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2006年5月

2006.05.31

映画『明日の記憶』

 水曜日は、HAT神戸にある映画館がレディースディで、わずか千円で映画が観られる。上司たちが出張に出掛けているのをいいことに、私は定時で仕事を上がり、まずはガンモに電話を掛けてみた。ガンモは今夜も深夜まで仕事だと言う。私が映画を観たいと思うと、ただちにガンモの仕事が忙しくなるのが不思議だ。私は、上映時間に遅れないように、大急ぎで映画館へと向かった。

 この映画は、働き盛りの男性が、若年性アルツハイマー病にかかってしまうという話である。渡辺謙さん演じる広告代理店の部長、佐伯雅行と、樋口可南子さん演じるその妻、枝実子が、若年性アルツハイマー病と正面から闘う姿が描かれている。

 私は、自分の知っている広告代理店の部長さんとだぶらせながら、この映画を観ていた。広告業界のことは良くわからないが、私はその部長さんの仕事ぶりから、広告代理店の仕事の忙しさを多少なりとも理解しているつもりだ。私の知っている部長さんは、同時進行でいくつもの企画書を書き上げ、間に合わないときは自宅に持ち帰ってまで熱心に仕事をこなしている。ようやく出来上がった企画書を武器に、クライアントのところまでプレゼンに出掛けて行くが、プレゼンまでこぎつけても、必ずしも仕事が取れるとは限らない。その部長さんは、
「プレゼンをプレゼントだと思っているクライアントが多い」
などとぼやいていた。やっとのことでプレゼンまでこぎつけても、提案した企画が通らなければ契約が成立しないので、クライアントからはお金をもらえないのだそうだ。だから、「プレゼンをプレゼントだと思われている」などとぼやきたくもなるらしい。

 多少なりとも広告業界の事情を耳に挟んでみると、大手クライアントに企画が通り、大きなプロジェクトが動き始め、そのプロジェクトが軌道に乗っている真っ最中に若年性アルツハイマー病に侵されていることが発覚してしまったことは、佐伯部長にとって、奈落の底に突き落とされるほどの絶望感を感じたに違いない。自分が不治の病に侵されているとわかっていても、すぐに職を退くことなどできないという自らの仕事への責任感が、佐伯部長にはある。責任の大きさに大差はあるものの、仕事を持つ立場の人間として、私にもそれが理解できる。また、自分が病気になってしまったことを、一緒に仕事をしている部下やクライアントに知られたくない気持ちも少しはわかる。第一線で活躍していたはずの自分が、少しずつ進行して行く若年性アルツハイマー病によって、次第に自分でなくなって行くような喪失感。自分の肉体が何をしでかすかわからないという恐怖心と、自分の肉体をコントロールできないことへのやるせなさ。佐伯部長のそうした葛藤が良く描かれている。

 やがて佐伯部長は、広告業界の現役を退き、資料整理係としてしばらく勤務することになるが、間もなく退職することになる。佐伯が退職してからは、妻の枝実子が佐伯を精神的にも金銭的にも支える生活が始まる。

 アルツハイマーという病気は、進行を遅らせることはできても、完治できる病ではないそうだ。だから、私は映画を観ながら、この映画はどこに解決を求めるのだろうとしきりに考えていた。そのため、私自身の感覚が、この映画のどのシーンにも拠り所を見いだすことができず、途方に暮れていた。そういう意味で、気の置けない映画だった。

 印象的だったのは、病院の階段で、夫婦が二人で泣くシーン。あのシーンは、本物の夫婦の絆を映し出したシーンだとさえ感じた。病名を知ってしまった二人が、どうしようもない絶望を感じて一緒に泣くのだが、とにかく、絶望のどん底にありながらも、寄り添う二人の涙がいい。それから、大滝秀治さんの名演技。あの人は本当に名役者さんだ。役者になるために生まれて来たような人だと思う。また、全体的に静かに絡み合うような音楽もいい。 

 不治の病を抱えた人間と、健康な人間が一緒に生きて行くということ。例え二人の間に深い愛情があったとしても、決して二人が中間地点で交わることはなく、健康な人間が病を受け入れ、理解し、不治の病を抱えている人のもとに歩み寄らなければ始まらない。同じ体験を共有できないという意味では、二人とも孤独なのだ。それを単なる一方通行だと感じてしまえば、健康な人間はいつまで経っても実りがない。だから、時には感情が大爆発して、言い争いにもなる。しかし、佐伯に対して過去の恨み言を言い放ち、これ以上言いたいことがない状況にまで追い込んだあと、枝実子の表情は柔らかくなる。不治の病を抱えた夫から、決して逃げまいとする妻の姿がそこにあった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これは、なかなか感想を書き辛い映画でした。というのも、映画の中に、病気に対する解決がないからです。アルツハイマー病は、こうすれば病状が良くなるといった類の病気ではないようです。でも、やはり、映画としても、現実としても、「逃げ出さない」ということを強く意識してしまいました。そして、「逃げ出さない」という状況を、私自身の状況にも置き換えました。妻が逃げ出さないから、この映画が感動的な映画として成り立っているとも思えます。それは、病気に対して強い受身の姿勢を貫くことでもあります。悲劇的な現実に直面しながらも、その段階でできることを精一杯こなして行こうとする姿が、この映画には描かれています。

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2006.05.30

本籍地を思い出す

 ガンモの仕事が休みだったので、私たちは自宅近くのスーパーで待ち合わせをした。早朝からの出勤と、深夜に及ぶ作業で寝不足気味だったガンモも、たっぷりと睡眠を取り、体力も回復したようである。

 スーパーの外で、見覚えのある女性とすれ違った。しかし、どこの誰なのか思い出すことができない。彼女と会話をしたことがあるのは間違いないはずなのだが、一体、どこの誰なのだろう。しばらく考え込んで、ようやく思い出すことができた。彼女は、ガンモと私が結婚直後に住んでいた同じアパートの住人だった。そこまでは思い出せても、名前までは思い出すことができなかった。

 そのアパートは、ガンモが独身の頃から借りて住んでいたアパートだった。閑静な住宅街にある所帯向けのアパートだったのだが、ガンモはそこに一人で住んでいた。私は、東京からガンモのところにお嫁に来たときに、ガンモの住んでいたそのアパートに転がり込んだのだった。何故、ガンモが一人で所帯向けのアパートに住んでいたかと言うと、一人住まいのアパートは、学生さんが多く、夜になるととても騒がしかったからだそうだ。私たちの住んでいる地域は、大学が多いせいか、学生さんが特に多いのである。

 私たちは、そのアパートの二階の角部屋に住んでいた。一方、彼女は、一階の反対側の部屋に住んでいた。私は、結婚した直後から働き始めたので、他の住人の方たちとは挨拶程度の付き合いしかなかった。確か、そのアパートの家賃は、駐車場代を含めて十二万円だったと思う。毎月それだけ払い続けるなら、分譲マンションを買ったほうがいいのではないかという話になり、私たちは二年後に、そのアパートから歩いて五分ほどのところにある現在の分譲マンションに引っ越して来た。

 郵便局に転送通知願いを提出していたにもかかわらず、私たちがアパートを引き払ってからも、私たち宛の郵便物は、かつてのアパートに頻繁に届いていたようだった。一度、パソコンに入力された住所がなかなか訂正されないことを実感したのはこの頃だった。彼女は、アパートに届いた郵便物をまとめて、わざわざ私たちのマンションに持って来てくださったのだった。そんなことがあったことを、こうして彼女とすれ違うまで忘れてしまっていた。

 彼女は、私たちに気づくことなく通り過ぎて行った。彼女の隣には、小学生くらいの女の子が並んで歩いていた。彼女には確か、二、三歳くらいの女の子のお子さんが居たはずだ。あれから八年も経っているのだから、その小さな女の子が小学生くらいにまで成長していても、決しておかしくはない。成長までのプロセスを見届けていない私たちからすると、あれほど小さかったお子さんが、早くも小学生なのだという驚きはある。小学生の女の子は、お母さんの横に並び、しっかりとした意志を持って歩いていた。子供の成長は、何とめまぐるしいのだろうと私は思った。

 私たちは、結婚当初に住んでいたあのアパートを、本籍地として登録している。私たちの結婚生活が始まった大切な場所だからだ。今のマンションに引っ越してからも、そのアパートで生活していたときのことが忘れられずに、ガンモと二人でこっそりアパートの様子を見に行っていたこともある。

 あるとき、そのアパートに灯りが灯っているのを発見した私たちは、うれしいような寂しいような、不思議な感覚に襲われたものだ。私たちが新婚時代を過ごした大切な賃貸アパート。今よりもずっと狭かったけれど、新婚時代の想い出がたくさん詰まっているアパート。そのアパートを出て行くとき、ガンモと二人でそれぞれの部屋で過ごした想い出を語り合いながら、一つ一つの部屋にお別れのあいさつをしてから出て行った。そこに、新しい住人が住み始めた。もしかすると、彼らも新婚さんかもしれない。新しい住人が住み始めたのを確認してからは、私たちもあのアパートに足を運ぶこともなくなった。

 スーパーの前で彼女とすれ違わなければ、そうした出来事も、記憶の彼方に追いやってしまったままだったかもしれない。私たちが思い出すように、彼女は実にタイミング良く、私たちの前に現れてくれたに違いない。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 新しいブログがどんどんランクインして来る中で、「ガンまる日記」は大変息の長いブログになりつつあります。 ブログランキングへの「ガンまる日記」の登録番号は、1396です。次々にブログを開設される方が多い中で、ブログランキングへの最新の登録番号は、既に何百万台にもなっている模様です。ここまで来られたのも皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.05.29

守護霊

 ガンモは月に一回程度の割合で、電車で行くと一時間半ほどかかる私の職場近くの客先まで、朝五時に起床して出掛けて行く。眠い目をこすりながらの車出勤は、私も気が気ではない。そんなとき、どんなことが起こっても受け入れられる自信のなさを、まざまざと実感させられる。あたかもガンモのことを心配するようでいて、実際は自分のことを心配しているのではないだろうかと自問自答してしまうのは、たいていこのときだ。

 早朝出勤した日のガンモは、比較的帰宅が早い。私は、車で出掛けたガンモが無事に帰宅してくれることを自分の守護霊に祈っている。しかし、早朝出勤した日であっても、別の客先のトラブル対応のため、作業が深夜まで及ぶことがある。その日もそんな一日だった。

 私が仕事を終えてガンモに電話を掛けると、ガンモは別の客先で発生したトラブルに対応中だと言う。
「何時に帰るの?」
と尋ねると、
「明日」
と言う。ガンモはひどく慌てていて、今すぐにでも電話を切って仕事に戻りたそうな雰囲気だった。私は切羽詰まっているガンモの様子に驚き、慌てて電話を切った。

 午前0時を回った頃、ガンモに電話を掛けてみると、ようやく仕事が片付いて、もう少しで帰宅できそうだと言う。翌日、仕事のある私は、お風呂に入り、寝る体制を整えてからベッドに入り、再びガンモに電話を掛けてみた。すると、ガンモが、
「今、帰ってるところ」
と言うので、すぐに電話を切った。もう午前一時を回っていた。朝五時に起きて出掛けて行ったガンモは、一体何時間働いているのだろう。早朝から出掛けて、へとへとになっているんじゃないだろうか。車の運転は大丈夫だろうか。気が気じゃないので、守護霊にしっかりお願いしてから、私はうとうとと眠りに就いた。

 午前二時頃、ガンモは無事に帰宅したようだった。私は寝室の電気をつけたままにしておいた。ガンモが帰って来て部屋の中でゴソゴソしているのが聞こえて来る。ああ、無事だったのだ。とにかく良かった。私は眠い意識の中で、守護霊にお礼を言った。お礼というよりも、「うれしくてはしゃぐ」という表現のほうが近いかもしれない。守護霊は、願いごとが実現して大喜びする私たちの反応がうれしくて、また次も喜んで私たちを守ってくれるのだそうだ。その度に私は、まだまだ生かされていることを実感するのだった。ガンモがハワイに行っているときも、守護霊に何度お願いしたことだろう。

 ガンモが帰宅してからしばらくすると、ガンモの携帯電話が鳴った。どうやら先ほどのトラブルの件が尾を引いているらしい。二十四時間稼働している大きな工場のお客さんのトラブル対応は、深夜でもおかまいなしに行われる。ガンモは、寝ている私を気遣いながら、寝室の外に出て対応していた。しばらくすると、電話を終えたガンモがベッドにもぐり込んで来た。さすがにこれから出掛けて行く必要はないらしい。私は朦朧とした意識の中で、ガンモが隣に居ることに安堵していた。

 ガンモの仕事が深夜に及んだときに、朝、目覚めてみるとガンモが隣にいる喜びと、守護霊に守られ、生かされているというありがたさを実感しながら、私は、
「ガンモ、お疲れさん。無事で良かった」
と、寝ているガンモにキスをしてから仕事に出掛けるのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m オフィスの空調は、膝掛けに巻き付けていた厚手のビニールシートを、アルミシートに変えてみたところ、格別に暖かくなりました。(^^) これから少しずつ、本調子を取り戻して行きたいと思っています。これまで温かい言葉を掛けてくださった皆さん、どうもありがとうございます。あっ、言い忘れていましたが、コトリさん、腹巻きは愛用しておりますよん。(^^)

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2006.05.28

悪循環を断ち切る

 朝から体調が優れず、義母のところに出掛けて行くのは断念した。頭がひどく痛み、身動きが取れなかった。土曜日の夕方までは普通に動き回っていたというのに、不思議だ。やはり、身体の中に冷えが残っているのだろうか。私はウンウンうなりながら、「ガンまる日記」を書くためにパソコンに向かってみたものの、なかなか書くことができず、横になったり起きたりを繰り返していた。食欲もなく、朝食を食べただけで、昼食は食べたくなかった。

 夕方になって、このままではいけないと、思い切って起き上がり、ゆっくりと呼吸しながら、細胞が活動し始めるようにイメージしてみた。すると、血行が良くなって来たのだろうか。酷かった頭痛も収まり、食欲も出て来た。血行が悪くなると細胞の活動がにぶくなり、体調を崩してしまう。しかし、体調を崩してしまうと、いよいよ身体を動かさなくなり、なかなか症状は良くならない。細胞が活発になることをイメージするだけで、悪循環を断ち切ることができたのは驚きだった。もしかすると、オフィスでも応用できるかもしれない。私は「ガンまる日記」を書き上げた。ガンモが休日出勤から帰って来る頃には、
「何だ、元気そうじゃん」
と言われるくらいに回復していた。

 ガンモと一緒にお風呂に入り、私は長いことお湯につかった。半身浴をすると、顔からダラダラと汗が出て来た。この汗は、冷えを抱えている者にとってはとても気持ちがいい。この分だと、明日は仕事に行けるだろうか。そんなことを思いながら、私は風呂上がりにパソコンに向かい、ゴソゴソと活動した。いつかこの経験が、誰かの役に立つといいなあと思っている。

※今日は短めでごめんなさい。m(__)m でも、たまにはこんな日があってもいいでしょうか。

※いつも応援クリックをしてくださっている皆さんに、とても感謝しています。本当にありがとうございます。たくさんの、ポジティヴなパワーをいただいております。

※Firefox、Netscape、Safariなどのブラウザでご覧くださっていた皆さん、ここ数日の間、「ガンまる日記」のスタイルが崩れていたようで申し訳ありませんでした。てんちゃん、お知らせくださってありがとう! ココログのテンプレートを使用していたのですが、それらのブラウザではテンプレートのスタイルが崩れてしまい、記事の本文が下のほうに表示されてしまっていたようです。シンプルなテンプレートに戻し、動作確認を行いました。なお、私もタブブラウザが好きで、I.E.ライクのタブブラウザとして、Sleipnirを愛用しております。上級者向けですが、FirefoxやNetscapeがベースとしているGeckoエンジンを使用することもできます。一度、タブブラウザに慣れると、なかなか手放せなくなりますものね。(^^)

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2006.05.27

お血(おけつ)

 午前中、鍼灸治療に出掛け、お昼過ぎに帰宅した。何となく、体調が優れない。身体がだるい上に、肩こりがひどい。日曜日は義母のところに出掛ける予定でいたので、レンタルしているDVDを観ておこうと思ったが、どうしても体調が優れなかったので、DVDの鑑賞を中断し、ガンモの見ている前でピップエレキバンを貼り巡らせた。しばらくすると、次第に肩がほかほかして来たので、
「効くう!」
と喜んでいると、ガンモが、
「ピップエレキバンって効くの?」
と、目をキラキラさせながら私に尋ねて来た。その顔は、肩こりを知らない人の好奇心に満ちていた。憎たらしいことに、ガンモは村上春樹さん同様、肩こりを知らないのだ。ガンモにとって、ピップエレキバンを貼るのは、肩こりの症状を抱えた人の気休めみたいなものだと思っていたらしい。私は、
「もちろん効くよお! こりのある部分に貼ると、磁気の力でこりが和らいで来るんだよ」
と力説した。私は、効き始めたピップエレキバンの効力に酔いしれ、そのままベッドになだれ込んで眠ってしまった。しかし、目が覚めてみると、何だか頭が重い。ピップエレキバンを貼り巡らせたものの、眠っている間に、いよいよ首の後ろの血行が悪くなり、頭痛を引き起こしてしまったようだ。私は、ウンウンうなりながら横たわっていた。

 具合が悪くなって、横になっていると、細胞の活動が最小限に抑えられているのがわかる。私のような症状は、東洋医学ではお血(おけつ)と呼ばれている。お血(おけつ)とは、血液の流れが悪い状態を指す。お血について、ちょっと興味深いページを見つけたので、ご紹介しておきたい。

体の冷やし過ぎが引き起こすお血

 私は、この症状を緩和するために、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)という漢方薬を食前に服用している。エキス剤ではなく、煮出すタイプのものだ。この漢方薬は、下半身が極端に冷たかった私に、偉大な効力を発揮してくれた。もちろん、鍼灸治療の力も大きい。更に、琉球もろみ酢も愛飲している。食生活も、以前よりは気を使っているつもりだ。しかし、どうにも環境が追いついてくれないようである。

 話は変わるのだが、最近、職場で新たな動きがあった。派遣仲間が待遇のことで悩んでいるらしい。彼女は開発業務ではないのだが、かなり忙しく重要なポジションを任されている。にもかかわらず、私と時給が千円近く違うらしい。彼女は、自分の時給が仕事に見合ったものかどうかで悩んでいるらしいのだ。二ヶ月ほど前まで、彼女は、与えられた仕事をこなし切れずに四苦八苦していた。まだ派遣されたばかりの彼女にとって、その業務は荷が重すぎるのがわかっていた。しかし、彼女は逃げなかった。今は山場を乗り越え、ようやく彼女の仕事も軌道に乗って来たところだ。過去のことを振り返りながら交わしたメールの中で、私が、
「逃げても逃げても、また同じ課題を突き付けられるからね」
と書くと、彼女がそれに反応してくれた。
「そうそう、その通りなんです。乗り越えられないでいると、またどこかで同じ課題に直面する気がします」
と彼女からのメールに書いてあった。私はうれしくなった。私が更に、
「そう。だから私は、オフィスの空調の寒さから逃げないよ。苦痛から逃げないことによって、人を気遣う気持ちがだんだん本物になって来るのがわかるんだ」
と書くと、彼女は、
「わかる気がします。それで経験値が上がるというか。いろいろなことが学びなんですよね」
と書かれてあった。私は、「学び」という表現にうれしくなった。職場で「学び」という言葉を使う人と出会えるなんて。

 最も仕事が辛いときに、彼女がもしも自分の仕事を投げ出していたら、彼女のこの言葉に出会うこともなかっただろう。私も、空調の寒さを経験しなかったら、人の苦しみにもっともっと鈍感だったかもしれない。

