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2006.05.12

エクスタシー

 誰かの書いた文章を読んだときに、突き上げられるような感動に震えることがある。先日、ゴダイゴの再結成ライブに出掛けたあと、私はネット上に綴られたゴダイゴライブの感想をせっせと検索していた。ある人が綴ったライブの感想の中に、長年聴きたいと思っていた曲が、会場の外からリハーサル音として漏れ聴こえて来たとき、身体に電流が走るのを感じたという表現を見つけた。私はその文章を読んだ途端、自分の中に既にあった経験とリンクして、涙が込み上げて来た。

 楽しみにしていた曲をようやく生で聴けたという大きな喜びが、身体に電流が走るのを感じたという究極的な表現で綴られている。私も七年前の彼らの再結成ライブで、その感想文を綴った人が楽しみにしていたのと同じ曲のイントロを生で聴いた途端、身体に電流が走るのを経験している。おそらく、同じような経験をしているのは、その曲を何度も何度もアルバムで繰り返し聴き込み、生の演奏を聴くことをずっと心待ちにしていた同世代の人たちなのだろう。中には同じような現象を、鳥肌が立つという表現で綴っている人たちもいた。

 人は普段、ある枠の中で生きている。その枠の中では理性が働き、感情も枠の中に留まろうとする。しかし、何らかのきっかけで、その枠を一気に越えてしまうような経験をすることがある。そして、突如として、自分がこれまで知らなかった領域に連れて行かれるのだ。そのときの感情を表現するのに、電流が走るなどのような究極的な表現が用いられることが多い。

 例えば私自身もそうだが、運命的な出会いを経験した人は、その出会いについて語るとき、電流が走ったなどと言う。また、鐘が鳴ったなどと表現する人もいる。そうした経験のある人は、自分自身の経験とリンクさせて、他の人たちの同じような表現に涙し、枠を越えた部分で分かり合ってしまう。

 エクスタシーの原義は、魂が自分の境地の外に出ることだと言う。私は、エクスタシーとは、枠を越えたことによって感じる喜びだと思う。リハーサルのときに漏れ聴こえて来た音に電流を走らせた人は、エクスタシーを感じたのだ。運命的な出会いを果たした人も、その出会いにエクスタシーを感じたのだ。エクスタシーを感じた人は、エクスタシーの部分で分かり合う。その相互理解のスピードは、電流が走るのと同じスピード、つまり、光速と等しいのかもしれない。

※愛ちゃんへ 早速の返信ありがとう。「ガンまる日記」からわざわざ引用記号を入れながら引用してくれたんだね。大変だったでしょう。(笑)また掲示板に返信させてもらうね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m 二日間仕事を休んで、少し元気になりました。(^^) 皆さまも有意義な週末をお過ごしください。SHANAくんの作品展、開催中のようですよん。

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