アトラクションへの信頼
ここ数日、時間の進み方がとてもゆっくりになっている。ガンモの出発が目前に迫っているのだが、出発の時期を素早く通り過ぎてしまって、ガンモが早く帰国してくれたらいいのにという期待を抱いているのだ。時間を早回ししてしまいたいような、そんな感覚である。だから、今の私には、時間の進み方がとても遅いと感じられる。
実際、ガンモの出発を控えた私の心境はとても複雑である。あるときは、しばらくガンモと離れ離れになってしまう寂しさを感じては涙したり、またあるときは、一人でハワイに出掛けて行くガンモを頼もしいと感じたりもしている。
愛する人と離れ離れになってしまう寂しさを感じることは、自己愛なのだろうかと、私は密かに自問自答している。先日、職場で、日本一夫婦仲が良いと自負する女性に、ガンモのハワイ行きが決定して、しばらく離れ離れになってしまうことが寂しいと話したところ、
「そういうお話を聞くと、やっぱり私はまだまだ日本一なんだなあと思いますねえ」
と言われた。彼女は、去年のゴールデンウィークを十連休にして、その大半を一人で東京の実家に帰って過ごしていたらしい。しかも、その間、ご主人さんに電話を掛けたのは、たった一回だけだと言う。
「そのあたりがとっても淡泊なんですよね、私」
と彼女は言った。私は、あっけらかんとした彼女の態度に、戸惑いさえ感じたものだった。
以前、焼却炉で亡くなられた老夫婦のはなしをここに書いた。私は、その老夫婦の選択にとても共感しているが、その記事を読んでくださった多くの方が、私の書いたことに共感してくださったとは思いがたい。しかし、それは、二人でいつも一緒にいられることの喜びを知っているかどうかの違いであるようにも思える。二人でいつも一緒にいることの喜びを知ってしまうと、離れ離れになることが本当に辛くてたまらないのである。しかし、それは、ある方面から見れば、自己愛になってしまうのだろうか。
二人で共に過ごす時間に重点を置かず、人間はもともと一人であるという割り切った考えを持っている場合、今の私が感じているような寂しさを感じなくて済むのかもしれない。しかし、そうした考えは、今の私の学びではないとはっきり感じる。何故ならそれは、私たちが結婚してから辿って来た道とはまったく異なっているからだ。
私たちは、結婚してからずっと、一つのシングルベッドに寝続けている。狭いシングルベッドを二人で分かち合って来たのだ。歯ブラシも一個。ご飯を食べるときのお味噌汁も一個。湯飲みも一個。子供のいない夫婦二人だけの家で、ずっとそんな生活を続けて来た。
そんな私たちだから、私が一人で湯治に出掛けて、しばらく離れ離れになってしまったことは、お互いにとって、本当に悲劇的なことだったのだ。そして、これから私は、ガンモが一人で自宅で過ごしていたときの寂しさを感じようとしている。ちなみに、ゴールデンウィークに私が一人で出掛けようと思っていた湯治は中止することにした。ガンモと離れ離れになってしまうことの精神的ダメージを考えると、私が湯治を選択するのは、最終手段であるように思えるからだ。
刻一刻と、ガンモの出発は迫っている。ガンモと離れ離れになってしまうのはとても寂しいことだが、かつて、遊園地のアトラクションを体験しているときに感じたような信頼が、今の私たちには必要なのかもしれない。アトラクションを信頼し、流れに身を任せ、アトラクションと一体になったときの恍惚を思い出すことにしよう。きっと、ガンモのハワイ旅行は、スケールの大きなアトラクションに違いないのだから。
そう考えると、この記事を書きながら、次第に落ち着きを取り戻しつつある自分を感じる。一人で歩けるガイドブックを買い、ABCマートで日本円を使うことを楽しみにしているガンモを応援しようではないか。
※とうとう出発が目前に迫りました! 皆さん、いつも応援クリックを本当にありがとうございます。m(__)m
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