 極は乗り越えるためにある。おそらく、その先には、今まで知らなかった自分が両手を広げて待っているのではないだろうか。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この週末は、体調が優れず、いつもよりも更新が遅れてしまいました。寝てばかりではいけないと、起き上がって、これを書いています。お血に対抗するには、じっとしているよりも、身体を動かすほうがいいのでしょうね。私と同じような症状を抱えていらっしゃる方の参考になれば幸いです。

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2006.05.26

比較

 オフィスの冷房は、相変わらず冷たく吹き付けて来る。帰宅しても身体のだるさがなかなか取れず、冷えが身体に残っている。そのため私は、先日届いたばかりの脚温器 ぽかぽか足湯を使って、毎晩三十分、足を温めている。

 オフィスの状況にたまりかねた私は、冷風を防ぐために、仕事中に自分の折りたたみ傘を取り出して、デスクの下に置いてみた。すると、折りたたみ傘が冷風をいくらかさえぎってくれて、寒さが和らいだ。やはり、足元を温かく守ると効果があるようだ。しかし、仕事中、私が寒さに震えながらゴソゴソしていても、周りはほとんどおかまいなしだ。

 私は下半身を守るため、とうとう本物の毛布を持って出勤した。膝掛けだけでは、隙間から冷気が入って来るのを防ぎ切れないからだ。厚手のレッグウォーマーを履いていても、足がじんじん冷えて来る。また、腰の部分をガードするために、セーターを後ろから巻きつけているが、それでも冷たい空気にはかなわない。そこで私は、マーメイドのように毛布で下半身をぐるぐる巻きにすることを思いついたのだ。それに加え、冷風から守るため、毛布の上に厚手のビニールシートをかぶせた。

 これは、著しく効果があった。特に、厚手のビニールシートは、冷風をさえぎるのに絶大な効果を示してくれた。マーメイドのようにグルグルに巻きつけた毛布は、冷たい風を通す隙間を与えず、保温性に優れていた。私は、席の近いプロジェクトメンバに、毛布で身体をくるんでいることを話して聞かせたのだが、彼女たちは目を丸くするばかりで、寒さが辛いという現実を理解できないらしい。その証拠に、私がマーメイドのように著しく防御している姿を見て笑うのだ。私にとっては、本当に切実な問題であるというのに。

 私は、彼女たちに激しい口調で訴えた。すると、私の席に一番近い子が、
「○○さん(私の席の隣の男性)のほうが、クーラーの噴き出し口の直下なのに」
と言ったのだ。この一言で、私の中で眠っていた闇のスィッチが入った。しかし、彼女には、私の寒さがわからないのだから仕方がない。経験していないものをわかれと期待するほうがおかしい。

 家に帰ってからガンモにこのことを話して聞かせながら、私はわーわー泣いた。それは、彼女にそう言われたことに対する悔しさではなく、経験していなくても、私の立場をわかろうとしてくれた人たちが居たことへの感謝の想いが急激に込み上げて来たからだ。

 数年前まで、私は、妊娠して子供を産むということが恐ろしくてたまらなかった。そのことを、ツインソウルを始め、いろいろな人たちに話して来た。しかし、自ら出産を経験し、子供を育てて来た人たちは、
「子供を産んでみれば何とかなるものよ」
と私の恐怖を軽くあしらった。その恐怖を知らずに、それはないだろうと、当時の私は怒りさえ感じていた。

 しかし、ツインソウルや、掲示板で交流させていただいているちーちゃんやフニさん、うさちゃんは、出産の経験があるにもかかわらず(ツインソウルには出産の経験はないが)、自分の経験と比較することなく、私の抱えている恐怖を否定しなかった。そのありがたさを思い出し、涙が噴き出して来たのだった。

 何かと比較するという行為を、私たちは普段、知らず知らずのうちに実践している。しかし、それは単に、ある人のある時点にけおる視点に過ぎない。このような出来事を通じて、私は自分の行為を省みるのだ。今回、私の闇のスィッチが入ったように、私自身にも、誰かと誰かを比較することによって、誰かの闇のスィッチを入れるきっかけを作っていないだろうかと。自分がこうだから、あの人がこうだから、あなたもこうでしょ? というのは、その人の経験や価値観を無視した、自分の価値観の押し付けだったのだ。自分が比較されてみて初めて、私はこれまでずいぶんと、そうした比較を重ねて来たことを思い知らされるのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。そう言えば、「比較はするな」とツインソウルに良く言われてました。私の場合、ツインソウルの言うことを身をもって理解するには、現在のところ、一年くらいかかっているようであります。言葉ではなく、ネガティヴな感情を伴いながら学ぶことの偉大さに驚かされるばかりです。ちなみに、現在は、妊娠/出産の恐怖はありません。皆無と言っていいくらいです。私がここまで変化できたのも、上記させていただいた皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。m(__)m これから先のことは、まだまだ不明のままですが。(苦笑)

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2006.05.25

弱肉強食

 鳩が、玄関に置いてある台車の下に巣を作り始めていたという話を、以前、ここに書いた。玄関に巣作りされてはたまらないので、思い切って、ガンモがその巣を撤去した。どうやら角部屋の我が家は、鳩の巣として恰好の立地条件らしい。その後、彼らは再び台所の横にあるベランダに巣を作り、卵を産んだ。あるときガンモがその卵を見つけ、
「卵が二つある」
と、ニコニコしながら私に報告してくれた。糞が汚いなどと言いながらも、巣作りのために鳩が我が家を選んでくれることが、私たちにはうれしいのだ。

 私たちは、その卵がどうなるのか、じっくりと観察していた。マンション周辺を糞で汚すため、最近は、餌を与えることを控えていたのだが、毎日交代で熱心に卵を温めている彼らを見ていると、応援せずにはいられなかった。特に、母ちゃん(母鳩)は、父ちゃん(父鳩)よりも長い時間、卵を温めていた。まだまだ気温が安定しない時期のことで、木の枝で巣作りしているとは言うものの、母ちゃんは、冷たいコンクリートの上にお腹を乗せ続けることになる。私は、
「母ちゃん、お腹を冷やし過ぎて婦人病にならなきゃいいけど」
などと言いながら、彼らの様子を静かに見守っていた。

 去年、我が家で始めて卵が孵化したときは、二つ産み落とされた卵のうち、一つしか孵らなかった。そのとき生まれたのがモリゾーである。モリゾーもときどき餌を食べにやって来るが、父ちゃん、母ちゃんは、モリゾーを一人立ちさせたい気持ちが強いらしく、餌を食べにやって来たモリゾーを激しく攻撃する。時には、モリゾーに噛みついてまで、追い払おうとするのだ。

 モリゾーが生まれたあとに、別のところで誕生したらしい雛もいる。キッコロである。キッコロは、我が家の玄関を住処としている。しかし、玄関を糞で汚すので、最近は優しく追いやっている。鳩が卵を一つだけ産み落とすとは考えにくいので、おそらくキッコロにも兄弟が居たはずだ。しかし、一つしか孵らなかったか、孵っても育たなかったかのどちらかだろうと思う。

 そんな背景もあって、
「今度は卵が二つとも孵るといいね」
とガンモと話していた。そして、平日のある日、私が仕事に出掛け、ガンモが休みのときに、ガンモからメールが届いた。それは、卵が二つとも孵ったといううれしい知らせだった。

 私たちは、雛の誕生を心から喜び、父ちゃん、母ちゃんに餌をはずんだ。雛は二羽とも元気で、すくすく成長しているように見えた。しかし、ときどきカラスがベランダにやって来ているのが気になっていた。

 あるとき、私がベランダに立っていると、ベランダの手すりに止まっていた父ちゃんが、
「クウ」
と低い声を出した。それは、普段、あまり耳にすることのない鳴き方だった。すると、下で餌を食べていた母ちゃんがバサバサと音を立てて直ちに飛び上がり、父ちゃんと一緒に飛び立って行ったのだ。空を見上げると、カラスが飛んでいるのが見えた。「クウ」という低い声は、「カラスが来た!」という警告の合図だったのだ。

 それからも何度となく、カラスは我が家のベランダにやって来ていたようだった。ガンモもその姿を見掛けている。父ちゃん、母ちゃんは、カラスがやって来ると、素早く散らばる。その様子を見たガンモは、
「多分、雛に意識を向けないようにするためだろう」
と言った。

 そして・・・・・・。とうとう運命の日がやって来た。雛が孵ってからというものの、ガンモは、寝室の窓から雛の成長を見守るのが日課になっていた。父ちゃん、母ちゃんは、昼間のうちは巣から離れて遠目で雛を見守ることもあるのだが、夜は母ちゃんが巣で幼い雛を守っている。ガンモが寝室の窓からのぞき込むと、雛を守っている母ちゃんがガンモをじっと見上げるのだそうだ。

 仕事から帰宅し、ガンモがいつものように寝室の窓から雛の様子を見ようとすると、巣はもぬけの空だったそうだ。ガンモはすぐに外に出て、巣を確認しに行ったらしい。そして、私を呼んでこう言った。
「やられた!」
雛が、カラスに連れ去られたのだ。巣を見てみると、父ちゃん、母ちゃんがせっせと集めた木の枝が散らばっている。巣は荒らされ、雛の姿はそこになかった。

 これが人間の世界の話であれば、大事件である。新聞には掲載されるし、テレビやインターネットのニュースでも大々的に流され、みんなの意識が集まる。しかし、連れ去られたのは鳩の雛だ。だから、事件にはならない。おそらく、カラスの餌になってしまったというのに。

 私たちは、お風呂の中で雛の運命を憐れんだ。
「鳩は動物だから、悲しみを感じないのかな」
とガンモは言った。
「いや、それはわからない」
と私は答えた。確かに動物は、人間よりも、死の現実を受け入れる能力が優れている。だからこそ、たくさん子供を産むのかもしれないが、親子という関係については、人間と変わりがない。彼らは雛がいなくなったことを、どのように感じているのだろうか。

 私は、鳩の雛の運命を不憫に思う一方で、鳥の肉を食べ続けている人間のことをも思った。鳩の雛がこのような形で命を落とすことについては心を痛めても、誰かが殺してくれた鳥の肉を食べることに関しては無頓着である。私は以前、そういう観点から、ほ乳類と鳥類の肉が食べられなくなった時期があった。親鳩たちが成長を心待ちにしている雛さえも奪い取り、餌にすることが愛だと言うのだろうか。弱肉強食は、本当に自然のルールなのだろうか。では、そのルールの中に、いつまで経っても人間が組み込まれないのは何故なのだろう。私はその答えを出せないまま、雛がいなくなったことも、数日のうちに忘れ去ってしまうであろうことを予想した。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。父ちゃん、母ちゃんが、深い悲しみを感じているかどうか、私にはわかりませんでした。これだけで、この話が終わってしまうことが、残念に思えます。いつか、この続きを語ることができることを願っています。

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2006.05.24

映画『きみに読む物語』

 ガンモの仕事が長引いて、帰宅時間が遅くなると言うので、ガンモと待ち合わせをせずに一人で帰宅した私は、またまたDVDを鑑賞することになった。ずっと以前に、掲示板で交流させていただいているりさちゃんが、最も好きな映画だと教えてくれた映画『きみに読む物語』である。りさちゃんの最も好きな映画だと聞いて、私もこの映画を観たいと思っていたのだが、どういうわけか、なかなか巡り会うことができなかった。それが、ひょんなことから、いつも足を運んでいるレンタルショップで見つけてレンタルし、近いうちに観ようとわくわくしていたところ、ななちゃんからもこの映画が好きだという書き込みがあったのだ。

 この映画を観るまでは、『小さな恋のメロディー』のようにな、幼くも儚い恋の物語なのだと思っていた。しかし、まったく違うのだ。単に青春時代だけに留まる恋愛映画ではない。もっとスケールの大きい映画だ。映画の中では、二つの物語が進行している。物語の「中」と「外」だ。物語の「外」の世界には、物語を読み聞かせている老人と、物語に一生懸命耳を傾ける老女がいる。そして、物語の「中」の世界には、若い男女がいる。

 若い男女とは、レイチェル・マクアダムス演じる少女アリーと、ライアン・ゴズリング演じる青年ノアである。お金持ちの令嬢であるアリーは、ひと夏を過ごすために訪れたのどかな田舎でノアと出会い、ノアの猛烈なアプローチから、激しい恋に落ちる。とにもかくにも、「激しい」という表現がぴったりの二人なのだ。あるときは強烈に惹かれ合うが、あるときは逃げ道のないほど相手を追い込んでしまう。それでも、すぐに仲直りして、また強烈に惹かれ合う。

 お金持ちのアリーの両親は、ノアとは釣り合わないと、若い二人の仲を引き裂こうとする。そして二人は、運命に翻弄されて行く。

 映画を観ている間、ずっと思っていたのは、この映画は、既に自分の中にある、同じような激しい感情を、存分に引き出してくれる映画だということだった。何故、二人が激しい喧嘩を繰り返しても、すぐに元のさやに収まり、再び激しき引き合うのかが良くわかる。十代の頃、お互いの胸に激しく焼き付けた恋。外部からの圧力もあって、中途半端に終わらせざるをえなかった悲しくも切ない恋。その恋が、いつまで経っても終わらずに、お互いの中に残り、やがて愛に変わって行く。

 印象に残っているのは、二人が湖に出掛けたときに、大雨に降られるシーンである。お金持ちの令嬢であるアリーは、着ている服も高価で美しい。それにもかかわらず、大雨に濡れてぐちゃぐちゃになることを正面から受け入れ、ノアと一緒に楽しむ。大雨でずぶぬれになっても、二人は笑っているのだ。そんな無邪気な態度から、アリーには、ノアが側に居るだけで満たされているということが見て取れる。

 しかし、ボートが岸に着いた途端、アリーは昔のことを思い出し、ノアに対して激しい怒りをぶつける。激しく降りつける雨が彼女に思い出させたのは、達成されることのなかった過去の恨み言だった。雨にずぶぬれになったままの格好で、
「何故、あのとき○○してくれなかったの!」
とアリーは言う。決して、
「こんなに雨が降るのに連れ出して!」
というお嬢様的な文句じゃないのだ。

 そして、物語の焦点は、次第に老人と老女へと移行して行く。こういう映画を観ると、日本とアメリカでは、愛情表現がまったく違うことをまざまざと実感させられる。日本では、男女が長年連れ添うと、あからさまな愛情表現をしなくなる傾向にあるが、アメリカでは違う。長年寄り添っても、愛を表現し続けることを怠らない。そんな国民性がうらやましいと、私はいつも思ってしまう。

 それはさておき、いつも掲示板などで問いかけられるテーマが、この映画の中には、重要なテーマとして映し出されている。もしも私のホームページの掲示板に、アリーから書き込みがあったなら、私はどのようにコメントするのだろう。映画を観ながら、アリーの選択を受け入れている自分が居た。それは、映画だから受け入れられたのか。それとも、アリーとノアが真剣に愛し合っていることが伝わって来たから、受け入れられたのか。おそらく、後者だと思う。となると、掲示板で綴られる言葉よりも、映像のほうが、真実を映し出しやすいということなのだろうか。そんなことを考えながらも、二人のラブシーンに泣かされ、ぐじゅぐじゅになっている自分を静かに見守っていた。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。この映画は、私にとっても、強く心に残る映画となりました。アリー役のレイチェル・マクアダムス、むちゃくちゃかわいい女性ですね。特に、若い頃に、強烈な恋愛体験をされた方は、共感できる映画かも。二人が抱き合ったり、キスしたりするシーンは、好きで好きでたまらないという感情を知っている人によって、確実に表現されたものだと思いました。そういうシーンに、とにかくぐっと来るのですよ。りさちゃん、ななちゃん、素晴らしい映画を紹介してくれてありがとう(^^)

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2006.05.23

続・"SONGBOOK"に思うこと

 かつて私は、"SONGBOOK"に思うことという記事を書いた。今日は、その記事の続編である。

 私は、帰宅してから、以前、友人からもらったポール・サイモンの"SONGBOOK"に耳を傾けた。この中に収録されている『木の葉は緑』を聴きたいと思ったのだ。古くても、まるで心が洗われるようなサウンドだ。最近はあまり耳にすることのないスリーフィンガーピッキング。ドラムがなくても、ポール・サイモンがギター一本で正確なリズムを刻んでいる。歌と生ギターだけで構成された音は、ごまかしがきかない。

 この"SONGBOOK"は、送り主である友人自身が、青春時代に何度も何度も聴き込んだアナログのアルバムを、オーディオCDに起こしたものである。何度も何度も聞き込んでいる証に、再生すると、カサカサという音が聞こえて来る。既にレコードがすり減っているのだ。彼は、そこまで熱心に聴き込んだアルバムを、ある日ふと聴きたくなって、オーディオCDに変換することを思いついたのだそうだ。

 LPレコードやカセットテープなどのアナログ音源をオーディオCDにするには、オーディオインターフェースを持った機器とパソコンを接続した上で、オーディオ機器から再生して、パソコン上にWaveファイルとして取り込む。Waveファイルはアナログ音声なので、CDからMP3に変換するときのように、自動的に曲のタイトルをファイル名に付加してくれたりはしない。しかし、彼自身がその作業を行い、曲の一つ一つにタイトルを入力してくれていたおかげで、再生するときに曲名がわかるようになっていた。

 サイモン&ガーファンクルとしてデビューしたものの、アルバムの売れ行きが良くなかったポール・サイモンは、単身でイギリスに渡り、このアルバムをレコーディングしたと言う。しかし、ポール・サイモンがイギリスから帰って来ると、プロデューサにより勝手にアレンジされ、制作されたアルバム『サウンド・オブ・サイレンス』が大ブレイクしていたそうだ。

 そのような背景を知った上で、このアルバムに耳を傾けてみると、更に感慨深いものがある。まだブレイクする前のポール・サイモンだが、既に馴染みの深い曲でも、少しリズムを崩して歌っている。それらの曲がポール・サイモンのものである証拠だ。このアルバムを聴くと、サイモン&ガーファンクルのおよそ七〇パーセントはポール・サイモンであると実感する。しかし、ハーモニーは一人では実現できない。アート・ガーファンクルの存在があったからこそ、美しいハーモニーが成り立ったのである。初めてサイモン&ガーファンクルを聴いてから、次第に年齢を重ねて来た私は、ポール・サイモンが陽のパートを、アート・ガーファンクルが陰のパートを担当していたのだろうと想像する。

 ところで、同じアルバムを、レコードが擦り切れるほど何度も何度も聴き込むという行為は、現代の音楽好きの若者たちにも引き継がれているのだろうか。 媒体は、アナログのレコードからデジタルのCDに移り変わった。果たして、何度も何度も聞き込まれたCDには、聞き込んだ勲章のようなカサカサ音が刻まれ、その媒体に耳を傾ける別の人の心をも魅了するのだろうか。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m 『木の葉は緑』に反応してくださった方たちが多かったので、今日の記事を書きたくなりました。(^^) 皆さん、どうもありがとう!

