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2006年1月

2006.01.31

知識と感情の分離

 既にあちこちでブログやホームページを書き散らしている私は、そのときどきで自分を使い分けている。ブログやホームページには、それぞれコンセプトがあり、そのコンセプトに共感して集まって来てくださる方たちとの相対的な関係もある。例えば、現在、メインで書いているこの「ガンまる日記」で、毎日のようにコンピュータやカメラに関することを書き続けることはできない。それは、最初に掲げたコンセプトから外れてしまうことが、読んでくださる方たちへの裏切りに相当するのではないかという懸念があるからだ。となると、ブログというものがWeb日記という名前を持ちながらも、書き手のためものではなく、読み手の反応を意識した内容になってしまっているということである。

 読み手との繋がり方は、二通りある。一つは、知識で繋がる場合。もう一つは、感情で繋がる場合である。感情を交わさないコンピュータやカメラの世界は知識で繋がる世界になる。だから、そうした世界で知り合った人たちと感情を交わせるようになると、もっと親交が深まる。しかし、知識で繋がっている人たちとの関係において、感情を交わすことについて、相手が戸惑いを感じれば、それ以上、踏み込んだ関係にはならない。

 ブログを一つだけ書いて、その中に様々なカテゴリを盛り込んでいる方をときどき見掛ける。カテゴリごとに記事を分けられるのもブログの醍醐味なのであるが、私はそうした方に対し、思わず拍手を送りたくなってしまう。たった一つのブログの中ですべての自分を表現しようとしているということは、自分の中に矛盾がないことに等しいと思うからだ。私には、それは不可能だと思ってしまう。例えそれが可能になったとしても、一体誰が私の個のてんこもりのブログを読みに来てくださるというのだろう。知識で繋がっている人たちは、知識に関する新たな記事が追加されることを期待してくださるだろうし、感情で繋がっている人たちは、感情が表現された記事が追加されることを期待してくださるだろう。だからと言って、ブログやホームページを読んでくださる誰とも相対的な関係を結ばず、淡々と記事を書き続けるようなことはできない。わざわざ口に出さなくても、誰しも、ブログやホームページを通じて知り合う人たちとの相対的な関係が、できるだけ良好であることを望んでいる。

 ああ、私は何が言いたかったのか。自分の中の知識と感情を繋げることができれば、既に相対的な関係を結んでいる人たちとも、知識と感情の分離を体験しなくて済むようになるのではないかということだ。

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2006.01.30

一度だけ出会った人

 きのう、受験戦争に関する記事を書きながら、受験戦争を通じて出会った人たちのことを懐かしく思い出していた。

 まず、最初に思い出すのが、実家近くから大阪南港まで乗ったフェリーの中で出会った私と同い年の高校生である。彼女は、大阪に住む女子高生だった。髪にはパーマをかけ、うっすらと化粧をしていた。私が彼女のいでたちに驚いていると、彼女は、
「大阪ではこれが普通やねん」
と言った。私の通っていた高校では、パーマをかけるなどもってのほかで、女の子の前髪は、眉毛が見えるくらいまでと決まっていた。また、後ろ髪も肩までかかって来るとゴムでまとめなければならなかった。これほどまでに虐げられていたのかと思うと、何だかこれを書きながら少し腹が立って来る。同じ高校生でも、住む場所によって、これほどまで文化が違うのかと驚いた。彼女とは、特に連絡先を交換し合うわけでもなく、そのまま別れてしまった。それでも、田舎の高校生だった私に大きな衝撃を与えてくれたことは間違いない。

 東京の私立大学を受験するときに、港区のビジネスホテルに宿泊した。そのビジネスホテルで、私と同じように受験のために広島から上京して来ている女子高生に出会った。とても存在感のある彼女は、そのビジネスホテルに連泊していたようで、フロント係の男性とも仲良くおしゃべりしていた。私も、広島の大学を休学したまま再受験したので、同じ広島市民ということもあって、お互いの住所を交換し合った。頭の良さそうな彼女は、きっと早慶のどちらかに入学したに違いない。だから、おそらく彼女と私は同じ時期に上京したはずなのだが、お互いに一度も連絡し合わなかった。ちょうど引っ越しの時期も重なっていたために、お互いに連絡し辛かったこともある。彼女もまた、ほんの一時期だけ会話を交わした人となった。

 受験の帰りの新幹線の中で、フィリピンの女性と出会って話をした。何を話したかもう覚えていないのだが、新幹線の中で、英語のかたことで話がはずみ、お互いの住所を交換したのだ。しかし、お互いに一度も連絡し合わなかった。

 受験のために田舎から出て来た私は、大都会で体験するいろいろな出来事が目新しくてたまらなかった。しかし、一度だけ出会った人たちのように、多くの出来事が、一方通行で通り過ぎて行った。大都会を走る私鉄に乗るとき、特急券は必要なのかどうか、国鉄しか走っていない田舎の人にはまったく判断できない。それでも、大都会には、そこで生活する人たちにとって当たり前の日常がある。そして、四月になれば、田舎から上京して来た多くの若者たちを飲み込んで行くのだ。

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2006.01.29

受験勉強はほどほどに

 私は昔、戦争に参戦していた。受験戦争という名前の戦争である。

 先日、インターネットで、センター試験の自己採点の成績表を実名入りで公表したことで、個人情報を守ろうとする観点からお叱りを受けたというニュースが取り上げられていた。私はむしろ、こうした現象に驚いてしまった。私が通っていた高校では、模擬試験の上位得点取得者を実名入りで張り出すことなど、日常茶飯事だったからである。問題になった高校では、成績を張り出すことにより、生徒同士の間で競争意識が生まれることを狙っていたらしい。私の通っていた高校でも、そうした風習があった。今の世の中の事情は、私が高校生だった時代とは大きく異なっているようである。

 私の通っていた高校は、かなり変わっていた。いわゆる進学校だったのだが、勉強が遅れてしまってはいけないと、修学旅行も夏休み中に企画される。一年生の頃から文系と理系にきっちりクラス分けされ、授業も受験に必要のない科目は極力切り捨てられる。また、成績によって、選抜クラスと非選抜クラスに分けられる。選抜クラスでは、教科書の進み具合がすこぶる速く、教科書はあっという間に終わらせて、さっさと問題集の演習に入ってしまう。予習をして行かなければ絶対に授業に追いつけない。

 今でも覚えているのは、親との懇談会で担任が私に言った言葉である。
「みんな、勉強してないなどと口では言っていても、実際は勉強してるのだから、その言葉に安心してはいけない」
高校では、人を信じることよりも、人を疑うことを教えてくれたのだった。

 高校三年間は、とにかく勉強ばかりしていた。世間では、あみんの『待つわ』が大ヒットしていたが、私はテレビも見ずに勉強に専念していたので、高校を卒業するまであみんの顔を知らなかった。それほどまでに勉強に励んだはずなのに、共通一次試験(今で言うところのセンター試験)では、とにかくひどい点数を取ってしまった。あまりにもお粗末な結果だったので、私は国公立大学志望から私立大学志望に切り替えた。しかし、二つ受験して、受かったのは広島の大学だけだった。広島の大学の入学金を収める期日が、もう一つ受けた大学の合格発表日だったため、私は自分で合格発表を見に行った。しかし、私の受験番号はなかったのである。

 私はこのとき、人生で最大の挫折を感じた。しかし、今になって思えば、若い頃に挫折感を経験しておいて良かったと思っている。もしもこのときの挫折がなかったら、もっと大人になってから経験する挫折に耐え切れなかっただろうと思う。

 結局、私は広島の大学に進学したのだが、すぐに休学し、親を説得して予備校に通い始め、翌年、東京の大学を再受験した。そして、いくつも受けた大学の中で一つだけ受かり、夢の東京生活が始まったわけである。

 私は、私立大学の国文科に入学した。情けないことだが、国文科の私が選択した選択必修の英語の授業は、高校時代に受験勉強で習っていた英語よりも簡単だった。私はすっかり気が抜けてしまい、大学にはあまり顔を出さないで自分の好きなことに専念するようになってしまった。真面目な真面目な高校生活を送った分、大学に入学してからの反動は大きかった。一体何のための受験勉強だったのか。こんなことにならないようにするためにも、受験勉強はほどほどにしておくべきである。

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2006.01.28

獅子座の女性

 これは、月見想のりえちゃんの認めてくれてありがとうへのトラックバックである。

 記事の中でりえちゃんは、感動的な出来事があったとしても、誰かに先に泣かれてしまうと泣けないと書いている。実は、私もまったく同じだ。普段、とても感動しやすいタイプなのに、自分よりも先に泣く人がいると、どうしても泣けなくなってしまうのだ。りえちゃんは、こうした現象について、次のように分析している。

 私はもともとすごい泣き虫だ。ドラマや映画をたり、本やマンガを読んだりしては泣く。ニュースで泣いている人を観てもらい泣きをすることすらある。恐がったり、淋しかったり、くやしかったりしても泣く。

 その私が幼い頃から泣けないときがあった。それは、弟が先に泣いた時だ。弟が泣いたら、自分は姉として弟を守らないといけない、かばわなくてはいけないと思った。そう思ったときには、泣きたい気持ちをぐっと我慢をしたものだった。多分その名残なんだろう。だから、身近な人が泣いた時は、自分が泣いていても涙が止まってしまう。

 なるほど。りえちゃんの場合は、自分がしっかりしなければならないという責任感があるために、自ら弱みを見せたくないようである。しかし、私の場合はどうだろう。りえちゃんとは少し違うかもしれない。

 私の場合は、負けず嫌いであることが大きいのだと思う。感動する出来事に出会ったときは、まず、誰よりも先に泣きたいのだ。自分が一番になりたいのに、誰かに先を越されてしまうと、泣けないのである。

 それからもう一つの理由として、「甘え下手」であることが考えられる。以前、私の掲示板で、「甘え上手」と「甘え下手」に関する話題が展開された。ある女性が、自分は男性に甘えられやすいと告白してくださったのだが、私も何だか同意してしまった。その女性は、私と同じ獅子座の生まれである。そう言えば、りえちゃんも獅子座ではないか。私の知る限り、獅子座の女性はみんなどこか姉御肌なところが似ていて、とても親近感がわく。

 ところで、ガンモとベッドの中にいると、ガンモが私を抱くのではなく、いつも私がガンモを抱く格好になる。私はいつも、
「いつも何で私がガンモを抱くの?」
とブツブツ言いながらも、心の中では「まあいいか」と思いながら、ガンモを抱いている。ガンモは甘え上手だが、私は甘え下手。だから、力関係も、ガンモが私を守るというよりは、私がガンモを守るような感じである。

 ときどき、職場などで甘え上手の女性を見ると、私には絶対に真似できない接し方だと感じてしまう。獅子座の私は、誰かを個別に誘ったり、人にモノを頼むのも苦手だ。また、甘え上手の女性は、喧嘩をしたときに謝るのも得意だ。獅子座の私は、プライドが高いのか、なかなか自分からは謝らない。泣くときは一番でいたくても、謝るときは二番手でいたいようである。

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2006.01.27

ガンモ仕様

 私たちのプロジェクトに新しい派遣仲間が増えたので、他の派遣仲間を誘って、イタリアンレストランでお食事会を開いた。業務内容が異なると、みんなが黙々と仕事をしている静かな職場ではほとんど会話をするチャンスに恵まれないため、こうした形で派遣仲間同志の横の繋がりを持つことはとても大切なことなのである。私たちは、おいしいスパゲティを食べながら、お酒も入って、すっかりリラックスモードになっていた。

 派遣仲間の一人が、以前の派遣先で、セクハラに遭った話を聞かせてくれた。彼女は結婚しているにもかかわらず、何と、派遣先の警備員さんに一目惚れされてしまい、アプローチされたのだと言う。駅のホームで待ち伏せされたこともあったらしい。しかも、相手は定年退職して警備の仕事を始めたくらいの年齢の男性だったとか。

 その話を聞いた別の派遣仲間が、実は私も・・・・・・と深刻な顔で語り始めた。彼女は、以前の職場で同じプロジェクトの男性に好意を寄せられ、三十分限りの約束で一度だけ飲みに行ってしまったばっかりに、しつこいメール攻撃を受けていたと言う。彼女が風邪で咳き込んでいると、彼女の机の上に手書きの手紙とマスクが置いてあり、手紙を開封してみると、「これをつけて早く風邪を治してください」などと書かれてあったと言う。彼女は、メールでもはっきり迷惑であることを伝えたし、態度でも示しているのに、何故あんなにしつこくできるのかとあきれ果てていた。最初のうちは、同じプロジェクトのメンバーということもあって、周りに悟られないように拒否していたらしいが、だんだん相手の行動がエスカレートして来るので、とうとう周りの人たちに守ってくれるように応援を頼んだと言う。

 何故、自分が拒絶されていることをいつまでも受け入れずに盛んにアプローチできるのだろうという話になり、やはり、初期の段階で、相手を受け入れているかのような印象を与えてしまったことが原因だという結論に達した。初期の段階で膨らんでしまった妄想が、いつまでも相手の中で輝き続けてしまうのだろう。

 家に帰ってガンモにこの話を聞かせたときに、私はふと、自分自身のことを振り返ってみた。これまで私に、猛烈なアプローチをして来た男性が居たかどうかということである。
「警備員さんと言えば、○○○に行ってた頃、まるみのことを気に入ってくれた警備員さんがいたじゃん」
とガンモが言った。そう言えば、確かにそんな警備員さんが居たのだ。警備員さんは、企業の門の入口で外来者の入場チェックを行う。私はその当時も派遣社員だったので、毎日、その警備員さんのいる門の前で記帳して入場していた。あるとき、私がカメラを首からぶら下げて入場しようとすると、その警備員さんに引き止められた。しかし、
「私は趣味でカメラを持っているだけであって、これを使ってスパイ行為を働くわけではない」
と断言すると、
「今回だけは大目に見ますが、今度からは絶対に持ち込まないようにしてください」
と注意をしただけで、私をそのまま通してくれた。その会社は、大手コンピュータメーカである。当然、セキュリティも大変厳しく、ノートパソコンを持ち込むのにもチェックが入る。だから、カメラを首からぶら下げて入口の門を通るなど、通常では考えられないことなのである。その警備員さんは、私が同じ職場の人たちと一緒に居酒屋でお酒を飲んでいたとき、たまたま同じ店に居合わせて、私たちのテーブルにいくつかのお料理をご馳走してくれたこともあった。

