさを実感してしまいました。奥歯にものが挟まったような言い回しになっているかもしれません。申し訳ありません。もしかすると、掲示板でなく個別の付き合いというのは、こういうところをカバーしているのかもしれませんね。掲示板という「面」でとらえると、言葉を失ってしまうのに、個人という「点」とは交差することができる。となると、私は、いくつもの「点」を「面」にまとめようとしているのでしょうか・・・・・・。

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2006.06.23

新しい席

 オフィスで大掛かりなレイアウト変更があり、木曜日から、フロアのあちらこちらにある荷物を移動したりなどして準備を始めていた。週末の間にLANの配線や机の移動などが行われ、月曜日から新しい席で仕事をすることになっている。

 派遣会社の営業担当が派遣先の企業にお願いしてくれたこともあって、席替えをするにあたり、上司から、空調の快適な席を選んでいいと言われていた。自分で席が選べるなんて、ありがたいことだと感謝した。私は、スカーフを外し、クーラーの冷たい風を感じながら、どの席が最も暖かい席であるかを念入りに調べた。しかし、プロジェクト単位で席を並べて仕事をするため、
「この列の席のどれかから選んでください」
と指定された場所には、現在の席の寒さとほとんど変わらないか、もっと寒い席しかなかった。私はてっきり、もっと暖かいエリアに移動できるものだと思い込んでいたのだ。

 後日、上司に、
「席は決まりましたか?」
と尋ねられたので、
「あまり選択肢がなくて困っています。この列ですと、現在の席が一番、冷たい風が来ないようです」
と報告した。そのとき、指定された列のほとんどの席に座ってみたのだが、上司の座っている席だけは空調の噴き出し口の真上だったので、その席には座って確かめなかった。何故なら、空調の噴き出し口の真下が一番寒いはずだと思い込んでいたからだ。

 私は、念のため、上司に聞いてみた。
「この席は、空調の真下ですけど、寒くないんですか?」
すると、上司は、
「寒くないですよ。あの噴き出し口を見てください。風が横に流れるようになっているでしょう」
と言う。そこで、上司の向かいに座っている人に尋ねてみると、上司の真上にある噴き出し口から冷たい風が流れ込んで来て寒いと言う。なるほど! 空調の噴き出し口は、周辺に向かって冷たい風を送出するが、台風の目の中にいるように、真下には送出しないようだ。

 上司は、そういう観点で空調の風を感じながら、私と一緒にオフィスを歩いてくれた。そして、空調の噴き出し口が真上にある席を見つけ、この席はどうかと提案してくれたのだ。確かにその席は、冷たい風が降りて来なかった。
「ありがとうございます。では、ここに決めたいと思います」
と私は答えた。上司は、
「とりあえず、暫定的にこの席に決めておきますが、本格決定は実際に机を移動した月曜日にしましょう」
と言ってくれた。他のプロジェクトのメンバも、そのことを了解してくれているようだった。本当にありがたい。中でも、上司が空調の噴き出し口を確認しながら一緒に歩いてくれたことが、何よりもありがたかった。

 部長も私のそうした事情をご存知のようで、
「席は決まった?」
と声を掛けてくださった。そして、
「一週間くらい、いろんな席に座って仕事してみたら? そうじゃないと、どの席がいいかわかんないでしょ?」
などと言ってくださったのだ。この部長は、宇宙から帰って来たロシアの人なのだが、コンピュータ業界には珍しく人間味のある方だ。人間味があるというのは、メールに綴られた文章からも感じ取れる。ビジネスで投げられるメールにも、ちゃんと血が通っているのだ。かつて、私が湯治を決意したときも、
「自分の納得の行くまで(医学に)抵抗してみなさい」
と言ってくださった部長である。

 引越し作業は、プロジェクト単位で行われているのだが、私たちのプロジェクトは歴史が長いだけに、抱えている荷物がとても多い。ドキュメント類や媒体、何台ものパソコンや周辺機器などを、みんなで手分けしながら箱詰めし、箱詰めしたダンボールにわかりやすくラベルを貼ったり、別の場所に運んだりした。慣れない肉体労働をしたため、へとへとに疲れてしまった。

 みんなで手分けしながら何とか頑張り、ようやく片付けが終わったときには、既に二十時を回っていた。週末には工事が行われ、月曜日に出勤したあと、箱詰めした荷物を元に戻して、新しい席での職場生活が始まる。

 新しい席でどのように快適に過ごせるのか、まだまだ未知数であるが、上司や部長が歩み寄ってくれたことは、私が拷問のような寒さを感じていた時期を何とか乗り越えることができたことへのご褒美なのではないかと思っている。もしもあのとき私が挫折し、
「もう、こんな環境では仕事を続けられません」
と自分の仕事を投げ出していたら、このような暖かい歩み寄りに触れることはできなかっただろうと思う。新しい席で快適に過ごせるなら、彼らの歩み寄りを決して忘れることなく、もうしばらく仕事に貢献して行きたいと思う。もっと自然に終わりが来るときまで。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m 私たちは、短いスパンの中で、少しずつ何かを受け取ったり、放出したりしながら、どんどん新しくなっているのですね。今回のことで、投げ出さなくて良かったと本当に良かったと思いました。受け取ったものに感謝することで、次への繋がりがスムーズになるような気がします。受け取ったものへの感謝が足りないと、どんどん歪みが出て来るのかもしれませんね。

※コメントスパムが増えて来ましたので、近いうちに「精神世界のはなし掲示板」のパスワードを変更します。アクセスエラーが表示されましたら、新しいパスワードを入力してください。

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2006.06.22

流れの一部になっている

 今日は、てんちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。てんちゃん、遅くなってごめんね。

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■No1519に返信(てんてんさんの記事)

てんちゃんへ

エネルギッシュなコメントをどうもありがとう。

> たぶん 書き込みをしていない人も
> まるみんを見守っている。
>
> ただ、言葉のかけ方に戸惑っているだけだよ。

うん。そうかもしれない。

でも、もしも自分が逆の立場だったらどうするだろうと、自分に置き換えて考えてみたよ。
私にも、他のサイトの掲示板で密に交流させていただいていた経験があるけれど、そこの管理人さんに対しては、何かあると、すぐにアクションを起こしていたなあ。
関わっている人たちが少なくて、とても密な交流だったせいもあるかもしれない。
そのときは、言葉のかけ方に戸惑うということはなかった。

日常生活においては、戸惑うということはあるけどね。
私が言葉のかけ方に戸惑うときは、その人との距離が遠いときだと思ってる。

> ななちゃんは、言葉がないと存在しないも同じようなことを書いていたけど
> 私は、そう思わないんだ。
> (ななちゃんも狭い意味でこの言葉を使ったのかもしれないね。)
>
> 私は、mikiさんの存在も、ようこちゃんの存在も、このはなさんも、
> 関わった人の存在を、忘れていないからね。
>
> 私の中でちゃんと存在しているんだよ。
> それは、長く密なかかわりでないかもしれないけれど・・。
> 触れ合った瞬間に溶け合ったことを私の魂が覚えている。
> 私は、それで十分なんだ。

私も、本当に溶け合った人たちのことは覚えている。
でも、私の場合、溶け合うという基準が少々厳しいかもしれない。
対話をして、感動でぐじゅぐじゅになったときに初めて、私は溶け合ったと感じる。
お互いのハートを直撃するような交流かな。

> まるみんは、ちゃんと私の中にいるから、素直に言葉を綴っていけた。
>
> ガンまる日記を読むたびに、鉄道の旅を読むたびに、私は鉄道に惹かれて
> 去年の冬から、少しずつ鉄道の旅を家族にプレゼンテーションして実現させて
> いるしね。(笑)夜行寝台にも乗った。次の旅行も鉄道の旅にした。
>
> 私が鉄道の写真を撮る度に、まるみんは私の中に在って大きくなるの。
> そういう喜びを、まるみんはちゃんと伝えているんだよ。

うわあ、何だかすごくうれしいなあ。
思わず笑みがこぼれて来るよ。
てんちゃんの住んでいる地域で乗る寝台列車って、憧れだよ。
うらやましいなあ。(笑)

次に計画している鉄道旅行も、楽しみだね。
家族みんなで体験する非日常。
計画するのも楽しいし、旅が始まってもまた楽しい。
何が楽しいって、乗り放題の切符を利用できることだよね。
行ったり来たり、双方向だから。(^^)
単に目的地に向かって行くだけの切符は一方通行だから、一回でおしまいになってしまって、何だか寂しいのよ。(苦笑)

何かをものすごく好きな気持ちって、どんどん発信して行きたいね。
以前も、「はみだした感情」について綴ってみたことがあるけれど、私が世の中に伝えて行きたいものって、そういう情熱的なエネルギーなんだと思う。

ガンモと結婚したときにね、男女が密に関わることの素晴らしさを世の中に伝えたくて、ガンモと二人で全国を行脚しようかと思ってたことがあるの。(笑)
考えてみれば、今はブログという形でそれが実現できてるんだなあ。

何かを好きで好きでたまらない気持ち。
ライブでも、鉄道でも、カメラでもいいんだ。
そういう熱いエネルギーに触れていたいといつも思う。
私の書く文章が、予備軍の人たちの熱い気持ちを呼び起こせるなら、こんなうれしいことはないよ。(^^)
でも、そうしたエネルギーに反応してくださる方がいるなら、その人もきっと、世の中に伝えたい何かを持っている人だと私は思う。

> パワーが落ちていると感じるのは、以前のまるみんと比べているからだね。
> 私に言わせると、まるみんのパワーは不足してなんていないよ。
> ちゃんと愛のパワーは伝わっている。
> 波動が細かくなっているだけかもしれないよ。
> 以前は大きな波動で揺れていることを感じやすかったのかもしれない。

ちゃんと伝わっているかな?
伝わっているならいいけれど。
エネルギーはね、自分で文章を綴るときに、はっきりわかるんだ。

以前は良く、泣きながら「ガンまる日記」を書いていたよ。
書いているうちに、感極まって泣いてたんだ。
日常生活でもそうだった。

先日も、ようこちゃんと、トイレ駆け込みの話をしたけれど、まさしくそんな感じ。
それが、だんだんと抜け殻のようになってしまってね。
エネルギーを消費し過ぎたのか、どこかに穴が開いてしまったのか、それはわからないけれど。

波動が細かくなっていたら、もっと他の人の言葉をこぼさずに拾えると思う。
最近の私は、誰かの言葉を拾おうとすると、ぽろぽろとこぼれて落ちて行ってしまっている感じだったよ。
でも、少しずつ回復して来ているのを感じる。

新たな始まりは、もうすぐだと感じている。

> 私は自分の波動が変化していると感じている。
> それは、グループワーク(えいりえちゃんの言葉を借りるね)のおかげだ。
> あいかわらず、硬い体と向き合いながらヨガをしながらも、
> その場の持つ気を静かに掴むことができるようになった。
> 完全にリラックスできるまではいかなくても、無が近くなってきていると
> 感じているよ。これから先に進めば、無をもっと遠く感じることになる。
> 近づくと、きっとその距離は遠く感じるようになるだろうと予想している。
> それでも、近づくんだ。

ヨガはいいねえ。
自分の身体に対して能動的に働きかける行為だから。

無から離れているときは無に向かおうとしていて、無に近づいているときは、無から離れることを目標としているのかな。

もっと酸素を多く取り込むような呼吸法に変えたほうがいいだろうと思っている私にも、きっと、ヨガはぴったりだと思うの。
ただ、私は受動的な鍼灸治療も受けているので、時間的にもどちらかに専念したい。
少しずつ、能動的なヨガのほうに切り替えることができたらいいのになあと思う。
そうなったら、てんちゃんとヨガの話もできるかな。

あっ、それと、グループワークという言葉を使ってくれたのは、鏡子さんじゃなかったっけ?

> ヨガでも、少しずつ変わるメンバーによって、気が違っているのも感じる。
> 場の気を変える人を除外するのではなく、
> そのエネルギーの動きを封印するわけでもなく
> コントロールしなくても気はよい方向に向いていく。
> 予想と外れることはあるけれど、それも悪くない方向に向く。
> そういうことをリアルとネットという場を通して、私は同時に学んでいる。
> けれど、どんなに力がある人でも、一人の気ではそういかないと感じる。
> 先生だけの気では足りない。少しずつ同じ波動に近づくものが存在すると
> どんどんそれが容易になることも感じている。
>
> 休む人が多い日に、先生と参加者の波動が重なる。
> そういう日に参加する人は、偶然と言う必然に導かれた人なんだよ。
> その感覚を覚えていくと、次に参加者が増えても、波動が変わっても
> その変化を楽しむことができる。

確かに、そこにいるメンバーによって、気は変わるね。
職場でもそうだよ。
プロジェクトに新しいメンバーが一人加わるだけで、雰囲気が全然異なって来る。

てんちゃんが、場の気を変える人の影響を受けないでいられるのも、自己を確立させている証拠だね。
私は、何かあると多分、揺れるだろうなあ。
でも、揺れたあとに、自分もその揺れに加わっていたことを知るかもしれない。

最近の私は、能動的になるべきところと、受身になるところを、意識的に切り替えることを実践しているんだ。
そうするとね、ものごとがうまく流れ出すことがわかって来た。
多分、これは、てんちゃんがヨガを通じて感じていることと似ているかもしれない。

> さまざまなものを、見たり触れたり読んだり体験したりしているけど
> それは、全て私の中で一つになる喜びを私は感じ始めている。
> まるみんの愛は、私という存在の中で混ざり合い溶け合いながら、
> 一つになっていく。

大きなものの流れの中に存在している自分を感じるよね。
途中で投げ出さずに受身のままでもうまく行ったときは、思わず「やったあ!」と叫びたくなるよ。

> この喜びが、人との出会いへの恐れをなくしてくれた。
> だから、私はこの掲示板に感謝を捧げる。
> その場を創ったまるみんや、ここに導いた大いなるものへの感謝を。

てんちゃん、本当にありがとう。
てんちゃんが、この掲示板や、ここでの出会いをどれだけ大切にしてくれているかがビンビン伝わって来るよ。
そのありがたさに、この素晴らしい出会いに、涙が出て来るね。
自分が大きなものの流れの中に組み込まれていることを知ると、他の存在に対しても感謝することができるようになるのだね。
てんちゃんは、みんなで一つを作っているということを、日々実感しながら生きている人だと感じる。

てんちゃんの言葉は、すべててんちゃん自身が体験し、身につけて来た本物の言葉だね。
てんちゃんが綴る言葉に対しては、そうした信頼と安心感がある。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。本日は、更新が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。オフィスでフロアの引っ越しがあり、てんてこまいでございました。ようやく片付いて、月曜日からは新しい席でお仕事です。(^^)

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2006.06.21

ブログのコメント欄に関する考察

 「ガンまる日記」を書き始めた頃から、ブログのコメント機能はOFFに設定させていただいている。私には、ブログを書き始める前から、ホームページでの活動があった。ホームページの掲示板の返信もままならない状態なのに、ブログのコメントを受け入れるわけには行かないと判断したわけである。毎日綴ると決めて書き始めたブログのため、コメントの返信が追いつかなくなるであろうと予想したのだ。もしも私が発信して行くことに対して、何らかの反応を返してくださる方がいらっしゃるならば、ホームページの掲示板を訪ねてくださるだろうという想いもあった。私は、掲示板による交流方法がとても気に入っていたので、ブログのコメント欄だけでは、思うような交流が実現できないと感じていたのだ。

 というのも、私自身、ブログを書き始めてから二年以上経ち、ブログを書く者同士の交流もいくつか経験して来た。そうした交流の中で、いつも不便に思ってしまうのが、そのブログの管理者からいただいたコメントへの更なる返信を書くということと、ブログ欄のコメントには文字数の制限があり、思うようには綴れないということだ。

 ブログの記事とセットになっているブログのコメント欄は、そのブログの管理者からいただいたコメントに対し、更なる返信を書くようにはできていないと思う。何故なら、新しい記事が書き込まれてしまうと、いつまでも過去の記事の内容を引きずってはいけないような気持ちになってしまうからだ。

 また、ブログの管理人の綴る大きな記事に対し、コメント欄には文字数の制限がある。大きな記事を飲み込んだ感想を書き込むには、あまりにも小さいのである。コメント欄の許容エリアが小さいとなると、できるだけ簡潔に収まるようにコメントを書いてしまう。そこで行われるのは、コミュニケーションの省略だ。

 省略されたコミュニケーションで必要となるのは、行間を埋めて行く能力である。しかし、能力と言っても、同じ価値観を持っているか、同じような経験を持っているかでなければ、行間は埋まりにくい。実は、こうした背景からコメントを簡略化してしまったせいで、月見想のりえちゃんのブログに書かせていただいたコメントが波紋を呼んでいるようだ。

 私は先日、りえちゃんのぐるぐるめぐるという記事の中で、

凹む気持ちもわかる。
りえちゃんは、自分で探したいんだよね、きっと。

私は、りえちゃんが本当は何を望んでいるのかがわからない。

望んでいるのは、子供?
それとも、結婚相手?
それとも、心から愛する人?

