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2006年2月

2006.02.28

久しぶりの退行催眠

 ガンモの帰宅が深夜になるというので、私は先にベッドに入り、久しぶりに退行催眠を行いながら眠りに就くことにした。現在、ツインソウルと休戦状態にあることが、どのような前世に起因するものなのかを知っておきたかったのだ。もしもこの課題に関する前世の映像を見ることができるのなら、現世におけるツインソウルとの関わりは既に終了したことになるだろうと思っていた。

 私は退行催眠CDをCDプレイヤーにセットしてベッドに入った。次第に深い催眠状態へと導かれ、いつものようにふわっと身体が軽くなった。身体全体が金色の光に包まれ、いよいよ前世への扉が開かれようとカウントダウンが始まったとき、寝室のドアがガチャッと開いて、ガンモが仕事から帰って来た。私は、
「ガンモ、お帰り。お疲れさん。ああ、でも、もうちょっとで前世に退行できたのに」
と言って残念がった。本当にもう少しだったのだ。

 その後、ガンモがお風呂に入ったので、その時間を利用してもう一度トライしてしてみたのだが、今度はCDプレイヤーの不具合なのか、いざという段階になって、CDの再生が停止してしまった。私はそのCDプレイヤーをずっと愛用しているが、このような現象が起こったのは初めてのことだった。おそらくこれは、その課題について、私がまだ思い出す時期ではないということなのだろう。それに、私自身、思い出したいと思うほど切羽詰まっているわけでもなかった。だから、課題のおさらいの時期に入れないわけである。

 そのあとも、私は目が冴えてなかなか眠りに就くことができなかった。ガンモはお風呂から上がってしばらくパソコンをいじっていたようだったが、やがて電気を消して私の隣に潜り込んで来た。そして私たちは、シングルベッドに仲良く寄り添って眠った。

 なお、私がいつも退行催眠に使用しているCDについては、良く聞かれる質問:どのような方法で前世を思い出しましたか?にまとめてあるので、切羽詰まっている方はどうぞお試しあれ。

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2006.02.27

ギラギラしない技術者魂

 仕事の帰りに私と同い年の社員の女性とばったり会った。駅までの道のりを一緒に歩きながら、彼女と、出勤時間についての話をした。以前は、出勤の途中にしばしば彼女を見掛けることが多かったのだが、ここのところ、めっきり見掛けなくなっていたからだ。
「最近、何時に出勤されてるんですか?」
と尋ねると、彼女から、
「八時半」
という答えが返って来た。それは、私の職場で仕事が始まる時間だった。しかし、ほとんどの人たちはフレックスタイム制度を適用していて、十時までの間にパラパラと出勤して来る。通勤に時間がかかることもあって、いつも十時前後に出勤している私は、かつて通勤の途中に彼女を良く見掛けていたものだった。

 彼女によれば、あまりにも仕事がきつかったために、社員の属性を変更したのだと言う。簡単に言えば、これまでの技術職から、事務職に転身したらしい。そのため、フレックスタイム制度が適用されなくなり、定時に出勤しなければならなくなったのだそうだ。それでも彼女は、
「お給料は減ったけど、肉体的にも精神的にもずいぶん楽になった」
とおだやかな口調で言った。これまでの彼女は、バリバリの技術者というわけではなかったが、とにかく残業の多い人だった。ときどき、ライブやお芝居を観に行くことを楽しみにしている彼女が、
「今日は定時で上がれるかなあ」
と心配しながらそわそわしていたことを思い出す。

 そんなふうに、私は、頑張って、頑張って、とにかく頑張り続けていた彼女を知っている。彼女は、肉体も精神もギリギリのところまで追い込まれていたのだと言う。私は思わず、
「良かったですね。壊れる前に宣言できて」
と彼女に言いながら、にこやかに笑った。その途端、彼女の表情がぱっと明るくなったのだ。

 彼女ほどのベテラン社員になれば、社員の属性を変更するのはかなり勇気のいることだったに違いない。しかし、そんなことよりも、彼女は自分自身が壊れない道を選んだのだ。しかも、会社を加害者にすることなく、会社に残ることをも同時に選択した。何て素晴らしいのだろうと私は思った。技術者が技術を捨ててしまうことは、これまでの自分の選択を否定することにもなりかねない。技術を持っているばっかりに、自分に対して厳しくもなる。しかし、あまりにも忙しい状況に陥ってしまうと、肉体と精神が、もはやどうにもこうにもついて来なくなってしまう。彼女はそういう状況に追い込まれていたのだと思う。

 彼女の表情がぱっと明るくなったのは、同じ技術者として、私が彼女の選択を理解できたからではないかと思うのだ。いつまでも技術者魂がギラギラしている人なら、技術を積み上げて来た彼女に対し、社員の属性を変更するのはもったいないと言うに違いないだろうから。

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2006.02.26

滑り込みセーフ

 この週末に、私の実家方面で行われるラジオの公開録音の入場券が、私の地元のラジオ局から届いた。私の好きなアーチストが出演するのである。ガンモと一緒に参加したくて、私やガンモの名前はもちろんのこと、実家の父母の名前を借りてまで応募したのだが、当たったのは私の名前で応募した一枚だけだった。こうした入場券は、一枚で二人まで入場できることもあるのだが、あいにく今回は一人しか入場できないようだ。

 「まるみだけ当たったの?」
と、ガンモが残念そうに言った。去年行われた同じイベントでは、実家の母が公民館に入場券をもらいに行ってくれたおかげで、ガンモと二人で入場できたのだが、その前の年は競争率が高く、一枚しか当たらなかった。だから、二人で一緒に出掛けて行ったのに、私だけが入場した。あのときガンモは、寒い中、ラジオの収録が終わるまで、一人で外で待っていてくれたのだった。

 一緒に出掛けては来たものの、こうした入場券に一人しか当選できなかったという例は、他にもある。あれは確か、三重県でラジオの公開録音が行われたときのことだった。ガンモと私、それぞれの名前で応募したハガキのうち、ガンモの名前で応募したハガキだけが当選した。ガンモは、
「当たったのは俺だ」
と喜んでいたのだが、もともとそのアーチストを好きなのは私だったので、ガンモは当選した入場券を私に譲ってくれた。

 ガンモの運転で三重県まで出向き、私はガンモに譲ってもらった入場券を握りしめ、寒い中、入場待ちの列に並んでいた。こうした入場券には、整理番号が記載されていないため、早く並んだもの勝ちのことが多いのである。外は寒いので、ガンモは車の中で待機してくれていた。並び続けること数時間、いよいよ入場という段階になって、私のすぐ前に並んでいた地元の人が、
「来られなくなったお父さんの分が余ってるのよね」
と話しているのが聞こえて来た。こうしたラジオの公開録音は、地元優先の場合が多く、地元の人たちが入場券を余らせていることがあるのだ。その会話を耳にした私は、勇気を振り絞って彼らに話しかけた。
「あの、もしよろしければ、余っている入場券をお譲りいただけないでしょうか。夫が車の中で待っているのですが」

 私の申し出を聞いた地元の人は、余っている入場券を快く譲ってくださった。私は大急ぎでガンモに電話を掛け、事情を説明し、すぐに列に並びに来るよう促した。しかし、既に入場が始まっていて、もしかするとガンモが駐車場から駆けつけるまでに間に合わないかもしれない。私はハラハラドキドキしながらガンモの到着を待っていた。さあ、いよいよ私も入場するという段階になって、ようやくガンモが私の元へ駆けつけ、滑り込みセーフで列に加わった。本当に間一髪だった。私たちは、入場券を譲ってくださった地元の方に厚くお礼を言って、二人でラジオの公開録音を楽しんだ。

 もともとガンモの名前で応募したハガキが当たったのに、ガンモが思い切って入場券を私に譲ってくれたことが幸いして、ガンモの手元に入場券が再び巡って来たのだと思う。このような状況もまた、時間差のない状態である。今回も、このようなことが起こってくれないか、ちょっぴり期待している私である。そのためには、今度は私がガンモに入場券を譲るべきなのか?

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2006.02.25

女子トイレでおすましガンモ

 別サイトに掲載しているガンモとの逸話で、もう一つ、ここでご紹介しておきたいものがある。今回も、元の記事に手を加えながらご紹介させていただくことにしよう。

 ガンモには、何度思い出しても顔から火が出るような恥かしい話がある。あれは、今から数年前のお盆休みに四国の実家に二人で帰省したときのことだった。

 ある百貨店でトイレを借りることを思い立った私たちは、女子トイレの前で、
「じゃあね」
と言っていったん分かれた。ところが、私が用を足して個室から出てみると、何と、ガンモが女子トイレの大きな鏡の前で自分の髪を整えているではないか。

 驚く私にガンモは、
「ここは、男子トイレと女子トイレが一緒になってるんだよ」
と言った。なるほど、言われてみると、たった一つだけだが、男性用の便器も設置されている。その便器は、大人には少し小さいようにも思えたが、ガンモも入口で確認して中に入ったのだろうから、私もそれ以上の詮索はしなかった。

 手を洗って女子トイレを出たとき、私たちは、女子トイレを表す看板の中に、女性用を表す赤い女子のマークと、男性用を表す小さな青い男子のマークが一緒に描かれているのを確認した。しかし、その直後に、私たちは驚愕の事実を知ることになる。何と、女子トイレの向こう側に、男性用の大きな青い男子のマークが描かれた看板を発見してしまったのだ。どう考えても、あちらが本物の男子トイレだ。
「ガンモ・・・・・・!」
私たちの顔はみるみる青ざめ、逃げるようにしてその場を立ち去った。

 女子トイレの看板に一緒に描かれていた男性用の小さな青い男子のマークとは、小さな男の子を表していたのだ。男子トイレを見つけることができなかったガンモは、女子トイレの看板に描かれていた男性用の青い男子のマークを見て男女共用と思い込み、女子トイレに設置されていた子供の男の子用の便器を利用していたのだった。しかも、用を足したあと、女子トイレに設置された大きな鏡に向かい、おすまし顔で髪を直す余裕さえ持ち合わせていた。

 ガンモが女子トイレにある大きな鏡をおすまし顔で覗き込んでいたとき、ガンモの周りにはニ〜三人の女子高校生がいた。しかし、彼女たちはガンモに声を掛けて来なかった。ガンモがあまりにも正々堂々としていたからだろうか。それとも、ガンモを私という母親に連れられた子供だと思っていたのだろうか。

 鏡を覗き込みながら髪を直すのが大好きなガンモは、
「女子トイレには、あんな大きな鏡があることがわかって良かった」
と強がりを言っていたが、実際のところ、この話は、思い出す度に顔から火が出るくらい恥かしくなるらしい。

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2006.02.24

リュックにくっついて行ったもの

 これは、既に別サイトで紹介させていただいている内容なのだが、時期的にも、内容的にも、「ガンまる日記」に大変相応しいと思われるので、元の文章に手を加えながら、こちらでもご紹介させていただくことにする。

 寒い季節になるとファンヒーターを多用するため、我が家では、寝室に洗濯物を干すことが多くなる。

 ある朝のことである。仕事に出掛けるために、支度を整えて寝室から出て行こうとしたとき、背負っていたリュックに、干していた洗濯物の一部が当たってしまった。そのとき、何かを引っ張るような手応えを感じたのだが、急いでいたので気にも留めず、そのまま家を出てしまった。

 最寄駅まで歩いて行き、そこから更に電車に乗り、職場(ちなみに、現在の職場ではない)まで歩いた。職場に着いてリュックを下ろし、マフラーを外した私は、足元に信じられないものが落ちているのを発見した。それは、見覚えのある、使い古しのブラジャーだった。

 私の顔から、みるみる血の気が引いて行ったのは言うまでもない。私はとっさの判断でそのブラジャーを拾い上げ、リュックの中に素早くしまった。おそらく、家を出るときに、寝室に干していた洗濯物干しにぶら下がっていたブラジャーが、リュックに引っかかってしまったのだろう。私はリュックにブラジャーを引っ掛けたまま、家から最寄駅まで歩き、そこから更に電車に乗り、職場まで歩いて来てしまったのだ。リュックにブラジャーを引っ掛けて歩いている私を目撃した人はたくさんいるはずだ。しかし、あまりにも凄まじい光景だっただけに、誰一人として私に声を掛けられなかったのだろう。ちょっと勇気を出せば、「リュックのチャックが開いていますよ」くらいのことは言える。しかし、「リュックにブラジャーが引っかかってますよ」とはなかなか言えない。しかも、リュックにブラジャーなどという組み合わせは、一歩間違えば、趣味で付けていると思われてもおかしくないような状況だ。

