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2006年3月

2006.03.31

映画『SPIRIT』

 定時過ぎに仕事を上がれたことと、ガンモが職場の人たちと飲み会だったことが重なって、私はハリー・ポッターと炎のゴブレット以来の映画モードに入っていた。しかし、職場をあとにして、電車に乗り込んでからも、まだどの映画を観るか決めかねていた。

 電車の中でPDAを取り出し、映画情報のページにアクセスしていると、最終上映時間に間に合わない映画が選択肢から次々に消えて行き、次第に一つのターゲットが絞り込まれて行った。それは、『SPIRIT』という映画だった。実は、私はかつて、この映画のポスターを目にしたときから、この映画を観たいと思っていたのだ。しかし、あることを耳にしてから、しばらくこの映画を観ることに対し、足踏み状態を続けていたのだった。さて、そのあることとは・・・・・・。

 この映画は、中国とアメリカとの合作だが、日本で公開されるときにはエンディングでオリジナルの主題歌が流れず、日本のアーチストの曲が流れることになっている。そのことが、数々の映画ファンや、オリジナルの主題歌を歌っていたジェイ・チョウ (周杰倫)ファンの人たちの反感をかっているのだ。

 映画の主題歌が取り替えられるということは、あまりにも残念なことなので、日本で公開された作品を観ずに、DVDなどでオリジナルの映画を観たいという表明する人たちもいる。また、日本の配給元に抗議する人たちもいる。オリジナルの主題歌取り替えについて、反対する人たちは以下のようなブログを書かれている。

SPIRITの魂はジェイ・チョウの霍元甲にある。

 確かに、日本で公開されるときに、主題歌がオリジナルではなくなってしまうというのは違和感を感じる。かつて私も、メグ・ライアン主演の『めぐり逢えたら』を劇場で観たとき、本編の前に放映されたドリカムの映像や、エンディングに流れたドリカムの主題歌に違和感を覚えた。しかし、だからと言って、映画本編の素晴らしさが劣化してしまうわけではない。そう思って、私は導かれるように、三宮の映画館に足を運んだのだった。

 映画の本編は、一言で言うと、本当に素晴らしかった。私は、どちらかと言うと、格闘ものの映画は苦手なほうである。しかし、この映画は、『SPIRIT』という邦題が付けられている通り、精神を扱うはなしだったのである。

 主人公は、ジェット・リー(李連杰)演じる霍元甲。実在した人物のようである。ここから先は、ネタバレになってしまうので、これから映画を観ようと思ってらっしゃる方は読まれないほうが賢明だと思う。念のため、ネタバレの部分の文字色を変えておく。

 霍元甲は、武術家の父を持つが、喘息気味で身体が弱かったためか、父から武術を教わらずに育った。霍元甲は、父のように強くなりたくてたまらなかった。勉強をほったらかしにして、独学で武術にばかり励んでいた。しかし、あるとき母が言う。「人を負かすことが武術ではない。本当の敵は自分自身なのだ」と。

 やがて霍元甲は、天津一を目指して次から次へと連勝し、あるとき激しい戦いに挑み、勝利する。そのときの戦いの相手は、間もなく死亡してしまった。それは、復讐という名の戦いだった。しかし、霍元甲は、その戦いに敗れた相手の義弟の復讐心によって、最愛の母や実の娘の命を奪われてしまう。

 霍元甲は悲しみに暮れ、やがて天津を離れる。そして、水の中に身を投げて自殺しようと思っていたのかもしれないが、村人たちに助けられる。そこで、武術家としてではなく、農民として、しばらくおだやかな田舎暮らしをするのである。

 しかし、やがて彼は天津に戻り、再び戦いを始める。このとき既に、彼の武術家としてのSPIRITは出来上がっていた。最愛の母や娘を失ったことが、彼のSPIRITを鍛え上げたのだった。そして、長い間わからなかったことがようやくわかったと、父母のお墓に報告に行く。相手に勝つための戦いは間違っていたことを悟ったのだ。

 それからの霍元甲の戦いは、己に勝つための戦いとなった。そして、ラストには、最も感動的な試合が待っている。私は、彼が最後の試合で自分の取り巻きに言った「復讐はするな。復讐は、憎しみを生むだけだ」という言葉が忘れられない。

 日本の役者である中村獅童さんが、とてもいい味を出している。彼は、言葉少なめな役がぴったりだ。彼とジェット・リー(李連杰)演じる霍元甲は、実際の戦いの前に一緒にお茶を飲んで、お互いの心を交わす。そのシーンが、激しい戦いが繰り返される映像の中で、一段と際立っている。肉体の戦いの前に、心と心を繋ぎ合わせる。そのような繋がりがあったからこそ、彼は霍元甲にSPIRITで負けたと思ったのだった。

 この映画は、肉体と精神を同時に鍛え上げることのできた人のおはなしである。ほとんどの人は、肉体と精神を別々に鍛え、それらのバランスが、どちらか一方に傾いていることが多い。しかし、この映画は、肉体を酷使しながら武術を重んじる人に、SPIRITを吹き込んだのだ。

 この映画のおかげで、これまでスポーツというものがほとんど理解できなかった私も、ようやうスポーツへの受け入れ体制が整って来た手応えを感じる。私は、スポーツに対して、わざわざ敵を作ってまで戦うというイメージしか持てなかったのである。何故なら、スポーツには、戦いを決めた段階で、わざわざ生じなくてもいいような境界が生まれてしまうからだ。例えばそれは、国境だったりもする。

 しかし、相手を負かそうという気持ちで戦うのではなく、自分への飽くなき挑戦なのであれば、スポーツにおける擬似的な戦いというものを受け入れられる気がしたのだった。つまり、肉体は、SPIRITを実現するための器に過ぎないという感覚である。

 さて、問題のエンディングだが、確かに興ざめしてしまった。映画を観終わったとたん、映画とは別の世界にいきなり連れ去られた気がした。映画の余韻に浸り切ることもできず、私は映画館をあとにした。それでも、いい映画を観たという興奮は、私の中にしばらく残っている。だから、今日の日記に、この興奮を書き残しておきたいというのもあったし、エンディングの取り替え問題が気にかかって、映画館に足を運ばないでいる方たちの肩を押したかったのである。

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2006.03.30

世界一への道

 私は職場で、「世界一夫婦仲がいい」と自負している。そして、同じ職場には、私と同じように、「日本一夫婦仲がいい」と自負する女性がいる。かつて、職場の飲み会で夫婦のはなしになったとき、ガンモとの夫婦仲を披露したところ、私たち夫婦の仲良しぶりが彼女に世界一と認められ、
「それじゃあ、我が家は日本一にしておきます」
と、世界一を私に譲ってくれたのだった。

 あるとき、日本一の彼女が世界一の私に、こんな質問を投げかけて来た。
「晩御飯はいつもどうされてますか?」

 私は、お互い仕事のある日の晩御飯は、いつも夫と待ち合わせて外食していると答えた。彼女は、去年の年末から、残業の多い私たちのプロジェクトに加わったばかりだ。彼女たちご夫婦は、先に帰宅したほうがご飯を作る約束になっているのだと言う。しかし、ここのところ、彼女よりもご主人さんの帰宅のほうが早く、毎日のようにご主人さんが晩御飯を作っているのだと言う。そのため、彼女は、ご主人さんに負担をかけ過ぎているのではないかと心配しているようだった。

 彼女によれば、彼女のご主人さんは、会社が自宅から近い上に、ちょうど仕事が忙しくない時期に当たっているそうで、何と、十八時前には帰宅されているのだという。私は、帰宅時間の早さに驚いた。しかも、彼女のご主人さんは、料理を作ることがとても好きらしい。だから、毎日のように晩御飯を作ることが苦ではないらしいのだ。しかし、彼女には作りたての温かいものを食べて欲しいらしく、毎日のように、
「今日は何時に帰って来るの?」
と尋ねられ、彼女の帰宅が申告された時間よりも遅くなると、ご機嫌斜めになってしまうのだそうだ。彼女は、
「まるで口うるさい嫁をもらった気分ですよ」
と笑いながら、トホホ顔で私に愚痴をこぼした。そのことが原因で、ご主人さんと何度か喧嘩をしたらしい。

 私は、
「自分が好きでお料理を作ってるんだから、お料理を作っていることを押し付けずに、もっと楽しくお料理すればいいのにね」
と言った。彼女は、それはもっともだと私に同意した。

 毎晩、妻の帰宅が遅くて寂しい気持ちになるというならわかる。しかし、一緒にいられない寂しさを感じているわけではなく、自分の作った料理が冷めてしまうから、申告された時間通りに帰って来いと願うのは、彼女のご主人さんのわがままなのではないかと私は思ったのだ。

 それだけでなく、彼女のご主人さんは、いつも自分の本当の気持ちを言ってくれないらしい。最寄り駅に着いた彼女が、
「コンビニで何かを買って帰るけど、何か欲しいものはある?」
と電話を掛けても、
「何もいらない」
とご主人さんは答えるのだと言う。しかし、彼女が気を利かせて、ご主人さんのために何か食べ物を買って帰ると、おいしそうにそれを食べるのだそうだ。
「もう、彼が何を考えているかわからないですよ」
と彼女は嘆いていた。そして、
「これさえなければ世界一なんですけどね」
と苦笑いしたのだった。私は、
「世界一を目指すには、この問題について、二人でじっくり話し合わないとね」
と言った。

 その後、彼女から、
「彼とじっくり話し合いました。仕事で遅くなるときは、お互いにそれぞれ自由にご飯を食べることで解決しました。ようやく仲直りしましたよ!」
との報告を受けた。
「でも、お互い、適当に食べようということに落ち着いても、家に帰ると私のご飯があるんです」
と言った。ご主人さんは、適当に自分の食べる分を作っているので、彼女の分は「ついで」なのだそうだ。私はそれを聞いて、「ああ、いい感じの展開になったなあ」と思ったのだった。

 彼女もいよいよ、世界一への道を歩み始めたのかもしれない。

※皆さん、世界一の夫婦に、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.03.29

魂の旅

 かつて私は、愛を思い出す関係愛を蓄積する関係という記事を書いた。その中でご紹介させていただいたご夫婦の片割れであるゆきさんが、この度、ご主人さんと別々の人生を歩んで行くことを決意されたそうだ。

 私は、かつてゆきさんからいただいたメールを、ゆきさんのアドレスに再送させていただいた。そのメールには、ゆきさんがご主人さんとの間にある深い愛を思い出し、これからも幾多の困難を一緒に乗り越えて行こうとする決意が込められていた。今のゆきさんを励ますのは、ゆきさん自身の過去の固い決意なのではないかと思ったのだ。

 ゆきさんは、もともと、ご主人さんとの関係がカルマの関係ではないかと思われていたそうだ。しかし、私のサイトの掲示板の過去ログをご覧になり、ご主人さんとの深い愛を思い出されたのだった。ゆきさんからのメールの内容をここに転載することは控えるが、私は今、そのメールを読み返しながら、お二人の愛の深さ、結びつきの強さに感動の涙を流しているのである。

 ここから先は、ゆきさんが掲示板に書き込んでくださった内容を引用させていただきながら、記事を書いて行きたい。太字の部分がゆきさんの発言であるが、二重引用符が付いているのは、私の過去の発言である。

> 夫は、今も昔も、私にとって唯一の人です。
> 他にこんな風に身体の芯で関われる人は絶対にいません。
> それだけは、はっきりとわかります。
> でも、もう、一緒に同じ方向を見て進んではいけません。

ゆきさん、私たちの魂の旅は、永遠です。
真に愛し合う魂が、例え別々に生きて行く決断を下したとしても、
その別離は一時的なものだと私は思います。
単に、再会までの時間差が大きいか小さいかの違いだけです。

例えば、愛し合う恋人同士がお互いの家に帰るために、
どちらかの最寄駅でいったん別れを告げたあと、
翌日、再びどこかで待ち合わせて再会するのと、
人生最大の決断という意気込みでもって、
最愛の人と別れるのとは、
再会までの時間差が大きいか小さいかの違いだけだと
私は思っているのです。

ゆきさんが、今は同じ方向を見て進んでは行けないと感じていても、
真に愛し合う二人ならば、
必ずまた、同じ方向を見るようになります。
愛とはそういうものだと思いますよ。

> >ツインソウルは、自己愛というものについて、究極的に問われる存在ですね。
> >相手よりも自分のことのほうが大切であれば、相手から離れて行こうとし、
> >相手のことも自分と同じように大切であれば、決して離れようとはしません。
>
> まるみさん。
> 私は、夫よりも自分が大切なんです。
> まるみさんに、こんな事を書いている自分が悲しい。胸が痛いです。
> でも、結局そうなんです。
> 夫と別れることを決めた時、今まで彼が私にしてくれた事柄を思い出して、
> 感謝の気持ちで一杯になりました。
> 不思議なことに、憎しみもなくなっているんです。
> 久しぶりに彼の疲れた顔を見て「苦しめてごめんね」と、心底思いました。
> でも、これからを、また、一緒に・・・・とは、
> 今はどうしても思うことができないんです。

このような選択も、今のゆきさんにとっては必要なことなのでしょうね。
これだけ一生懸命関わったのだから、
一度、離れてみるのもいいと私は思いますよ。

でも、何故でしょう。
誰かが愛の関係をおしまいにしようとしているとき、
私はいつも、「別れないで、ちゃんと向き合って乗り越えてください」
などとコメントして来たのに、不思議です。
先日の愛ちゃんのときも、
離れてることによって、見えて来るものがあるんじゃないか、
などとコメントしました。

お二人が再び同じ方向を見るようになることを、
それとなく感じ取っているのでしょうか。

それに、何よりも、このような離れ方はとても感動的です。
離れるにしても、とても愛があると感じます。
だからきっと、愛は決して二人を引き裂かず、
再び一緒に歩むチャンスを与えてくれると感じるのでしょう。

愛を思い出すために、
現在のような状況を選択をされたのかもしれませんね。

> >苦しい気持ちも良くわかりますよ。
> >本当に、逃げ出したくなりますよね。
> >でも、本当に逃げ出してしまったら、
> >今度は離れたことで苦しくなってしまう存在。
> >ポジティヴなときは、離れていても強い繋がりを感じられる存在なのに。
>
> 離れたらもっと苦しくなるんでしょうか?
> 今はわかりません。

実は、これについては少し違っていました。
ツインソウルとの関わりという観点で言うと、私は、
ここしばらくツインソウルと交流を持っていなかったのですが、
その間、苦しいという感情はほとんどなかったように思います。
むしろ、これまでよりも、
ツインソウルの魂をすぐ近くに感じていました。
だから、離れても離れなくても、ツインソウルは同じだ、
という結論に達したのです。

ツインソウルは、離れている間に、
これまで足りていなかったものが強化される関係だと思いました。
離れているときは、離れているなりに、
エネルギーの交流が行われているからです。

実際、離れると、これまで見えていなかったものが
どんどん見えて来ます。

今はもう、交流が復活しましたけれども、
ときどき離れて、また新たな発見をしたいような、
そんな衝動に駆られます。

もしかすると、ゆきさんたちの魂も、
そのような経験をしたがっているのかもしれませんね。

> まるみさん、私、ジェットコースターから振り落とされました。
> 違いますね・・・自分から降りてしまおうとしています。
> 今は、早く降りて楽になりたい。
>
> こんな報告ですみません。
> 今は、いっぱいいっぱいです。

私は、愛を思い出そうとしているゆきさんを、
ずっと応援していますよ。
正式な決断を下す前に、ゆきさんの過去の言葉が、
ゆきさん自身を励ましてくれることを強く望みますが、
例えゆきさんがどんな選択をされたとしても、
ゆきさんの魂の選択を応援して行きたいと思います。