と書かせていただいた。りえちゃんは私のコメントを読んだとき、すべてを望んではいけないのかと思い、戸惑ってしまったらしい。同じく、私が書き込んだ上記のコメントの内容に関して、フニさんもコメントをくださったのだが、「こういうことに優先順位をつけるべきものなの?」とフニさんに驚かれてしまった。普段から、男女の愛がもっとも大切だと公言している私が、子供を産むことや結婚相手を探すことが、男女の愛よりも優先順位の低いものだと考えているのではないかというご指摘だった。

 ああ、違うのだ。私がこれを書いたのは、りえちゃんのぐるぐるめぐるという記事を読ませていただいたときに、子供を産むということが、りえちゃんにとって最大の目的であり、結婚相手に出会うことや、愛する人に出会うことが、あたかも手段であるかのように思えてしまったからだ。何故なら、その記事には、子供を産むことに対する制限が、真っ先に綴られていたからだ。更には、ある年齢を越えてしまえば、それほど強く結婚を望まないという記述が、ますます私をそちらに傾かせたのである。

 子供のいない私でも、愛する人の子供が欲しいという気持ちはわかっているつもりだ。子供とは、愛し合う男女が愛を拡大する方法の一つであり、愛し合う男女のもとに生まれて来る存在だと思っている。だから、まるでニワトリが先か卵が先かという課題のようだが、男女が愛し合うということがまず第一歩なのだ。その第一歩とは、優先順位ではなく、男女が愛し合うという原因があって、子供が生まれるという結果があるという原因と結果の順序に基づいているのだ。

 だから、後日、綴られたりえちゃんの待つという記事の中で、お見合いの話を断ったりえちゃんの記事を読んで、りえちゃんと私の間には、それほどギャップがないと悟ったのだった。

 しかし、このように感じたことを、ブログのコメントの小さな枠の中で表現することはとても難しい。価値観や経験が違えば、なおさら多くの説明が必要なはずなのに、文字数の制限を意識してしまい、そうした背景を省略して書き込むと、このように、周りから誤解されることになってしまう。こういうときに、「言葉だけのコミュニケーション」という表現が生まれるのだろうか。確かに、価値観や経験が異なれば、共有できるものがない分、言葉だけのコミュニケーションになりがちだ。お互いの向いている方向が異なっている場合、誤解を招かないように、自分の見ているものを一生懸命説明するには、ブログのコメント欄だけではとても足りない。となると、次々に新しい記事が書き込まれ、更なるコメントを書き込むことに対して躊躇してしまうブログのコメント欄は、価値観や経験が似ている人たち向けのツールなのかもしれないと思う。

 価値観や経験の違う人とのコミュニケーションでは、省略は禁物だということが、今回の経験を通して良くわかった。少ない情報の中で引き出されるのは、既に自分の中にある価値観なのだ。新しいものが入って来るほどの情報を、私自身が与えなかったということだ。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。この課題に関しては、まだまだ書き足りないこともあるのですが、いずれ、まとまったら記事にしたいと思います。きのうの記事を受けて、ななちゃんがコメントを書いてくれて、お互いに向き合って、行間を埋めることの大切さを思い知らされました。(苦笑)

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2006.06.20

沈黙に関する考察

 さて、今日は引き続き、掲示板に書き込んでくださったななちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。ななちゃん、お待たせ!

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■No1518に返信(ななこさんの記事)

ななちゃんへ

コメントどうもありがとう。

> まるみんへ
>
>
> 私はね、昨日のガンまる日記、
> 「やっぱり・・・」というのが、正直な感想。
>
> いつの頃からか、どことなく感じてたよ。
> ようこちゃんの書き込みがあった頃・・・よりも前からかな。

そうか、それとなく感じ取ってくれていたんだね。

> 日記の内容と同じようなことを感じてはいても、
> これに関しての書き込みはできなかったんだな。
> だってここは、まるみんのHP・掲示板だもの。

ええっ?
ななちゃんも、私と同じようなことを感じていたの?

だけど、わからないのは、
「 だってここは、まるみんのHP・掲示板だもの。」
という表現。
これは、どういうふうにとらえたらいいの?
私のHP・掲示板だから、どんな展開になろうとも私の問題なので、私に一任されていたということ?

> それプラス・・・
> まるみんの求める愛、話したい愛が分かっていても、
> 今は、語れるものを持ってないから、書き込めないし。

私の求める愛、話したい愛って、ななちゃんから見ると、どんなふうに映ってたんだろう?
ななちゃんがそれを持っていないとなると、ますます気になるなあ。
それでもななちゃんが、私のサイトから離れないでいてくれたことが有り難いよ。

> それに、自分がパワー不足では、書き込めないのよね。
> 言葉がでないんだもの。
>
> こぅ書き込みを控えることが、
> これまた、まるみんを寂しくさせてしまうのかな!?
> というのも感じてたんだけど・・・

ああ、これね。
冷静になって考えてみると、私自身にも同じことが起こってたんだよね。

私もパワー不足のために、掲示板の返信がなかなかできなかった。
それなのに、他の人がパワー不足不足だったり、黙っていたことを寂しく思っていた。
これって、変じゃない?

私の感じていた寂しさは、他の人たちの寂しさとイコールだったんじゃないかって思えて来たんだ。
掲示板に書き込みをしてくださっても、なかなか返信できずに放置してしまったコメントがたくさんある。
それらのコメントを私が書き込んだとしたら、どうだろう。
皆さんほど、根気強くは関われないかもしれないと思う。
もしかしたら、自分の書き込んだコメントに返信がなかったら、そのホームページを訪問するのさえやめてしまうかもしれない。
だけど、例え私がコメントを書けなくても、他の方たちが一生懸命コメントを書いてくださったから、こうして掲示板での交流が活発に続いてるんだよね。
そんな有り難い状況だったのに、私は孤独を感じてしまっていたんだということがわかった。

自分が孤独になるということは、同時に、誰かを孤独にさせてしまっているということなんだね。

だけど、本当に言葉が出て来ないとき、私たちはどうすればいいんだろう。
以前、mikiさんが、「せめて新しく来られた方たちには、優先的に何か一言コメントしてください」なんて書いてくれたことがあったけど、
交流が深まって来ている人を後回しにしてしまうのに、新しい人はどんどん受け入れる姿勢でいるのはどうかと思ったりもする。
いやあ、困ったねえ。(苦笑)

私の場合、以前は、言葉が出て来ないときは、
「言葉が出て来ないからちょっと待っててね」
なんて書き込みをしていたこともあった。
それが、過去に私が立ち上げた「皆さんへ」というトピックだと思う。
でも、そういう書き込みで新たな発信をすると、今度はそれに対してコメントを書いてくださる方もいる。
そうなると、そのコメントも無視できなくなる。
例えは悪いけれど、まるでサラ金みたいに、返信すべきコメントがどんどん増えて行くことになるんだよね。

となると、やはり、パワー不足のときは、ひたすら黙るしかないか。(苦笑)
それでいいんだろうな、本当は。
例え長い沈黙があっても、パワーが復活すれば、再び交流できるという信頼を作り上げることが大切なんじゃないかな。
そのためには、双方向の関係を築いて行くことが大前提だと思うけど。
一方向だと思うから、孤独を感じてしまうのかな、と思う。

> でも、文字が主体の交流だと、
> 書かなければ、居ないと同じなんだよね・・・う~ん、難しい。

リアルの世界では、表情が見えるからね。
あ、今、機嫌悪そうとか、疲れてそうだなとか、忙しそうにしてるなあとか。

> と、ストレートに書いたけど、
> こんな感じで見守ることしかできなかった、です。

どうもありがとうね。
りさちゃんのコメントにもあったけど、見守るという姿勢もあるのだね。
今回のことで、私も、いろいろ気づくきっかけを与えてもらったよ。
沈黙が怖いというのは、私のテーマでもあるし。(苦笑)
私自身も、沈黙を創り出していることもあったのにね。
自分のしていることは、誰かが鏡になってくれないとわからないのかもしれないな。

このあとに交わされた、てんちゃんとの対話も読ませてもらったよ。
私の時間が追いつけば、混ざらせてね。(^^)

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ななちゃんは、ある時期、掲示板での対話がひやひやした展開になっても、それを乗り切ってくださった勇敢な人です。今になって思えば、あの対話が愛に包まれていたということなんですね。あのときも、信頼すれば良かったのに、私は気が短いのかもしれませんね。(苦笑)

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2006.06.19

身から出た錆

 今日は、掲示板に書き込んでくださったちーちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。

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■No1516に返信(ちひろさんの記事)

ちーちゃんへ

いつも暖かいコメントをどうもありがとう。

> >>まるみんへ
>
> おはよう。
> 昨日ね、ガンまる日記を読んで、なんだかとても寂しい気分だった。
>
> 私がここに来た頃は、ほんとにまるみんと密に関わることができていたね。
> いつも、ここでまるみんを感じていたよ。
>
> 本当に、楽しくて・・・。

うん、ごめんね。
ちーちゃんとは二〇〇一年からの付き合いだから、もう五年になるのかあ。
いつも私が掲示板の交流で挫折しそうになると、励ましてくれてたよね。
その度に、限界を超えられた気がする。
根気強く関わってくれて、本当に感謝しているよ。ありがとう。
おかげ様で、掲示板は立派に成長して来ている。
そして多分、成長し過ぎたんだな。(苦笑)

確かに、ちーちゃんと出会った頃は、一つ一つのコメントへの返信のサイクルも短くて、密な関わりを持つことができたよね。
あの頃は、「ガンまる日記」も書いていなかったし、私もかなりパワフルで、しばらく音沙汰がない人がいたら、逆に怒ったりしてた。(苦笑)
グループワークについても、その頃から積極的に取り組んで来たし、その流れがこちらの掲示板にも出て来たことは、喜ぶべきことなんだよね。

> 最近、言葉を失っているまるみんを想って、
> まるみんの孤独を感じたよ。

何だかねえ。
まるで、細胞の活動が停止してしまっているかのようだよ。
でも、こんなふうに私が停止していても、どんどん流れて行く時間がある。
それが、私には恐ろしい。
おおい、待ってくれよ。
その列車に私も乗りたかったんだよ。
という感じだ。

私の四〇年の人生の中で、一番私らしくない時期を過ごしているのかもしれない。
大殺界だからなのかな。
それとも、筋腫のせいなのか。
文月のふみの日に生まれて、書くことが本当に好きでたまらないはずなのに、書くエネルギーを失ってしまうなんてね。
まるで、地球の裏側を見ているようだ。

> まるみんの日記を読んで、掲示板とはまるで子供のようだなと思った。
>
> 最初、我が子は、私の乳を吸い私の瞳を覗き込み、私だけを求めていた。
> 少しずつ成長が進むと、母親の私はお友達が欲しくなった。
> で、私の選んだお母さんの子とたくさん遊ぶようになった。
>
> やがて、小学生にもなると子供は自分で友達を選び始める。
> 私がもし、この子はちょっと・・・と思っても、変えられない。
> 無理に変えたとしても、子供に傷を残す。
>
> 子供は自分の世界を創り始める。
> 引き合う物同士で。
> 母親である私でも、その世界へ足を踏み入れる事は出来ない。
> ただ、愛して、見つめて・・。
> 時々、どうしても方向が間違っていると感じる時には
> その世界を突破してでも子と私が対面しなくてはならない。
>
> きっと、まるみんも今、対面しているのだろうね。

なるほどね、掲示板は子供か。
だとすると、掲示板の管理者である私はちょっぴり母性の足りない母親で(笑)、子供たちはやがて巣立って行くことになるのかなあ?(苦笑)
それは、かなり寂しいことだよ。(苦笑)

いろいろな要因が重なって、この寂しさがやって来たのだと感じる。
まずは、私自身のパワー不足が一番の原因。
それに加えて、「ガンまる日記」を書き始めたこと。
でも、「ガンまる日記」は、毎日書くと決めて書いているブログなので、書くことを辞めたくない。
となると、やっぱり、掲示板のコメントは、なかなか書くことができない。

ああ、でも、そうした身から出た錆的な要因を、私は掲示板に書き込みをしてくださっている方たちのせいにしようとしてしまっていたよ。
公開モードでこの問題と向き合ってみて初めて気がついた。
そして、今は後悔している。
公開して後悔しているなんて、シャレを言ってる場合じゃないんだけど、自分の心の中を公開することは大きな収穫だった。
自分の身から出た錆だったんだよ。
それなのに、皆さんに申し訳ない。
皆さん、ごめんなさい。m(__)m

掲示板がここまで成長して来たのは、交流の方法が地道で確実だったからだと思うんだ。
引用レス式にこだわったことや、スレッドごとにトピックが分かれているので、クロストークが可能な掲示板であることも大きいと思う。
こうした掲示板の形式にこだわったことは正解だったと私は思う。
何故なら、これ以外の方法で交流すると、何となく物足りないのを感じてしまうから。(笑)

ただ、どこかの段階で、何かが過剰になり、同時に何かが欠如してしまったと感じる。
入って来るものと出て行くもののバランスが失われてしまったのかもしれないなあ。

> 本当に、まるみんはここにいない。
>
> ガンまる日記の中、日々の気づきの中
> 書き綴った思想の中にいる。

うん、確かに、しばらくここにいなかった。
時間だけがどんどん過ぎて行って、ずいぶんもがいてたなあ。
でも、今は違う。
私が本音を書かせてもらったことによって、皆さんが、この状況を受け入れてくださった。
その流れが素晴らしいと思う。
黙らなかったし、逃げなかったから。
これまで、掲示板を通じて感情を交わして来たことへのプレゼントだと思ったよ。
感情を交わしていないと、なかなかこうは行かないものね。

皆さんが、状況を受け入れてくださったおかげで、これまで投稿できなかったはずの私も、こうして書けるようになった。
ただ、掲示板の流れを変えてしまったことに関しては、少し申し訳ない気持ちがあるかな。(苦笑)

これまでもそうだったけれど、掲示板にはいつも、何らかの流れがある。
でも、突発的な書き込みが、この流れを変えてしまうんだよね。
そうなると、これまでの流れが中途半端な状態で途切れてしまう。
途切れたスレッドでも、てんちゃんが発掘してくれたりするけれど、たいていの場合は、過去のものになって、埋もれてしまう。
これまでも、こういう問題点も抱えていたんだよなあ。

> 私はね、いつもまるみんとガンモさんの愛に感動しては
> 主人に話しているんだよ。
>
> それは前から変わらない。
> 駅のホームで涙する二人。
> 心いっぱいにお互いがいる二人。
> 愛に素直な二人。
>
> ここにはまるみんがいない。
>
> でも、私の中には、まるみんとガンモさんがいる。
> それは確かなことだよ。

どうもありがとう。
何だかちーちゃんにそう言ってもらえると、元気が出て来るよ。
以前、非公開掲示板でも話していたよね。
ソウルメイトにはツインソウルの要素を、ツインソウルにはソウルメイトの要素を取り込もうって。
私も、ツインソウルの要素をガンモとの関係に取り込もうと、いつもじゃないけど、意識していたよ。
だから、三朝温泉に一人で湯治に行けたのかもしれないな。実際は、ものすごく寂しかったけど。

ツインソウルと根気強く関わっている人たちの発言には、いつもはっとさせられるよ。
陽であろうと、陰であろうと、みんな、どこか似たものを持ち合わせているのが不思議だよね。
ツインソウルの学びを選択している人たちはみんな、呼応し合っているように思える。

いろいろな男女の愛を取り込める掲示板でありたいなあと思う。
男女の愛のはなしが好きで好きでたまらなくてね。
職場の飲み会の席でも、男女の愛のはなしをしたいくらいなんだ。
でも、私の職場ではそれが実現できない。
だから、自分のホームページで語り合うのが楽しみなんだ。
熱くて熱くて、汗が出て来るような男女の愛のはなしをしたい。

根本的な解決にはならないけれど、見えて来たものがたくさんあるということを伝えておきたかった。

このあとも、いくつかコメントをいただいているけれど、今日はこのコメントにだけ書かせてもらったよ。
この問題に、一緒に向き合ってくれてありがとうね。
本当に感謝している。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 最近、更新が遅れて申し訳ありません。それなのに、クリックしてくださっている方たちがいらっしゃるようです。とても感謝しています。本当にありがとう。

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2006.06.18

ライブを通して受け取ったメッセージ

 掲示板のお返事を・・・・・・などと思いつつも、二日目のライブで体験した気づきをここに書き残しておきたい。

 二十数年に渡って、私がそのアーチストのライブに通い続けているのは、皆さん、既にご存知のことと思う。彼らと出会ったおかげで、たくさんの友人たちとも出会った。不思議なご縁なのだが、関西のライブに一緒に足を運んでいる人たちは、十年前に私が派遣された職場の隣の部署にいらっしゃる部長さんの奥さまとそのお友達だ。その派遣先で私がそのアーチストのことを好きだと話したところ、隣の部署に派遣されていた派遣仲間の女性が、その部長さんを紹介してくださり、奥さまとの橋渡しになってくださったのだ。数日後、その部長さんからの手渡しで、奥さまからの手書きのお手紙を受け取ったことにより、交流が始まり、現在に至る。