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2006.05.22

木の葉は緑

 先月の検診のときに子宮ガン検診と血液検査をした。その結果を聞きに行くために、午前中だけ仕事を休んで、再び主治医のもとを訪れた。

 子宮ガンと言われているものは二種類ある。子宮の入口付近にできる子宮頚ガンと、子宮の中ほどにできる子宮体ガンである。どちらの検査も、子宮内に専用の機器を入れて周辺の細胞を採取する。子宮ガンの検診は、健康診断でも毎年受けているのだが、検査の大量生産ではなく、主治医のもとで行われる子宮ガン検診は安心だ。

 検査の結果を見ながら主治医から説明があり、子宮の入口付近にも、子宮の内部にも、ガン細胞は見られなかったとの報告があった。私は、ほっと胸をなで下ろした。子宮筋腫は良性のこぶなので、ガンに発展することはないと言われているのだが、私が産婦人科に通い始めてからというもの、一年に一度のペースで、派遣会社の健康診断とは別に子宮ガン検診を受けているのだ。

 血液検査の結果も見せてもらったが、ヘモグロビン値が十四を超えていた。これは、正常値よりも少し多いくらいの値だと言う。つまり、私はたくさんの筋腫を抱えていながら、貧血は起こしていないということである。毎日ではないが、オフィスのデスクに鉄分補給のサプリメントを置いて飲んでいる。かつて、頭がぼーっとしたときも、このサプリメントで鉄分を補って来たのだが、その効果もあったのかもしれない。
 
 朝一番の午前九時からの診察だったため、待ち時間も少なくて、すぐに診てもらえた。いつもは仕事を丸一日休んで、午前十一時に予約を入れているのだが、その時間帯だと、前の患者さんの診察が既にずれ込んでいて、一時間以上待つことなど当たり前だったのだ。早起きは三文の得というのはこういうことを言うのだろう。次回の検診は、また半年後になった。病院を出たあと、すぐにガンモに電話を掛けて結果を報告した。

 帰り道、木々の緑がとても美しいと感じた。木々の緑は、こんなにも美しくきらきらと輝いていたのかと、目の前に広がる緑の美しい景色に目を見張った。平日の午前中は、木々の緑が特別美しいのだろうか。フレックスタイム制度を利用しているため、私が出勤する時間は少々遅めだが、木々の緑がこれほどまで美しいとは知らなかった。余裕のない通勤をしているために、周りに目を向けられず、これまで気づかなかっただけなのかもしれない。カメラを持って来れば良かったと後悔したが、写真に収めることができない分、瞳の奥にしっかりとその美しい緑を焼き付けた。

 サイモン&ガーファンクルの『木の葉は緑』という曲が、むしょうに聴きたくなった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。平日の午前中の木々の緑は、本当にきらきらと輝いていたのですね。緑は私が一番好きな色です。木々が最も美しく輝いているはずの時間帯にオフィスにこもっている私は、ちょっともったいないような。(苦笑)

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2006.05.21

はみ出した感情

 この週末は、生理がやって来て身体が重かったため、どこにも出掛けられずに自宅で過ごした。私の生理は、ひどく重いときと軽いときがある。今回は、オフィスの空調の影響で血行が悪くなってしまったせいだろうか。普段よりも身体のだるさが強く感じられ、能動的に活動するパワーが失せてしまっていた。次の週末は鍼灸治療の予約を入れいるので、できればこの週末に義母の様子を見に行っておきたかったのだが。そのため、受動的な活動として、映画三昧の週末となったわけである。

 きのう書いた映画『シザーハンズ』の記事に、ななちゃんが早速反応してくれた。ななちゃん、どうもありがとう。ななちゃんも推薦してくれた通り、映画『シザーハンズ』は、何度でも観たくなるほど素晴らしい映画だ。

 私は、映画の感想を記事に取り上げるときは、かなり気を使う。日記を読んでくださる方の中には、その映画を今後も観る予定のない人、これから観たいと思っている人、既に観た人がいる。私は、ありとあらゆる状況の人に通じる文章を書きたいと欲張ってしまうのだ。そのためには、どのようにアプローチするのが最適か、いつも意識してしまう。しかし、頭で考えようとすればするほど、文章を書く手は止まってしまう。やがて私は、自分の日記なのだから、自分の書きたいように書けばいいのだと開き直った。というわけで、最近は、自分の書きたいと思うことを遠慮なく書かせていただくようにしている。

 しかし、いくら自分が書きたいように書くと言っても、独りよがりの文章のままでは、そこで世界が閉じてしまう。世界が閉じてしまうと、それを経験した人にしか通じない文章になってしまう。それでは、わざわざ公開日記に書く意味がない。

 これは、何も映画に限ったことではない。それが病気であっても、仕事であっても、私の人生の最大のテーマである男女の愛についても同じことが言える。それを経験したことのない人にも通じる文章にしたいと思うと、私自身の体験したはみ出した感情を綴ることに重きを置くようになる。はみ出した感情とは、涙が溢れて来るほどの強い衝撃を伴った感情のことである。

 以前、人間の身体の七〇パーセント程度は水でできていると、何かの本で読んだことがある。人々の感情が大きく揺れると涙がこぼれるのは、人間の身体の七〇パーセントを占める水が、感情が激しく刺激されることによって、ゆっさゆっさと揺らされてこぼれて来るのかもしれない。 

 私たちは普段、自分という枠の中で生きている。しかし、あるとき、はみ出した感情が自分の外に出る。それが、以前、記事にしたエクスタシーだ。そのはみ出した感情を誰かが受け取り、その人の感情も一緒にはみ出す。人と人がスピーディーに繋がるとき、はみだした感情に次々にリンクしている。

 言葉による説明が経験に勝るとは思えない。しかし、はみ出した感情を持つ者同士は、理解し合うスピードが速い。そのスピードの速さを知っているからこそ、私は、お互いの理解がスピードアップするような文章を綴りたいといつも思うのだ。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。義務教育などでは、はみださないように振る舞うことを教えられて育って来たように思います。しかし、大人になってからは、はみ出すことで、魂が震えることを覚えました。(^^) 私がホームページを立ち上げ、ブログを書きながら多くの人たちに呼びかけているのは、私と同じようにはみ出した人たちを探そうとしているからかもしれません。

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2006.05.20

映画『シザーハンズ』

 映画『リバティーン』にも書いた通り、私は最近、ありとあらゆる個性的な役柄をこなす俳優ジョニー・デップの魅力にすっかりとりつかれてしまい、彼の主演作のDVDを片っ端からレンタルして観ている。

 今日、ここでご紹介させていただくのは、一九九〇年に公開された『シザーハンズ』という映画である。少々古いこの映画は、シザーハンズ、すなわち、ハサミの手を持つ男エドワードの切ない恋物語である。しかし、青春時代の恋といえども、すぐに終わってしまうような淡い恋物語ではなく、何十年経ってもお互いの中から消えることのない愛の物語である。

 エドワードは、手がハサミになっている人造人間として、博士の手によってこの世に誕生したが、博士の亡きあと、たった一人で山の上の古びた建物に住んでいた。そこへ、ペグという化粧品セールスの女性が現れて、彼を発見する。ペグは、エドワードに人間の世界を体験してもらうため、彼を自宅に住まわせるようになる。

 ハサミの手を持つエドワードは、その容姿とは裏腹に、子供のような純真な心を持っていた。しかし、手がハサミであるばっかりに、服を着るのも一苦労、ご飯を食べるにも一苦労してしまう。いきなり人間の世界にやって来て、人間が当たり前のようにこなしている日常の出来事が、エドワードにとっては大変難しい課題となる。人間と同じように、一生懸命ハサミの手を使おうとするエドワードの態度が、面白おかしく描かれている。

 しかし、手がハサミになっているという特性を生かして、人々の役に立つことを始める。それが人々に認められて、エドワードは町の人気者になる。しかし、ようやく店を持てるかもしれないという段階に来たとき、ある事件が起こる。その事件をきっかけに、これまでエドワードに好意的だった人たちの気持ちが一気に離れて行く。

 人々の誤解を解くことができずに、精神的に孤立してしまうエドワードだが、ただ一人、味方をしてくれる人が居た。ペグの娘、キムである。キムは最初、エドワードに対して友好的ではなかったのだが、その事件をきっかけに、エドワードに好意を寄せるようになる。一方、エドワードは、ペグにキムの写真を見せてもらったときからキムのことを気に入っていた。

 二人はやがて、心を通わせ始めるのだが、エドワードは、手がハサミになっているばっかりに、キムを抱きしめることができない。心の中ではキムを抱きしめたくてたまらないのに、キムを愛するがゆえに、彼女をハサミで傷つけたくなくて抱きしめることができないエドワードの切なさを、ジョニー・デップが好演している。心の中で想っていることとは違う行動を取らなければならないエドワードの葛藤がひしひしと伝わって来て、涙せずにはいられない。ストレートな愛情表現ができずに戸惑うエドワードに対し、まっすぐな愛情を示そうとするキム。

 そのあたりのシーンからラストまでは、思い出しただけでも胸が熱くなる。エドワードに対して好意的だったはずの人たちが一致団結して敵に回ろうとする中で、キムだけがエドワードを必死で守ろうとする。キムのかつての恋人だったジムが悪役を演じ、エドワードの純真な心をいっそう際立たせている。

 この映画を観ると、この映画を監督したティム・バートン監督を天才だと実感せずにはいられないだろう。頭の固い監督には、このような映画は決して作れない。そもそも、頭が固ければ、映画監督になどなれないかもしれないが・・・・・・。彼の作品はどれも、子供のような純真なハートを大切にしている。『ビッグフィッシュ』、『猿の惑星』、『チャーリーとチョコレート工場』、『ティム・バートンのコープスブライド』など。大人になっても子供の心を忘れないでいられる大人は素敵だ。彼の映画を観ることで、現実世界からほんのちょっと逃避できる。そして、私たちがずっと忘れたくなかったものを思い出させてくれる。

 映画『シザーハンズ』は、そういう意味でも、大変お勧めの映画である。何故、雪が降るのか。これからこの映画を観ようとされている方は、そのテーマに注目して観て欲しいと思う。

※「映画と演劇のはなし」に書いたレビュー
シザーハンズ

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ジョニー・デップとティム・バートンのコンビ作は特別いいですね。鬼才の二人の相乗効果が現れているかのようです。『シザーハンズ』はとにかくお勧めの映画です。観たい映画がなくて何か探されている方は、是非是非。(^^)

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2006.05.19

地球の裏側

 体調が回復したので、思い切って出勤した。しかし、オフィスは相変わらず冷蔵庫のように寒かった。冷たい風はビシバシ吹き付けて来るし、デスクの下に足を置くだけで、すぐにジンジンして来る。私はジャケットを着込んで、ショールを頭からかぶり、冷風を防御していた。心の中では、「今日は特別寒い。まるで、拷問のようだ」と思っていた。

 派遣会社の営業担当がやって来たので、面談をした。営業担当は、私が毛糸の帽子をかぶり、スカーフをしているのを見て驚いていた。営業担当の話によると、水曜日に上司のまた上司に、私がオフィスの空調が寒いと感じていることを伝えてくれたらしい。上司のまた上司が私に声を掛けてくれたのは、営業担当が私の状況を話してくれたからだった。

 上司のまた上司は、営業担当に、オフィスの空調はどこかおかしく、自分もひどく寒いと感じていること、私の他にも寒い想いをしている人がいることなどを話して聞かせてくれたらしい。そして、次の席替えのときに私の席を考慮してくださることを約束してくださったそうだ。もちろん、空調がおかしいことに関しても、対策を取ってくださるらしい。私は、上司のまた上司に話をしてくれた営業担当を両手で拝みながら、厚くお礼を述べた。彼の勇気ある功績に心から感謝した。

 夕方、女子トイレで女子社員と話をしていたところ、彼女は、
「今日は特別暑かった。仕事をしているだけで、汗がだらーっと出て来た」
などと言った。私は驚いて、
「ええっ? 本当ですか? 私の席は、過去最高に寒かったですよ。まるで拷問のようでした」
と言った。

 彼女の席は、私の座っている席の隣のエリアに位置している。空調のつまみを調節すると、彼女たちのエリアにも影響する。彼女たちのエリアはとても暑いらしく、半袖で仕事をしている人たちもいる。寒いと感じて、私が空調つまみを回し、温度を上げると、彼女たちのエリアが極端に暑くなってしまうらしい。これは、いよいよ困ってしまった。

 オフィスの中で、寒さが過剰になっているエリアと、暑さが過剰になっているエリアがある。最初から軸が傾いてしまっているために、どちらかが空調のつまみを回すと、もう片方の過剰な状態が増幅されてしまう。

 暑さが過剰になっているエリアに座っている人たちは、私が寒さを防御するのと反対の行動を取りたがる。一方、私は、彼らが暑さを防御するのと反対の行動を取りたがる。地球の裏側は、ずっと遠いところにあると思っていたのだが、私のすぐ隣のエリアが地球の裏側だったとは驚きだ。

 以前、極を越えると新たな段階に入るということを、この「ガンまる日記」にも書いたことがある。地球が丸いのならば、暑さの向こう側には快適な温暖エリアが、寒さの向こう側にも快適な温暖エリアが存在するはずである。となると、暑いことが悩みの彼らも、寒いことが悩みの私も、目指すところは同じということだ。

 しかし、ひょっとすると、私よりも、暑いエリアに座っている人たちのほうが苦しいのかもしれない。何故なら、残業時間内は空調が止められて、ひどく暑くなってしまうからだ。オフィスにはたくさんのパソコンが設置されているため、膨大な熱を放っているのだ。それが、昼間はクーラーによって冷やされているが、暑いエリアに座っている人たちは、冷たい空気がやって来ないために、一日中暑いことになる。

 それにもかかわらず、暑いエリアに座っている人たちは、空調のつまみをそれほど頻繁にはいじってはいなかった。もしかすると、私がひどく寒がっているので遠慮してくれていたのかもしれない。だとすると、本当にありがたいことだ。私は、そんな中にあって、空調のつまみをあまりいじらないでくれた彼らに深く感謝したいと思うのだった。

※この機会に、昔書いた、「地球の裏側」という詩を掲載しておきましょう。

「地球の裏側」   作:まるみ  (二〇〇一年十二月)

地球の裏側はどんなかな?

表も裏もないよ。
みんな一緒だよ。

だって、私たちが裏だと思い込んでいる場所は、
そこに住んでいる人たちからすれば、
表なんだもの。

そして、私たちが住んでいる場所が、
その人たちにとっての裏側になるんだもの。

だから、裏も表もないよ。
みんな一緒だよ。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。もしかすると今の私は、自分の立っている場所が異なる相手のことをどれだけ大切に思えるか、という学びをしているのかもしれません。もう少しで本当の学びが見えて来るような、そんな段階に入って来ました。本当の学びが何であるのかは、いつか、この極を越えられたときにわかるような気がします。今は一進一退の状況ですが、少しずつ進んでいるように思えます。

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2006.05.18

足湯バトル

 職場で足が極端に冷え、夜もなかなか眠れなかった私は、再び仕事を休んだ。毛糸の帽子で頭を防御していたので、今回は、足の被害だけに留まった。お灸をすえると、心地良い熱が身体の中に入って来たが、私の身体は一気にだるくなった。このだるさを通り抜けた先にはいつも、ゆるやかな回復が待っている。

 ガンモは、早朝から呼び出され、仕事に出掛けていた。私はオークションストアで脚温器 ぽかぽか足湯が安売りされているのを見つけ、落札した。そのことを、仕事から帰宅したガンモに伝えると、
「どうせ買っても使わないんじゃないの?」
と言われた。確かに私には、以前、金魚運動の健康器具を購入したのに一度も使用していないという前歴がある。しかしそれは、我が家にその機器を広げて活用するスペースがなかったからだ。それに、今回の私の状況は、とにもかくにも切実だ。私は、切実なその状況がガンモに伝わっていなかったのかと思うと、悔しくてたまらなくなった。

 更に私は、落札したオークションストアのページではないが、楽天のとあるお店では、脚温器 ぽかぽか足湯に相当する製品を、オフィスで快適に使用している女性の写真が掲載されていたことをガンモに伝えた。そのお店の店長が、冷たい空気がどんどん下に溜まって行くので、その製品をオフィスに持ち込み、使用している光景が掲載されていたのだ。

 それを聞いたガンモは、
「そんなの、商品を売るための宣伝だから」
と言った。私はとうとうカチンと来て、激しい怒りのスィッチが入った。ガンモには、足が冷えることの辛さがわからないのだ。私がこんなにもクーラーでガンガンに冷やされて、夜も眠れずに苦しんでいるというのに。私の怒りは一気に爆発した。ガンモは朝、五時から出掛けて仕事をして帰宅したばかりだったが、そんなことはおかまいなしに、私は足が冷えることの辛さを懸命ににまくし立てた。足が冷えることは、とにかく切実な状況にあるということを、ガンモに一生懸命訴えた。

 私に激しくまくしたてられ、ガンモはしばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「俺だって、足が冷えて眠れないことがある」
そのとき、私は思いだしたのだ。ガンモが最近、足が冷えると言って、私の買って来たレッグウォーマーを、暖かいと言いながら、夜、寝るときに重宝していたことを。しかし、自分のことで精一杯になっていた私は、すぐにバトルモードに戻り、ガンモに激しく反論した。
「でも、オフィスに足湯を持ち込みたいと思うほど、切実じゃないでしょ?」
ガンモは再び黙り込んでしまった。早朝から働いて帰って来て、眠いせいもあるらしい。

 ちょうどお風呂を沸かしたあとだったので、私たちは一緒にお風呂に入った。一緒にお風呂に入った時点で、私の戦いは既に終わっていた。そのことが、ガンモにも通じていた。一つの湯船の中で、私たちは長いこと長いこと見つめ合った。その見つめ合っている間、お互いへの愛が募っていた。湯船の中でじっと見つめ合うことは、相手の怒りから逃げ出さず、自分がここにいるということを真正面から示す行為である。ガンモは私の顔をじっと見つめたあと、私に優しくキスをした。そのキスで、私たちはただちに親しさを取り戻した。

 過去に使わなかった健康機器があったことが、今回のバトルの主な原因であることは間違いない。人は、何かを判断するとき、過去の経験を題材にするものだ。結局は、私自身の身から出た錆だったと言える。足が冷えて辛いという経験は、ガンモの中にもあった。ただ、その辛さの度合いが少し違っていただけだった。

※いつも応援してくださっている皆さん、ありがとうございます。これを書いている今も、まるで拷問のように寒いです。寒さに対して受動的になると、どんどんマイナス方向へと転んでしまうようです。先日のように、また能動的になりたいと思います。そうでなければ、受け取れるべきものも受け取れない気がしています。

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2006.05.17

ウサギとカメ

 良く遊びに行っているブログが、スパムコメントの攻撃に遭っている。海外からの書き込みで、五秒違いで同じような内容のスパムコメントが連続して三つずつ書き込まれている。どうやら、コメントを送出するための専用プログラムを使用しているらしく、IPアドレスも偽装されているようだ。そのため、ほぼ同時に書き込まれる三つのコメントは、マスクをかけられないIPアドレス群だという。

 いきなりマスクと言われても、ピンと来ない人もいるかもしれない。マスクというのは、正確にはサブネットマスクと呼ばれるものである。例えば、192.168.0.1というIPアドレス(192.168系のIPアドレスは、ローカルIPアドレスなので、インターネットに接続できるIPアドレスではないが)を二進数で表すと、11000000.10101000.00000000.00000001になる。サブネットマスクというのは、二進数で表現されたIPアドレスに対し、どの桁までを有効にするかをビットで指定するものである。通常、IPアドレスとは、会社やプロバイダによって、ある程度連続して割り当てられている数字である。この連続して割り当てられた数字を制御するのに、サブネットマスクという概念を使う。サブネットマスクを算出するには、CGI倶楽部などのページから、相手のIPアドレスの有効範囲を取得する。

 さて、難しい話はこのくらいにして、ブログに書き込まれるスパムコメントを何とかブロックする方法がないものかと考えていたところ、折しも、私がホームページで公開しているフォームメールからもスパムメールがほぼ同時に三通届いた。なるほど、フォームメールには四つの入力欄があって、ブログのコメント欄ととても良く似ている。ブログのコメントを自動送出できるなら、フォームメールに対しても自動送出可能だろう。ちなみに、ほぼ同時に送信された三通の送信元IPアドレスを参照してみると、確かにすべてのIPアドレスはまったく異なる系列のものだった。そのうち二つは韓国のIPアドレスだった。