どうか、これからの魂の旅を、有意義なものにしてくださいね。

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2006.03.28

わに口クリップ

 青春18きっぷは、JR全線一日乗り放題の切符(乗車できるのは普通列車のみ。特急券分の料金を足しても、特急列車に乗車することはできない)が五枚綴りになっている。私たちはいつも二人で利用しているため、五枚綴りだと、どうしても一回分の端数が出てしまう。

 端数が出たときは、チケットショップやネットオークションなどで、奇数回分残った青春18きっぷを買い足すこともある。青春18きっぷの有効期間が差し迫って来ると、五枚綴りのチケットを消化できない人たちが、途中まで消化した青春18きっぷを売りに出すのである。そうした売買には、「返却不要」などと提示されていることがある。「返却不要」とは、文字通り、売買が成立して譲り受けた青春18きっぷを売主に返却しなくても良いという意味である。しかし、中には、青春18きっぷそのものを保管しておきたい売主もいて、他の人に譲渡したあとであっても、使用済みのチケットを返却して欲しいと申し出る場合があるのだ。

 それはさておき、そうした余り切符を手に入れることができないときや、お互いの休みが合わないときなどは、残された端数の一枚を、ガンモが平日休みを利用して、一人で一回分使うことになる。その行き先は、たいてい名古屋だ。

 今回は、ガンモのハワイ行きが控えているため、四月に入るとばたばたすることもあって、余りチケットを探して、二人で週末に出掛けるパターンからは外れることになった。そして、ガンモはまたまた平日休みを利用して、一人で名古屋に出掛けて行ったのである。

 名古屋に出掛けた私たちがウロウロするのは、決まって大須周辺の電気街である。大須周辺には古本屋さんも多い。だから、ガンモと二人で大須に出掛けるときは、自由行動時間を設けて、ガンモはパソコンショップを真剣に巡り、私は古本屋さんを真剣に巡る。そして、一人でのショップ巡りに飽きが来ると、携帯電話で連絡を取り合い、合流するのである。さて、この日もガンモは大須周辺の電気街をウロウロしていたようだった。

 実は、出掛ける前に、ガンモにモバイルカードのアンテナを見つけて来て欲しいと頼んであった。私が使用しているモバイルカードは、アンテナがすぐに取れてしまい、気づかないうちに紛失してしまうのだ。モバイルカードのアンテナを紛失してしまうと、感度が極端に悪くなり、インターネットに繋がりにくくなってしまう。かつて、モバイルカードの製造元のサイトから、専用のアンテナを取り寄せたこともあったのだが、単にアンテナだけとは言え、なかなか割高だった。そして、私は先日、またもやアンテナを紛失してしまい、ガンモに泣きついたところ、ガンモは
「よし、わかった。大須でアンテナを見つけてきてやるから」
と言って、名古屋に出掛けて行ったのだった。

 私は残業になり、名古屋帰りのガンモよりも遅く帰宅した。お風呂から上がり、そろそろベッドに入ろうとしているそのときに、ガンモに頼んだはずのモバイルカードのアンテナのことをふと思い出して、ガンモに尋ねてみた。
「ねえねえ、ガンモ。アンテナ、買って来てくれた?」
すると、ガンモは、買い物袋の中から何やら小さな包みをゴソゴソと取り出した。
「はい、これ。一個三十五円」
そう言って差し出されたのは、金属製のクリップに絶縁体のビニールがかぶせられた、とてもアンテナとは言えそうもない代物だった。その物体は、色違いのものが全部で三個揃っていた。私は驚きのあまり、目を丸くした。
「これで、感度が良くなるはずだから」
ガンモはその奇妙なクリップに、絶対の自信があるようだった。

 翌日、私はガンモの言う通り、そのクリップをアンテナ代わりに使ってみた。かつてアンテナが付いていたところにクリップを挟み込み、インターネットに接続してみたのである。すると、驚いたことに、モバイルカードの感度が極端に良くなった。ただし、見栄えはかなり恥ずかしい。これだけの説明ではなかなかイメージが沸かない方も多いと思うので、とあるネットショッピングより画像を拝借してみた。上段の一番左の画像が、ガンモの買って来てくれたクリップに最も近い。わに口クリップの画像

 これは、「わに口クリップ」と呼ばれるものだそうである。
「多分、知っている人が見たら、おかしいと思うよ」
とガンモは言った。そして、私は今、わに口クリップをアンテナ代わりに挟み込んで、「ガンまる日記」を書いている。

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2006.03.27

妖精伝説

 もうずいぶん前の話になるのだが、ツインソウルと妖精の話題で盛り上がったことがある。お互いに、「妖精はいる!」という見解で一致したのである。

 小さい頃から私は、小人(こびと)の気配を感じ取りながら大人になった。ふとふり返ったとき、慌てて物陰に隠れる小人の気配を何度も感じ取って来たものだ。だから私は、小人の存在を否定しない。しかし、二十代を過ぎた頃から、小人の気配をさっぱり感じなくなってしまった。かつて、私の周辺をうろちょろしていた小人は、一体どこに雲隠れしてしまったのだろう。

 実は、ツインソウルも私と同じような体験をしていたようである。学生の頃、ツインソウルのそばにはいつも妖精がいたそうだ。しかし、大人になってから、妖精の姿を見掛けなくなってしまったという。ツインソウルは、妖精がいなくなってしまったのは自分のせいだと言った。更に、妖精は芸術について回るらしいとも言った。

 一方、私は、妖精は紅茶について回るものだと思っていた。というのも、私がかつて熱心に目を通していたパソコン通信の電子会議室(現代で言うところの掲示板)で、ピアノ好きの女性が、妖精との逸話を紅茶とからめながら真剣に書き込まれていたからだ。彼女の弾くピアノの調べに誘われたのか、妖精たちは、何度も何度も彼女の前に姿を現したそうだ。彼女は、妖精は紅茶に誘われてやって来ると、どこかから聞きつけて、妖精たちに紅茶やクッキーをプレゼントしていたのだった。私は、そうした彼女の書き込みを拝見しながら、イギリスに妖精伝説が多いのは、妖精が紅茶好きだからだと思っていた。ちなみに、私も妖精と同じく紅茶好きである。

 先日、諏訪湖オルゴール博物館 奏鳴館を訪れたとき、妖精人形作家で知られる若月まり子さんの「夏の夜の夢」という作品を拝見した。丁寧に創り上げられたそれらの妖精人形は、大人になった私たちが忘れつつある、ピュアな気持ちを思い出させてくれる、とても素敵で繊細な作品だった。妖精にとことん魅せられた人形作家だからこそ取り組むことのできる芸術だと感じた。

 日本には、妖精伝説よりも、座敷わらしのほうが馴染みが深いかもしれない。そう言えば、座敷わらしの出る東北の宿は、何年も先まで予約がいっぱいだそうだ。

 実は、私の周りにも、本格的に妖精を見たという人がいる。そのことについては、日々のきづき: 検索キーワード 妖精に綴っている。

 彼女の体験談で面白かったのは、彼女に姿を見られた妖精たちが、「え? 見えるの?」というリアクションを取ったということである。妖精たちは、自分の姿が人間には見えないと思って、好き勝手なことをして楽しんでいるのかもしれない。自宅でデザイナーの仕事をしている彼女は、仕事の締め切りにひどく追い立てられていたとき、連日の仕事疲れのため、あろうことか、自宅のアトリエでこっくりこっくり居眠りをしてしまったそうだ。しかし、驚いたことに、目覚めてみると、残していたはずの仕事の一部が出来上がっていたと言う。彼女は、
「きっと、切羽詰まった私を見て、妖精が手を貸してくれたんだと思う」
と真剣な顔つきで私に言った。おそらく妖精は、彼女が一生懸命仕事を頑張っていたのを見守っていたのだろう。そして、彼女が眠っている間に、彼女の仕事をそっと手伝ったのではないだろうか。私は、彼女の体験と、「妖精は芸術について回る」と言ったツインソウルの言葉を結びつて、感慨にふけっていたのだった。

若月まり子のオフィシャルウェブサイト

※ココログメンテナンス中により、更新が遅れたことをお詫び申し上げます。

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2006.03.26

絶対愛の感じ方

 実は、神戸ポートピアランドでミュンヘンアウトバーンというスライディングコースターに乗ったとき、こんなことがあった。ガンモと私は一つの車の中に前後に腰掛けた。ガンモが後ろで、私が前である。安全のために、発車前に安全バーを降ろすのだが、ガンモによって降ろされた安全バーは、私のお腹にほぼ接触してしまっていた。
「これでは、もしも衝撃を感じたときに、子宮がつぶれてしまうよ」
と、私はガンモに言った。ガンモは、
「ごめん。下げる位置をもっと調節できたのに」
と私に謝った。どうやら、安全バーを下に降ろし過ぎてしまったようである。一度下に降ろした安全バーは、安全のために固定され、再び上に向けて調節することができない仕組みになっていた。しかし、もう発車寸前である。私は自分のお腹を守るようにして、後ろにいるガンモにぴったりくっついたが、ガンモの座っている場所にもそれほど余裕がない。

 そうこうしているうちに、ミュンヘンアウトバーンはとうとう発車してしまった。そこから先は、勢い良くすべり落ちるような感じだった。私はこのとき、乗り物を信頼し、一体となっていた。しかし、ガンモは私の後ろで恐怖を感じていたようだった。無事にゴールまで着いたとき、ガンモは興奮した口調で恐怖を語った。

 その日の夜、お風呂の中で、ガンモがこんなことを言った。
「ミュンヘンアウトバーンに乗ったとき、実は俺、後ろで腰を浮かしてたんだよ」
私は、頭でハンマーを殴られたような衝撃を感じた。ガンモは、安全バーを下に降ろし過ぎたことへの責任を感じて、私のお腹に衝撃を与えることのないように、自分の腰を浮かせて、あそびの部分を作ってくれていたのだ。そのことを耳にした途端、私の中に、言葉では言い表せないほどの感情がこみ上げて来た。
「ガンモ! そういうの、禁止だからね!」
私はそれ以上、言葉にならなかった。これを書いている今でも、こみ上げて来る感情がある。私は、そんなガンモの絶対的な愛情に気づかずに、自分のお腹を守ることに必死で、ガンモのほうへと身体をずらしていた。ガンモは走行中、腕力だけで自分の身体を支えていたのだ。

 あのとき、ガンモにもしものことがあったら、後悔しても後悔し切れないだろう。しかし、安全バーを降ろし過ぎてしまったガンモも同じことを思っていたに違いない。私はガンモに言った。
「これからは、自分だけが我慢したりしないでよ。それで何かあったら済まないんだからね」

 絶対愛を感じるには、このような危険な方法しかあり得ないのだろうか。前世において、私はガンモの目の前で、高いところからまっさかさまに落ちて死んでいる。それだけに、こういうことには特に敏感になってしまうのだった。

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2006.03.25

バトンタッチ

 神戸ポートライナー乗り潰し作戦と題して、ガンモと二人でポートアイランドに出掛けた。ポートアイランドとは、神戸市中央区の海上に作られた人口島で、一九八一年に、ポートピア'81が開催された場所でもある。神戸ポートライナーは、三宮からポートアイランドに向けて無人運転されている新交通システムのことである。

 さて、神戸ポートライナーと言えば、先月開港したばかりの神戸空港を見学しておかなければならない。神戸空港の開港にともなって、神戸ポートライナーの路線も拡張された。
既にあちらこちらから、神戸空港を見学して来たという話も聞いている。非常に小さな空港ではあるが、とても便利になったので、是非とも利用したいという意見が意外に多いのだ。

 土曜日ということもあってか、小さな神戸空港はたくさんの人たちで賑わっていた。実際に空港を利用する人たちではなく、見学の人たちが多いのである。飲食店は、どこもかしこも長蛇の列。展望デッキも人! 人! 人! である。あれだけ開港に反対している人たちが多かったはずなのに、いざ出来上がってみれば、みんなうれしそうな表情でやって来る。

 私は、一年前に訪れたセントレアを思い出した。地元の人たちからすれば、身近なところにこのような施設ができることがとてもうれしいのだ。そして、出来上がったばかりの新しい施設に足を運んだことを周りの人たちに報告しながらコミュニケーションを取ることもまた、喜びの一つなのだろう。だから、多少遠くても、親しい人たちを誘ってやって来るのだ。

 神戸市が莫大な借金を抱えることが懸念され、建設に反対する声も多かった神戸空港だが、こうして出来上がってみれば、多くの人たちに支持されていることがわかる。あまりいい例えが浮かばないのだが、このような現象は、「出来ちゃった結婚」みたいなものだろうか。

 神戸空港を見学し終えた私たちは、神戸ポートピアランドへと向かった。神戸ポートピアランドは、一九八一年に開園された遊園地で、今月いっぱいで閉園が決まっている。

 普段、遊園地とはあまり縁のない生活を送っている私たちだが、今月いっぱいで閉園されてしまうとあっては、足を運ばずにはいられない。先月開港されたばかりの神戸空港と、今月末で閉園が決まっている神戸ポートピアランド。今はどちらも「動」だが、来月からは、神戸ポートピアランドが「静」に変わる。「動」の役目を終えた神戸ポートピアランドは、神戸空港にバトンタッチするのだ。

 閉園間近の週末ということで、神戸ポートピアランドは、たくさんの人たちで賑わっていた。そこで働いている人たちは、いつもこれだけの人たちが訪れてくれたら、と思うかもしれない。これまで愛さなかったくせに、閉園されることが決まった途端、急に愛し始める。普段から神戸ポートピアランドを愛している人たちからすれば、そんな苛立ちさえ感じてしまうかもしれない。

 実は、遊園地と縁がないのは、私が高所恐怖症であることが大きいのだが、閉園間近ということで、私も勇気を振り絞り、ガンモにつられて様々な乗り物にチャレンジした。以前、ガンモと二人でユニバーサルスタジオジャパンに出掛けたことがあるのだが、そのときにも、いくつかのエキサイティングな乗り物に乗っている。その経験を通して私が感じたことは、日々の気づき 検索キーワード:ユニバーサルスタジオジャパンに書き綴っている。

 今回も、そのときと同じように、流れに身を任せ、アトラクションを信頼してみた。すると、怖さを感じることなく、乗り物と一体になっているのがわかった。信頼するということは、その流れに身を任せ、一体になることだったのだ。

 確かに、乗り物を信頼できないでいると、絶叫してしまう。フライングカーペットという乗り物では、何度も何度も急下降させられるような感覚を味わい、たまらず絶叫してしまった。高所恐怖症でないガンモでさえも、「これは参った」と興奮していた。それでも、遊園地にいると、そんな恐怖を感じたことなどすぐに忘れ、すぐにまた別の乗り物に乗りたいと思ってしまうから不思議だ。

 ダッジェムというゴーカートのような乗り物にも乗った。テニスコートくらいの広さのスペースで、十数人の人たちが、それぞれゴーカートのような乗り物に乗って走り回るのである。通常の車の運転では、誰かにぶつかろうものなら、とても深刻な表情になってしまう。しかし、この乗り物は、どういうわけか、誰かにぶつかってもニコニコ笑っていられるのである。何故、こんなにニコニコしているのかと考えていたのだが、まず、ぶつかっても相手や自分の所有している車でないことが大きいように思えた。通常の車の運転では、ぶつかることで、相手や自分の車が破損してしまうばかりか、時には生命にまで危険が及ぶことがある。そうした心配があるために、ぶつかってもニコニコできないのだ。しかし、ダッジェムという遊びでは、ぶつかっても安全なように、車の周りに衝撃をやわらげるためのクッションが施されている。そのため、ぶつかったときの衝撃も少なく、大事には至らない。これもまた、信頼の一つなのだろう。この信頼が崩れれば、人々の表情は瞬く間に強張ってしまう。