 たくさんの友人たちと巡り合わせてくれた彼らだが、その中でも、私と同じように二十数年に渡って彼らのライブに通い続けている友人たちの存在は大変貴重である。彼女たちとは、同じ熱いときを一緒に過ごして来た仲間だからだ。

 会場に着いたとき、そんな古い友人の一人に出会った。彼女は、携帯電話で話しをしていたが、私の姿を見るなり、
「あっ、ちょっと待って」
と言って、電話を中断してくれた。彼女と再会できたのはうれしかったが、せっかくの電話を中断してもらうのは申し訳なかった。私は、少しだけ彼女と話をして、後ろ髪が引かれる思いで彼女の前を通り過ぎた。

 ライブが終わってから、彼女からメールをもらった。私は、もう少し話したかったのに、気後れして去ってしまったと書いた。彼女は、席についたときにも私の姿を見つけてくれたらしい。そのメールを読みながら、「携帯電話で話をしている最中に、知っている誰かの前を通り過ぎる」という行為について考えていた。彼女の姿を見つけた私は彼女に手を振った。そのとき私は、彼女も私に手を振り返してくれるだけで充分だと思っていたようだ。しかし、彼女はわざわざ電話を中断し、私に話し掛けてくれた。彼女が電話を終えるのを何となく待って、そのあと、少し話せば良かったのに、私はさっさとその場を離れてしまったのだ。そのことを後悔していたので、彼女からメールをもらってうれしかった。それにしても、私はつくづく消極的だなあと思う。いつの間にか、受身であることが板についていた。

 さて、肝心のライブだが、二日目も四列目の席だった。前日とは反対側の席だ。その場所は、グループの中で一番人気の高いメンバーが立つ位置でもある。私が好きなメンバーは、一番人気のメンバーではない。しかし、一番人気のメンバーの持つ精神世界は好きだ。実現できるかどうかは別にして、いつか、一番人気のメンバーとじっくり話しをしてみたいと思っている。

 そんな彼が、MCでこんなことを言った。
「初めて○○○(バンド名)のライブを観た人に、良く言われることがあります。『○○○って凄いですよねえ。観客が』」
会場から、どっと笑いが起こる。彼の話では、初めて彼らのライブを観る人にとって、会場の一体感とエネルギーが、とにかく凄いらしい。何度も何度もライブに通っているはずの人たちが、拳を振り上げるエネルギーに目をむくらしいのだ。確かに、初めて彼らのライブを観た人の中には、
「あれは一種の新興宗教だ」
と表現する人も居る。そのエネルギーの中に溶け込むことができた人は、同じように熱く染まって行くし、溶け込めなければ、自らの居場所とは違うと感じてしまうらしい。

 一番人気のメンバーは、その話をしながら、自分たちの音楽が凄いわけではなく、観客が凄いと言われたことに対し、多少ずっこけていた。しかし、あとになって、
それは、僕らと観客が一体になっている証拠です
と言いなおした。

 私は、この話をホームページと掲示板の話に置き換えてみた。ホームページがアルバムCDなら、更新のサイクルが短いブログはシングルCDといったところだろうか。
「まるみさんのホームページって凄いですよね。掲示板が
確かに、誰かにこのようなことを言われたとしたら、ずっこける。それでも彼らは、どんな観客も受け入れている。ライブに足を運んではいるが、CDを買っていないファンのことも、CDを買って、歌詞までちゃんと覚えているファンのことも。ちなみに、いくら不良ファンの私だって、ちゃんとCDは買っている。

 更に私は、彼らの一体何が好きなのだろうと考えていた。音楽なのか、それとも人間性なのか。ずっと以前から考え続けていたことではあるのだが。

 一言で言って、彼らの音楽は難しい。何でそんなに曲が変わる度にギターを取り替える必要があるのか、私にはわからない。時にはチューニングの違う、ダブル・ネック、トリプル・ネックのギターを使うこともある(ネックが枝分かれしている)。何でそんな重いギターを使って演奏するの? と思う。そもそも、何でそんな変なリズムにこだわるの? と思う。アマチュアにコピーさせないように、わざと難しい音楽をやっているとしか思えないのだ。

 それでも、彼らは単にそういう演奏がしたいのだと思う。音に対するこだわりを実現させるために、自らの思い描く音を鳴らす方法を試行錯誤し続けて来たのだと思う。ライブ会場に積み上げられたいくつものスピーカーから流れる音は、どんなアーチストも真似できないほどの重圧感がある。私の耳は、すっかりそれに慣れてしまっている。だから、他のアーチストのライブに足を運ぶと、音が細くて物足りないと感じてしまう。

 今ならはっきり言える。間違いなく、私は彼らの人間性が好きなのだ。人間性を受け入れているから、多少難しくても、彼らの音楽に耳を傾けている。ライブにも足繁く通っている。おそらく、多くのファンがそうなのだ。そのことを、彼ら自身も理解しているはずだ。その証拠に、彼らは、
「この曲をこのギターで弾きたくなる俺のこだわりがわかるか?」
などと、観客に問い掛けたりしない。

 そうした暗黙の了解が、彼らのライブにはある。ライブで観客が物凄いパワーを見せつけるのは、多くのファンが、彼らの人間性に惹かれているからだ。活動期間の長い外タレなど、人間性よりも音楽性に惹かれていると思われるアーチストのライブにも何度か足を運んだことがあるが、観客のパワーが凄いと感じられるようなエネルギッシュなライブにはならない。音楽性に強く惹かれている場合、観客の反応がおとなしく、会場がなかなか一つにはまとまらないものだ。

 私は、掲示板で、
「まるみんのことが好きだから、このホームページに通っている」
と書いてくださった人たちのことを思い出していた。そうか。それだけで良かったのだ。何故なら、私も彼女たちのことが大好きだからだ。私だって、アーチストの人間性に惹かれてはいても、彼らの作品を細かく堪能しているわけではない。それでも彼らが私を受け入れてくれるのだから、私もホームページを訪れてくださる人を受け入れよう。ただ、近い、遠いという感覚は残してもいいのではないか。

 どうやら私は、ホームページを訪れてくださるすべての人たちと近い存在で居たかったようだ。しかし、近い人も遠い人も居ていいのかもしれない。きっと、遠い人は、私のホームページに長居することはできないだろう。丸い地球をメルカトル図法で描く地図のように、中心から遠い部分には歪みが出る。歪みの部分は、正しく投影された地図ではないからだ。遠い人は、自分自身が正しく投影されないことが、次第に苦痛になって行くのではないだろうか。

 ライブという手段を使って、私にこれだけのヒントを与えてくれる彼らの存在は、いつまで経っても大きい。こんなふうに、ありとあらゆることはリンクしているのに、普段、私たちが気づかないだけなのかもしれない。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この記事は、明日書かせていただく予定のちーちゃんへのコメントの返信のプロローグとなるかもしれません。できるだけポジティヴなコメントを書けるように、ライブを通して受け取ったメッセージをおさらいしておこうと思います。

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2006.06.17

終わりと始まり

 好きなアーチストの半年振りのライブだった。結婚十周年の翌日に、ガンモと二人で出掛けて行った。席は、前から四列目。とても良く見える。

 バンドメンバーを一人一人観察していると、いつもドラムを叩いていたはずのメンバーが居なくなっていることに気がついた。私が観ているアーチストのドラムはツイン・ドラムなので、ドラム担当が二人居る。しかし、どう見ても、いつも叩いていたメンバーとは違うのだ。力強い音を出してはいるが、スコアを見ながら一生懸命叩いているようだ。長年叩いていた以前のメンバーなら、この曲はスコアを見なくても叩けるはず。彼は一体誰なのだ? そして、これまで叩いていたメンバーはどうしてしまったのだろう?

 そんなことを思いながら、私の中には軽い衝撃が走っていた。そして、ずっと以前にも同じようなことがあったことを思い出した。

 私が応援しているアーチストは、ある時期までは、キーボードとドラムが一人ずつのバンド構成だった。しかし、キーボードを担当していたメンバーが脱退し、別のメンバーを迎えることになった。新しいキーボード担当のメンバーは、楽譜通りの音を鳴らす人だった。しかし、その楽曲を自分のものにし、魂を込めてキーを叩くようなタイプではなかったと思う。そうこうしているうちに、以前のキーボード担当がバンドに戻って来ることになった。そのとき、キーボード担当が二人になったのだ。しかし、何となく、その構成ではうまく行かないのがわかっていた。それから間もなくして、あとから入って来たキーボード担当は、そのバンドを脱退して行った。

 バンドがツイン・ドラムの構成に切り替わったのは、今から数年前のことだったろうか。従来からいるドラム担当に加え、新たなドラム担当が加わったのだ。もしかすると、この流れが、従来からいたドラム担当の居心地を悪くしてしまったのではないかと思う。

 これまで一人で担当していたものを二人で分け合うことになるということ。そこで生まれるのは、プロとしての屈辱心だったかもしれない。私も自分自身の仕事に置き換えてみると、プロとしての屈辱を感じてしまうだろう。同じ仕事の担当を増やすということは、それまでその役割を担当していた者にとっては、拡大とは思えないものだ。拡大とは思えないから、自分を百パーセント必要としてくれるところに移り、自分を生かしたいと思うようになっても仕方のないことだろうと思う。このように、一つの役割を二人で分け合えない場合もあるのだ。

 そんな軽い衝撃のために、何となくライブに集中できなかった。メンバー紹介でも、彼の脱退のことについては何も触れられず、今回のツアーから新しいメンバーが加わったことだけが語られた。新しいメンバーの居る前で、去って行った人のことを惜しむようなしんみりした発言は、ライブの最中には控えるべきだと思われているのだろうか。確か、キーボードのメンバーが脱退したときも同じような流れだった。私はそのとき、ひどくがっかりしたのを覚えている。終わりがなくて、始まりだけがある。そんな感じなのだ。新しいメンバーの前で、一つの終わりを示してこそ、正々堂々とした新たな始まりがあるのではないだろうか。この点に関しては、どんなに好きなアーチストであっても、終わりを隠さずに、もっと公明正大にやろうよ、と言いたくなってしまう。

 帰宅してから、インターネットで検索してみると、ドラム担当の脱退は、去年のうちに発表されていたらしい。不良ファンの私が知らなかっただけだった。それでも、ライブで何か一言言って欲しかった。そういう方法で、彼らの感情に触れたかった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。信頼感とは、ネガティヴな感情を隠さないことで生まれて来るような気がしてなりません。

※この記事には、後日談があります。
事実の前を素通りする

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2006.06.16

結婚十周年

 六月十六日は、私たちの十回目の結婚記念日だ。普段と同じように仕事に出掛け、普段と同じようにガンモと一緒に帰宅した。ガンモと二人でご飯を食べながらお祝いしたかったのだが、ガンモの仕事が忙しいと言うので、私一人でご飯を食べた。そろそろ帰宅しようと思っているところへ、ようやく仕事を上がれるとガンモから連絡が入ったので、途中の駅で待ち合わせて一緒に帰った。結婚十周年でも、いつもと変わりない時間が流れていた。

 ガンモと私は、パソコン通信の電子会議室で出会い、最初から妙に気が合っていた。台風の日に行われたオフ会で初めて顔を合わせた私たちだが、ずっと昔から知っているような親しさがあった。オフ会のあとも、電子メールでやりとりをするわけでもなく、ただひたすら電子会議室で話を続けていた。お互いに、いつまでも話をしていたいような、そんな存在だった。その頃から私たちは、知らず知らずのうちに引き合っていたのだ。

 私たちは、パソコン通信の仲間たちに見守られながら、何となく、何となくお互いの距離を縮めて行った。中には、私たちがまだ付き合う前から、もう付き合っていると思っていた人たちも居たようだった。しかし、電子会議室でやりとりをしながらも、どこか素直になり切れない状態が続いていた。それが、神戸で開催されたオフ会をきっかけに、ドッカーンと爆発したのだ。三連休を利用して参加したガンモの主催する神戸オフ。私は、わざわざ東京からそのオフ会に参加した。三連休の間、毎日のようにガンモと会ったが、三日目だけは会わずに東京に帰った。そのあとの、心にぽっかりと穴が開いたような寂しい気持ちを今でも忘れない。私たちは、二人で一緒に居ることの心地良さを知ってしまったのだ。初めて自分の気持ちに素直になったとき、涙が吹き出した。私たちは、お互いに泣きながらメールを書いていたのだ。

 私たちが結婚すると電子会議室に報告したとき、パソコン通信の仲間たちが、ブライダルオフを企画してくれた。そのとき、私たちがこだわっていたハーフサイズのカメラ、キヤノンデミを描いたケーキをわざわざ注文してくれたのだ。私たちは、ブライダルオフにパジャマ姿で登場し、パソコン通信の仲間たちの前でデミケーキをカットした。

 今でも、その頃の仲間たちとは細々と交流がある。彼らはもう、ネットの仲間ではなく、リアルの仲間たちに移行している。私たちがこだわったハーフサイズのカメラ、キヤノンデミは、三十五ミリフルサイズを半分にカットして撮影できるカメラだ。二十四枚撮りのフフィルムなら、四十八枚撮れる。三十六枚撮りのフィルムなら七十二枚撮れる。私たちは、キヤノンデミを愛する「デミーズ」という団体を主催していた。だから、子供が生まれたらデミと名付けようなどと言っていた。

 あれから十年。私たちは、ハーフサイズカメラのように、一つのものを半分こする夫婦になっていた。一つのシングルベッドで眠り、一つのお椀で味噌汁をすすり、一つの歯ブラシで歯を磨き、喜びも悲しみもお互いに分かち合って来た。きっとこれからも、いろいろなものを分かち合いながら、これまでと変わらない日々を過ごして行くのだろう。

 男女が密に関わること、同じ時間を過ごすことの楽しさを教えてくれたガンモ。一緒にライブに足を運び、鉄道乗り潰しの旅に出掛け、本当に多くの時間を一緒に過ごして来た。ガンモ、これからも変わらずにずっとよろしく。それから、これまで私たちを見守ってくださった皆さん、どうもありがとう。これからもガンまるをよろしく!

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。今日は、掲示板のコメントを少しお休みして、十周年の想いを綴ってみました。

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2006.06.15

面と接点

 今日は、てんちゃんへのコメントを書かせていただこうと思う。てんちゃん、コメントをありがとう。いくつかコメントをいただいているのだけれど、初めに書き込んでくださったコメントに返信させてね。

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■No1515に返信(てんてんさんの記事)

てんちゃんへ

ここ二、三日、カラオケのマイクをずっと自分一人で握っているような感じだよ。
しかも、私が予約した曲をすべて歌い終わるまで、皆さんがじっと待ってくださっている。
これが、私の望んだ管理人のカラーを出すということなんだろうか。

カラオケのときは、誰がマイクを握っていようとも(例えそれが部長であっても)、順番待ちをしている人たちは、次に自分が何を歌うか、必死になって探し回ってるんじゃなかったっけ。

何だか私ののろのろペースに皆さんを巻き込んでしまっていることが申し訳ないような気持ちだ。
そう言えば、以前、皆さんがこうして待ってくださっている頃、私は良く謝っていたなあ。
どうぞどうぞ皆さん、管理人はこっちで好きなことやってますから、皆さんでくつろいで行ってくださいと言いたくなる。
何だか変だよ。
今の私は独裁者のようだ。先日までの状態が早くも恋しい。

> まるみんへ
>
> 何から書き出そうかなあ。(苦笑)
> ここに来てからもう1年がたった。

そうか、もう一年経ったんだ。
一周年おめでとう、だね。(^^)

てんちゃんは確か、別の場所で私のホームページを紹介してくださったmikiさんの書き込みに導かれたんだよなあ。
実に不思議なご縁だ。

mikiさんは、今でもときどきメールで近況を知らせてくれている。
mikiさんと交流されて来た方たちのためにお知らせしておくと、mikiさんのお父さんとお母さんが、一ヶ月くらい、アメリカのmikiさんのところで滞在されたらしい。
これまでのmikiさんの書き込みから判断すると、神戸の震災以来、お父さんとお母さんの夫婦仲は、あまりよろしくなかったはず。
そのお二人が、一緒にアメリカに渡れるなんて、奇跡が起こったんだね。

> 私はまるみんのパワー不足状態で出会ったんだ。

いつか、私のパワーが全開のときを見て欲しいなあ。

> 私の人生を振り返ると、そういう人に私は引き寄せられている。
> そして、流れを変えてしまう。
> その流れが予測つかない方向らしいの。
> そして、転機を与えてしまう。。。
> 私の中の宇宙がそれを引き起こしていく。

私は車の免許を持っていないから良くわからないけど、車を運転しているときに、まっすぐ走らずに、急に曲がり角を曲がるのと似ているのかもしれないね。
ハンドルを握っている運転手は、このまままっすぐ走るつもりでいるんだけど、助手席に座っている人が突然、
「さっきのドライブインで忘れ物したから、そこ右に曲がって!」
と叫ぶ。
てんちゃんは、自分のことをそんなふうに表現したかったのかな?