 私はすぐにガンモに電話を掛けて報告をした。私の報告を受けたガンモは、一瞬、言葉を失ったようだった。私自身も、まさかこのようなことが起こっているとは夢にも思っていなかった。私はガンモに、
「このことをホームページネタにするから」
と言って、いったん電話を切った。

 夕方になって、再びガンモに電話を掛けてみると、ガンモはこのことで私がひどく塞ぎ込んでいるのではないかと心配していたようだった。しかし、私が「ホームページネタにする」と言ったことをポジティヴに受け止め、こう言ってくれた。
「まるみ、愛してる・・・・・・。こんなことがあっても、ホームページネタにするなんて・・・・・・。普通の女の人だったら、こんなことがあったらもう恥かしくて死ぬとか言い出してもおかしくないんだぞ。最初に電話を受けたときの様子で、思い詰めているのかと心配していたけど、安心したよ。他にこんなヤツいないぞ」

 ガンモは私の立ち直りを喜んでくれた。そして、私はこのことを実際にホームページネタにした。こうしたポジティヴへの転換は、ガンモと私がフランクな関係だからこそ実現できていることである。

 当時、記事を書きながら思っていたのは、同じ引っ掛けて行くなら、もっと新しいブラジャーのほうが良かったということだった。何も、よりにもよって、何年も使い古したブラジャーじゃなくても良かったのではないだろうか。えっ? そういう話じゃない? でも、皆さん、この時期、部屋に干す洗濯物には充分気をつけましょう。

※皆さん、いつも応援クリックありがとうございます。ソウルメイトの夫婦とは、こんなフランクな関係でございます。

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2006.02.23

現地妻の予感

 ガンモも私も、それぞれ、職場の飲み会で帰りが遅くなった。私よりも少し早く帰宅していたガンモは、帰宅したばかりの私のところにやって来て、重大発表をした。以前からそういう流れはあったらしいが、どうやら本格的に決定したようである。その重大発表のあと、十数時間ぶりの再会を果たした私たちは、固く固く抱き合い、私はガンモに「おめでとう」を言った。

 さて、その重大発表とは、ガンモの海外出張が決定したことだ。日程は定かでないが、三月か四月の出発になるらしい。行き先は、ハワイ。「ハワイに出張?」と思われるかもしれないが、実は、海外出張と言っても、仕事を頑張った人へのご褒美らしいのだ。全国の支社からガンモと同じような立場の人たちを集め、ハワイの高級ホテルを貸し切るらしい。それでも、出勤扱いになるので、出張なのだと言う。
「空港に着いたらね、女の人がレイをかけてくれて、チューしてくれるらしいよ」
「何? それ。浮気だから!」
と私は言ったが、心の中ではにこやかに笑っていた。そして、ガンモが戸惑いながら、女の人にレイをかけてもらう姿を想像した。
「俺、どうしよう。ご飯、ちゃんと食べられるのかな。カロリーメイト持って行こうかな」
とガンモは心配そうに言った。ガンモの会社は、外資系のコンピュータメーカである。だから、TOEICで取る点数も私よりだんぜん高い。それでもやはり、英語には不安があるらしい。しかも、ガンモにとって、今回のハワイ行きは、初めての海外旅行になるのだ。

 ガンモは、にやにやしている私を見て、
「『ガンまる日記』のネタができたと思って、喜んでるだろう」
と言った。その通りだった。私は既に、頭の中で文章を練り始めていた。

 「ところで、パスポートはどこで発行してくれるのかな?」
とガンモが私に尋ねるので、
「確か、県の旅券課だけど、いろんなところに出張所があるはずだよ」
と答えた。そして、パスポートを作るには、戸籍抄本や住民票なども必要だということも伝えた。
「以前、私が発行してもらったときは、短い期間用と長い期間用があったけど、今はどうなんだろう」
と私が言うと、
「いや、十日間くらいでいいんだけど」
とガンモが言った。
「十日間だけ有効なパスポートなんて、ない!」
私たちは笑い合った。実際は、四泊程度の旅行になるらしい。

 ガンモのハワイ行きが正式に決まったので、私は、ガンモの海外出張にこっそり付いて行こうかどうしようかと考え始めている。しかし、ガンモが出勤扱いになるくらいだから、出発はきっと平日になるのだろう。果たして、私が休暇を取れるかどうか。仮に、休暇が取れたとしても、ガンモの会社がそのホテルを貸し切るということは、私はガンモと同じホテルには宿泊できないことになる。つまり、ハワイに行っても同じベッドで眠ることはできないのだ。また、単独でツアーを申し込むとなると、ガンモと同じ飛行機に乗れるかどうかもわからない。ガンモはガンモで会社の人たちと様々な行事に参加するかもしれない。単独でツアーを申し込んで出掛けたとしても、これではまるで現地妻である。

 と言いつつも、実はこっそりインターネットで格安海外ツアーのページを調べている私である。

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2006.02.22

嵐のような存在

 きのうの続きをもう少し。ツインソウルとの交流が止まってからの私は、普段と変わりなく生活できている。ただ、ときどきあまりにも情けなくて涙が出て来ることもある。こんな価値観の違いごときで、いつまで休戦状態を続けているのだろうかと。一方、ツインソウルはと言うと、あれほど熱心だったはずの創作活動を一時中断してしまった。どうやら、創作意欲が沸いて来ないらしい。しかし、私は手を貸さない。ツインソウルが自分の足で立ち上がらなければ意味がないからだ。

 こういうとき、カルマの関係ならば、精神的な弱さのために、ずるずると関わり続けることだろう。実際、結婚前の私のカルマの関係も、一時的にそのような展開になったことがあった。しかし、ツインソウルとはそうはならない。まだ時期が熟していないのがわかるのだ。

 ところで、ツインソウルに送った古いメールを読み返していたら、こんな表現があった。

何か、腹が立って来たので、今日はこのへんにしておく。
続きは、気が向いたら書く。

 精神的なパワー不足の私は、数百行にも及ぶツインソウル宛のメールを、一度には書き上げ切れずに、思い立ったときに書いては分割送信していた。ツインソウルは、私が分割送信した複数のメールを、毎回、わざわざ一つにまとめて返信してくれていた。上記の表現は、分割送信したメールの最後に書いた言葉だ。もちろん、最後と言っても、このあと何度もメールを交わしている。こうして客観的に読み返してみると、まるで嵐のようだ。

 ツインソウルとはおそらく、お互いにとって嵐のような存在だ。しかし、例え嵐のような存在であっても、普段は意識しないところで許容されていた。その許容は、関係性が近ければ近いほど浮き上がっては来ない。交流が止まったことによって、私はこれまで自分がいかに許容されていたかを知ったのである。

 とにかく、私は時が熟して来るのを待っている。それまでは、ツインソウルからときどき送られて来るエネルギーと交流を続けて行く。

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2006.02.21

続・ツインソウルとカルマの違い

 以前、ツインソウルとカルマの違いという記事を書いたが、今回の記事はその続編である。

 いつも掲示板に書き込みしてくださっている愛ちゃんが、現在交際中の彼との関係が、ツインソウルなのかカルマなのか、とても気になっているようだった。愛ちゃんの問いかけに対し、私が愛ちゃんに確認したいと思っていた内容については、既にてんちゃんや鏡子さんがフォローしてくださったので、今回の記事は補足的な意味合いで書かせていただくことにする。ツインソウルやカルマの定義などよりも大切なのは、愛がそこにあることなのだ。

 ツインソウルとカルマは、ネガティヴな感情を伴いながらの学びが多いという点でとても良く似ている。しかし、カルマの関係には、やはり時間差がある。実際に大きな気づきが起こるのは、カルマの相手と離れてしまってからのことが多い。それに対し、ツインソウルは、お互いに精神的に深く関わり合いながら、リアルタイムの気づきをもたらす。

 離れたときの感情の残り方も、ツインソウルとカルマでは大きく異なっている。ツインソウルの場合、例え離れたとしも、離れた時点での感情がずっと持続する。また、離れている間でも、相手のエネルギーを強く感じ取ったりもする。カルマの関係にはそれがなく、例え好意を残したまま離れたとしても、やがてその気持ちは消滅する。

 ツインソウルには、感情を表現する方向性が異なるだけで温度差がないが、カルマの関係には温度差がある。だから、カルマの関係はどちらか一方の想いだけが強い。そのため、アンバランスな関係に発展しやすく、自分に正直に生きようとすると、バランスを崩して離れることになる。ツインソウルは、相対的に正反対なので、不思議なことに、常にバランスが取れている。
 
 ツインソウルの場合は、感情を表現する方向性が異なることが対立の原因になりやすい。しかも、対立しながら、どこまでも張り合ってしまう。対等だからこそ張り合える関係なのである。カルマの関係は、強者と弱者の関係なので、対等には張り合えない。

 ただ、ツインソウルの場合、お互いにどうしても譲れない価値観を抱えて出会うようである。私も、去年の夏にその問題にぶち当たり、現在はツインソウルと休戦中である。最後にツインソウルと会話を交わしたのは新年のあいさつだった。だから、もう二ヶ月近くも交流していないことになる。陰のツインソウルはすっかり心を閉ざしてしまい、こちらからメールを送っても返事を返して来ない。しかし、エネルギーだけは届いているので、私はエネルギーが届いた日をせっせと手帳に書き込んでいる。交流が途絶えてからも、ツインソウルからのエネルギーは、週に三〜四日の割合で私のところに届いている。

 他の人からすれば、そんな価値観にこだわらなくてもいいと思われるのだろうが、ツインソウルも私も自分の価値観を頑なに守り続け、絶対に譲ろうとしない。お互いの価値観を融合させるために出会ったのだろうが、まだまだ融合と許容への道のりは遠いようだ。融合と許容への道は、同じことを繰り返すことのない道へと続いているというのに。

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2006.02.20

 今日は、先日の会議の裏話を書いてみようと思う。同じ会議に参加していた友人から一通のメールが届いた。私が、心からこのイベントを楽しんだのに対し、彼女は主催者側のやり方にかなり不満を持ったようだった。

 例えば、会場への入場方法についてである。会場は、大きな講義室のようなところで、軽く見積もっても三百人は収容できそうなくらいの広さだった。座席は予めブロックごとに分けられていて、入場の受付もブロックごとに行われるとのことだった。しかし、主催者側は、受付時間の三時間前から並んでいた彼女に対し、特に列を作って並ぶような指示を出さなかったのだと言う。そのため、あとからやって来た人たちに先を越されそうになったので、彼女が率先して列を作り、自分を先頭にして、あとからやって来た入場者を整列させたのだと言う。何百人という人たちが聴講する会議だというのに、整列の指示を出さなかった主催者側に対して、彼女はかなりの不満を持っていた。

 更に、今回の会議の最初に、サイン会や写真撮影は行わないとの発表があったのだが、実際は、休憩時間にパネラーに話し掛け、サインを求める人が何人か居た。主催者側がそれを見ていながら、何も注意を促さなかったことに対し、彼女は怒りを露わにしていた。

 彼女は、クラシックカメラの世界を一生懸命頑張っている人でもある。他にも、そういう専門的な視点から、様々な感想がお怒りモードで書かれていた。私は、同じ会議に参加したのに、彼女と私ではどうしてこんなに感想が違うのだろうと考えてみた。まず、私には、できるだけ早く入場して、前のほうの席を陣取りたいという欲望がなかった。だから、受付が始まるギリギリの時間に会場に着いた。さすがに、既にたくさんの人たちが長い列を作っていたのには驚いたが、後ろの席でもまあいいか、と思っていた。

 確かに休憩時間中にサインを求める人が居たが、そのうちの一人を私は知っていた。彼女はチョートク先生とも顔なじみだし、きっとご挨拶にうかがったのだと思うのだ。だから、彼女の立場からすれば、サインなどいつでもいただけるはずなのだが、著名なパネラーの方々が揃っていたので、ついついサインをお願いしてしまったのではないかと思う。私は、まあ、いいんじゃないの、という視点で、それらの様子を見守っていた。

 欲というものは、私たちの向上心をかき立ててくれる場合もある。しかし、欲の矛先を自分以外の対象に向けてしまうと、たちまち嫉妬や妬みに変化してしまう。そして、それらの感情は、本来、楽しいはずの感情をごっそり持ち去ってしまう。反対に、欲がないことは、時として、無関心や無感動な状態を産み出すこともある。しかし、過剰な欲をそぎ落とすことによって、ニュートラルな状態を保ち、様々な感動や喜びに対し、構えのない状態を作り上げる。