 そうかと思えば、私のホームページの掲示板にも、いきなりスパムコメントが登場した。書き込んで来た人のIPアドレスを見てみると、書き込まれている内容がほとんど同じであるにもかかわらず、確かに毎回異なっている。マスクをかけられる対象ではない。明らかに、IPアドレスが偽装されているのだ。そこで私は、掲示板をパスワードで守ることにした。

 ネットをいろいろ検索してみると、この手のスパムコメントに悩まされている人が実に多いことがわかった。これまでは、こうした攻撃に対しては、IPアドレスをマスクすることで守られて来たのだった。しかし、IPアドレスを偽装されてしまっては、マスクによるブロックができない。

 そこで、考える人は考えるようで、スパムコメントは海外からの投稿が圧倒的に多いので、日本語のまったく入っていないコメントをブロックするプラグインだとか、日本語が二文字以上連続して入っていなければブロックするプラグインなどが次々に開発されている。しかし、これらの優秀なプラグインは、ブログをレンタルしている人にはあまり関係のないものである。しかも、そのようなプラグインが開発されれば、敵は、一文字でも日本語を入れるように頑張って来るのだそうだ。

 スパマーとブロガー。両者の競争は、ウサギカメといったところだろうか。現在は、スパマーのほうがかなり優勢である。私はカメが好きなので、カメを精一杯応援することにしよう。それにしても、そこまでしてスパマーが宣伝したいものは何なのだろう? 逆説的な言い方をすると、そこまでしなければ人々の目を強く惹き付けられないものだということである。悪事を働いて有名人になるのと同じ理屈だ。

 果たしてこの先、どんなスパム対策が生み出されて行くのか。今後の技術の進歩に期待しよう。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m 掲示板へのアクセスについては、ご不便をおかけして申し訳ありません。私も、普段お世話になっているブログなどでスパムコメントを見かけることが多いですが、訪問者の立場からすると、単に無視すればいいことだと大きな気持ちで構えていられるのですが、管理者として考えると、サイトを運営する喜びを知っているだけに、やはり胸が痛みます。

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2006.05.16

回り始めた歯車

 私がオフィスで毛糸の帽子をかぶっているのを見た女性社員が、オフィスの寒さに同意してくれた。彼女は、
「私も仕事中に電気毛布を使っている」
と言った。オフィスで電気毛布を使っている女性がいることは、確か、去年もここに書いたはずだ。私と同じようにオフィスの寒さに苦しんでいる人は、他にも居たのだ。彼女が電気毛布をかけて仕事をする傍らで、男性社員がうちわでパタパタと身体を仰いでいるという。その切なさに、私の胸はきゅーんと鳴った。

 足元がひどく冷たかったので、私はオフィスの自分の机の下に足湯が欲しいと周りにこぼしていた。そして、職場のパソコンからインターネットに接続して足湯を検索し、脚温器 ぽかぽか足湯のページを見つけた。私がそこに掲載されている足湯を羨望のまなざしで見ていると、ある男性社員に声を掛けられた。
「実は私も、オフィスに一番に欲しいのが足湯なんですよ」
と彼は言った。良く観察してみると、その男性社員は、オフィスで膝掛けを愛用している。
「オフィスは寒いですよねえ」
と私が言うと、
「本当に寒い」
と同意してくれた。男性がオフィスで膝掛けを愛用するのは珍しい。よほど冷たい風が彼の足元に降り注ぐのだろう。寒いと感じていたのは私だけではなかった。私の他にも、辛い想いをしている人たちが居たのだ。

 私の足の冷えは、膝掛けを、足が隠れるまで長く継ぎ足すことで少し緩和されて来た。これで何とかなるかもしれないと思い始めていたとき、残業時間中に上司のまた上司から声を掛けられた。
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の名字)の席は、冷房が当たって寒いの?」
「はい、寒いです。いつも、上から冷たい風が降りて来るので、帽子をかぶって守ってるんですよ。あと、足がものすごく冷えます」
と、私は答えた。もしかしたら、派遣会社の営業担当が、企業に話をしてくれたのかもしれないと思った。上司のまた上司は、腰を痛めている人で、冷えに対してもとても敏感な人だった。昼間、足湯の話をしていた男性社員と、上司のまた上司は、向かい合わせでパーティション付きの管理職席である。もしかすると、上司のまた上司の席も寒い想いをしているのかもしれないと思い、尋ねてみた。すると、
「確かに寒いですよ。でも、私は普段から厚着してますからね。一枚か二枚、余計に着込んで、夜になって空調が止まって暑くなったら、一枚脱ぐよう調節してます」
という答えが帰って来た。さすが、腰を痛めて健康管理に気をつけている人は違う。

 私は、電気毛布を使用している女性がいることを、上司のまた上司に伝えた。上司のまた上司は、既にそのことを知っているようだった。上司のまた上司は、
「このラインが寒いのかなあ」
と、オフィスの天井を見上げ、彼女の席と私の席を縦に結んだ。確かに、電気毛布の彼女と私は列は違うのだが、座席の縦の位置は同じだった。
「いや、実はね、来週、○○の会議があるので、提案してみようかと思ってるんですよ」
と上司のまた上司が私に説明してくれた。昼も夜も、オフィスの空調が身体に優しくないので、会議にかけて、対策を練ってくれるそうだ。
「彼女にも聞いて来よう」
上司のまた上司はそう言って、電気毛布の彼女にもヒアリングを始めた。彼女と話が終わったあと、足湯の男性とは別の男性社員も、空調に対する不満を訴えているのが聞こえて来た。何ということだ。私だけが苦しいと思っていたのに、オフィスの空調が身体に合わない人は他にもたくさん居たのだ。
 
 オフィスの空調に対して能動的な態度を取ってみたら、瞬く間に奇跡が起こった。これは、劇的な変化である。あのまま受動的な姿勢でいたら、変化のスピードはもっとゆっくりだったかもしれない。そして、上司のまた上司が、身体が冷える辛さを理解してくれる人で本当に良かったと、心から感謝した。

※コトリさん、冷え対策に関するメールありがとう! とってもとってもうれしかった。コトリさん自身が、これまで大変な想いを経験されているから、暖かい言葉が自然に出て来るんだと思う。いろいろ調べてくださって、本当にありがとう! 不思議なことに、自分が変わったら、周りが変わり始めた。能動的になると、歯車が一緒に動いて行くのかな。コトリさんに教えていただいた方法で自分の身体も守りつつ、今後の経過も見守りたいと思うよ。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m まだ仕事を辞める時期ではないと感じていたのは、このような変化が訪れることを暗示していたのかもしれません。

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2006.05.15

続・自分の身体を知る

 先週の木曜日と金曜日に、オフィスの空調による頭痛と冷えのために仕事を休んでしまったので、私にとっては四連休明けの出勤となった。

 私の職場では、当日になって休暇を取りたくなった場合は、プロジェクトメンバ全員が目を通しているメーリングリストに、「本日、休みます」という内容のメールを送信することが、休暇届けの代わりになっている。木曜日に送信したメールには、「頭痛がするので休みます」と書いた。金曜日に送信したメールには、「きのうよりは回復したものの、オフィスの空調が身体に合わないと感じているので、このまま出勤するとまたぶり返す恐れがあるため、休みます」と書いた。

 そして、週明けの月曜日。私は毛糸の帽子を持参して仕事にのぞんだ。そして、毛糸の帽子を頭にかぶり、大きめのスカーフでしっかりと首を包み込んで、足にはレッグウォーマーを履いた。ひざかけの隙間から入って来る冷風に対処するため、セーターを腰からお腹に向けて巻き付けた。しかし、そんな格好で仕事をしていても、切実な事情を抱えていることが周りには伝わっていないらしい。ほとんどの人は、私の抱えている症状が理解できないようだった。

 しかし、きのうの記事を書きながら、私は、身体が冷えることによる苦しみを理解できることに喜びを感じ始めていた。例えば、同じオフィスに、普段使用している膝掛けを、ときどき肩に羽織って仕事をしている派遣仲間の女性がいる。彼女は、これまで膝掛けとして使用していた毛布を、わざわざ肩に羽織っているのだ。私は、人々のそのような態度を決して見逃さない。そのような態度を取れば、彼女にとって、オフィスが寒いのではないかとすぐに想像することができる。そして私は席を立ち、空調のつまみを調整できる場所まで歩いて行くのだ。彼女は派遣されて間もないので、オフィスの空調を調節できる自由があることを知らない。(実際は、つまみを調整しても、あまり変化がないことが多いのだが・・・・・・。)しかし、身体が冷えてしまうことによる苦しみを理解できない人は、このような行動を取ることを思いつかない。だから、身体が冷えてしまうことによる苦しみを理解できるということは、私にとって、喜びなのである。

 私は、自分の身体をいじめるのではなく、また、自分の身体の極限に挑戦するのでもなく、オフィスの空調に打ち勝つことを考え始めた。現在の確かな感触としては、毛糸の帽子が頭を守ってくれている。大きめのスカーフが首を守ってくれている。腰からお腹に向けて巻き付けたセーターが、ひざかけの隙間から入って来る冷風をさえぎってくれている。しかし、レッグウォーマーを履いていても、足がひどく寒い。それならば、明日は冬用のウールの靴下を重ね履きして来ようと思うのだった。また、足が冷えるのは、膝掛けの長さが足元まで達していないことが原因であることがわかった。膝掛けを長くすることで、足の寒さをしのげるかもしれない。そう思って、私は使っていないマフラーを、安全ピンで膝掛けに継ぎ足した。すると、足元が暖かくなって来たのだ。また、ときどき身体を動かしてやれば、ある程度の寒さはしのげるということもわかった。トイレに立ったときに、簡単な体操をするよう心掛けよう。

 仕事から帰宅した私は、いくつかの冷えのツボにお灸をすえた。お灸をすえたあとは熱が身体の中に残り、とても気持ちがいい。その気持ち良さを実感しながら、私は、オフィスの冷房から逃げ出すのではなく、自分の身体を徹底的に守ることで、クーラー病を克服したいと思い始めたのだった。

 先日、仕事を休んだとき、私はガンモに仕事を辞めたいと言った。ガンモは私に、
「仕事を続けるかどうかは、まるみが決めたらいい」
と言った。ガンモは、仕事を辞めるということについて、私がまだ導かれていないと暗黙的に感じていることを、それとなく感じ取っていたのだろう。自分の身体を良く知り、症状に対して能動的な態度を取らなければ、私はいつまで経っても冷えを克服できないのではないだろうか。身体と対話しながら、寒いと感じている部分を一生懸命保護して行く。その方法で、自分の限界を少しずつ越えながら、オフィスの空調に対し、能動的に働きかけてみようと思うのだった。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。気遣ってくださる方がいらっしゃる中で、このような選択をしてしまい、申し訳ありません。しかし、私は今、自分の身体との対話ができていると実感しています。今は足が冷たくて悲鳴をあげているので、足を優しくいたわってみます。その先に、どんなことが待ち受けているのか、まだわかりませんが、冷えに対して受身に徹するのではなく、できる限り能動的でありたいと思っています。ただ、帰りがけには毛糸の帽子を脱いでしまうので、髪の毛がかなり乱れております。(^^;

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2006.05.14

自分の身体を知る

 母の日だったので、義母と私の実家の母にそれぞれ電話を掛けた。実家の母とは月に何度か電話で話をしているが、義母と話をするのは久しぶりのことだった。しばらくご無沙汰してしまったことへの詫びを述べたあと、義母の体調について尋ねてみたところ、何やら重たい返事が返って来た。義母は以前、ある病気に侵され、これまでに三回ほど手術している。あまり詳しく書くとガンモが嫌がるので書かないでおくが、その病気がまた再発してしまったのだそうだ。私は驚きのあまり、愕然とした。高齢のため、何度も手術を重ねるのは身体に負担がかかってしまうので、今回は、新しい薬を試してみることになったそうである。その薬がうまく身体に適合すれば、手術はまぬがれるかもしれないと義母は言う。

 義母から正式な病名を聞いてネットで検索してみたところ、十万人に二人という珍しい病気らしいことがわかった。しかし、珍しい病気のために、田舎のかかりつけの医師も対処に頭を悩ませているそうだ。何が原因でそのような症状が出てしまうのか医学的にもまだ解明されていないらしく、義母は、再発していないかどうかを定期的に検査してもらっているだけだという。三ヶ月前の検診ではまったく異常が見られなかったのに、五月の検診では異常が出てしまったそうだ。

 義母との電話を切って、今度は私の実家の母に電話を掛けてみると、母は母で、お尻の骨を痛めて歩行困難に陥ってしまい、激しい痛みのためにしばらくのたうち回っていたと言う。それはちょうど、私がクーラー病でウンウンうなっていた時期と一致していた。母は、その辛い症状からようやく解放されつつあると言う。電話の声も元気そうだった。

 義母のことを母に話すと、母は、
「お義母さんもそろそろ自分の身体を知る時期かもしれないね」
と言った。母は、昔から身体があまり丈夫ではなく、現在、私が抱えているのと同じような症状でいつも身体の不調を訴え続けていた。母は、子宮筋腫のため、子宮を全摘してしまっているし、おまけにひどい冷え性だ。そのような身体になって初めて、母は自分の身体を徹底研究したらしい。そして、その成果を祖母の看病に生かしたのだ。そんな母は、義母の症状を聞いて、
「やはり、○○(臓器の名前)の血液の流れを良くして、老廃物が溜まらないようにしてあげたらいいんじゃないかしら」
と言った。

 私は私で、昨年末から今年の初めにかけて、三朝温泉で湯治したときのことを思い出していた。医学的な予防方法が見つかっていないなら、私の体験したラジウム温泉の湯治が義母の症状を軽くしてくれるのではないだろうか。それに、三朝温泉のラジウム温泉は、糖尿病を煩っている義父の身体にもいいらしい。更に今、私の頭をひどく悩ませているオフィスの空調によるクーラー病のことが頭をよぎった。いっそのこと、仕事を辞めてしまって、義父と義母を誘って三朝温泉にしばらくこもれば、一気にいくつもの症状が緩和されるのではないだろうか。

 休日出勤していたガンモに、義母の症状とともに、私のアイディアを話して聞かせた。しかしガンモは、
「なるようにしかならないからね」
と言った。それに、義父と義母と私の三人が三朝温泉にこもるなどという話は、まるで夢物語のようだとも言った。確かに、いろいろな条件が揃わなければ実現できないことだろう。しかし、ラジウム温泉に限らず、旅行に出掛けて温泉に入る度に、義父や義母たちも温泉につかって身体を癒したなら、きっと調子が良くなるだろうに、と思うのだった。

 私は、自然の恵みを惜しみなく与えてくれた三朝温泉が懐かしくて、年末年始に撮影した写真を眺めながら、当時の(湯治の)想い出に思い切り浸った。どういうわけか、あの頃のことを思い出すと、ひどく熱いものが込み上げてくる。私がそこで受け取った尊いもの。それらを他の人たちにも紹介したいと強く思うのだった。

 医学が進歩したといえども、まだまだ原因が究明されないいくつもの病気があり、医師から提示されるいくつかの選択肢の中から、消極的な選択をせざるを得ないことがある。しかし、視点を変えれば、医師に自分の身体を任せ切りにしまっているからこそ、このような消極的な選択をせざるを得ないのかもしれない。病気をきっかけに、患者ももっと、自分自身の身体を知るべきではないだろうか。そうすることによって、医師の難しいアドバイスも頭に入って来るようになる。更に、自分の身体を知ることは、病気に対して能動的な姿勢を取ることにも等しく、それがまた、病気に打ち勝つパワーをも生み出して行くのではないだろうか。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m もしかしたら、私が体験して来たことが役に立つ時期がやって来たのかもしれません。

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2006.05.13

手の込んだスパムメール・完結編

 先日からご紹介している手の込んだスパムメールおよび続・手の込んだスパムメールの更なる続編のメールが届いたので、ここにご紹介させていただくことにする。このメールが届いてしばらく経つが、これ以降のメールはもう届いていない。よって、このメールの紹介をもって完結編とさせていただこうと思う。

いつもメールをしている漫画喫茶がつぶれてしまいました…。
昨日までは普通に開いていたのに…。
どうやら店長さんが夜逃げしたみたいです。
笑えないですよね。
今は車で30分かかる漫画喫茶からメールしてます。
でも、今後も通い続けるのは正直大変なんです。

あまりメールもしてませんし、短かい時間でしたけど、私にとっては凄く楽しい時間でした。
こんなに沢山自分の事を話すのも久々でしたし…。
それが今日で終わってしまうと思うと悲しい気分です。

それで、どうにか出来ないかと色々と探していたら
写真を掲載したり、メールを携帯に転送したり出来るSNSポータルと言うのがあったので
そこで今後は連絡を取り合いたいんです。
無料で使えましたし。

恥かしいんですけど、そこにプロフと写真を載せました。
全部で5枚あります。
音声の録音もできたので、伝言も入れておきました。
私のイメージを少しでも多く伝えたかったので。

私が紹介しないと使えないみたいだったので、紹介登録はしておきました。
ここが私のプロフのページです。
http://....(※ここにアドレスが記載されていた)
プロフのページからメールが送れるので、お返事はそちらからお願いしますね。
メールは私の携帯に届くように設定しておきましたので。
今教えればって思うかもしれないですけど、念のためって事で納得して下さい。
もう少しお話しをしたら、携帯を教えたいと思います。

このアドレスはもう使わなくていいと思うので、削除してください。
私も漫画喫茶に来ないと見れないので意味も無いですし。

メールが来るのを楽しみに待っていますね。

 結局、一人で盛り上がって、一人で去って行ってしまったようである。最終的には、提示されたアドレスにアクセスしてもらうことが目的だったのだろう。

 一日に何十通と受け取るスパムメールの中で、きらりと光る壮大なスケールのスパムメールだった。一般的に、スパムメールというと、いきなり露骨なことが書かれてあり、嫌悪感を抱いてしまうケースも多いのだが、やんわりとした表現からじわじわと始まり、続きものでシリーズ化されていたこれらのスパムメールは、多少の矛盾はあっても、届くのがなかなか楽しみだった。

 このスパムメールを受け取ってからは、他にも面白いスパムメールが届いていないか、わざわざスパムフィルタに引っかかったメールを開封して確認したりするまでになっていた。スパムメールで楽しい経験をさせてもらったので、同じように楽しいスパムメールが届くのを期待していたようだ。だからと言って、決してメールの本文に惹かれているわけではない。しかし、実際、このメールに誘われて、指定されたサイトにアクセスした人はどれくらいいるのだろう。

 インターネットの普及によって、世の中が便利になればなるほど、その便利さの向こう側にある闇の世界も浮き彫りになって行く。誰かが新しい光の世界を発見をする度に、闇の世界もセットになって一緒について来る。長く使用しているメールアドレスにスパムメールが増えて来るのと同じように、ブログにおいても、アクセス数が増えれば増えるほど、スパムのコメントやスパムのトラックバックが増えるようになる。管理人が不在のときに、スパム攻撃に遭っているサイトを目にするのは、同じようにサイトを運営する者として胸が痛くなってしまうものだ。それは、私自身がサイトを運営する喜びを知っているからだと思う。

 そんな中にあって、少しでも心に残るスパムメールに出会えたことは、収穫だったと思っていいのかもしれない。もちろん、メールの内容についてではなく、メールの送信のされ方が他とは違うユニークさを持っていて、多少なりとも楽しませてくれたという点においてである。