 このアイディアを、通常の車の運転に持ち込めないものだろうか。自家用車という概念を取り払い、例えば、車を国の所有物にする。そして、車の周りには、衝撃をやらわげるためのクッションを施す。そのクッションを生かすには、車の制限速度がおのずと決まって来る。だから、現在のように時間の流れが速い世界では許容されないかもしれない。しかし、例え、制限時速が二十キロでもいいのではないか。お互いがぶつかったときに、思わず笑いが出るような車社会なら理想的だ。

 私たちが遊園地で体験して来たことは、疑似体験であり、リアルではない。しかし、そこには、リアルの世界で生かせるヒントがたくさん詰まっている。遊園地をあとにするとき、私たちは、リアルの世界へのバトンタッチが必要だ。

※この日撮影した写真
神戸空港
神戸ポートピアランド

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2006.03.24

本音と建前

 仕事帰りにガンモと三宮で待ち合わせをしたのだが、三宮に着いてガンモに電話を掛けてみると、ガンモは急な仕事が入って、これから客先に向かうと言う。

 「三十分ほどで終わるけど」
とガンモが言ったので、私は、
「じゃあ、○○○(ガンモがこれから向かう客先の最寄駅)で待ってようか?」
と言った。しかしガンモはひどく急いだ様子で、
「俺はもう、うどん食べたし、先に帰ってな」
と言った。これから客先に向かって一仕事するので、ガンモは既に腹ごしらえをしたらしい。
「そう。じゃあ、私も何か食べて帰るよ」
と言って電話を切った。

 そして、私が帰宅してくつろいでいると、ガンモから電話が掛かって来た。
「どこで待ってるの?」
とガンモが言う。
「えっ? 『帰ってな』って言われたから、もう家に帰ったよ」
と私は答えた。ガンモは唖然としていた。
「えっ? 『待ってる』って言ってなかったっけ? 電話もないし、やけにおとなしく待ってるなあと思って、それで電話したんだけど・・・・・・」
とガンモは言う。

 それを聞いた私は、思わず笑った。ガンモは確かに、「先に帰ってな」と私に言ったのだ。しかし、それは建前だった。心の中では私に待っていて欲しいと密かに思っていたのだ。それでも、私に待っていて欲しい気持ちを押し隠して、寒い中、待ち続けることになるであろう私を気遣って、「先に帰ってな」と私に言ったのだ。しかし、仕事を終えて我に返ったとき、私に待っていて欲しかった本音が、私が最初に言った「待ってようか?」とリンクしたのだ。

 この件に関して、少なくとも二つの考えが浮かぶだろう。一つは、愛する夫が三十分で終わる仕事を抱えているとき、愛する妻が先に家に帰っていたほうが、夫が仕事に集中できるだろうという考え。もう一つは、愛する妻が待ってくれているのだから、三十分かかる仕事を二十分で処理すべく、早めに切り上げて帰ろうとするパワーが沸いて来るのではないかという考え。

 何を一番に考え、その事象をどこで切り取るかによって、とらえ方は違って来る。仕事を一番に考えれば、前者の選択になるだろうし、二人で一緒にいることを一番に考えれば、後者の選択になる。

 私は、本音を言わなかったガンモが、完全に仕事モードに入っていると思って、前者を選択した。しかし、ガンモの本音は、後者の愛情モードだった。その結果、私はガンモの仕事が終わるのを家で待ち、ガンモはガンモで、私がどこかで待っていると思い違いを生み出してしまった。

 一方、私は本音を言っていたのか。確かに、「待ってようか?」とガンモに言った。それは私の本音だ。しかし、それが本音なら、例えガンモに「先に帰ってな」と言われても、しぶとく待っていれば良かったのかもしれない。

 確かに、そういう展開であれば、ガンモの仕事が終わったあとに、合流できてハッピーエンドだったはずだ。しかし、こうした擦れ違いこそが、むしろ、本音を口にすることの大切さを教えてくれているような気がするのだった。

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2006.03.23

コミュニケーションという渦巻き

 私の中で、いつも渦巻いている想いがある。それは、コミュニケーションという渦巻きだ。私にとって、コミュニケーションは、男女の愛の次に重要なテーマであるような気がしてならない。

 私は先日、愚痴のようなものをある日記に書いた。その日記の内容に対し、多くの方たちからコメントをいただいた。私の鏡になってくださった方たちのおかげで、自分がどうしてそれほどまでにネガティヴな感情を抱えてしまったのかが理解できた。そうしたやりとりに目を通してくださった方が、こういう日記(書き手のネガティヴな感情が表現された日記)に、これだけコメントがつくのも珍しいと言ってくださった。そのとき私は、ホームページの掲示板での交流を思い出したのだ。

 ご存知のように、私は、掲示板での交流が大好きだ。掲示板での交流は、人を介するごとに、一つの話題から話題へと、どんどん枝分かれして行く喜びがある。そして、枝分かれした枝をじっくりと眺め、味わうこと。それが、掲示板の一番の醍醐味である。例えば、りさちゃんが蒔いてくれた「即是空」というスレッドの種がある。このスレッドの種は、いろいろな人たちが育て、今では百五十もの葉っぱを身につけている。更に驚くべきことだが、この木は今なお成長し続けているのだ。自己満足だと思われるかもしれないが、自分のサイトでこのような交流が実現できていることが、私はとてもうれしいのだ。

 ブログのコメントでは、なかなかそのような交流が実現できない。だから、私は「ガンまる日記」のコメント機能をOFFに設定させていただいている。もちろん、毎日書き綴る日記に対し、コメントの返信がなかなか追いつかないであろうことも理由の一つである。

 引用レス式のコメントに慣れているせいか、私は、ブログのコメント欄では物足りないと感じてしまう。私から見ると、ブログのコメント欄に書き込まれるのは、ポジティヴなことばかりのように思えてしまうのだ。書き手と余程親しくない限り、読み手はいつも、ノー! の気持ちをそっとしまい込まなければならない。また、次々に新しい記事を綴って行きたいであろう書き手の気持ちを考えると、例え書き手からコメントの返信をいただいたとしても、過去の記事の内容をいつまでも引きずるかのように、更なる返信を書き込むことも気が引けてしまう。

 しかし、引用レス式の掲示板における対話では、相手のイエスとノーが明るみになる。どんどん明るみになって行くことを楽しみにしているために、一方では、引用レス式の形を取らずに、相手のコメントから、自分が書いた内容が思い切り削られてしまっていると、ひどくがっかりしてしまう。そのような方式で書き込まれたコメントは、「あなたの話を聞きましたよ」というモードではなく、「私の話を聞いてください」というモードで書き込まれていることが多い。そうなると、今度は相手の言葉を受け続けるのが苦しくなってしまい、言葉が停止してしまうのだ。男女の愛も、コミュニケーションも、双方向でなければ持続させられないのである。

 そういう意味で、百五十もの葉っぱをつけたスレッドは、双方向のコミュニケーションが成立していると言える。そして、双方向の喜びを知った人が返信を書き込んで、次々に新しい葉っぱが芽吹くのだ。何と素晴らしい春だろう。

 自分の発信した言葉を誰かが受けてくれて、その材料を元に、更なる意見を加工して、次々に繋がって行く言葉たち。「しりとり」で「ん」を言うと、そのしりとりはおしまいになってしまうが、掲示板で「ん」を出さないコツは、「あなたの話を聞きましたよ」というモードで対話を続けて行くことだと思う。ちょうど、家庭科で習った半返し縫いのように。

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2006.03.22

奈良井宿

 松本から中央本線に乗り、途中の奈良井(ならい)で降りた。ここには、奈良井宿(ならいじゅく)と言って、中山道の古い宿場町がある。

 三月も下旬に入ったというのに、外では雪が降っていた。ちらつくどころではない。まるで、吹雪のように横から吹き付けて来る。私たちは雪の中、古い宿場町に向かって歩いた。その古い町並みと雪に誘われて、蓑(みの)でもかぶって歩きたい気分だった。

 奈良井駅を降りた私たちの視界に入って来たのは、まるで時代劇のセットのような宿場町だった。町の至る所に、かつての旅人たちが喉を潤した水飲み場がある。自家用車も鉄道もなかった時代には、人間の足で歩いて旅をしていた。だから、遠くに宿場町の明かりが見えて来たとき、旅人たちは、安堵の息を漏らしたことだろう。道端に自動販売機もなかった時代のことである。宿場町に着いたら、すぐに喉の乾きを潤したくなったに違いない。

 今ではわずか数時間で移動できる距離を、昔は何日もかけて移動していた。だからおそらく、当時と現代では、時間の概念がまったく異なっているはずだ。現代は、便利になった分だけ、あらゆることがどんどんスピードアップしている。そのために、人々は処理の遅いものを待てなくなってしまった。速くて当たり前の世の中になってしまったのである。これは、ある意味、不自由と言えるのかもしれない。便利さの代償として、私たちは、遅いものを待てないという不自由さを手に入れたのである。

 そんな時代だからこそ、青春18きっぷの旅が特別な意味を持って来る。一つ一つの場所に留まる時間が長いということは、それだけ多くのものを吸収するチャンスに恵まれるということだ。

 奈良井宿を出発した私たちは、中央本線を名古屋方面へと向かい、多治見から美濃太田まで太多線を経由したあと、高山本線に乗り換え、岐阜で夕食を取った。そこから東海道本線に乗り換え、二十三時過ぎに住み慣れた我が家に帰宅した。十時過ぎに上諏訪を発ってからおよそ十三時間の旅だった。各駅停車の旅といえども、まだまだ徒歩には及ばない。

※まだ、全部まとめ切れていませんが、下諏訪で撮影した写真の一部です。奈良井宿についても、そのうちまとめてご案内します。

諏訪湖 時の科学館 儀象堂
諏訪大社下社秋宮

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2006.03.21

生きているということ

 朝起きて、旅館のおいしい朝食をいただいた。朝食は、たくさんのおかずが少しずつ皿に盛られ、一度の食事でいろいろな種類の栄養分を身体に取り込むことができた。これまで幾多の旅館に宿泊して来たが、ここまで手の込んだ朝食は初めてだった。私たちは喜びの声をあげながら、出されたお料理を残さずきれいにいただいた。

 お世話になった旅館の部屋にありがとうを言ってチェックアウトしたあと、列車の時間が迫っていたので、私たちは上諏訪駅まで大急ぎで歩いた。実は、出発直前に、ガンモの小銭入れが見当たらず、部屋中あちこち探し回っているうちに、時間が過ぎてしまったのだ。結局、小銭入れはガンモのリュックの中から見つかったのだが、乗ろうと思っていた列車には乗り遅れてしまった。

 帰りは特急「しなの」ではなく、青春18きっぷでトロトロ帰る予定だったので、少々時間がずれ込んでも問題はないと思い、私は、
「足湯に入ろう」
と、ガンモに提案した。上諏訪駅構内には、足湯が設置されているのである。もしも予定していた列車に間に合っていたら、足湯に入ることのないまま上諏訪を発ってしまうところだった。
「それはポジティヴな考えだねえ」
とガンモが賛同してくれたので、私たちはすぐさま靴下を脱いで、足湯につかった。足湯の温度は少し熱めだったが、熱いお湯に慣れている私たちにはとても心地良かった。

 旅館から上諏訪駅まで歩いたときに、ガンモと手を繋いで歩いたのだが、私の手よりもガンモの手のほうが温かかった。そのとき私は、生きているということは、体温を感じることだと思った。私は、ガンモの体温を感じられる喜びにひたっていた。ガンモが顔にしびれを感じたことで、心に不安がよぎっていたのだ。ガンモのこの手の温かさをいつまでも感じていたいと思った。

 足湯は、私たちの身体を芯から温めてくれた。足湯から上がってしばらく経っても、そのポカポカ感はなかなか冷めることがなかった。生きているということは、温度を感じ続けることだと実感した。

 実はこの足湯、昔は男女別々の露天風呂だった。かつての上諏訪駅には、駅のホームの中に露天風呂があったのである。もちろん、露天風呂と言っても、駅を利用する人たちに丸見えになってしまうような露天風呂ではない。簡単に言えば、利用する人が心許なくなるくらいの露天風呂だった。利用するときは、ホームとの仕切になっているついたてが倒れてしまわないだろうかとか、突然、男の人が入って来やしないだろうかといったような、びくびくした気持ちが伴ったものだった。

 近年、男女別々の露天風呂が現在の足湯に改造され、かつて露天風呂だった頃よりも、多くの人たちに利用されているようである。足湯を訪れる人たちが記入するノートが設置されていたので、私もコメントを書き込んでおいた。

 足湯で身体がポカポカ温まったので、私たちは次の列車に乗り込み、松本へと向かった。そして、松本電鉄を乗り潰したあと、帰路についたのである。この続きは、また明日。

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2006.03.20

最高のパートナー

 「特急しなの」に乗り、塩尻まで出た。そこから普通列車に乗り換え、いったん下諏訪で降り、駅から歩いて十分ほどのところにある時の科学館 儀象堂に足を運んだ。

 ここには、お祭りのときに担ぎ出されるだんじりほどもの大きさのある水運儀象台(水の力で動く時計)がある。少し前に、カメラ仲間の男性が、ここを訪れたときのことを日記に書かれているのを拝見して、是非とも訪れたいと思っていたのだ。水運儀象台では、円状に並べられたお雛様ほどの小さな人形たちが、後方に取り付けられた水車の力で動かされ、少しずつ時を刻んで行く。それらの小さな人形たちは、刻む時の数だけ存在し、時を表す札のようなものを持って立っている。人形たちは、水車の力によって、現在時刻を示す場所までゆっくりと移動するのだ。現代風に言えば、0時から二十三時までを示す人形と、0分から五十九分までを示す人形がそれぞれ上段と下段に並べられていて、それらの人形がゆっくり回転しながら時を刻んでいるという感じである。私たちは、その大掛かりな造りに感動の溜息を漏らした。

 それから私たちは、時の科学館 儀象堂のすぐ近くにある諏訪大社下社秋宮へと向かった。諏訪大社は、全部で四つのお宮があり、そのうち二つが下諏訪にある。私は、諏訪大社下社秋宮に足を踏み入れる前に、諏訪大社下社秋宮の周りの木々たちを観察した。木々の緑はとても美しく、生き生きとしていて、まるで私たちに「おいで、おいで」と呼びかけているかのようだった。そんな木々を見ていると、私はとてもうれしくなって、諏訪大社下社秋宮の鳥居に駆け寄っていた。木々に導かれたのだ。思った通り、たくさんの参拝客が訪れている。彼らもまた、木々に導かれたのだろうか。見ると、出雲大社で目にしたような、大きなしめなわが掲げられている。おみくじを引いたら「吉」と出た。病のことを除けば、ほとんどいいことばかり書かれていた。

 更に、時の科学館 儀象堂の姉妹館である諏訪湖オルゴール博物館 奏鳴館に足を運び、古きよき時代のオルゴールの音に聴き入った。このあとの予定がたくさん詰まっていたため、次第に駆け足モードになる。

 私たちは、元来た道をてくてく歩いて、下諏訪駅を通り過ぎ、今度は諏訪大社下社春宮の前までやって来た。下諏訪にあるもう一つの諏訪大社のお宮である。こちらは、神社全体が日陰になっていたせいか、木々からのエネルギーがあまり感じられなかったため、参拝を見送ることにした。そして、すぐ近くにある万治の石仏に足を運んだ。万治の石仏は、かなり存在感のあるユニークな表情をしていた。故岡本太郎氏がこの石仏をひどく気に入られたそうである。万治の石仏の前には、お供えもお賽銭もなかったが、静かな顔で瞑想されていた。私たちは下諏訪駅まで戻り、再び列車に乗った。