※クラシックカメラの趣味という、なかなか状況を把握し辛い、難解な長い文章に目を通してくださってありがとうございます。それから、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.02.19

急行かすがと偽ライカ同盟京都会議

 京都で行われる偽ライカ同盟の会議を聴講するため、私たちは前日の夜から名古屋に泊まり込んでいた。何故、京都で用があるのに名古屋に宿泊していたのか。それは、この三月のダイヤ改正で引退することになっている「急行かすが」に乗るためだった。

 「急行かすが」は、朝、八時五十五分に名古屋を出発し、およそ二時間かけて終点の奈良に着く。私たちは、そこから更に近鉄電車に乗り換え、京都へと向かった。

 名古屋駅のホームでも、奈良駅のホームでも、引退間近の「急行かすが」は人気者だった。その引退を惜しむかのように、たくさんの鉄道ファンがカメラを構え、撮影していた。私もカメラを向けたのだが、思わず何かがこみ上げて来るような切ない気持ちになった。これまでずっと「急行かすが」を利用していたわけでもないのに、一体どうしてなのだろう。役目を終えていなくなってしまうことが寂しいのだろうか。

 しかし、引退すると言っても、「急行かすが」は比較的新しい車両である。しかも、JR東海エリアを走っている「快速みえ」や「武豊線」などとも顔つきがそっくりだ。はっきり言おう。JR東海エリアを走っているほとんどの列車は、金太郎飴のようにほとんど同じような顔をしている。だから、車両そのものとお別れするわけではなく、ダイヤとお別れすると言っても過言ではない。それでも、自分が乗った列車が引退するとなると、胸がきゅーんとなるものだ。

 さて、奈良から近鉄電車に乗り換えて京都に着いた私たちは、大急ぎでお昼ご飯を済ませて、偽ライカ同盟京都会議の開場となる京都駅前の「大学コンソーシアム京都 キャンパスプラザ」へと向かった。

 今回のパネラーは、クラシックカメラ業界に大きな流れを創られた写真家の田中長徳(チョートク)先生、THE ALFEEの坂崎幸之助氏、雅楽の東儀秀樹氏、フォークシンガーのなぎら健壱氏である。以前、チョートク先生と東儀さんの対談が、京都のカメラ屋さんで行われたのだが、東儀さんの熱烈なファンの女性がたくさんやって来て、警備に大変だったらしい。今回の偽ライカ同盟京都会議も、最初のうちは東儀さんが参加されると主催者側から告知があったのだが、しばらくしてから、東儀さんの参加が取り消しになったという新たな告知があったのだ。しかし、開催直前になって、チョートク先生の書かれているブログで、今回の会議に特別ゲストが参加されるという発表があった。私はその特別ゲストが東儀さんだと薄々感じていたのだが、やはりその通りだった。主催者が、会場の混乱を避けるために、いったん、東儀さんを参加できないことにしておいたのではないかと思った。

 さて、いきなり偽ライカ同盟と言われても、それほどカメラに詳しくない方たちにとっては、ちんぷんかんぷんかもしれない。ドイツで造られているライカというカメラが、今でも多くのカメラファンを魅了して止まないことは、周知のことだろう。そのライカの愛好団体、と言っても、三人だけなのだが、作家の赤瀬川原平さん、秋山祐徳さん、高梨豊さんらが「ライカ同盟」なるものを発足させた。偽ライカ同盟は、ライカ同盟の存在を意識して発足された同盟で、偽ライカ、つまり、ライカコピー機を愛する著名人たちが参加している。(ライカは高級で優れたカメラなので、各国でライカを真似たカメラがたくさん製造されたのである。それらをまとめてライカコピー機と言う)

 チョートク先生が、パネラーの方々にいろいろな話題を振って行く。芸術的センスのある人たちは、ユーモアのセンスにも恵まれている。だから、話はときどき、思いもしない方向へと流れて行く。その度に、会場は笑いの渦へと巻き込まれる。今回の会議のテーマは、「銀塩カメラ対デジタルカメラ」である。銀塩カメラなどと言っても、またまた聞き慣れない方も多いことだろう。銀塩カメラとは、昔のフィルム式カメラのことである。デジタルカメラが主流になりつつある昨今、今なお、銀塩カメラを愛し続けている人たちも多い。何を隠そう、まさしく、パネラーの皆さんたちがそうなのだ。だから、話は銀塩カメラを擁護する方向へと流れて行く。パネラーの皆さんだって、決してデジタルカメラを使わないわけではないのだ。しかし、自分自身でピントを合わせ、シャッタースピードを決めながら撮影した写真を、一枚一枚、自分自身の手で現像、プリントすることを趣味や仕事としている人たちなのである。

 坂崎さんが眼力の話をされると、チョートク先生が写真を撮る目に話を繋げた。チョートク先生によれば、写真を撮るときの目が映し出すものは、その人の視神経の記憶なのだそうだ。その人の視神経が映し出す記憶は、その人が持っている文化的な記憶なのだと言う。なるほど、そういうことか。写真のうまい人は、その人の持つ文化的な記憶を最大限に引き出しながら、シャッターを切っているわけなのだ。

 大変恥ずかしながら、私は東儀さんのことを、ほとんど名前と顔くらいしか知らなかった。しかし、東儀さんが銀塩カメラ好きだということは、風の便りに聞いていた。それでも、ずいぶん多趣味な方のようだし、写真に対する意気込みも、それほど強くはないだろうと、私は勝手に思い込んでいた。ところが、今回、初めて生の東儀さんを拝見して、そのような先入観を持ったことを恥ずかしく思った。何かの世界に特別深い理解を示す人は、例え違う分野に興味の対象を移しても、同じ深さを保とうとするのだ。私は生の東儀さんを拝見しながら、一度、ゆっくりお話しさせていただきたい衝動に駆られた。東儀さんのお話をうかがっているうちに、大変失礼ながら、急速に精神的な親近感が沸き上がって来たのだった。

 果たして、銀塩カメラかデジタルカメラか。その答えは明確には結論付けられなかったが、パネラーの誰もが銀塩カメラを推していた。デジタルカメラで撮影した写真は、オンラインで参照するときに、ランダムアクセスができないが、紙にプリントされた写真は、飛ばし飛ばしに見ることができる。ランダムアクセスの需要は、作品を審査するときに上がって来るらしい。

 会議は、途中で十分ほどの休憩をはさみ、およそ二時間で閉会となった。締めの言葉として、なぎらさんがこんなことをおっしゃった。
「同じ漢字で表すとしたら、デジタルカメラは楽(らく)、銀塩カメラは楽(たの)しい」
会場から、ほほうという感心の声が沸き起こった。この、洒落のような機転の利いたなぎらさんの一言は、参加した人全員の心に残ったことだろう。

 私は、芸術と向き合うための精神的な世界の入口を垣間見たような気がした。芸術への探求もまた、精神世界に足を踏み入れて行くことなのではないか。私は何だか久しぶりに大脳を刺激された気がしていた。独身の頃、私は東京に住んでいて、偽ライカ同盟ではないが、チョートク先生の主催されているカメラのサークルにちょくちょく顔を出していた。その頃は、毎週のように大脳が刺激されていたのだ。それが、ガンモと結婚して大きな安定を得て、私の大脳は、知識欲という刺激からしばらく離れていたのだ。それが再び活動し始めるかもしれない。私がしばらくクラシックカメラから離れていたのは、知識を吸収し続けて行くことへの行き詰まりだったように思う。しかし、写真を撮ることが単なる知識の蓄積ではなく、精神的な世界に足を踏み入れるて行くのだとしたら、新しい道が開かれるような気がする。

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2006.02.18

樽見鉄道とうすずみ温泉

 この三月のダイヤ改正で引退する列車とお別れするため、私たちは名古屋へと向かった。途中、大垣で降りて、樽見(たるみ)鉄道を堪能し、終点の樽見から無料送迎バスに乗って、うすずみ温泉にゆったりとつかった。

 樽見鉄道は、大垣と樽見を片道およそ一時間で結ぶ一両編成のワンマンカーで、レールバス仕様の車両も運行されている。料金箱には手編みのカバーが掛けられている。ワンマンカーの料金箱は、前方と後方に一つずつ設置されているが、両方の料金箱にそれぞれ別の色の手編みのカバーが掛けられていた。私はもう、それだけでこの樽見鉄道が好きになってしまったのだ。一体誰が編んだのだろう。樽見鉄道を愛する人たちの中に、編み物の好きな女性がいるのだろうか。それとも、樽見鉄道の社員の身内の方が編んだのだろうか。カバーを編んだ人は、自分の編んだカバーが多くの人たちの目に触れながら、大事に使用されていることを見届けているのだろうか。手編みのカバーを見つけただけで、様々な想像が膨らんで来る。既成のものではなく、心のこもった手作りの優しさを感じる。

 樽見鉄道は、向かい合わせのクロスシートではなく、都会の通勤列車に見受けられるようなロングシートである。利用客は、そのロングシートがほぼ埋まるくらいのちょうどいい数だ。乗り心地も良く、窓の外にはのどかな田園風景が広がっている。

 終点の樽見に着くと、うすずみ温泉の無料送迎バスが待機していた。無料送迎バスに乗り込み、およそ十分でうすずみ温泉に到着。うすずみ温泉の入浴券は、冬季限定の樽見鉄道の一日乗車券を購入すると、セットでついて来る。普通に料金をを払うと、大人一人八百五十円だ。

 名物は、桶で作られた五右衛門風呂だ。私は、小さい頃に、父の実家で入った五右衛門風呂を思い出した。あの頃は、蓋の下に一体どれほどの深さがあるのかわからなくて怖かったが、うすずみ温泉の五右衛門風呂は、比較的浅く、安心して利用できた。ただ、桶は、プラスチックと木が混ざり合ったような材質で、昔の五右衛門風呂を知っている人からすると、少し違和感を覚えるかもしれない。それでも、入ると蓋が沈む五右衛門風呂は面白くて、何度も桶に入ってみた。

 うすずみ温泉には、露天風呂、サウナ、スチームサウナ、ジェットバス、リラックスバス、うたせ湯など、楽しい設備が揃っている。私はサウナに入り、思い切り汗をかいてみた。たくさんの汗を出して、気分爽快になり、大満足だった。ガンモも大満足だったようで、お湯の温度が低い割には温まったと喜んでいた。

 私たちは再び無料送迎バスに乗り、樽見まで戻り、更に、樽見鉄道で大垣まで戻った。帰りの列車の中で、二人の女の子を連れた二人の外国人女性に出会った。女の子の一人は小学生くらい、もう一人は幼稚園くらいだった。大人の外国人女性は、親戚か友人同士といったところだろうか。小学生くらいの女の子は、席に座っておとなしく本を読んでいたが、幼稚園くらいの女の子は、列車に設置された整理券の発券機の動きに興味があるらしく、発券機の前にずっと待機して、その動きを注意深く見守っていた。どうやら、回数券が出たり引っ込んだりする様子が面白いらしい。運転手さんも、彼女の様子に気づいていて、わざと列車のドアを閉めたりした。列車のドアが閉まると、自動的に回数券の発券も停止され、それまで飛び出していた回数券がパタンと中にしまい込まれるのだ。彼女にとっては、それが不思議でならないらしい。

 列車が発車し、それまで飛び出していた回数券が発券機の中にしまい込まれると、幼稚園の女の子はお母さんのいる席に着いた。そして、お母さんからお菓子をもらい、食べ始めたのだが、そのお菓子を、列車に乗っている全員に一つずつ配ってくれた。お菓子は、動物クッキーだった。彼女の行動で、列車に乗っていた人たち全員の表情が緩み、車内全体がにこやかな雰囲気に包まれた。彼女は、列車が停車している間に、運転手さんにも動物クッキーをあげた。そればかりでなく、運転手さんには、クレヨンで描いた自分の絵をプレゼントした。彼女の母は、彼女の行動をずっと見守っていた。日本人の母親ならば、このような娘の行動に対し、恥ずかしそうな態度を取ってしまうかもしれない。私がその幼稚園の女の子だとしたら、私の母はどのような態度を取るだろう。ひょっとすると、運転手さんには話し掛けちゃいけません、などと言うかもしれない。その時点で、子供の愛情表現は、袋小路に入ってしまうのではないだろうか。欧米人の愛情表現が豊かなのは、子供の素直な愛情表現が許容されているからだと思った。

