« 続・時間差 | トップページ | ソウルメイト商法 »

2006.01.17

気づきを待てない

 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告の死刑が確定したそうだ。一部のブログでもこのことが取り上げられ、その記事に対し、「死刑が確定して本当に良かったと思います」などというコメントが書き込まれていた。それを書いた人は、本当に、心からそう思っているのだろうか。死刑は、殺人を犯した人の魂が更正するチャンスを失うばかりか、死刑を執行する人が自分を傷つける要因を作り出すだけなのではないだろうか。きっと、ご遺族の方たちにとっても、彼の死刑が執行されることで心が晴れることはない。むしろ、ご遺族の方たちの心が晴れるのは、宮崎勤被告に対する許しが起こったときではないかと思うのだ。

 以前、私は、肉体を去って行った魂という記事を書いた。その記事に、不合理ゆえに我信ずのmori夫さんが共感してくださり、ハーンの「停車場にて」という記事を書かれた。私は、この記事の中で引用されているラフカディオ・ハーンの「停車場にて」の情景が心に焼き付いて離れない。罪人と遺族を意図的に引き合わせた警官。こうした直接的な方法こそがもっとも人間的であり、魂の気づきのスピードを速めるのだと私は思う。しかし、現代では、ものごとを隠す方向に動いている。つまり、間に介入するものがたくさん存在しているのである。これでは、気づきのスピードを上げようにも、途中でたくさんの寄り道が必要だ。

 宮崎勤被告は、自分の死刑判決に対し、「何かの間違い」と言い、一七年前の自分の行為に対しても、「良いことをした」と言っているという。「反省の色がない」などと、あちこちのニュースサイトで書かれてもいる。もしもそれらの記述が正しいなら、彼が自分の行為を振り返り、ハーンの「停車場にて」に書かれているように号泣するのは、一体いつのことだろう。ここにも、魂の気づきに時間差が出て来る。彼は、長い長い時間をかけて、自分の行為を振り返り、いつか号泣するのだろう。彼の気づきを待てないために、死刑が執行されようとしているのだ。

|

« 続・時間差 | トップページ | ソウルメイト商法 »