> 起こるべくして起こったこのことの意味を
> 私はたぶん知っている。

同じ車に乗車した時点で、運命共同体なんだろうなあ、きっと。

> 私は速度を速める存在なんだよ。
> 急激に出会った人を加速させていく。
> 目が回るように・・・。

おそらくだけど、人と人の繋がり方には、少なくとも二通りの方法があるんだろうね。
一つは、面で繋がる方法。そして、もう一つは、接点で繋がる方法。

面で繋がる方法は、共感ベースになるのかな。
一つの車に乗ってドライブするにしても、急なカーブを曲がることなく、ひたすらまっすぐに進んで行く。
カーブを曲がることがあっても、それはお互いの同意のもとで行われる。
また、移動するにしても、面での移動になるから、時間もかかる。
だから、変化のペースはゆっくりで、時間や空間を共有する繋がりになる。

接点で繋がる方法は、ポイントだけを押さえた交流になる。
面で繋がらない多くの部分を、お互いの自由意思で埋め合わせて行く。
自由意思で埋め合わせる部分をどれだけ省略できるかによって、時にはぴったりフィットしたり、反対に、接触不良が起こったりするのかも。
また、面と違って、接点の繋がりは、フットワークが軽い分、短時間での移動も可能なのかも。
そして、関わることで、お互いに変化するきっかけを与え合うんじゃないのかな。

てんちゃんは、接点で繋がる方法が得意なのかもしれないね。
私は、どちらかというと面だと思う。

> 昔出会った人は、私に怒りをぶつけた。
> 精神世界の達人は、彼女もあなたにあって学んでいる と言った。
> そのときの私は泣くだけだった。

その人とてんちゃんは、今でも交流があるの?
もしあるのなら、怒りをぶつけてもらったことは、関係を存続させる上で、とても素晴らしい。
もしないなら、それがきっかけて交流が途絶えてしまったの?
そうだとしたら、お互いの中に、何か達成されない想いが残ってるだろうな。
その想いがきっと、二人に再会のチャンスを与える。

> 繰り返すループの中に変化した私がいる。

うん、少しずつ変化しながらの繰り返しなんだね。

私の中にもループがあったよ。
これまでにも、掲示板での交流に関しては、何度も何度も壁にぶつかって来た。
多分、いつまで経っても、見えないものが恐ろしいんだろなあ。
ツインソウルとのトンネルが開通したとき、目に見えないもの、言葉で表現されないものを克服できたと過信していたけれど、まだまだ無関心との区別がつかなくなることが多い。
目に見えないもの、表現されないものは、失ってみないとわからないみたいだ。
大切な言葉は、蛍光塗料で塗られているのかもしれないな。

> 泣いていた私は、自分の存在を否定し、家から一歩を出なく生活をした。
> 何もできない生活をした。
> 夫は家を出て別居し、食べさせる子供のために、ピザを取った。
> かろうじて外食できるときは、同じ店にいかないように噂にならないように
> 気をつけた。そんな中でお金を得るために働き始めた。
> ストレスで胃がよじれそうだった。家ではいつも横になっていて
> 子供の相手をしてあげた記憶は、その頃一切無い。
> 家中が汚くて、物がどこにあるのか分からなくなり、その度に探し回って
> 疲れ果てて・・・。自己否定はそんな時を私に与えた。

完全に光を失ってしまうという、正真正銘の孤独だね。
私が感じていた孤独なんかとは、比べものにならない。
まるで申し合わせたかのように、いろいろな出来事が、いっぺんにてんちゃんに降りかかったんだね。

> 私は自分の存在を否定しない。
> 私はそういう存在なのだと・・今は理解できている。
>
> こういう孤独もあるだと、今の私は理解できる。
> それでも、私でしかいられない。それがこの世での私の役割だから。

ああ、今のてんちゃんがここにあることが奇跡だよ。
人生、何が起こるかわからない。
どんな曲がり角を曲がるかわからない。
孤独を感じていた先に、てんちゃんが、光の差すほうの曲がり角を曲がって良かった。
本当にそう思うよ。

本物の孤独を知っているてんちゃんだからこそ、闇の中にいる人たちに向けて書いてくれているた言葉が、いつも本物なんだ。
私がコメントできないほどの経験をして来た人たちにまで、いつもコメントしてくれていることに感謝している。
本当にありがとう。

> まるみんが感じている孤独を思いながら、書き込みをしていた。
> 出会った期をどう感じていくか。。。。
> 思うとおりに行こうと決めた。言葉が生まれるままに行こうと。

うん。それで良かったんだよね。
私は、掲示板に対して望んでいることがちぐはぐだったよ。
掲示板に書き込みをしてくださる方たちと対等になりたいと思いながらも、対等であることに対し、孤独を感じていた。
それは、何かが過剰になって、何かが不足していたからなのか。
とにかく、軸が揺れて、バランスを崩していたんだね。

> 私はここに出会って、本当によかったと思っている。
> 本当によかったと感謝している。
> まるみんに孤独を導いたのは、私よ。
> さびしい思いをさせてごめんね。
>
> ここは、まるみんの創った場所で
> まるみんの魂が導いた場所だと私は思うよ。
>
> 愛している。

私も、てんちゃんと出会えて本当に良かった。
そして、ちーちゃんとてんちゃんがここで出会えて良かった。
てんちゃんの乗り越えて来たものを想うと、涙がどばーっと出て来て抱きしめたくなる。
面を使って抱きしめたくなるんだよ。
女性に言うのはとっても恥ずかしいけど、私もてんちゃんを愛しているんだ。
ああ、でも、恥ずかしいと思ううちは、愛じゃないのか。(^^;
でも、やっぱり恥ずかしい。(苦笑)

てんちゃん、本当にありがとう。
そして、これからもどうぞよろしく。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 掲示板の流れを止めてしまってごめんなさい。多対多の交流をどのような形で進めて行ったらいいのか、試行錯誤しています。その結果、今、自分が見ている世界をちょっとだけ広げてみるということを、それぞれの人たちが意識的にやってみるのはどうかと提案します。今まで、足元だけを見て歩いていたなら、数メートル先を見ながら歩いてみるのです。まずは、そんなとこから始めてみませんか。

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2006.06.14

Re: 旅の途中

 さて、今日は、先日、りさちゃんが書き込んでくださったコメントに返信させていただこうと思う。かなり長くなってしまったので、更新が遅くなってしまった。ごめんなさい。

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■No1506に返信(りささんの記事)

りさちゃんへ

こんにちは。改めてお久しぶり!

> お久しぶりです。
> りさです。
> なかなかここに書き込むことができない日々が続いていました。

うんうん。
そういう時期もあるよ。
単に右から左へと流して行くだけの言葉なら、いくらでも垂れ流すことができる。
でも、魂の想いと言葉を一致させた言葉を紡ぐには、エネルギーがみなぎった状態でないと、なかなか難しいよね。
特に、自分が発した言葉を受け取ってくださった方たちとの交流までも考えるとね。

調子がいいときは、魂の想いと言葉を一致させることも容易だし、言葉もさくさく出て来るんだけど。

> けれど最近、ツインソウルの彼との終着点と
> ソウルメイトの彼との出発点に、やっとたどり着けたんです。
>
> 6年という年月の中で、少しずつ積み上げてきた想いが形になりました。
> 前世という見方からすると500年以上も待っていたことになるのかな。
> 想念というのは強いなぁと思いました。
>
> 不思議な気分です。とても静かな境地に居ます。

そうだったのかあ。
以前の書き込みで、「新たな学びに突入しそう」と書いていたけれど、これが、その学びのことだったんだね。
ツインソウルの彼のコンサートが区切りになって、本格的な終わりと本格的な始まりがやって来たのかな。

> あとひとりだけ探して、待っている人が居ます。こどもです。
> わたしの今生での最後の仕事は、その子に出会うことだなぁと思います。

ああ、何だか私もその子の魂を感じる。
男の子だ!
(こんなこと書いていいのか?)
りさちゃん、前に身体の悩みを書いてくれていたけれど、克服できるといいね。
食べ物でも改善された例があるみたいだよ。

以前、「ガンまる日記」でも紹介させていただいたけれど、

食事で治す 前更年期症候群―細胞から元気になるクッキング

という本が参考になるかも。
りさちゃんはまだまだ若いけれど、タイトルに負けないで。(笑)

> 少しずつだけど、ここに居る皆さんとのやり取りを通して
> また新しい発見があるといいなと思います。
> まだ返信ができていないちひろさん、てんてんさん、まるみん
> ごめんなさい。
> マイペースで行きたいと思います。

返信のことは気にせずにね。
私もかなりマイペースだから。(笑)

と言いつつも、もう一つのコメントにも返信。

■No1513に返信(りささんの記事)

>>強いですね。(苦笑)
>> 強いです。同じことを繰り返しているようで、その繰り返しの中で
>> 少しずつ私が変化してきた。それでも、私はまだ形になりません。
>> 結婚ということや、一緒に暮らすことが形じゃないと感じています。
>> 何だろうなあ。この想いは・・・。
>
> 形ってなんなんでしょうね・・・わたしも自分で言っていてよくわからなくなってます。でも感覚的に言ってしまえば、あるべきところに収まるという感じかなぁ。
>
> 絵に描いたような幸せな結婚、なんてあるのかなぁと思う。
> 苦しみも悲しみも学びだから、きっとしぬときにはそれも愛しく思える気がする。

てんちゃんが言うと、妙に説得力があるよね。

形にこだわろうとすると、結婚や一緒に暮らすことに固執してしまうけれど、形にこだわらないでいると、結婚や一緒に暮らすこととは別のところで愛を感じることができる。
でも、ひとたび男女が愛し合うと、一緒に居たい気持ちが強くなるのは、ごく自然なこと。
その自然な想いが、結婚や一緒に暮らすという流れに繋がる。

私はね、これから先、子供を産んで育てるかどうかについて考えていたとき思ったの。
人生の学びとして、子供を産んで育てる学びも、子供を産まないで夫婦だけで暮らす学びも、最終的にはイコールにならないとおかしいんじゃないかってね。
イコールにならないのは、愛を欠如させたままの生き方を選択したときだと思うの。

結婚や一緒に暮らすということに関しても、愛に溢れた選択であることが第一だよね。
愛に溢れた選択であれば、どっちもアリなんだと思う。
それが多分、地球が丸いということに繋がっている。

>>大きな波に揺られながらも、泣きながらも、淡々と過ごしています。
>>繰り返しの中に身を置きながら、耐えるでもなく、抗うでもなく
>>時を待っています。何を待っているのか、自分でもよく分からないのです。
>>心が開放されるのを待っています。
>>苦しみが解き放たれるのを待っています。
>>
>>それは、この世で終わるかどうか私には分からないです。
>>手放すものが、たくさんありすぎます。すぐに重くなって、一休みしちゃう。(笑)
>
> 素敵だな。てんてんさんにはきっと現れる。何が現れるのかはわからないけれど、
> きっともうすぐなんじゃないかな。

てんちゃんが乗り越えて来たものを想うと、泣けて来るよね。
あまりにも壮大で、壮絶で。
それでも、自分に起こっていることに対して受身になれるというのは、神への信頼があるからこそだと思う。
壮絶な学びの中でも、てんちゃんが、それだけ多くのものを受け取って来た証だと思うんだ。

> わたしはツインソウルの彼とさよならをしました。
> もう一生会えないかもしれない。でもわたしは今とても嬉しいの。
> 本当の意味で彼とひとつになれた気がするから。
> 同じ気持ちだから。会えなくても声が聞けなくても、そこに愛があるから。

ツインソウルと、とてもポジティヴな別れ方をしたのだね。
執着を手放して、永遠を手に入れたという感じかな。
そうでなければ、ツインソウルと交流を絶ってしまうことが、うれしいとは思えないだろう。
離れても、とてもうれしいという気持ちが、既に一つであることを物語っているね。
すごいなあ。私にはできない。(苦笑)

そうそう、りさちゃんにお勧めしてもらった映画『きみに読む物語』、とっても感動的だったよ。
あの映画の中の若い二人を、りさちゃんとツインソウルに重ねながら観ていたよ。

>>500年かあ。いい時間(とき)ですね。
>>
>>さあ、私もまた歩き出しますね。
>>ゆっくり時を歩きながら、私も旅を続けます。
>
> 旅は終わらないんですね。
> ゆっくりと、時に速い流れの中で。
> 果てしなく、愛を学ぶ旅。

うん。ほんとに、いつまでも旅は終わらないね。
いくつかの区切りはあるけれども。

>>りささんが、過ごした時がこういう形なって、すごく嬉しい。
>>泣けてきますね。その時を想うと。
>>その涙は、悲しみの涙ではなく、愛しさの涙です。
>
> ここまで至るのに、本当に途方もないくらいの愛をいろんな人からもらった。
> 人だけじゃなくて森羅万象すべてから。愛しくて本当に涙が出る。
> だからわたしもその愛に溶けてひとつになってしまいたい。

りさちゃんの経験が、てんちゃんの想いと溶け合って、涙になった。
こういう表現は、光のスピードで伝わるね。

ツインソウルの愛を知った人は、
ツインソウル以外のすべての存在との関わりが、
ツインソウルの愛に匹敵することを知るときが来るのかもしれないね。

> 最後に、このホームページについてです。
>
> まるみさんへ。皆さんへ。
>
> わたしはまるみさんが好きでここにやってきました。
> けれどなかなか自分から交流することは控えざるえませんでした。
> 日々いろんな人たちが、いろんな価値観のもとに自分の思いをぶちまける場です。
> ぶちまける、という表現が良いのかはわかりません。
> けれどわたしにはそのように感じられました。

ありがとう。
あはは、ぶちまける。うん、確かに、そういう一面もあったかな。
凸(話し手)になりたい人がいて、凹(聞き手)になる人がいる。
凸と凹の役割が固定化していた交流もあれば、凸と凹がときどき入れ替わっていた交流もあった。
凸と凹の入れ替わりのある交流は、対等な関係だね。
それが理想的だ。

> 少なからず、まるみさんの負担を今まで感じてきました。
> わたしも負担になってしまうのでは、と思っていました。

そうか、そんなふうに感じてくれていたんだ。
確かに、ここ最近の私はパワー不足だから。(^^;
それで、わざわざ言葉を控えてくれていた部分もあったんだね。
申し訳ない。そして、ありがとう。
ずっと以前はね、こんな感じじゃなかったんだよ。
ちーちゃんが、その頃の私を知っている。
最近丸くなったね、なんて、ちーちゃんに言われてるくらいだよ。
身体と比例するのかなあ。(苦笑)

> ネットという世界で、言葉のみの交流で、まして精神世界の話を不特定多数でするということに限界があるというのは自然なことです。
>
> まるみさんや、相談に親身になって答えてくれるひとたちは、とても勇敢だと思います。本当に優しいと思う。限界を知っていながら諦めない姿勢に尊敬する。

限界は、いつも見え隠れしているね。
ネットにおけるコミュニケーションに関しては、これまでにも何度も何度も試行錯誤を重ねて来たよ。
でも、その度に、限界を超えて来られたような気がする。
私が挫折すると、いつも励ましてくれたのがちーちゃんだった。
まだまだ限界は見えてないよってね。

でもね、こういう比較は良くないかもしれないけれど、私自身、いろいろなホームページの掲示板を拝見させてもらって来たけれど、これほど感情を交わした交流が実現できている掲示板も珍しいかなと思うの。
世間話や知識だけの交流はたくさんある。
でも、感情を交わすということに限って言えば、オープンな掲示板においては、なかなか実現できないことが多い。
そんな珍しい掲示板は、ポジティヴな面とネガティヴな面の両方を持ち合わせていて、あるときはポジティヴに傾き、あるときはネガティヴに傾きながら、次第に成長を遂げているのかもしれない。

私だけでなく、みんな、コメントを書き上げるのに、多くの時間を費やしているはず。
一つのコメントを書き上げるのに、一時間以上かかったりするじゃない?
それでも、パソコンに張り付いて、一生懸命コメントを書く。
そこには、掲示板に参加した人だけが体験できる、一種のエクスタシーがあるんじゃないのかな。
多分ね、そのエクスタシーをまた感じたくて、一時間、二時間もの時間を費やすのだと思うの。
でも、そのエクスタシーはまだまだ麻薬のようなものに過ぎなくて、麻薬が切れてしまうとネガティヴに転んでしまうのかも。(笑)

