知識と感情の分離
既にあちこちでブログやホームページを書き散らしている私は、そのときどきで自分を使い分けている。ブログやホームページには、それぞれコンセプトがあり、そのコンセプトに共感して集まって来てくださる方たちとの相対的な関係もある。例えば、現在、メインで書いているこの「ガンまる日記」で、毎日のようにコンピュータやカメラに関することを書き続けることはできない。それは、最初に掲げたコンセプトから外れてしまうことが、読んでくださる方たちへの裏切りに相当するのではないかという懸念があるからだ。となると、ブログというものがWeb日記という名前を持ちながらも、書き手のためものではなく、読み手の反応を意識した内容になってしまっているということである。
読み手との繋がり方は、二通りある。一つは、知識で繋がる場合。もう一つは、感情で繋がる場合である。感情を交わさないコンピュータやカメラの世界は知識で繋がる世界になる。だから、そうした世界で知り合った人たちと感情を交わせるようになると、もっと親交が深まる。しかし、知識で繋がっている人たちとの関係において、感情を交わすことについて、相手が戸惑いを感じれば、それ以上、踏み込んだ関係にはならない。
ブログを一つだけ書いて、その中に様々なカテゴリを盛り込んでいる方をときどき見掛ける。カテゴリごとに記事を分けられるのもブログの醍醐味なのであるが、私はそうした方に対し、思わず拍手を送りたくなってしまう。たった一つのブログの中ですべての自分を表現しようとしているということは、自分の中に矛盾がないことに等しいと思うからだ。私には、それは不可能だと思ってしまう。例えそれが可能になったとしても、一体誰が私の個のてんこもりのブログを読みに来てくださるというのだろう。知識で繋がっている人たちは、知識に関する新たな記事が追加されることを期待してくださるだろうし、感情で繋がっている人たちは、感情が表現された記事が追加されることを期待してくださるだろう。だからと言って、ブログやホームページを読んでくださる誰とも相対的な関係を結ばず、淡々と記事を書き続けるようなことはできない。わざわざ口に出さなくても、誰しも、ブログやホームページを通じて知り合う人たちとの相対的な関係が、できるだけ良好であることを望んでいる。
ああ、私は何が言いたかったのか。自分の中の知識と感情を繋げることができれば、既に相対的な関係を結んでいる人たちとも、知識と感情の分離を体験しなくて済むようになるのではないかということだ。
※皆さん、私のパワーがないときでも、パワーを分けてくださってありがとうございます。m(__)m
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