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2006.04.01

愛の営み

 時間差続・時間差という記事を書いてからというものの、私の頭の中は、時間差のことで渦巻いている。

 私の言う時間差とは、愛することと愛されることの時間差である。この時間差のない状態こそが、愛の中に介入するものがなく、愛についてもっとも純粋な状態であると私は考える。これは、ずっと以前から私が書いて来た、誰かに愛されているのに、その愛に応えられないことほど、魂としての痛みを感じることはない、ということにも通じている。

 時間差のある関係は、結果が出るまでに時間がかかってしまうため、原因と結果の関係になりやすい。しかし、時間差のない関係は、愛することと愛されることが同時に起こるため、愛することに原因(理由)のない関係を築くことができる。

 そして私はとうとう時間差を、男女の愛の営みであるセックスと結び付けるに至った。セックスこそが、愛することと愛されることが同時に起こっていることを実感できる最良の手段だと気がついたのだ。

 セックスのときに交わす口付けは、片方が「愛している」と言葉を発するのを、愛の言葉が漏れている側(そば)から塞ぎ、自分も「愛している」ことを表現するための行為である。愛のささやきに、時間差を生み出したくないのである。

 更に、お互いの性器をこすり合わせるという行為については、性器そのものが、排泄機能と隣り合わせ、もしくは同じ場所にあるということが大きなポイントになっている。

 通常、私たちは、口から物を取り込み、性器の周辺から排泄する。しかし、口から物を取り込んで排泄するまでには、時間差がある。つまり、口から物を取り込むという行為と、取り込んだものを排泄するという行為は、同時には起こらない。

 愛の営みであるセックスでは、口付けによってお互いの口を塞ぎ、お互いの性器をこすり合わせる。このことは、口から取り込むという行為と、排泄するという行為が、同時に行われていることを意味しているのではないかと私は考えたのである。しかし、愛ではなく、欲望や快楽のためのセックスでは、口付けが大幅に省略されるために、この限りではない。

 というわけで、私は愛の営みであるセックスを、時間差のない行為としてとらえるようになった次第である。

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