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2006.04.02

愛でる

 私は最近、「本当に好きとは?」ということについて、深く考えさせられている。私は、本当に好きであるということは、そこに留まる時間が長いことを指すのではないかと思うのだ。

 例えば、私は先日、映画『SPIRIT』を観た。私はこの映画にとても感動したので、しばらく他の映画は観たくないと思っている。本当に素晴らしい映画を観たあとは、その感動が落ち着くまで、感動の波の中をずっと漂っていたいのだ。すなわち、新たな感動を受け入れる余裕はないのである。

 独身の頃は、感動的な本を読むと、しばらく電話にも出られないほどだった。おそらく、電話に出ることによって、現実世界に引き戻されてしまうことを避けたかったのだと思う。

 また、当時は、聴いていた音楽も、ほとんど一つのアーチストのみだった。音楽そのものよりも、アーチストに惚れ込んでいたというのもある。私は、一つのアーチストの音楽だけで満足していた。特定のアーチストに惚れ込んでいたために、他のアーチストに転ぶことは、浮気に相当するほどの罪悪感があったのだ。

 ところが、ここ数年くらいの間に、音楽の聴き方が少しずつ変わって来た。関連するアーチストを横に繋げてみたのである。縦の学びから横の学びへの移行が行われたのだ。しかし、私にはどうもしっくり来ない。一時期、プログレッシブロックにはまり、いろいろなアーチストのCDを次々に買い揃え、それらをMP3化しては、通勤の途中に聴き込んでいた。しかし、複数のアーチストを相手にしてしまうと、自分の中からどんどんこぼれ落ちて行くのがわかった。一つ一つの楽曲を大切に扱えない自分に嫌気がさして、複数アーチストのプログレッブロックを聴かなくなってしまった。

 世の中には、映画好きと言われる人たちがわんさといる。彼らは本当に、次から次へと映画を鑑賞する。そういう人たちは、例え一つの映画にどんなに感動しても、すぐに次の映画を観たいと思うらしい。私のように、一つの映画に完全に打ちのめされて、しばらく動けなくなることはないのだろうか。私には、感動したその直後に、次なる対象に向かおうとするその気持ちがわからない。私はしばらくそこに留まろうとするが、彼らは決して同じ場所に留まろうとしない。気持ちの切り替えが早いということは、痛手からの立ち直りもそれなりに早いのだろうか。私はむしろ逆だ。ポジティヴな感情は、長い間、自分の中に留めるが、ネガティヴな感情はいつまでもひきずらない。

 例えば我が家には、三百台のカメラがある。世間から見れば、私は、カメラをとっかえひっかえしている人である。ほんの数年前まで、私はカメラが好きだから集めているつもりになっていた。しかし、三百台すべてのカメラに均等な愛情を注げるわけではない。だから、私は真のカメラ好きではないと、自分を定義する。それら一つ一つを、真剣に愛でることができないのだから。

 数年前にそのことに気づいたからか、昨年末まで使用していたデジタルカメラは、五年間も使い続けていた。デジタルカメラを五年間も使い続けるということは、今の時代からすれば、驚異に相当すると私は思う。

 ちなみに、私が使っていたのは、ニコン デジタルカメラ COOLPIX5000を12月13日発売である。デジタルカメラ自体の価格が下がって来たのもあるが、現在は、これより安価な一眼レフ式デジタルカメラを使っている。もはや、三百台ものカメラをとっかえひっかえしなくても、たった一台だけのデジタルカメラで充分間に合っている。私は、このデジタルカメラを、毎回、毎回、旅のお供に連れて行く。これからも、この新しいデジタルカメラに留まる時間はきっと長い。

 映画やカメラに限らず、次に移行するまでの留まる時間を大切にして行きたいと思うこの頃である。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m きのうの記事は、職場では開きにくい内容だったかも? ごめんなさい。(^^;

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