 運転手さんは、途中の駅で、威勢のいい元気な運転手さんと交代になった。新しい運転手さんは、発車のときの掛け声がやけに大きかった。彼は、外国人の乗客がいることを意識したのか、次はどこどこに止まりますという案内を、英語でアナウンスし始めた。私たちは、こんな機転の利く元気な運転手さんに拍手を送り、ますます樽見鉄道が好きになった。

 大垣からは、JRの新快速列車に乗り換え、私たちは翌日のために名古屋に宿泊した。とても暖かい雰囲気に包まれた幸せな一日だった。

参考URL:
樽見鉄道株式会社
四季彩館 うすずみ温泉

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2006.02.17

ベホイミの呪文

 ヒーリングという行為が初めて私の意識に昇ったのは、ロールプレイングゲームのドラゴンクエストを体験しているときだった。ホイミ、ベホイミ、ベホマの回復系の呪文を唱えると、戦闘で傷ついたキャラの身体が癒されるというものだった。ゲームの中では、この呪文を自分自身に対して唱えることもあれば、他のキャラのために唱えることもある。呪文を唱える度に、呪文を唱えるキャラのMP(マジックポイント)が消費され、呪文の対象となるキャラのHP(ヒットポイント)が回復するようになっている。

 ゲームの中には、戦闘には強いが回復系の呪文を使えないキャラと、戦闘にはめっぽう弱いが回復系の呪文を使えるキャラが存在している。戦闘に強いキャラだけで固めて戦いに出てしまうと、自分自身でHPを回復できないために、激しい戦闘に絶えられず、戦闘に破れてしまうことが多い。回復系の呪文が使えなくても、アイテムを使ってHPを回復する方法もあるのだが、持参できるアイテムの数には限りがあるために、戦闘効率が非常に悪いのだ。だから、仲間のキャラを引き連れて戦闘の旅に出掛けるときは、戦闘に強い攻めのキャラと回復系の呪文を使える守りのキャラの両方を伴うのが望ましい。そのとき、戦闘に強いキャラには前を歩かせて遭遇した敵ととことん戦わせ、戦闘力のない回復系のキャラは、敵の攻撃から守るように後ろのほうに配置する。このような配置を行うことで、戦闘キャラは戦闘に、回復キャラは戦闘で負傷した仲間の回復に、それぞれ専念できるのである。つまり、戦闘キャラと回復キャラは、常に持ちつ持たれつの関係なのである。

 こうしたキャラの存在もまた、陰陽を象徴しているように思える。当然、攻めのキャラが陽で、守りのキャラが陰である。陽は守ることよりも、責めることのほうが得意で、陰は攻めることよりも、守ることのほうが得意である。

 このように、ドラクエの中では、癒す、癒されるという行為が繰り返し行われている。ゲームの中のキャラの感情までは読み取れないが、私が気になるのは、癒す、癒されるという行為が同時に起こっているかどうかだ。戦闘でダメージを受けたキャラは、回復キャラに「癒して欲しい」と願うのだろうか。回復系の呪文を唱えることのできるキャラは、戦闘でダメージを受けたキャラを見て、「癒してあげたい」と思うのだろうか。そして、両者の想いに時間差はないのだろうか。ゲームの中で、瞬時に癒しが行われているということは、双方の想いに時間差がないか、双方のキャラの間に愛が通っているということなのではないかと私は睨んでいる。

 普段、ヒーリングとはあまり縁のない私でも、ガンモに対して不思議なヒーリングを体験をしたことがある。そのことは、遠隔ヒーリングに書いた通りだ。この体験を通して私が感じたのは、愛あるヒーリングは最短ルートを通るということだった。このとき、ガンモの側に私のヒーリングを受ける準備が整っていたとはとても思えない。それでも、私のイメージした内容がそのままガンモの症状に反映された。しかも、私はこのとき特にMPを消費したわけではなかった。歯痛で苦しそうにしているガンモのことを想うと、ただただ涙が溢れ、ガンモを苦しめている痛みを取り除きたいと思ったのだ。強調しておきたいのは、「取り除いてあげたい」ではなく、「取り除きたい」という強い願望を持ったことだ。

 密教系の仏像が怖い顔をしているのは、悟りへの近道に通じているからだという説がある。「取り除いてあげたい」というやや控えめな感情よりも、「取り除きたい」という強い願望のほうが、実現への近道に通じているのかもしれない。そうした強い願望を持てるのは、愛が通っているからこそだと私は思っている。そう考えると、ドラクエに登場するキャラたちの間には、目には見えない愛が通っていたのかもしれない。

参考URL:
ドラゴンクエストの呪文体系
ヒットポイント
マジックポイント

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2006.02.16

喋る口あれども、聞く耳持たず

 最近、職場の特定の人に対して、マンション管理の勧誘電話が何度も何度もしつこく掛かって来ている。一体どこから個人情報入手したのか、その人の自宅の住所や電話番号まで知っていると言う。派遣社員が外線を取ることはほとんどないので、私はその電話を取ってはいないのだが、その電話を取った人は、対応に苦慮しているようだ。電話を取った人は、「○○さんをお願いします」と、ターゲットになっている人の呼び出しを頼まれるらしい。しかし、その○○さんは、既に何度も何度もその電話を受けているために、電話には出たがらない。結局、○○さんではなく、電話を受けた人が勧誘を断る羽目になってしまっているようだ。

 しかし、○○さんが電話に出たがらないことを電話の主に伝えても、受話器を置くとすぐにまた電話が掛かって来る。とにかく、そのしつこさには目を見張るばかりだ。そんなことが、一日に何度となく繰り返されている。一度掛かり始めると、電話を取った人の周りに座っている人たちも含めて聞き耳を立ててしまい、仕事どころではなくなる。

 一体、どうしてそんなにしつこくできるのだろう。そもそも私たちが、何故、この手の勧誘電話を不快に思うかと言うと、こちらの話を聞く耳を持っていないからだと思われる。相手の話を聞き始めると、まるで丸暗記したかのようなお決まりの文句で一方的に話し続ける人が多い。その時点で、コミュニケーションはもう成立しなくなってしまっているわけである。これだけしつこくできるのも、相手の話を聞くモードになっていないために、電話を掛けて来る人の中に変化が訪れないことで実現できてしまうことなのだろう。これはある意味、絶対的な関係と言える。相対的な関係ならば、少なからず、相手の影響を受けるものだ。

 この件で、少し感動したことがあるので書き留めておきたい。残業時間中に、私の席の後ろに座っている人がその電話を取った。多くの人は、もはやこの手の電話にうんざりしていて、最初から真剣に取り合わずにすぐに電話を切ってしまうのだが、彼はまず、相手の言い分を良く聞き、それに対する応答を返していた。しかも、相手を脅すわけでもなく、相手に対して怒りの感情をむき出しにもせず、ただ落ち着いて相手と会話をしていた。彼は、ターゲットになっている○○さんに電話を取り次がないつもりで一生懸命対応していたらしいのだが、相手は○○さんに代わってもらえないなら何度でも電話を掛けると言ったらしい。そして、やむなく○○さんに代わったわけだが、○○さんが断って電話を切っても、すぐにまた電話が掛かって来ていた。

 私は、彼の勇気ある行動に拍手を贈った。彼は、
「マンション経営をすることにそれほどのメリットがあるなら、あなたがすればいいじゃないですか」
と言っていたが、相手の言葉をそのまま相手に返すという対応は大変素晴らしい。相手が、何故自分で率先しないかの理由を答えれば、自分もそれと同じ理由を返せばいいわけである。良く言われているのが、卑猥ないたずら電話の対応としてもっとも効果的なのが、相手の発する卑猥な声を録音して相手に聞かせることらしい。彼らにとって、相手に向けた言葉がそのまま自分に返って来ることほど恐ろしいものはないらしいのだ。何故なら、彼らには自分が見えていないからだ。

 今後、この騒動が、どのような形で落ち着いて行くのか、まだ先は見えていない。しかし、聞く耳を持たない一方的な態度は、私自身の態度をも振り返るきっかけを与えてくれる。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。電子メール及び掲示板の返信が遅延していますが、もう少しお時間をいただければと思います。

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2006.02.15

一ヶ月半と二十万円

 最近、考え続けていることの一つに、一ヶ月半という期間と二十万円があったら、どのような選択をするかということである。一ヶ月半という期間と二十万円。それは、子宮の全摘手術を受けて社会復帰できるまでの期間と手術代である。

 単刀直入に言ってしまえば、私の現在の身体は、去年のクリスマス前に鳥取県の三朝温泉に湯治に行く前の状態に戻ってしまったようである。十日間の湯治の効果は次第に薄れ、私の細胞活動は再び停滞を始めた。歩行時の痛み、座ったときに膣から何かが飛び出るような異物感、固い下腹部。それらが戻って来てしまったのだ。

 湯治から帰って来てから、ジェイソン・ウィンターズ・ティーというハーブティーを飲み始めた。ガンを煩っていたジェイソン氏が世界中のハーブを探して歩き、ブレンドした奇跡のハーブティーである。このハーブティーを飲み続けて、筋腫が流れ落ちたという人もいるらしい。ただし、効果が出るには数ヶ月かかるだろうと言われている。

 もう一つ、生理のサイクルに合わせて、天然のプロゲステロンクリームを使用し始めた。天然のプロゲステロンということで、副作用はあまりないらしいのだが、私は先日、このクリームを塗り過ぎてしまったらしく、朝起きたときからひどい肩こりに襲われてしまった。また、寝る時間でもないのにトロトロに眠くなったり、仕事中に顔のほてりがひどくなり、仕事どころではなくなってしまった。同じオフィスの誰に聞いても、私と同じように暑いと感じている人は誰もいなかった。私は、団扇で顔をパタパタと仰ぎながら(顔だけが異常に熱い)、何とかその日の仕事をこなしたのだが、仕事仲間からは、夏には空調が寒いと文句を言い、冬には空調が暑いと文句を言うと思われてしまっているようだ。おそらく、天然のプロゲステロンクリームでプロゲステロンを補給し過ぎてしまい、今度はエストロゲン不足の状態に陥ってしまったのだろう。一度、二つの女性ホルモンのバランスを崩してしまうと、なかなか調整が難しいようである。

 私の症状について理解のない人たちから見れば、私は体温調節ができない変な人なのだ。そのことを思うと、私は激しい孤独感に襲われた。そして、ガンモやツインソウルのことを思い出した。ガンモは夜寝るときに、私の子宮をいたわってくれる。ツインソウルは、私が筋腫のことを告白したとき、強いエネルギー体となって、私の隣で添い寝してくれた。それらの状況と、私の状況を良く知らない職場の人たちの態度の対比から、自分が愛の中にいることを知った。
 
 あの十日間の湯治の先には、一体何があったのだろうと私は思う。あのとき、私の筋腫は確かに柔らかくなった。しかし、帰宅してから、大豆イソフラボンを含む納豆を食べた途端、固くなってしまった。何日もかけてせっかく柔らかくなった筋腫が、一瞬のうちに固くなってしまったのだ。

 最近、メーリングリストなどでホルモン療法を取られている方たちのお話をうかがう機会に恵まれたのだが、やはり、ホルモン療法でも、筋腫が柔らかくなっていると言う。湯治でも同じように、私の筋腫は柔らかくなっていたのだ。もしも私がもっともっと湯治を続けていたら、私の筋腫は消えてなくなっていたのではないだろうか。私には、そんなふうに思えるのだ。

 だから、一ヶ月半という期間と二十万円があったら、私は三朝温泉にこもって、湯治に専念したい。その気になれば、仕事の都合など、どうにでもなるだろう。私はそう思っているのだが、現実主義のガンモは湯治に対して懐疑的で、なかなか賛成してくれないのだ。

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2006.02.14

チョコを贈るより、鳩を送ろう

 「ガンまる日記」を書き始めてちょうど二年になる。毎日書くと決めて書き始めた日記であり、後書き日記が多いにしても、ここにはきっかり二年分の記事がある。

 ちょうど十年前のバレンタインデーに、私たち夫婦は自分の気持ちに素直になり、交際を始めた。だから、「ガンまる日記」を書き始めたのもバレンタインデーだ。もともと、私たちはパソコン通信で知り合ったカメラ仲間で、気の合う友達同士だった。しかし、オフ会が終わって離れ離れになったあと、どうしてこんなに泣けて来るのかわからないほど究極の感情を体験し、やがてお互いが本当はどこに向かっているのかを認識することになった。思い返してみれば、ありとあらゆる出来事が、私たちが結ばれる方向へと動いていたのだった。自分の気持ちに素直になるということは、どうしようも泣けて来ることなのだと知った。