 派遣仲間の話を聞いて、そんな懐かしい話を思い出した私だが、決して、その警備員さんに猛烈アタックされたわけではない。私の人生を振り返ってみても、私のアルバイトが終わるのを外で待ちぶせし、告白しようかどうしようか、もじもじしているような男性には出会って来たが、派遣仲間の彼女たちが体験したような猛烈アタックは受けていないのだ。自分が好意を持って欲しくない男性に対してのガードが固かったのかもしれない。ある程度、相手の気持ちを察すると、先回りしてしまうのだ。

 私はガンモに言った。
「私は特別仕様だから、あんまり男性が寄って来ないんだよ。いや、特別仕様というか、ガンモ仕様だな」
と言ってみた。もしかすると、これは、モテない女の強がりのように思われるかもしれない。でも、私はガンモ仕様でいいのだ。

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2006.01.26

存在に矛盾のない男女関係

 最近、私の魂を大きく揺さぶっている現象がある。それは、存在に矛盾のない男女関係だ。大きく揺さぶられたきっかけは、掲示板で交流させていただいているりさちゃんが、ソウルメイトの彼と一緒に、ツインソウルの仕事場(笑)に出掛けて行くという報告をしてくれたことだった。私は、こういう書き込みを拝見すると、本当にうれしくなる。りさちゃんにとって、やがて人生のパートナーとなって行くソウルメイトの彼と、かつての恋人だったツインソウル。二人の存在が、りさちゃんの中で、ソウルメイトとツインソウルが矛盾なく存在していることを確認できるその一瞬を想像すると、私はとてもわくわくして来る。その瞬間に感じるであろうりさちゃんの高揚感が、私にも想像できるからだ。そして、私が自分のサイトで最も伝えて行きたいことの一つが、こうした存在に矛盾のない男女関係であるということをはっきりと認識する。

 今もその番組があるかどうか知らないが、テレビを観ていた頃、『探偵! ナイトスクープ』という番組があった。関西圏で放送されているその番組は、視聴者が実現したいことをお手伝いしてくれる番組である。その番組宛に、「修学旅行で案内してくれた、初恋のバスガイドさんにもう一度会いたい」というハガキが届いた。ハガキを出したのは、中年のおじさんだった。おじさんは、三十六年もの間、心の中でずっとそのバスガイドさんのことを想い続けていたと言う。そのバスガイドさんと一度だけ一緒に歌った歌のフレーズをしっかりと覚えていて、もう一度そのバスガイドさんと一緒にその歌を歌いたいと言うのだ。番組のスタッフは、バスガイドさんを見事に探し当てた。おじさんは、喜びに胸を震わせながら、バスガイドさんに会いに来た。しかも、奥さんと一緒に。おじさんは、バスガイドさんとの三十六年振りの再会を心から喜び、その喜びが、奥さんにも伝わっているのがわかった。おじさんの喜びが、奥さんの喜びとイコールになっていた。私は、その放送を見ながら、胸がきゅーんとなるのを覚えていた。このように、存在に矛盾のない関係は、とても美しい。

 つい先日も、ある方の日記を拝見し、ひどく興奮した。それは、かつての恋人だったソウルメイトと再会できるかもしれない旅の準備を始めているというものだった。男女としての付き合いを終えて、例え一時的に離れることになったとしても、絆の深い関わりは、友人としての関係を残す。しかも、再会したときに側にいる恋人や配偶者たちとも共存できる形で友好的に繋がり続ける。こういう関係に、私の魂は大きく震えるのだ。

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2006.01.25

愛は双方向

 年末に退職した女性の後任として、私と同じ派遣会社から、新しい仲間が私たちのプロジェクトに加わっている。と言っても、彼女は私が湯治に出掛けている年末から、引継のために出勤していたようなので、年末年始も入れてしまうと、そろそろ一ヶ月の勤務になる。業務拡大のため、彼女の他にもう一人、私と同じ派遣会社から女性が派遣され、私たちのプロジェクトはにぎやかになって来た。口ベタプロジェクトの新年会に書いた通り、彼女たちの歓迎会も、先日開かれたばかりだ。

 新しい仲間が加わると、仕事で使用するパソコンに新しいアカウントを設定したり、必要なソフトウェアをインストールしたり、メーラーの設定をしたりと、様々なセッティングに多くの時間が費やされる。特に私の職場では、親会社と子会社に勤務する人たち全員が同一のドメインにログオンできるアカウントを発行してもらっているので、そうした手続きや設定にも手間がかかってしまう。また、セキュリティに関して非常に厳しい会社で、ホームページの閲覧についても、どのページにアクセスしたかの履歴が取られているし、個人のWebメールはもちろん禁止、また、レンタル掲示板など、業務に関係のないページにはアクセスできないように制限されている。

 そうしたいろいろなお約束ごとを、新しく来られた人たちは徐々に覚えて行くことになるのだが、幸か不幸か、新しく仲間に加わった二人は、業務内容はまったく異なるのだが、同じ男性社員のもとに配属された。しかし、その男性社員は、普段から残業の多い人で、新しく入って来た二人の女性の対応に追われながらも、日常の業務をこなしていた。新たに人が増えるということは、最初のうち、とてつもなく多くのエネルギーを費やすことになるのだが、彼女たちが一人立ちできるようになれば、業務は次第に円滑に流れて行くものである。

 そんな中で、年末に退職した女性の後任として入った女性が、仕事の流れをつかめず、あたふたし始めた。どうやら、まだ業務に慣れないうちに、いくつかの締切がやって来てしまったようで、日に日に彼女の笑顔が失われて行くのがわかった。彼女からは、業務で使用しているメールを通じてその心のうちを少しだけ聞かせてもらったのだが、年末に前任の女性から駆け足で引継をしたため、業務の細かい部分まで理解できていないのだと言う。それにもかかわらず、次々にやって来る締め切りにあたふたし、自分で自分を追い込み、苦しくなっているようだった。私は、まだ仕事に慣れていないのだから、最初から完璧を求められるわけではないので、失敗しながらでも前に進んで行けばいいのだと彼女を励ました。彼女は残業時間に、トイレの中で泣いたりして精神的なバランスを取っていたらしい。
「でも、泣いたらすっきりしました」
と、ケロッとした表情で私に言った。何と素直な子だろうと思った。

 彼女は、派遣会社の営業担当に相談して、なかなか仕事に慣れることができないので、三月末の契約期間を満了して次の契約を更新しないでおくか、新しい人が見つかり次第退職したいと申し出たようだった。そして、後日、営業担当が職場にやって来て、派遣先の上司と面談した。派遣先の上司と営業担当が会議室にこもって話をしている間、彼女はずっと、「落ち着かない」と言っていた。私は、彼女の様子を見ながら、彼女はとても愛のある人だと思った。何故なら、彼女が今、緊張を感じているということは、派遣先でお世話になった人たちに対する愛だと思ったからだ。中には、自分は派遣社員なのだから、契約さえ満了すれば良いと割り切ることのできる人もいる。しかし、彼女はそうではないのだと思った。

 実際、彼女はとても愛のある人で、先日の飲み会でも、ご主人さんととても仲良しだと言っていた。ご主人さんとはインターネットのチャットで知り合って結ばれたらしい。東京生まれの東京育ちで、一度も関西に来たことのなかった彼女が、関西に住むご主人さんとインターネットで出会い、結婚のために関西にやって来たのだと言う。私も、ガンモとはパソコン通信で知り合い、東京から関西に移り住んだことを話した。私が、「私たち夫婦は世界一仲良しだ」と言うと、彼女も負けずに自分たちも世界一だと言った。そんな彼女だから、仕事に慣れないためにお別れになってしまうのはとても寂しいと思っていた。何とか彼女の力になりたいと思っていたが、勤務先では、話をするチャンスがなかなかない。勤務時間中にメールを交わすことも少々はばかられるので、近いうちに彼女の話を聞くために仕事を終えたあとに時間を作るつもりだ。

 派遣会社の営業担当が話を終えて帰ったあと、彼女は自ら席を立ち、直属の上司とそのまた上司にあいさつに行っていた。これまた愛ある行動だと思った。派遣社員というものは、派遣会社の営業担当に自分の言いたいことを言ってもらって、派遣先の会社から、自分の主張が受け入れられるのを静かに待つパターンが非常に多い。しかし、それでは一方通行なのだ。彼女は、派遣会社の営業担当が派遣先の上司との話し合いを終えたあと、自らフォローに回っている。自分の要求を伝えてもらった直後はとても恥ずかしいはずなのに、彼女はそれと向き合うだけの勇気を持っていた。何と愛ある行為だろうと私は思った。

 彼女に聞いてみると、二週間ほど、仕事の内容を少しずつ削りながら様子を見ることになったのだそうだ。派遣先の会社からは、できるだけ長く働いて欲しいと言われたそうである。彼女はそれを聞いて、うれしさの余り、涙と鼻水が大量流出してたまらなかったそうだ。彼女の涙は、愛を双方向に通わせたご褒美だと私は思った。

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2006.01.24

私の辿って来た道

 ガンモとパソコン通信時代の昔話になり、ガンモと密になる以前にときどきメールのやりとりをしていた男性のことが話題に昇った。その人を、仮にYさんとしよう。Yさんは、私たちが参加していたパソコン通信の写真フォーラムの電子会議室で知り合った仲間なので、私たちの共通の知り合いということになる。
「Yさんとはメールをちょくちょく交わしていたけど、文章がしっかりしてるから、一体どんな人なんだろうという期待があったよ。私はいずれ、この人と結婚することになるのかな、とかね」
と私が言った。そう、文章を書くことが好きな私は、文章で人に惹かれることがある。それは、句読点の打ち方だったり、感嘆符のあとにきちんと一文字分のスペースが挿入されているか、助詞の使い方が適切かといった観点だったりする。つまり、正しい日本語で記述されているかどうかの観点で文章を観察することにより、それを書いた人の文章が私の中にすっと入って来るかどうかが決まるのだ。Yさんの文章はとても読みやすく、文章の組み立て方も助詞の使い方も非常にしっかりしていた。だから、どんな人なのか、とても気になっていたのだ。

 確か、Yさんと初めて顔を合わせたのは、ガンモと初めて顔を合わせたのと同じオフ会だったと記憶している。結論から言ってしまえば、ガンモに対しては既知感があったが、Yさんに対してはそれがなかった。そして、ガンモとはほとんどメールを交わしていなかったにもかかわらず、やがて、磁石のようにくっつき合って結ばれた。不思議なものだ。

 ガンモとYさんの話をしながら、
「Yさんって、感情を顔に出さないよね」
という話になった。例えば、中古カメラ市でYさんの姿を見つけてあいさつを交わすときも、Yさんはいつも無表情だった。普段から感情を表に出さないようにしているのかどうかはわからない。Yさんとはいつも、ついさっきまで話していたかのように会話が始まる。もしも私がガンモと出会っていなかったら、私はYさんと結婚していたのだろうか。いや、多分、していないだろう。Yさんとは、やりとりしたメールの回数は多くても、ほとんど感情を交わしていなかった。だから、そのような関係に発展することはなかっただろうと思う。ただ、どこかの段階において、感情を交わすということが有り得たかもしれないというだけのことだ。

 ガンモと短期間の間に打ち解けることができたのは、お互いに早いうちから感情を交わしたからである。それは、恋愛を始めるための一番の近道だった。そしてもう一つ、ガンモと私は、ユーモアの精神が似通っていた。普段から冗談を言い合うこと、そして、ネガティヴさえも笑いに変えてしまうこと。そうしたユーモア精神が、私の人生には不可欠だったと感じる。このように、私の辿って来た道を振り返ってみても、その道は、確実にガンモに続いていたと実感できるのだ。

 感情を交わすという、人間関係においてもっとも基本的な行為。その感情は、時として、怒りであったり、悲しみであったり、喜びであったり、また、ユーモアであったりもする。そうした感情を交わすことで、私たちの間には少しずつ蓄積されて行くものがある。だから、一度でも感情を交わした相手との間には必ず何かが残り、やがてそれが絆となって行くのだ。

※皆さん、いつも応援クリックに感謝しています。パワー不足のときも元気をありがとう!

