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2006.03.31

映画『SPIRIT』

 定時過ぎに仕事を上がれたことと、ガンモが職場の人たちと飲み会だったことが重なって、私はハリー・ポッターと炎のゴブレット以来の映画モードに入っていた。しかし、職場をあとにして、電車に乗り込んでからも、まだどの映画を観るか決めかねていた。

 電車の中でPDAを取り出し、映画情報のページにアクセスしていると、最終上映時間に間に合わない映画が選択肢から次々に消えて行き、次第に一つのターゲットが絞り込まれて行った。それは、『SPIRIT』という映画だった。実は、私はかつて、この映画のポスターを目にしたときから、この映画を観たいと思っていたのだ。しかし、あることを耳にしてから、しばらくこの映画を観ることに対し、足踏み状態を続けていたのだった。さて、そのあることとは・・・・・・。

 この映画は、中国とアメリカとの合作だが、日本で公開されるときにはエンディングでオリジナルの主題歌が流れず、日本のアーチストの曲が流れることになっている。そのことが、数々の映画ファンや、オリジナルの主題歌を歌っていたジェイ・チョウ (周杰倫)ファンの人たちの反感をかっているのだ。

 映画の主題歌が取り替えられるということは、あまりにも残念なことなので、日本で公開された作品を観ずに、DVDなどでオリジナルの映画を観たいという表明する人たちもいる。また、日本の配給元に抗議する人たちもいる。オリジナルの主題歌取り替えについて、反対する人たちは以下のようなブログを書かれている。

SPIRITの魂はジェイ・チョウの霍元甲にある。

 確かに、日本で公開されるときに、主題歌がオリジナルではなくなってしまうというのは違和感を感じる。かつて私も、メグ・ライアン主演の『めぐり逢えたら』を劇場で観たとき、本編の前に放映されたドリカムの映像や、エンディングに流れたドリカムの主題歌に違和感を覚えた。しかし、だからと言って、映画本編の素晴らしさが劣化してしまうわけではない。そう思って、私は導かれるように、三宮の映画館に足を運んだのだった。

 映画の本編は、一言で言うと、本当に素晴らしかった。私は、どちらかと言うと、格闘ものの映画は苦手なほうである。しかし、この映画は、『SPIRIT』という邦題が付けられている通り、精神を扱うはなしだったのである。

 主人公は、ジェット・リー(李連杰)演じる霍元甲。実在した人物のようである。ここから先は、ネタバレになってしまうので、これから映画を観ようと思ってらっしゃる方は読まれないほうが賢明だと思う。念のため、ネタバレの部分の文字色を変えておく。

 霍元甲は、武術家の父を持つが、喘息気味で身体が弱かったためか、父から武術を教わらずに育った。霍元甲は、父のように強くなりたくてたまらなかった。勉強をほったらかしにして、独学で武術にばかり励んでいた。しかし、あるとき母が言う。「人を負かすことが武術ではない。本当の敵は自分自身なのだ」と。

 やがて霍元甲は、天津一を目指して次から次へと連勝し、あるとき激しい戦いに挑み、勝利する。そのときの戦いの相手は、間もなく死亡してしまった。それは、復讐という名の戦いだった。しかし、霍元甲は、その戦いに敗れた相手の義弟の復讐心によって、最愛の母や実の娘の命を奪われてしまう。

 霍元甲は悲しみに暮れ、やがて天津を離れる。そして、水の中に身を投げて自殺しようと思っていたのかもしれないが、村人たちに助けられる。そこで、武術家としてではなく、農民として、しばらくおだやかな田舎暮らしをするのである。

 しかし、やがて彼は天津に戻り、再び戦いを始める。このとき既に、彼の武術家としてのSPIRITは出来上がっていた。最愛の母や娘を失ったことが、彼のSPIRITを鍛え上げたのだった。そして、長い間わからなかったことがようやくわかったと、父母のお墓に報告に行く。相手に勝つための戦いは間違っていたことを悟ったのだ。

 それからの霍元甲の戦いは、己に勝つための戦いとなった。そして、ラストには、最も感動的な試合が待っている。私は、彼が最後の試合で自分の取り巻きに言った「復讐はするな。復讐は、憎しみを生むだけだ」という言葉が忘れられない。

 日本の役者である中村獅童さんが、とてもいい味を出している。彼は、言葉少なめな役がぴったりだ。彼とジェット・リー(李連杰)演じる霍元甲は、実際の戦いの前に一緒にお茶を飲んで、お互いの心を交わす。そのシーンが、激しい戦いが繰り返される映像の中で、一段と際立っている。肉体の戦いの前に、心と心を繋ぎ合わせる。そのような繋がりがあったからこそ、彼は霍元甲にSPIRITで負けたと思ったのだった。

 この映画は、肉体と精神を同時に鍛え上げることのできた人のおはなしである。ほとんどの人は、肉体と精神を別々に鍛え、それらのバランスが、どちらか一方に傾いていることが多い。しかし、この映画は、肉体を酷使しながら武術を重んじる人に、SPIRITを吹き込んだのだ。

 この映画のおかげで、これまでスポーツというものがほとんど理解できなかった私も、ようやうスポーツへの受け入れ体制が整って来た手応えを感じる。私は、スポーツに対して、わざわざ敵を作ってまで戦うというイメージしか持てなかったのである。何故なら、スポーツには、戦いを決めた段階で、わざわざ生じなくてもいいような境界が生まれてしまうからだ。例えばそれは、国境だったりもする。

 しかし、相手を負かそうという気持ちで戦うのではなく、自分への飽くなき挑戦なのであれば、スポーツにおける擬似的な戦いというものを受け入れられる気がしたのだった。つまり、肉体は、SPIRITを実現するための器に過ぎないという感覚である。

 さて、問題のエンディングだが、確かに興ざめしてしまった。映画を観終わったとたん、映画とは別の世界にいきなり連れ去られた気がした。映画の余韻に浸り切ることもできず、私は映画館をあとにした。それでも、いい映画を観たという興奮は、私の中にしばらく残っている。だから、今日の日記に、この興奮を書き残しておきたいというのもあったし、エンディングの取り替え問題が気にかかって、映画館に足を運ばないでいる方たちの肩を押したかったのである。

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