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2006.02.17

ベホイミの呪文

 ヒーリングという行為が初めて私の意識に昇ったのは、ロールプレイングゲームのドラゴンクエストを体験しているときだった。ホイミ、ベホイミ、ベホマの回復系の呪文を唱えると、戦闘で傷ついたキャラの身体が癒されるというものだった。ゲームの中では、この呪文を自分自身に対して唱えることもあれば、他のキャラのために唱えることもある。呪文を唱える度に、呪文を唱えるキャラのMP(マジックポイント)が消費され、呪文の対象となるキャラのHP(ヒットポイント)が回復するようになっている。

 ゲームの中には、戦闘には強いが回復系の呪文を使えないキャラと、戦闘にはめっぽう弱いが回復系の呪文を使えるキャラが存在している。戦闘に強いキャラだけで固めて戦いに出てしまうと、自分自身でHPを回復できないために、激しい戦闘に絶えられず、戦闘に破れてしまうことが多い。回復系の呪文が使えなくても、アイテムを使ってHPを回復する方法もあるのだが、持参できるアイテムの数には限りがあるために、戦闘効率が非常に悪いのだ。だから、仲間のキャラを引き連れて戦闘の旅に出掛けるときは、戦闘に強い攻めのキャラと回復系の呪文を使える守りのキャラの両方を伴うのが望ましい。そのとき、戦闘に強いキャラには前を歩かせて遭遇した敵ととことん戦わせ、戦闘力のない回復系のキャラは、敵の攻撃から守るように後ろのほうに配置する。このような配置を行うことで、戦闘キャラは戦闘に、回復キャラは戦闘で負傷した仲間の回復に、それぞれ専念できるのである。つまり、戦闘キャラと回復キャラは、常に持ちつ持たれつの関係なのである。

 こうしたキャラの存在もまた、陰陽を象徴しているように思える。当然、攻めのキャラが陽で、守りのキャラが陰である。陽は守ることよりも、責めることのほうが得意で、陰は攻めることよりも、守ることのほうが得意である。

 このように、ドラクエの中では、癒す、癒されるという行為が繰り返し行われている。ゲームの中のキャラの感情までは読み取れないが、私が気になるのは、癒す、癒されるという行為が同時に起こっているかどうかだ。戦闘でダメージを受けたキャラは、回復キャラに「癒して欲しい」と願うのだろうか。回復系の呪文を唱えることのできるキャラは、戦闘でダメージを受けたキャラを見て、「癒してあげたい」と思うのだろうか。そして、両者の想いに時間差はないのだろうか。ゲームの中で、瞬時に癒しが行われているということは、双方の想いに時間差がないか、双方のキャラの間に愛が通っているということなのではないかと私は睨んでいる。

 普段、ヒーリングとはあまり縁のない私でも、ガンモに対して不思議なヒーリングを体験をしたことがある。そのことは、遠隔ヒーリングに書いた通りだ。この体験を通して私が感じたのは、愛あるヒーリングは最短ルートを通るということだった。このとき、ガンモの側に私のヒーリングを受ける準備が整っていたとはとても思えない。それでも、私のイメージした内容がそのままガンモの症状に反映された。しかも、私はこのとき特にMPを消費したわけではなかった。歯痛で苦しそうにしているガンモのことを想うと、ただただ涙が溢れ、ガンモを苦しめている痛みを取り除きたいと思ったのだ。強調しておきたいのは、「取り除いてあげたい」ではなく、「取り除きたい」という強い願望を持ったことだ。

 密教系の仏像が怖い顔をしているのは、悟りへの近道に通じているからだという説がある。「取り除いてあげたい」というやや控えめな感情よりも、「取り除きたい」という強い願望のほうが、実現への近道に通じているのかもしれない。そうした強い願望を持てるのは、愛が通っているからこそだと私は思っている。そう考えると、ドラクエに登場するキャラたちの間には、目には見えない愛が通っていたのかもしれない。

参考URL:
ドラゴンクエストの呪文体系
ヒットポイント
マジックポイント

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