 さて、お料理で言うと、下諏訪での探索が前菜で、ここからがメインディッシュになる。私たちは、下諏訪の次の駅、上諏訪で降りた。そう、上諏訪こそが、かつて私が何度も何度も通いつめた町なのである。これからガンモと上諏訪の旅館に宿泊するのだ。

 久しぶりに降り立つ上諏訪の町。かつての恋人と何度も待ち合わせをした上諏訪駅から旅館まで歩く道のりで、私は次第に感極まって来た。かつての恋人に会うために度々訪れた上諏訪の町を、ガンモと二人で歩いているということに、大きな喜びを感じたのだ。私はガンモに寄り添い、喜びを表現しながら歩いた。果たして、二十年近く前の私が、このような展開を予想し得ただろうか。

 宿泊先の旅館は、諏訪湖からほど近い場所に静かに佇んでいた。外観こそ古びてはいるが、内装はしっかりしていて、手入れも行き届いていた。客室はとてもこじんまりした無駄のない和室で、トイレも洗面所もついていなかったが、置かれている小ぶりな家具や、部屋に埋め込まれた鏡台、窪んだスペースに置かれた目覚まし時計やティッシュケースなどが、その旅館の温かみを表現していた。私たちはこの旅館が一目で気に入った。

 夕食の前に、ガンモと二人で、古い洋館の中にある不思議な温泉、片倉館に入ることにした。ここは、私がかつての恋人と度々訪れた想い出の場所である。浴槽の中に玉砂利が敷き詰めてあり、千人が入れるほどの大きな風呂ということで、千人風呂と呼ばれている。

 最近になって思い出したのだが、片倉館にはラドン室があるのだ。大浴場の中にあるラドン室は、小さな部屋で仕切られていて、四十度くらいのぬるめのお風呂がある。若かった私は、ラドンのありがたさも知らずに、ラドン室のお風呂はぬるいと決め込んでいた。しかし、今ではラドンのありがたさを存分に知っている。ラドン室のぬるいお風呂にしばらく入っていると、次第に熱くなって来た。ラドン温泉に入るのは、三朝温泉の湯治以来、久しぶりのことだった。私は空気中のラドンを吸い込むために、何度も深呼吸をした。

 上諏訪温泉は、温度が熱く、肌がすべすべになる。お風呂から上がると、ガンモも今上がったばかりだと言う。
「ここのお風呂は、これまで入った中で一番、気に入った」
と興奮した口調でガンモが言った。浴槽の中に玉砂利が敷き詰められていることにも驚いたようだったが、お湯の温度もちょうど良かったらしい。ただ、前日の夜になかなか寝付くことができずに四時半くらいまで起きていたというガンモは、湯船につかった途端、顔にしびれのようなものを感じて、慌てて湯船から上がり、ラドン室に行ったのだと言う。急に温まって、身体がびっくりしたのだろうか。ラドン室に行くと、顔のしびれはすぐに収まったそうだ。
ガンモは、
「脳の病気だから」
と言って笑ったが、私は少し心配になった。

 夕食の時間の制限もあって、片倉館ではゆっくりできなかったのだが、ガンモは片倉館がとても気に入ったようだった。

 私たちは、片倉館をあとにして、旅館まで歩いて帰り、食堂で夕食を食べた。夕食はお鍋中心だったが、次から次へとお料理が運び込まれ、私たちはおなかいっぱいになった。

 食事を終えて部屋に帰ると、ガンモは、
「何でだろう。今回の旅は、ものすごくいい感じだね。旅館もいいし、食事もいいし、湯上りの気分も最高にいい」
と言った。ガンモは更に、
「諏訪はとても楽しい。また来るから。スワン(諏訪湖の遊覧船)にも乗ってないし、片倉館も最高だし」
と言ってくれたのだ。私は、再び感極まっていた。こんなふうに、ガンモは、私が大事にしていたものを、どんどん吸い込み、自分の好きなものとして取り込んで行く。例えそれが、かつての恋人との縁(ゆかり)の地であろうとも。ガンモだからこそ、かつての恋人との縁の地で、新しい記憶を作ることができるのだ。そうでなければ、自己愛に満ちて、嫉妬に向かってしまうだろう。嫉妬は愛情不足の象徴なので、裏を返せば、ガンモには私の愛情が十分伝わっていることになる。とにかく、ガンモは私にとって、最高のパートナーだ。

 インターネットで予約したときに、家族風呂の無料券がついていたので、ガンモと二人で家族風呂に入った。家族風呂は、五十分間の貸切で、浴室に鍵を掛けられるようになっている。浴槽の広さは、大浴場よりもずっと小さめだが、二人で入ってもまだ余るくらいの広さだった。おいしいお料理でおなかいっぱいになったあと、無料で家族風呂まで利用できて、私たちは大満足だった。

 旅館といい、片倉館といい、湯上りの心地良さ気といい、私たちは今回の旅の楽しさに完全に酔いしれていた。

 寝不足だったガンモは、布団になるとすぐに眠ってしまった。私は、ネットで顔のしびれについて調べてみた。どうかガンモの感じた顔のしびれが、寝不足や疲労から来るものであって欲しいと願いながら。実は、諏訪大社下社秋宮で引いたおみくじには、「病重し 気をつけよ」と書かれていたのだ。私の病は決して重くはないはずなので、まさか、おみくじを引かなかったガンモへのメッセージが含まれていたりはしないだろうかと心配になっている。

※長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。たくさんの応援クリックにも感謝しています。m(__)m

※この日撮影した写真の一部

諏訪湖 時の科学館 儀象堂
諏訪大社下社秋宮

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2006.03.19

新しい記憶を作りに

 月曜日に休みを取って、四連休にしている。前半の二日間は自宅でゴソゴソ、後半の二日間はまたまたガンモと二人で旅行に出掛ける予定だ。

 四連休の一日目は、運営しているサイトの構成を変えるために、既に公開しているいくつものファイルに手を加えた。ここしばらく、サイトにはまともに手を入れていなかったせいか、知らぬ間にとてもわかりにくい構成になってしまっていた。これでは、初めて来られた方が迷子になってしまうのも無理はない。迷子になってしまった皆さん、ごめんなさい。

 いろいろなものがバラバラになって存在していたため、それらがうまく繋がるように手を加えた。サイトに手を入れているうちに、こんなわかりにくいサイトにいつも足を運んでくださっている皆さんに対し、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 四連休のニ日目は、サイトの構成をもう少し見直して手を加えたあと、レンタルしていたDVDを三本、立て続けに観た。サイトの構成変更と言い、DVDを三本も観たことと言い、今の私は充実感に溢れている。

 さて、四連休の三日目から旅立つ場所は、かつての私の縁(ゆかり)の地である。大学生の後半からの数年間、私は中距離恋愛をしていた。当時の恋人に会うためにしばしば出掛けていた場所を、ガンモと一緒に訪れるのだ。

 実は、ガンモと結婚してから、何度かその場所に足を運んだことがある。しかし、その場所を訪れると、ガンモに対して何となくぎこちなく振舞ってしまい、自分でも不自然だと感じていた。決して、当時の恋人に対して未練が残っているわけでもないのに、どういうわけか、自然に振舞うことができなかったのだ。当時の恋愛について、ガンモに対してオープンになれず、自分だけの世界に引きこもってしまっていたのである。

 しかし、ここに来てようやくオープンになれそうな気がして来た。そして、今度の休みにその場所を訪れようと、私の方からガンモに提案したのである。ガンモはそれに同意してくれて、プランまでしっかり立ててくれた。私は、ガンモと一緒にその場所を訪れることを想像すると、何だかわくわくして来た。もはや、かつてのように、過去の記憶に対してオープンになれなかった私ではない。ガンモと一緒に、その場所で新しい記憶を作ろうと思っている。

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2006.03.18

差別について

 私たちは夜寝る前に、ベッドの上でそれぞれお互いの好きな本を読む。私はグリム童話系の漫画、ガンモは鉄道雑誌を読んでいる。

 あるとき私は、『グリーングリーン』というタイトルの漫画を読んだ。それは、奴隷解放宣言がなされて間もない時代の黒人の男の子デニスと白人の女の子マギーのはかない恋物語だった。子供の頃から相思相愛だった二人は、大人たちの目の届かないところで何度も何度もキスをする。そして、マギーが十五歳になったとき、二人は肉体的にも結ばれることになる。何もかもが幸せで、その幸せがずっと続くと二人は思っていた。しかし、それからほどなくして、マギーがデニスに冷たく別れを切り出し、二人は別れてしまう。

 デニスは、マギーの突然の心変わりに納得できず、しばらく絶望のどん底に突き落とされてしまうのだが、そんな彼に追い討ちをかけるような事件が起こる。それは、デニスの父親が、いわれのない白人殺しの罪で捕らえられ、遺体となって帰宅したことだった。遺体には激しい拷問を加えたあとがあったが、警察は、
「お前の父親は刑務所内で首を吊った」
とデニスに言った。デニスは深い悲しみに打ちひしがれながらも大学に進学し、やがて同じ職場で知り合った黒人の女性と結婚する。

 時は流れ、デニスの息子が結婚することになった。何と、相手は白人女性だと言う。デニスはマギーとの別れで背負った古傷を思い出し、あんな悲しい思いを息子にだけは体験して欲しくないと、息子の結婚に反対するのだが、友人の勧めもあって、ようやく白人女性との結婚を承諾する。そして、結婚式会場で、新婦側の親戚として結婚式に参列したただ一人の女性、マギーと何十年ぶりかの再会を果たすのだった。マギーは、新婦の叔母だったのだ。

 デニスとの再会に、涙を流しながらマギーは言う。
「黒人男性との結婚を反対する声もあったけれど、反対したら、私のように一生独身で過ごすことになるわよと脅してやったのよ」
と。

 十五歳だったマギーは、デニスとの交際をやめなければ、デニスを殺すと兄に脅され(当時は、白人が黒人を殺しても、捕まることはほとんどなかった)、泣く泣くデニスとの別れを決意したのだった。そんなことも知らないデニスは、マギーは心変わりしてしまったものと思い込み、長い間、ずっと失恋の痛手を背負っていたのだった。しかし、デニスとの別れが辛かったマギーは、生涯誰とも結婚することなく、独身を貫いていたのだ。

 デニスとマギーの再会のシーンで、私はビービー泣き、隣で静かに鉄道雑誌を読んでいたガンモを驚かせた。

 私は昔から、こうした差別に強く反応してしまう。かつて、『アンクルトムの小屋』を読んだときも、どれだけビービー泣いたことだろう。

 日本にとって、奴隷制度はそれほど身近な問題ではないかもしれない。しかし、私たちの出身地である四国では、今なお部落差別が強く根付いていて、住んでいる地域や苗字などを気にしている。部落差別などと言っても、大都市で暮らす人たちにとっては、きっと無縁のことだろう。しかし、四国では、まだ確実にその差別が残っているのだ。

 被差別部落の人たちは、今でも部落を作って固まって住んでいる。被差別部落出身というだけで、大企業には就職できないという。所得が低いために、市などから格安の家賃の家を提供してもらっていたりする。結婚についても、部落差別のない地域の人とのお見合い話を進めたりする。

 学校でも、部落差別をなくそうとする教育は行われている。しかし、現実的には形式的なものにしか過ぎない。だから私たちは子供ながらに、世代が変わらなければ差別は決してなくならないと語り合って来た。

 私は、部落差別をする大人たちが大嫌いで、大学生のとき、法事のために親戚一同が集まる席で、頭の固い大人たちを相手に大喧嘩したことがある。結婚相手をちゃんと選べと大人たちに言われ、そんな差別はそろそろやめなければならないのだとしきりに力説した。しかし、頭の固い大人たちは、
「それはいかんのよ」
の一点張り。一体、何がいけないのか、ちっとも理由になっていなかった。私は、男女が愛し合って結婚することが最も大切なことであり、部落出身かそうでないかは関係ないのだと反論した。しかし、大人たちはどこまでも頑固だった。議論にならない対立を繰り返し、とうとう私は、
「もう東京に帰る」
と言って席を立ち、駅までの遠い道のりを一人でずんずん歩いた。しかし、両親に車で先回りされ、保護されてしまった。それからしばらくは、親戚の人たちの誰とも口をきかなかった。

 田舎で行われている部落差別は、ただ単に、差別をしないことで、自分が仲間外れにされるのを恐れていることが原因だ。だから、一人一人を相手に根気強く説得して行けば、必ず差別はなくなるはずだと私は思う。今は、ネガティヴな方向での連帯感が強いので、これをポジティヴな方向に向けて行けばいいのだ。しかし、誰も率先してそれを実践しようとはしない。おそらく、学校の先生でさえも、学校という職場を離れてしまえば、同じ頭の固い大人だ。田舎の人たちは、とにかく保守的で、これまでのやり方を変えたがらないのだ。

 もともと、何故、差別が根強く残っているかというと、内側と外側という意識があるからだと思う。内側を固めることにより、外側(外敵)に立ち向かう団結力を高める方向へと動いて行く。ここで言う内側とは、差別をしている人たちのことで、外側(外敵)とは、被差別部落の人たちのことである。つまり、内側が仲良くするために、被差別部落の人たちが悪者として利用されているだけなのである。

 私はしばしば、この手の団結力を、スポーツとリンクさせてしまう。だからだろうか、いつまで経ってもスポーツ観戦が好きになれないのは。

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2006.03.17

九星気学について

 以前、私のパワーダウンの原因について、Mさんという方が、「旅行に出掛けている方位が悪いのでは?」という内容のメールを送ってくださった。電子メールという性質上、なかなかお返事できないままに時が過ぎてしまったのだが、ガンモの憂いを読んでくださったMさんが、ガンモのハワイ行きを心配してくださり、「今年のハワイは日本から見て東の方向に当たるので、災いをもたらす」と再びメールしてくださった。今日は、Mさんへのメールのお返事に代えて、記事を書かせていただこうと思う。

 その前に、Mさんからのメールとは直接関係がないのだが、今年のハワイが日本から見て好ましくない方向にあるというメルマガを見つけたので、ご紹介しておきたい。

九星気学運気予報

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Mさんへ

 再度に渡るメールをいただいているにもかかわらず、お返事も書けずに申し訳ありません。プロフィールにも書かせていただいております通り、メールよりも掲示板での交流に重点を置かせていただいているため、個別でいただくメールにはなかなか返信できない状況にありますことをご了承ください。

 Mさんからご紹介いただいた九星気学のページ、少しだけですが、拝見しました。しかし、率直に申し上げますと、私が村上春樹さんのファンであったときに『シドニー!』という紀行文を読み進めることができなかったのと同じように、九星気学に関しても、私の中になかなか入って来てはくれませんでした。結果がどうであれ、九星気学を生活の中に取り入れるかどうかは、まったく好みの問題であると感じました。

 更に、精神世界的に見て、凶となる方位を避けて通ることは、魂の成長を遅らせることになりはしないかという考えもあります。九星気学は占いとは異なるという考えがあるにしても、例えば自分が東に行きたいと思っているのに、東の方位は凶だから、わざわざ行かない選択をするのは、弱虫だと思うのです。その方法を取り続けていては、凶の方位を選択することによって身に降りかかる災いを、いつまで経っても克服できません。

 また、人生には「流れ」があると思います。「流れ」は、心地良いこともあれば、心地良くないこともあると思っています。凶となる方位を避けながら生きて行くことは、常に心地良い流ればかりを選択し続けることになろうかと思います。そういう生き方で、果たして本当に幸せを実感できるのでしょうか。私は、人生の半分しか楽しめない気がします。

 何故なら、苦を体験してこそ、楽のありがたさを実感できると考えているからです。人生から苦を取ってしまったら、楽を心から楽しむことができるでしょうか。私は、できないだろうと考えます。