 十年前、私はガンモにチョコを贈るより、ハートを贈ろうと書いたFAXを送信した。ガンモと私は、関西と東京で離れていたので、FAXにハートを書いて送ったのだ。あとから、チョコレートとハート型のパワーストーンをガンモにプレゼントした。ガンモからのホワイトデーのお返しは、『休みの国』という古いバンドのCDだった。'70年代フォークがもっとも盛んだった時代のCDである。ガンモは私の好みを知って、自分はそのバンドを知らないのに、CDを探してプレゼントしてくれたのだった。私は、そのCDを何度も何度も繰り返し聴いた。

 ソウルメイトの愛を伝えて行きたくて、私はこの「ガンまる日記」を書き始めた。しかし、私のサイトに来てくださる方のほとんどは、ソウルメイトではなく、ツインソウルの学びを選択している人たちだ。ソウルメイトの学びを選択している人たちは、普段、ソウルメイトという存在を意識することなく幸せな毎日を送っているのかもしれない。しかし私は、もっともっと、ソウルメイトの学びを選択している人たちと出会って行きたい。だから私は、これからも「ガンまる日記」を書き続けるだろう。私がここに居ることを見つけてもらうために。

 付き合い始めて十年経ったバレンタインデーを、私はガンモと一緒に過ごした。ガンモは休日出勤の振替休日、私は体調が優れなくて仕事を休んだのだ。パソコンには向かえる程度の体調不良だったが、そのことに関しては後日詳しく触れることにしよう。ガンモとずっと同じ部屋に居て、ときどき見つめ合っては微笑みを交わした。体調が優れないことを除けば、何と幸せな時間なのだろうと思った。

 そのとき、ガンモとこんな会話をしたのだ。
「十年前は、チョコを贈るより、ハートを贈ろうだったけど、今は、チョコを贈るより、鳩を送ろうかな」
鳩を送る? それとも、鳩を贈る? そんなことはどっちだっていい。多少の洒落が利いていればそれでいいのだ。

※毎日、「ガンまる日記」を書き続けることができたのも、いつも応援してくださっている皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。m(__)m

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2006.02.13

きたやまおさむ「ザ・還暦」〜一回だけのコンサート

 大阪のフェスティバルホールで行われた『きたやまおさむ「ザ・還暦」〜一回だけのコンサート』にガンモと二人で行って来た。会場に着いてみると、立見席の入場待ちの人たちが、長い列を作って並んでいた。しかも、会場に足を運んでいる人たちのほとんどは、四十代、五十代のいわゆる中年層である。体力的にも、そろそろ立見は辛いはずだ。それでも、絶対にこのコンサートを見逃したくないという強い意気込みが伝わって来る。そして、指定席のチケットを持っている人たちの表情も、どことなく上気している。

 チケット代金は、コンサートにしては少々割高な九千円。一体どのようなステージを見せてくださるのかと思っていたら、まあ、出演者の多いこと。きたやまおさむさんの還暦のお祝いに駆けつけたゲストは、杉田二郎さん、加藤和彦さん、坂崎幸之助さん。そして、管弦楽の演奏として、兵庫芸術文化センター管弦楽団の方々が数十名。コンサートは、第一部、第二部、アンコールの三部構成で、午後五時の開演からおよそ三時間半の熱演だった。

 第一部は、きたやまさんと長年のバンドメンバーの演奏だった。キーボード、ベース、アコースティックギター(きたやまさんを入れて二人)、バンジョウ、パーカッション/ドラムといった構成で、きたやまさんはアコースティックギターとヴォーカル担当だった。私は、バンジョウの東洋的な響きに、思わず引き込まれた。バンジョウの響きは、西洋の音階の開きを埋め合わせるかのように、私たちの耳にすべり込んで来た。更に、パーカッション担当の兼松さんのお腹で叩くドラムにも感激した。数年前に、京都駅のコンコースで行われたザ・フォーク・クルセダーズの再結成ライブで彼の演奏を初めて目にしたのだが、楽器と一体になっている人という印象は変わらなかった。

 きたやまさんは、会場の反応を確かめながら、こうしてステージに立てる喜びを全身で表現していた。ステージに立っている自分に酔いしれていたと言っても過言ではない。ステージに立つと、淡々と歌い続けるアーチストもいるが、普段は九州大学の大学教授という日常があるきたやまさんは、こうしてステージに立つことが非日常なのだった。コンサートの開始時間が午後五時からと通常よりも早かったのは、コンサートを終えたきたやまさんが新幹線で九州まで帰るためだった。翌日からは再び日常に戻るきたやまさんは、今、このときという瞬間を思い切り楽しんでいた。

 第一部の途中で、杉田二郎さんが登場した。数ヶ月前にイルカさんのライブでお目にかかったときは、杉田さんの存在がちょっと浮いているように感じられたのだが、長年一緒に歌を作り続けて来たきたやまさん相手ということで、杉田さんは、その場の雰囲気にすっかり溶け込んでいた。還暦を迎えても次々に新たな歌を生み出し続けている二人。MCで、最近、ひどくボケ気味であることが披露される。きたやまさんは、携帯電話をなくし、大学の校内放送まで流してもらったと言う。ところが、その携帯電話は、自宅の下駄箱で発見されたそうだ。一方、杉田さんは、新しく買った車の鍵をリモコンでピピッと開けたあと、車に乗り込んだが、エンジンをかけようにも、鍵を差し込むところが見つからなかったと言う。実は、何を思ったのか、杉田さんは、後部座席に座り込んでいたのだそうだ。そのことに気づくのに三十秒くらいかかったとか。そんな日常のボケや身体の変化を歌にしましたと言いながら、杉田さんが新曲を披露してくれた。言うまでもなく、会場からはクスクスと笑い声が上がっていた。

 名曲の「戦争を知らない子供たち」で第一部が幕を閉じたあと、十五分の休憩に入った。私はトイレに行きたかったので、女子トイレに駆け込もうとしたのだが、既にたくさんの人たちが列を作っていた。係員が、
「お二階にもトイレがございますので、そちらを利用されたほうが早いかと思います」
と案内してくれた。しかし、いざ二階に上がってみると、二階席の人たちで既に長い列ができていた。これなら、一階のトイレで待っていたほうが早かったかもしれないと後悔した。結局、十五分の休憩時間の間にトイレを済ませることができなかったのだが、私は第二部の開演に遅れてもいいから、トイレを済ませておきたかったので、根気強く並んだ。関西のおばちゃん、恐るべしと思ったのは、男性がまだ入っているのに、男子トイレに入って行くおばちゃんたちが居たことだ。おばちゃんたちは、中に男性がいることを確認すると、遠慮がちにいったん出て来たが、男性が出て行くのを確認すると、再びどかどかと男子トイレの中に入って行った。いやあ、参った。

 第二部は、兵庫芸術文化センター管弦楽団の方たちによって、「帰ってきたよっぱらい」のアレンジ曲が演奏された。兵庫芸術文化センター管弦楽団には、外国人の方もたくさんいらっしゃる。彼らは原曲を知らない。アレンジされたこれらの曲は、すべて加藤和彦さんが手掛けたものだと言う。クラシックのパロディなどもふんだんに盛り込まれ、これまた笑える演奏だった。皆さんも、想像して欲しい。アレンジされたとは言え、「おらあ、死んじまっただ〜」の節が、真面目な真面目な管弦楽団によって演奏されている光景を。しかも、そうした楽曲と楽曲の間に、正装したきたやまさんが登場し、モノローグを読み上げる。モノローグの内容は、精神医学という彼の専門分野における「帰って来たよっぱらい」の解釈だった。それらが終わると、加藤さんや坂崎さんも登場し、フォークルのナンバーを歌ってくださった。

 そして、第三部では、二回のアンコールに応えてくださった。きたやまさんは既に翌日の日常モードに切り替わりつつあり、
「今、何時?」
などとスタッフに問い掛けている。きたやまさんは、既にこのコンサートにとても満足しているようだった。だから、フォークルのナンバーを加藤さんと坂崎さんに歌わせ、自分はさっさと退場してしまったのだ。それが彼のネタかもしれないが、まあ、そういう思い切りのいい人なのだ。

 私は、フォークルの再結成ライブのような展開を期待していたので、コンサートの中身自体は、期待していたものとは少々違っていたのだが、「帰って来たよっぱらい」を精神医学に結び付けるというユニークな発想、そして、そのために管弦楽用に曲をアレンジした加藤さんも素晴らしいと思った。それらの楽譜が、兵庫芸術文化センター管弦楽団によって、実際に演奏されたことも大変素晴らしい。このような形で還暦をお祝いするとは、何と壮大なパフォーマンスだろう。

 肉体的にはどんどん衰えを見せてはいるものの、音楽を愛する精神は、いつまでも彼らの中で輝き続けているのだと思った。そして何よりも、何十年も同じ夢を追いかけ続けている仲間たちに巡り合えたということは、彼らにとって、かけがえのない宝なのだと思った。偉業を成し遂げる人には、現世で立てた計画を遂行するために、こうした素晴らしい出会いが用意されているものだ。

※いつの間にか、15万ヒットを超えていました。皆さん、どうもありがとうございます。応援クリックも、いつもありがとうございますm(__)m

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2006.02.12

蚊帳の内と外

 ガンモと一緒に『きたやまおさむ「ザ・還暦」〜一回だけのコンサート』というコンサートに出掛けた。あのザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむさんの還暦コンサートである。今日は、そのコンサートの内容を書こうと思っていたのだが、きのう書いた祖母の入院費のことで新たな展開があったので、皆さんにご報告させていただきたい。

 実は、コンサートに参加している間に、私の携帯電話に母からのメッセージが残されていたのだ。コンサートが終わって、母の残してくれたメッセージに耳を傾けてみると、
「さっき、おばちゃん(母の兄嫁・伯母)が入院費を持って来てくれたので、安心してください」
と言っていた。私は、こんなにも早く変化が訪れたことに驚きを隠せなかった。究極的な気持ちを体験し、涙を流したせいだろうか。結果が現れて来る時間差が縮まったようだ。

 母によれば、先月末にこれらの不和が勃発し、祖母の入院費の支払い期日が今月の六日だったと言う。ところが、その日になっても入院費の支払いがなかったので、母が祖母の病院費を支払った。しかし、その間ずっと、伯父や伯母は、本当にこれでいいものかと、心の中で自問自答していたに違いない。そして、長男として、長男の嫁として、もっとも責任のある選択をしたのだ。伯父もずっと寝たきりだと言うのに。私は感動のあまり胸が熱くなり、母に電話を掛けた。

 母によれば、今後の入院費も、伯父と伯母で支払って行くと言ってくれたそうだ。しかし、本当にこれで一件落着と言えるのだろうか。このことを母の弟や妹が知ることになるかどうかはわからないが、自分たちがこの課題に参加していないことに対し、そろそろ何かを感じ始めてもいい頃だと思うのだ。蚊帳の外にいて、魂の想いに素直になれないままでいることは、いろいろな意味で遅延が起こる。

 伯母も、伯父の介護で疲れ切ってはいるようだが、それでも、以前の彼女とはまったく別人のように丸くなった。伯父の介護や祖母の病気が、伯母に大きな精神的な気づきをもたらしたのかもしれない。蚊帳の外ではなく、蚊帳の内に入ったことで、伯母は素晴らしいプレゼントを手にしたのだ。

 私は、母から連絡が入る前に、既にインターネットバンキングから父の口座にお金を振り込んでいた。お金を振り込むとき、私は何だかとてもうれしかったのだ。今まで育ててくれた父母に、こうした形で恩返しができるということに。既にお金を振り込んだことを母には伝えたが、また何かあったときに使って欲しいと言っておいた。

 ただ、今回のことで考えさせられたのは、延命とお金の関係性である。これを扱うには余りにも難しいテーマだと思われるので、また別の機会に書かせていただくことにしよう。

※皆さん、たくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m そして、ご心配をおかけしました。m(__)m

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2006.02.11

保険と愛情

 母の誕生日だったので電話を掛けてみたところ、親戚の人たちともめて、母が祖母の入院費を全額支払うことになってしまったと言う。母は四人兄弟の長女だが、母の兄である長男も、十数年前に倒れ、既に寝たきり状態。その家で一緒に暮らしていた祖母も倒れ、七年以上も入院生活を続けている。これまでは、母の兄の障害者保険と祖母の年金で、祖母の入院費を支払っていたと言う。母の兄嫁は、母の兄の世話で精一杯。だから、祖母の面倒は、これまで母が一生懸命看て来た。しかし、母の弟や妹は、祖母の世話を母に任せっぱなしである。そんなこともあって、親戚関係がずっとぎくしゃくしていたのだ。