> わたしの場合は人にアドバイスというのができない。というかしたくなんです。
> 逃げてるだけなのかもしれないと思うけれど、人は自分がやりたいようにやるしかないと思ってるから。だから悩んでいる人が居ても声をかけられない。
> 自分と価値観が違う人にはなおさら。ことを荒立てたくない、というのもあるかもしれないし、自分の価値観が絶対に正しいとはわたしには言えないから。

確かに、「どうしたらいいでしょうか?」系のコメントには、私も頭を悩ませてしまうよ。(苦笑)
でも、アドバイスはできなくても、感想を述べることはできるんじゃないかなあと、最近、思うようになって来たの。
精神が病んでいるときは、自分自身の中に眠っている答えを自分で引き出すことができないから、直接的な答えを求めてるわけじゃなくても、誰かに話を聞いてもらいたくなったりするんだろうね。
直接的な答えは、自分で見つけて行かないと、後悔するからね。

肉体が病んでいるときは、励ましてあげると、元気になるみたい。
植物でも、声を掛けながら育てると、声を掛けないで育てるよりも、すくすく育つらしいね。

そう言えば、この間、小高い山の上にある餘部(あまるべ)駅に登ったあと、私たちが下山していると、山を登って来る老夫婦に出会ったの。
すれ違うとき、男性のほうが、私たちにこう尋ねたの。
「駅はまだですか?」
って。その老夫婦は、急な坂道を一生懸命登って来たところだったのね。
私たちも、同じ坂道を、まだかまだかと思いながら登って来たから、老夫婦の気持ちがとても良くわかった。
だから、迷わず、
「あと少しですよ」
と、すぐ上のほうを指差して励ましたの。

ゴールがどこかなんて、知らなくてもいいことだったかもしれない。
でもね、何だか本当に、山道を登るのがきつそうだったの。
だから、ゴールは近いよと教えてあげたかった。
私たちに尋ねた老夫婦は、安堵したように、最後の力を振り絞って、坂道を登って行ったよ。
「あと少しですよ」
と教えてあげたとき、老夫婦が安心した様子が伝わって来てうれしかったのを覚えてる。

> 何が言いたいのかわからなくなってしまったけど。。^^;
> わたしもまるみんのファンとして、このホームページのまるみんのカラーを
> 大事にしたいなぁと思う。けれどまるみんに負担を感じて欲しくない。
>
> こんなに素敵な管理人さんのこんなに素敵な掲示板なんだから、大事にみんなで考えていきたいなぁ。みなさんはどう感じていますか??
>
> えらそうにつらつら書いてしまいました。
> わたしも今まで言えなかった事が言えてすっきりしました。
> 読んでくれて有難う。

りさちゃん、本当にありがとうね。
私も、心優しいりさちゃんが大好きだな。
いつもいつも静かに見守ってくれている。
私にも、「見守る」という学びが必要だなあ、きっと。
見守り方を教えてよ。(苦笑)

もしかすると、私自身の中に、掲示板に対する執着があるのかもしれないなあ。
掲示板を手放すチャンスなのか、それとも、活発に参加できるようになるチャンスなのかわからないけど、とにかく、しばらく今の流れに乗ってみようと思ってるよ。

ああ、とてつもなく長くなってしまった。(^^;
こちらこそ、長い文章を読んでくれてありがとうね。
長いので、返信については気にしなくていいからね。
見守ってくれているのがわかってるから。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 特に、一昨日の記事に、たくさんの応援クリックをありがとうございました。m(__)m こうして亀のように進んでいる私を、どうかこれからも見届けてやってくだれば幸いです。

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2006.06.13

孤独を知っている人たち

 きのうの記事を書いてから、何人かの方にコメントをいただいた。コメントをくださった鏡子さん、りさちゃん、てんちゃん、ちーちゃん、ななちゃん、どうもありがとう。それぞれの愛あるコメントに、私は深い喜びを感じずにはいられなかった。そして、いただいたコメントを何度も何度も読み返しているうちに、再び言葉が停止してしまった。今、感じているこの感動を、すぐに言葉で表現して消化してしまうには、あまりにももったいない気がしたのだ。これが、私が交流を重ねて来た人たちなのか。コメントをくださった方たちはみんな、本当の意味で孤独を知っている人たちばかりだ。だからこそ、私が感じていた孤独をも理解してくれたに違いない。私は、ここまで掲示板が成長していたことが、誇らしいとさえ思った。まだまだこれが限界ではない。これから先も、きっと上昇して行ける。そう思ったのだ。

 きのうの私は、HTML化している掲示板の過去ログの時代に思いを馳せていた。しかし、あの頃の掲示板の関わり方とは格別に違う。「今」がどれだけ大切であるかを思い知らされた。もしもあの頃、同じような波紋を投げかけたとしたら、掲示板はしばらく水を打ったように静まり返ってしまったことだろう。あの頃は、管理人の感じていた孤独に正面から付き合ってくれるほど、交流を深めていたわけではなかったからだ。

 コメントをくださった方たちは、自分の意志を持っている人たちだからこそ、私の感じていた孤独に付き合ってくださったのではないかと思う。それにしても不思議だ。きのうの私は、掲示板に参加してくださっている人たちそれぞれが、自分の意志を持って発言されていることに対して闇を感じていたはずなのに、今は同じことに対し、光を感じている。同じ事象でも、見方を変えることによって、光にも闇にもなるということだ。

 私は何故、孤独を感じてしまったのだろう。そもそも、掲示板と私を切り離そうとしたのは一体誰なのだろう。私自身ではなかったか。その上で、自分の意志を持った人たちを自由にさせてあげられなかったというのか。

 もとはと言えば、私のパワー不足が原因だ。それに加え、関わる人の数がどんどん増えて来て、コメントの返信が追いつかなくなってしまった。私の手帳はいつも、「○○さんにコメント」というメモの嵐だった。それなのに、中途半端な交流をしたくないという欲張りな気持ちがあった。何だか矛盾している。

 それでも、私がなかなかコメントを書けなくても、書き込みをしてくださっている皆さんは、掲示板から去って行くことなく、対話が成り立つ人を見つけて、掲示板に留まってくれていた。かつての掲示板なら、有り得なかったことではないだろうか。今の掲示板の交流には、目には見えなくても、双方向の信頼関係が成り立っていたのだ。

 精神世界のはなし、男女の愛のはなしができる人たちと出会い、対話を続けられるということは、私にとって、大変喜ばしいことだったはずだ。実際、掲示板への書き込みにも、「こういう話ができる人が周りにいないので、この掲示板の存在がありがたい」といった意見がいくつかあった。私のホームページの掲示板は、私と同じようなものを求める人たちが集まってくださっていたのだ。精神世界のはなし、男女の愛のはなしができる仲間に出会えるというわくわくしたプロセスを、掲示板で語り合っている方たちは、まさに今、経験している最中だ。一方、私自身はいつの間にかそのプロセスを通り過ぎて、守りに入っていたのだ。

 さて、これを機会に、今の掲示板の活気のおかげで、私の悩みが一つ解消されていることを書いておきたい。それは、夫のことは深く愛せないが、夫以外の人を愛してしまったという書き込みが減ったことだ。以前は、この手の書き込みが本当に多かった。はっきり言っておこう。私は、この手の書き込みが苦手で仕方がなかった。パワーがあった頃は、書き込みがある度に、吠えていた。もしかすると、吠えている時代をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。しかし、現在のように掲示板の交流が活発になり、スピリチュアルな探求が進んで行くにつれ、そうした書き込みがほとんどなくなって来た。これは、掲示板が愛に包まれた証拠だ。その手助けをしてくださったのが、てんちゃんとちーちゃんだ。特にこのお二人には厚くお礼を述べたい。ずっと言いそびれていたけれど、てんちゃん、ちーちゃん、掲示板を愛に包んでくれてありがとう。お二人は、吠えることではない方法で、掲示板を愛に包んでくれたのだ。

 まだまだ、掲示板での交流について、問題が解決したわけではない。一番の問題は、私の返信のペースがとてつもなくのろいことである。果たして、この状態がいつまで続くのか・・・・・・。それでも、今回、私が正直な想いを綴らせていただいたことによって、確実に何かが変わったと感じる。これからも掲示板の流れを見守りたいような、そんなうずうずした気持ちでいっぱいだ。誰かの想いを意識しながら交流して行くのと、意識せずに交流して行くのとでは違う。だから、これからの交流は、少しずつ変化して行くのではないかと思っている。皆さん、これからも、気長によろしく! 今度は私が、皆さんの要望を聞く番かも・・・・・・?

※この件に関してコメントをくださった皆さん、どうもありがとう! 私も皆さんのことが大好きです。でも、女性に大好きと言うのはかなり照れます。(^^; 大好きだから、だだをこねたくなったのかもしれません。(苦笑)一人一人に返信しようと思っていたのですが、やはり、掲示板に書かせていただくことにします。時間がかかってしまうかもしれませんが、気長に待っていてください。

※これまでにも何度かお願いして来ましたが、これからも、掲示板に書き込んでくださったコメントの返信を、「ガンまる日記」に書かせていただくことになるかもしれません。そのときは、どうぞよろしくお願いします。

※「精神世界のはなし掲示板」をお気に入りに入れて、掲示板を入口にしてアクセスされている方へ
掲示板は、ホームページへの入口ではないので、ホームページから入ってアクセスしてくださるようお願い申し上げます。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久しぶりに、強いエネルギーを感じました。やはり、実際に言葉を交わしながらでないと、このエネルギーを感じ取ることはできないものなのですね。ばらばらのものが一つに向かって行くエネルギー。それが最も美しいエネルギーなのかもしれません。

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2006.06.12

管理人の孤独

 どなたのブログだったか忘れてしまったのだが、ホームページが更新できない管理人さんがブログを綴られていたことがある。その方はホームページを持っていらっしゃるのだが、あれやこれやと理由をつけてみては、「そういうわけで、今日もホームページの更新ができませんでした」と締めくくられていた。そのブログに、「私のホームページには掲示板があるのだけど、管理人がいなくても会話がすっかり成り立っているので、管理人の入り込む隙間がない」などと書かれていたことがあった。実は、今の私の気持ちは、それに近い状況かもしれない。

 ソウルメイトやツインソウルがブームのようになり、更には、私自身が「ガンまる日記」を書き始めてからというもの、たくさんの方たちが掲示板に書き込みをしてくださるようになった。確か、初めて掲示板を立ち上げたのは、二〇〇一年のことだったと思う。その頃は、書き込みも少なく、すべてのコメントにまんべんなく返信できていた。私は、せっかく書き込んでくださったコメントは、すべて保存しておきたい主義なので、その頃の掲示板の過去ログもすべてHTML化して保存している。ただ、現在は公開していない。ときどき私は、書き込みをしてくださったすべての方たちと関わることができたあの頃を懐かしく思うことがある。しかし、あの頃から私のホームページを見てくださっている方が、果たしてどれくらいいるのだろう。もしかしたら、ゼロかもしれない。

 あの頃は、今のように、私が掲示板のコメントに返信できないでいると、私の代わりにコメントを書き込んでくださる方は誰もいなかった。それに、一つの話題がずっと続いて行くような継続的な関わり方ではなく、一つの話題に対して管理人が返信すると、それに対する返信ではなく、再び新たなコメントが書き込まれるという途切れ途切れで一方通行の関わり方だった。もっと話を繋げて行きたい私は、一つの話題が続かないことをもどかしく思っていた。それでも、すべての人と関わることができていたという点においては、達成感があった。

 今のように、たくさんの方たちが書き込みしてくださるようになってからは、得たものもあれば、失ってしまったものもある。どれを取ってみても、一長一短と言える。失ってしまったものの一つは、書き込みをしてくださるすべての方たちとの関わりだ。関わる人が多くなったことに加え、ここ二年ほどの間に、私はすっかりパワーを失ってしまった。以前の私を知っている人からすると、想像できないほどの衰えようだと思う。何をするにも時間がかかり、文章を綴るということに関しては、毎日、「ガンまる日記」を書き上げることで精一杯である。私にとっては、「ガンまる日記」こそが表現して行きたいことである。だから、書くことは辞めたくない。しかし、私が書けば書くほど、私を見つけてくださる方が増えて行く。これは、私自身が望んでいたことなのだが、実際に想いがかなってみると、なかなかうまくことが運ばない。

 ホームページの管理人は、自分のページも更新した上で、書き込んでくださった掲示板のコメントにも返信する。また、書き込みをしてくださった方たちのサイトがあれば訪問もする。これは、パワーがみなぎっていなければ、とても難しいことだ。少し前までは、パワーがみなぎっていたはずの私なのに、ここ二年くらいの間に、すっかり低迷してしまった。その状況が、なかなか改善されないのだ。しかも、管理人がどんな状況にあろうとも、掲示板はどんどん進行して行く。管理人がひどい冷えに苦しんでいようが、義母の病気が深刻な状況に陥ろうが、筋腫が少し小さくなって喜んでいようが、そんなことは一切おかまいなしに。

 私が返信できないでいるうちに、私のホームページの掲示板から、私のカラーがどんどん剥がれ落ちて行った。私のカラーはどこへ行ってしまったのだろう。もはや、私はそこには居ない。自分のホームページなのに、私は自分の居場所をなくしてしまった。だから、私は自分のホームページで孤独を感じる。私自身の居場所として立ち上げたホームページなのに、自分の居場所を見つけられないでいるのだ。私は単に、交流できる場所を提供しているだけなのだろうか。

 私がコメントできないでいると、別の方がコメントを書いてくださる。それは、大変ありがたいことだ。しかし、中には私の考えていることとは異なる書き込みも多い。そうなると、パワーを失っている私は、ことを荒立てたくなくて、書きたかった言葉を引っ込めてしまう。そのようにして更に、私のカラーはどんどん失われて行く。

 自分自身でホームページを運営していると、自分のホームページの運営もままならないのに、他の人のホームページに頻繁に出掛けて行くということはあまりできない。そんな私でも、ある方のホームページに完全に入り浸り、掲示板に一生懸命書き込みをしていた時期があった。掲示板で交流するということが面白くて、いろいろなことを話した。だから、掲示板の交流の楽しさを自分のホームページでも伝えて行きたいと思っていた。

 私は、その人のホームページを隅から隅まで読んでいた。どこに何が書いてあるかもちゃんと把握していた。むしろ、管理人よりも詳しかったくらいだ。その人のホームページが更新されると、とにかくうれしくて、すぐに更新されたページをチェックしていた。今は、そのページは更新をお休みされているし、掲示板の書き込みもほとんどなくなってしまった。それでも、そういう関わり方が、私の理想であったことは確かだ。

 現在の私のホームページは、そうした流れではなくなって来ている。もしも、掲示板に書き込みしてくださっている人たちの中で、更新情報を楽しみにしながら、ページの隅々まで読んでくださっている方がいるとしたら、私はとてもうれしい。かつて、私の同級生が殺人を犯したことを綴ったページがどこにあるか、ご存じの方がどのくらいいらっしゃるだろう。聞いてみたい気もするが、怖い気もしている。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。皆さんの暖かい応援とメッセージに支えられています。ここのところ、感じていたことを思い切って書かせていただきました。やはり私は、多くの人と関わるなどという力量は持ち合わせていないのかもしれません。私の魂は、少数の人と密に関わることを望んでいるように思えます。

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2006.06.11

知識と経験の相違

 義母のことが気になって、朝早くから目が覚めた。ガンモは仕事だったので、いつも通り仕事に出掛けて行った。ガンモを送り出したあと、一人で家に残り、出発の準備を整えていると、私は急に恐ろくなってしまった。義母の病気についてインターネットで調べた内容を印刷したクリアファイルを、本当に義母に見せてしまっていいものかどうかという不安に駆られたのだ。

 私は以前、自分の病気について良く知ることは大切であると、ここに書いたはずだ。しかし、事実を知った本人がどん底まで落ち込んでしまうような内容であっても、知っておくべきなのかどうかは判断がつかなかった。私は、責任の重さに足が震えた。義弟に電話を掛けて、インターネットで調べた深刻な内容を義母に伝える了解をもらったほうがいいのだろうか。義母の病気について、医師と話をしているのは、義母だけなのだろうか。いろいろなことを考えながらも、高速バスの時間が迫っていたので、義弟には電話を掛けずに支度を整えて家を出た。

 自宅から香川県のガンモの実家方面までは、JRと高速バスを乗り継いで片道およそ四時間は掛かる。私は、乗りたいと思っていた時間の高速バスにすべり込みセーフで間に合った。そして、ガンモの実家の最寄駅に降り立ち、義母に会う前に「ガンまる日記」を書き上げた。義母に会ってからだと、確実に状況が変わり、今、思っていることを書けなくなるだろうと思っていたからだ。

 そして、「ガンまる日記」を書き上げたあと、私は呼吸を整えながら、義母のいる病院へと向かった。義弟の判断を仰ぐのではなく、義母にクリアファイルを見せるかどうかは、流れに任せてみようと思った。