 もう一つ疑問なのですが、九星気学的に吉の方位を選択するということは、自分の意志とは無関係に動くということなのでしょうか。例えば、行きたい方位があっても我慢して行くのを取りやめ、それほど気の進まない吉の方位を選択することになるのでしょうか。それは、好きでもない人と結婚する行為に似ているような気がします。

 また、凶の方位を選択したことによって降りかかる災いを、方位の選択のせいにしてしまうのではないでしょうか。それでは、ものごとの本質を見極められない気がしてなりません。

 ご存知のように、私たち夫婦は日本全国、ありとあらゆる場所を旅しています。旅先ではいろいろなハプニングが起こりますが、例えそれがとんでもないハプニングだったとしても、「流れ」に逆らうことなく、弱虫にならなかった自分たちを褒めてやりたいと思います。例えば、日本三景の一つ、天橋立に足を運んだのに、あいにくの雨でした。それでも私たちはいいのです。方位にこだわって、「流れ」を不自然にしたくありません。

 ガンモのハワイ行きも、「流れ」によって決まったことですし、九星気学に従って、予定を変更するつもりもありません。そのような「流れ」になったのは、私たちにとって、何か必要な学びが用意されているからなのでしょう。

 ただ、もしも本当に、ガンモの身の上に、取り返しのつかないほどの災いが降りかかるのだとしたら、私はそれをキャッチできるパートナーでありたいと思います。それがキャッチできないでいる間は、耐えられる範囲内の災いだと思って、避けることなく受けて行きたいと思います。

 以上が、九星気学に対する私の考えです。いつも「ガンまる日記」を読んでくださっているのに、Mさんお勧めの九星気学の考えに添えなくて申し訳ありませんでした。

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 さて、ハワイが凶の方位に当たることをガンモに話したところ、ガンモからこんな言葉が返って来た。
「なあに言ってんの。東に行ったとしても西に行ったのと同じなんだよ。だって、地球は丸いんだから」
私はガンモを抱きしめ、すりすりした。

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2006.03.16

ガンモの憂い

 来月、ハワイに行くことになっているガンモだが、会社からのせっかくのご褒美を、どうやらあまりは喜んで受け取りたがっていないように思える。外資系の会社に勤務し、私よりも英語が達者なガンモであるはずなのに、自分の英語力が心配だと言うのだ。ハワイでは日本語が通じると聞いているし、私だって、独身時代にヨーロッパに海外旅行に行ったときは一人で出掛けたし、実際に行ってみれば何とかなるものだとガンモを励ましている。とは言え、英語のことだけでなく、同じ会社の人たちと言ってもまったく面識のない別の支社の人たちばかりであることが憂いの原因の一つにもなっているようだ。

 ハワイでのオプショナルツアーの申し込みの締め切りが迫っているそうだが、ハワイに慣れた人たち向けのツアーらしく、ガンモにはあまり魅力を感じられないと言う。営業成績の良い営業担当などは、毎年のように、会社からこのご褒美を受け取っているらしく、企画されているオプショナルツアーも、そうしたハワイ慣れした人たち向けのツアーになっているらしい。

 私は、独身時代に沖縄でシュノーケリングを体験したことがあるので、ガンモにハワイでシュノーケリングをしたらと推薦した。シュノーケリングでは、美しい海を泳ぐ美しい野生の魚たちを間近に見ることができる。そうした経験は、私の中にずっと根付いているので、ガンモも私と同じ記憶を刻み付けるチャンスがあるのなら、是非とも体験して欲しいと思うのだ。しかし、ガンモは、シュノーケリングに対しても消極的な様子である。水着になるのがイヤなのだ。
「ハワイはね、海しかないの」
とガンモは言う。
「当たり前だよ」
と、漫才みたいな応答で、私が言葉を返す。
「カメラ、持って行くでしょ?」
と尋ねても、
「面倒だから持って行かない」
とガンモは言う。とにかく、何から何まで消極的なのだ。

 「まるみがいればなあ」
と、ガンモがボソリと言った。できれば、私もガンモと一緒にハワイに行きたい。しかし、今回は難しい。私は、年末年始にかけて、一人で三朝温泉に湯治に出掛けたときのことを思い出した。あのとき、私たちは、離れ離れになったことで、ひどい精神的なダメージを受けた。今度はガンモがしばらく家を不在にする。しかも、高速バスに数時間乗れば会える距離ではない。実際にそのときになってみないとわからないが、あの寂しさを乗り越えて来た私たちだから、今回のガンモの不在は、寂しさには負けないでいられそうな気がしている。

 不思議なことなのだが、ガンモの出発日は、半年に一度の私の検診日に当たっている。私は、その日は休みを取る予定でいるので、夜に出発するガンモを関西国際空港まで見送りに行くことができる。果たして、私はどんな気持ちでガンモの乗った飛行機を見送るのだろう。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m しばらく悩まされていた倦怠感から解放され、またアクティヴになりつつあります。どうやら、身体を休ませないことがコツのようです。(^^)

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2006.03.15

格好悪いサラリーマン

 ホワイトデーの前日、仕事帰りに雑貨屋さんの前を通りかかると、雑貨屋さんにはあまりふさわしくなさそうな集団が店内を物色しているのが見えた。スーツを着込んだサラリーマン集団である。

 私はその雑貨屋さんをしばしば利用しているが、これまでただの一度も店内でスーツ姿のサラリーマンを見掛けたことはなかった。おそらく、ホワイトデーを翌日に控え、お返しの品を探しに来ていたのだろう。しかし、数人で連れ立ってやって来て、何だか格好悪い。そもそも、スーツ姿というのが雑貨屋さんにそぐわないというのもある。何よりも格好悪いのは、彼らがポケットに手を突っ込んだまま店内を物色しているところだ。そうした態度からも、女性の好みそうな商品を多く扱っている雑貨屋さんにわざわざ出向き、ホワイトデーの品を探すことに対して、かなり消極的な姿勢であることがうかがえる。どうせ選ぶのなら、もっと楽しみながら積極的に選んで欲しいものである。むろん、彼らにとっては、手っ取り早いコンビニで済ませてしまわずに、わざわざ雑貨屋さんに出向いたというだけでも積極的な態度を示していることになるのかもしれないが。

 これが、ホワイトデー前日でなく、しかも、サラリーマン一人だけでやって来て、ポケットにも手を突っ込まず、真剣な目つきで商品を選んでいるのだとしたら、大変好感が持てる。「ああ、本命へのお返しなのね」と、にこやかに微笑むことだろう。しかし、集団でやって来て、ポケットに手を突っ込んだままお返しの品を物色するのは、彼らを格好悪くするだけだ。ということはつまり、女子社員の渡す義理チョコが、サラリーマンを格好悪くしているということなるのである。

 バレンタインの義理チョコには、賛否両論あることだろう。しかし、どうせ賛成するなら、チョコを選ぶのも、お返しを選ぶのも、もっと楽しく生き生きとしようではないか。

※皆さん、いつも応援クリックを本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.03.14

菜の花

 ガンモの仕事が休みだったので、仕事帰りに近所のスーパーでガンモと待ち合わせをした。日頃の野菜不足を解消しようと、野菜コーナーに足を運んでみると、菜の花が大変お買い得になっていた。菜の花好きの私は、迷わずそれを取って、買い物かごに入れた。

 帰宅して、菜の花を水洗いしたあと、おなべに移して水を加えて少しゆでた。ほど良い具合にゆで上がった菜の花を、私はお皿に盛りつけて食卓に出した。食卓と言っても、諸事情により、我が家の食卓はベッドの上である。私たちは、ほど良くゆで上がった菜の花に、カロリー1/2のマヨネーズをつけてパクパク食べた。

 お皿に盛りつけた菜の花がそろそろ底をつきかけた頃、菜の花を盛っているお皿の下に菜の花の汁が溜まって来ているのが見えた。それはそれは、おびただしいほどの汁の量だった。私はそれを見て、ガンモに言った。
「ゆでた菜の花、とても熱かったから、水分を絞り取らなかったんだよね」
「知ってる」
ガンモは即座に答えた。

 なあんだ、ガンモも気づいていたのか。本当は、ゆでた菜の花の水分を絞り取るべきものだということを。そのことに気づいていながら、ガンモも私も、水分をたっぷり含んだ菜の花を黙々と食べ続けていた。

 こんなことに、いちいち目くじらを立てようとしないガンモを、ああ、愛だなあと実感する私であった。

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2006.03.13

小学校

 小確幸の記事を書いた直後から、小学校の記事を書こうと思っていた。何故って、単にゴロが似ているからである。小学校と言えば、以前、松組と竹組という記事を書いたことがある。都会育ちの方は驚かれるかもしれないが、私たち夫婦は、小学校のクラス編成が松組、竹組という二クラスしかない環境で育って来た。小学校のときはそれが当たり前だったのだが、田舎を離れてから、とても珍しいクラス構成であることがわかった。私たちは、珍しいクラス編成の者同志で結びついたわけである。

 小学校というと、まず最初に思い出すのがドッジボールだ。休み時間は、とにかくドッジボールに明け暮れていた。敵をやっつけると命が増えるという闘志の湧いて来るルールや、スピードの速いボールを全身で受け止めたときの快感が甦って来る。

 東京で社会人になったとき、勤めていた会社の行事でドッジボールをしたことがある。そのとき驚いたのは、コートの横の部分にも攻める人が立っていたことだ。私の通っていた小学校では、コートの縦の部分にしか人が立たなかった。コートの四方八方を敵に囲まれると、コートの中に居る人たちはものすごい運動量になる。松組、竹組のクラス編成といい、外の世界を知ることで、これまで当たり前だったことがどんどん崩されて行く。こうして私たちは、自分がいかに狭い世界で生きていたかということを思い知らされるのだった。

 小学校でもう一つ思い出すのが、耳鼻科通いだ。私は小さい頃から耳と鼻が悪く、すぐに中耳炎になってしまうので、小学校のプールの授業はほとんど見学していた。母は私が中耳炎になる度に、隣の市にある(現在は合併して同じ市になったが)耳鼻科に連れて行ってくれた。そこは先生が名医だったのか、いつ行ってもひどく混んでいた。母は、診察の順番を取るために早朝から一人で車を運転して出掛け、ひとまず順番を取ったあと、帰宅してから再び私を連れて隣の市まで出向いてくれた。

 そうして母が順番を取ってくれても、耳鼻科の順番待ちは何時間もかかった。母はやがて、私の幼稚園時代からの男の子の友達や、習字の塾で知り合った男の子も誘って、耳鼻科通いをするようになった。当時、車の運転免許を持っている女性が少なかったこともあったと思う。私は、母の運転する車の中で、母の苦労も考えず、男の子たちと元気にはしゃいでいた。

 どういうわけか、私は今、これを書きながら、目に涙をいっぱい浮かべている。子供の頃、母は私を良く叱った。しかし、毎日のように隣の市まで子供を連れて耳鼻科に通うという苦労を、母は私のために少しも厭わなかったのだ。順番待ちの時間を少しでも短くするために、わざわざ早朝から耳鼻科に出掛け、一日二往復もしてくれたのだ。更に、あれほど混み合っていた耳鼻科の先生も、毎日さぞお疲れのことだったろうと思う。

 ひどく混み合った耳鼻科の待合室は、小学生だった私の最も象徴的な記憶なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.03.12

小確幸

 小さいけれども確かな幸せ、小確幸(しょうかっこう)。ハルキスト(村上春樹ファン)にはお馴染みの言葉である。

 何を隠そう、私は昔、ハルキストだった。村上春樹さんの小説およびエッセイのほとんどを読みあさっていた。しかし、『シドニー!』というシドニーオリンピックを題材にした紀行文が出版されたとき、彼の作品を読み続けることができなくなってしまった。スポーツを題材にした文章は、どうしても私の中に入って来ないのである。同じハルキスト仲間に、『シドニー!』は、スポーツを抜きにして読める作品だと推薦されたのだが、どう頑張っても読むことができなかった。それで、とうとうハルキストであり続けることを断念したのである。

 さて、小確幸という言葉を持ち出したのは、最近の私の小確幸について書き留めておきたかったからである。掲示板にも書かせていただいたのだが、ここのところ、ひどい倦怠感に悩まされ、何をするにも重い腰が上がらない。ちょうど、村上春樹氏の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に登場するような「虚無がやって来る」感じである。おそらく、成長し過ぎた子宮筋腫のせいだろうと思われるが、身体全体が極度の鼻づまりのような状態なのである。そこで、かつてハルキストだった頃に使っていた小確幸という言葉に救われてみようと思ったのだ。

 まずは、小確幸その1。百円均一のお店で温かそうな自転車用サドルカバーを買った。そのカバーを付けると、私の自転車は世界一のサドルになった。まだ少し肌寒いこの季節に、自転車に乗ることがすっかり楽しくなった。

 小確幸その2。先日、四つ葉のクローバーとハートを持ったカエルのマスコットを買って、普段持ち歩いているポシェットに取り付けてみた。カエルやカメのマスコットは私を癒してくれるのである。ところが、付けたばかりのこのマスコット、通勤の途中に落っことしてしまった。どうやら、チェーンが外れてしまったようである。はてさて、また同じものを買い求めるか、通勤の途中に目を凝らして探し回るか、どうしよう。

 小確幸その3。春が近づいて来たので、Yahoo! のアバターを更新してみた。90円ちょっと払って、カメラなんかをぶら下げてみた。

 小確幸その4。デジカメで撮影した写真にコメントを付けてWebで紹介すること。既にあちこちのサイトで実現しているが、実は、これがかなり楽しい。写真を撮ること自体も楽しいのだが、驚きに目を見張るような面白い写真を撮影すると、公開したくてたまらなくなって来る。

 小確幸その5。そう言えば、独身時代は、お風呂のないアパートに住んでいたので、部屋にお風呂を自作していた話を、以前、ここに書いたと思う。そのお風呂に入ることもなかなか小確幸だったのだが、通勤の途中に銭湯の煙突を見つけては途中下車して、その銭湯に入って帰ることも小確幸だった。実は、代謝率を高めるために、サウナを利用しようと考えていて、この小確幸をまた復活させたいと思っているところだ。

 小確幸その6。月に一度の定退日。この日は、かなりうれしい。正々堂々と定時に仕事を上がることができる。小確幸どころか、大確幸かもしれない。

 小確幸その7。図書館。先日、月に一度の定退日に、二十時まで開いている県立図書館に寄ってみた。本に囲まれた静かな環境に机と椅子があり、とても幸せだった。

※ハルキストだった頃に私が作った村上春樹クイズです。我こそはハルキストだと自負される方は、どうぞお試しください。

村上春樹クイズ(初級編)
村上春樹クイズ(中級編)

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。皆さんの応援に救われております。m(__)m

※私の身体は、動かさずにじっとしているよりは、むしろ動かしたほうが良いみたいです。

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2006.03.11

おたまアニメ

 私たちが東京に行くと、毎回、顔を合わせているカメラ仲間のご夫婦がいる。とても仲の良いご夫婦で、「ガンまる日記」でも何度かご紹介させていただいている。

 そのご夫婦の片割れの奥さん、Rちゃんが、最近、おたまの作成にはすっかりまっている。おたまとは、毛糸で編み上げるおたまじゃくしのことである。詳しくは、おたまオフィシャルサイトをご覧あれ。

 Rちゃんの綴る日記には、毎日のように新しく生み出されたおたまの写真が登場している。おたまを公園に連れて行ったり、春を予感させてくれる風景とともにおたまをさりげなく写し込んだりしている。Rちゃんの作るおたまには、それぞれ顔があり、その表情がたまらなくいいのだ。