 そうした状況の中、介護保険法の改正のため、毎月の祖母の入院費が跳ね上がり、支払いが苦しい状況になりつつあったようだ。そこへ、祖母の妹がお金のことで口出しして来て母の兄や兄嫁を怒らせ、母の兄を除く兄弟三人で祖母の入院費を支払えということになったと言う。しかし母は、これまで祖母の面倒を看ることのなかった弟や妹が協力的になってくれるはずがないし、あまりもめごとを大きくしたくないとのことで、父と話し合った末に、祖母の入院費を支払うことにしたのだそうだ。

 祖母は、そのことを知っているはずもないのに、病院で母の顔を見ると、涙を流すのだと言う。私は、母の話を聞きながら、涙が出て来た。母がずっと祖母の面倒を看て来たことを私は知っている。母は、ご飯の時間がやって来る度に病院に通い、祖母の様子を見に行く。祖母が長生きできているのは、母のおかげだ。これほどまでに、継続的な愛情を注げる人を、私は見たことがない。母は、そういう愛情を持っている人だ。だから、母の弟や妹と話し合って、みんなでお金を出し合ったらと提案したのだが、祖母が入院してからは、祖母の見舞いに来ない母の弟や妹とは既に断絶状態にあるのだと言う。こういうのをカルマ的と言うのだろうか。

 十年前に祖父が亡くなってから、母の兄弟の仲はこじれ始めた。母の兄が寝たきりであるために、兄弟をまとめる人がいないからなのだろうか。私は、祖母の妹がお金のことで口出しして来たことは、単なるきっかけに過ぎなかったのではと母に言った。母はそれに激しく同意していた。だから、今回のことで、母の兄も兄嫁も、肩の荷が下りたような気持ちになって、ほっとしているはずだと言った。

 いろいろな要因が合わさって、一つの事象へと流れて行く。私は、保険のことはさっぱりと言っていいほどわからない。自分が働いた給料の一部が、どのようにして国に収められているのかについても、まったくもって無頓着だ。民間の保険に関しても、保険屋さんから説明を聞いて加入するのは頭が痛い。これまで私は、保険というシステムが存在しているのは、愛のない証拠だと思っていた。しかし実際は、保険というシステムに、これまでずいぶん助けられて来たのだった。だとすると、そろそろ保険は愛があるという見方に変えざるをえない。民間の保険業者に加入して受け取る保険金は、個人に還元されるので、すぐさま愛に繋がるとは思えないが、国の運営する保険は、還元先が不特定多数であり、愛そのものだ。

 私が働いて国に収めている税金の一部が介護保険に回っているのならそれでいい。入院費が急激に高くなったというのも、何か事情があってのことなのだろう。その原因も、社会情勢に疎くて良くわからない。それらの原因を知るべきか知らないでおくべきかは別にして、親元を離れて暮らしている私ができることとしては、母に対する金銭的な援助だった。

 母は電話を切るときにこう言った。
「ガンモの両親を大切にしてあげんといかんよ」
それを聞いた私は、言葉にならなかった。自分たちがこのような状況に追い込まれても、まだガンモの両親を気遣える母の優しさに感動した。起こったことが母や父に必要な学びだとしても、このままでは済ましたくない。どうか、納得の行く形で事態が動き始めますように。そして、これらの学びに付き合ってくれるガンモにも深く感謝している。ガンモ、ありがとう。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。

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2006.02.10

仕事でミス

※この記事を読んだガンモが、企業の事情を公開してはいけないと厳しく言うので、申し訳ありませんが、一部の情報を伏せさせていただきます。

 仕事で大きなミスを犯してしまった。去年リリースした製品のインストーラを担当したのだが、特定のOSで使用すると、とんでもない不具合が発生してしまうことが発覚したのだ。

 特定のOSとは、Windows NT4.0、Windows 95、Windows 98、Windows Meの四種類だ。幸いなことに、私が担当しているアプリケーションは、企業以外のユーザに使用されることはまったくないので、上記OSの使用率もかなり低い。何故なら、現在は、ほとんどの企業がWindows XPかWindows Server 2003またはWindows 2000を使用しているからだ。これらのOSを使用している限り、その不具合は発生しない。

 しかし、万が一、ユーザのところで不具合が発生してしまってはいけないと、再現テスト環境を作って、何度も何度も試行錯誤を重ねていた。まずは現状を把握し、既に出回っている製品への対応をどうするかなどをプロジェクトメンバと話し合った。不具合が起こってしまったあとの回避策としては、MS-DOSモードでパソコンを立ち上げ、対処することが考えられる。Windowsからコンピュータの世界に入った人たちには、MS-DOSモードなどと言われても、ピンと来ないかもしれないが。

 そもそも、今回のことが起こったのは、インストーラを作成するソフトウェアのバージョンを上げたことがきっかけだった。多くの人たちに、同じような経験があるかもしれない。WordやExcelでバージョンが新しくなる度に、同じ機能でも、少しずつ変化して行くようなものである。インストーラを作成するソフトウェアのバージョンを上げるときに、古いバージョンでの設定を引き継いだはずなのだが、同じ設定でも、古いバージョンではその現象が発生しなかったのに、新しいバージョンではその現象が発生するようになってしまっていたのだ。まさか、そんなところに変更が加わっているとは思いもよらなかったので、そのあたりの動作確認を行なわずに出荷してしまったのだ。

 Microsoftは、既に上記OSのサポートを終了している。しかし、これまで長きに渡ってアプリケーションを開発し、リリースして来た身としては、いきなりサポートから外すのも考えものだという意見もある。そのあたりのところで意見が分かれ、なかなか方向性が確定しない。ただ、不具合が発生してしまったときの回避策はあるので、今後はそれを開示して行くことになるだろうと思われる。

 早いもので、私がコンピュータ業界に入って今年で十七年。ワープロでパソコン通信を始めてから十二年。当時は、パソコン通信をしている女性は本当に限られていたので、性別を伏せておいたほうがいいですよ、などとアドバイスしてくださる方もいたくらいだった。パソコン通信の世界には、圧倒的に男性が多かったので、相手が女性だとわかると、変な気を起こす人がいるということを危惧してのことだと思う。

 ところが、今は一家に一台のパソコンが当たり前の時代になりつつある。パソコンに向かう女性の数も多くなって来た。時代はすっかり変わっている。だから皆さんも、新しいOSを使いましょう。(笑)

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2006.02.09

幻の四連休

 カレンダーを見ながら、
「三月の二十日に休暇を取れば、四連休になるじゃん」
とガンモが言った。それ以来、ガンモの頭の中は旅の計画でいっぱいだったらしい。

 しばらくして、
「四連休は東北に行くから」
とガンモが言った。東北地方に、三月末で廃線になってしまう路線があるので、乗り潰しておきたいと言う。私が、
「じゃあ、東北のラジウム温泉に行くのも計画に入ってる?」
と聞くと、
「残念。そこまでは時間が取れない」
などと言う。何ということだ。せっかく東北まで足を運ぶというのに。福島のやわらぎの湯とか、秋田の玉川温泉に入れるわけじゃないのか。

 「それなら行かない」
と私はすねてみた。実際、何だか気乗りがしなかったのだ。四連休といえども、広い広い東北を回るには、あまりにも短すぎる期間だったからだ。

 「九州の霧島だったら行ってもいいよ」
と私は言ってみた。霧島温泉は、硫黄が強くて身体にいいと本で読んだことがある。だから私は、密かに霧島温泉に行きたい気持ちに駆られていたのだった。ガンモは路線図を見て、霧島温泉の位置を確認したあとこう言った。
「残念です。霧島温泉のある肥薩(ひさつ)線は、もう乗り潰してます」
「ええっ?」
私は目を丸くした。確かに、二〇〇四年の夏のガタンゴトンツアーで、九州の一部の路線を、ガンモと一緒に乗り潰した。せっかく四連休にするのだから、既に乗り潰しの終わってしまった路線に再び乗車することに対し、消極的になってしまう気持ちもわからないでもない。
「じゃあわかった。東北でいいよ」
「ホント?」
東北行きに関して、ようやく私が合意したので、ガンモはとても喜んでいた。

 ところが、後日、仕事帰りにガンモに電話を掛けてみると、ガンモがしょんぼりした口調でこう言ったのだ。
「休みを取って、わざわざ四連休にしなくていいから」
「えっ? どういうこと?」
「仕事が入った。だから、まるみも四連休にしなくていいから」

 何じゃ、そりゃ。自分が仕事で休みを取れなくなったからと言って、私も四連休にしなくていいとは何ごとよ。ガンモは、自分だけ働くのがシャクらしい。こうして四連休は幻になってしまったわけだが、ガンモの申し出に関係なく、私は四連休を取ることになるかもしれない。何しろ、わざわざ出掛けて行かないにしても、やりたいことはたくさんあるのだから。

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2006.02.08

血縁よりも大切なもの

 帰宅してみると、ガンモは自転車のタイヤを交換し、鳩の糞で汚れた玄関をきれいに掃除してくれていた。ガンモ、どうもありがとう。玄関を掃除していたとき、ガンモは面白いものを見つけたそうだ。それは、作りかけの鳩の巣だった。玄関の隅に置いてある段ボールの後ろに、五十本以上の小さな枝がひっそりと集められていたと言う。
「あいつら、あそこに巣を作ろうとしてたんだよ。禁止!」
とガンモは言った。ガンモは、玄関に巣を作られてはかなわんと、それらの枝を撤去したと言う。我が家で巣作りをしてもらってもかまわないが、どうか玄関だけは外して欲しい。

 ところで、最近、マンション内の各階で、鳩の糞が多くなっていることが問題になっているらしく、各自で鳩を追い払ってくださいとの張り紙があった。しかし、ずっと餌を与え続けて来た彼らを、急に突き放すことなどできない。彼らは、朝、私が台所に立つと、台所のベランダに続くガラス戸の取っ手に止まるようにさえなって来た。餌くれ合図なのである。

 しかし、考えて見れば、確かに糞は汚い。糞も、もとはと言えば口から受け入れた食べ物だったはずなのに、身体を通して排泄された途端、目を背けたくなるほど汚いものに変化してしまう。必要なものだけを身体の中に吸収し、身体にとって不要なものはどんどん排泄して行く。人間を含めた多くの動物たちが、当たり前のように行っていることだ。

 ここで、ちょっと視点を変えてみよう。誰しも、自分の子供のウンチの世話は厭うことなくできるはずだ。それは、子供に対する愛情と責任があるからこそできることだろう。良く、自分の子供はかわいいなどと言う。また、夫婦は所詮、他人だ、などと言われてもいる。そうした謂れ(いわれ)の背景には、血の繋がりを大切にしたいという根本的な考えがある。

 実は私は、これらの価値観にあまりピンと来ない。私自身に子供がいないこともある。また、血の繋がりのないガンモのことを、とても他人だとは思えないこともある。どうやら私は、血の繋がりよりも、魂の繋がりのほうに重きを置いているようだ。

 そもそも、何故、こうした価値観に対し、ピンと来ないのか突き詰めて行くと、どうも私自身の中に血縁に対するこだわりがないようなのだ。だからこそ、愛情ベースの近親相姦を受け入れることができる。更に、ただただ漠然と考え続けていることなのだが、この先、私自身が妊娠・出産を経験しないならば、血の繋がりのない子供を受け入れて行くことも可能だろうと思っている。

 まったくそういう視点ではないのだが、かつて、トリイ・ヘイデンの書いた本を読みふけっていたことがある。世の中に、親の愛情を信頼できずに育って行く子供がいるのだとしたら、私たち夫婦に何かできることがあるかもしれないと思っている。ただ、まだ本当に漠然と思っていることであって、実現に向かう見込みも兆しもまったくない。

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2006.02.07

パン屋の前でパーン

 仕事を終えて待ち合わせをしたガンモが、私にこんなことを言った。
「朝、電車の中からまるみにメールしようと思ってたのに、優先座席だったからメールできなかったんだけど」
「何? 何?」
「朝、通勤の途中にね、自転車の前のタイヤがパーンと言って破裂したの」
「ええっ? どういうこと?」
「どうもね、空気を入れ過ぎたみたい」

 前日の夜、ガンモは空気が抜けてしぼんでしまったタイヤに空気を入れるために、自転車をエレベータに乗せて部屋の前まで運んだ。そして、タイヤに思い切り空気を吹き込んだらしい。ところが、空気を入れ過ぎてしまったらしく、我が家から少し走ったところの交差点で、パーンと音を立ててタイヤが破裂してしまったと言う。