 病室を探し当て、他の患者さんと話をしている義母の姿を見つけた。義母は個室ではなく、大部屋に居た。思ったよりも元気そうだった。病気による大きな学びのせいか、義母は、以前会ったときよりもずっと柔らかい表情をしていた。義母の著しい変化に目を見張ったが、それは安心できるほどの穏やかさだった。義母と話をしていた患者さんは、遠慮して私に場所を譲ってくれた。すると義母は、これまでの経過について報告してくれた。

 もともとは、外来患者の扱いで薬を処方してもらい、自宅で服用しながら通院する予定だったそうだ。ところが、薬を服用すると熱が出てしまうので、入院しながら様子を見ていること、熱が出るために現在はその薬の投与を辞めているが、来週からは再開することなどを話して聞かせてくれた。

 私は、義母の病気をインターネットで調べてみたが、十万人に二人という珍しい病気で、かなり深刻な状況にあることを告げた。そして、できれば症例のある病院に移ったほうがいいと書かれていたことも伝えた。しかし、印刷物をまとめたクリアファイルは出せなかった。何故なら、義母が担当医に自分の病気を任せ切っているのが感じて取れたからだ。
「もう、なるようにしかならん」
と、義母は笑いながら言った。その表情は、とても穏やかだった。一体、どうしたらこんな穏やかな表情でこんなことが言えるのだろう。私には、決して追いつくことのできない学びだった。

 更に安心したのは、義母の服用している薬が、飲み薬だということだった。私がインターネットで調べた限りでは、点滴で全身に行き渡るような薬が投与されると書かれていたのだ。病名だけで、素人の私でも辿り着けるページである。そのことを、義母の担当医が知らないわけがない。義母の担当医は、初めに手術して除去したときの義母の細胞を保存してくれているという。その細胞を良く調べた上で、その飲み薬が効くであろうという結論に達したらしいのだ。

 私が知らないだけで、義母と医師との間には、しっかりとした信頼が出来上がっていた。私は、ゆうべガンモが言ったことを思い出し、
「○○さん(ガンモの名前)が、お義母さんは、香川県で生まれて香川県で育った人だから、よその県の大きな病院に移るなんてことはしたくないだろうと言ってました」
と義母に言った、すると義母は、
「確かにそういうものよ」
と笑いながら言った。

 実際のところ、私がインターネットで調べたことが義母の症状に当てはまっているのかどうかはわからない。しかし、病名だけは確かなのだ。
「もう、なるようにしかならん」
とおだやかな表情で言う義母に対し、私はどうしても、クリアファイルにまとめた資料を見せる気にはならなかった。義母は、
「来週から薬の投与も再開するし、もう少し様子を見てみようと思う」
と言った。

 私は、
「このハーブティー、糖尿病のお義父さんにもいいらしいです。一緒に飲んでください」
と言って、アメリカから輸入したジェイソン・ウィンターズティーを二缶、義母の病室に置いて来た。ジェイソン・ウィンターズティーを飲んで症状が改善された人たちの喜びの声を印刷した紙を添えた。

 数十分に渡り、義母と話をしたあと、私は病室を出た。病院を出て、ガンモに電話を掛けると、
「なかなか連絡がないから、いろいろ想像してた」
と言う。私は、義母の様子がとても穏やかであったことと、医師との間に信頼関係が出来上がっていたことなどを伝えた。ガンモは、私がインターネットで調べたことを義母に伝えてしまうことで、義母がひどく落ち込んでしまうか、または怒り出すかのどちらかではないかと心配していたらしいのだ。私はどういうわけか、安堵感にも似た、とても不思議な気持ちになっていた。流れに沿うてみよというのは、こういうことなのだろうか。義母の表情を見ることなく、インターネットで調べた内容を鵜呑みにしていただけでは、このような不思議な感覚は味わえなかっただろうと思う。

 三宮に着いてから、実家の母に報告の電話を入れた。義母の病気をインターネットで調べた結果、症例のある病院に移ったほうがいいと書かれていたが、香川県で生まれ育った義母は、地元の病院にいるのが一番いいらしいということを話して聞かせた。私が、
「田舎の人は、そういうもんかねえ」
と言うと、同じように愛媛で生まれ育った母は、
「なるほどね。でも、そういうもんよ」
と答えた。

 母の話では、祖母もかつて、症状が悪化したときに、入院している病院の担当医から、
「私の手には負えませんので、よろしければ紹介状を書きます」
というようなことを言われたらしい。しかし、母は、
「いいえ、先生。かまいません。何があっても文句は言いません。ですから、どうかこれからも診てやってください」
と、担当医にお願いしたらしい。結果的に、祖母は現在も同じ病院に居る。私はそれを聞いて、さすがだと思った。そこには、いくら精神的な探求を重ねて来たつもりでも、実際にそのような現場に直面していない私には太刀打ちできないような深い学びがあった。私は母の選択に感動し、母を誇りに思ったのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。もしかしたら、きのうの記事で、皆さんにご心配を掛けてしまったかもしれません。本当のところはわかりません。しかし、義母を診てくださっている医師は、わざわざ別の医大から来てくださっているそうで、現在の治療法に切り替えてくださったのも、何か考えがあってのことだと思います。知識と経験の相違を改めて実感しました。義母がその医師を信頼しているので、私も医師を信頼してみようと思います。今の薬が効かなかったら、また新たな局面を迎えることになるでしょう。そのときに、また状況を見ながら考えたいと思います。それにしても、病気には、計り知れないほどの気づきがあるのですね。

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2006.06.10

始まり

 金曜日、私は再び体調を崩して仕事を休んでしまった。急激な気温の変化に身体が耐えられなかったようだ。午前中は、パソコンの前に座って、何とかゴソゴソと活動していたが、午後になると具合が悪くなり、しばらくベッドで休んでいた。

 先週は、こんな自分の身体を労わってやろうと、自然の恵みを受けるために三朝温泉に出掛けていた。ようやくリフレッシュできて、今度の週末こそは義母のところへ顔を出しに行こうと思っていた私は、次第に焦りを感じ始めていた。また、この週末も出掛けられないのだろうか。

 義弟の話では、義母は、新しい薬を試してはいるが、午後になると発熱してしまい、なかなか思うように治療が進まないらしい。近くに住む義弟が、義母の様子や一人で家に居る義父の様子を見に行ってくれているらしい。

 午前中、私は歯医者と鍼灸医院に出掛けた。金曜日と比べると、体調は回復して来ているようだ。この分なら、日曜日に義母のところへ出掛けられそうである。そう思って、私は義母から聞いた病名をインターネットで詳しく調べ始めた。

 義母と同じ病気で闘病記を綴っている人のページを見つけ、そのページからリンクされているサイトの情報にじっくりと目を通した私は驚いた。はっきり言って、ただごとではなかった。これまで数回に渡って手術を繰り返しても、何度も再発していたのは、その周辺の正常な細胞までも含めて切除しなければならなかったことがわかったからだ。しかし、義母の病気は、十万人に二人という全国でも症例の少ない病気なので、専門医はいないが、この症例を扱ったことのある病院に転院したほうがいいというようなことが真剣に綴られていた。私の調べた限り、関西では、大阪にその症例を扱った実績のある病院がある。

 私はガンモに、義母の病気について印刷した資料をクリアファイルに入れて渡した。ガンモは怖いのか、義母の症状を知ることについて、かなり消極的だった。私の子宮筋腫が発覚したときは、真剣にあらゆる情報をインターネットで調べていたガンモである。
「どうして私の病気のことはいろいろ調べてくれたのに、義母さんの病気のことは知ろうとしないの?」
と尋ねると、
「まるみの病気を知っておかないと、悔しかったから」
などと言った。私の病気と義母の病気は、まったく格が違う。それを、ガンモが知ろうとしないのは、臆病以外の何者でもないと私は思った。

 ガンモの態度にしびれを切らした私は、口頭で義母の症状とこれからの提案について手短に語り、
「今のお医者さんも、ずいぶん試行錯誤してると思うよ。でもね、お義母さんの病気は、同じ病気を治して来た実績のあるお医者さんに診てもらったほうが絶対いいと思う」
と言った。すると、ガンモは、
「生まれてから一度も香川県を出て生活したことのない人なんだよ。どんなにいい医者がよその地域の大きな病院に居たとしても、ずっと生まれ育った香川県に居ることのほうが、お袋にとっては幸せなんだよ」
と言った。症例のある病院に移るということについても、ガンモは消極的なのだ。それは、田舎で生まれ育った人間の生き方を尊重するという方法らしかった。

 私自身も、症例のある病院に転院することを提案してはみたものの、大阪の病院で受け入れてもらったあと、私が仕事を辞めて義母の世話をするのかといった具体的なことは考えていなかった。
「とにかく、明日はガンモが仕事だから、私一人でお義母さんのところに行って来るから」
と私はガンモに宣言した。

 とは言うものの、私がインターネットで調べたことは、義母にとってはかなり衝撃的な内容だった。これを義母に知らせることは、私の一存で決めていいものなのだろうか。私はガンモに再び相談した。最初のうち、ガンモは、私が義母に対して告知することを反対していたが、私は、義母が自分の病気を知ることによって、医師との会話もより深いものになって行くだろうと主張した。しかし、病気が病気なだけに、義母がかなり落ち込んでしまうのではないかという懸念もあった。ガンモは、最終的には義母に伝えてもいいと言った。確かに義母は、病名と、切除しなければならない理由については医師から聞かされている。だから、そこから様々なことが想像できるはずなのだ。

 しかし、私が出掛けて行って、症例のある病院に転院したほうが確実であるといった意見を述べることは、これまで義母のために尽力を尽くしてくださった医師に対し、どのような影響を与えるのだろうか。その医師にとっては初めての試みであっても、義母の病気に熱心に取り組んでくださることによって、彼の医師としての経験を豊かにするものであるに違いない。果たして、そのチャンスを取り上げていいものなのか。彼の学びもまた、私たちの学びの歯車の中に組み込まれているのではないのか。しかし、同時にこれは実験ではない。人の命がかかっていると言っても過言ではない。そういう意味で、私の中に、いろいろな葛藤があることは確かだ。だから、自分の力が弱っているときは、いろいろな経験を重ねて来た人に、何かを尋ねてみたくなる気持ちもわかる。自分自身の中に答えがあることがわかっているにしても、どのようにしたら新しい流れが出て来るのか、誰かの力を借りて引き出して欲しいのだ。

 それでもやがて、流れて行くべき方向へと流れて行くのだろうと思う。これは多分、始まりに過ぎない。

※いつも応援してくださっている皆さん、ありがとうございます。ご覧の通り、ちょっと動揺しております。日曜日に義母のところに行く予定です。この続きはまた明日、書かせていただきます。

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2006.06.09

映画『ネバーランド』

 六月九日は我らがジョニー・デップの四十三歳の誕生日だ。そこで、彼の誕生日にちなんで、映画『ネバーランド』の感想を書いてみようと思う。

 この映画を観るまでは、そのタイトルからして、ピーターパンの物語に出て来る架空の国のことを想像していた。確かに架空の国の物語ではあるのだが、この映画の興味深いところは、ファンタジー映画ではなく、ヒューマンドラマであるということだ。ヒューマンドラマの向こう側に、ファンタジーが見え隠れしているのだ。しかも、これは、ピーターパンにまつわる実話に基づくストーリーらしい。

 描かれているのは、子供好きの劇作家ジェームズ・バリと未亡人シルヴィアとシルヴィアの四人の子供たちとの交流だ。劇作家の役をジョニー・デップが演じている。妻のいるジェームズが、未亡人であるシルヴィアの子供たちと一緒に遊ぶために、彼女たちの元へと足繁く通う。それは、純粋に子供と遊びたいという気持ちと、シルヴィアに対する友情からなのだが、世間からは、あたかも男女の仲であるかのような噂を立てられてしまう。

 実際、映像の中にも、二人が男女の関係を結ぶようなシーンは一つもない。それでも、シルヴィアの子供たちとの交流を通して、それぞれがかけがえのない存在になって行く。

 一方、ジェームズとシルヴィアの関係に嫉妬し、ジェームズとの夫婦関係に隙間風が吹き始めたジェームズの妻もまた、別の男性の影がちらつき始める。こちらは、最初から男女の関係であるかのように描かれている。そうした展開になり、あたかもジェームズとシルヴィアが結ばれるかのように物語が進んで行くのだが、やがて意外な結末を迎えてしまう。その結末は、あまりにもあっけない結末なのだが、観客の心が置き去りにされるような結末ではない。むしろ、その結末があるからこそ、『ネバーランド』というタイトルにこだわったことがわかる。ちなみに、原題は、"Finding Neverland"となっている。「ネバーランドを探して」といったところだろうか。

 この映画を観ると、男女間の友情のあり方について再考させられる。ジェームズは、妻と一緒に過ごす時間よりも、シルヴィアたちと一緒に過ごす時間のほうが圧倒的に長かった。単に時間だけで計れるものではないにしても、妻が嫉妬するほど一緒に過ごす時間が長いとなると、既にその時点で友情の領域を越えていると言っても過言ではないだろう。それでも、ジェームズとシルヴィアの中に、特別激しい感情が宿っていたわけではなく、物語は実に静かに流れて行く。あまりにも静か過ぎて、二人が同じ時を過ごしていることが自然に思えてしまうのだ。

 もう一つ、この映画が伝えようとしている重要なテーマは、愛する人を亡くしたときの立ち直り方の魔法である。それは、心の中に「ネバーランド」を思い描くことだ。シルヴィアの四人の子供のうち、三男のピーターは、父親を亡くしたことによって、すっかり心を閉ざしていた。ジェームズは、閉ざされたピーターの心を開くために、書くことの楽しさを教え、自分自身も小さい頃に兄を亡くした辛い経験があることを話して聞かせる。それらの経験を共有することによって、ピーターも次第に心を開いて行くのだった。ちなみに、ピーター役の男の子は、映画『チャーリーとチョコレート工場』でもジョニー・デップと共演したフレディ・ハイモアくんである。

 もっとも感動したシーンは、病気のシルヴィアに、何とかしてお芝居を見せてあげようと、ジェームズやお芝居の出演者たちが力を合わせたシーンだった。そのあまりにも大掛かりな発想と仕掛けに痛く感動した私である。ジェームズとシルヴィアの交流を反対して、つっけんどんな態度を取っていたシルヴィアの母までもが、真っ先に拍手していた。今まで反対していたはずのシルヴィアの母の共感を味方に付けたことで、一気に感動の波がやって来る。

 ジェームズの書いた「ピーター・パン」の脚本は、彼女の四人の子供たちの物語だった。その物語を、決して押し付けるわけではなく、彼女への純粋なプレゼントとして、彼女に贈ったのだ。

 押し付けという強引さがないことが、この映画の特徴かもしれない。だから、映画の中で起こるありとあらゆる現象が、必然に見えて来るのだ。強引さがない分、観客の心はいつまでも深いところで漂い続ける。そんな映画だった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ジョニー・デップの主演映画を観る度に、いつも新しい彼を発見します。まるで、怪人二十面沿うのような役者さんです。(^^)

※最近、何となく、本調子が出ません。(^^; 更新も遅れがちでごめんなさい。m(__)m

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2006.06.08

山口百恵さん

 三朝温泉からの帰りの車の中で、私たちは、接続しなおしたばかりのカーステレオに音楽CDをセットし、一九七〇年代後半から一九八〇年代前半にかけての歌謡曲に熱心に耳を傾けていた。そのほとんどが、青春時代に聴いていた曲ばかりだった。

 私は、子供の頃に聴き込んだ曲のイントロが流れると、コンマ何秒かで曲名を言い当てることができた。
「何でそれだけでわかるの?」
と驚くガンモに、私は、
「あのねえ、好きな曲って、本当に何度も何度も聴き込むのよ。そういう曲って、大人になっても忘れられないの」
と答えた。

 そう言えば、当時、クイズ・ドレミファドン!という流行歌をクイズにしたテレビ番組があり、私はその番組が好きで良く観ていた。特に、超ウルトライントロクイズは大好きで、いつもドキドキハラハラしながら観ていたものだ。最近は、テレビをまったくと言っていいほど観てないのでわからないが、クイズ・ドレミファドン!のような番組は存在しているのだろうか。

 あの頃の歌謡曲には、はちゃめちゃな曲も多い。こんな歌詞が良く歌になったものだと、ため息が出てしまうような曲もたくさんある。聴いていてこちらが恥ずかしくなってしまうのだ。

 そんな時代にあって、キラリと光る存在だったのが、山口百恵さんだ。リアルタイムで彼女の歌を聴いていたときは、彼女の凄さがわからなかったのだが、こうして私自身も成長し、当時の同世代の歌手と聴き比べてみると、彼女の才能だけが突出しているのがわかる。一体彼女は何者なのだ? 当時、彼女はまだ二十歳そこそこのはずではなかったか。それなのに、彼女の歌には、歌い手としての限りない可能性が秘められている。多くの持ち歌を右から左へと流しているのではない。それぞれの歌の中に、彼女の魂が込められているのだ。