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2006.01.23

続・鳩を叱る

 鳩との付き合いが深くなって来たせいか、外で鳩を見掛けると、我が家の鳩とはまったく違う模様をしていることを認識するようになった。これまでは、同じ灰色の鳩ならば、どんな鳩も同じ模様に映って見えていた。というよりも、鳩という一括りの存在としてしか、彼らを認識していなかった。しかし、我が家にやって来た鳩を通じて、鳩の個を知るようになり、鳩にはそれぞれの模様があり、個性もあるということがわかって来た。丁寧に観察した一つの個が、鳩という全体であり個でもある集合体を理解するための入口になったのだ。もっと注意深く観察すれば、模様だけでなく、性格にも個性があることがわかって来るだろう。

 鳩との付き合いがなければ、鳩に個性が存在することについて、私がこれまで素通りしてしまっていたことに気づかなかった。鳩の個性は、突然私の前に現れたわけではなく、ずっとこの世に存在していたのだ。しかし、何かのきっかけでスポットが当たらなければ、意識にさえ昇ることがなかった。鳩のことだけでなく、きっと、これと同じようなことがたくさんあるのだ。だから私たちは、何度も何度も同じ道を通る。これまでとは違う何かに気づくために。

 ところで、先日、鳩を叱るという記事を書いたのだが、あれからしばらくの間、確かに鳩は玄関を汚さないでいてくれた。しかし、ついに緊張の糸がぷつんと切れたのか、とうとう糞が解禁になった。夕方、早朝出勤だったガンモが帰宅すると、玄関のガスの吹き出し口のところに母ちゃんがいたそうだ。そして、ガンモの帰宅に驚き、バサバサと飛んで行ったと言う。玄関を糞で汚しているので、ガンモはお怒りモードで私にメールをよこして来た。そして、ガンモの数時間後に私が帰宅したとき、外はすっかり暗かったが、やはり、母ちゃんが玄関のガスの吹き出し口のところで休んでいた。確かに、吹き出し口の下は糞で汚れている。

 私は、おそらく寝ているであろう母ちゃんに語りかけた。
「母ちゃん、玄関を汚すの、禁止!」
母ちゃんは、私の声を聞いてもなかなか目を覚まさなかった。しかし、門の扉をギイと開けると、その音に驚いて、暗闇の中をバサバサと飛び立って行った。

 やれやれ(村上春樹さん風)。鳩が人間の言葉を理解してくれるというのは、つかの間の喜びだったのか。これから一体どうなることやら。

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2006.01.22

連携プレイの障害物競走

 ガンモと二人で過ごす休日。宅配便と配達記録郵便を、ガンモとの連携プレイの障害物競走で受け取った。連携プレイの障害物競走? 何? それ、と思われる方も多いことだろう。

 配達員がやって来るとき、たくさんのモノがあふれ返っている我が家では、インターホンに出るのも障害物競走になる。特に、奥のパソコン部屋にこもっているときは、インターホンが鳴り終わるまでの間にインターホンに応答することができない。だから、再配達の時間指定をしたあとは、私は寝室で待機して、配達員がやって来るのをじっと待つのだ。郵便物の場合は、再配達を指定しなくても仕事の帰りに郵便局まで取りに行くことができる。しかし、郵便局は普段利用している路線とは異なる沿線にあるため、帰りが遅くなると回り道をするのが億劫になってしまうこともある。また、宅配便も、宅配ボックスに入れてもらえるようなものならば、インターホンに出られなくても差し支えないのだが、重要書類などは、どうしても在宅して受け取らなければならない。今回は、再配達が二つもあるということで、私は気合いを入れて寝室で待っていた。

 しかし、ファンヒータのある寝室で、私はついうとうとしてしまった。そのとき、インターホンが鳴ったのだ。私は飛び起きたが、私よりも早くガンモが走り、インターホンに飛びついた。そして、配達員のためにマンションのエントランスのオートロックを解除した。すかさず、ガンモが私に言った。
「まるみ、あとは頼む!」
「よっしゃ、任せて!」

 私は大急ぎでパジャマのズボンを履き替え、印鑑を握りしめて障害物競走をしながら玄関の外へ出た。玄関が、これまたいっぱいに散らかっているので、配達員には決して見せられないのである。そのため、いつもこうして、配達員がマンションのエントランスからエレベータを上がって私たちの部屋の前にやって来るまでのわずかの間に、玄関の外に出て待っているのである。

 「ありがとうございましたア」
散らかった玄関を見られずに、無事に荷物を受け取ることができたときには、ほっと胸をなで下ろす。こうした楽しい楽しい連携プレイの障害物競走は、ガンモだからこそできること。ガンモは本当に素晴らしいパートナーだ。

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2006.01.21

大阪で過ごした一日

 ガンモが仕事だったので、大阪・四天王寺の大師会(だいしえ)に一人で出掛けた。毎月二十一日前後には、骨董品を始めとする何百もの露店が四天王寺に立ち並ぶのだ。寒い日に暖かい服で身を包み、カメラを首からぶら下げながら露店で掘り出し物を探すのは、なかなか楽しいものである。私はカラフルなポシェット二つと暖かい肌着を四枚買った。暖かい肌着は、一枚定価二千九百八十円のものがわずか九百円。どのようなルートから販売されているのかわからないが、商品は無造作に山積みされている。

 関西人は、良く値切ると言われている。私もそろそろ関西に移住してから十年が経とうとしているが、実は、値切るのがあまり得意でない。値切りたい気持ちはあるのだが、売り手のほうが強気だと感じてしまうので、なかなか言い出せないのだ。今回購入したポシェットも、古びたケースの中で見つけて値段を聞いたら、一つ千五百円と言われた。骨董市で売られているにしてはちょっと高いなと思ったが、デザインが気に入ったし、造りもしっかりしていたので、ガンモとお揃いで使おうと思い、同じものを二つ買った。ネイティヴ関西人なら、この時点で「二個買うから二千円にして」などと言ってしまえるのである。しかし、私は言えなかった。最初に値段を尋ねたときから相手が強気だったので、言えなかったのである。

 骨董市で買い物上手な人は、本当に欲しいものを見つけたとき、なるべく店主に気づかれないように振舞うという。骨董市では値段の書かれていないものが多いので、店主に値段を尋ねるときに、掘り出し物を見つけたうれしい気持ちを悟られないように、喜びの気持ちを抑えたほうがいいらしい。もっとも落ち着いた人になると、自分の見つけた掘り出し物ともう一つ、まったく関係のないものを二つ並べて、
「これとこれで○円にしてくれる?」
などと勝負に出ると言う。その勝負がうまく行けば、店主は
「いいよ」
と了解してくれる。その結果、まったく関係のないものを購入することになったとしても、掘り出し物を安く購入できたことは大きな収穫らしい。このへんの駆け引きができるのは、顔に表情が出ない人の特権であろう。私は、何でもすぐに顔に出てしまうので、こうした駆け引きは苦手なのである。

 四天王寺の大師会以外でも、天王寺という町はとても楽しい。東京で言うと、おばあちゃんの原宿と言われている「巣鴨地蔵通り商店街」に近いものがある。実際にお年寄りは多いし、物価も安いし、駅ビルも充実していて、とにかくショッピングが楽しいのだ。しかも、駅の近くに銭湯もある。ネットで天王寺の銭湯を調べたところ、昔ながらの銭湯があったので、私はお風呂道具を持参していた。四天王寺の大師会を充分楽しんで、このあと大阪で合流することになっているガンモに電話を掛けて、銭湯に入ることを伝えてから銭湯へと向かった。

 ところが、昔ながらの銭湯に行くはずが、目標にしていた銭湯よりも近代的な銭湯を見つけてしまった。いつも持ち歩いているPDAで繋いだネットの画面を見ながらその銭湯を探して歩いたのだが、新しく建て替えられたのか、それともまったく違う銭湯なのか判断できなかったのだが、とにかくその近代的な銭湯に入ることにした。

 その銭湯は、ビルの一階にある銭湯だったが、中も広く、電気風呂や天然温泉の湯、ジェットバス、スチームサウナ、サウナ(有料)などの設備があった。夕方の早い時間だったが、利用客も多く、とても賑わっていた。私は風呂上りにコーヒー牛乳を飲んだ。今のコーヒー牛乳は、紙の蓋がなくなって、ビニール製のキャップに変わっていた。

 ガンモに電話を掛けてみると、既に仕事を終えて大阪入りしていると言う。私が銭湯に入ると言っていたので、私に電話を掛けて来ることを遠慮していたらしい。そして私は、地下鉄御堂筋線に乗って梅田まで出て、Yodobashi-Umedaでガンモと合流した。

 Yodobashi-Umedaで、ガンモは仕事用のバッグを買った。ガンモはいつも、重い資料を持ち歩いているので、その重みに耐えかねて、バッグが良く壊れるのである。持ち歩くのもなかなか重いので、いざというときには転がせるタイプのバッグを買ったのだ。早速、そのバッグの中に、私が四天王寺の大師会で買った大きな荷物を詰めてもらった。

 大阪で晩御飯を食べたあと、電車に乗ろうとすると、人身事故の影響でダイヤがひどく乱れていた。駅のアナウンスによれば、さきほど運転を再開したばかりだと言う。電車も混んでいるので、しばらく大阪駅に入線して来る特急列車を眺めようということになった。ちょうど、青森行きの寝台特急日本海がやって来る頃だった。去年の夏、函館行きの日本海を利用したばかりだ。その日本海は、今度のダイヤ改正で、青森行きに限定されてしまう。この日、特急日本海を利用するであろう人は、ホームには数人程度しかいなかった。利用客が少なくなっていることから、次第に縮小されているのだと思う。

 しばらく待っていると、寝台特急日本海がホームに入って来た。何故だろう。その姿を見たとき、突然、私の中から熱いものが込み上げて来たのだ。去年、寝台特急日本海を利用したときの楽しい気持ちが蘇って来たのかもしれない。これからこの列車は、雪の多い地域を走り抜け、長い時間をかけてようやく青森にたどり着くのだと思うと、その列車がとてつもなく頼もしい存在に思えたのだ。

 私はガンモに言った。
「今からこれに乗って青森まで行って、青森から飛行機で帰って来る?」
ガンモは笑っていた。ホームで待っている人の数からすれば、空席があることは間違いない。何の準備もなく、入線して来たブルトレに飛び乗って、飛行機で帰って来るなんて、最高の贅沢かもしれない。しかし、私たちはそれをしなかった。頼もしい寝台特急日本海は、私たちに見送られながら、大阪駅を離れて行った。

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2006.01.20

口ベタプロジェクトの新年会

 年末から新年にかけて、私の参加しているプロジェクトに新しいメンバが二人も加わったこともあって、プロジェクトの新年会/歓迎会が行われた。私たちのプロジェクトは、受身の人が多く、飲み会の時間が迫っていても、誰一人として椅子から立ち上がろうとしない。みんな、誰かが動き始めるのを待っているのだ。そんな雰囲気だから、新しいメンバに対する気遣いも、しっかり行き届いていないように思える。新しい人が入ってくると、その人が溶け込めるような雰囲気作りを心がける方向に動いて行くと思うのだが、私以外の人はみんな口ベタで、新しいメンバとのコミュニケーションに消極的なのだ。

 おしゃべり好きな男性というのは、恋愛の対象としてはなかなか信頼を得にくいが、一緒に仕事をして行く上では、言葉がなかなか出て来ないことのほうが困りものだ。恋愛関係においては、既に心が交わされているために、お互いの暗黙の了解でコミュニケーションが成り立っている。だから、暗黙の了解が成立している部分においては、言葉が省略されても差し支えない。しかし、仕事の場合は、心を交わしていない分、言葉が必要なのだ。

 新年会は、飲み放題のコースとセットになっていたため、私も含めて「飲む人」は、かなりハイペースで飲んでいた。そして、いつもはおとなしいあの人がようやく出来上がった。彼は、普段は口数が少なくておとなしいのだが、お酒を飲むと本音が出て来るのか、あることないこと語り始める。それが面白くて、プロジェクトの飲み会では、みんなが彼を酔わせようとする。

 酔いが回って来ると、彼はまたまたこんなことを言った。
「俺ら社員の間では、山下さん(私の苗字)は"サムライ"と呼ばれてるんですよ」
どうやら、私のサムライ伝説は、彼らの間でまだ根付いていたようだった。しかも、彼は、こんなことも言った。
「サムライの山下さんが、新しい派遣さんの面倒を見られるのかどうか心配なんですよ」
おいおい、ちょっと待った。いつも受身で、彼女たちに話し掛けることもない彼が私にそんなことを言えるのか。私は、彼女たちにいろいろ話し掛けてもいるし、仕事のことで行き詰っているような雰囲気を感じたら、励ましてもいる。毎日、彼女たちの表情をちゃんと見ている。少なくとも、彼女たちに無関心ではない。

 更に彼は、
「山下さんは、十七時十五分になったらいつもゲームをしている」
などと言った。私はゲームはしない。どうやら、私が普段持ち歩いているPDAをゲーム機と勘違いしていたらしい。確かに、私のPDAは、電車の中で子供たちが持っている小さなゲーム機と同じくらいの大きさだ。それを聞いていた別のプロジェクトメンバがフォローした。
「それは、ゲームではなくてパソコン。メールを書いてるんでしょ?」
と私に言った。
「まあ、そんなとこです」
と私は答えたが、実は、お昼休みに書いた「ガンまる日記」を、十七時十五分から始まる十五分間の休憩時間に、大急ぎで推敲しているのだった。まさか、ブログを書いていて、あなたたちもときどき登場している、などとは言えない。

 私は、ずっと以前の飲み会で、彼から聞いた、U.S.Jに誘ったあと、別れてしまった女性の話を持ち出した。彼は、その話を持ち出されると痛いらしく、しばらく参ったなあという顔をしていたが、やがてこんなことを言い出した。
「山下さんは、人の古傷にずけずけと入って来る。A型の男には、忘れられない古傷があるものなんですよ」
と。私は、ようやく自分の出番が回って来たと心の中で思いながら、笑って答えた。
「それは、自分の中で、いつまでも大事に守り続けているから解放されないだけでしょう。守っているその領域まで出掛けて行くことに対して臆病なんですよ。でも、例え辛くても、勇気を出してその領域まで出掛けて行けば、辛い気持ちはいつか解放されるはずですよ」
酔っ払っている彼には、私の言っていることが通じたかどうかわからなかったが、「A型の男には忘れられない古傷がある」と言い切った彼の様子が妙に愁いを帯びていたのが印象的だった。

 その後も彼は、日ごろの鋭い観察力を次々に披露してくれた。酔っているために、彼自身の創作がかなり加わっているのだが、本当に良く観察しているなあというのが正直な感想だった。もしかすると、普段、黙っていれば黙っているほど、中に蓄積されて行くものが大きいのかもしれない。そして、お酒を飲むことで、蓄積されたものを放出して行く傾向にあるらしい。人間とは本当に面白いものだ。このような形でも、消化と吸収を繰り返しているのだから。そして、先日の時間差じゃないが、このサイクルが長い人もいれば、短い人もいるようだ。

※皆さん、いつも応援クリックを本当にありがとうございます。

※鳩の糞は、増えていませんでした。(^^)