「○○○(有名なパン屋さんの名前)の前の交差点でパーンって言ったの」
「パン屋さんの前でパーンって言ったの?」
「そうそう」

 ガンモは仕方なく自転車を転がして自宅まで引き返し、バスに乗って出勤したと言う。たまたまゆっくり出勤できる日だったらしく、仕事に影響は出なかったそうだ。確か、ガンモのほうが私よりも後から家を出たのだった。

 ガンモは普段から、自分で自転車のメンテナンスをするのが好きだ。子供の頃に自転車屋さんにブレーキの修理をしてもらったとき、ガンモは自転車屋さんの作業を見よう見まねで覚えて、ブレーキの交換も自分でするようになった。自転車のチェーンが切れてしまったときも、近所のホームセンターで専用の工具を買って来て、四苦八苦しながら繋いだ。チェーンが外れただけではなく、切れてしまったチェーンを修復したのだ。もちろん、パンクしたタイヤも自分で修理する。タイヤに小さな穴が空いた程度なら、修理セットでささっと直してしまうが、今回のようにタイヤが破裂した場合でも、骨董市で安く買った換えのタイヤがある。

 ガンモはうれしそうに溜め息をついた。
「あああ、これで明日することが増える」
休日に働くことの多いガンモは、平日に振替の休みを取っている。あたかも溜め息をつくような素振りを見せながらも、自転車をメンテナンスできるということで、どこかうれしさがにじみ出ているガンモ。ガンモは一見、イライラするような出来事でも、こうしてすぐに喜びに変えてしまう。きっと、私が帰宅する頃には、新しいタイヤに取り替えられていることだろう。

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2006.02.06

秘仏歓喜天

 城崎温泉には、温泉寺という真言宗のお寺がある。麓の入口の山門には、密教系の恐ろしい顔つきの阿吽の金剛力士像が左右に立ち、参拝に訪れる人たちを見下ろしている。

 私たちは温泉寺を参拝し、そこにある小さなお堂に大聖歓喜天が祀られているのを発見した。そう、この「ガンまる日記」のプロフィール画像としても使用している秘仏歓喜天である。私は大好きな歓喜天を拝みたくて、お堂に駆け寄り、お堂の中をそっとのぞき込んだ。しかし、お堂には秘仏が外から見えないようにしっかりとガードが施されていた。取っ手の隙間からこっそりのぞいて見ると、ぴしゃりと畳み込まれた祭壇と、お坊さんが使う座布団が見えた。

 歓喜天は秘仏なので、一般にはむやみやたらに公開されることはない。だから、これほど歓喜天好きの私でも、これまでただの一度もお寺で実物の歓喜天を拝んだことがない。お堂にある歓喜天を拝みたくて、温泉寺の方に問い合わせてみたのだが、やはり、秘仏であるため、公開はできないとのことだった。

 私がホームページなどで歓喜天の映像を公開していると、ときどき歓喜天に関する問い合わせが入って来る。一番最初に問い合わせがあったのは、どこかの大学教授からだった。まず、その歓喜天をどこで手に入れたかということから始まって、歓喜天は中途半端な気持ちではお祀りできないこと、日に何度かお水をお供えしてお祀りすることが必要だということなどが書かれていた。私が、歓喜天を手に入れた場所などをメールで返信すると、すぐさまその大学教授から、長いこと探し続けていた仏像なのでうれしい、早速、自分もそこへ行ってみるという喜びのメールが届いた。私は、骨董市などで歓喜天を探して歩いているが、確かにあまり見掛けない。たまに見掛けても、造りがひどく乱雑だったりするので、そういう歓喜天は購入しないようにしている。

 一体、歓喜天のどこが好きなのか。それは、抱き合っているときの幸せそうな表情に尽きる。ガンモもこの歓喜天が大好きだ。だから、私たちが抱き合うときはいつも、歓喜天のようにしっかりと抱き合う。正式には、十一面観音の化身である女性の像が、男性の足を押さえつけているのだが、そこまでの演出はしない。

 おそらくだが、この歓喜天が秘仏になっているのは、下半身もしっかりと繋がっているからだと思う。そのために、邪悪な心を持った人には見せられないのだろう。しかし、歓喜天の表情が、性的な繋がりによる恍惚ではなく、精神的な喜びに満ちていることを理解すれば、邪悪な心でこの秘仏を拝むことにはならない。

城崎温泉で撮影した写真:
兵庫県

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2006.02.05

ひょっとして更年期?

 去年あたりから、エネルギーが極端に落ちて、掲示板やメールの返信が著しく停滞するという状況が続いている。私は最初、大殺界による低運気のせいだろうと思っていたのだが、最近になって、ひょっとするとこれは、更年期障害と言われているものではないかと思い始めている。

 更年期とは、女性の身体が閉経に向かって安定するまでの移り変わりの時期のことらしい。更年期に抱える症状は人により様々で、のぼせや発汗、冷え、動悸、頭痛、めまい、疲労倦怠感、くよくよしたり憂鬱になる、肩こり、腰痛など全身のあらゆるところに出現すると言われている。私の場合、のぼせ、冷え、疲労倦怠感、憂鬱、肩こりなどの症状が当てはまっている。特に顕著なのは疲労倦怠感で、エネルギーが沸いて来ないため、掲示板やメールの返信がすっかり停滞してしまっている。それでも、かろうじて、瞬発力だけは残されているようだが、とにもかくにも持続力がない。

 のぼせに関しては、職場の暖房が暑くてたまらず、顔を真っ赤にしながら仕事をしている。女子トイレで同僚に会うと、
「顔が真っ赤ですね」
と良く言われている。

 ところで、最近、休みで家にいるときは、眠くて眠くてたまらない。どうしてこんなに眠いのかと考えてみると、思い当たるふしがあった。どうやら、先日から使用し始めた天然プロゲステロンクリームの影響によるものらしい。以前も書いたように、女性ホルモンには二つの種類がある。筋腫の観点で言えば、成長を促すエストロゲンと、成長を抑制するプロゲステロンだ。私のように筋腫がたくさんある人は、エストロゲン過多と言われている。そこで、このブログのサイドバーでもご紹介しているリー博士の本の内容に従って、生理のサイクルに合わせてお風呂上がりに天然プロゲステロンクリームを使うようになったのだ。しかし、奮発してたくさんのクリームを使い過ぎてしまったのか、眠気に襲われるようだ。これからは、クリームの量を少し減らしてみようと思う。

 それにしても良くわからないのは、私が抱えているような更年期障害は、筋腫の成長を促しているはずのエストロゲンが不足しているために起こっているとされていることだ。だから、更年期のホルモン療法では、エストロゲンを補充する治療方法が取られている。となると、私が更年期障害のために婦人科に行けば、エストロゲンを補充されてしまうのだろうか。

 そんな私でも、三朝温泉の湯治から帰ってからしばらくは、とても調子が良く、仕事もてきぱきこなしていた。おそらく、三朝温泉に溶け込んでいたラドンをたっぷり吸い込んだことで、私の身体の中で古い細胞が押し出され、新しい細胞がどんどん作られたからだろうと思う。しかし、三朝温泉の効果が薄れ、次第に新しい細胞が作られなくなり、活動も停滞してしまったのではないだろうか。また、三朝温泉に行って、エネルギーを補給したい。今はそんな気持ちでいっぱいだ。

 三朝温泉に行ってラドンのパワーをもらう以外に、再び、細胞を活性化させる方法はないのだろうか。まさか、断食? 今、私が自分自身の身体から感じることは、一部分の細胞しか機能していないような感覚である。そして、取り入れたエネルギーが還元されずに、どんどん蓄積され続けているような感じなのだ。

※これは、一種のおまじないかもしれません。掲示板の返信なども、「しばらくお時間をください」などと書くと、数日後に返信できることが多いです。書くことによって、このままではいけないと、自分で進むべき方向を定めるのかもしれません。

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2006.02.04

加悦(かや)SL広場

 城崎温泉からの帰り、豊岡から北近畿タンゴ鉄道に乗り、野田川駅で降りて、加悦(かや)鉄道の跡地を訪ねた。加悦鉄道は、昭和六十年に廃線になってしまった鉄道である。野田川駅から加悦町役場前までバスに乗り、加悦町役場のすぐ目の前にある加悦町観光協会の建物の中を見学した。そこには、加悦鉄道の現役時代に使われていたいくつもの道具が展示されていた。

 外にはたくさんの雪が降り積もっていた。雪はまだまだ降り止むつもりはないらしく、しんしんと静かに降っている。ガンモの計画では、加悦町観光協会でレンタサイクルを借りて、そこから二キロほど先にある加悦SL広場に向かう予定だった。そこには、引退した加悦鉄道の車両がほとんど残されていると言う。しかし、あまりにも雪がたくさん降っていたので、歩いて向かうことになった。おそらく、雪の多い地域で生活している人たちにとっては、これくらいの雪は平気なのだろうが、まだ雪と友達になれていない私たちは、降り積もった雪は恐ろしいものなのである。

 かつて、加悦鉄道が走っていた線路が舗装されたサイクリングロードになっていた。目的地の加悦SL広場は、サイクリングロードの終点にあると言う。ガンモは、
「ここから車で三分、自転車で十分くらいだから、歩くと三十分くらいかな」
と言った。そうして私たちは、雪の中をえっさえっさと目的地に向かって歩き始めた。しかし、歩いても歩いてもなかなか着かない。雪は時折降り止んで、一面の銀世界を私たちの前に映し出してくれる。雪に慣れていない私たちは、雪がとても眩しいことを知った。いくら歩いてもなかなか目的地に着かないので、
「私たち、ここで遭難するのかな」
などと大袈裟なことを言いながら、とにかく雪の中を突き進んだ。そして、ようやく目的地が見えて来たのだ。写真:加悦町

 四十分以上歩いて、ようやく目的地にたどり着いたのだが、私たちはとにかくお腹が空いていた。加悦SL広場の中には飲食店があったので、そこで昼食を取ることにした。そこでは、外にある食堂車の中で食事ができることになっていたので、私たちは食堂車に料理を運んでもらい、雪景色を見ながらゆっくり食べた。その食堂車は、見た目は普通の客車なのだが、随所にテーブルが取り付けられ、食堂車用に改造された車両のようだった。写真:加悦SL広場(1)

 今日中に家に帰れるのだろうかと心配になるほどたくさんの雪が降っていた。しかし、風が吹いていなかったので、私たちは施設の中を精力的に歩き回り、展示されているすべての車両を見て回った。その中でもユニークだったのは、郵便車両とストーブの付いた車両だった。機能的に作られたそれらの車両は、使っている人がいなくても、それが使われていた時代を容易に想像させてくれる。私は、ストーブの付いた車両にテーブルと椅子があるのがひどく気に入って、持っていた自分のノートパソコンを取り出して、そこでしばらくパソコン操作をしてみた。引退した古いその車両も、何十年か後に、車掌でも何でもない女性がパソコン操作をするのを受け入れることになろうとは思いもしなかったことだろう。写真:加悦SL広場(2)

 帰りのバスの時間までたっぷりあったので、施設の外にあるCAFE TRAINでゆったりとお茶を飲みながら身体を温めた。二十年以上も前に廃線になった鉄道も、このような形で温存され、有効利用されている。しかも、この施設を運営しているのは、旧加悦鉄道の会社だった。写真:加悦SL広場(3)

 ここに来れば、食堂車で昼食を取るという非日常を味わうことができる。そんなことを考えていると、つい先日、受験の記事を書いたばかりの私は、図書館車なるものがあってもいいのではないかと思ってしまう。私がここでそうしたように、書くことが好きな人は、場所を変えてでも集中したがる。多くの作家がホテルにこもって書きたがるように、受験生もまた、雰囲気を変えて集中したくなるのではないだろうか。だから、もう使わなくなった車両をちょっと改造して、テーブルと椅子を並べたら、窓の外の景色を眺めながら息抜きできる素敵な図書館が出来上がるのではないだろうか。

 加悦SL広場をあとにした私たちは、西舞鶴から特急タンゴディスカバリーに乗って京都まで出て京都で遅い夕食を取ったあと、帰宅した。

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2006.02.03

かわいい足には足袋を履かせるな

 この一週間、とても楽しみにしていたことがある。それは、金曜日に休みを取って出掛ける城崎(きのさき)温泉への旅だった。七つの外湯(そとゆ)があり、文豪たちにも愛されて来た城崎温泉。初めて出掛けたのはおよそ一年半前のことだった。夏だったので、名物のカニシーズンから外れ、とても空いていた。私たちは、浴衣を着て、下駄を履き、温泉街をカランカラン歩くという小さな幸せに酔いしれた。そして、冬になると、カニを食べに城崎温泉を訪れるようになった。楽しみなその日が今年もやって来たのだ。