 ご存知の通り、山口百恵さんは、俳優三浦友和さんとドラマの共演で運命的な出会いを果たし、結婚のために芸能界からきれいさっぱり足を洗ってしまった。あれだけ才能がある人なのに、愛のために栄光を捨てることができた人である。三浦友和さんとご結婚されてからは、どんな人がアプローチしようとも、芸能界に復帰することはなかった。それだけ三浦友和さんを愛しているということなのだろう。華やかな芸能生活と、結婚生活の両天秤はかけたくなかったということだ。その潔さに感服である。

 ビートルズもそうだが、本当に実力のある人たちは、時代を超えてもなお、人々に愛され続ける。今後、山口百恵さんのようなアーチストが日本に誕生するかどうかはわからない。しかし、多くの人たちの支持を受けたアーチストであるほど、活動期間が短く、人々に惜しまれながら引退してしまうのも不思議である。実力があるだけに、芸能界で生き続けることに対し、自分が本当に実現させたいこととのギャップを感じてしまうのかもしれない。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m 私は、リアルタイムでは、山口百恵さんの才能にそれほど注目していたわけではなかったのですが、同じ世代の歌手とはまったく違うオーラを感じます。きっと何か、人とは違うものを持っている人なのでしょうね。機会があれば、聴き返してみてください。

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2006.06.07

メンテナンス

 この記事の下書きを書いている今、ココログがメンテナンス中なので、今日はメンテナンスというタイトルを掲げてみた。メンテナンスにちなんで、これまであまり書いたことのなかった我が家の車のことを書いてみようと思う。

 三朝温泉を出発した私たちは、餘部(あまるべ)鉄橋、城崎温泉を満喫して、ようやく我が家に辿り着いた。走行したルートを参照してみると、ずいぶん遠回りしてしまったようだ。それでも、カーナビが壊れてしまったにもかかわらず、夫婦揃って無事に我が家にたどり着くことができたことに感謝した。私は免許を持っていないので、一人で運転してくれたガンモにお疲れさんを言った。

 以前、お金を何に変えるかという記事には少しだけ書いたことがあるのだが、我が家の車は、少々古い一九八八年製のメルセデス・ベンツ 190Eだ。この車は、ガンモの職場の同僚から、カーナビ付きを三十万円という破格値で譲り受けたものである。ちなみに、今回壊れてしまったカーナビは、ベンツを譲り受けたときに付いていたものではない。

 譲り受けるときは、その人の家までガンモと二人で出掛けて行った。その人は、私たちの前で、
「ベンツは維持費がかかって大変なんだよね」
とぼやいていた。彼は、ベンツをしょっちゅう修理に出していたと言う。とにかく、すぐに調子が悪くなってしまうらしい。しかし、調子が悪くなっても、メンテナンスの方法がわからないので、毎回、正規代理店にメンテナンスをお願いしていたらしい。その人は、これまでベンツにかかったメンテナンス費用を領収書とともに見せてくれた。それを見ると、確かに恐ろしいほどの手のかかりようだった。カーナビ付きで三十万円という破格値で譲り受けることができたのも、今後のメンテナンス費用がかさむことを考慮してくれたのかもしれなかった。

 ガンモは、中古のベンツに買い換えるまではずっと、国産のビックリカーに乗っていた。ビックリカーは、昭和四十五年製のセドリックという手のかかる車だったが、ガンモは自分でメンテナンスをすることが好きなので、車のことも良くわかっていた。だから、維持費がかかると言われているベンツでも、自分でメンテナンスする覚悟で譲り受けたらしい。

 実際、ガンモはすぐに大きな本屋でMercedes Benz 124 Series (85-93) Service and Repair Manual (Haynes Service & Repair Manuals) (ハードカバー) という本を見つけて購入し、熱心に読んでいた。この本は洋書だが、ベンツを自分でメンテナンスしたい人にはもってこいのマニュアルだ。ガンモはこの本を熟読し、ベンツのおおよその仕組みを理解した。そして、たいていの不具合に関しては、正規代理店に持って行くことなく、自分で修理した。

 不具合の中で最も顕著だったのは、信号待ちなどでエンジンを掛けたまましばらく停車すると、貧乏揺すりのような症状がしばしば発生したことだ。ガンモは、そうした症状が出る度に、購入したマニュアルを確認しながら、エンジンを爆発させるプラグを根気強く何度も何度も布で拭いたり、新しいものに取り替えたりした。ガンモが行った処置は応急処置ではあったが、やがて、いつも車検を出している修理会社のおじさんに状況を説明したところ、車検のときにほぼ完璧に修理してもらうことができた。こうした作業も、自分でメンテナンスするという覚悟がなければ、正規代理店に持って行くことが正当なやり方だと思い込み、選択肢が狭まってしまったことだろう。

 車の修理も、人間の身体も、同じようなものかもしれない。私は最近、ありとあらゆるものが、身近な何かとリンクしていることに感じ入っている。人任せにしてしまう前に、まずはその対象を良く知るということが大切なのではないだろうか。車のことを良く知らなければ、不具合が発生する度に、正規代理店に持って行かねばならず、莫大なお金がかかってしまう。そして、いつまで経ってもその繰り返しから抜け出すことができない。しかし、車のことを良く知れば、自分でメンテナンスできる場合もあるし、どのようなことに気をつけたらいいかについても、ある程度、予測がつくようになる。

 身体についても同じだ。自分の身体を良く知らなければ、誰かに自分の身体のことを尋ねなければならない。それは、自分の知らないことに対して、受身の姿勢を取り続けるということでもある。しかし、自分の身体のことなのだから、自分の身体に尋ねてみればいいのではないだろうか。その証拠に、自分の身体と対話すればするほど、自分の身体のどこを守ればいいかがわかるようになって来る。信じられないかもしれないが、私は年間を通してほとんど風邪を引かない。それは、冷えの経験を通して、自分の身体のどこを守れば良いかを試行錯誤して来たからだと思う。

 そして私は、自分の知っていることに関しては受身に、知らないことに対しては能動的に働きかけることで、状況を変えられるということに気がついたのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ココログのメンテナンス中により、更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。更新を楽しみにしてくださっている人がいたとしたら、とてもうれしいです。(^^)

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2006.06.06

飼い主を待つ犬

 餘部(あまるべ)鉄橋を心ゆくまで堪能した私たちは、どこか温泉に寄ってから帰宅することにした。鳥取県や兵庫県には、いくつもの温泉がある。日本海側には特に多い。車で走っているだけでも、「○○温泉」と書かれた看板が次から次へと視界に飛び込んで来る。私たちは、まだ足を踏み入れたことのない温泉に立ち寄ってみるか、それとも、慣れ親しんだ温泉にするか、あれこれ悩んだ末に、慣れ親しんだ城崎(きのさき)温泉に入って帰ることにした。

 七つの外湯がある城崎温泉を、これまで何度訪れたことだろう。確か、今年の二月の初めにも、カニを食べに来たはずだ。あのときは、雪の積もった温泉街を、靴下も履かずに下駄で歩き回ったっけ。靴下が水分を含んでびしょびしょになるよりも、裸足で下駄を履くほうが温かかったのを覚えている。

 今はもう初夏だ。心地よい日差しが降り注ぎ、木々も緑色に輝いている。あと一ヶ月もすれば暑くなってしまうので、温泉を楽しむにはギリギリの季節といったところだろうか。

 七つの外湯のうち、私たちは、夫婦円満の「鴻の湯」に行くことにした。鴻の湯を選んだのは、温泉街から最も離れた外湯であることと、すぐ近くに駐車場があることと、露天風呂があることなどの理由からである。鴻の湯はすなわち、車で来たことを生かせる温泉だった。

 鴻の湯と言えば思い出す。あれは初めて城崎温泉を訪れたときのことだったろうか。ガンモは、温泉街にある踏切を通過する列車の写真を撮りたいがために、せっかく露天風呂のある鴻の湯に入ったというのに、列車が通過する時間をひどく気にして、そそくさと出て行った。私は、ガンモが写真撮影をしている間、他の外湯にゆっくりと入った。あとからガンモと合流してみると、
「露天風呂が気持ち良かった。もうちょっと入っていたかったのに」
と残念そうに言っていた。だから、ガンモにも鴻の湯の露天風呂を堪能して欲しかったのだ。

 車を止めて鴻の湯に入った。朝、三朝温泉のホテルの大浴場に入り、夕方には城崎温泉の鴻の湯に入る。何と贅沢な温泉三昧なのだろう。身体を洗い流してとっぷりと湯船に浸かると、お湯の温度もちょうどいい。湯船には、束ねられた菖蒲が浮かべられている。私は、外にある露天風呂にゆっくりと浸かり、充分温まってから上がった。

 脱衣場の外の休息所では、先に上がっていたガンモがのんびりとくつろいでいた。ガンモに、
「前に来たときは、列車の通過時間があるからと言って、慌てて出て行ったでしょ。露天風呂、どうだった?」
と聞いてみた。すると、ガンモは、
「あれからいろいろなところで露天風呂に入ってるから」
と憎たらしいことを言った。確かにあの頃のガンモは、まだそれほど温泉好きというわけではなかった。これだけ頻繁に温泉に出掛けるようになるまで、ガンモには、「温泉は熱いもの」という固定概念があったらしい。それが、露天風呂の温度がぬるめでちょうどいいということがわかってからは、次第に温泉の良さを理解し始めたようだった。この二年のうちに、いろいろな温泉に入り、露天風呂もずいぶん体験して来た。その体験が、鴻の湯の露天風呂にゆっくり浸かれなかったというガンモの心残りを満たしてくれたのだった。

 鴻の湯を出て、外の駐車場に出てみると、車に繋がれた犬が居た。飼い主の帰りを切ない表情で待っている。犬の側には、水の入った入れ物が置かれている。飼い主が、犬を置いてどこかへ出掛けてしまったのだ。ガンモはその様子を見て、
「飼い主は、鴻の湯に入ってるわけではないんだね」
と言った。
「どうして?」
と私が尋ねると、
「だって、鴻の湯のほうを向いてないんだもん。犬って、飼い主が出掛けていった方向を見ながら待ってるでしょ」
「なるほどお」

 確かに犬は、鴻の湯とは反対の方向を向いて座っていた。犬は、こうして、飼い主が出掛けて行った方向を向いたまま、飼い主の帰りをじっと待っているのだろうか。飼い主は、帰りを待っている犬が、どっちを向いているか知っているのだろうか。そんなことを思うと、飼い主に置いて行かれた犬が不憫に思えて仕方がなかった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 特にきのうの記事は、たくさんの方たちの応援をいただきました。本当にありがとうございます。m(__)m

※6月8日は、ココログのメンテナンスのため、夕方以降の更新になる見込みです。

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2006.06.05

餘部(あまるべ)鉄橋

 きのうの日記に書いた、カーナビの示す、
”走行中は操作できません”
というエラーメッセージについて、メールをくださった方がいたので、少し補足しておきたい。実は、自宅から三朝温泉に向けて車を走らせていたときに、カーナビの示すルートから何度となく外れてしまったのだが、リルートの処理が自動で行われないことがしばしばあり、その度に、走行中にリルートの操作を手動で行っていたのだ。そのときは、走行中であるにもかかわらず、
”走行中は操作できません”
というようなエラーメッセージは表示されなかった。だから、ましてや走行中でもないのにこのようなエラーメッセージが表示され続けるのはおかしいと思ったのだ。

 ガンモの話によると、カーナビは、現在走行中であるかどうかをサイドブレーキからの電気信号で判断しているらしい。ETCの車載機を取り付けるために、カーオーディオとカーナビの配線をいじくったときに、ガンモがサイドブレーキの電気信号をちょっと細工したようなのだ。しかし、細工したつもりが、実は配線ミスがあり、過電圧状態になってしまった結果、回路がショートしてしまったようだ。帰宅後にカーナビを分解してみたガンモは、ほんの一瞬でもカーナビの電源が入ったことが不思議なくらいの配線だったと言っていた。

 さて、私たちは、アナログの地図を頼りに、三朝温泉をあとにした。株湯に入らずに去って行くことは残念だったが、きっとまた来ると心に誓って出発した。

 私たちは、帰宅するまでの間に、寄っておきたいところがいくつかあった。まず最初に立ち寄ったのは、近々取り壊される予定の餘部(あまるべ)鉄橋だ。餘部(あまるべ)鉄橋は、列車に乗って何度か通過したことがあるのだが、その度に、鉄橋を見物できる高台に、たくさんの人たちが立っているのが目に入った。単に列車で通過するだけでなく、私たちもいつかあそこを訪れたいとガンモと話していたのだった。

 餘部(あまるべ)鉄橋周辺は、観光地になっていて、鉄橋の下にある駐車場はたくさんの自家用車で埋め尽くされていた。カメラを構えた人たちが、四十一.四五メートルもある鉄橋を下から見上げながら、真剣に写真を撮っている。列車と鉄橋をまとめて写真撮影したい人たちのためなのか、列車の通過予定時間まで書かれた時刻表が、数カ所に渡って張られている。餘部駅がすぐ近くにあるのだが、単なる駅の時刻表ではなく、餘部駅に停車しない列車の時刻まで記されているのだ。

 餘部(あまるべ)鉄橋のすぐ近くにある餘部駅は、高さ四十一.四五メートルの鉄橋とほぼ同じ高さの高台にある。つまり、餘部駅を利用しようと思ったら、鉄橋の高さと同じくらいある小高い山の上までえっさえっさと登らなければならない。通勤や通学に利用している人たちは、毎日、これだけの坂を登って、さぞかし大変だろうと思う。日頃から運動不足の私たちはひぃひぃ言いながら、餘部駅までの小高い山を登った。山道を登りながら、私は、二年ほど前に訪れた金比羅さんを思い出していた。こんな坂道では、列車に間に合わないからすべり込みセーフなんてとてもできないだろう。それでも、餘部駅がなかった頃は、もっと大変だったそうだ。

 餘部駅ができるまでの間、地元の人たちは、列車を利用するために、隣の鎧駅まで、餘部(あまるべ)鉄橋を歩いて渡り、更にはトンネルを四つも抜けて通っていたと言う。そうした状況の中で、あるとき餘部小学校の児童たちが、兵庫県知事に「餘部に駅をつくってください」と手紙を書いたと言う。その手紙がきっかけとなって、実際に餘部駅が建設されることになったのだが、児童たちは、駅を作るために必要な石を、すぐ近くの海岸からせっせと小高い山の上まで運んで手伝ったのだそうだ。そのときの様子が描かれた壁画が、餘部駅に掲げられている。

 餘部駅は、長い間、不便を感じ続けていた人たちの強い想いが集結され、ようやく建設された貴重な駅なのだ。そうした強い想いのこもった駅を、私たちは、列車に乗って、何度も素通りしてしまっていた。ここに来て、実際に汗をかきながら小高い山の上に登ってみて良かった。ここに駅がなかった頃のことを思うと、小高い山の上まで登るのが億劫だなとと口にすることは、罰当たりだとさえ思った。ここに駅があることのありがたみを感じながら、高台の上から見下ろす風景は、高所恐怖症の私にも優しかった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 餘部(あまるべ)鉄橋は、来年の春から工事が始まり、数年かけて、コンクリートの鉄橋に取り替えられるそうです。工事が始まるまでは、今の鉄橋が見られます。お近くの方は、機会を作って、是非お訪ねください。

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2006.06.04

ぱーん

 夜はホテルで食事を取り、ホテルの大浴場にゆっくりと浸かってから眠りに就いた。私は完全に「三朝温泉を一時的に訪れた観光客」だった。ホテルの大浴場には、シャンプー&リンスとボディーソープが備え付けられていた。一度に何十人も入れるほどの大きな湯船だった。カランの設備もないこぢんまりした株湯とは大違いだ。一人一人の喜びよりも、一度にたくさんの人たちに利用されることを目的としている大浴場。私は株湯との違いを感じて、余計に寂しい気持ちになってしまった。

 それでも、朝早く起きて、空気中に溶け込んだラドンを吸い込むために、再びホテルの大浴場に入った。宿泊客が多いのか、早朝でも大浴場を利用している人が多かった。朝風呂を堪能した私たちは、バイキングの朝食をおいしくいただいてからチェックアウトした。そして、その足でまっすぐ株湯へと向かったのだった。

 株湯には飲泉場がある。私は、飲泉を自宅に持ち帰るために、ペットボトルをいくつか持参していたのだ。ガンモは、きのうに引き続き、株湯の駐車場で車をメンテナンスしたいらしい。私は、ガンモがメンテナンス作業を行っている間、株湯の前にある飲泉場からせっせと飲泉をペットボトルに詰めては車に運んだ。

 私が飲泉を詰め終わっても、ガンモがメンテナンス作業を続けていたので、私はガンモに、
「時間があるんだったら、株湯に入って来ていい?」
と尋ねてみた。ガンモは、
「うん、いいよ」
と、私が株湯に入ることを快く承諾してくれた。私は大急ぎで支度を整え、再び株湯へと向かった。しかし、どういうわけか、大きく開けられた番台の窓に塞がれて、株湯の入泉券を購入する自動券売機が利用できない状態になっていた。私は、どうしたものかとオロオロしながら、株湯の周りをウロウロしていた。

