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2006.05.31

映画『明日の記憶』

 水曜日は、HAT神戸にある映画館がレディースディで、わずか千円で映画が観られる。上司たちが出張に出掛けているのをいいことに、私は定時で仕事を上がり、まずはガンモに電話を掛けてみた。ガンモは今夜も深夜まで仕事だと言う。私が映画を観たいと思うと、ただちにガンモの仕事が忙しくなるのが不思議だ。私は、上映時間に遅れないように、大急ぎで映画館へと向かった。

 この映画は、働き盛りの男性が、若年性アルツハイマー病にかかってしまうという話である。渡辺謙さん演じる広告代理店の部長、佐伯雅行と、樋口可南子さん演じるその妻、枝実子が、若年性アルツハイマー病と正面から闘う姿が描かれている。

 私は、自分の知っている広告代理店の部長さんとだぶらせながら、この映画を観ていた。広告業界のことは良くわからないが、私はその部長さんの仕事ぶりから、広告代理店の仕事の忙しさを多少なりとも理解しているつもりだ。私の知っている部長さんは、同時進行でいくつもの企画書を書き上げ、間に合わないときは自宅に持ち帰ってまで熱心に仕事をこなしている。ようやく出来上がった企画書を武器に、クライアントのところまでプレゼンに出掛けて行くが、プレゼンまでこぎつけても、必ずしも仕事が取れるとは限らない。その部長さんは、
「プレゼンをプレゼントだと思っているクライアントが多い」
などとぼやいていた。やっとのことでプレゼンまでこぎつけても、提案した企画が通らなければ契約が成立しないので、クライアントからはお金をもらえないのだそうだ。だから、「プレゼンをプレゼントだと思われている」などとぼやきたくもなるらしい。

 多少なりとも広告業界の事情を耳に挟んでみると、大手クライアントに企画が通り、大きなプロジェクトが動き始め、そのプロジェクトが軌道に乗っている真っ最中に若年性アルツハイマー病に侵されていることが発覚してしまったことは、佐伯部長にとって、奈落の底に突き落とされるほどの絶望感を感じたに違いない。自分が不治の病に侵されているとわかっていても、すぐに職を退くことなどできないという自らの仕事への責任感が、佐伯部長にはある。責任の大きさに大差はあるものの、仕事を持つ立場の人間として、私にもそれが理解できる。また、自分が病気になってしまったことを、一緒に仕事をしている部下やクライアントに知られたくない気持ちも少しはわかる。第一線で活躍していたはずの自分が、少しずつ進行して行く若年性アルツハイマー病によって、次第に自分でなくなって行くような喪失感。自分の肉体が何をしでかすかわからないという恐怖心と、自分の肉体をコントロールできないことへのやるせなさ。佐伯部長のそうした葛藤が良く描かれている。

 やがて佐伯部長は、広告業界の現役を退き、資料整理係としてしばらく勤務することになるが、間もなく退職することになる。佐伯が退職してからは、妻の枝実子が佐伯を精神的にも金銭的にも支える生活が始まる。

 アルツハイマーという病気は、進行を遅らせることはできても、完治できる病ではないそうだ。だから、私は映画を観ながら、この映画はどこに解決を求めるのだろうとしきりに考えていた。そのため、私自身の感覚が、この映画のどのシーンにも拠り所を見いだすことができず、途方に暮れていた。そういう意味で、気の置けない映画だった。

 印象的だったのは、病院の階段で、夫婦が二人で泣くシーン。あのシーンは、本物の夫婦の絆を映し出したシーンだとさえ感じた。病名を知ってしまった二人が、どうしようもない絶望を感じて一緒に泣くのだが、とにかく、絶望のどん底にありながらも、寄り添う二人の涙がいい。それから、大滝秀治さんの名演技。あの人は本当に名役者さんだ。役者になるために生まれて来たような人だと思う。また、全体的に静かに絡み合うような音楽もいい。 

 不治の病を抱えた人間と、健康な人間が一緒に生きて行くということ。例え二人の間に深い愛情があったとしても、決して二人が中間地点で交わることはなく、健康な人間が病を受け入れ、理解し、不治の病を抱えている人のもとに歩み寄らなければ始まらない。同じ体験を共有できないという意味では、二人とも孤独なのだ。それを単なる一方通行だと感じてしまえば、健康な人間はいつまで経っても実りがない。だから、時には感情が大爆発して、言い争いにもなる。しかし、佐伯に対して過去の恨み言を言い放ち、これ以上言いたいことがない状況にまで追い込んだあと、枝実子の表情は柔らかくなる。不治の病を抱えた夫から、決して逃げまいとする妻の姿がそこにあった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これは、なかなか感想を書き辛い映画でした。というのも、映画の中に、病気に対する解決がないからです。アルツハイマー病は、こうすれば病状が良くなるといった類の病気ではないようです。でも、やはり、映画としても、現実としても、「逃げ出さない」ということを強く意識してしまいました。そして、「逃げ出さない」という状況を、私自身の状況にも置き換えました。妻が逃げ出さないから、この映画が感動的な映画として成り立っているとも思えます。それは、病気に対して強い受身の姿勢を貫くことでもあります。悲劇的な現実に直面しながらも、その段階でできることを精一杯こなして行こうとする姿が、この映画には描かれています。

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