※愛ちゃんへ
カルマかツインソウルかの違いは、時間差があるかどうかだと思うよ。時間差のない関係は対等だ。(^^)

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2006.01.19

鳩を叱る

 去年の六月頃から、私たちの住んでいるマンションのベランダに、鳩の番(つがい)がやって来るようになったことは、以前ここにも書いた通りだ。彼らは台所側のベランダで卵を産み、雛を育てた。私たちが愛・シチュー博に出掛けている間に巣を作っていたので、私たちは生まれた雛にモリゾーと名付けた。すっかり寒さが厳しくなった今でも、鳩の番(つがい)とモリゾーは、連れ立って餌を食べにやって来る。ただ、モリゾーは、もう一人立ちしたのか、父ちゃん、母ちゃんと一緒にやって来る回数は減って来ている。

 つい先日のことだ。私が仕事から帰り、玄関の門を開けようとすると、バサバサバサバサという羽の音がして、暗闇の中を何かが飛び立って行った。私は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。しかし、玄関に残されているいくつもの鳩の糞を見たとき、さっき飛び立って行ったのは鳩だということを理解した。どうやら、玄関にあるガスの吹き出し口の上で休んでいたようである。

 鳩の糞は、少なくとも十はあった。これまで、彼らが玄関を糞で汚したことはほとんどなかったので、私はちょっぴりお怒りモードになってしまった。私は糞をきれいに片付け、まだ帰宅していないガンモに警告の電話を入れた。玄関で鳩が寝ているようなので、帰って来たときには注意してねと。鳩は夜になると目が見えないので、活動はしない。だから、私の帰宅に驚き、暗闇の中を飛び立って行ったことは、彼らにとってはかなり勇気ある行動だったはずだ。その勇敢さを考慮しても、私は玄関が糞で汚れていたことに腹を立てていた。

 次の日、いつものように台所に行くと、鳩の父ちゃん、母ちゃんが餌を待っていた。私は、餌をあげるときに、
「きのう、玄関にたくさん糞をしたでしょう。お願いだから玄関は汚さないでね。玄関、汚すの、禁止だからね!」
と、きつく叱った。ガンモはそれを寝室で聞いていたが、私の口調がかなり厳しいので驚いていたと言う。

 その翌日、ガンモは休みだった。ガンモの話では、鳩はやけにおとなしかったそうだ。いつもなら、早朝から餌くれモードで、父ちゃんがホーホー鳴くのだ。ところが、父ちゃんのホーホーも、羽の音も何も聞こえなかったので、彼らが来ていないのかと思い、ベランダを見てみると、父ちゃん、母ちゃんが遠慮がちな様子で餌を待っていたと言う。ガンモは、
「まるみがきつく行ったからおとなしくなったんじゃないの?」
と言った。そして、その日、私が仕事から帰って玄関を見てみると、糞がひとつも落ちていなかった。彼らは、私を怒らせたと思っておとなしく振る舞った上に、私の言いつけを守ってくれたのだ。私は、彼らには人間の言葉がわかるのだと思った。そして、ちょっときつく言い過ぎたかもしれないとも思った。

 しかし、更にその翌日、帰宅してみると、ほんの少しだけ糞が落ちていた。前日、ガンモが餌をあげるときに優しくしたので、彼らの緊張が少し緩んだのかもしれない。それにしても、野生の鳩が、人間の感情をここまで感じ取ることができるとは頼もしいものだ。果たして、今日帰宅すると、玄関はどんな感じなのだろう。彼らのおかげで帰宅する楽しみがまた一つ増えた。

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2006.01.18

ソウルメイト商法

 ネットサーフィンをしていると、ときどきびっくりするようなページに辿り着くことがある。今日のタイトルに掲げたのは「ソウルメイト商法」。と言っても、自分にぴったりのソウルメイトを販売しているわけではない。ソウルメイトとの運命的な出会いをビジネスとしてサポートされている方のはなしだ。

Google検索:ソウルメイト運命の人と出会い、結ばれる奇跡の方法!

 最初にページを開いた瞬間から、「もしや結婚相談所?」と思わせるような雰囲気が漂っている。しかも、ソウルメイトマスターなどと、まったく聞き慣れない言葉も登場している。これは、オラクルマスターの仲間かもしれない。また、ツインソウルを運命的なソウルメイトの代名詞のようにも使われている。自らソウルメイトプロデューサーなどと名乗られている管理人さんのプロフィールを拝見すると、以下のようなことが書かれている。批判的な記事を書かせていただくのに大変申し訳ないが、その一部抜粋してご紹介させていただきたい。

あなたが幸せになるための「最高の方法」は、

運命の人【ソウルメイト】と出会って恋愛をし、

そして結婚をすることです。


このとても大切なあなたの人生の選択を

間違いのないようにして下さい。

もし間違えてしまうと、

お互いに苦しみ、心を傷つけあって一生を終えることになります。

 ・・・・・・。何故だろう。上記の文章を読むと、苦笑いしてしまう。私の魂が、喜びに震えないのだ。確かに、運命の人【ソウルメイト】と出会って恋愛をし、そして結婚をすることは、最高の幸せである。それは、私が保証しよう。でも、それは、幸せになるための「方法」や「手段」ではないはずだ。また、「人生の選択を間違える」とは、一体どういうことなのだろうか? ソウルメイトと結ばれないことは、人生の選択を誤っていることになるのだろうか。私がヘソ曲がりなのか、こういう文章を読むと、どうしても反発したくなってしまうのだ。

 何故、反発したくなってしまうのか。それは、男女が深く愛し合うという、もっとも重要で根本的なことが欠けてしまっているからだ。あたかも、運命の人【ソウルメイト】に出会えば、お互いに苦しみ、心を傷つけ合うことのない素晴らしい人生が送れるというような書き方である。それでは、相手がソウルメイトであることが「条件」になってしまう。極論を言ってしまえば、一時的に、お互いに苦しみ、心を傷つけ合う関係になったとしても、二人の間に深い愛が存在しているならば、それでいいのだ。世の中には、苦しみや傷つけ合う状況を二人で乗り越えて行きながら、愛の絆を深めて行く関係も存在している。どんなときも、最も大切なのは愛だ。こうした関係は、愛があるからこそ成り立っているのである。

 私は、男女の愛が本当に尊いと思っている人には、いつか、心から愛し合える存在と巡り会えると思っている。私もそうだったように、心から愛する存在に巡り会い、密な関係を築きたいと思っている人には、若い頃から思い描いている理想的なパートナー像がある。私の場合は、小学生の頃に読んでいた弓月光さんの漫画に出て来た、身長や体重が同じカップルだった。だから、服のサイズが上下とも同じサイズのガンモに出会ったのだ。

 私たちは常に、自分の学びに必要な人を自分自身で引き寄せている。だから、必要な学びが終われば消滅してしまう関係もあれば、同じ学びの人とずっと継続して行く関係もある。

 私は、ソウルメイトの出会いについて、そのような考え方を持っているので、逆に、どのようにしたらソウルメイトに出会えるかという質問には疎い。それでも、私はいつも、「ただ自分らしく生きていれば、ソウルメイトには出会える」と答えている。自分を偽っていると、同じように自分を偽った人を引き寄せてしまう。だから、ソウルメイトと出会うには、本当の自分を知る必要がある。

 さて、こちらのサイトでは、運命の人【ソウルメイト】と出会える方が書かれたPDFファイルが、二万五千八百円という価格で売られている。果たして、購入された方は、本当に幸せな結婚に辿り着くことができたのだろうか。

※皆さん、いつも応援クリックありがとうございます。m(__)m

※ソウルメイトについて心温まるサイトをご紹介します。「ガンまる日記」のサイドバーからもリンクさせていただいている、さちさんのソウルメイトを探してというサイトです。この記事を読まれたあとは、こちらでほんわか温まってください。(^^)

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2006.01.17

気づきを待てない

 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告の死刑が確定したそうだ。一部のブログでもこのことが取り上げられ、その記事に対し、「死刑が確定して本当に良かったと思います」などというコメントが書き込まれていた。それを書いた人は、本当に、心からそう思っているのだろうか。死刑は、殺人を犯した人の魂が更正するチャンスを失うばかりか、死刑を執行する人が自分を傷つける要因を作り出すだけなのではないだろうか。きっと、ご遺族の方たちにとっても、彼の死刑が執行されることで心が晴れることはない。むしろ、ご遺族の方たちの心が晴れるのは、宮崎勤被告に対する許しが起こったときではないかと思うのだ。

 以前、私は、肉体を去って行った魂という記事を書いた。その記事に、不合理ゆえに我信ずのmori夫さんが共感してくださり、ハーンの「停車場にて」という記事を書かれた。私は、この記事の中で引用されているラフカディオ・ハーンの「停車場にて」の情景が心に焼き付いて離れない。罪人と遺族を意図的に引き合わせた警官。こうした直接的な方法こそがもっとも人間的であり、魂の気づきのスピードを速めるのだと私は思う。しかし、現代では、ものごとを隠す方向に動いている。つまり、間に介入するものがたくさん存在しているのである。これでは、気づきのスピードを上げようにも、途中でたくさんの寄り道が必要だ。

 宮崎勤被告は、自分の死刑判決に対し、「何かの間違い」と言い、一七年前の自分の行為に対しても、「良いことをした」と言っているという。「反省の色がない」などと、あちこちのニュースサイトで書かれてもいる。もしもそれらの記述が正しいなら、彼が自分の行為を振り返り、ハーンの「停車場にて」に書かれているように号泣するのは、一体いつのことだろう。ここにも、魂の気づきに時間差が出て来る。彼は、長い長い時間をかけて、自分の行為を振り返り、いつか号泣するのだろう。彼の気づきを待てないために、死刑が執行されようとしているのだ。

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2006.01.16

続・時間差

 これは、りえちゃんの月見想好きなもの【19】=おしゃべりに対するトラックバックである。以前、りえちゃんから、同性のソウルメイトについて質問を受けていたので、私自身の経験を交えながら書いてみたい。

 りえちゃんのブログにも書かれているように、りえちゃんとフニさんはとても仲がいい。去年、フニさんが帰国されたときに、二人で初めて顔を合わせて以来、ますます意気投合したらしい。たくさんのメールも交わしているようだし、チャットなどでも数時間に及ぶ交流を続けているそうだ。りえちゃんとフニさんのアツアツぶりを拝見していると、インターネットは確実に世界を結びつけているのだと実感する。私は、こんなふうに長い時間を共にできる同性のソウルメイトにはまだ出会っていない。

 私が同性のソウルメイトに出会ったと思ったのは、二〇〇四年十月のことだった。そのときの出会いについては、結婚式でウルウルに書いた通りだ。しかし、その後、彼女と大阪で一度だけ会って食事をしたのだが、それ以来、連絡らしい連絡を取り合っていない。初めて会ったときは、お互いに話すことが尽きないと思えるほどの盛り上がったのに、まるで、出会いの糸がぷっつりと切れてしまったかのように消滅してしまったのだ。せっかく同性のソウルメイトと出会えたと思ったのに、その関係を維持できなかったのである。

 それを考えると、りえちゃんとフニさんの引き合う力は偉大だと思える。私は、インターネットのチャットというものを一度も経験したことがないし、インターネット電話なるものの仕組みも良く知らない。きのう書いた時間差ではないが、私は、インターネットの利点は、お互いの都合のいい時間に時間差で関われるところにあると思っていた。しかし、そうした時間差を乗り超える関係が、ここにもあったのだ。私自身が持続できなかった経験からすれば、インターネットの時間差を超えて行くエネルギーが双方に存在し続けていることは、本当に素晴らしい。

 ソウルメイトが多くの時間を共有できる存在であることは、ガンモと私の関係で実証済みだ。何故なら、同性ではないが、ネットで知り合って一番長い時間を過ごしているのはガンモだからだ。どんな形で出会ったとしても、それを持続させるエネルギーが双方に存在し続けることが、ソウルメイトの交流には必須なのだ。りえちゃんとフニさんには、確実にそれが存在し続けている。これからも、お二人の密な交流が続いて行くことを影ながら応援している。

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2006.01.15

時間差

 今、私のホームページの掲示板で、とても深い対話が進んでいる。その対話を書き始めてくれたちーちゃんにコメントの返信をさせていただく前に、このテーマがもっと広範囲の人たちのテーマにも通じるように、私なりの解釈を書かせていただこうと思う。

 ちーちゃんが書いてくれているのは、自分という存在が、本当に、自分以外の人に傷つけられるかどうかということである。ちーちゃんは、自分を傷つけているのは自分だと断言している。私が想像するに、実のところ、この気づきに同意できる人は、本当に少ないのではないだろうか。そして、この気づきに同意しないと、この先にあるちーちゃんのもっと大きな気づきにも同意できないのではないのではないかと思う。

 まず、掲示板に書き込んでくださった、ちーちゃんの発言を部分的に引用させていただくことにする。

ただ、あたし自身が本当に絶望した時、傷つけられたと思えなかったの。
あまりにも、半端じゃなく絶望したら
傷つけてるのは自分だってハッキリわかるんだよ。
きっと、てんてんさんにもこの感覚がわかると思う。

−−−−−−−

そうして、傷つける事と傷つく事は
実は同時に起こっていると理解したのね。

 私は、ちーちゃんが本当に絶望していた時期を知っている。本当に、地の底をはいつくばるような時期がおよそ一年以上も続いたのだ。その間もちーちゃんは、上昇したり下降したりを繰り返していた。あのときちーちゃんは、
「とことん落ちてみたい。そして、その先にあるものを見つめてみたい」
と言った。そして、ちーちゃんがその先で掴んだものは、自分以外の誰も自分を傷つけることはできないという真実だった。ちーちゃんには、ひどく絶望を感じるに至った原因があった。しかし、その根本原因を、誰かによって絶望させられたことにはせずに、自分自身の中にあるとした。つまり、自分自身で自分を傷つけていると。このプロセスを、多くの人たちと共有して行くために、私はこの記事に「時間差」というタイトルを掲げた。