 すると、株湯の番台の女性の目に留まり、
「ここにも書いてありますけど、日曜日は十一時からなんですよ」
と言われてしまった。時計を見ると、まだ十時半になったばかりだった。湯治に来ていた頃は、株湯に来るのはもっと遅い時間だったため、株湯がオープンする時間を特に意識したことがなかったのだ。私は、株湯に入るのを諦めて、ガンモのいる車に戻った。

 さて、ガンモはというと、車のメンテナンスがほぼ終了したようだった。高速道路で使用するETCの車載機を取り付けるときに、カーナビやカーステレオも含めて、車内の電気回路をいろいろいじくり回したらしい。株湯が十一時から営業だったことをガンモに告げると、ここで三十分も待った上で株湯に入るほどの余裕はないということで、少々残念ではあったが、出発することになった。株湯には必ずまた来よう。親しい友達とほんの少しだけお別れするような、そんな気持ちで株湯とお別れした。

 いざ、出発の段階になり、ガンモがカーナビの電源を入れて目的地までのルートを検索しようとすると、何やらカーナビの様子がおかしいことに気がついた。
”走行中は操作できません”
というエラーメッセージが表示され、操作をまったく受け付けてくれないのである。ガンモは何度もガチャガチャとカーナビの配線をいじり、更にはカーナビの電源プラグを抜いたり差し直したりした。それでも、
”走行中は操作できません”
のメッセージは変わらない。それを確認したガンモが、再びカーナビの電源プラグを抜いて差し直したところ、カーナビから嫌な音がした。
「ぱーん」

 ガンモも私も、一瞬、何が起こったのかわからずに沈黙した。
「・・・・・・」
「何、あの音?」
「回路が焼けた音?」
「見て、煙が出てる」

 見ると、確かにカーナビから煙が出ていた。私は怖くなり、急いでシートベルトを外して車の外に出た。ガンモは冷静に、カーナビの電源プラグを本体から外した。それからは、ガンモが再び電源プラグを差し込んでも、二度とカーナビの電源が入ることはなかった。煙が出たところを見ると、やはり、回路が焼けてしまったらしい。ガンモが頭を抱えている様子からすると、どうやら、ガンモが配線を間違えて取り付けてしまったようだ。

 ガンモはシュンとして落ち込んだ。買ったばかりとは言えないまでも、まだそれほど使い込んでいるわけでもないカーナビだった。それが、ほんの一瞬のうちに回路がショートし、うんともすんとも言わなくなってしまったのである。長いことかかってやっと作り上げられたものなのに、壊れるときはほんの一瞬だ。ガンモはしばらく落ち込んでいたが、私たちは気を取り直して、アナログの地図を見ながら、次なる目的地へと向かった。それにしても、こんなに遠出しているというのに、カーナビがなくても、迷うことなく帰宅できるのだろうか。そんなことを思いながらも、わざわざカーナビが壊れたのは、カーナビの示すルートで待ち受けている困難を避けるためかもしれないと前向きに考えることにした。

 というわけで、この続きはまた明日。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m 心を込めて書き上げた記事には、たくさんの方たちが反応してくださっているようです。ある意味、皆さんの目はとても厳しいと実感していますが、とても励みになっています。いつも本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.06.03

三朝温泉で自分を取り戻す

 少し前から私は、久しぶりに三朝温泉の自然の恵みを受けたい気持ちが募っていた。お正月に湯治から帰宅してからというものの、ガンモと一緒に再び三朝温泉を訪れたいと思うようになっていた。しかしガンモは、既に鉄道乗り潰しが完了している地域への旅行には消極的になってしまうらしく、なかなか実現させることができなかった。

 そんな状況の中、ようやく私の提案が受け入れられ、数週間前に、ガンモと二人で三朝温泉に行こうという話が持ち上がり、運良く、三朝温泉のホテルも予約することができた。ところが、折しも義母の病気が再発し、それに加えて私が職場のクーラーによる激しい冷えに悩まされ始め、すっかり体調を崩してしまったことで、義母のところに足を運べない状況が続いてしまった。

 私たちは、三朝温泉行きをキャンセルして義母のところに行くか、それとも予定通り三朝温泉に行くかで、しばらく迷っていた。ガンモには、
「やっぱり三朝行きは諦めて、義母さんのところに行こう」
と提案したのだが、ガンモは予約したホテルをなかなかキャンセルしようとはしなかった。だから私は、この週末も再び体調不良に悩まされるなら、自分の身体を優先させて、三朝温泉の自然の恵みを受けに行こうと決めていた。

 不思議なことに、この一週間、職場の冷房に強く悩まされるということはなかった。次第に気温が高くなり、外気との温度差がそれほど開かなくなったこともあるのだろう。気温が高くなったことにより、私の座っている席だけでなく、他の人の席周辺にも、冷たい風が分散して放出されるようになった。そのため、私だけが集中的に冷たい風を受けるということが少なくなって来たのだ。また、アルミシートで毛布を覆ったことで、一気に保温性が高まったこともある。もしかすると、これ以上は耐えられない感じていたはずの極を超えられたのかもしれない。というのも、これまでのように冷風を防御していると、仕事中に汗をかくほどまでに回復して来たからだ。アルミシートによる保温効果が高まっているとは言え、拷問だと感じられるほど寒さを感じ切っていたはずなのに、それが一転して、汗をかくほどまでには至らないと思うのだ。私自身の中で確実に変化が起こっているのだった。いろいろな要因が重なっていることは確かなのだが、自分の身体と常に対話しながら、帰宅後に根気良く足湯を使い続けたことが良かったのかもしれない。とにかく、週末ごとに悩まされていた体調不良から、ようやく解放されつつあったのだ。

 そうした状況の中で、私はやはり、予定通り三朝温泉に行っておきたいという気持ちが強まって来た。冷えを克服するためのエネルギーをもっと加速させ、更にはもっと確実なものにするためだ。そして、私はガンモに言ったのだ。
「やっぱりこの週末は、三朝温泉に行く」
と。ガンモも快く承諾してくれた。

 さて、今回は、列車でもバスでもなく、ガンモの運転する自家用車で向かうことになった。我が家から三朝温泉までは二三〇キロ以上ある。これまで、鉄道の旅を中心に続けて来ただけに、自家用車では久しぶりの遠出となった。

 午前中に自宅を出て、途中の中国道勝央サービスエリアで昼食を取ったあと、三朝温泉に入ったのは、十四時くらいだった。ホテルのチェックインの時間にはまだ少し早かったので、私たちは三朝温泉を通り越して、三徳山(みとくさん)の投入堂(なげいれどう)を下から観光することにした。

 ここは、世界遺産に向けての積極的な活動が行われているほど貴重なお堂で、昔々、修行を積んだ行者さんが、平地で組み立てたお堂を「えいやっ」と急な斜面に向かって投げ入れたということから投入堂と呼ばれているらしい。その投入堂は、現在、修復中であるにもかかわらず、投入堂を一目見ようと、駐車場を埋め尽くすほどたくさんの観光客が訪れていた。下から見上げるだけでも、急な山の斜面にお堂がしっかりと建っているのは、実に不思議な感じがした。

 私たちは、投入堂を下から見上げるだけに留め、株湯に入ることにした。株湯とは、湯治の間中、私が毎日のように通った三朝温泉の元湯である。入泉料はわずか二百円。脱衣場には鍵のかからないオープンなロッカーがあり、トイレもなく、カランの設備もない。そんな素朴な公衆浴場だ。それでも、この株湯に入れなくなるから引越しなんかしたくないと言わせてしまうほど、地元のおばあちゃん達に深く愛されている。

 ガンモの運転する車は、細い路地を慎重に入り、株湯の駐車場に収まった。私は、半年前のことが懐かしくてたまらなくなった。何十センチも雪が降り積もっていた道を、毎日のように一人で歩いて株湯まで通っていたこと。ガンモと離れたことで、激しい孤独を感じながらも、自然の恵みをいっぱいに受けていたあの頃のこと。そのときのことをガンモに語ろうとすると、知らず知らずのうちに私は涙声になっていた。懐かしくて寂しいけれど、とてもありがたい場所。それが、私にとっての株湯だ。

 初夏の株湯は、一言で言って、とても熱かった。半袖でちょうどいいくらいの季節なのに、お湯の温度は四十六度以上もあったらしい。男湯でガンモが、
「あちっ」
と声を上げているのが聞こえて来た。株湯は、一つの湯船を男湯と女湯で真ん中に区切っているので、女湯に居ても男湯の声がとても良く聞こえて来るのだ。私は、男湯にいるガンモに話し掛けながら、熱い湯船にのんびりと身体を浸した。そして、株湯の浴室にたくさん溶け込んでいるであろうラドンを思い切り吸い込むために、深呼吸を繰り返した。

 ガンモは、
「あちーからもう出る」
と言って、私よりも先に株湯から上がった。私は、
「外で写真でも撮ってな」
とガンモに言った。

 私は、久しぶりの株湯を堪能した。確かにお湯の温度は熱かったが、私の持っている、本来のパワーがどんどん引き出されるような、そんなポジティヴなエネルギーを受け取ることができた。株湯は本当にありがたい。冬の株湯も夏の株湯も、ただ季節が変わっているだけで、株湯だけは変わらずに、ただそこにあった。

 私が株湯から上がると、ガンモは、駐車場でETCの車載機を熱心に取り付けていた。私たちが住んでいるマンションには、車をメンテナンスできるスペースがないため、ずいぶん前に購入していたETCの車載機を、ずっと取り付けられずに居たのだ。ガンモは、株湯は熱くてたまらなかった様子だが、株湯の広い駐車場はとても気に入ったようだった。

 それから私たちは、ホテルにチェックインしたあと、三朝温泉を歩いて探索した。足湯にもとっぷりとつかってみたが、やはり、熱い。熱いけれど、オフィスの冷房で足が冷え気味だった私には、その熱さがちょうど良く感じられた。

 三朝の町は、本当に懐かしかった。一面雪景色だった三朝の町も、今はすっかり緑色に染まっていた。河原にある露天風呂では、たくさんの男性たちがすっぽんぽんでお風呂に入っていた。ホテルの浴衣を着込んだたくさんの観光客たちが、温泉街を練り歩いていた。三朝の町は、冬場に訪れたときよりも、ずっと活気づいていたのだった。しかし、私は何となく寂しいような気持ちを感じていた。

 というのも、湯治に来ていた頃の私は、観光客ではなく、半分住民のような気持ちだったからだ。しかし、今は一日限りの観光客だ。三朝の町に、完全には溶け込めない自分が悲しかったのだ。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。半年ぶりに三朝温泉にやって来ました。やはり、ここは、本当に素晴らしい場所です。本来の自分自身が引き出されるような、眠っている細胞が起こされるような、そんなエネルギーを惜しみなく注ぎ込んでくれます。湯治を終えて帰宅するときに、世界が違って見えたことを思い出しました。しかし、健康なガンモにとっては、「三朝温泉は熱い」というイメージがたたきつけられたようであります。(^^; 身体を悪くして、自分から欠けて行ったものが取り戻されて行くプロセスを楽しめるということは、むしろ幸せなことのかもしれません。

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2006.06.02

ガンモのツインソウル

 以前、掲示板に書き込みをしてくださった方への返信にも書いたことがあるのだが、私は、ガンモのツインソウルの魂に出会ったことがある。

 あれは、結婚前に私が初めてガンモのアパートに泊まった夜のことだった。今でもあれが夢だったのか、それとも現実だったのか、なかなか区別をつけられないでいるのだが、夢にしてはあまりにもリアルな夢だった。

 私がガンモの隣で寝ていると、玄関のドアがガチャガチャと音を立てて開けられ、誰かが部屋に入って来る気配を感じたのだ。確か、玄関のドアは寝る前にきちんと鍵を掛けておいたはずだった。だとすると、部屋に入って来た人は、ガンモの部屋の合鍵を持っていたのだろうか。一体何が起こっているのかわからないまま、恐る恐る、入って来た人を見てみると、ポニーテールの女性だった。しかも、彼女は何も衣服をつけていなかった。裸だったのだ。私は、彼女がいとも簡単に玄関のドアを開けて入って来たので、ガンモと特別親しい女性なのだろうかと思った。それでも、私は直感的に、この女性は私には危害を与えないだろうということがわかっていた。

 彼女は、ガンモの隣で寝ている私には目も暮れず、まっすぐにガンモに近づいて、テレビドラマで見るような、クロロホルムをかがせるような仕草をした。ガンモは私の隣でぐっすりと寝入っていた。私は、その光景をすぐ横で見守りながら、ガンモと一緒に気を失ってしまったように思う。それから先のことは何も覚えていない。ただ、彼女からガンモに注がれる光のような強い愛のエネルギーを感じ取っていた。それはまるで、愛の塊だと断言できるほど強烈なエネルギーだった。

 翌朝、ガンモにこのことを話してみると、ガンモには、そのような女性にまったく心当たりがないと言う。また、ゆうべ、自分が寝ている間にそのようなことが起こっていようとは、夢にも思わなかったと付け加えた。それでも、少し考えて、
「髪型は?」
と私に聞いて来た。しかし、私が即座に、
「ポニーテール」
と答えると、ガンモは更に首をかしげるばかりだった。

 あれから何年も経った今、私は思うのだが、彼女はガンモのツインソウルの魂だったのではないだろうか。私と結婚することを知った彼女の魂が、ガンモに愛のエネルギーを注ぎ込んで、ガンモを送り出してくれたのではないだろうか。彼女の持っていた強烈な愛のエネルギーを思い出すと、私はそんなふうに感じるのである。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あれから十年ほど経っていますが、ガンモも私も、この魂とはまだ現実には出会っていないようです。現実に出会ったら、きっとわかるでしょう。それだけ強いエネルギーを持った女性でしたから。

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2006.06.01

パーソナル

 毎月一日は映画の日。そんなことを思いながらも、映画の上映時間にはとても間に合わない時間に仕事を上がった。上司は今日も出張でいなかったので、定時に上がることもできたのだが、さすがに連日、定時で上がるのは少々気が引ける。

 ガンモに電話を掛けてみると、またまた仕事が忙しく、帰りは遅くなると言う。映画を観る予定もなかった私は、一人でぶらぶらしたあと、ゆっくりと帰宅した。

 帰宅して一時間もしないうちに、玄関のドアがバタンと開いた。仕事が遅くなると言っていたはずのガンモが帰って来たのだ。私は驚いて、
「あれ? 遅くなるんじゃなかったの?」
と尋ねた。ガンモはそれには答えず、
「電話が通じない」
と私に言った。慌てて携帯電話を見てみると、電源がOFFになっていた。いつの間にか、電池が切れてしまっていたのだ。私は、予備の電池を持ち歩いているため、携帯電話は電池が切れるまで使う。電池が切れると、充電してあるほうの電池に切り替えて、切れてしまったほうの電池を充電しておくという方式を取っている。

 「電話が通じないから、映画を観に行ったのかと思ってた」
とガンモは言ったが、私と連絡が取れなかったことで、少々ご機嫌斜めの様子が見て取れる。一方、私はと言えば、ガンモの仕事が遅くなるというので、携帯電話に注目することなく、自宅で待機していたのだった。

 仕事で帰りが遅くなるはずだったガンモは、途中で予定が変更になり、いつもと変わらない時間に帰れることになったようだ。そのことを私に伝えるために、私に一生懸命電話を掛けていたのだが、電話がまったく通じないので、私が映画でも観ているのかと思ったらしい。そのとき、私の携帯電話は、私の知らないうちに電源がOFFになっていた。ガンモの仕事が予定変更になるという要因と、私の携帯電話がOFFになるという要因が重なって、ガンモと連絡が取れなくなってしまったというわけだ。

 携帯電話が世の中に広まって、便利になった部分もあれば、不便になった部分もある。不便になったと思うのは、携帯電話の便利さを知ってしまったからこそ感じることである。例えば、今回のように、電源がOFFになってしまうと通じなくなってしまうのは、不便なことである。しかし、必ずしも毎回、電源が切れるということが不便なことであるとは限らない。

 例えば、映画館などでは、電源をOFFにしておかなければ、他の人たちに迷惑になる。携帯電話はあくまでパーソナルなツールであり、映画の上映中に私に電話が掛かって来たとしても、その他大勢の人たちにとっては、何の関係もないことなのである。だから、電話を受ける人がパーソナルなモードに入っているかどうかで、携帯電話の便利さが決まるのだ。しかし、そこにはかつて、初めてテレビが自宅に届けられたときのように、近所の人たちが集まって一つのテレビを見入るといったような交流がなくなってしまっていることを意味している。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m 何だかこの記事を書きながら、映画館や電車の中で、個人宛に掛かってきた電話に無関心であることのほうが社会問題であるかのように思えて来ました。(苦笑)

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