« 映画『きみに読む物語』 | トップページ | 比較 »

2006.05.25

弱肉強食

 鳩が、玄関に置いてある台車の下に巣を作り始めていたという話を、以前、ここに書いた。玄関に巣作りされてはたまらないので、思い切って、ガンモがその巣を撤去した。どうやら角部屋の我が家は、鳩の巣として恰好の立地条件らしい。その後、彼らは再び台所の横にあるベランダに巣を作り、卵を産んだ。あるときガンモがその卵を見つけ、
「卵が二つある」
と、ニコニコしながら私に報告してくれた。糞が汚いなどと言いながらも、巣作りのために鳩が我が家を選んでくれることが、私たちにはうれしいのだ。

 私たちは、その卵がどうなるのか、じっくりと観察していた。マンション周辺を糞で汚すため、最近は、餌を与えることを控えていたのだが、毎日交代で熱心に卵を温めている彼らを見ていると、応援せずにはいられなかった。特に、母ちゃん(母鳩)は、父ちゃん(父鳩)よりも長い時間、卵を温めていた。まだまだ気温が安定しない時期のことで、木の枝で巣作りしているとは言うものの、母ちゃんは、冷たいコンクリートの上にお腹を乗せ続けることになる。私は、
「母ちゃん、お腹を冷やし過ぎて婦人病にならなきゃいいけど」
などと言いながら、彼らの様子を静かに見守っていた。

 去年、我が家で始めて卵が孵化したときは、二つ産み落とされた卵のうち、一つしか孵らなかった。そのとき生まれたのがモリゾーである。モリゾーもときどき餌を食べにやって来るが、父ちゃん、母ちゃんは、モリゾーを一人立ちさせたい気持ちが強いらしく、餌を食べにやって来たモリゾーを激しく攻撃する。時には、モリゾーに噛みついてまで、追い払おうとするのだ。

 モリゾーが生まれたあとに、別のところで誕生したらしい雛もいる。キッコロである。キッコロは、我が家の玄関を住処としている。しかし、玄関を糞で汚すので、最近は優しく追いやっている。鳩が卵を一つだけ産み落とすとは考えにくいので、おそらくキッコロにも兄弟が居たはずだ。しかし、一つしか孵らなかったか、孵っても育たなかったかのどちらかだろうと思う。

 そんな背景もあって、
「今度は卵が二つとも孵るといいね」
とガンモと話していた。そして、平日のある日、私が仕事に出掛け、ガンモが休みのときに、ガンモからメールが届いた。それは、卵が二つとも孵ったといううれしい知らせだった。

 私たちは、雛の誕生を心から喜び、父ちゃん、母ちゃんに餌をはずんだ。雛は二羽とも元気で、すくすく成長しているように見えた。しかし、ときどきカラスがベランダにやって来ているのが気になっていた。

 あるとき、私がベランダに立っていると、ベランダの手すりに止まっていた父ちゃんが、
「クウ」
と低い声を出した。それは、普段、あまり耳にすることのない鳴き方だった。すると、下で餌を食べていた母ちゃんがバサバサと音を立てて直ちに飛び上がり、父ちゃんと一緒に飛び立って行ったのだ。空を見上げると、カラスが飛んでいるのが見えた。「クウ」という低い声は、「カラスが来た!」という警告の合図だったのだ。

 それからも何度となく、カラスは我が家のベランダにやって来ていたようだった。ガンモもその姿を見掛けている。父ちゃん、母ちゃんは、カラスがやって来ると、素早く散らばる。その様子を見たガンモは、
「多分、雛に意識を向けないようにするためだろう」
と言った。

 そして・・・・・・。とうとう運命の日がやって来た。雛が孵ってからというものの、ガンモは、寝室の窓から雛の成長を見守るのが日課になっていた。父ちゃん、母ちゃんは、昼間のうちは巣から離れて遠目で雛を見守ることもあるのだが、夜は母ちゃんが巣で幼い雛を守っている。ガンモが寝室の窓からのぞき込むと、雛を守っている母ちゃんがガンモをじっと見上げるのだそうだ。

 仕事から帰宅し、ガンモがいつものように寝室の窓から雛の様子を見ようとすると、巣はもぬけの空だったそうだ。ガンモはすぐに外に出て、巣を確認しに行ったらしい。そして、私を呼んでこう言った。
「やられた!」
雛が、カラスに連れ去られたのだ。巣を見てみると、父ちゃん、母ちゃんがせっせと集めた木の枝が散らばっている。巣は荒らされ、雛の姿はそこになかった。

 これが人間の世界の話であれば、大事件である。新聞には掲載されるし、テレビやインターネットのニュースでも大々的に流され、みんなの意識が集まる。しかし、連れ去られたのは鳩の雛だ。だから、事件にはならない。おそらく、カラスの餌になってしまったというのに。

 私たちは、お風呂の中で雛の運命を憐れんだ。
「鳩は動物だから、悲しみを感じないのかな」
とガンモは言った。
「いや、それはわからない」
と私は答えた。確かに動物は、人間よりも、死の現実を受け入れる能力が優れている。だからこそ、たくさん子供を産むのかもしれないが、親子という関係については、人間と変わりがない。彼らは雛がいなくなったことを、どのように感じているのだろうか。

 私は、鳩の雛の運命を不憫に思う一方で、鳥の肉を食べ続けている人間のことをも思った。鳩の雛がこのような形で命を落とすことについては心を痛めても、誰かが殺してくれた鳥の肉を食べることに関しては無頓着である。私は以前、そういう観点から、ほ乳類と鳥類の肉が食べられなくなった時期があった。親鳩たちが成長を心待ちにしている雛さえも奪い取り、餌にすることが愛だと言うのだろうか。弱肉強食は、本当に自然のルールなのだろうか。では、そのルールの中に、いつまで経っても人間が組み込まれないのは何故なのだろう。私はその答えを出せないまま、雛がいなくなったことも、数日のうちに忘れ去ってしまうであろうことを予想した。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。父ちゃん、母ちゃんが、深い悲しみを感じているかどうか、私にはわかりませんでした。これだけで、この話が終わってしまうことが、残念に思えます。いつか、この続きを語ることができることを願っています。

|

« 映画『きみに読む物語』 | トップページ | 比較 »