 このプロセスを説明するために、私自身の経験を書いてみよう。「ガンまる日記」をずっと読んでくださっている方もご存知の通り、私が人生で最も絶望した時期は、ガンモと出会う前にカルマの相手と別れたときだった。このとき私は、三ヶ月もの間、毎日のように、自分の身体をかきむしりながら苦しんでいた。そして、その苦しみの先にあったものは、自分の前世をはっきりと認識することだった。自分自身で退行催眠を行い、目の前に映し出された前世の映像で私が見たのは、相手の好意をないがしろにしている自分の醜い姿だった。その映像を見たとき、私の中で、一瞬にして、被害者と加害者の意識が入れ替わった(被害者と加害者という言葉は、便宜上、使用しているだけである)。

 結論から言えば、ちーちゃんの言うように、自分を傷つけているのは自分自身だったということだ。ただ、私の場合、これを理解するまでにひどく時間がかかってしまった。何しろ、転生をまたがっているのだから。

 ちーちゃんとの対話の中で、私は以下のように書かせていただいた。引用符を含んでいる部分がちーちゃんの発言、その下にあるのが私の発言である。

> 人を傷付けるということは、自分を傷つけるという事。
> 自分が傷つくという事は、相手を傷つけるという事。
> 憎むという事は、己を憎むに等しい。
>
> 傷つけても傷つけられても、同じ。
> お互いに傷つくということだ。

人に対して行ったことが自分にも返って来るというのは、
カルマとして返って来てるわけじゃなくて、
つまりは、私たちが繋がっていることの証なんだね。
繋がっているから、他の人の苦しみが連鎖反応でやって来る。
とても大がかりな発想だけど。

 こうした繋がりを実感するスピードは、実は、愛の深さによると私は感じている。カルマの相手との別れがあり、その後、ガンモと出会って結婚してからというもの、ガンモへの行為がどんどん自分に返って来るのを感じていた。つまり、愛が深ければ深いほど、自分の行為が自分に返って来るスピードが速くなるのを実感していたのだ。ちーちゃんは、

そうして、傷つける事と傷つく事は
実は同時に起こっていると理解したのね。

と書いている。これは、愛について、最高の状態だと私は思うのだ。すなわち、自分の行為が自分自身に返って来る時間差がないという意味で。しかし、ほとんどの人は、時間差でこれを体験しているのだ。そして、このスピードは、自分以外の人を介入させるかどうかで決まって来るように思える。

 それから、私の場合、珍しくガンモと激しく対立するときは、常にどこか冷めている自分がいる。あたかも、ガンモのせいで怒り狂っているかのような自分を演じているのだが、心のどこかで怒りに対して冷めているのだ。だから、ガンモと喧嘩をしながらキスをしたり、抱き合ったりできるのかもしれない。どんなにガンモと喧嘩をしたとしても、私のもっとも大切な部分は、ガンモによって傷つけられることなく、いつも守られているのだ。そして、自分が傷つけられているのではないことをガンモに知らせるために、喧嘩の最中でもキスをしたり抱き合ったりしたいのかもしれない。

※ちーちゃんへ またまたちーちゃんの言葉をお借りしたよ。私に記事を書かせてくれてありがとう。掲示板のコメントは、また後日書かせてね。

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2006.01.14

 最近、「層」について、特に意識している。「層」とは、らっきょやたまねぎの皮をイメージしていただければわかり易い。らっきょやたまねぎの皮をむいて行くと、最後にらっきょやたまねぎの本質が現れるというイメージだ。つまり、本質というものは、いくつもの層で守られているということだ。そして、精神世界への探求とは、自分自身で皮をどんどんむいて行くプロセスになる。

 例えば、私の中に十余りの層があるとしても、職場では第三層までしか見せていなかったりする。また、それほど深い会話を交わしていない友人たちとも、深い層で触れ合ってはいない。だから私たちは、人と関わりを持つときに、その対象とどの層で繋がって行くかを暗黙的に決めているように思える。その証拠に、例えば普段は第三層で関わっている人たちに対し、第七層までの自分をさらけ出すと、彼らは戸惑いを感じ、黙り込んでしまう。その顕著な例が、相手が親しい人を亡くしてしまったときに、もう一方が言葉を失ってしまうなどの現象だ。しかし、相手が層を変えても決して黙り込まず、コミュニケーションが続いて行くとき、そこには本当の絆が生まれている。

 反対に、お互いの層が異なっているのに、言葉だけでコミュニケーションを成り立たせようとすると、とんちんかんなやりとりになってしまう。通常、そのギャップは、片方だけに見えていて、もう片方にもそのギャップが見えて来たとき、もう一方は恐れをなして、言葉を停止させてしまう。すなわち、言葉を失うという現象は、層の違いを認識することにより起こると言える。

 ソウルメイトやツインソウルに出会うと、層が深くなって行くプロセスを楽しむことができる。彼らは、私たちが宙に投げた言葉を拾ってくれる。だから、私たちも自然に言葉を宙に投げる方法を覚えることになる。ソウルメイトやツインソウルにこだわらず、層が深くなって行くことは大きな喜びだ。層が深くなるということは、同じ人とのコミュニケーションでいくつもの層を行き来できるということであり、層によって付き合う人を分けなくて済むということだ。

※皆さん、いつも応援クリックをありがとうございます。m(__)m

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2006.01.13

それぞれのライフワーク

 最近の私は、女性ホルモンのお勉強をしている。大きくなってしまった子宮筋腫を小さくするために、ネットでいろいろなことを調べているうちに、筋腫の成長を促すエストロゲンの量を少なくする方法はないものかと考え始めた。そこで行き着いたのが、エストロゲンと拮抗するプロゲステロンの存在だった。以前、「ガンまる日記」にも書いたとおり、このプロゲステロンは、エストロゲンの働きを抑制することがわかった。

 そして、プロゲステロンを体内に取り込む方法を調べて行くうちに、私は大変素晴らしい本と出会った。医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の一生の健康を守る!続・医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の健康を守る!である。アメリカのジョン・R. リー博士が書かれたこれらの本には、自然なプロゲステロンを体内に取り入れることで、筋腫の成長を止めたり、あるいは小さくできると書かれている。エストロゲンとプロゲステロン、二つの女性ホルモンのバランスが取れていてこそ女性の健康が保てるということだが、ホルモンのバランスが悪く、特にエストロゲン優勢の人は、胸が大きく張っていたり、体重増加の傾向にあったり、腹部や腰、太もものあたりに肉がついていたり、子宮筋腫があると書かれている。それらの症状は、まったくもって私に当てはまっている。こうした症状を抱えた人は、自然なプロゲステロンが含まれたクリームを、生理の周期に合わせて塗るだけで改善されると言う。

 私は早速、自然なプロゲステロンを含んでいると思われる商品をネットで購入した。まだ、生理の周期と噛み合わないために使い始めてはいないのだが、これは大変画期的なことである。リー博士は、自然なプロゲステロンクリームを販売している会社と提携しているわけではなく、ただご自分の研究の成果を発表されただけである。二冊の本には、女性ホルモンについてびっしり書かれていることから、リー博士がライフワークとしてホルモンの研究に取り組まれていることがわかる。

 リー博士の本を読んでわかったことだが、女性ホルモンは、排卵を境に、エストロゲン優勢の時期と、プロゲステロン優勢の時期に分かれている。リー博士は、自然なプロゲステロンのクリームを塗るのも、プロゲステロンが優勢になる時期を推奨されている。ということは、湯治についてもプロゲステロン優勢の時期に合わせたほうが効果が高かったのではないかと思われる。

 というのは、去年の十二月に三朝温泉に下見に行ったときのほうが、私自身の身体がラジウム温泉に強く反応したからだ。下見の頃は、生理が終わってしばらく経っていたので、ちょうどプロゲステロンが優勢になっていた時期だった。しかし、年末に出掛けた湯治では、初日から生理が始まってしまったので、エストロゲン優勢の時期とぴったり重なってしまったのだ。

 それでも、湯治が終わる頃には、私の筋腫はずいぶんやわらかくなっていた。筋腫がやわらかくなる現象について、リー博士の本に、大変興味深いことが書かれていた。それは、自然なプロゲステロンのクリームを使うと筋腫がやわらかくなるというものだった。何故やわらかくなるかと言うと、筋腫が小さくなっているからだという。確かにその通りだ。筋腫の体積が小さくなるために、触った感じが柔らかくなっていたのだ。

 自然なプロゲステロンクリームは、アメリカでは、健康サプリメントのような感覚で売られているという。これらのクリームは、法律により、日本の業者が輸入して販売することができないので、それぞれが個人輸入という形で購入することになる。私は、どのクリームが効果が高いかということを話し合うメーリングリストにも加入してみた。そこの管理人さんが、とても力強いのだ。とにかく、どのクリームが効果が高いかという情報が極端に少ないので、クリームを使用されている皆さんと情報交換して行きたいということと、情報を共有することで、一人でも多くの方が健康になれるようにと強く願っていらっしゃるのだ。世の中に伝えて行きたいという管理人さんの意気込みには、涙さえ出て来る。私にとって、男女の愛の話がライフワークであるように、管理人さんにとっても、それがライフワークになりつつあるのだと思った。しかし、管理人さんが得た新たな知識は、既に別の知識を持っている人たちからは反感を買ってしまうことがあったらしい。確かにその通りだろう。私も、湯治のことや自然なプロゲステロンクリームのことをそれなりの知識がある人に話すと、懐疑的な態度を取られる。そして、誇大広告がどうの、というような話にまで発展する。実際は、湯治に関しても、誇大広告など一度もお目にかかったこともない。湯治には、こちらからお願いして出掛けて行くのであり、また、リー博士の著書にしても、特定の自然なプロゲステロンクリームの会社と提携しているわけでもないのだ。しかも、私が体験して来たそれらの値段はお手頃な価格である。

 私は、リー博士の本を読んで、「筋腫も子宮も絶対に切らない」と決意を新たにしたのだった。最後に、リー博士の言葉を引用させていただくことにしよう。ここに書かれているのはおそらく、アメリカの事情だと思われるが、日本も似たようなものかもしれない。

 子宮から筋腫だけを除去することは、技術的に高度なレベルと、忍耐、専門知識を必要とするが、これらはほとんどの産婦人科医が持っていないものである。それに長い期間と金がかかるので、保険会社はその支払いをしたくない。ごく最近まで、ほんのわずかの産婦人科医しか、その手術をすることができなかったし、その費用をカバーする保険会社もなかった。手術ができない産婦人科医は、ほかの医者に患者を回さなければならない。それをしたくなければ、医者はあなたの子宮を除去することもできる。それはまったく簡単で、手っ取り早い作業である(医者にとってであり、あなたにとってではない)。

−中略−

 さて、あなたの医者がプロゲステロン・クリームを奨めたとしよう。あなたは店頭で購入することができ、使い方も簡単に学べる。一年後に超音波の検査を受けるために再び訪ねる以外は、その医師と会う機会はなくなるだろう。そして、その超音波の検査では、恐らく筋腫がオレンジ大からくるみほどに小さくなっていることがわかるだろう。

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2006.01.12

能動から受動へ

 先日出掛けた東京で、私は好きなアーチストに会った。いや、会ったと言うよりも、見たと表現したほうが正確かもしれない。ガンモと一緒に出掛ける毎年恒例のそのイベントで、私はアーチストを見掛ける。そのアーチストとは、十代の頃に出会ってから既に二十年以上が経過している。

 私は、ある時期までは、そのアーチストに対し、いわゆるタメ口と言われる口のきき方をしていた。しかし、対等になろうとして、アーチストからしばらく離れたあと、どういう風の吹き回しなのか、敬語を使うようになっていた。そして今では、アーチストの存在を意識し過ぎて、ほとんどしゃべれなくなってしまったのだ。アーチストが私たちに気づいてくれて、会釈を交わすのがやっとという状況だ。去年も今年も、アーチストは同じ場所に居た。しかし、私はアーチストと目線を合わせることすらできなかった。この変化は一体何なのだろう。

 若い頃の私は、今よりももっと自己愛的で、「自分が、自分が」という感じでアーチストに対してもグイグイ押していた。だから、アーチストの自由意思を尊重できず、自分自身の会いたいという気持ちから、のこのこ会いに出掛けていた。しかし、対等になろうとしてしばらく離れてからは、もう押すということができなくなっていた。いつの間にか、私は、能動から受動に変わっていたのだ。そして今では、あたかもアーチストを避けているかのように、ほとんど目も合わせられない。だから、アーチストとは、かれこれ二年以上も言葉を交わしていない。最後に目を合わせたのは一体いつのことだったろう。

 あれは確か、二年か三年ほど前のことだった。アーチストと趣味仲間の先生が、サイン会のために京都にやって来た。趣味仲間の先生とは、以前から顔見知りだったので、私が趣味仲間の先生の古い本を差し出して趣味仲間の先生にサインをいただくと、懐かしいと言いながら歓迎してくださった。そして、アーチストの横で私の古い話を始めた。趣味仲間の先生は、私が昔、キューピー人形でピアスを作っていたことを突然思い出したらしく、今日はキューピー人形のピアスを付けていないのかと、おもしろおかしく語ってくださった。私は、趣味仲間の先生に、
「ずいぶん古い話を覚えてらっしゃいますねえ」
と言った。すると、その会話を横で聞いていたアーチストが、
「でも、さっき食べたお弁当のおかずは忘れてしまう」
と突っ込んだ。私は笑った。趣味仲間の先生は、
「誰かのリンクをクリックしてると、ガンまるのホームページにときどき迷い込んじゃうんですよ」
と言ってくださった。ああ、アーチストとも、こんなふうに話せたらいいのにと思う。それなのに、私は、アーチストの周辺にいる人たちとは普通に話せるのに、アーチストのことは意識し過ぎて会話ができなくなってしまったのだ。

