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2006.03.18

差別について

 私たちは夜寝る前に、ベッドの上でそれぞれお互いの好きな本を読む。私はグリム童話系の漫画、ガンモは鉄道雑誌を読んでいる。

 あるとき私は、『グリーングリーン』というタイトルの漫画を読んだ。それは、奴隷解放宣言がなされて間もない時代の黒人の男の子デニスと白人の女の子マギーのはかない恋物語だった。子供の頃から相思相愛だった二人は、大人たちの目の届かないところで何度も何度もキスをする。そして、マギーが十五歳になったとき、二人は肉体的にも結ばれることになる。何もかもが幸せで、その幸せがずっと続くと二人は思っていた。しかし、それからほどなくして、マギーがデニスに冷たく別れを切り出し、二人は別れてしまう。

 デニスは、マギーの突然の心変わりに納得できず、しばらく絶望のどん底に突き落とされてしまうのだが、そんな彼に追い討ちをかけるような事件が起こる。それは、デニスの父親が、いわれのない白人殺しの罪で捕らえられ、遺体となって帰宅したことだった。遺体には激しい拷問を加えたあとがあったが、警察は、
「お前の父親は刑務所内で首を吊った」
とデニスに言った。デニスは深い悲しみに打ちひしがれながらも大学に進学し、やがて同じ職場で知り合った黒人の女性と結婚する。

 時は流れ、デニスの息子が結婚することになった。何と、相手は白人女性だと言う。デニスはマギーとの別れで背負った古傷を思い出し、あんな悲しい思いを息子にだけは体験して欲しくないと、息子の結婚に反対するのだが、友人の勧めもあって、ようやく白人女性との結婚を承諾する。そして、結婚式会場で、新婦側の親戚として結婚式に参列したただ一人の女性、マギーと何十年ぶりかの再会を果たすのだった。マギーは、新婦の叔母だったのだ。

 デニスとの再会に、涙を流しながらマギーは言う。
「黒人男性との結婚を反対する声もあったけれど、反対したら、私のように一生独身で過ごすことになるわよと脅してやったのよ」
と。

 十五歳だったマギーは、デニスとの交際をやめなければ、デニスを殺すと兄に脅され(当時は、白人が黒人を殺しても、捕まることはほとんどなかった)、泣く泣くデニスとの別れを決意したのだった。そんなことも知らないデニスは、マギーは心変わりしてしまったものと思い込み、長い間、ずっと失恋の痛手を背負っていたのだった。しかし、デニスとの別れが辛かったマギーは、生涯誰とも結婚することなく、独身を貫いていたのだ。

 デニスとマギーの再会のシーンで、私はビービー泣き、隣で静かに鉄道雑誌を読んでいたガンモを驚かせた。

 私は昔から、こうした差別に強く反応してしまう。かつて、『アンクルトムの小屋』を読んだときも、どれだけビービー泣いたことだろう。

 日本にとって、奴隷制度はそれほど身近な問題ではないかもしれない。しかし、私たちの出身地である四国では、今なお部落差別が強く根付いていて、住んでいる地域や苗字などを気にしている。部落差別などと言っても、大都市で暮らす人たちにとっては、きっと無縁のことだろう。しかし、四国では、まだ確実にその差別が残っているのだ。

 被差別部落の人たちは、今でも部落を作って固まって住んでいる。被差別部落出身というだけで、大企業には就職できないという。所得が低いために、市などから格安の家賃の家を提供してもらっていたりする。結婚についても、部落差別のない地域の人とのお見合い話を進めたりする。

 学校でも、部落差別をなくそうとする教育は行われている。しかし、現実的には形式的なものにしか過ぎない。だから私たちは子供ながらに、世代が変わらなければ差別は決してなくならないと語り合って来た。

 私は、部落差別をする大人たちが大嫌いで、大学生のとき、法事のために親戚一同が集まる席で、頭の固い大人たちを相手に大喧嘩したことがある。結婚相手をちゃんと選べと大人たちに言われ、そんな差別はそろそろやめなければならないのだとしきりに力説した。しかし、頭の固い大人たちは、
「それはいかんのよ」
の一点張り。一体、何がいけないのか、ちっとも理由になっていなかった。私は、男女が愛し合って結婚することが最も大切なことであり、部落出身かそうでないかは関係ないのだと反論した。しかし、大人たちはどこまでも頑固だった。議論にならない対立を繰り返し、とうとう私は、
「もう東京に帰る」
と言って席を立ち、駅までの遠い道のりを一人でずんずん歩いた。しかし、両親に車で先回りされ、保護されてしまった。それからしばらくは、親戚の人たちの誰とも口をきかなかった。

 田舎で行われている部落差別は、ただ単に、差別をしないことで、自分が仲間外れにされるのを恐れていることが原因だ。だから、一人一人を相手に根気強く説得して行けば、必ず差別はなくなるはずだと私は思う。今は、ネガティヴな方向での連帯感が強いので、これをポジティヴな方向に向けて行けばいいのだ。しかし、誰も率先してそれを実践しようとはしない。おそらく、学校の先生でさえも、学校という職場を離れてしまえば、同じ頭の固い大人だ。田舎の人たちは、とにかく保守的で、これまでのやり方を変えたがらないのだ。

 もともと、何故、差別が根強く残っているかというと、内側と外側という意識があるからだと思う。内側を固めることにより、外側(外敵)に立ち向かう団結力を高める方向へと動いて行く。ここで言う内側とは、差別をしている人たちのことで、外側(外敵)とは、被差別部落の人たちのことである。つまり、内側が仲良くするために、被差別部落の人たちが悪者として利用されているだけなのである。

 私はしばしば、この手の団結力を、スポーツとリンクさせてしまう。だからだろうか、いつまで経ってもスポーツ観戦が好きになれないのは。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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