 私たちは、ずっと以前からこの日が来るのを指折り数えながら待ち望んでいた。しかし、いよいよその日が目前に迫ったとき、どういうわけか、急に気持ちが落ち着いて来たのだ。

 木曜日の夜、仕事帰りにガンモとこんな会話を交わした。
「明日からの城崎温泉行きが、とにかく楽しみで楽しみで仕方がなかったよ」
「うん、私もそう。この一週間、とても長かった。それなのに、今日になると、何だか急に落ち着いて来てね。あんなに楽しみだったはずなのに、一体どうしたんだろう?」
「やっぱりそう? 実は俺もそうなんだよ。あんなに楽しみだったのに、今日になった途端、気持ちが落ち着いて来た」

 ソウルメイトの私たちは、感情の起伏も一緒なのだろうか。不思議なことに、城崎温泉行きを楽しみにしている気持ちと、それが落ち着く気持ちのサイクルが一致していたのだった。

 そして、いよいよその当日がやって来た。私たちは、普段、出勤するよりも早起きして支度を整え、三ノ宮から「かにカニはまかぜ」(臨時特急はまかぜ)に乗って城崎温泉へと向かった。十一時過ぎに城崎温泉に着いた私たちは、コインロッカーに荷物を預け、少し早めの昼食を取ったあと、十五時のチェックインの時間まで温泉街をぶらぶら歩いた。時間がたっぷりあったので、その間に七つの外湯に入っても良かったのだが、実は、ちょっとした事情があった。

 城崎温泉では、宿泊先の旅館で、七つの外湯に無料で入れる入浴券を必要なだけもらえる。ただし、その入浴券は、チェックイン前、チェックイン後は利用できない。チェックイン前、チェックイン後に七つの外湯を利用するとなると、それぞれ六百円の入泉料を支払うことになるのだ。それを考えると、あと数時間で無料になるのだから、外湯に入るのはもう少し待とうという穏やかな気持ちになれるのである。

 さて、城崎温泉では、雪がしんしんと降り始めていた。ときどき、刺激を与えるかのように、あられが激しく降り注ぐ。そのため、解けた雪で道路がべちょべちょになっている。普通の運動靴を履いて来てしまった私は、すぐに靴の中が濡れてべちょべちょになってしまた。

 ようやくチェックインの時間になったので、私たちはチェックインを済ませ、入浴券をもらって外湯へと繰り出した。既に靴がべちょべちょになっていたので、私たちは旅館で下駄を借りた。ガンモの靴はベちょべちょには濡れていなかったが、私が下駄を借りたので、ガンモもそれに合わせてくれた。下駄を履くとなると、上は浴衣でないとアンバランスなのだが、外はとても寒いので、私たちは洋服のまま出掛けた。

 ところが、下駄を履いても、温泉街を二人でお手てつないでカランコロンというわけにはいかなかった。先ほども書いたように、道路は解けた雪で既にべちょべちょだ。靴下を履いた私たちの足も、水分を吸ってすぐにべちょべちょになってしまった。しかも、雪の日の下駄はかなり歩きにくい。それでも、私は既に靴がべちょべちょだったので、旅館の下駄箱で自分の靴を乾かしておきたかった。しかし、靴下を履いたままの私たちは、雪解け水が靴下にしみ込んで足がひどく冷たくなってしまった。ガンモは途中で勇気を出して靴下を脱いでしまったが、極度の冷え性の私は、靴下を脱いで裸足で下駄を履く勇気を持てなかった。

 歩きにくい上に冷たくなった足をひきずりながら、外湯の一つ、「御所の湯」にようやく辿り着いた。ここは、少し前に建て直されたばかりの近代的な外湯だった。着いたときには、びちょびちょに濡れた靴下に体温を奪われ、足が冷たくて仕方がなかったのだが、不思議なことに、脱衣場に入って靴下を脱いでしまうと、足がぽかぽか暖まって来た。とても不思議な現象だった。もしかすると、帰り道も、靴下を脱いでおけば暖かいのかもしれないとさえ思った。

 「御所の湯」には、露天風呂もあり、なかなか楽しめる外湯だった。入口付近にある待合所でガンモと待ち合わせをして、少し休憩を取ってから、今度は洞窟風呂のある「一の湯」に足を運んだ。そのとき、私は裸足のままで下駄を履いてみた。普段、お風呂から上がるとすぐに靴下を履かなければ、足が冷えてとても心地が悪いはずなのに、どういうわけか、靴下を履いていなくても暖かかった。かわいい足には足袋をさせよ? いや、違う。その逆だ。かわいい足には足袋を履かせるな、ということなのかもしれない。

 「一の湯」から上がって、旅館まで帰るまでのおよそ数十分の間(靴で歩けば十数分のはずだが、雪の日に履く下駄では歩きにくかった)、私は裸足のまま下駄を履いてみた。ときどき、雪に足を取られて、下駄が足から外れて雪の中に素足を突っ込んでしまったが、それでも私の足は冷え切ることもなく旅館まで持ち堪えた。しかも、旅館に着いてからも、すぐに靴下を履かなければならないというような緊迫した状況にもならず、むしろ暖かかったのだ。もしかすると、これも一種のホメオパシーだったのだろうか。

 旅館に帰ると、すぐに夕食の時間だった。去年と同様、私たちはカニをたらふくご馳走になった。ガンモはおなかがいっぱいになり過ぎてとても苦しそうだったが、私はカニを残すことなくおいしくいただいた。

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2006.02.02

六万人の非日常

 朝、いつものように神戸市営地下鉄三宮駅に着いてみると、普段よりも多くの人たちが改札の前でうごめいていた。彼らは途方に暮れているようだった。一体何が起こっているのかと思いながら、駅の案内板を見てみると、停電のため、地下鉄が運休しているという。これは面白い。私の職場は神戸市の外れにあるため、車通勤の人も多いが、電車通勤の人もたくさんいる。現在、電車通勤の人たち全員が職場にたどり着けない状態にあることを想像すると、普段から非日常を求めて旅に出ることを楽しみとしている私としては、日常の生活の中で起こったハプニングにわくわくし始めていた。

 私は、職場のある最寄駅に着くためには、明石からバスが出ていることを知っていた。地下鉄の駅員さんに確認してみると、やはり、明石からバスに乗るように言われた。振替輸送を行っているかと尋ねてみると、地下鉄の定期券を持っている人にはJRの振替輸送券を発行してくれると言う。私は、回数券通勤だったので、振替輸送券はもらえなかったが、とにかく、JRで明石まで向かうことにした。勤務先には、明石まで出て、そこからバスに乗るので、十一時くらいの出勤になることをメールで伝えておいた。

 JRのホームに着くと、すぐに新快速電車が入って来たので、私はそれに乗り込んだ。普段から、私は通勤にもJRを利用しているが、いつもは三宮駅で降りてしまうので、そこから先の旅は非日常になる。以前、明石よりももっと先にある大久保で働いていたことがあるので、その頃のことを思い出しながら、私は窓の景色を見て回想にふけっていた。

 たくさんの人たちが明石でどやどやと降りた。時刻は既に十時近い。明石駅ビルの中のお店も開店間近だ。私は、ショッピングを楽しみたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢してバス乗り場へと向かった。バス乗り場では、既にたくさんの人たちが長い列を作っていた。地下鉄が運休しているため、普段、地下鉄を利用している人たちが流れ込んで来たのだ。停車中のバスには乗ることができなかったので、私は次にやって来たバスに乗り込んだ。

 バスが発車し、途中の停留所にバスが止まると、停留所でバスを待っている、いつもそのバスを利用している地元の人たちが驚きの表情を隠し切れない様子だった。彼らは、地下鉄を利用していないのだから、地下鉄が運休していることなど知る由もない。だから、普段、空いているはずのバスが超満員であることに、一体なにごとかと思ったようだった。途中の停留所から乗り込んで来た地元の人たちの会話に耳を傾けていると、一本前のバスも超満員だったので、乗れなかったそうだ。いつもは楽に座れるはずのバスが、突然超満員で通過する。彼らにとっても、この事態は非日常だったようだ。しかも、利用客はお年寄りが多い。お年寄りたちは、終点まで乗るのではなく、ほんの少しの区間だけ利用していた。

 終点までは、およそ四十五分かかった。平日の午前中、のどかな時間を私はバスの中で過ごした。バスは住宅街を巡り、いくつもの停留所に停車しながら、ようやく終点に着いた。バスを降りて、地下鉄の駅の前を通ってみると、電車はもう復旧していた。三宮駅でもう少し根気強く待っていれば、復旧した地下鉄に乗れたかもしれなかった。私も、バスと一緒に回り道をしたわけだが、地下鉄の運休は、非日常を存分に体験させてくれて、ちょっとした小旅行気分だった。

 出勤してみると、とにかく通勤が大変だったと、みんな口を揃えて言っていた。職場の最寄駅の一つ手前の駅に住んでいる人は、歩いて出勤したと言う。他にも、家の人に職場まで車で送ってもらった人、停電前から地下鉄に乗っていて、電車の中で数十分もの間、缶詰状態になっていた人、途中の駅まで復旧した段階で、とりあえず、途中の駅までやって来て、そこからバスに乗り換えた人、舞子という明石の手前の駅で降りて、地下鉄の途中の駅まで向かうバスに乗り換え、地下鉄の復旧を待ってから出勤した人、実に様々だった。同じ目的地に向かうのに、みんなそれぞれ異なるルートを通っていた。そして、私のように小旅行を楽しんだという人は少なく、それぞれの体験した非日常が、大変だったと感じた人が多かったようだった。

 私と同じ派遣社員の中には、地下鉄運休のため、普段出勤できるはずの時間に家を出たにもかかわらず、到着できなかったということで、タイムシートには一体どの時間を記入したら良いか、派遣会社に問い合わせる人まで出て来た。私は、派遣社員は時給で働いているのだから、出勤した時間を書くのが当然だろうと思っていたのだが、彼女に言わせれば、普段、出勤しているはずの時間に出勤できなかったのは、地下鉄が運休したせいであって、決して自分のせいではないので、普段、出勤するはずの時間をタイムシートに記入してもいいのではないかということらしい。私は、非日常の小旅行に満足していたので、そんなことはどうでも良かった。もしも、それが認められるなら、毎日のように遅れているJRの遅れの分だけ、私はタイムシートに働いた時間を加算してもいいことになってしまう。

 ニュースによれば、神戸市営地下鉄の運休は、六万人の足に影響を及ぼしたと言う。私もその六万人の一人だったわけであるが、同じ職場の人たちの中でも、これだけ千差万別の反応があるということは、六万通りの反応があるのかもしれない。

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2006.02.01

途中の段階

 もう肉体を持つ必要がないことが魂のゴールだとしたら、肉体を持っていることは、私たちがまだまだ途中の段階にいるということである。例えば、大学受験のように、決められた期日の間に結果が出てしまう場合は、NGという状態も有り得る。しかし、大学受験は何もその年だけのことではないし、本当にその大学に行きたければ、次の年にまた挑戦すればいい。例え期日が決まって答えの出ることであっても、望む結果が遅れてやって来ることもある。これも、時間差だ。一年、あるいはそれ以上の時間差はあるにしても、一つ前の電車に乗り遅れ、次の電車に乗って目的地に向かうことと何ら変わりがない。

 そう考えると、私たちが何かを判断するとき、常に途中の段階において判断しているに過ぎないことに気づいて行く。例えば、先日、私のホームページの掲示板で、ハラハラするような展開があった。私は、掲示板で起こっていることに対する信頼があったにもかかわらず、その現象に対して口出ししてしまった。しかし、私が口出しなどしなくても、事態は確実にプラスの方向へと動いていたのだ。つまり、私は、事態がプラスに向かい始めるのを待ち切れなかったことになる。途中の段階で判断してしまったに過ぎなかったのだ。

 良く、結婚はゴールではないと言う。結婚とは、結論ではなく、状態のことだと最近思う。結婚していても、結婚の状態にない人たちもいる。結婚していなくても、結婚と変わりない状態の人たちもいる。私の言う結婚の状態とは、ちんちんかもかも状態(男女の仲が睦まじいさま)のことである。おそらく、結婚の状態を保ち続けている人たちもまた、自分たちがゴールにいるのではなく、まだまだ途中の段階にいることを常に意識しているはずだ。

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