 東京で、アーチストの後ろ姿を目にした。知らない間に、アーチストの頭にはたくさんの白髪が生えていた。出会った頃は二十代だったアーチストも、すっかり年を取ってしまったのだ。もちろん、私も数ヶ月に一回は自分で白髪染めをするほどたくさんの白髪がある。年を取ったのはみんな同じだ。お調子者だったアーチストも、すっかり落ち着きが出て来た。私の中に、アーチストの若い頃の記憶があるように、アーチストの中にも私の若い頃の記憶があるのだとしたら、うれしいけれど、ちょっぴり恥ずかしい。

 これからも、アーチストとは関わりを持ち続けることになるのだろう。果たして、アーチストとの会話が復活するのはいつのことだろう。

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2006.01.11

残りえびす

 西宮えびす神社へのお参りは来年までお預け、と諦めていたのだが、仕事が終わる頃、ガンモからメールが届き、
「えべっさん行く?」
と書かれてあった。私はすぐに、
「行く! 行く!」
と喜びいさんで返信し、三宮から阪神電車に乗って西宮に向かった。えべっさんで有名な西宮えびす神社は、阪神西宮駅の近くにあるのだ。ちょうどガンモが作業していた客先も、阪神電車の沿線にあったので、私たちはガンモの客先の最寄駅で待ち合わせをした。

 えべっさんは、「えびすさん」がつまったもので、毎年一月九日から十一日まで、えびす神社と名のつく神社で行われている。「商売繁盛で笹持って来い」というはやし声が存在しているほど、えべっさんと笹は密接な関係にある。九日のえべっさんを「宵えびす」、十日のえべっさんを「本えびす」、十一日のえべっさんを「残りえびす」または「残り福」と言うらしい。残りえびすであるにもかかわらず、阪神西宮から西宮えびす神社までの道のりは、ものすごい参拝客でにぎわっていた。たくさんの露店が、やわらかい光に包まれながら立ち並んでいる。もともとえべっさんに足を運ぶ予定だった昨日ならば、一眼レフタイプのデジタルカメラを持っていたのに、急にえべっさん行きが決まった今日は、携帯電話に付属のカメラしか持っていない。解像度の低い携帯電話のカメラでは、これらの美しい光景を収めておくことができないのがとても残念に思えた。

 去年までのお札を収める場所には、たくさんのお札付きの笹が山積みされている。効力を失ったとされている、たくさんのお札たち。重宝されたお札も、一年経てば、このようにゴミとなってしまう。それならば、我が家にずっと残っているのも決して悪くはない。そう思いながらも、ガンモに御祓いをするために、新しいお札付きの笹を買った。その笹で、「ガンモは今年一年、後厄ですが、どうか難をのがれられますように」と、ガンモを何度も何度も御祓いすると、ガンモはとてもうれしそうな顔をしながら笑っていた。そして、今度はガンモがその笹を手に取り、私に御祓いを施した。ガンモの握った笹は、私の子宮に当てられていた。私はガンモの御祓いを受けながら、ニコニコ笑った。

 毎年、えべっさんの頃になると、西宮えびす神社では、「えべっさんのお酒」という、地元西宮で作られているお酒の試飲コーナーがある。そこにはえびす様の格好をした男性が立っていて、試飲に訪れた人たちを楽しませてくれる。ガンモは、去年に引き続き、そのえびす様と記念撮影をした。ガンモの携帯電話で、私が撮影したのだ。その映り具合がなかなか素晴らしかったので、ガンモはそれを満足そうにじっと眺めていた。

 西宮えびす神社で引いたおみくじは、「吉」だった。旅行・・・・よし、病気・・・命に別状なしというようなことが書かれてあった。ということは、今年はやや上向きの一年ということになるのだろうか。

 私たちは、帰り道でも露店が気になって、イカ焼き(イカの姿焼きのほう。関西でイカ焼きと言うと、小麦粉と卵で混ぜ合わせた生地の中にイカが入っている)やらたこ焼きやら、いろいろなものを食べながら帰った。たこ焼きを買うときに、普段は行列になど決して並ぼうとしないガンモが、長い長い行列に並んだ。そのお店のたこ焼きには、とても大きなたこが入っていたからだ。
「今年は待ってみようかと思う」
とガンモは言った。なるほど、それはなかなかいい考えだ。そうして並ぶことおよそ十分。焼き上がったたこ焼きは、とてもやわらかかった。きっと、お店の人が、いつまでも客を待たせては行けないと思い、しっかり焼き上がるのを待ち切れずに包んでしまったのだと思う。しかも、たこが大きすぎて、やわらかい生地の中からお行儀悪く飛び出して来る。長いこと待って食べたのは、まだ完全に焼き上がっていないやわらかいたこ焼きだった。

 帰宅してから、今年購入した笹と去年の笹を比較してみると、まったく同じものだった。やはり、お札の効力が一年限りとは思えそうになかった。

※関連サイト
西宮えびす

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2006.01.10

「えべっさん」を見送る

 前日の夜、ガンモを乗せて二十一時十分に東京駅を出発した寝台特急出雲は、十一時前に島根県出雲市着いた。ガンモはそこから青春18きっぷを使って、ガタンゴトンと普通列車を乗り継いで帰って来た。ガンモから、「今、岡山にいる」とメールが入ったのは十七時半頃のことだった。ガンモの到着に合わせて、私たちは二十時過ぎに三ノ宮で待ち合わせをした。ガンモが乗っている新快速電車が三ノ宮駅のホームに入線して来たとき、私はホームの後ろのほうで待機していた。しかし、ガンモは鉄道好きの習性から、前方車両に乗っていたのだ。そのため、ガンモと再会できたのは自宅の最寄駅だった。ホームの前方から歩いて来る懐かしいガンモの姿を確認したとき、私はガンモを抱きしめたい衝動に駆られた。一日ぶりに再会したガンモは、
「疲れた、疲れた」
を繰り返した。乗り換え時間も含めてしまうと、ガンモはおよそ二十三時間もの間、列車に乗りっぱなしだったわけだから、無理もない。さすがのガンモも、
「しばらく、もう、列車はいい」
と弱音を吐いた。

 一月十日は、関西地方では有名な商売繁盛の「えべっさん」が開催されている日だった。本来なら、去年と同じように、西宮えびす神社にお参りに行こうと思っていたのだが、ガンモの疲労が激しいので、今回は見送ることにした。私は、お札の付いた新しい笹を買ってガンモに御祓いをするのがとても楽しみだったが、疲れた身体で人混みの中に出掛けるのは、ガンモの疲労を増幅させるだけだと思い直した。

 西宮えびす神社に出掛けられなかったので、去年の笹で、ガンモの後厄の御祓いをしてあげようと思っている。おそらくそんな人はあまりいないと思うのだが、笹やお札が本当に、一年きっかりで効力が失せてしまうとは思えないのだった。

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2006.01.09

シンデレラエクスプレス

 東京では、ホテルに一泊した。ガンモは、
「今回の旅行で初めての動かないベッドだから」
と言った。なるほど、確かにその通りだった。初日はフェリーの中で寝て、二日目は寝台特急サンライズ瀬戸の中で寝たわけだから。そのせいか、私たちは驚くほどぐっすり眠ったのだ。

 ホテルをチェックアウトして私たちが向かったのは上野だった。そこから常磐線に乗り、茨城県の石岡で降りて、鹿島鉄道を乗り潰した。そして、鹿島鉄道の終点鉾田から鹿島臨海鉄道の新鉾田まで歩き、鹿島臨海鉄道とJRを乗り継いで、佐原、千葉を経由し、東京駅に着いた。鹿島臨海鉄道については、既に乗り潰しが終わっているのだが、利用したのが夜で、景色がまったく見えなかったため、景色の見える昼間に乗ってみようと思ったのだ。

 こうして、楽しかった三連休もまたたく間に終わり、明日からまた仕事となった。ところが、私は二十時台の新幹線のぞみに乗って帰宅すると言うのに、ガンモは翌日も休みを取っていて、一人で寝台特急出雲(サンライズの付かないブルトレのほう)に乗って島根県出雲市まで行くことになっていた。何故なら、寝台特急出雲は、三月に行われるダイヤ改正で姿を消してしまうからだ。利用客が少なくなっていることもあってか、このように、長い歴史を持っているはずのブルトレは、ダイヤ改正ごとにどんどん引退が決まって行く。私は、独身時代に寝台特急出雲に乗車したことがあったのだが、ガンモはまだないと言う。我が家のルールでは、二人で一緒に乗らなければ乗り潰しにはならないのだが、実は、寝台特急出雲が走っている路線は、既に乗り潰し済みだったのだ。そこで、ガンモは一人で寝台特急出雲にお別れを言うために乗車することになったわけである。ガンモの乗る寝台特急出雲が東京駅を出るのは二十一時過ぎ。つまり、東京駅で、ガンモが私を見送ることになるのだ。

 ちょうど十年前、私たちは東京と関西で、ほんのわずかの期間、遠距離恋愛をしていた。あの当時は、私が東京に住んでいて、東京に出張にやって来たガンモを東京駅の新幹線改札口で見送ったものだ。またすぐに会える。そう思いながら、私たちは、新幹線改札口の大きな柱の前で、しばしの別れを惜しみながらキスをしたものだった。

 「あのときみたいにキスする?」
と私はガンモに提案したが、ガンモはとても恥ずかしがった。ちょうど十年前は、離れ離れになるのが寂しくて、新幹線改札口で当たり前のようにキスしていた私たち。それが、十年近く連れ添うと、しばしの別れを惜しむキスができなくなってしまうとは。しかも、ガンモはつい先日、私が鳥取県の三朝温泉に湯治に出掛けている間、寂しい、寂しいと連発していたはずなのだ。それなのに、ガンモは自分から寝台特急出雲に乗ると言い出した。終点の出雲市に着いてからは、私が仕事をしている間に、青春18きっぷで帰って来ると言う。

 私は、この時ぞとばかりにガンモに言った。
「ねえねえ、今年のゴールデンウィーク、また三朝温泉に湯治に行ってもいい?」
「うん、いいよ。俺、ゴールデンウィークは忙しいから」
年末年始と同じように、ガンモは、@ゴールデンウィークにびっしりと仕事の予定が入っているのだと言う。
「本当にいいの?」
驚いて、私は何度も何度も確認した。
「うん、いいよ。忙しいんだから」
と、確かにガンモは言った。こうして私は、ガンモの出雲行きと引き替えに、ゴールデンウィークの三朝行きを獲得したのだった。

 さて、もうすぐ私の乗る新幹線のぞみが入線して来る頃だった。
「そろそろ行ったほうがいいよ」
とガンモが言った。私は、何度も何度もガンモを振り返りながら改札を通った。ガンモも手を振ったあと、何度か振り返った。ガンモには、明日になればまた会える。そう自分に言い聞かせながら、私はシンデレラエクスプレス(厳密に言うとシンデレラエクスプレスではないのだが、帰宅したのが0時前だった)に乗り込み、新大阪へと向かった。

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2006.01.08

大規模骨董市

 寝台特急サンライズ瀬戸は、およそ一時間四〇分の遅れで東京駅に到着した。本来ならば、午前七時過ぎに到着する予定だったのだが、岡山駅で連結するはずの寝台特急サンライズ出雲の到着が三十分ほど遅れていたため、寝台特急サンライズ出雲が到着するまで待ち合わせしたことと、滋賀県の守山駅の線路内に人が立ち入ったために、先行して走っていた寝台特急出雲(こちらはサンライズが付かない。いわゆるブルトレ)が緊急停車したことが重なったのだ。東京駅への到着が遅れたおかげで、もう少し眠りたい欲求を満たすことができた。

 しかし、予想通り、ガンモは早朝から起き出して、ごそごそと活動していた。私がシャワーを浴びたことがひどく悔しかったらしく、ガンモは車掌室に足を運び、車掌からシャワーカードを購入してシャワーを浴びたようだ。ガンモは、ブルトレよりも快適に眠ることのできる寝台特急サンライズ瀬戸がすっかり気に入ったようだった。ブルトレは、機関車が引っ張る客車なので、ときどきガクンガクンと大きく揺れて目を覚ましてしまうことが多いのだ。しかし、最新式の寝台特急は、機関車が引っ張る客車ではなく、電車なので、揺れも少なく、比較的快適に眠れるのである。

 東京に着いた私たちは、朝食を取ったあと、まっすぐ東京ビッグサイトへと向かった。毎年恒例で行われている大規模骨董市のイベントに参加するためである。

 会場の様子を少し偵察したあと、私は「ガンまる日記」を書くために、会場の外に設置されている椅子に座り、パソコンを操作していた。ガンモはしばらく一人で会場の中を探索していたようだが、探索を終えて私の座っている椅子のところにやって来た。私がまだ「ガンまる日記」を書き上げていなかったので、ガンモは自分のPDAを取り出して、私が書き上げるのを横で静かに待ってくれていた。

 私が「ガンまる日記」を書きながら、
「ねえねえ、内子座って何するところだったんだっけ?」
などと記事の内容についてガンモに話し掛けると、私たちが座っている椅子の向こう側に、見慣れた顔ぶれが目に留まった。そう、骨董ジャンボリーで毎回顔を合わせている友人ご夫婦である。
「いやあ、『ガンまる日記』をまだ書いていなかったので、焦って書いてるの」
と私は言った。彼らはしばしば、「ガンまる日記」を読んでくれている。しかし、まさにそれを書いている現場を目撃されてしまうのは、少々照れるものだ。しかも、一つの椅子に座っている夫婦が、それぞれ自分のパソコンに向かっている光景は、異様だったのではなかろうか。

