私の辿って来た道
ガンモとパソコン通信時代の昔話になり、ガンモと密になる以前にときどきメールのやりとりをしていた男性のことが話題に昇った。その人を、仮にYさんとしよう。Yさんは、私たちが参加していたパソコン通信の写真フォーラムの電子会議室で知り合った仲間なので、私たちの共通の知り合いということになる。
「Yさんとはメールをちょくちょく交わしていたけど、文章がしっかりしてるから、一体どんな人なんだろうという期待があったよ。私はいずれ、この人と結婚することになるのかな、とかね」
と私が言った。そう、文章を書くことが好きな私は、文章で人に惹かれることがある。それは、句読点の打ち方だったり、感嘆符のあとにきちんと一文字分のスペースが挿入されているか、助詞の使い方が適切かといった観点だったりする。つまり、正しい日本語で記述されているかどうかの観点で文章を観察することにより、それを書いた人の文章が私の中にすっと入って来るかどうかが決まるのだ。Yさんの文章はとても読みやすく、文章の組み立て方も助詞の使い方も非常にしっかりしていた。だから、どんな人なのか、とても気になっていたのだ。
確か、Yさんと初めて顔を合わせたのは、ガンモと初めて顔を合わせたのと同じオフ会だったと記憶している。結論から言ってしまえば、ガンモに対しては既知感があったが、Yさんに対してはそれがなかった。そして、ガンモとはほとんどメールを交わしていなかったにもかかわらず、やがて、磁石のようにくっつき合って結ばれた。不思議なものだ。
ガンモとYさんの話をしながら、
「Yさんって、感情を顔に出さないよね」
という話になった。例えば、中古カメラ市でYさんの姿を見つけてあいさつを交わすときも、Yさんはいつも無表情だった。普段から感情を表に出さないようにしているのかどうかはわからない。Yさんとはいつも、ついさっきまで話していたかのように会話が始まる。もしも私がガンモと出会っていなかったら、私はYさんと結婚していたのだろうか。いや、多分、していないだろう。Yさんとは、やりとりしたメールの回数は多くても、ほとんど感情を交わしていなかった。だから、そのような関係に発展することはなかっただろうと思う。ただ、どこかの段階において、感情を交わすということが有り得たかもしれないというだけのことだ。
ガンモと短期間の間に打ち解けることができたのは、お互いに早いうちから感情を交わしたからである。それは、恋愛を始めるための一番の近道だった。そしてもう一つ、ガンモと私は、ユーモアの精神が似通っていた。普段から冗談を言い合うこと、そして、ネガティヴさえも笑いに変えてしまうこと。そうしたユーモア精神が、私の人生には不可欠だったと感じる。このように、私の辿って来た道を振り返ってみても、その道は、確実にガンモに続いていたと実感できるのだ。
感情を交わすという、人間関係においてもっとも基本的な行為。その感情は、時として、怒りであったり、悲しみであったり、喜びであったり、また、ユーモアであったりもする。そうした感情を交わすことで、私たちの間には少しずつ蓄積されて行くものがある。だから、一度でも感情を交わした相手との間には必ず何かが残り、やがてそれが絆となって行くのだ。
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