 そんなおたま好きのRちゃんを、彼女のご主人さんのHさんが優しくサポートしている。どんなサポートかと言うと、「おたまアニメ」と題する動画を作成し、Web上で公開しているのだ。これだけ読むと、ふうん、と思うかもしれない。しかし、動画を作成するということがどんなことか、想像がつくだろうか。

 動画と言うと、簡単に歴史を振り返れば、一九六〇年代に流行した8ミリカメラがある。フジカシングル8などが有名であるが、この頃の8ミリカメラにはシャッターが付いていて、撮影ボタンを押し続けている間、カシャカシャと音を立てていた。その音は、一コマ撮影するごとに、シャッターが開いたり閉じたりする音だったのである。だから、撮影が終わった8ミリフィルムを現像すると、同じようなショットが連続して写し込まれている。このフィルムを再生することで、パラパラ漫画のような動画が出来上がっていたのである。

 現代のデジタル式のムービーは、このような一コマ式の作りではなく、おそらく、シャッターのようなものがずっと開放されたままの状態にあって、録画ボタンを押し続けている間は録画できるという仕様になっているのだと思う。つまり、一コマ一コマ撮影しているわけではない。

 実は、Rちゃんのご主人さんのHさんは、デジタル式のムービーではなく、昔の8ミリカメラの愛好家でもある。それが影響しているかどうかはわからないが、Hさんは、Rちゃんの作ったおたまを、昔の一コマ一コマの撮影を再現するかのように、おたまの位置を少しずつずらしながらデジタルカメラで撮影し、撮影したそれらの写真をパラパラ漫画のように組み合わせて、いくつもの動画を作り上げたのだ。

 簡単に書いてしまったが、これは、並大抵の根気で実現できるものではない。皆さんも想像して欲しい。一枚の写真をデジタルカメラで撮影するとしよう。しかし、それは単なる静止画でしかない。これを動画にするためには、同じようなアングルでほんの少しだけおたまの位置をずらした写真を何枚も何枚も撮影し、それらを順番通りに連続再生するしかけを作る必要があるのだ。それは本当に骨の折れる作業だと思う。自らの喜びでなければ実現できない。一枚撮影したら、おたまの位置をほんの少しずらしてまた撮影。その繰り返しなのだ。それでも、Hさんは、Rちゃんの作ったおたまを動画にして、「おたまアニメ」と題してWebサイトに公開した。

 私は最初、この動画を鑑賞するためのソフトを自分のパソコンにインストールしたくなくて、どうしたものかと躊躇していた。細かい事情を話せば、Hさんの作成した動画を参照するには、QuickTimeというソフトをパソコンにインストールしなければならない。しかし私は、趣味でmidiを作成している関係で、QuickTimeを自分のパソコンにインストールしたくなかったのだ。何故なら、QuickTimeをインストールすると、midi再生の環境設定を勝手に上書きしてしまうため、自分の意図する音でmidiを再生できなくなってしまうからだ。(midiの再生音は、外部音源を使用したとしても、midiを再生するソフトと音源に依存する)

 しかし、何とかして「おたまアニメ」を鑑賞したいと思い、QuickTimeをインストールしなくても動画を鑑賞できるツールをネットで検索してみた。そして、ようやく見つけたのだ。私は、Hさんの作成した「おたまアニメ」を一つ一つダウンロードし、そのツールを使って動画を再生してみた。再生してみて、とにかく驚いた。こんな骨の折れる作業を、いとも簡単に、そして楽しく行っている彼らの愛情の深さに。そして、Rちゃんがおたまを作るという楽しみが、Hさんが動画を作るという楽しみと直結している素晴らしさに深い感動を覚えたのだった。

※Hさんの作った「おたまアニメ」は、「おたまアニメ」というキーワードでGoogleを検索すると、出て来るでしょう。他の検索エンジンだと、わかりにくいかも。ただし、「おたまアニメ」を再生するにはQuickTimeが必要です。

※Rちゃん、Hさん、勝手に紹介しちゃってごめんね。(^^)

※いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.03.10

大恋愛

 大恋愛という言葉がある。「だいれんあい」と読む。「大恋愛の末、結婚した」などと使われている。

 ガンモと私は大恋愛だ。しかも、結婚してからも、ずっと大恋愛し続けている。しかし、大恋愛でないというのは、一体どういうことなのだろう。小恋愛、中恋愛という言葉はあまり聞いたことがない。しかし、「しょうれんあい」と入力して変換すると、一回で変換できてしまう。「ちゅうれんあい」は一回では変換できない。

 果たして、小恋愛なんて言葉があるのだろうか? と思い、Googleで検索してみると、私と同じような疑問を持たれた方が、発言小町で質問されていた。こんなことを、誰かに聞いてみたくなる人もいらっしゃるのだなあと思う。

大恋愛ってどんな恋愛?

 ここに書かれている回答を読んでいると、なかなか面白い。恋愛に対して冷めている人もいれば、熱い人もいる。回答を書いた人の、恋愛に対する温度が伝わって来る。

 ちなみに、私の中での大恋愛の定義は、感情が大きく動くことだ。そして、その感情をずっと持続できることである。例え感情が大きく動いても、一時的な恋愛は、大恋愛とは言わない。しかし、大恋愛という言葉は、「大恋愛だったのに」というふうに、過去形で使われることが多いように思う。始まりは大恋愛だと思っていても、蓋を開けてみれば、中恋愛、小恋愛だったということなのだろうか。

 小恋愛は、感情が大きく動くことなく、また、心に残らない恋愛のことであるように思う。しかし、そうすると、中恋愛という位置付けが良くわからなくなって来る。感情が大きく動かないのは、むしろ、中恋愛なのかもしれない。可もなく、不可もなく、という恋愛である。そうだとすると、小恋愛は、互いに傷つけ合い、修復できない関係のことなのだろうか。

 さてさて、皆さんの大恋愛、中恋愛、小恋愛の定義はいかに?

※きのうの記事に、いろいろと反響をいただき、ありがとうございました。m(__)m たくさんの応援クリックに感謝しています。ありがとうございますm(__)m

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2006.03.09

トンネル開通

 半年前に、陽作業員と陰作業員は、「よーい、ドン!」の合図でそれぞれ反対の方向からトンネルを掘り始めた。しかし、その作業は、陽作業員と陰作業員が想像していた以上に厳しかった。あまりもの土の固さに、握っていたスコップはすぐにボロボロになり、陽作業員も陰作業員も力も尽きてヘトヘトになり、トンネルを掘り進めるスピードを落としてしまった。そして、新しい年が明ける頃、とうとう手に持っていたスコップを放り投げ、しばしの休息に入った。それは、二ヶ月にも及ぶ長い休息だった。

 しかし、あるとき、第三者がトンネルの近くまでやって来て、陰作業員の地道なトンネルの堀り方にケチをつけた。通りすがりの第三者は、陰作業員のことなど何一つ知らないのに、
「ここではこんな掘り方がまかり通ってるのか!」
と、陰作業員の掘り方を避難した。たまたますぐ側でそれを見守っていた陽作業員は、それを聞いてたちまち頭に血が昇った。「一体、あんたは、陰作業員の何を知っている?」と、思わず通りすがりの第三者に口出ししたくなった。そのとき陽作業員は、これまでのらりくらりしているとしか思えなかった陰作業員のトンネルの掘り方が、いかにも陰作業員らしい掘り方だったということに気がついたのだ。掘っているのかどうかわからないような、やんわりとした陰作業員の掘り方は、陰作業員らしさを映し出していた。こうして陰作業員らしさに目を向けることができた陽作業員は、その掘り方に陰作業員の魂を感じてひしひしと涙した。どんなにわかりにくくて地道でも、陰作業員は、そうした方法でトンネルを掘り続けることを自らの喜びとしていたのだ。そのことに気がつくやいなや、陽作業員は、陰作業員の使っていたスコップを拾い上げ、陰作業員の担当している作業場で、えっさえっさとトンネルを掘り始めていた。そして、そこで新たなものを発見し、驚きの声を上げたのだった。

 そこには、小さな花がちょこんと咲いていた。作業場を見渡すと、花は全部で三つ咲いていた。あたかも、陰作業員の愛情を受けながら育っているかのように、小さくてもしゃんと咲いていた。陰作業員は、そこでトンネルを掘り進めながら、咲いている花を絶対に傷つけまいと、わざわざ花を避(よ)けながら掘っていたのだ。そのために陰作業員は、のらりくらりと回り道をしながらトンネルを掘っているように映って見えていたのである。

 陽作業員は呆然とした。やがて、どうしたことか、陽作業員の目から、あとからあとから涙が溢れて出て来た。陽作業員はこれまで、見えている範囲でしか陰作業員のことを理解しようとしていなかった。自分の見えていないものが恐ろしくて金切り声を上げ、陰作業員を何度も何度も悪者に仕立て上げた。ただ、自分が怖いだけのために。ただ、自分が受け取りたいがために。しかし、陽作業員の見えないところで陰作業員は、陰作業員の最も好む方法でトンネルを掘り進めていたのだ。陰作業員が選んだその方法には、陰作業員の魂としての生き方が投影されていた。

 陽作業員が再びスコップを手にしたときの感覚は、とても不思議なものだった。二ヶ月近くもスコップを手にしていなかったはずなのに、まるでエクセルの折り畳み機能のように、二ヶ月という歳月がしゅるしゅると縮まったのだ。そして、こうしてスコップを持ってトンネルを掘り続けるという行為が、陽作業員にとっても陰作業員にとっても、ごく当たり前のことなのだと実感した。

 これらのことをきっかけにして、陽作業員の視点は百八十度変わった。これまでの陽作業員は、「陰作業員が○○をしてくれない」という視点で陰作業員を見ていた。しかし、そうではなく、「陰作業員が○○をしてくれた」という視点に変わったのだった。ないものを探そうとするのではなく、そこにあるものに目を向け、大事にするという視点である。視点が変わった途端、いつの間にか陰作業員がスコップを手に持って立っているのが見えた。しかも、スコップを手に持った陰作業員は、これまでの陽作業員の作業場へと回り込み、黙々とトンネルを掘り始めた。トンネルが開通したのは、あっという間のことだった。トンネル開通の秘訣は、視点を変えることだったのだ。

※ようやくログインでできました! 長時間に渡るココログメンテナンス中につき、更新ができませんでした。しかし、メンテナンス終了後も、アクセスが集中したため、管理画面になかなかログインできず、またまた更新できませんでした。ココログの管理画面がバージョンアップ作業を行ったため、その影響が出ているようです。何度もアクセスしてくださった皆さん、申し訳ありませんでした。それにもかかわらず、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いつもいつも感謝しています。m(__)m ようやくトンネルが開通しましたが、開通と言っても、まだほんの小さな穴が開いただけです。(^^; それでもやはり、私にとってツインソウルは、かけがえのない友人です。(^^)

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2006.03.08

不完全

 「ガンまる日記」の管理画面に久しくログオンできない。もともとは、数時間程度のメンテナンスの予定だったのが、メンテナンス時間が長引いて、ようやくメンテナンスが終了したと思ったら、今度はログインできなかった人たちからのアクセスが集中してしまって、ログインできない状態が発生してしまった。おかげで、何時間も管理画面のログインページと格闘してしまった。

 毎日更新しているブログなだけに、更新がないことを気にかけてくださった方も多いことと思う。本当にごめんなさい。そして、根気強くアクセスしてくださってありがとう。

 こうしたことが起こると、私は旅先での出来事を思い出す。私は旅先で長い列車の旅をするとき、パソコンを開くことが多い。そのとき、よりにもよってパソコンの電池が消耗していたり、モバイル機器の電波が届かなかったりすることも多々ある。その度に、この世が不完全であることを実感してしまうのだが、現在、ガンまる日記の先頭に表示されている記事は、少々愚痴モードで書き上げたものなので、そろそろ更正のチャンスを与えて欲しいものだ。まるで、スカートの裾をほんのちょっと足にからませたまま歩き続けているかのような恥ずかしさがある。

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2006.03.07

「過去」の人

 英語のことわざに、

Don't put off till tomorrow what you can do today.

というのがある。今日のうちにできることを明日に延ばすな、という意味であるが、最近の私は、このことわざに沿った生き方を選択できていない。今日のうちにできることを明日に延ばし、あさってまで延ばし、更に延ばして、延ばして、二ヶ月先くらいまで思い切り延ばしてしまっている。

 だから、旅行に出掛けても、車窓に広がる美しい景色を眺めずに、パソコンに向かってせっせと内職をしている。その内職とは、少なくとも前日までに済ませておくべきことだったりする。日々の生活時間に余裕がなく、実践すべきことが別の日にどんどんずれ込んでしまっているのだ。

 どうしてこんなにずれ込んでしまったのか。その原因を探ってみたのだが、やはり、極端なパワー不足であることと、平日の自由時間が足りないことが大きいようである。平日にできないことを休日にこなそうとするのだが、休日は、ガンモと泊まりで出掛けることも多いために、平日にこなすべきことが休日にもこなし切れず、どんどん溜まってしまうようだ。もはや、私のこなすべき事柄は、まるで国の抱えた借金みたいに大きく膨れ上がってしまっている。

 問題点を明確にするために、私の平日が、一体どのような時間割で流れているのかを書き出してみた。以下は、私が平均的な平日に費やしている時間である。

睡眠時間・・・6時間
出勤準備・・・1時間
通勤時間・・・3時間
仕事・・・・・・8.5時間(残業なしの場合)
食事・・・・・・1.5時間
お風呂・・・・0.5時間
−−−−−−−−−−−−−−−
合計   20.5時間

 導き出された時間を24時間から引いてみると、残り3.5時間となる。つまり、私が平均的に平日に自由にできる時間は、3.5時間というわけである。もちろん、これは残業なしの場合の時間なので、残業ありの場合は、3.5時間の中から削り取られて行く。また、この時間の中には、ガンモやネットで交流させていただいている方たちとのコミュニケーションの時間も含まれている。更に、3.5時間と言っても、ロボットのようにきっちり区切って作業できるわけではない。頭を休ませる時間も必要だ。となると、自由にできる時間は実質2時間程度ということになってしまうだろう。

 どうもここ最近、細胞の一部しか活性化されていないような感覚が強かったのだが、もしかするとその一部というのは、この2時間のことを現していたのかもしれない。平日も、平等に一日24時間あるというのに、そのうちの22時間はすっかり固定化されてしまっていて、まったく身動きが取れず、自由時間の2時間だけを活性化させている。私の生活は、どうもそんな感じなのである。

 私の時間は、どんなに作業をこなしても、どんどんずれ込んで行く。つまり、私が体験しているのは、いつも「過去」であって、「今」ではないのだ。他の人たちが「今」を体験しているときに、私はまだまだ「過去」を追いかけている。こうして私は、「過去」の人となって行くのだろうか。

 この先、もしもパワーアップして来たら、二ヶ月くらい先までの「ガンまる日記」を一気に書き上げて、「未来」の人と呼ばれてみたい。

※皆さん、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.03.06

トンネル理論

 ツインソウルの学びとして、私はしばしばトンネル理論を持ち出している。トンネル理論とは、陰と陽が正反対の方向からトンネルを掘り始め、中間地点で出会い、「何だ、お互いに同じところを目指していたのね」とお互いの立場を理解し合うことである。

 実はこのトンネル理論、ツインソウル相手だと、互いに同時に掘り進め、中間地点で出会うことができるが、時間差のある相手だと、掘り進める方向を誤ってしまい、トンネルは開通しないばかりか、トンネルを片側からだけ掘って力尽きてしまうようだ。

 またまた何を書き始めたのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。実は、掲示板で交流させていただいているてんちゃんが、付き合っていた彼と別れたばかりの愛ちゃんに向けて書いてくださったコメントを拝見してそう思ったのだ。てんちゃんのコメントを、少しだけ引用させていただく。