 実際のところ、「ガンまる日記」を書き上げるには、二時間程度の集中した時間が必要だ。その時間を確保するために、私は旅行中も、ガンモからの多大な協力を得ている。ガンモも自分でブログを書いているが、やはり、コメントを書いている最中は、悪いけど、ちょっと時間をくれと言って来る。これは、何かに似ていると思った。そうだ。以前、芸術について、「ガンまる日記」で取り上げたことがあった。愛する人が居るときでも、創作を優先させるかどうかについて、私はほんの少し批判的なことを書いたように思う。しかし、私がガンモとのコミュニケーションを中断し、「ガンまる日記」を書くことに集中するのは、芸術を愛する人が創作に向かうのと同じなのではないだろうか。私が「ガンまる日記」を書く時間を必要とすることが、ガンモを寂しくさせているわけではない。それと同じように、芸術を愛する人が創作に向かうことも、愛する人を寂しくさせるわけではない。このことが、ようやく身をもってわかった。既に自分の中にあったはずなのに、これまで実感が沸かなかったのだ。

 友人ご夫婦は、「ガンまる日記」でも何度かご紹介して来たカメラ仲間のご夫婦である。彼らは、夫婦が一緒に居ることをとても大事にしているご夫婦である。カメラ仲間だった彼は、二年ほど前に運命的な出会いを果たし、奥さんと結ばれたのだ。そして、彼の奥さんは、彼の環境にすっかり溶け込んでいて、まるで昔からの友人のような感覚で私たちとも接してくれる。彼らの周辺では、出会いのネットワークが、実に違和感なく広がっている。違和感のない横の広がりを持つことができるのは、ソウルメイトの醍醐味かもしれない。

 ちょうどお昼どきだったので、四人でお昼ご飯を食べた。とてもリラックスできる楽しいひとときだった。彼らの幸せそうな姿を見ていると、何だか私まで一緒にうれしくなる。仲の良いご夫婦は、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれるのだ。

 昼食のあと、再び会場に戻り、クラシックカメラを専門に扱っている馴染みのお店の人たちとのコミュニケーションを楽しんだ。最近、クラシックカメラの購買意欲はすっかり落ち着いて来ている私たちだが、お店の人たちとのコミュニケーションは、半ば眠りかけている知識に働きかけるため、とても刺激的である。年に一回、買い物をしなくても、このようなコミュニケーションが実現できるなら幸せだと感じた一日だった。夜、お店の人が、私たち四人を撮影した写真を電子メールで送付してくれた。その写真を見ると、四人とも、とてもいい表情をしていた。

※関東地区にお住まいで親しくさせていただいている皆さん、黙って東京に来てしまってごめんなさい。今回も、大規模骨董市のイベントがあったり、あちこち移動が多かったりと、ゆっくりできないため、お知らせせずに来てしまいました。(苦笑)

※いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。おかげ様で、最近、書くことの楽しさをかみ締めています。

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2006.01.07

愛媛県内子町と寝台特急サンライズ瀬戸

 船は、早朝に松山観光港に着いた。早い時間からベッドに入ったガンモは、私よりも早く起きて活動し始めていたが、0時過ぎにベッドに入った私は、眠くて眠くて仕方がなかった。眠い目をこすりながら下船し、路線バスと伊予鉄を乗り継いで、ひとまず松山市駅まで出た。そこから更に伊予鉄の路面電車に乗り換え、JR松山駅へと向かった。そして、JR松山駅で朝食を取ったあと、内子線経由の予讃線に乗り込んだ。目指すは、古い町並みのある内子町(うちこちょう)である。今回、愛媛県の松山に降り立ったのは、去年の十月に購入した青春18きっぷと同じ五枚綴りの四国内のフリー切符(四国再発見きっぷ)の有効期間(三ヶ月)が、そろそろ切れてしまうからだ。そのため、このフリー切符を使って、JR四国を制覇しようと計画したわけなのだ。

 愛媛県出身の私は、学生時代、東京から帰省する度に、四国ワイド周遊券を購入していた。四国ワイド周遊券は、今はもうなくなってしまったのだが、切符の有効期間中なら、四国内の特急の自由席に何度でも乗り降り自由になるという大変お得な切符だった。当時、学生で時間のたっぷりあった私は、その切符を使って、一人で四国内をあちこち旅行して回ったものだ。ガンモにそのことを言うと、
「俺も誘ってくれたら良かったのに」
などと言う。私もガンモを誘いたかったが、ガンモとは同じ四国出身なのに、その頃はまだ出会っていなかったのだから仕方がない。私は、内子町には、その当時、初めて足を運んだのだった。そして、目に焼き付けておいた内子の古い町並みをガンモにも見せたくて、私は早朝から起きて寝不足だったことも忘れてずんずん歩いた。

 およそ二十年ぶりに訪れた内子町は、古い町並みがそのまま大切に残っている町だった。内子町の素晴らしいところは、単に古い町並みが残されているばかりでなく、それらが現役の家屋として機能しているところにあった。何度も何度も修復を重ねながらも、今なお大切に使われ続けている古い家屋たち。そこに刻まれている深い年輪には、歴史の古さだけでなく、人々が守り抜いて来た相対的な関係による結晶があった。この地域に新しい家を建てたいと思った人も、中には居たかもしれない。しかし、この景観を守り抜こうと、地域の人たちが一丸となって維持し続けて来たに違いないのだ。ここに住む人たちが、そうした相対関係から外れずにいたことが、私たち観光客の心を引き付けて離さないのだった。

 古い町並みの地域では、一般家庭の玄関先に農産物が並べられ、無人のお店が開かれていた。代金は、家の中に通じる筒の容器の中に入れるのだ。値段はみかんが一袋百円と、驚くほど安い。干し柿は二つ入って二百円。こうした販売方法と価格設定から、ここに住む人たちが農産物を売って生計を立てようとしているのではなく、自分のところで食べるのに余った分を、他の人たちにも格安で分けていることがうかがえる。こうした文化の存在は、もしかすると、お金の始まりとはこういうところにあったのではないかと私たちに想像させるのだ。

 列車の時間の関係で、内子町には一時間余りしか滞在できなかったのだが、特に急ぐ必要もなく、古い町並みを散策するにはちょうどいい時間だった。

 それから私たちは、何時間も普通列車を乗り継いで、高松まで出た。そして、高松から寝台特急サンライズ瀬戸に乗り、東京とへ向かった。寝台特急サンライズ瀬戸は、寝台特急の中でも近代的な車両で、まるで狭いホテルのような寝台だった。私たちはB寝台の個室をリザーブしていたのだが、その色合いといい、機能といい、ホテルのツインルームとほとんど変わりがなかった。

 早寝早起きのサイクルが出来上がってしまっているガンモは、眠い眠いと言いながらベッドに横になり、そのまま本格的に寝入ってしまった。私はガンモから、寝台特急サンライズにはシャワールームがあり、車掌さんからシャワーカードを購入すれば利用できるということを断片的に聞かされていた。しかし、ガンモからもっと詳しいことを聞き出そうにも、ガンモは眠ってしまった。私はシャワーを浴びておきたかったので、単独で車掌室に赴き、車掌さんからシャワーカードを買った。そして、わくわくしながらシャワールームのドアを開き、シャワーカードを通してシャワーを浴びた。列車が走行しているときにシャワーを浴びると、ボディーソープの泡で滑ることがあり、スリル満点だった。部屋に帰ると、ガンモはすやすやと眠っていた。私は、ガンモよりも先に、生まれて初めて列車のシャワーを浴びたことで、ガンモに優越感を感じながらベッドに入った。翌朝、目を覚ましたガンモに自慢しようと思いながら。

この日撮影した写真:
愛媛県

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2006.01.06

フェリーの浴場と三朝への慕情

 今年最初の三連休の前日。出勤時に旅行用の大きな荷物を持って家で出た私は、その荷物を三宮のコインロッカーに預けて出勤した。この三連休、私たちはまたまた大移動するのだ。

 今回の旅は、フェリーから始まる。仕事を終えた私たちは、三宮で待ち合わせをした。スーツ姿で働いていたガンモは、いったん帰宅してから着替えを済ませてやって来た。そして私たちは、ポートライナーに乗り、神戸ポートターミナルで降りて、松山・別府行きのフェリー「さんふらわあ」に乗船した。

 さんふらわあは、大規模な旅客フェリーで、レストランや浴場、売店などの施設を備えている。私たちが泊まったのは一等船室だ。一等船室は、ちょうどカラオケボックスくらいの広さで、テーブルとテレビ、洗面台、二段ベッド、浴衣などの設備がある。普段から、鉄道の旅に慣れている私たちは、いつもと違う雰囲気に興奮していた。しかし、一等船室といえども、船の傾きには勝てないようで、私たちもまた、重力に逆らえず、船の傾きに合わせて身体が傾いてしまうことが気になった。それと、モバイル機器の電波が届かないことは、とても不便に感じた。

 しかし、鉄道と違って大変有り難いのは、部屋にコンセントがあることだった。出先で「ガンまる日記」を書き上げるにも、パソコンの電池がもたなければただの箱なのだ。

 それともう一つ、浴場の設備があることも有り難かった。仕事を終えて、ほとんどそのままフェリーに乗り込んだので、私たちも浴場を利用することになった。三連休の前日ということで利用客も多く、女性風呂はひどく込み合っていた。久しぶりに公衆浴場を利用する私は、三朝の株湯のことを思い出していた。しかし、何故だろう。株湯と同じ公衆浴場で、株湯と同じようにお風呂を利用するためにたくさんの人たちが集まっているというのに、私は三朝の株湯が懐かしくて懐かしくて仕方がなかった。町で誰かとすれ違う度にあいさつを交わしていた三朝の町。混み合った株湯の脱衣場でも、他の人のことを気遣いながら利用していた。おばあちゃんが多く、お湯につかりながら、本当にありがたいと言っていた。とにかく、株湯はみんなに愛されていた。シャワーの設備がなくても、株湯を利用する人の数は耐えなかった。そんな素晴らしい株湯に、毎日のように入ることができた私は本当に幸せだった。

 株湯が懐かしく思えたのは、何も温泉の効果が高かっただけではない。三朝の町では、人々が相対的な関係を結んでいた。そして、その中に自分が溶け込みつつあったことが、心地良かったのだ。しかし、フェリーの中の浴場は、たった今、知り合ったばかりの人たちである。脱衣場にはたくさんのロッカーがあるが、他の人に邪魔になっていることが暗黙的にわかっているのに、他の人に場所を譲ろうとしない。シャワーの設備が空いても、「はいどうぞ」と声を掛けることもない。先にお風呂を上がるときでも、「お先です」のあいさつがない。そんな無機質な関わり方が、三朝の町の心地良さと比較して、たまらなく切なくなってしまったのだ。

 私が三朝にいる間、私たちは離れ離れになってとても寂しかった。しかしその寂しさは、二人で一緒にいることの心地良さを知ってこそ、それらの対比として生み出される。それと同じように、私は三朝の町に馴染み始め、そこで結ばれている相対的な関係の中に溶け込みつつあったのだ。そのことが心地良いと感じている場合、そこから離れることは苦しみなのだ。これが、相対的な関係の弱みでもある。

 お風呂から上がると、ガンモは眠い眠いと言いながら、先に寝てしまった。船の二段ベッドは、二人で寄り添って眠るには少々狭かったので、私たちは別々のベッドで眠ることになった。ガンモと旅行すると、私は高所恐怖症なのに、いつも二段ベッドの上に寝かされる。寝台特急に乗るときもそうなのだ。おかげで、少しずつリハビリになっている。疲れも出ていたので、私はヘッドフォンで音楽を聴きながら、すぐに眠りに就いた。

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2006.01.05

ガンモ、四十二歳になる

 一月五日はガンモの四十二回目の誕生日だ。ガンモは、午前0時を少し回った頃、コールセンタからの呼び出し作業から帰宅した。私はガンモに、
「四十二歳のお誕生日おめでとう」
と言いながら抱きついた。

 朝になると、ガンモは私よりも早く目を覚ましていた。私は、
「ガンモ、お誕生日おめでとう」
と言い、それからも、ガンモと顔を合わせる度に、しつこいくらいにお誕生日おめでとうを言った。

 仕事を終えてからは、三宮ではなく、神戸で待ち合わせをして食事をした(関西の事情に詳しくない方に説明しておくと、三宮は神戸市の一番の繁華街。市役所や県庁からも近い。神戸というのは、JRの駅名。三ノ宮からJRで二つ目。ちなみに、細かいことを言えば、JRの駅名は三宮ではなく、三ノ宮。間にカタカナの「ノ」が入る)食事と言っても、共働きでいつも帰りの遅い私たちが外食することは、さほど珍しくない。それでも、せっかくガンモの誕生日なのだから、ちょっと張り込んでみようかなどと思っていたのだが、主賓のガンモは寝不足で眠いと言う。ここのところ、徹夜作業が多かったり、コールセンタから呼び出しがかかったりと、生活のリズムが狂っているせいもあるのだろう。そのため、できれば食事をしたら、早く家に帰って眠りたいと言う。そんなガンモの要望もあって、毎日が記念日の私たちは、いつもと変わらない夕食の時間を過ごしたのだった。

 帰宅したガンモは、実にすやすやと眠った。本厄だった去年、特に大きな事件がなくて本当に良かったと思う。きっと、私の御祓いが効いたに違いない。西宮えびす神社で買った商売繁盛の笹で、ガンモの御祓いをしたときは、私も楽しかった。ガンモもうれしそうに笑っていた。きっと、お金を払って御祓いをしてもらっていたら、こうは行かなかっただろう。今年はガンモの後厄。今年はまだ初詣に出掛けていないが、私がまたまた楽しい御祓いをしてあげなければ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本当に感謝しております。

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2006.01.04

ニュートラル

 三が日が明けて、仕事始めとなった。駅の駐輪場に着いてみると、自転車の数がやけに少ない。どうやら、世間の仕事始めは一月五日からのようだ。ちょっとらやましい気もするが、年末にたっぷり休みを取らせていただいたのだから、そうも言えない。

 出勤すると、上司のまた上司が、湯治の効果はどうでしたかと聞いてくださった。実は、まだ書いていなかったのだが、三朝温泉を離れてから、私の筋腫は再び固くなってしまったのだ。おそらく、あたたかいご飯に納豆と生たまごを混ぜて食べたせいだと思われる。実に驚くべきことだが、納豆を食べてからわずか数時間のうちに、私の筋腫はすっかり固くなってしまったのだ。