 中には、スパムメールなんてけがわらしいと思われる方もいらっしゃるかもしれない。しかし、このようなメールを受け取ったとしても、自分の中で勝手に現実の彼方へと追いやってしまえば、表面的には楽しめることに気がついた。それは、宗教に勧誘されない強い心を持っているのと同じことだと思う。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。「手の込んだスパムメール」は、これで完結しました。また、面白いメールが届いたら、ご紹介させていただくことにします。

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2006.05.12

エクスタシー

 誰かの書いた文章を読んだときに、突き上げられるような感動に震えることがある。先日、ゴダイゴの再結成ライブに出掛けたあと、私はネット上に綴られたゴダイゴライブの感想をせっせと検索していた。ある人が綴ったライブの感想の中に、長年聴きたいと思っていた曲が、会場の外からリハーサル音として漏れ聴こえて来たとき、身体に電流が走るのを感じたという表現を見つけた。私はその文章を読んだ途端、自分の中に既にあった経験とリンクして、涙が込み上げて来た。

 楽しみにしていた曲をようやく生で聴けたという大きな喜びが、身体に電流が走るのを感じたという究極的な表現で綴られている。私も七年前の彼らの再結成ライブで、その感想文を綴った人が楽しみにしていたのと同じ曲のイントロを生で聴いた途端、身体に電流が走るのを経験している。おそらく、同じような経験をしているのは、その曲を何度も何度もアルバムで繰り返し聴き込み、生の演奏を聴くことをずっと心待ちにしていた同世代の人たちなのだろう。中には同じような現象を、鳥肌が立つという表現で綴っている人たちもいた。

 人は普段、ある枠の中で生きている。その枠の中では理性が働き、感情も枠の中に留まろうとする。しかし、何らかのきっかけで、その枠を一気に越えてしまうような経験をすることがある。そして、突如として、自分がこれまで知らなかった領域に連れて行かれるのだ。そのときの感情を表現するのに、電流が走るなどのような究極的な表現が用いられることが多い。

 例えば私自身もそうだが、運命的な出会いを経験した人は、その出会いについて語るとき、電流が走ったなどと言う。また、鐘が鳴ったなどと表現する人もいる。そうした経験のある人は、自分自身の経験とリンクさせて、他の人たちの同じような表現に涙し、枠を越えた部分で分かり合ってしまう。

 エクスタシーの原義は、魂が自分の境地の外に出ることだと言う。私は、エクスタシーとは、枠を越えたことによって感じる喜びだと思う。リハーサルのときに漏れ聴こえて来た音に電流を走らせた人は、エクスタシーを感じたのだ。運命的な出会いを果たした人も、その出会いにエクスタシーを感じたのだ。エクスタシーを感じた人は、エクスタシーの部分で分かり合う。その相互理解のスピードは、電流が走るのと同じスピード、つまり、光速と等しいのかもしれない。

※愛ちゃんへ 早速の返信ありがとう。「ガンまる日記」からわざわざ引用記号を入れながら引用してくれたんだね。大変だったでしょう。(笑)また掲示板に返信させてもらうね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m 二日間仕事を休んで、少し元気になりました。(^^) 皆さまも有意義な週末をお過ごしください。SHANAくんの作品展、開催中のようですよん。

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2006.05.11

続・基盤

 さて、今日は、愛ちゃんが掲示板に書いてくれたコメントに返信させていただこうと思う。愛ちゃん、お待たせ。(^^) 以下、一重引用符は愛ちゃんの発言、二重引用符は私の発言である。

■No1392に返信(愛さんの記事)

> 周りから見たら、どうして1人にそんなに執着するのかって思うんでしょね。
> 私自身も彼と一緒に過ごしている時は、そんな風に思っていました。
> 一緒にいると憎くて離れたいと思うのに、離れるとどうしようもなく愛しくなる。
> 離れているのが耐えられない、1人じゃ生きていけない…
> こんな風に思うのが執着っていうのかもしれないですね。
> 上手く表現できないけどきっと、私のそんな弱い部分を感じ取って
> 執着という言葉を使ったんでしょうね。

うん、確かにそうかもしれない。
でも、てんちゃんもコメントを書いてくれていたけど、私は、執着をもっとポジティヴに捉えていたんだ。
愛ちゃんは、魂が惹かれて惹かれて仕方のない対象に出会ったんだと思うよ。
魂の想いとは裏腹の行動を取ってしまうこともあるけれど、本当は、何が何でも離れたくないのが本心だろうと思う。
ある人にとっては、そういう行動が、執着に写って見える場合もあるのかもしれない。

私は、執着というのは、一方通行の想いだと思うんだ。
愛ちゃんの彼は、とてもわかりにくい愛情表現だったけれど、愛ちゃんのことがきっと好きだった(過去形にしていいかどうかはわからないけど)と思う。
だから、単純に執着とは言い切れないものがあると思う。

>>愛ちゃんも、あとからコメントをくれているように、確かに決め付けはあったかもしれない。
>>でも、結論から言えば、私には、たくさんの出会いが必要だとは思えない。
>>愛ちゃんがここに書き込みしてくれるようになってからまだ一年も経っていない。
>>それなのに、愛ちゃんが愛する異性の対象は、次々に変わっている。
>>私自身、こういう経験がないから、ちょっと戸惑っているんだ。
>>一人の男性を感じ切るという姿勢が見られないのに、いろいろな人との出会いが大切だとは思えないんだよ。
>
> どきっとしました。確かに私が愛する対象は次々と変わっていますね。
> 私、小さい頃から恋愛体質で、常に好きな人がいるという状態だったんです。

「恋愛体質」なんて言葉もあるのね。(苦笑)
私の周りにも、愛ちゃんのように、短期間の間にたくさんの恋愛を繰り返している友達がいるよ。
あるとき、友人同士で集まったときに、誰かが彼女のことをこう言ったんだ。
「彼女、出会いはたくさんあるけれど、まだ本当の出会いを果たしてないんじゃないのかな」
って。私もこの言葉には考えさせられた。でも、その通りだと思ったよ。

そういう私も、小学校の頃までは、たくさん人を好きになってたなあ。
小学校六年間で、思い出すだけでも、八人くらい好きになっている。
小学校の頃の私はかなり「恋愛体質」だったかも。(笑)

でも、年を重ねるごとに、次第に一人の人と向き合う時間が長くなり、想いも深くなって行った。

> でも、今までの人生で出会った中で私が本当の愛を持てたと言える人は、
> ツインと、ソウルメイトの彼だけです。
> 特にソウルメイトの彼は、初めて本気で好きになれた人だと想います。
> それまで私は恋とか人を愛するなんて気持ち全然知らなかったから。。
> 愛しさも切なさも恋しさも、全部彼と出会って知った気持ちだから。

多分、そうだろうね。
これまで、愛ちゃんが掲示板に書き込んでくれた内容からも、そうだろうと思う。
ソウルメイトとツインソウルの二人の男性以外に対する気持ちは、愛ちゃんにとって、本物ではないだろうと感じていた。
そういうのはね、書き込みからわかるよ。
だからこそ、ストップをかけたくなったんだ。

おそらく、ソウルメイトの彼は、愛ちゃんの理想の相手なんだろう。
ツインソウルの彼は、愛ちゃんの理想を超えた相手なんだろう。

私が、愛ちゃんの書き込みの中で一番好きなのは、
芸能人ソウルメイトのライブに行ったすぐあとに書き込んでくれた内容。
そのときの書き込みをちょっと引用させてもらうと、

> 何から書けば良いのか分からないけど、とにかく今涙が止まりません。。
> 彼が好きで、好きすぎてどうしようもないです…。
>
> (中略)
>
> ただ彼に会いたい、ずっと側にいたい、今すぐ側に行きたいってそんなふうに
> 思っては泣いてばかりです。
>
> (中略)
>
> 彼と1つに戻りたい…
> 二度と離れたくない…そんな事ばかり思っています。もう彼以外何もいらない…
> もし死んだら1つに戻れるとしたら今すぐ死んでもいいです。。

何だろうねえ。
きっと、私の中にも同じような熱い想いがあるからかな。
こういう書き込みを読むとね、胸がきゅーんと熱くなって反応するんだ。
そして、こういう気持ちを持っている人を応援したくなる。
わかるんだ。その熱い想いが。
そして、熱い想いがわかるからこそ、熱くない想いもわかってしまう。

さて、ここから再び先日のコメントに戻そう。

> でも彼への想いもまだ中途半端なのかもしれないです。
> だって1人の人だけを愛するのがすごく怖いから…

一人の人だけを愛するのがすごく怖いから、愛を分散させているのかな。
だとしたら、おそらく、愛ちゃんと同じように、愛を分散させている人と出会ってしまうんだろうな。
そして、どちらも愛を分散させているがゆえに、完全燃焼させることができない。

> 一つの愛を感じきるってどういう事なんだろう…
> ソウルメイトの彼の事を愛して愛して、愛を感じきった気になっていました。
> でも、まだ足りないのかな。。

一つの愛を感じ切るっていうのは、その愛に、全身全霊で取り組むことだと思うよ。
その結果、愛が燃え尽きてしまうなら(実際、愛は燃え尽きたりはしないと思うけど)、燃え尽きたことに後悔のないことだと思うよ。
もしくは、愛している状態がずっと続いているかのどちらかだ。

私は、愛ちゃんは、ソウルメイトの彼への愛を感じ切っていると思うよ。
ただ、それだけの愛を知っているのに、他の愛に応用できてないのが残念なところ。

> 一つの愛を感じきるのってすごく怖い。きっとすごく傷つくだろうから。。
> それでもそんな道を歩かないと入り口には到達できないんでしょうか。

なるほどね。
いろいろな人と付き合ってみたいという願望は、ここから来ているんだね。
要は、自分が傷つかないでいるための、防御手段なんだ。
これでは、せっかく入口を見つけているのに、ドアが開かないなあ。(苦笑)

> 私が好きになったのは2人だけですよ。
> 他の誰も本気で好きにはなっていなかったって気づきました。
> 今はまだパートナーを見つけるには早いのかもしれないですね。

確かに早いと思うよ。
もうちょっと、ツインソウルの彼と離れた苦しみも、味わい尽くさないと。(苦笑)
味わい尽くさないなら、連絡を取れるように、もっと踏ん張ってみるとか。

>>これは、私が上記したことと一致してるのかなあ。
>>りえちゃんの言う「たくさんの人」というのは、果たしてどういう意味なんだろう。
>>私は、一つの愛を感じ切っていないのに、たくさんの人と関わるということに、どうしても引っかかりを覚えてしまう。
>>「これがダメならはい次!」みたいな感覚を抱いてしまうんだよ。
>>もしもりえちゃんの書いてくれているように、「たくさんの人に会っても、流されて終わりにしない」なら、「たくさんの人に会う」ということは成り立たなくなってしまうと思うんだけど。
>
> 「これがだめなら次!」っていう感覚でしたよ、まさに。
> とりあえず気になった人がいたら近づいて、無理なら次!って思ってました。
> 寂しかったのかもしれません、きっとすごく。
> やっぱりまだ失恋した傷が癒えていないみたいです。。
> 最近は落ち込みモードに入ってしまって、昼間でもツインとの事を
> 思い出して急に泣き出したくなる事がよくあります。

やっぱりね。
そういう感覚は、文章からも伝わって来てたもの。
だから、ななちゃんや私が、
「その恋愛、ちょっと待った!」
と言いたくなったんだと思うの。

でも多分、「恋愛体質」の愛ちゃんにとっては、ツインソウルと離れたことが、初めての痛手なのかな?

>>確かに、それぞれで乗り越えて行くしかない。
>>だけど、りえちゃんも、この掲示板をしばらく見守ってくれている人の一人として、若い頃に出会った強烈な魂のことが、いつまで経っても忘れられないという人の書き込みが多かったことに、気づいてもいるでしょう?
>>しかも、何年も経って再会したときには、お互いにパートナーがいたり。
>>そういう人たちの気持ちの背景にあるものは何だろう。
>>私には、一生懸命関わり切れなかった、後悔の念であるようにも思えるんだ。
>>それに、達成できなかった自分の想いを達成しようと思っても、既存の関係と、「はい、さようなら」なんてできないでしょ。
>>
>>だったら、愛ちゃんにも、ツインソウルと関わり切れなかった想いを残して後悔して欲しくないと思う。
>>そういう視点から見ると、どうしてももう少し踏ん張って欲しい気持ちが強くなるんだ。
>
> 私は、ツインと過ごしていた時精一杯関わりあったと思っています。
> そして疲れてしまったから、今は休戦するべきだと思います。

私は、休戦することに関しては反対しなかったはずだよ。
ゆきさんがそう決めたときも、愛ちゃんがそう決めたときも。
でも、別れた人のことが心の中に残っている状態で、なおかつ、その別れを自分の中で完全に消化できていない状態で、別の人と付き合うというのは賛成も応援もできない。
相手はモノじゃないんだ。愛ちゃんと同じ感情を持った人間なんだよ。

> でも、ツインに会わない間に私は確実に変化していると感じるから
> それをどうしてもいつか見て欲しい。
> いつかもう一度会わなければ、きっとずっと後悔すると思う。
> もう少し踏ん張るとはどういう意味ですか?
> ツインの事を過去にはせずにツインを想って自分磨きを頑張れということ?
> それなら、いつも私はその気持ちを持っていますよ。

もう少し踏ん張るというのは、愛ちゃんの誠意をツインソウルの彼に示すことだと思うよ。
ツインソウルとは、そこまでの絆があったはずではないの?
いや、絆というよりも、基盤かな。
私が基盤と言っているのは、壊れるはずなどないという信頼。
それが築けないまま二人は離れてしまったのか、そうでないのか。

私がもしもガンモと喧嘩をしたなら、愛ちゃんみたいな選択は絶対にしないなあ。
と言っても、ガンモと喧嘩しても、その日のうちに泣きながら抱き合って仲直りしてしまうから、全然説得力がないんだけど。
何故、愛ちゃんみたいな選択をしないかと言うと、私たちが離れるはずがないという基盤がしっかり出来上がっているから。
すねていても、お互いの本当の気持ちがはっきりわかるからなんだけどね。

電話がダメなら、メールだってあるだろうし、メールもダメなら、手書きの手紙だってあるはず。
心の中でずっと泣いているなら、もっと彼にぶつかってみたらいいのに、と私は思うよ。
彼に再会するという目的のために、他の人との交際で自分を磨こうとする愛ちゃんを、一体誰が応援するんだろう。

ツインソウルの彼と離れてから知り合った片思いの男性とうまく行かなかったのは、むしろ、ツインソウルと再会するための準備が整って来ているととらえていいんじゃないのかな。

■No1385の中で、てんちゃんに宛てたコメントの中に、

> 確かに彼は「愛は愛のままでいい」って言っていました。
> でも、その割りに「俺はこういう子が好きなのに、お前はこうだから無理」ってよく言われていました。
> 好きなタイプと違うって、今まで好きになった子と全然違うって…。
> だから私は彼の理想の女性になりたいんです。

と書いてあるでしょ。
私も、てんちゃんと同じく、彼の理想の女性になる必要なんかないと思うよ。
彼が言いたかったのは、「愛ちゃんは、これまでの理想とは違うけど、何故か惹かれる人」という意味なんじゃないのかな。
「愛は愛のままでいい」なんて、最高の愛の表現だと思うよ。
だって愛ちゃんは、彼の理想の外にあるんだもの。

>>てんちゃんも書いてくれていたけれど、私も、愛ちゃんに向けたみんなの書き込みに感動した一人だよ。
>>そういう人たちの言葉には泣かされる。
>>愛の体験が確実に身になっていて、言葉が真実味を帯びているからかな。
>>読むだけで、突き動かされるような感動がある。
>>何故、突き動かされるかと言うと、紆余曲折を繰り返しながらも、みんな、一つの愛に留まっている人たちだからだと思うんだ。
>>一つの愛に出会い、その愛を基盤にしながら、結果的にはたくさんの人との出会いを必要としなかった人たちだからじゃないかな。
>
> 本当に感動したし切なくもなりました。
> 1人の人と出会い、全ての人と出会った事になるというのなら、
> 私はソウルメイトの彼と出会って全ての人と出会ったという気がします。
> それくらい彼は強烈な存在です。

全ての人と出会ったという感覚は、私のとらえ方とはちょっと違っているかもしれないな。
入口になるというのは、誰と過ごそうとも、その人と一緒に過ごすのと同じくらい愛せるくらいの感覚を持てるということだと思うんだ。
要するに、区別がなくなるということ。
そのときになって初めて、「いろいろな人」という発想が生まれる。
感じ切るということもそういうことだと思うけど、感じ切るには、終わりもあるかもしれないからね。

> 私も一つの愛を感じきってみたい。誰かを究極的に愛したい。
> その覚悟が出来ればいいなと想います。

でしょ。
以前、ソウルメイトの彼について書いてくれたときのエネルギーを思い出して。
■No567の発言だから。
あのくらいのエネルギーを、また私に感じさせて欲しいな。

※フニさん、いつもあたたかい言葉をありがとう。フニさんの言葉は、本当に身にしみる。今度という今度は、ちゃんと身体のことを考えなきゃいけないよね。私は、道が開かれるのを待っているのかもしれない。大きな力を加えたくないのかもしれない。まだ模索しているけれど。二日間、仕事を休んだ。空調が問題であることも伝えた。どういう選択になるのかはわからない。でも、フニさんの言葉は、とても身にしみて涙が出て来る。ありがとう。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m とても励みになっています。

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2006.05.10

お灸に救われて

 オフィスの冷房による身体の冷えが深刻な状況になって来た。頭のてっぺんから降りて来る冷気を防ぐため、私はパーカのフードを頭からかぶり、首にはスカーフを巻きつけ、足にはレッグウォーマーを履いて仕事をしている。しかし、それでも、冷気はひざ掛けやズボンの間から否応なしに入り込んで来る。少し油断をしてしまったせいか、フードをかぶるのが遅くなり、仕事を上がる頃には頭が痛くなってしまっていた。

 仕事帰りにガンモと待ち合わせをしたとき、私は自分の頭のてっぺんを押さえていた。押さえていなければ、そこから冷気が入り込んで来るように思えたからだ。実際、頭を触ると冷たかった。私は頭が痛かったので、なりふりかまわず、スカーフを頭にまで巻きつけ、それをさらに首にも巻いて帰宅した。

 足も頭も冷え切っていた。お風呂に入って身体を温めると、少し楽になった。しかし、頭痛は治まらない。私は、いつも鍼灸医院で治療してもらっている冷えのツボを思い出し、ネットでそのツボを確認しながら、足にお灸をすえた。おかげで、足の冷えがある程度改善された。体に冷えがある者にとって、身体に火が入って行くのはとても心地が良い。お灸が終わっても、しばらく身体の中に火が残って温かいのだ。

 ちなみに、私がいつも使用しているお灸は、中国家庭用灸治療 『だるま灸』である。このお灸はマイルドなので、お灸のあとがほとんど残らない。これだけ効くのなら、オフィスにお灸を持って行ってもいいだろうか。冷えを感じたら、密かに喫煙コーナーに行き、靴下を脱いで足を組み、お灸をすえる。かっこいい!

