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2006.03.23

コミュニケーションという渦巻き

 私の中で、いつも渦巻いている想いがある。それは、コミュニケーションという渦巻きだ。私にとって、コミュニケーションは、男女の愛の次に重要なテーマであるような気がしてならない。

 私は先日、愚痴のようなものをある日記に書いた。その日記の内容に対し、多くの方たちからコメントをいただいた。私の鏡になってくださった方たちのおかげで、自分がどうしてそれほどまでにネガティヴな感情を抱えてしまったのかが理解できた。そうしたやりとりに目を通してくださった方が、こういう日記(書き手のネガティヴな感情が表現された日記)に、これだけコメントがつくのも珍しいと言ってくださった。そのとき私は、ホームページの掲示板での交流を思い出したのだ。

 ご存知のように、私は、掲示板での交流が大好きだ。掲示板での交流は、人を介するごとに、一つの話題から話題へと、どんどん枝分かれして行く喜びがある。そして、枝分かれした枝をじっくりと眺め、味わうこと。それが、掲示板の一番の醍醐味である。例えば、りさちゃんが蒔いてくれた「即是空」というスレッドの種がある。このスレッドの種は、いろいろな人たちが育て、今では百五十もの葉っぱを身につけている。更に驚くべきことだが、この木は今なお成長し続けているのだ。自己満足だと思われるかもしれないが、自分のサイトでこのような交流が実現できていることが、私はとてもうれしいのだ。

 ブログのコメントでは、なかなかそのような交流が実現できない。だから、私は「ガンまる日記」のコメント機能をOFFに設定させていただいている。もちろん、毎日書き綴る日記に対し、コメントの返信がなかなか追いつかないであろうことも理由の一つである。

 引用レス式のコメントに慣れているせいか、私は、ブログのコメント欄では物足りないと感じてしまう。私から見ると、ブログのコメント欄に書き込まれるのは、ポジティヴなことばかりのように思えてしまうのだ。書き手と余程親しくない限り、読み手はいつも、ノー! の気持ちをそっとしまい込まなければならない。また、次々に新しい記事を綴って行きたいであろう書き手の気持ちを考えると、例え書き手からコメントの返信をいただいたとしても、過去の記事の内容をいつまでも引きずるかのように、更なる返信を書き込むことも気が引けてしまう。

 しかし、引用レス式の掲示板における対話では、相手のイエスとノーが明るみになる。どんどん明るみになって行くことを楽しみにしているために、一方では、引用レス式の形を取らずに、相手のコメントから、自分が書いた内容が思い切り削られてしまっていると、ひどくがっかりしてしまう。そのような方式で書き込まれたコメントは、「あなたの話を聞きましたよ」というモードではなく、「私の話を聞いてください」というモードで書き込まれていることが多い。そうなると、今度は相手の言葉を受け続けるのが苦しくなってしまい、言葉が停止してしまうのだ。男女の愛も、コミュニケーションも、双方向でなければ持続させられないのである。

 そういう意味で、百五十もの葉っぱをつけたスレッドは、双方向のコミュニケーションが成立していると言える。そして、双方向の喜びを知った人が返信を書き込んで、次々に新しい葉っぱが芽吹くのだ。何と素晴らしい春だろう。

 自分の発信した言葉を誰かが受けてくれて、その材料を元に、更なる意見を加工して、次々に繋がって行く言葉たち。「しりとり」で「ん」を言うと、そのしりとりはおしまいになってしまうが、掲示板で「ん」を出さないコツは、「あなたの話を聞きましたよ」というモードで対話を続けて行くことだと思う。ちょうど、家庭科で習った半返し縫いのように。

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