今の私は、(愛さんの愛する)彼の哀しみの方が愛さんの哀しみや
苦しみよりも、よく理解できることに気付きました。

 てんちゃんのこのコメントを読ませていただいたとき、「てんちゃんの一つの学びは、このような素晴らしい形で完結したのだなあ、てんちゃん、おめでとう!」という気持ちでいっぱいになった。「完結」、「手放す」というキーワードが浮かんだのだ。てんちゃんが体験して来たことを知っている人からすれば、これが一つの学びの完結を意味することが理解できるだろう。しかし、てんちゃんの学びに追いつくことができる人は、それほど多くはないかもしれない。だって、てんちゃんは、一人で双方向のトンネルを掘って、トンネルを開通させたのだから。

 もともと、「ツインソウルとカルマの違いは?」というテーマで始まったトピックだったが、このテーマは、「愛が深いかそうでないか?」というテーマにそのまま置き換わると思う。愛が深ければ、現世のうちにトンネルは開通する。しかし、愛がそれほど深くなければ、トンネルが開通するのは来世になってしまうかもしれない。つまり、愛がそれほど深くないために、相手の立場を理解するために、自分自身がその役割を演じる必要があるということだ。しかし、愛が深ければ、わざわざ自分がその役割を演じなくても、相手の気持ちに寄り添うことができる。時間差があるかないかというのは、トンネルが開通する時間差のことだったのだ。

 てんちゃんは、「愛って何だろう」とコメントの中に書かれていたが、実は私も、最近、愛というものがわからなくなって来た。というのは、無条件の愛を最上のものとすると、そこで思考が停止してしまうからだ。無条件の愛とは、一方的な愛を意味しているのだろうか。しかし私は、愛が深ければ深いほど、愛するということと愛されるということが同時に起こると思っている。それこそが、時間差のない関係だ。だとすると、一方的な愛など有り得ないということになってしまうのだ。しかし、そういう視点ではなく、愛するという姿勢には、能動と受動の両方があるということを理解する必要がありそうである。多くの人は、能動的な愛情表現に一生懸命になる。しかし、受動もまた愛の表現方法の一つなのである。

 彼と別れてしまった愛ちゃんは今、彼との繋がりを感じているようである。離れてしまった愛ちゃんのことを想いながら、空中を舞っているツインソウルのエネルギーを感じているだろうか。愛ちゃん、てんちゃんが書いてくれたことは素晴らしいヒントになっている。すぐに実践に移すのは難しいかもしれない。でも、自分の視点を変えるだけだ。さあ、それに気づいたら、スコップを持って、彼の掘っていた側に回り込み、トンネルの続きを掘って、トンネルを開通させよう!

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2006.03.05

ガンモデー

 「明日は早起きだから。六時半起床」
と、夜寝る前にガンモが言った。フェリーの中では、ガンモよりも私のほうが快適に眠ることができたと言っても、途中で何度も目を覚ましている。だから、六時半起床はちょっときつい。しかし、抵抗しつつも、ガンモが六時半に目覚まし時計をセットしたので、私はしぶしぶベッドに潜り込んだ。

 六時半に目覚まし時計に起こしてもらった私たちは、起きるべき時間を過ぎてもしばらくホテルのベッドの中でうだうだしていた。まだ起きたくない。ガンモもやはりそう思ったようで、
「やっぱりもう少し寝る」
と言いながら、目覚まし時計を再セットした。結局私たちは、八時まで眠ったのだ。公開録音がメインのきのうが「まるみデー」なら、今日は青春18きっぷの旅をする「ガンモデー」である。「ガンモデー」では、毎回、ガンモの立てたプランに従って行動する。私はいつも、「ガンモデー」のプランの内容を確認しないまま旅に出ている。ガンモも、当日までのお楽しみだと言って、なかなか教えてくれないのだ。つまり、「ガンモデー」のプランはいつも、開けてびっくり玉手箱なのである。

 朝食を済ませてから、
「今日はどこに行くの?」
とガンモに尋ねてみると、
「尾道」
と言う。松山の堀江港から呉の阿賀港までフェリーで出て、そこから呉線・山陽本線と乗り継いで尾道まで出る予定らしい。本来なら、もう少し早い時間のフェリーに乗りたかったらしいのだが、起床時間をずらした分、出発が遅れてしまった。
「まあ、帰りが遅くなるだけだから。俺は明日、休みだからいいけど」
とガンモが言った。
「なぬ? また休むの?」
ガンモはいつも、旅行の翌日は休暇を取っている。しかし、このような形でたくさんある有給休暇を消化できるのはいいことだ。一方、私は、旅の疲れがなかなか取れずに休むこともある。

 さて、阿賀港までのフェリーの乗船時間は二時間足らずだった。何と、船室にはご丁寧にテーブルがあった。船内には食堂もあり、注文の品を船室のテーブルに持ち込むことができる。私たちは、お昼ご飯に親子丼を注文して食べた。更に、私はパソコンを取り出して、「ガンまる日記」を書き上げた。ガンモは私の隣で横になって寝ていた。とても静かで充実した時間だった。フェリーは、鉄道と違ってゆったりとしたスペースでくつろげるし、パソコン使いには有り難いコンセントもついている。しかし、モバイルしようと思っても、電波が届かない場合が多い。

 阿賀港に上陸した私たちは、阿賀駅までてくてく歩いて呉線に乗り換えた。途中、三原で山陽本線に乗り換え、ようやく私たちは、大林宣彦監督の出身地、尾道までやって来た。大林監督は、地元尾道を舞台に数多くの映画を撮っている。尾道へは数年前に、ガンモの運転する車に乗って来たことがある。傾斜に立ち並ぶ家々と海の見える素敵な町だと思った。

 私たちは尾道の商店街を練り歩いたあと、海辺を散歩した。向島では映画『男たちのYAMATO』の舞台セットが公開されているそうだ。しかし、尾道に到着した時間が遅く、向島までは渡れなかった。それでも、映画も観ていないし、まあ、いいか、と思った。その代わりと言っては何だが、海辺でカモメたちとゆっくり戯れた。

 以前、天橋立を訪れたとき、カモメにかっぱえびせんをあげて友達になった。間近で見るせいだろうか。尾道のカモメは、天橋立のカモメよりもずっと大きい。果たして、尾道のカモメとも友達になれるのだろうかと思いながら、ガンモは持っていたおかきをカモメに向かってぽーんと投げてみた。カモメは恐る恐る近づいて来て、海に落ちたおかきを拾って食べてくれた。天橋立では、甲板からかっぱえびせんを投げると、カモメやトンビが次々にキャッチしてくれる。尾道では、そうした連携プレイを体験できるわけではなかったが、夕暮れどきにたくさんのカモメが港に集まり、のどかな雰囲気をたっぷりと味わうことができた。ありがたいことに、どんなときも、動物たちは私たちに癒しを与えてくれるのだった。

 尾道で夕食を取ったあと、私たちが尾道をあとにしたのは、十八時を少し回った頃だった。青春18きっぷを使い、普通列車を何とか乗り継いで我が家にたどり着いたのは、二十三時過ぎのことだった。

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2006.03.04

人間万事塞翁が馬

 朝、七時前に目が覚めた。あとわずかで松山観光港への入港時間である。他の利用客を刺激してはいけないと、私たちは一つの寝台に寄り添って眠ることを遠慮した。目覚めてから、カーテンを開けて、ガンモの様子をうかがうと、ガンモはぽやんとした表情で、ゆうべは一睡もできなかったと言った。隣の部屋との壁が薄く、大きな声でおしゃべりをする女性の声がずっと聞こえていたのだそうだ。私はいつも耳栓を常備していたので、音に対して敏感なガンモに貸してあげるべきだったと後悔した。出発の段階から、ガンモはボタンをかけ違えたみたいに不調が続いていた。

 私たちは松山観光港で朝食を取ったあと、いったんホテルに荷物を預けて、公開録音の行われる道後温泉へと向かった。愛媛は私の出身地だが、今回はガンモが公開録音に当選していなかったので、その間に休息を取る場所が必要だった。松山から私の実家までは、普通列車で二時間、特急列車で一時間掛かるのだ。また、実家の母からも連絡があり、祖母の入院している病院でまたインフルエンザが流行っているので、実家には寄らないほうがいいと言って来た。ガンモもかなり寝不足だったので、結果的にはこの選択をしておいて良かったと思った。

 公開録音自体は十八時から一時間半の予定で行われるのだが、当選ハガキには、九時から入場受付を行うと書かれていた。ハガキには整理番号が付加されていなかったので、先着順で入場できるのだと思っていた。もしも整理券を発行してもらえるなら、できるだけ早めに会場に出向き、整理券を発行してもらってから観光したいと思ったのだ。

 会場に着いたのは、十時頃だった。入口付近には、既に数人の人影が見える。見ると、知り合いの女性だった。彼女とあいさつを交わすと、彼女が深刻そうな顔つきで私に話し掛けて来た。彼女が言うには、彼女も含めて早朝から並んでいた十七人に対してだけ、特別に整理番号が発行されたのだと言う。しかし、彼女のあとからやって来た彼女の友人には整理券を発行してもらえず、平等でないので気後れしていると言うのだ。

 私はとにかく受付に出向いて話をした。そして、彼女と一緒に、すべての当選者に平等に整理番号を発行してもらえないかと頼んでみた。しかし、整理番号を発行したのは、前日からホテルに泊り込み、深夜のうちに外に並んでいる人が出たために、会場の近くにある道後温泉の旅館の人たちが心配したことにより、特別に配慮して行ったことであり、これ以上、特別を認め続けることはできないと言うのだ。更に、自分たちは公開録音の主催者ではないので、引き続き整理番号を発行してもいいかどうかの判断はできないとも言う。

 毎年このイベントに参加している私は、いつもどのような形でイベントが行われているかを知っていた。また、こうしたイベントのために、全国からたくさんのファンが集まって来ることも知っていた。整理番号が発行されないと、並んでいる時間、ずっと拘束されることになる。しかも、去年と違って、入場待ちの列は、会場の外に作られると言う。ということは、寒い中、会場までの数時間、ずっと並び続けることになるのだ。

 私は、全員に整理番号を発行してくだされば、私たちも時間を拘束されずに済むし、そちらにとってもメリットになるのではないですかと提案したのだが、とにかく、自分たちは主催者ではないのでそれに関する判断はできないと言われ、引き下がるしかなかった。彼女は、そういうことでしたら、私の整理番号も発行してもらわないほうが良かったとまで言った。しかし、主催者側ではないので判断できないという気持ちは、私にも良くわかった。私も、派遣社員という立場を通じて、派遣会社の人間としての立場と企業で働く立場の狭間に立たされ、判断できないことが多いからだ。

 何だかもやもやした気持ちを抱えたままでいると、会場のオーナーが現れた。オーナーは、会場の中で並び始めている私たちに話し掛け、入場待ちの列は十五時から会場の外に作ってもらうということ、特別に整理番号を発行した人たちに対しても、その時間までには集合して欲しいことなどを伝えた。私はオーナーに、すべての当選者に整理番号を発行してもらえないかと頼んでみた。しかし、オーナーは私たちの話にあまり耳を傾けてはくれず、自分の言いたいことだけを繰り返した。オーナーの主張は、もともとそういう約束のもとで行うイベントだからの一点張りだった。

 オーナーとやりとりをしている背後で、今回のイベントの主催者であるラジオ局の人たちが何度も行き来していた。私は、その中の一人と、数秒間目が合った。彼は私たちの話を聞いてくれそうだと思い、私はその人に声を掛けた。彼は大変物腰の柔らかい人で、私たちの話にじっくりと耳を傾けてくれた。特別に発行された整理番号の事情についても良く知っていた。そして、今回は、普段は座席を設置していない美術館という場所での公開録音のため、あらかじめ、整理番号を発行できなかった事情を聞かせてくれた。彼らにとっては、整理番号を発行することと、座席を確保することは同じ意味を持っているらしかった。しかも、普段は美術館として運営している会場のため、会場のセッティングを行って初めて雰囲気が掴めたとも言っていた。つまり、当選した一五〇名というのはおよその人数だったということである。実際には、一五〇名を超える人たちが全国から集まっていた。

 ラジオ局の人は、私たちの目を見つめながら、じっくりと丁寧に、私たちの意見を吸収するような形でラジオ局側の意見を聞かせてくださった。それは、とても有意義な時間だった。人と触れ合うということはこういうことなのだということを、ラジオ局の彼が身をもって体験させてくれたのだ。自分の言いたいことだけを相手に伝えるのではなく、相手の言い分を理解しようとする姿勢。それは、聞く耳を持つという姿勢だ。そのプロセスにおいては、吸収が起こる。不思議なことに、吸収が行われると、こちらも吸収しようという姿勢になる。ラジオ局の彼は、ひとかどの人だと思った。そして、整理番号の発行というご意見を、今後の企画に役立たせていただきますとまで言ってくださったのだ。私たちは、その対話にすっかり満足し、とてもすっきりした。

 彼女たちは、そのまま会場に残り、並ぶことにしたようだが、私はガンモと一緒に大街道まで出て昼食を取り、そこから松山市駅まで歩いた。寝不足のガンモがかなり疲れている様子だったので、ホテルに電話を掛けて、早めにチェックインできるよう手配した。そして私は、ガンモを残して再び道後温泉へと向かった。せっかく道後温泉に来たのだから、温泉に入っておきたかったのだ。しかし、道後温泉本館はいつも混んでいるので、椿の湯という比較的新しい公衆浴場に入った。椿の湯もなかなか混みあってはいたが、熱いお湯につかってさっぱりした。そして私は、その足で再び会場に向かったのである。

 十四時頃に再び会場に着くと、彼女たちの姿が目に入った。まだ列を作るような指示が出されないので、何となくばらばらにそこに居るのだと言う。見ると、彼女たちの居る場所の反対側にも新たな列ができていた。早めに列を作らなければ、この先、混乱するのは目に見えていた。

 十五時になると、ようやく列を作るように指示が出された。反対側の列に並んでいた人も、自分がやって来た時間を確認しながら、ほぼ到着順に列が作られた。ここまで来るのに紆余曲折を体験したが、結果的には万事OKだ、と私は彼女と一緒にうなずいた。

 三月に入ったとは言え、外はまだまだ寒かった。会場の人が椅子を用意してくれたので、私たちはそこに腰を下ろした。ただし、椅子は限られた数しかなかったので、私たちの後ろのほうに居る人たちはずっと立ちっぱなしだった。私は、列を作って並んでいる間に、「ガンまる日記」を書き上げた。

 十五時過ぎにアーチストが会場入りし、入場待ちの列を作っている人たちからいくつもの歓声が上がった。彼は、道後の町を自分の足で歩いて来た。いかにも彼らしい登場の仕方だ。その後、アーチストは会場でリハーサルを行い、リハーサルを終えると、並んでいる私たちの前を通って会場を出て行った。そこで、再び歓声が上がった。

 十七時に入場が始まった。整理番号を発行してもらった人たちは、一般の入場者とは別に入場が許可され、中に入って行った。大きな混乱もなく、何もかもが順調だった。

 入場してみると、ステージと座席は目と鼻の先だった。私はそこの二列目の席をゲットした。とにかく良く見える。入場して一時間ほど待っている間に、他の知り合いとも遭遇する。彼女はこのイベントのために、わざわざ横浜から駆けつけていた。