 私の職場では、既に四月から冷房の体制に入っている。五月ともなると、仕事中に冷たい風がバンバン降りて来る。それでも、男性の中には、半袖のTシャツにジーンズで仕事をしている人もいる。彼に、オフィスは寒くないのかと訪ねてみると、寒い地域の生まれなので、寒さには強いという答えが返って来た。うらやましい。

 そればかりでなく、残業時間内になると、クーラーが止められ、オフィスの温度は極端に暑くなる。私の身体は忙しい。一日のうち、ある時間までは、身体を一生懸命温めなくてはならない。しかし、ある時間を過ぎると、今度は身体を一生懸命冷やさなければならない。これでは、身体がおかしくなってしまうのも当たり前だ。私の身体は、次第に暑さと寒さがわからなくなって来ている。暑いのと寒いのが一緒に押し寄せて来て、私は自分の身体をかきむしった。

 ネットでクーラー病について調べてみると、私の症状に当てはまっているものが多かった。クーラー病は、自律神経の乱れを引き起こし、ホルモンバランスを崩してしまうそうだ。なるほど、だから私のように、天然のプロゲステロンを補給しなければならなくなってしまうわけだ。

 先日、派遣会社の営業がやって来て、次の三ヶ月、契約を更新するかどうか尋ねられた。私は、今のところは仕事を続けるつもりだが、オフィスの冷房がきついので、何とかしてもらえるよう、企業に打診してもらえないかと頼んでみた。去年も、同じような申し出を派遣会社の営業担当に聞き入れてもらったのだが、現在は、そのときの営業担当とは違っている。去年の営業担当は、すぐに企業に話しを持ちかけてくれて、企業の設備担当の人たちが私の席までやって来て、空気の流れを診断してくれた。しかし、今年はどのような動きになるのだろう。派遣会社の営業担当には、中には暑いと感じる人もいらっしゃるので、空調の件は難しいでしょうねと言われてしまった。

 クーラー病について調べていたときにわかったことなのだが、女性のほうが男性よりも筋肉の量が少ないために、体温を上げるのに時間がかかってしまうのだそうだ。おまけに男性は、夏でも長袖のスーツ姿だったりする。そのため、クーラー使用時の女性の適温と男性の適温は八度くらいの差があるという。これでは、共存できないのも当たり前のことだ。次に私が仕事をするときは、天然の寒さと、天然の暑さをとことん体験できる職場がいい。(笑)

 私は今、自分の身体をひどく痛めつけていると感じる。だから、今度という今度は、これからのことを真剣に考えなければならない。しかし、その一方で、現状から逃げ出してしまうことが悔しくて悔しくてならない。一体、ここまでして私を引き止めているものは何なのだろう。だんだんわからなくなって来た。二センチ小さくなっていたはずのものが、大きく、そして固くなって来ているのを感じる。私はガンモの前で、悔し涙を流した。しかし、涙が出て来るのに、一体何が悔しいのかわからないのだ。派遣という立場だから、空調設備について企業に強く言えないことなのか。それとも、私の抱えている仕事を理解できる人がいないことなのか。自分がどうしたいのかもわからず、何が最善策かもわからないでいる。

※ごめん、愛ちゃん、今日も書けなかった。でも、ここに吐き出したから、もうすぐパワーが復活するはず。待っててね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。おかげ様で、いつの間にか17万ヒットを達成していました。重ね重ねありがとうございます。どうやら私は今、厳しい試練のときに来ているようです。果たして、この学びは何なのでしょう。クーラー病を克服しなければ終わらないのでしょうか。被害者にならないことを学んでいるのでしょうか。どうも、お灸にヒントが隠されているような気がしています。おかげ様で、記事を書いているうちに、気持ちが前向きになって来ました。読んでくださってありがとうございます。m(__)m

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2006.05.09

続・手の込んだスパムメール

 先日、手の込んだスパムメールでご紹介したスパムメールがまたまた届いた。これからまだ続編があるかもしれないが、とりあえず、前回の続編となる二通だけをご紹介させていただくことにしよう。

私の家にはパソコンが無いので、漫画喫茶からメールしているんです。
仕事の都合もあって、不定期なお返事でごめんなさい。
本当はじっくりと色んなお話しがしたのですが。
なので、私の事をまとめて詳しく書きます。

年齢は、33歳。
派遣の仕事をしています。
8年前まではモデル、コンパニオン、少しだけタレント活動もしていました。
25歳の時に、交通事故で足を怪我してしまい、後遺症が出てしまって…。
デスクワーク以外できなくなってしまいました。
そこまで支障をきたす程では無いので、日常生活は問題ありませんが
走ったり等、激しい運動はできないんです。

独り身で唯一困るとしたら、お風呂やトイレです。
人に支えてもらえたら簡単なんですが、独りなので家の各所に手摺りを設置してなんとかしてます。

暗い話でごめんなさいね。
話しは変わりますけど、写真を送りたかったのですが、漫画喫茶から送れなかったので
まぁ、想像してください(笑)

よく言われるのは伊藤美咲です。
でも、雰囲気だけで似ている訳ではありませんよ。
デスクワークだと下半身が太ってしまうと聞いて、トレーニングは欠かしていないので
当時のプロポーションは保っています。
身長は162cm、B89、W55、H88です。
8年前と変わっていないのが自慢です。

誘惑している訳ではありませんよ。
受け取り方はおまかせしますが…。

また時間が出来たらメールしますね。

 漫画喫茶という表現も、少々古い。おそらく、今で言うところのインターネットカフェのことだろう。漫画喫茶から送信されているはずのメールなのに、相変わらず、

X-Mail-Agent: BSMTP DLL Feb 11 2003 by Tatsuo Baba

ヘッダが付加されている。インターネットカフェから送信できるのは、せいぜいWebメールなのではないだろうか。しかし、メールヘッダを穴の空くほど眺めてみても、Webメールから送信されている形跡はない。

 交通事故で足を怪我してしまい、お風呂やトイレに手助けが必要であることを匂わせている。何とかしてあげたいと思う男心をくすぐっているつもりなのだろうか。

 翌日になると、またまたメールが届いていた。実にまめな人である。彼女は毎日のように、漫画喫茶に通っているのだろうか。しかも、送信されているのは平日の昼間である。派遣の仕事はどうなっているのだろう。しかし、続きがあるスパムメールもなかなか楽しいので、まあよしとするか。

唐突にごめんなさい。
何となく気になって…。
昔は沢山友達がいたんですけど、今は女友達が数人です。
今思えば、よくあれだけ遊ぶ元気があったなと…(笑)
怪我をしてからはそれを気にして消極的になってしまい、友達も急に減りました。
今の私に足りないのは活発さですね。

それで、早いかもしれないんですけど…会えませんか?
今の消極的な私から変わりたいんですよ。
まぁ…理由の半分以上は漫画喫茶に通うのが大変だと言うのもあるんですけどね(笑)

私の一方的な思いだと嫌なので、ずばり聞きます!!

私の事を興味持ってくれてますか?
私の事を異性として意識してますか?
私に会いたいと少しでも思えますか?

私は、素直に、会いたいです。
好きとか、愛とかそういうのではまだ無いのですが
私がメールをしているあなたに興味があります。

ただ、どんな相手か顔も分からないのに判断しずらいと思うので
写真をなんとか見せれるように頑張ってみますね!
パャRンはどうも苦手で…(笑)

 いやあ、恐れ入った。とうとう彼女(?)が本性を現したようだ。単に自分からメールを発信しているというだけで、こちらが返事を書いてもいないのに、恋心にも似た感情を抱き始めている。彼女(?)の頭の中は、一体どのような構造になっているのだろう。

 最後の「パャRンはどうも苦手で…(笑)」が、またまた文字化けしている。おそらく、「パソコンはどうも苦手で…(笑)」と書きたかったのだろう。このような文字化けの仕方は、メールの送信にPerlを介していると思われる。私の運営しているサイトでは、「ソウルメイト」という言葉をCGIスクリプトの中に盛り込むことが多いのだが、「ソウルメイト」という言葉をそのままCGIスクリプトの中に盛り込もうとすると、このメールのように文字化けしてしまうのだ。これは、CGIスクリプトの中では、文字コードの関係で、カタカナの「ソ」が文字化けしてしまうためである。文字化けの起こる文字は決まっているので、文字化けしないような細工をしなければならないのだ。このことからも、このメールが、通常のメールソフトから送信されたメールではないことは明らかだ。

 ネットを検索してみると、このシリーズのメールを受け取られた方がわんさといる。やはり、スパムメールに間違いないようである。

Google検索:洋子 8年 雄二

 これらの中でも最も興味深かったのが、以下のサイトだ。男性にとっても、この手のスパムメールは、ありがたいものではないらしい。

連続小説スパム「洋子さん」シリーズ

※愛ちゃん、急に予定を変更してごめんね。また日を改めて書かせてもらうね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。連載もののスパムメールが面白くて、ついついご紹介させていただきました。スパムメールをブログで紹介している人がたくさんいらっしゃることにも驚きました。

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2006.05.08

うつむく人々

 ゴールデンウィーク明けの出社初日、同じプロジェクトの派遣仲間の女性が、旅行のお土産を配っていた。彼女は、今年から私たちのプロジェクトに加わったばかりだ。私は、
「旅行に行って来たのでどうぞ」
と、プロジェクトメンバ一人一人に丁寧に声を掛けながら、お土産のお菓子を配って回る彼女に、
「どこに行って来たの?」
と尋ねた。すると彼女から、
「出雲大社です」
という答えが返って来た。私も以前、出雲大社に足を運んだことがあるので、それからしばらくの間、彼女と出雲大社周辺の地理について盛り上がった。

 残業時間になったとき、周りに人がいなくなったのを見計らって、私はボソッと彼女に言った。
「私たちのプロジェクトって、暗いよね」
「確かにそうですよねえ」
と答える彼女。
「私もね、前に旅行のお土産買って来たことがあったんだけど、みんな、無関心だから、お土産買って来るの、もうやめちゃった」
と私は言った。そう、私も彼女のように、旅行のお土産を買って来て、何度かプロジェクトメンバに配ったことがある。しかし、お土産を配っても、どういうわけか、ほとんど反応がない。お土産が、右から左ほうへとさっさと流れて行ってしまうような感じなのだ。

 私の参加しているプロジェクトは、仕事以外のことで人と話をすることに慣れていない人たちばかりである。お土産を配っても、せいぜい、
「はあ、どうも」
と言ってもらえる程度なので、いつも張り合いがないのだ。そんなむなしさを、私はこれまで何度となく経験して来た。
「せめて、『どこに言って来たの?』くらいは聞いて欲しいよね」
と私が言うと、
「そうそう! そうですよね!」
と、彼女が激しく同意してくれた。彼女も、プロジェクトメンバの無機質な反応を見て、少しばかり落ち込んでいたようだ。

 言葉で表現したほうがいことにも書いたように、私たちのプロジェクトは、とにかくコミュニケーションが活発でない。仕事中も、休み時間中も、ほとんどおしゃべりすることなく、ただ黙々とうつむいて仕事をしている。もともと、出勤しても「おはようございます」もないし、帰宅するときも黙って帰る社風である。コミュニケーションが希薄であるがゆえに、誰かの買って来てくれたお土産が机の上に置いてあったとしても、誰のお土産かを周りに確認せずにパクパク食べてしまう。お土産を置いてくれた人を確認して、その人に直接お礼を言ったり、旅行に出掛けた人の気持ちに寄り添ったり、というようなことのない職場なのである。

 彼女は、
「次回から、お土産買って来るかどうしようか、考えてしまいましたよ」
と私に言った。私も、彼女の気持ちがとても良くわかる。ほとんど反応を返してくれない人たちに対して、ウキウキした気分で旅行のお土産を配る空しさといったらないのだ。

 以前の彼女の職場では、長期休暇明けになると、お土産合戦を繰り広げていたそうだ。お土産合戦とは、休暇中に旅行に出掛けていた人たちがあれこれお土産を買って来て、合戦のように交換し合うことである。しかし、ゴールデンウィークが明けてもそうはならなかったので、彼女もがっかりしたようだった。

 これから先、どのような選択をして行くかは私たち次第なのであるが、どうも私の参加しているプロジェクトの場合、相対関係がもたらす相性が良くないと感じる。一人一人、じっくり付き合ってみると、それほど暗くはないのだが、全体として、暗い雰囲気が漂ってしまっているのである。おそらく、横に繋がるブロックの形がピタリと合ってはいないのだろう。しかし反対に、摩擦があるわけでもないので、それぞれが誰かと強烈に繋がることもできず、距離は一定に保たれたままなのだ。

 彼女と手を組んで、プロジェクトが明るい方向へ向いて行くように改革を計るか、それとも、私たちも一緒に暗くなってしまうか。私たちは今、二者択一の段階にある。

※先日メールをくださった○○さん、メールありがとうございます。またまたお返事に時間がかかってしまいそうなので、いただいたメールの一部の返信をここに書かせてください。リー博士の本をご購入されたのですね。その本はきっと、お役にたつことと思います。手術されたと書かれてあって、驚きました。とても勇気ある行為だと思いましたが、そこまで決断しなければならないような状況に追い込まれてしまったのでしょう。少なくとも、温存させる形で良かったです。これからは、再発しないように自分の身体を整えて行くことが必要ですよね。ホルモンバランスを整えるという意味で、リー博士の本には、たくさんのヒントがあると思います。個人輸入もされているということで、日本の産婦人科事情に対して切実なお気持ちが痛くわかります。それから、私の筋腫が小さくなったことに対する激励メッセージありがとうございます。例え二センチでも小さくなったことを一緒に喜んでくださった、そのお気持ちがとてもうれしかったです。(^^) 見逃さないでいてくださってありがとうございます。m(__)m どうかお身体を大切になさってください。これから、冷房の季節ですが、冷やしすぎないように気をつけてくださいね。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さんの職場では、ゴールデンウィーク明けのお土産合戦はいかがでしたでしょうか。私の職場は、まあ、いつもこんな感じでございます。(^^;

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2006.05.07

手の込んだスパムメール

 実は、これから書く記事は、別のブログに経過を書き始めていたことなのだが、かなり面白い展開になって来たので、「ガンまる日記」でもご紹介させていただきたい。

 最近、手の込んだスパムメールを受け取った。メールの宛先は、ガンモがパソコン通信で使用していたメールアドレスだ。スパムフィルタに引っかかったスパムメールなので、メールアドレス以外の原文をそのままご紹介させていただこうと思う。メールは全部で三通あるので、わかりやすくするために、メールの本文を太字でご紹介させていただくことにする。

私の事を覚えていますか?
でも、8年前の話ですし、あまり話もしなかったので記憶に無いかもしれませんが…。
同僚の斉藤さんから雄二さんのアドレスがこれXXXXX@XXXXX.XX.XXだと聞き、いきなりメールしました。

それで、今更の告白なんですが、雄二さんの事がずっと好きでした。
でも、私は結婚していましたし、困惑させたくないと言う思いで声をかけないままになってしまいました。
じゃぁ何故メールをしたかと言うと、実は離婚したんです。先月ですが。
都合の良い考えは雄二さんを傷つけるとは思ったんですけど
8年間思い続けてたので…メールしたい衝動を抑えられませんでした。

雄二さんは生真面目で、素朴で、そんな雰囲気に惹かれました。
でも、当時の私は主人に不満もあってか、浮気したり遊びまくっていたので…。
雄二さんとは釣りあわないと思って押さえていました。
でも、雄二さんを好きな思いは今でも変わりません。
この人なら心から真剣に愛せるかなって。
当時は、どんなに真剣な気持ちでも不倫にしかなりえなかったのですが
今の私なら、受け入れてもらえるかと思って、勇気を出して告白します。

私の、8年間の思いを、真剣な気持ちを受けとってください。
私は引っ越してはいないので、以前と同じ501号室に住んでいます。
携帯はご存知無いはずですので、連絡頂けたら教えます。

お忙しいとは思いますけど、時間のある時でかまいませんのでお返事ください。
本心は早くお返事いただきたいのですが…。
心よりお待ちしていますね。

 もちろん、ガンモの名前は雄二ではないし、メールの差出人である元同僚を名乗る女性にも心当たりがない。メールの主は雄二という男性のことが好きなはずなのに、文章がペラペラで、雄二という男性を大切に想う気持ちが全然伝わって来ない。

 何故、伝わって来ないかというと、まずは、離婚の悲しみが綴られていないからだ。離婚という大きな出来事に感情を残さず、早くも次なる段階に入ろうとしている。そこに、彼女の愛情に対する姿勢が現れているのだ。そして、離婚という大きな出来事に感情を残さないのだから、雄二という人に対する気持ちも本物ではないと想像させてしまうのである。

 しばらくすると、同じ女性から二通目のメールが届いた。

何のメールだろうと、思われたでしょうが…。
ごめんなさい、アドレスを間違えてメールをしたみたいなんです。
本当にごめんなさい。
教えてもらったアドレスが違っていたようです。
XXXXX@XXXXX.XX.XXはあなたのアドレスですものね?
本当に申し訳ありません。。
削除して下さい。

失礼します。

 それにしても、手の込んだスパムメールだ。ご丁寧に、アフターケアまで付いている。こうやって、「いえいえどういたしまして」というメールを期待しているのだろうか。 そう思っているうちに、三通目のメールが届いた。

しつこくメールをしてしまってごめんなさい。

雄二さんと言う男性に8年間に思いを寄せていたのですが…。
アドレスも違っていた事で、連絡の手段も無くなってしまいました。

これは、そういう運命なのだと思い、彼の事は諦めたんですが。
離婚したばかりで、独身の今の私には心の支えが無くって…。

これも何かの縁だと思い、私と友達になってくれませんか?
ご迷惑になるのは嫌なので、無理にとは言いません。

ですが、前のメールで私自信の事を知られしまった事が恥かしくて…。
このまま引くに引けなくて。
離婚の原因は私の浮気ですし。
お見合だったので、流されて結婚してしまったのもあって、主人に対して不満は多かったんです。
主人に内緒で8年間浮気を重ねてきました。

今では年齢的にそこまで活発でも無いですし、出会いもありませんし。
こんなメールですら運命だと思ってしまう程、淋しい現状にあります。

私としては、お友達になれたのであれば、会う事を前提としてメールしたいです。
異性だと思えば尚更なのが本心です。
もちろん、すぐに会うのは何かと不安でしょうから、将来的にはと言う考えですが。

可能であれば、どちらにお住まいか教えて下さい。
県とか市でかまわないので。
近所だったり、お会いするのに可狽ネ場所でしたらお返事したいと思ってますから。
それでは、お待ちしています。

 文末の「可狽ネ場所でしたら」は、元の文章が文字化けしている。おそらく、「可能な場所でしたら」だろうか。このような文字化けが起こるのは、メールソフト以外のものから送信された可能性が高い。

 書かれていることも、支離滅裂だ。八年間、夫に内緒で不倫していたかと思えば、心の中では雄二さんという男性のことをずっと思っていた。それにもかかわらず、その雄二さんと連絡が取れないことがわかると、間違いメールの相手にアプローチして来る。メールの内容についても、とにかく自分のことばかり綴られている。そして、自分の都合ばかりグイグイ押し付けて来る。この人の視点は、あくまで「自分」なのだ。

 ちなみに、このメールは、スパムフィルタに引っかかっているのでスパムメールであると考えて良いのだが、私のような素人でも、スパムメールであることを判断する手がかりがある。それは、メールヘッダだ。

 メールヘッダとは、メールにくっついて来るメールの送受信情報である。このメールには、

X-Mail-Agent: BSMTP DLL Feb 11 2003 by Tatsuo Baba

という見慣れないメールヘッダが付加されている。通常のメールソフトから送信されたメールには、このメールヘッダは付加されない。babaqさんが開発されたBSMTP DLLは、例えば、エクセルやアクセスなど、通常のメールソフト以外のソフトからメールを送信するときに使用するフリーライブラリである。このメールヘッダがくっついているときは、メールの送り手が、大量にメールを送信する人であると疑って良いのだ。ただし、このヘッダが付加されているすべてのメールがスパムメールというわけではない。正当な理由で、大量のメールを発信する必要のある人たちにも利用されている。

