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2006.04.21

続・Mさんからのメールに対する返信

 きのう書いたMさんからのメールに対する返信という記事の内容が、どうも気にかかっている。あまりにも結論を急ぎ過ぎた感があり、まだまだ書き足りない部分があるので、もう少し追記させていただきたい。

 Mさんの「同じすぎて一緒にいる意味がないと感じました」という表現に対し、少し反論させていただいたのだが、もしかすると、世の中には少なくとも二通りの人間がいるのかもしれない。

 一つは、同じであることや、お互いの歩み寄りに大きな喜びを見出す人たち。そして、もう一つは、同じであることや、お互いの歩み寄りに大きな喜びを見出さない人たちである。

 言うまでもなく、私は前者のタイプである。何故なら、きのうも書いた通り、根がマニアックだからなのか、職場でも私生活でも、価値観のぴったり合う人に巡り合えるということがほとんどないからだ。だから、自分と似た人に出会えると、まるで同志を見つけたような気がして、とてもうれしくなるのだ。

 後者のタイプの場合、普段の生活の中で、比較的、価値観の似通った人たちに恵まれているのではないだろうか。あるいは、もともと自分と同じ価値観の人に巡り合えるということに対して、妙な割り切りがあるかのどちらかだろう。だから、ある程度、価値観が違っていたとしても、強く弾き付けられる人との関わりを大切にできるのではないだろうか。

 更に、Mさんの表現の中で気になったところがある。それは、「また、話しているときに、まるで自分の分身のようなので、相手の欠点もよくわかり、それがまた自分の通ってきた道でもあり、初対面ゆえ指摘できない歯痒さとか、自分の欠点を見ているようで嫌悪感がしたなどなど」という部分だ。

 見方によっては、Mさんは、自分の欠点が好きではないと書かれているように思える。ここが、私とは大きく異なっているところだ。

 そこで考えてみたのだが、私はもともと自分のことが好きなので、自分と似ている人が好きということになり、それは結局のところ、単に自己愛に過ぎないのかもしれない、ということだった。私はあくまでも、自分の中に留まろうとしているのだろうか。しかも私は、自分自身の欠点に対してさえも寛大である。

 一方、自分にないものを持っている人との関わりを重視しているMさんは、自分の欠点を好きになれないという観点からも、自分自身のことが好きなわけではなく、自己愛に留まってはいないということなのかもしれない。

 価値観の同じ人や似て来る関係を重視し続けると、自分と違うものを排斥する傾向が強くなる。親和性が、常に愛を感じさせてくれるからだ。反対に、自分にないものを持っている人との関わりを重視し続けると、価値観の同じ人や似て来る関係に出会えたときに、心からの感動を味わえない。それは、親和性の学びを選択している私からすると、ひどく淡白であるように思える。

 その人にとって、何が大きな喜びに繋がって行くのかについては、その人の立っている位置によって異なって来るのかもしれない。その人が今、何を見ているか。それによって、喜びというものは、大きく異なって来るものなのだろう。例えば、おなかがいっぱいの人は空腹を満たしたいとは思わないが、おなかがひどく空いている人は、空腹を満たしたいと思うのと同じように。

 もう一つ、Mさんの表現の中で気になったところがある。それは、「ツインソウルは、お互いが人格的に成熟した人間であればぶつかり合うことなく、まるで一対の世界を構成するような素晴らしい陰陽の調和を生み出せるのではないでしょうか。」という部分だ。

 お互いが人格的に成熟した人間であればぶつかりあうことなくという部分は、特に気に掛かる。というのは、本当に人格的に成熟した人間ならば、そのような表現を好まないだろうと思うからだ。

 私は、対立はあってもいいと思う。何故なら、愛情ベースの対立は、陰湿な対立と違って、すぐに流れて行くばかりか、大きな精神的気づきをもたらすからだ。それよりも、お互いに腫れ物に触るかのように、対立もせず、波風も立てないでいることのほうが怖い。

 男女のツインソウルが、お互いの違いを認め合う関係になるためには、対立のプロセスは必須だと思う。何故なら、対立のプロセスを経て、相手を許容する方向へと動いて行くからだ。そのプロセスは、時にはいばらの道であるかもしれない。しかし、長い長い対立を経て、あるとき我に返るのだ。これまで、自分にないものを守っていてくれてありがとうと。心からそう思えるようになったとき、対立は終わる。それは、相手が、かつて失われたもう一人の自分であることに気づくことができたときかもしれない。

 そのプロセスが、人格的に成熟することとイコールであるとは言い難い。出会った直後から対立がないことが、人格的に成熟していると表現されることよりも、ある時期までは対立があったが、次第に相手を許容するプロセスへと移行しつつあるツインソウルのほうが、私にとっては真実味がある。

※パワー不足の私を応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。応援クリック、とってもうれしく思いました。感謝、感謝であります。パワー不足の自分を奮い立たせ、また、男女の愛のはなしを書いて行きたいと思っています。

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