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2006.02.19

急行かすがと偽ライカ同盟京都会議

 京都で行われる偽ライカ同盟の会議を聴講するため、私たちは前日の夜から名古屋に泊まり込んでいた。何故、京都で用があるのに名古屋に宿泊していたのか。それは、この三月のダイヤ改正で引退することになっている「急行かすが」に乗るためだった。

 「急行かすが」は、朝、八時五十五分に名古屋を出発し、およそ二時間かけて終点の奈良に着く。私たちは、そこから更に近鉄電車に乗り換え、京都へと向かった。

 名古屋駅のホームでも、奈良駅のホームでも、引退間近の「急行かすが」は人気者だった。その引退を惜しむかのように、たくさんの鉄道ファンがカメラを構え、撮影していた。私もカメラを向けたのだが、思わず何かがこみ上げて来るような切ない気持ちになった。これまでずっと「急行かすが」を利用していたわけでもないのに、一体どうしてなのだろう。役目を終えていなくなってしまうことが寂しいのだろうか。

 しかし、引退すると言っても、「急行かすが」は比較的新しい車両である。しかも、JR東海エリアを走っている「快速みえ」や「武豊線」などとも顔つきがそっくりだ。はっきり言おう。JR東海エリアを走っているほとんどの列車は、金太郎飴のようにほとんど同じような顔をしている。だから、車両そのものとお別れするわけではなく、ダイヤとお別れすると言っても過言ではない。それでも、自分が乗った列車が引退するとなると、胸がきゅーんとなるものだ。

 さて、奈良から近鉄電車に乗り換えて京都に着いた私たちは、大急ぎでお昼ご飯を済ませて、偽ライカ同盟京都会議の開場となる京都駅前の「大学コンソーシアム京都 キャンパスプラザ」へと向かった。

 今回のパネラーは、クラシックカメラ業界に大きな流れを創られた写真家の田中長徳(チョートク)先生、THE ALFEEの坂崎幸之助氏、雅楽の東儀秀樹氏、フォークシンガーのなぎら健壱氏である。以前、チョートク先生と東儀さんの対談が、京都のカメラ屋さんで行われたのだが、東儀さんの熱烈なファンの女性がたくさんやって来て、警備に大変だったらしい。今回の偽ライカ同盟京都会議も、最初のうちは東儀さんが参加されると主催者側から告知があったのだが、しばらくしてから、東儀さんの参加が取り消しになったという新たな告知があったのだ。しかし、開催直前になって、チョートク先生の書かれているブログで、今回の会議に特別ゲストが参加されるという発表があった。私はその特別ゲストが東儀さんだと薄々感じていたのだが、やはりその通りだった。主催者が、会場の混乱を避けるために、いったん、東儀さんを参加できないことにしておいたのではないかと思った。

 さて、いきなり偽ライカ同盟と言われても、それほどカメラに詳しくない方たちにとっては、ちんぷんかんぷんかもしれない。ドイツで造られているライカというカメラが、今でも多くのカメラファンを魅了して止まないことは、周知のことだろう。そのライカの愛好団体、と言っても、三人だけなのだが、作家の赤瀬川原平さん、秋山祐徳さん、高梨豊さんらが「ライカ同盟」なるものを発足させた。偽ライカ同盟は、ライカ同盟の存在を意識して発足された同盟で、偽ライカ、つまり、ライカコピー機を愛する著名人たちが参加している。(ライカは高級で優れたカメラなので、各国でライカを真似たカメラがたくさん製造されたのである。それらをまとめてライカコピー機と言う)

 チョートク先生が、パネラーの方々にいろいろな話題を振って行く。芸術的センスのある人たちは、ユーモアのセンスにも恵まれている。だから、話はときどき、思いもしない方向へと流れて行く。その度に、会場は笑いの渦へと巻き込まれる。今回の会議のテーマは、「銀塩カメラ対デジタルカメラ」である。銀塩カメラなどと言っても、またまた聞き慣れない方も多いことだろう。銀塩カメラとは、昔のフィルム式カメラのことである。デジタルカメラが主流になりつつある昨今、今なお、銀塩カメラを愛し続けている人たちも多い。何を隠そう、まさしく、パネラーの皆さんたちがそうなのだ。だから、話は銀塩カメラを擁護する方向へと流れて行く。パネラーの皆さんだって、決してデジタルカメラを使わないわけではないのだ。しかし、自分自身でピントを合わせ、シャッタースピードを決めながら撮影した写真を、一枚一枚、自分自身の手で現像、プリントすることを趣味や仕事としている人たちなのである。

 坂崎さんが眼力の話をされると、チョートク先生が写真を撮る目に話を繋げた。チョートク先生によれば、写真を撮るときの目が映し出すものは、その人の視神経の記憶なのだそうだ。その人の視神経が映し出す記憶は、その人が持っている文化的な記憶なのだと言う。なるほど、そういうことか。写真のうまい人は、その人の持つ文化的な記憶を最大限に引き出しながら、シャッターを切っているわけなのだ。

 大変恥ずかしながら、私は東儀さんのことを、ほとんど名前と顔くらいしか知らなかった。しかし、東儀さんが銀塩カメラ好きだということは、風の便りに聞いていた。それでも、ずいぶん多趣味な方のようだし、写真に対する意気込みも、それほど強くはないだろうと、私は勝手に思い込んでいた。ところが、今回、初めて生の東儀さんを拝見して、そのような先入観を持ったことを恥ずかしく思った。何かの世界に特別深い理解を示す人は、例え違う分野に興味の対象を移しても、同じ深さを保とうとするのだ。私は生の東儀さんを拝見しながら、一度、ゆっくりお話しさせていただきたい衝動に駆られた。東儀さんのお話をうかがっているうちに、大変失礼ながら、急速に精神的な親近感が沸き上がって来たのだった。

 果たして、銀塩カメラかデジタルカメラか。その答えは明確には結論付けられなかったが、パネラーの誰もが銀塩カメラを推していた。デジタルカメラで撮影した写真は、オンラインで参照するときに、ランダムアクセスができないが、紙にプリントされた写真は、飛ばし飛ばしに見ることができる。ランダムアクセスの需要は、作品を審査するときに上がって来るらしい。

 会議は、途中で十分ほどの休憩をはさみ、およそ二時間で閉会となった。締めの言葉として、なぎらさんがこんなことをおっしゃった。
「同じ漢字で表すとしたら、デジタルカメラは楽(らく)、銀塩カメラは楽(たの)しい」
会場から、ほほうという感心の声が沸き起こった。この、洒落のような機転の利いたなぎらさんの一言は、参加した人全員の心に残ったことだろう。

 私は、芸術と向き合うための精神的な世界の入口を垣間見たような気がした。芸術への探求もまた、精神世界に足を踏み入れて行くことなのではないか。私は何だか久しぶりに大脳を刺激された気がしていた。独身の頃、私は東京に住んでいて、偽ライカ同盟ではないが、チョートク先生の主催されているカメラのサークルにちょくちょく顔を出していた。その頃は、毎週のように大脳が刺激されていたのだ。それが、ガンモと結婚して大きな安定を得て、私の大脳は、知識欲という刺激からしばらく離れていたのだ。それが再び活動し始めるかもしれない。私がしばらくクラシックカメラから離れていたのは、知識を吸収し続けて行くことへの行き詰まりだったように思う。しかし、写真を撮ることが単なる知識の蓄積ではなく、精神的な世界に足を踏み入れるて行くのだとしたら、新しい道が開かれるような気がする。

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