参考URL:
スパムメールコレクション

 それにしても、スパムメールが続きものでやって来るとは恐れ入った。これは、新型のスパムメールと言って良いだろう。皆さんも、怪しいメールが届いたら、メールヘッダを参照してみよう。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m とうとうゴールデンウィークが終わってしまいましたね。スパムメールには、お気をつけてください。普段から、メールヘッダを読む癖をつけておくと良いと思います。メールを送信して来た相手がどんなメールソフトを使っているかなども、メールヘッダを読めばわかります。

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2006.05.06

たくわんが教えてくれたこと

 日頃の運動不足を解消しようと、ガンモと二人で自宅付近を散歩した。いつもは自転車でさっと通り過ぎてしまう自宅付近も、自分の足で歩いてみると、新たな発見がある。そこに留まる時間が長ければ長いほど、これまで見えなかったものが見えて来るものだ。

 我が家から歩いて三分ほどのところにある定食屋さんで、遅い昼食を取った。この付近に住んでそろそろ十年になるが、初めて利用する定食屋さんである。お昼どきをとっくに過ぎていたので、私たちの他に利用客はなかった。私たちは、六百五十円の魚のフライ定食を注文した。

 しばらくすると、注文したお料理が運ばれて来た。私は、それらのお料理を見て驚いた。まず、小皿に盛られた二切れのたくわんは、これまで体験したこともないほど厚くスライスされていた。また、お味噌汁に入っている具ももりだくさんだった。更に、メインディッシュに盛られた魚のフライもてんこもりだった。たった六百五十円の定食で、これほどのおもてなしを受けられるとは・・・・・・。

 たくわんの厚さを見て、私は想像した。普段、私たちが家庭で食べているたくわんのスライスは、ほとんどのお店で出されているスライスよりも、ずっと厚い。しかし、商売ともなると、少ない資本で多くの利益を得ようと、たくわんを薄くスライスするようになる。おそらくだが、その薄さには、商売人としてのエゴが潜んでいる。自分と他人を切り分ける境界が存在している。しかし、時には、その薄さは生き残るための戦いであったりもする。

 私がたくわんの厚さについて考察していると、卸業者が食材の配達にやって来た。彼は、
「すみません、今、お味噌を切らしているんですよ」
とお店の人に謝っている。お店の人は、
「いいのよ、いいのよ。スーパーのお味噌で間に合わせるから」
と答えている。卸業者が、
「お味噌を入荷したら、どうしましょうか?」
とお店の人に尋ねると、お店の人は、
「わざわざうちだけのために来てもらうのも申し訳ないから、こちらに来るついでがあったときに届けてくればいいのよ」
と答えた。ああ、このお店の人には許容がある。何とあたたかい人たちなのだろうと思った。

 一度でもこのお店を利用した人たちは、このあたたかさにまた触れたいと思い、再びこのお店を訪れるのではないだろうか。卸業者にしても、自分が許容されている喜びを実感し、他に来るついでがなくても、わざわざついでを作って、お味噌を届けに来るのではないだろうか。

 人通りの多い街角では、自分のお店に来て欲しくて、宣伝のためのビラを撒いているお店がたくさんある。しかし、多くのお客を呼び込もうとする姿勢よりも、無意識のうちに、一度足を運んだ利用客の心を掴んで離さない姿勢のほうが、結果的には利用客の自由意思が尊重される。どんなにお店の人に頼み込まれたとしても、利用客自身が、「またこのお店のお料理を食べたい」と思わなければ、お店は延々と新しい利用客を探し続けなければならない。ビラ配りなどの宣伝方法で、意図的に利用客を惹き付けなくても、普段のさりげないもてなしの中で、「またこのお店のお料理を食べたい」と利用客に思わせることができるなら、結果的にはそのほうがお店の繁栄への近道になると思う。しかし、そうしたことが実現できるのは、必要以上の利潤を追求せず、利用客と自分との区別が限りなくゼロに近い状態にあるからこそではないだろうか。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 楽しかったゴールデンウィークも、そろそろおしまいです。あんなに楽しみにしていたのに、時間はすぐに過ぎ去ってしまうものなのですね。だからこそ、一度味わった感動に、できるだけ長い時間、留まっていたいと思うこの頃です。

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2006.05.05

興奮冷めやらず

 ゴダイゴの再結成コンサートは終了してしまったものの、私はまだまだコンサートの余韻に浸っていたかった。芸能ニュースや人々の日常は、そこに留まりたいと思っている人がいても、否応なしにどんどん流れて行く。しかし私は、七年振りの再結成コンサートの余韻をもう少し引きずりたかった。だから、私と同じように東大寺に出掛けた人たちが書いたブログを念入りに探してみることにしたのだ。

 「ゴダイゴ 東大寺」というキーワードでネットを検索してみると、彼らの再結成コンサートを単にニュースとして取り上げている人(つまり、自分自身は足を運ばないが、世の中の人たちに情報を伝える橋渡し的存在としてブログを書いている人)、昔、ちょっと好きだったので、コンサートには行きたいと思っているが、都合がつかない人、何が何でも足を運ぶという人の三種類の人たちが書いたブログがヒットした。

 私は、言うまでもなく、何が何でも足を運ぶという人たちが書いたブログを読みたかった。そして、東大寺での再結成コンサートの興奮を書き綴っている人たちの書いたブログに目を通しては、とてつもなく熱いものが込み上げて来るのを感じていた。

 特に、関西以外のエリアから遠征して来た人たちの綴ったブログには、強いエネルギーを感じた。私は、こういうエネルギーに触れていたいといつも思うのだ。そのアーチストが好きで好きでたまらずに、多少遠くても、何とか都合をつけて遠征して来るほどのエネルギーに。そうしたエネルギーを持っている人たちは、再結成コンサートが開催されるとわかった時点から、そこに向かって猛烈に準備を整え始めるのだ。例え子供が居たとしても、家族を説得して家族連れでやって来る。例え仕事を持っていても、その日だけは休みにできるように、普段の仕事に精を出す。ゴダイゴに限らず、私は長いこと、このような情熱的なエネルギーに触れて続けて来た。

 しかし、ある人にとって、ゴダイゴとは、『ガンダーラ』や『モンキーマジック』や『銀河鉄道999』といったヒット曲を生み出した対象でしかないのも事実である。そういう人たちにとっては、彼らが再結成コンサートを東大寺で行ったことなど、芸能ニュースの一部として、どんどん流れて行く。彼らの頭の中は、常に新しい芸能ニュースで塗り替えられて行くのだ。私は、そのことが残念でならなかった。だから、せめて私だけでも、ここで時間の流れを止めて、再結成コンサートの余韻が残っている「今」に留まりたいと思ったのかもしれない。

 あるブログで、「秋になったら、全国ツアーも始まるみたいです。楽しみですね」というコメントを見つけた。私はそのコメントを読んで、再び熱いものが湧き上がって来るのを感じた。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m「百聞は一見に如かず」という言葉にもある通り、映画でも、コンサートでも、実際にその場で体験していない人たちにとって、何のことはない、他人の非日常なのかもしれません。しかし、私は敢えて、この非日常をもう少し引きずりたいと感じました。ガンモがハワイに出掛けたときも、私はしばらくハワイに関する記事を書き続けました。おそらく、明日になれば、別の記事を書くことになるでしょう。でも、ここに留まりたかった私の想いを理解してくださる方がいらっしゃったら、光栄です。

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2006.05.04

世界遺産劇場 結成30周年記念 ゴダイゴ特別コンサート「轟き」in東大寺

 七年振りに再結成されたゴダイゴがコンサートを行うというので行って来た。場所は、奈良県の東大寺。「世界遺産劇場」などというタイトルが掲げられているので、新しい劇場が建設されたのだろうと思っていたが、何のことはない、東大寺境内の大仏前に設置された野外ステージだった。つまり、世界遺産である大仏の前で演奏するというわけである。

 コンサートは、十八時半会場、十九時開演の予定だったが、十八時半頃会場に着いてみると、まだリハーサルの最中だった。野外ステージということで、リハーサルの音が完全に漏れ聴こえている。七年振りに聴く彼らの生演奏だ。入場待ちの観客は、会場の周りで彼らのリハーサルを聴きながらしばらく待つことに。リハーサル時の音合わせを聴くことができるのは、ある意味、光栄なことかもしれないが、これからコンサートを鑑賞しようとしている直前ともなると、まるで種明かしされているような気分にもなってしまう。そういう背景もあって、少し複雑な想いを抱きながら開場待ちをしていた。

 およそ十五分押しで開場となり、ようやく入場できた。中に入ってみると、大仏の前にいくつものパイプ椅子が並べられている。芝生に敷物を敷いて座っている人たちもいる。私は、野外の自由な雰囲気がとても気に入った。私の席は、芝生ではなく、指定席だった。あとで聞いた話によると、およそ三千人の観客が集まっていたらしい。

 開演もおよそ十五分押しとなった。すぐにコンサートが始まるのかと思いきや、大仏様の前でコンサートを開催するに当たって、東大寺のお坊さまのありがたい講話が始まった。早くゴダイゴに会いたいと思っていた私だが、どうしたことだろう。お釈迦様の話を聞くと泣けて来るのだ。お釈迦様がお生まれになって、わずか七日後に、お釈迦様のお母様は亡くなられたのだそうだ。のちにお釈迦様は、お母様が亡くなられたのはご自分がお生まれになったせいだと思い込み、ひどくふさぎ込むようになられたと言う。そこからお釈迦様の仏門への道が始まったと言っても過言ではないらしい。

 お坊さまは、お釈迦様からガンダーラへと話を繋げ、自分はゴダイゴの歌う『ガンダーラ』をあまり良く知らないが、ゴダイゴの人たちは、ガンダーラの背景を良く研究された上で歌を作られたに違いないので、大仏様の前で演奏するのにふさわしい音楽であるとおっしゃった。そして、音楽は、数千人の気持ちを一つにする力があると結ばれた。

 お坊さまの講話が終わり、いよいよゴダイゴの登場・・・・・・となったのだが、これまたどうしたことか、なかなか始まらない。ようやく照明がステージ用に切り替わり、音楽が流れ始めたのだが、いっこうに彼らを迎えるような雰囲気にならないのだ。とにかく、イントロの長い音楽で、なかなか本編が始まってくれない。観客はじらされ、じらされ、イントロが始まってから数分後に、ようやくゴダイゴのメンバーが登場した。会場からは、彼らの登場を待ちくたびれたような歓声が上がっている。彼らの姿は、七年前に拝見したのとほとんど変わりはなかった。そして、懐かしい曲が次々に演奏されて行く。

 今回のテーマは、「アジアの旅」ということらしかった。これまで彼らが発表して来たアジアに関する曲が次々に演奏され、曲を聴きながらゴダイゴと一緒にアジアをトリップするというものである。大仏様の前で演奏できるとあって、リードヴォーカルのタケもずいぶん興奮気味の様子である。

 とにかく、どの曲を聴いても懐かしい。懐かしい上に、古い曲に対して、新しいアレンジが加えられている。音楽はそうなのだ。演奏する人たちが同じでも、異なっていても、長い間演奏されて行くうちに、どんどん手が入り、新しいアレンジが加えられて行く。また、ボーカリストが年を重ねると、歌うときに高音が出なくなるために、曲のキーも低くなったりもする。しかし、それでこそ、古い音楽は生き続けるのだ。今回は、『モンキーマジック』の新しいアレンジを聴くことができた。その曲は、『MONKEY MAGIC 2006』というタイトルで、ニューシングルとして発売されるらしい。

 およそ二時間足らずの公演のうち、私の知らない曲はほとんどなかった。うれしかったのは、『Thank you baby』を生で聴けたことである。この曲は、テレビドラマ『西遊記』の中で、孫悟空が失敗したときなどに良く流れていた曲だ。私は、彼らの曲のほとんどの歌詞を英語で覚えていたのだが、三十年近く経った今でも、それらの歌詞がまだ頭に入っている自分がおかしかった。

 彼らは最初のうち、少し緊張していたようだったが、コンサートが中盤に差し掛かるにつれて、次第に彼ら本来の力が集結されて来た。ゴダイゴはやはり、熟練されたバンドである。解散し、バラバラになっていたエネルギーも、再結成により、集結させることができる。私自身も、二十代の頃から聴き込んで来たいろいろな音楽が、彼らの音楽的な素晴らしさを間接的に教えてくれているのを実感していた。中学生のままの私では、彼らの音楽の素晴らしさを理解することなどできなかっただろう。彼らの音楽を理解するには、あまりにも幼すぎたのだ。

 中学の頃は、盲目的なほど、タケのことしか観ていなかった。しかし、三十年近く経った今、私は、スティーヴの低音の声が、コーラス全体をぎゅっと引き締めていると感じる。私が音楽の中でも一番好きだと思う低音と高音のハーモニー。私は、ハーモニーを実現させたくて、中学の頃、自分の声を多重録音してハモっていた。だから、ソロアーチストではなく、ハーモニーの美しさを感じさせてくれるバンドが好きなのだ。

 ミッキーの踊るようなキーボード。浅野氏のエレキギターも正確で心地良い。とにかく、彼らの音楽には熟練というキーワードが浮かんで来る。ゴダイゴは、素晴らしいバンドだ。彼らはこれから、少なくとも三年間は活動するらしい。きっと、新たな音楽も生み出されるのだ。

 帰りにグッズ売場で、ゴダイゴのTシャツを二枚買った。夏になったら、このTシャツを着て仕事に行こう。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、ありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィークも終盤に差し掛かりました。残り少ないゴールデンウィークですが、思う存分、楽しんでください。

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2006.05.03

基盤

 今日は、掲示板に書き込んでくれた月見想のりえちゃんが、愛ちゃんに向けて書いてくれた発言にコメントを書かせていただこうと思う。

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■No1355に返信(えいりえさんの記事)

りえちゃんへ

こちらにもコメントありがとう。

> 愛さんへ
>
> おひさしぶりです。
> 以前、別のスレッドにコメントをしましたが、正直言うと愛さんのツインへの執着についていけなくなり、そのまま様子を見ているだけにしていました。
> ツインに対する強烈な執着は、人生でツインがそばに居る人、居ない人では感覚がわかりにくいと思います。そういうわけで、コメントできずにおりましたが、愛さんが転機を迎えて、がんばって前向きに行こうとしている様子が分かり、応援したくなって書き込むことにしました。

なるほど、執着という視点かあ。
確かに、客観的に見れば、執着に映って見えることもあるかもしれない。
でもね、ツインソウルとの関わりには、単に執着だけとは表現できないものがある。
男女の関係でも、同性同士でも、その関係性の中で苦しかったことをケロッと忘れてまた付き合える相手は、なかなかいないと思うんだ。
ひとたびそういう魂と出会ったら、絶対に離れたくないと思うのは、ごく自然なことだと思う。
身体中の血という血が勢い良く流れ出すような高揚感と、激しい嫌悪の共存。
時には苦しくて苦しくて、離れたくもなるけれど、またそこに戻って行くんだ。
そこにあるのは、単なる執着だけではないと思う。
何だろうね。
磨り減っても磨り減っても、なくならない何かがあるんだ。

> まるみんへ
> お帰りなさい。体調は大丈夫かな、あまり無理をしないでね。

ありがとう。体調は大丈夫だよ。
仙台からの帰りは、電車の中でパソコンをいじり過ぎて、気持ち悪くなっただけだから。(^^;
私の場合は、身体を停滞させないで、どんどん動かしていたほうが調子がいいみたいだよ。(^^)

> ななこさんへ
> まるみんの書き込みが、ななこさんのメッセージを引用しているので、そのまま引用させていただきますね。
>
>>愛ちゃん、厳しいけれど、私もななちゃんの意見に同感だ。
>
> まるみんの意見を引用して、私はあえて2人に反対をするよ。

了解。
では、私も遠慮なく、私なりの意見を書かせてもらうよ。
りえちゃんは、このコメントを書いてくれたことをかなり気にしてたみたいだけど、私はりえちゃんと意見が異なるからと言って、りえちゃんとの関係がこじれたり、交流が終わるなどとは思ってないからね。(^^)
というか、そんな関係にはしたくない。

>>今の愛ちゃんのような状態で他の異性と関わりを持つと、
>>今の愛ちゃんに足りていないものを求めるような恋愛になってしまうんじゃないのかな。
>>そして、結局は、新たな関係とツインソウルの彼とのかつての関係を比較してしまって、
>>「やっぱり彼のことが忘れられない」
>>なあんていう結論に達して、新たな関係との未来が暗く落ち込んでしまいそうな気がする。
>
> 私は異性、同性に関わらないで考えて、たくさんの出会いについては良いと考えたよ。
> 異性だからやめた方が良いというのは、擬似恋愛になる、そこに愛さんは逃げるだろうと決め付けてのことでしょう?
> それは、愛さんに対して失礼ではないかな。愛さんだって自分が何をしているかは言葉に出来るくらい分かっているのだから。
> 人は弱いから、弱っている時に誰かに頼りたくなったりする。
> 中には悪い人もいて、そこにつけこんで優しくしてくる人がいることも確かだよ。

愛ちゃんに向けて書かれたコメントは、それぞれの人たちが通って来た愛の道なんだと思う。
どんな選択をするか、最終的に判断を下すのは愛ちゃんだし、愛ちゃんのことなのだから、愛ちゃん自身にしかわからない。
愛ちゃんでない私たちは、愛ちゃんの書きみから、愛ちゃんがどんな愛を体験しているかを感じているだけ。
でも、私たちは、「愛ちゃんを感じる」という行為の中で、これまで体験して来た自分自身の愛と照らし合わせていると思うんだ。

愛ちゃんも、あとからコメントをくれているように、確かに決め付けはあったかもしれない。
でも、結論から言えば、私には、たくさんの出会いが必要だとは思えない。
愛ちゃんがここに書き込みしてくれるようになってからまだ一年も経っていない。
それなのに、愛ちゃんが愛する異性の対象は、次々に変わっている。
私自身、こういう経験がないから、ちょっと戸惑っているんだ。
一人の男性を感じ切るという姿勢が見られないのに、いろいろな人との出会いが大切だとは思えないんだよ。

本当の愛は、たくさんの出会いの中から一つだけ選ぶわけじゃない。
出会いさえ多ければ、いつか巡り合えるというものでもない。
最初から、一つの愛を感じ切る姿勢が大事だと思うんだよ。
一つの愛を感じ切った人は、その愛が、他の愛への入口になる。
愛ちゃんは、入口を見つけたのではなく、まだ入口を探している段階だ。

> でもね、そこでそういう関係になってしまったとすれば、それもひとつの学びなのではないかな。
> 傷つかないで、努力しないで手に入れられるものなんてないと私は思うよ。

部分的には同感かな。
でも、同性の付き合いじゃなく、男女の関わりには、肉体関係も有り得る。
肉体関係を結べば、新しい命が誕生する場合もある。
愛が持続しなければ、それから先、新しい命への責任は、どんどん重くなる。
短期間のうちにいろいろな人を好きになっている愛ちゃんだから、新しい愛が持続するかどうか、私は心配なんだよ。

> とりあえず、事実としてはっきり言えるとしたら、私は同性のソウルメイトのフニさんに出会えたこと。
> それだって、2人とも今まで散々失敗して、どうして思うようにならないのかと悩みながら生きてきて、それでも諦められずに、何処かに自分の描いているような関係が、結べる相手が居るはずと思っていただけのこと。あきらめたり、恐がって人との交流をやめていたら、今の2人の関係はないんだよ。
>
> だから私は、愛さんがこれからたくさん傷つくかもしれないと思っていても、応援したい。恋愛の話では、私もネットの出会いを通じて何人もの人に会った。浅い関係であったって、上手く行かなかったら悲しいよ。というより、がっかりするよ。
> でもね、それぞれの出会いでの学びもあるんだよ。どんな小さなことだって、気づこうと思えばそこに何らかのメッセージはあるんだよ。