 十八時過ぎに公開録音が始まった。アーチストは何だか上機嫌でノリノリだった。この美術館に展示されているものが、彼のコレクションと大きく重なっているということが影響しているようである。そのため、アーチストは美術館のオーナーとも親交があるそうだ。司会進行役のラジオのパーソナリティに紹介されて登場したのは、さきほど私が整理番号のことで話をさせていただいた美術館のオーナーだった。私たちの話を聞いてくれないワンマンな人という印象を持っていたオーナーと、私の好きなアーチストは、実は共通の趣味で結ばれていたのだった。オーナーは、アーチストの趣味の深さを理解し、その美術館の名誉館長になって欲しいとアーチストにラブコールを送り続け、ようやくそれが叶ったのだと言う。オーナーとのトークでは、お互いを誉め合っていた。その視点は、共通の美術品を理解する者同士であるからこそ、出て来る表現だった。具体的には、アーチストはオーナーが指示した展示品の照明の仕方を誉め、オーナーは、アーチストが美術館宛に送付したアーチストのコレクションの梱包の仕方を誉めた。現在、その美術館では、アーチストが所持している美術品の展示が行われているのである。

 オーナーとのトークが終わると、アーチストのギターの弾き語りが始まった。演奏された曲は、自身の曲ではなく、他の人の作品ばかりだった。その中でも、ディランIIの『サーカスにはピエロが』という曲が印象に残っている。アーチストは昔、ディランIIのメンバーと一緒にテレビで共演したことがある。私はそれを見ながら、リズムが少し難しいものの、この曲がとてもいい曲だと感じていた。しかし、ディランIIのメンバーの一人である西岡恭蔵さんは、数年前に自ら命を絶つという形で亡くなってしまったのだ。ディランIIは大塚まさじさんと西岡恭蔵さんの二人構成だったが、西岡さん亡き今、もうあの曲をオリジナルメンバーで聴くことはできないのである。

 演奏された曲の中で、もう一つ、印象に残った歌がある。それは、ユーミンの『卒業写真』である。

♪あなたは私の青春そのもの♪

という歌詞に、思わずじーんと来てしまった。何故なら、目の前にいるアーチストが、そのまま私の青春そのものだったからだ。演奏し終えたアーチストは、
「いやあ、じーんと来ますねえ」
と言ったが、「じーんと来たのは私のほうだよ。私の青春そのものは、あなたですよ」と心の中で思っていた。しかし、アーチストと私の間には、時間差がある。私にとって、アーチストは青春そのものでも、アーチストにとって、私は青春そのものではない。それでも、まあ、いいかと思う。

 それからどういう流れか、温泉の話になった。アーチストは、女性と一緒に温泉に行ったことがないらしい。だから、浴衣を着て温泉街を歩くことに憧れているそうだ。彼ほど型破りな行動力のある人が、まだ実現させていない夢があるなんて、珍しい。そう思いながら、浴衣を着ているアーチストを想像してみた。そんな想像を働かせているうちに、公開録音は、あっという間に約束の一時間半が過ぎ、無事に収録を終えた。

 ホテルに帰ると、たっぷり睡眠を取ったガンモは、元気を取り戻していた。公開録音の状況をガンモに話し、温泉のことも話して聞かせた。何故か私の中で勝手に想像がふくらんでいて、
「ねえねえ、○○○○○(アーチストの名前)と一緒に温泉に行ってもいい?」
とガンモに尋ねてみた。するとガンモは、
「○○○○○がいいって言ったらいいよ」
と言った。
「じゃあ、○○○○○と二人で飲みに行ってもいい?」
と更に尋ねてみると、
「○○○○○がいいって言ったらいいよ」
という答えが返って来た。なるほどなるほど。

 ガンモの掛け違えたボタンから始まった今回の旅行は、ガンモが睡眠時間を確保したことで、ようやく上向きになりつつあった。会場に着くまでは、余り当選券を持っている人がいたら譲ってもらえないかという期待があったのだが、寒さと待つことが苦手なガンモにとっては、長時間、外で順番待ちをすることは苦痛だったに違いない。私もまた、整理番号を発行してもらわなくても、結果的にはほぼ順番通りに並ぶことができた。温泉に入ることもできた。整理番号の発行について、一緒に話し合いをした彼女も、結果的には特別に発行してもらった整理番号が有効になった。外で待っている間はひどく寒かったが、その間に「ガンまる日記」を書くこともできた。そして、整理番号を発行してもらえなかった彼女の友人たちも、一列目に座っていた彼女のすぐ傍の席をゲットできた。睡眠不足だったガンモも、私が公開録音に参加している間にホテルで睡眠不足を解消した。何もかも、結果的には良かったことばかりを選択し続けていた。ただ、その瞬間、瞬間に感じる感情が、ポジティヴかネガティヴかの違いだけだったのだ。

 こうして私は、長い充実した一日を終えた。

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2006.03.03

ダイヤモンドフェリー状態

 去年、助っ人で参加したプロジェクトの打ち上げをお断りして、仕事帰りにガンモと待ち合わせをした。好きなアーチストが出演するラジオの公開録音に参加するため、フェリーで松山に向かうのだ。

 ガンモとは、フェリー乗り場に近い住吉駅で待ち合わせをした。スーツ姿で仕事をしているガンモは、仕事を早めに切り上げ、いったん帰宅してから荷物を持って、待ち合わせ場所に現れた。一方、普段着で仕事をしている私は、出勤時に旅行用の大きな荷物を持ち出して、三宮駅のコインロッカーに預けておいた。

 待ち合わせ場所に現れたガンモは、何だかひどくしょげ返っていた。ガンモから開口一番に出た言葉は、
「カメラを忘れた」
だった。家を出る頃、仕事関係の電話が入り、電話に対応しながら家を出てしまったのだと言う。そのため、注意力が散漫になり、大事な大事なカメラを忘れて来てしまったそうなのだ。ただし、コンパクトタイプのデジタルカメラは持っていたので、寂しげな表情でそれを取り出し、撮影していた。写真を撮ることが大好きな者にとって、使い慣れたカメラが手元にないときほど心細いものはない。それだけで、楽しい旅行気分も半減してしまうほどである。

 そればかりでなく、ガンモにとっては、仕事を切り上げるタイミングもあまり好ましくなかったそうである。ガンモの担当している客先でトラブルが発生し、フェリーに乗る予定を組んでいたガンモは、他の人に対応してもらうことになってしまったのだと言う。しかも、携帯電話を充電し忘れてしまったらしく、何だかツイていないと嘆いていた。

 フェリー乗り場に近い住吉駅から、六甲ライナーに乗った。アイランド北口で降りて、そこからフェリーの連絡バスに乗る予定だった。ガンモからは、連絡バスは、二十一時四十分発だと聞いていた。しかし、私たちがアイランド北口に着いたのは、二十一時三十五分くらいだった。
「急げ!」
と言いながら、私は改札を大急ぎで通り抜けたのだが、ガンモが改札を通ろうとすると、自動改札機がピーンと音を立ててガンモの料金不足を訴えた。ガンモが使っていたカードの残金が少なかったのだ。ところが、清算機の前では既に人が操作している。私たちは連絡バスに間に合うのだろうかと、ドキドキハラハラしていた。ようやくガンモの順番が来て、ガンモがカードを清算機に挿入すると、不足金額はわずか十円だったと言う。ガンモは、
「たった十円で・・・・・・!」
と悔しがっていた。改札を出た私たちは、連絡バスの乗り場まで走った。連絡バスは、改札を抜けて、駅の階段を降りてすぐのところにあるのだが、そこに待機していると思っていた連絡バスの姿はなかった。時計を見ると、まだ二十一時三十八分だった。

 「あと二分ある」
と言いながら、連絡バスに間に合ったことを喜び、その到着を待っていた。しかし、待てど暮らせど(実際に、そこで暮らしたわけではないが)連絡バスの姿は見えなかったのである。

 不安になった私たちは、バスの運行表を確認してみた。すると、二十一時四十分発ではなく、二十一時三十五分発だったことが判明してしまった。私たちは一瞬青ざめたが、落ち着いて運行表を確認してみると、私たちが乗船する予定のフェリーに連絡しているバスは、二十一時三十五分発のあと、二十一時五十五分発とあともう一便あったのだ。やれやれと胸をなで降ろし、それから根気強く連絡バスの到着を待つこと十五分余り。ようやく連絡バスが到着し、私たちはそれに乗り込んだのだった。

 連絡バスは、ひどく混み合っていた。おそらく、以前利用したもう一つの松山方面行きのフェリーが、整備のために休航しているせいだと思われた。以前利用したのは、「さんふらわあ」という三宮の少し先から乗船するフェリーだったが、今回利用するのは、六甲アイランドから出る「ダイヤモンドフェリー」だ。

 実はこのダイヤモンドフェリー、松山に向かうために、何度か一人で利用したことがある。そのとき私は、二等船室を利用していた。はっきり言うが、ダイヤモンドフェリーの二等船室はとてつもなく狭い。私の実家方面から、大阪に向かうフェリーで「おれんじフェリー」というのがあるが、「おれんじフェリー」の二等船室よりもだんぜん狭い。本当に、人が一人、やっと横になれるくらいの狭いスペースしかないのだ。

 だから私は、毎日、ガンモと一緒に寝ているシングルベッドで、ガンモが私のほうにせり寄って来ると、
「ちょっとちょっと、『ダイヤモンドフェリー状態』になってるよ」
と言っていた。しかし、その「ダイヤモンドフェリー状態」を知らないガンモは、あまりピンと来ていないようだった。

 そんな経緯もあって、今回は二等寝台を確保した。先日、さんふらわあに乗船したときは、二人部屋の一等船室を利用したのだが、ダイヤモンドフェリーには二人部屋の個室はないらしい。そのため、二等寝台をリザーブしたのである。

 さて、二等寝台の扉を開けてみると、寝台列車のような感じで二段ベッドが八つほど並んでいた。寝台列車よりも天井が低くて何度も頭をぶつけたが、いつものように私たちは、非日常モードに切り替わって、楽しい気分になっていた。

 この二等寝台の部屋に、このまま他の人が来なければ、のびのび利用できてラッキーだと思っていたのだが、私たちの他に、男性客が二人やって来た。つまり、同じ二等寝台の部屋に女性は私だけだった。

 二等寝台は、鍵のかかる個室ではないので、私たちは代わりばんこにお風呂に入った。そのとき、ガンモは二等船室の様子を目にして、私の言う「ダイヤモンドフェリー状態」をようやく理解したようである。
「あれは、狭い」
とガンモは言った。ツイていないガンモとは裏腹に、私はガンモに「ダイヤモンドフェリー状態」を理解してもらえたことで、とにかく満足していた。

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2006.03.02

青焼きの記憶

 ガンモのハワイ行きは、四月のとある月曜日に決まった。つまり、平日まるごと海外出張というわけである。四月という仕事の忙しい時期と、私の有給の残り日数からしても、やはりガンモと同じ時期に私がハワイに出掛けるのは難しそうである。(派遣社員にも有給休暇はある。私は、勤続年数がそれなりに長いので、年間十八日取得できる)

 ガンモは市役所に出向き、戸籍抄本と住民票を取り寄せた。取り寄せたそれらの書類を見て、
「昔みたいに青焼きじゃないね」
とガンモが言った。一体いつの時代の話をしているのだ。私たちが結婚したときだって、既に青焼きの時代ではなかったはずだ。

 ガンモは、青焼きではないそれらの書類を持って、パスポートを発行してくれる県の窓口に足を運んだそうだ。そして、そこで体験して来たことを私に話して聞かせてくれた。
「パスポートを申し込むときはね、住所確認のために、官製ハガキに自分の住所を書いて提出するの。そして、パスポートを受け取るときは、届いた官製ハガキを持参することで、住所が確認できるようなシステムになってるの」
「ああ、確か、そうだったね。うまくできてるよね」
「誰かとグルになっていない限り、他の人の名前でパスポートは作れないってことだよね。それとね、○○市(私たちの住んでいる市)は住基ネットに加入してるから、住民票は要らなかったんだよ。係の人が、『住基ネットで参照していいですか?』と聞いて来たので、『はい』って答えたら、住基ネットに接続して参照してた」
「へええ、それって全国の住民票を参照できるものなの?」
「そう。住基ネットに加入してる地域なら、端末操作で全国の住民票にアクセスできるんだ」
「誰でも参照できちゃうの?」
「いやいや。もちろん、係の人だけだよ」

 青焼きの時代から比べると、世の中、本当に便利になったものだ。しかしその一方で、このような便利さの裏側にある個人情報の流出に関する問題も浮き彫りになっている。こうした現象もまた、陰と陽がセットで存在していることの証である。

 ところで、エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社が運営しているgooでもブログを書いている私のところに、一通のメールが届いた。それは、クイズに答えると、抽選でハワイ旅行にご招待しますというものである。しかも、ペアでご招待と来ているではないか。なになに、ハワイが私を呼んでいる? そう思って、応募しようかどうしようか迷っているところだ。こういう形で自分を追い込むのは好きだ。しかし、応募の締め切りが三月三十一日となっているので、ガンモと同じ時期にハワイに行けるわけではない。それでも、当たってみて、あわてふためく自分を体験してみたいと思うのだ。四月のように仕事が忙しくない時期なら、ハワイ旅行に当たったので、仕事を休みを取りたいと正々堂々と言える。当たったら、今度こそガンモと一緒にハワイに行こう。

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2006.03.01

報酬

 先日、友人(と言っても、人生のかなり先輩)のパソコンが立ち上がらなくなり、私の携帯電話に助けを求めて来た。私は、ガンモと相談しながらわかる範囲で対応したが、電話だけではなかなか状況がつかみにくく、もどかしい想いを抱えていた。電話を受けたとき、ちょうど友人の家の近くまで来ていたので、用事を終えたらガンモと二人でそちらに行くことも可能だと伝えたのだが、友人は私たちに遠慮した。

 しかし、その後、近所に住む大学生がパソコンの再セットアップをしてくれて、何とか使えるようになったのだそうだ。その大学生に何かお礼をしたいが、彼は将来、IT関係の仕事に就きたいらしく、今回の再セットアップは自分にとっても勉強になったので、お礼は要らないと断って来たそうである。何も受け取ってくれない大学生に対し、どんなお礼をしたらいいか、何かいい案があったら教えて欲しいと、友人からのメールに書かれてあった。

 そのメールを読んで、私はとてもあたたかい気持ちになった。友人は、パソコンを使えるようにしてくれた大学生に対して、何かお礼をしたいという気持ちが強く、その想いが物品に向けられている。一方、大学生は、自分の知識や経験が、困っている人の役に立ったことで既に満足している。大学生は、一方的に与えたのではなく、パソコンの再セットアップという作業を通して、自分自身も受け取ったものが大きいことを知っているのだ。

 パソコンを直してもらってうれしい友人と、友人のパソコンを直せてうれしい大学生。おそらくだが、二人のうれしさは同じくらいなのだろう。だから、そういう関係に対し、お礼の物品は必要ない。もしも友人が無理に大学生に何かを贈ろうとしたら、お礼の物品だけが宙に浮いてしまうことだろう。

 そう考えて行くと、何かをしてくれた相手に物品のお礼をしたり、反対に、物品のお礼を受け取ったりすることは、一体何なのだろうと考え込んでしまう。感謝の気持ちを物品に変えようとする行為は、相手がその経験を通して、既に何か受け取っている状態を無視することになってしまうのではないだろうか。おそらくだが、その満足感は、物品を受け取ることによって失われてしまうだろう。

 しかし、更にこの考えを発展させると、仕事が大きな喜びになっている人にとっては、仕事の報酬を受け取らなくても満足できることになってしまうのだ。それは、精神世界的には理想的な喜びなのだが、そうなると、今度は生活が成り立たなくなってしまう。だから、報酬を受け取ることが大前提だとすると、どうしてもあまり気の進まないことを仕事にする割り切りが出て来てしまう。しかし、本当は、こうした事情は、好きなことを仕事にできないという悪循環を引き起こしているのである。

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