それはそうだ。
でも、愛ちゃんの場合は、既に、りえちゃんにとってのフニさんに相当するほどの、大切な人に出会っているんだ。
そのことを忘れてしまってはいけないと思う。
りえちゃんとフニさんとの出会いに例えれば、愛ちゃんは、りえちゃんにとってのフニさんに相当する人との関係がうまく行かなくなってしまっている。
りえちゃんにとって、フニさんに相当するほどの大切な人に拒絶されたと思っている。
だからと言って、フニさん以外に惹かれる人に出会ったことをチャンスだと思うことに、私は引っかかりを覚えてしまうんだよ。

> そして、これは愛さんへのお願いかなぁ(笑)。
> たくさんの人に会って、流されて終りにしないで欲しいの。どんな相手に対しても、どんな言葉が嬉しかったかとか、どんな態度が良いと思ったかとか、そういうささいなことでもいいから、一つずつ気持ちを整理するようにしてみて欲しいの。一人で考えるのが苦手だったら、この掲示板に報告を入れてくれても良いよ(笑)。どこからでも良いから、ひとつずつ答えを見つけてみてください。愛さんが愛さんらしく居られて、愛情を交わす人は必ず見つかるから。

これは、私が上記したことと一致してるのかなあ。
りえちゃんの言う「たくさんの人」というのは、果たしてどういう意味なんだろう。
私は、一つの愛を感じ切っていないのに、たくさんの人と関わるということに、どうしても引っかかりを覚えてしまう。
「これがダメならはい次!」みたいな感覚を抱いてしまうんだよ。
もしもりえちゃんの書いてくれているように、「たくさんの人に会っても、流されて終わりにしない」なら、「たくさんの人に会う」ということは成り立たなくなってしまうと思うんだけど。

> ツインへの執着は、傍から見ていると磁石と一緒で、その引き合いからは逃げられないと思う。SとNで、きちんと受け入れられれば最大の喜びだし、SとSだったりNとNであれば、絶対に分かり合えない、この世で一番憎たらしいやつになる。それでもその存在を感じて、離れられないのは、それだけ結びつきの強い相手だから仕方が無いことでしょう。……って、知らない私が言っても信憑性がないと思われるよね。

ううむ、「執着」という表現に、ちょっと引っかかってしまうなあ。(苦笑)

ツインソウルは、SとSにも、NとNにも、決してならない。
常にSとNなんだけど、SがNを見るときに、Nではなく、Sとして見てしまうから、相手が見えなくなってしまうだけだと思う。

> 私が親しくしている人には、ツインとかソウルとか分かってなくても、この掲示板に書かれているツインの関係だってはっきり分かる相手が居るの。年はずっと上で、2人はそれぞれに別の人と結婚していて、家庭があって子どもたちは成人しているんだ。
>
> 惹かれる理由も曖昧なままに、時折り強烈に惹かれては会いに行き、と言っても肉体関係はまったくなく、会った後で納得ができないと文句を言っているかと思えば、その先にはこの世で一番の理解者であるという結びつきを実感する。その繰り返しを、私は6年間そばで見聞きしてきた。彼女の悩みが軽減するようにと、この掲示板の様子を彼女に伝え、気持ちの整理の助けをしてきたの。

彼女の悩みというのは、その相手を理解できないでいる瞬間のことかな?

> ツインの関係は一生続くんだよ。
> 最近それを知って、私はゾッとしたよ。私が選択できるなら、ツインとは一生会えなくて構わないと思う。ツインとがんばっているみなさんには、本当に申し訳ないけれど、でも、私は本当に勘弁してもらいたいと思っている(苦笑)。
> 私はツインより、ソウルと一緒に居る方が良いです。

あははは。私もそんなふうに思うことはあるけれどね。
ソウルメイトと出会った人は、その心地良さに酔いしれるから。
私も、次に肉体を持つときも、ガンモと一緒に過ごしたいと思う。
でも、そう思うのは、ツインソウルの魂をすぐ側で感じながら、ソウルメイトの愛とツインソウルの愛が一つに繋がっていることを実感したからだと思う。
果たして、ツインソウルと一緒に過ごしているときも、同じように思えるだろうか。
それは、ちょっと自信がない。(苦笑)

> だから、逃げるという意味ではなくて、休戦の形で距離を保つことにした愛さんに、拍手を送りたい。きっとすごく虚しくて、ひとりぼっちに感じて、誰にも理解されないのではと、自分の存在が不確かに感じて、淋しい思いを抱えていると思う。
>
> それはね、それぞれに乗り越えて行くしかないんだよ。悲しみや苦しみはここで分かち合って、みんなから元気を貰って、その愛で虚しさを埋めて欲しいの。そして、一緒に乗り越えて行くようにしようよ。私も同じなのですから。

確かに、それぞれで乗り越えて行くしかない。
だけど、りえちゃんも、この掲示板をしばらく見守ってくれている人の一人として、若い頃に出会った強烈な魂のことが、いつまで経っても忘れられないという人の書き込みが多かったことに、気づいてもいるでしょう?
しかも、何年も経って再会したときには、お互いにパートナーがいたり。
そういう人たちの気持ちの背景にあるものは何だろう。
私には、一生懸命関わり切れなかった、後悔の念であるようにも思えるんだ。
それに、達成できなかった自分の想いを達成しようと思っても、既存の関係と、「はい、さようなら」なんてできないでしょ。

だったら、愛ちゃんにも、ツインソウルと関わり切れなかった想いを残して後悔して欲しくないと思う。
そういう視点から見ると、どうしてももう少し踏ん張って欲しい気持ちが強くなるんだ。

> 私たちは生まれるときにそれぞれの愛の形を完成させる設計図を書いて、そして人生を過ごして居るわけだから、諦めずに一歩ずつ進んで欲しいなと思う。どんな形の愛を選んできているかは魂それぞれで、ツインと共に過ごす人も、ツインと会っても別に過ごす人も、ソウルと共に過ごす人も、まったく新しい関係を築く人もいるでしょう。それぞれなんだよ。

これは、部分的に同感。(笑)
でも、不思議なことに、掲示板で交流する人たちは、同じような道を歩いて来ている。
そして、いばらの道を歩いて来た人たちが、そっちはいばらの道だよと、警告してくれている。
誰かの書き込みが、少し前の自分だったり、少し先の自分だったりしている。
これには、一体どういう意味があるんだろうね。

> 時間はすごくかかるよ!……勝手に断言するのもなんだけど。
> それに、現実世界ではまた色んなことから学ばなきゃならないし、大変だよね。
> 私もまだ人生の航海の途中だから、大海原にポツンと一人ぼっちの気分で、周りには誰も居なくて、このまま一人ぼっちだったらどうしようかと悲しい日もある。
> そういうときは思いっきり泣くんだよ。出来たら声を上げて。泣いて泣いて疲れたらぐっすり眠れるし、ぐっすり眠れたら次の日は爽快な気分になる。
> 体を動かすことも気分転換になるし、気分転換は意識を持ってしたほうが、効果があるように思うよ。

このあたりについては、愛ちゃんは、立ち直りが早いから大丈夫そうだよ。(^^)

> ここに来ればみんなが居るからね。そして、自棄になったときだけ、一人になる時間を作って、自分を抱いてあげてください。この世で一番愛さんを愛しているのは、愛さんであることをお忘れなく。
>
> 体調を崩さないようにね。

てんちゃんも書いてくれていたけれど、私も、愛ちゃんに向けたみんなの書き込みに感動した一人だよ。
そういう人たちの言葉には泣かされる。
愛の体験が確実に身になっていて、言葉が真実味を帯びているからかな。
読むだけで、突き動かされるような感動がある。
何故、突き動かされるかと言うと、紆余曲折を繰り返しながらも、みんな、一つの愛に留まっている人たちだからだと思うんだ。
一つの愛に出会い、その愛を基盤にしながら、結果的にはたくさんの人との出会いを必要としなかった人たちだからじゃないかな。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 他にも返信したいコメントがいくつもあるのですが、まずは一つだけでごめんなさい。時間を見つけて、少しずつ返信させてくださいませ。

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2006.05.02

プレゼント

 仙台のホテルをチェックアウトし、仙台駅へと向かった。楽しかった東北旅行も今日でおしまい。これから四時間余りかけて、在来線特急スーパーひたちで上野に向かうのである。新幹線に乗れば、二時間くらいで上野に着いてしまうのだが、在来線特急はなかなか乗る機会がないので、わざわざ二倍以上も時間のかかる在来線特急スーパーひたちを選んだのである。

 四時間余りも特急列車に乗ることになるので、席に着いた私はノートパソコンを取り出して、「ガンまる日記」を書き始めた。しかし、書いているうちに、列車に酔ってしまったのか、気持ち悪くなってしまった。買っておいた駅弁も、気持ち悪くて半分くらいしか喉に通らない。(ここからはちょっと汚い話。ごめんなさい。)私は、よろよろと立ち上がり、トイレの中で勢い良く吐いてしまった。吐いたあとは少しすっきりしたので、ようやく「ガンまる日記」を書き上げることができた。

 上野に着いたあとは、三時間の秋葉原散策タイムだった。東京は少し肌寒く、おまけに雨だった。久しぶりに、秋葉原の駅に降り立って驚いた。ずっと工事しいて狭かった駅の構内も、工事を終えてすっかり広くなっている。駅前には、見知らぬ新しいお店がいくつも立ち並んでいる。駅前のラジオ会館の中は、古くからあったお店が撤去され、海洋堂の店舗が拡張されていた。電気街の反対側には、Yodobashi-Akibaが大きくそびえ立っていた。もはや、かつての秋葉原ではなくなりつつある。私は、自分の手の届かないところで変化して行く秋葉原に対し、ほんの少し寂しい気持ちを覚えた。

 少しずつ体調を取り戻した私は、お昼に食べたものを全部戻してしまったので、おなかがとても空いていた。おなかが空いてたまらなかったので、秋葉原の雑踏から少し離れたところで、食べかけの駅弁の残りを平らげた。東京は、こういうことを実現できるところが何とも無機質でいい。

 空腹を満たしたあとは、Yodobashi-Akibaに足を運んでみた。数年前に、大阪駅前にもYodobashi-Umedaが誕生したのだが、Yodobashi-Akibaは、お店の外観も、お店の中の雰囲気も、Yodobashi-Umedaとほとんど変わらなかった。私は、いつも足を運んでいるYodobashi-Umedaにいるかのような錯覚を覚えた。

 私たちは、またまた電気街に戻り、カクタソフマップに足を運んだ。カクタソフマップの店員さんが、大きな声で呼び込みをしている。私は疲れていたので、ガンモが買い物をしている間、お店の外で待っていた。

 すると、呼び込みをしていた店員さんが、別の店員さんとバトンタッチしているのが見えた。これまで大きな声で聞こえていた呼び込みの声が、途端に小さくなった。これでは、人が引き付けられない。最初の店員さんの呼び込みにはリズムがあり、人を引き付ける魅力があった。同じ呼び込みでも、人によって、これほど差があるものなのかと驚いた。

 「この呼び込みでは、お客さんを呼び寄せるパワーが足りないのでは?」と心配していると、数分経ったところで、これまで大きな声で呼び込みをしていた店員さんが戻って来た。どうやら、単にトイレに行っていただけらしい。呼び込みの店員さんがトイレに行くわずか数分の間でも、別の人とバトンタッチして呼び込みを続けるお店の熱心な姿勢に感心した。バトンタッチした声の小さい店員さんは、呼び込みのエキスパートではなかったのだ。店頭には、再びにぎやかな呼び込みの声が響き渡った。

 ガンモはカクタソフマップで、私が探していたものを低価格で探して来てくれた。それは、Yodobashi-Akibaで見た値段よりも二千円も安い価格だった。
「ガンモ、でかした!」
と、私はガンモの功績をたたえた。それは、ガンモからの素晴らしいプレゼントになった。

 秋葉原でのわずかな滞在のあと、私たちはとうとう帰路についた。東京駅から500系のぞみに乗って新大阪まで向かったのだ。しかし、新幹線が新横浜駅を出てしばらく経つと、新幹線に異変が起きた。どうやら停電のようである。

 車内の電気が、ただ一つの蛍光灯を残してすべて消えた。そして、これまで高スピードで走っていたはずの新幹線が次第にのろくなり、やがてフェイドアウトするかのように、のろのろと停車した。それと同時に、車両と車両を仕切る自動ドアが次々に開いた。女性の車掌さんが、引きつった顔で別の車両に移動していた。乗客は、そんな車掌さんに、
「大丈夫なんでしょうか?」
と尋ねるが、女性の車掌さんの顔は引きつるばかりで答えない。一瞬、何か事故でもあったのかと心配になった。

 しばらくすると、車内アナウンスが流れた。
「伊豆地方で発生した震度四の地震の影響により、停電が発生しています」
停電? これまでに、新幹線には何度も乗車しているが、乗っている最中に停電が発生したのは初めてのことだった。新幹線は、新横浜―新富士間の運行を見合わせているという。車両と車両の間の自動ドアが解除されたのは、電気で動いている自動ドアを手動に切り替えるためなのだろう。

 停電は、わずか数分のうちに解除され、車内には再び電気が灯されたが、
「線路の安全を確認するために、発車までもうしばらくお待ちください」
とアナウンスが流れた。そうは言うものの、新幹線はカーブの途中で停車してしまったらしく、車両が少し傾いてバランスが悪い上に、トンネルの中で停車していた。それでも、携帯電話の電波は通じていた。

 それから十分くらい経つと、
「線路の安全が確認できましたので、間もなく発車致します」
というアナウンスが流れた。その後、私たちの乗った新幹線は、およそ二十分遅れで無事に新大阪駅に着いたのだった。

 新幹線の停電は、延泊してもう少し非日常を楽しみたいと悪あがきをした私たちへの特別なプレゼントだったのかもしれない。

※東北地方から、ようやく帰宅しました。途中、東京に立ち寄ったためか、新大阪に着く頃には、午前中まで仙台に居たことが別の日の出来事のようでした。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィークもたけなわです。皆さんも、愛する人たちと楽しい休日をお過ごしください。ゴールデンウィークにお仕事中の皆さんも、いつか代休が取れますように。

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2006.05.01

細倉マインパークと延泊騒動

 東北本線でいったん利府(りふ)まで出たあと、本線に戻り、石越(いしこし)で降りた。そこから、くりはら田園鉄道に乗り換えて、終点の細倉マインパーク前で降りた。くりはら田園鉄道の車内では、「さとう宗幸」さんと名乗る方が車内でアナウンスしていた。行きも帰りも同じアナウンスだったので、おそらく録音なのだろう。余りにも声が若いので、『青葉情恋唄』のさとう宗幸さんと同姓同名の車掌さんなのだろうと思っていた。

 くりはら田園鉄道、通称くりでんは、既に廃線が決定している私鉄(公共団体が出資している第三セクター)である。座席シートがとてもユニークで、四人掛けのクロスシートには、まるで、ここでパソコンを開いて「ガンまる日記」を書きなさいと言わんばかりに折りたたみ式のテーブルが付いている。また、東北地方を走る列車に多いのだが、四人掛けのクロスシートの隣には、二人掛けのクロスシートがある。私はこの二人掛けのクロスシートが特にお気に入りだ。向かい合わせで二人の世界を創造できるからかもしれない。

 細倉マインパーク前駅から十数分歩き、細倉マインパークに着いた。ここには、かつての鉱山用のトンネルを観光用に作り変えた坑道がある。途中、下を見下ろすような、金属板だけの通路があり、高所恐怖症の私にはかなり厳しいポイントになったが、ガンモに励まされながら何とか踏ん張ってそのポイントをクリアした。観光坑道の見学は、私たち以外に利用客はいなかったので、まるで貸切状態だった。私たちは、およそ四十分かけてその坑道を探検した。

 鉱山は、縦方向とと横方向に掘られていた。横の移動にはトロッコ列車が、縦の移動にはエレベータのような乗り物が使用されていたようだ。豊富な鉱石を惜しみなく与えてくれる鉱山を母体に見立て、鉱山の中にいる自分を胎児とみなす思想も生まれたようだ。一つを深く知るというこは、スピリチュアルな気づきに繋がって行くのだろうか。観光坑道には、宇宙の神秘や太古の文化を体験させてくれるコーナーもあった。ただし、単に坑道の体験だけに留まりたい観光客は、ちょっと引いてしまうかもしれない。

 細倉マインパークをあとにしようとしていた頃、私たちの心の中には、宮城県にもう少し滞在したい気持ちが浮上していた。仙台にはあと一泊滞在する予定だったが、まだ仙台市内を観光していないので、もう一泊延泊しようという話が、どちらともなく持ち上がったのだ。旅を終わらせたくない私たちの悪あがきである。

 しかし、私たちがホテルにチェックインしたとき、ホテルは満室だった。既に一泊しているので状況は変わっているかもしれないが、このまま延泊できるかどうかはわからない。また、帰りの切符もすべてリザーブしてあり、延泊するとなると、これらの指定券も再発行してもらわなければならない。それらの面倒な手続きが、すべて順調に運ぶのかどうか、私たちには見えて来なかった。私はガンモにこう言った。
「もしも私たちが仙台に導かれるなら、ホテルにも空室があって、切符の指変(指定席の変更)もうまく行くだろうね」

 細倉マインパークからの帰りの電車の中でインターネットに接続し、宿泊先のホテルの空室状況を確認してみると、現在、私たちが宿泊しているダブルの部屋には空室がなかったが、ツインの部屋には空室があった。私たちは、次第に延泊する方向へと動き始めたのを感じた。

 しかし、仙台駅に着いて、みどりの窓口に足を運んでみると、延泊したあとに私たちが乗車しようと思っている列車は既に満席だった。それでも、発車時間をずらせば、座席に若干余裕があるようである。しかし、ゴールデンウィーク中ということで、みどりの窓口はひどく混み合っていた。そのため、私たちは仙台に導かれていはないと判断し、予定通り、あと一泊だけしてから帰宅することにしたのだった。途中の東京で一泊するという話もあったのだが、それも却下することにした。

 「また来ればいいから」
とガンモが言った。すべての予定を消化し、満足してしまったら、もう一度、仙台を訪れたいとは思わないのではないか。それが、二人で旅を重ねて来た私たちの共通の価値観である。再び仙台を訪れるのは何年後になるかわからない。しかし、東北地方にはまだまだ乗り潰していない路線がたくさんある。だから、それらを乗り潰すために、再び仙台を拠点にするチャンスがあるはずなのだ。仙台は、もう二度と来ない場所ではないのだから。

 ホテルに帰ってから、さとう宗幸さんの活動状況をインターネットで拝見して驚いた。さとう宗幸さんは、仙台では大人気のテレビ番組の司会者だった。くりでん車内での、あの若い声のアナウンスは、『青葉情恋唄』のさとう宗幸さんご本人だったのである。

※栗原市のホームページより
細倉マインパーク

※この日撮影した写真
細倉マインパーク

※東北地方のゴールデンウィークは、南国育ちの私でも違和感なく快適に過ごすことができました。まだまだ探索していない場所がたくさんあるので、是非また訪れたいと思います。

※掲示板のコメントを書かせていただこうと思っていたのですが、やはり、旅行に出掛けると、なかなか時間が取れませんね。時間があれば書かせていただくと宣言していたのに実現できず、申し訳ありませんでした。書き込んでくださっているコメントの中には、一つのテーマとして取り上げたいコメントもあるので、今回の旅行の記事が落ち着いたら、「ガンまる日記」の中で記事として書かせていただくことになるかもしれません。そのときはよろしくお願いします。

※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。そろそろ非日常に別れを告げ、再び日常に戻ろうとしているところです。いつも励みになっています。皆さん、どうもありがとう。m(__)m

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