 納豆に含まれている大豆イソフラボンには、エストロゲン(卵胞ホルモン)という女性ホルモンと似た働きを持つ成分が含まれている。このエストロゲンは、筋腫の成長を促す作用を持っているのだ。女性ホルモンには、エストロゲンの他にもう一つ、プロゲステロン(黄体ホルモン)というホルモンがある。この二つのホルモンは、互いに相反する働きを持っている。おそらくだが、私のように子宮筋腫がたくさんある人は、エストロゲンという女性ホルモンの働きが活発なのではないだろうか。だから、ホルモン療法と言われる注射では、エストロゲンを抑制するように働きかけるのだと思う。女性の身体が健康であるためには、二つのホルモンのバランスが取れていることが望ましいとされている。

 私は、上司のまた上司に、湯治を終えてから再び患部が固くなってしまったことを告げた。しかし、湯治に行く前よりは調子がいいので、これからもっといろいろなことを調べて実践して行きたいと宣言した。

 帰宅してから、女性ホルモンについていろいろ調べてみると、天然のプロゲステロンを配合したクリームがネットで売られていた。プロゲステロンは、生理のサイクルと同期を取りながら身体に塗る方法が、もっとも身体に吸収され易いという。なかなか興味深いので、こちらも購入してみた。ただ、いろいろな種類があって、一体どれが効果的なのか良くわからない。もしも私が購入したクリームで効果があれば、またご報告したいと思う。

 正直なところ、湯治で柔らかくなっていたはずの筋腫が一気に固くなってしまったのは、かなりショックだった。しかし、考え方によっては、筋腫を成長させるエネルギーの存在を知ったことになる。陰陽の考えからすれば、自然の中には、これと正反対のエネルギーが存在しているはずだ。女性ホルモンでさえ、二つの卵巣から、相反する二つのホルモンが生成されているのだから。筋腫が固くなった現象から、単に片方に傾くだけでなく、ニュートラルな状態を作り出すことの大切さを思い知らされたような気がする。

※寒い地域にお住まいの皆さん、雪による被害が多発していますが、どうか気をつけてください!

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2006.01.03

財布紛失事件

 休日ともなると、いつもお昼頃まで寝ていたはずのガンモは、年末年始の徹夜作業のせいで、これまでの生活のリズムがすっかり崩れてしまったらしく、早朝に目を覚ますようになっていた。ガンモは、私がまだ眠っている間にゴソゴソと起き出しては、自分で朝食を作って食べている。私がその物音で目を覚ますと、
「もう朝だから」
とガンモは言う。私は、
「まだ早いから、もうちょっと寝かせてよ」
と言いながら、布団をかぶってもう少し眠るのだ。

 私が湯治から帰って来てから、しばらくそんな日が続いていたのだが、早朝から起きてゴソゴソしているガンモに、コールセンタから呼び出しが掛かった。そしてガンモは呼び出され、仕事に出掛けて行った。

 しばらくすると、ガンモから電話が掛かって来た。
「俺の財布、きのう俺が着てたジャケットのポケットの中にない?」
と言う。ちょっと聞いただけで、精神的に余裕のなさそうな声だとわかった。私は眠い目をこすりながら、ガンモの着ていたジャケットのポケットを確かめてみたが、財布はなかった。私が、
「ないよ」
と答えると、
「どこかその辺に落ちてない?」
と、かなりせっぱ詰まった様子で聞いて来る。

 どうやらガンモは、新年早々、財布をなくしてしまったようだった。そんなガンモはもう少しで四十二歳。後厄である。確か、クレジットカードは別のケースに入れて持ち歩いているはずなので、財布の中に入っていた数万円のお金とプリペイドカードくらいの損失だろうと思っていた。そう言えば、以前にもこのようなことがあった。そのときは、東京駅の公衆電話の前に財布を置き忘れしまい、拾ってださった方が、財布の中に入っていたカード会社の発行するタクシーチケットの番号でカード会社に問い合わせてくださった。そのおかげで、カード会社から連絡が入り、財布は無事に返って来たのだ。更に、二〜三年ほど前には、一枚八千円以上するコンサートのチケットを合計四枚紛失してしまい、とうとうコンサート当日まで見つからずに、オークションで出品している人からチケットを譲っていただいた。さて、今回は一体どのような展開になるのか。

 過去にもそうした事態を乗り越えて来たからだろうか。失ったとしても、数万円程度で済むのなら、財布をなくしたガンモを責めるのはよそうという気持ちになっていた。私は、家の中の目につくところを適当に探しても、財布が見つからなかったので、ガンモに報告の電話を掛けた。
「ガンモ、財布はなかったよ」
と。するとガンモは、
「ごめん、あったよ。コートのポケットに入ってた」
「ええっ? 良かったあ!」

 結局、それで一件落着したのだが、帰宅したガンモに詳しい事情を聞いてみると、財布の中には年末に行った車検代が入っていたので、もしも本当に財布を落としてしまったのだとすると、数万円どころの損失ではなかったと言う。お金に対する執着をなくしたから財布が出て来たのか、それとも、ガンモのコートのポケットに財布が入っていることを潜在的に知ってかたから落ち着いた気持ちでいられたのか、それはわからない。何はともあれ、めでたし、めでたし。

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2006.01.02

プラレール博と映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』

 ガンモが私を連れ出したいというイベントは、大阪のエキスポランドで開催されているプラレール博だった。プラレールとは、おもちゃ会社トミーが開発した組み立て不要のモーター付き鉄道プラモデルのことだ。人気の車両をそのまま小さくした鉄道プラモデルは、主に小さい子供たちに人気がある。しかし、大人のコレクターも数知れず。プラレール博とは、一言で言うと、プラレールで遊べるイベントだ。レールの上を走らせてこそ楽しいプラレールだが、狭い住宅ではなかなかのびのびと走らせることができない。プラレール博では、広い会場でプラレールを走らせたり、展示されている大きなプラレールのヘッド部分を背景にして記念撮影できたり、大きな電動プラレールに親子で乗車できたりする。会場に足を踏み入れてみると、家族ぐるみの鉄道ファンでいっぱいに溢れていた。プラレール博は、親子で一緒に楽しめるイベントのようだ。

 熱気ムンムンの会場を通り抜けると、プラレールを扱う売店があった。そこでもたくさんの人! 人! 人! 限定商品を握り締めている人、孫に何か買ってあげようと張り切っているおばあちゃん、鉄道関係の本を握り締めて離さない子供など、とにかく強烈な熱気に圧倒されてしまう。ガンモはそこで、プラレールの限定商品を買った。

 その後、昼食タイムとなったのだが、エキスポランド内のレストランは、どこもたくさんのプラレールファンで溢れ返っていた。テーブル確保のために席に置かれるものは、たいてい、プラレール博の売店で買った商品だった。ほとんどの人が、プラレール博の売店で包んでもらったトミカの袋を抱えていたのだ。私たちは、カキフライ定食を食べたのだが、小食になってしまった私は食べ切ることができずに、ガンモの助けを借りることになってしまった。

 そしていよいよ、映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を観るために、伊丹の映画館へと向かった。プラレール博への会場までと伊丹の映画館までは、関西地区の鉄道乗り潰しの旅ともセットになっているため、私たちはまだ乗り潰していないルートを通った。そのときに、脱線事故後に初めて福知山線(宝塚線)の快速列車に乗ったのだ。

 通常、鉄道好きの人たちが電車に乗るときは、先頭車両に乗り込み、運転席の横の窓から、流れる景色をじっと眺める。そういう癖がついているので、今回も私たちは迷わず先頭車両に乗り込んだのだが、隣の二両目にはすべてのシートが埋まるほどの乗客がいるにもかかわらず、先頭車両に乗っているのはわずかニ〜三人と、極端に少ないことに気がついた。

 私は脱線事故の状況を思い出した。脱線したのは、今、私たちが乗っているのと同じ快速列車だった。そして、亡くなられたほとんどの方たちは、一両目に乗っていた。そのため、乗客は、一両目を避けて利用しているのだと思った。脱線事故と同じ快速列車の同じ車両。私たちは、事故が起こった手前の伊丹で降りたのだが、宝塚線を通勤などで利用する人の気持ちは今なお複雑なのだということを思い知らされた。そして何よりも、宝塚線の運転士の気持ちは、計り知れないほど重いのではないだろうか。同じことを繰り返さないように、絶えず自分自身に言い聞かせているはずだから。しかし、このようにして背負って来た心の傷や責任も、時間とともに少しずつ癒され、緩和されて行くのだろう。何故なら、人間は、自分自身の心を癒すようにできているからだ。

 映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の上映時間を調べることなく映画館に来てしまったのだが、公開から一ヶ月以上経っていることもあり、何と、字幕スーパー版は、夕方からの上映のみだった。ガンモは、
「午前中からこっちに来ていたら、時間を持て余してたかもね」
と言った。私は、
「それって、プラレール博に行ったことを正当化したいだけなんじゃないの?」
と言って笑った。

 前売券を買っていた私たちは、カウンターで座席の指定席券と交換してもらい、上映までのおよそ二時間をショッピングをして楽しんだ。この映画館は、無料で指定席券を発行してくれるので、観たい映画の時間が来るまでゆっくりと買い物ができるのだ。しかも、映画館のある建物は、ジャスコやその他の専門店街が揃った大型ショッピングセンターになっている。年始ということもあってか、普通に歩いていると、どんどん人にぶつかってしまうくらいの盛況ぶりだった。

 さて、気になる映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の感想は、映画と演劇のはなしに書いた通りである。これからこの映画を観ようとされている方や、既にこの映画を観て楽しまれた方にはとても申し訳ないくらいの辛口コメントだ。私が書いたことは「比較」であって、「個別」ではないのかもしれない。もちろん、単独の作品であれば、映像の美しさから言っても、映画の完成度は高い。しかし、シリーズとして連続している限り、これまでの流れを汲んで欲しい気持ちが大きかったのだ。ここにも、私の中の相対性と絶対性に対する比重が大きく左右しているように思える。この作品をご覧になった皆さんは、どのように感じられただろうか。前作と比較せずに観ることができた方は、きっとこの映画を高く評価をされたことと思う。

 こうした流れに反するかのように、今年の私は、相対性の面白さを追求して行きたいと強く思ったのだった。相対性であっても、絶対性であっても、それらは何かを極めるための単なる入口に過ぎない。入口ならば、いくつもの入口があっていいはずで、出口は一つだ。

エキスポランドで撮影した写真:
大阪府

※皆さん、お正月のお忙しい中、「ガンまる日記」を読んでくださってありがとうございます。応援クリックにも感謝しています。今年は、ソウルメイトについて、もっともっと探求して行きたいと、決意を新たにしました。(笑)

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2006.01.01

帰路につく

 年も明けて、夜も明けた。九泊十日の湯治生活を終え、いよいよガンモの待つ懐かしい我が家に帰る日がやって来た。三朝に来てからというもの、時間に左右されることなどほとんどなかったはずなのに、私の生活リズムは規則正しく変化していた。三朝に来るまでは、毎晩二時近くまで起きていたものだったが、〇時を過ぎると、眠くて眠くて仕方のない身体になってしまっていた。そして、翌朝八時前には必ず目が覚めるのである。これが、私にとって心地良い生活リズムだとすると、いかに睡眠不足の毎日を送っていたかがわかる。

 朝起きてから朝食を取り、ある程度の荷物をまとめたあと、私は旅館の岩風呂に入った。これで、旅館の岩風呂ともしばらくお別れになると思うと、ありがたい気持ちがいっぱいに込み上げて来た。私は、岩風呂にありがとうと言いながらお湯につかった。

 部屋に帰り、残っていた荷物を大きなバッグに詰め込み、部屋の写真を撮り始めた。十日間お世話になった私の部屋。外の庭園も、こたつも、テレビも、布団も、台所も、冷蔵庫も、水道も、それらひとつひとつが愛しかった。私はシャッターを切りながら、熱いものが込み上げて来て、涙さえ流していた。ここを離れる辛さというよりも、とにかくありがとうという気持ちでいっぱいだった。

 部屋を出る前に、部屋にもありがとうを言った。そして私は、十日分の重い荷物をひきずりながら、さきほど入った岩風呂の前まで来た。カメラを首からぶら下げていた私は、岩風呂を誰も利用していないのをいいことに、「女性入浴中」の札を掲げ、浴室に下りて行った。岩風呂の写真をカメラに収めておきたいと思ったのだ。

 湯気の立っている岩風呂の写真は撮りにくかったが、私は感謝の気持ちを込めながらシャッターを切った。本当にありがたい気持ちでいっぱいだった。

 事務所で九泊分の宿泊の清算をした。そして、大きなバッグを宅配便で送ってもらえるようにお願いした。そして私は、旅館の人にあいさつをして、十日間お世話になった湯治宿をあとにした。とても居心地のいい宿だった。またここに来たい。今度はガンモと二人で。私の心はそう決めていた。

 高速バスの時間までまだ余裕があったので、私は株湯に出掛けた。株湯にもちゃんとお礼を言っていなかったからだ。元旦から営業している株湯は、観光客らしい人たちで賑わっていた。私は、いつもと同じように株湯に入り、株湯にもお礼を行った。株湯よ、本当にありがとう。自然の恵みをありがとう。

 株湯を出ると、株湯の周りにはたくさんの観光客が居た。お正月を温泉で過ごしている家族連れだった。彼らは私に、株湯の中の様子について問い掛けて来る。どうやら彼らは、散策中に偶然、公衆浴場の温泉を見つけたらしい。株湯に入りたい気持ちもあるようだが、お風呂道具の持ち合わせがないため、躊躇しているようだった。私は、中は四〜五人くらいが入れるほどの広さであることや、シャワーの設備もないことなどを伝えた。彼らはほんの少し考えてはいたが、結局、株湯には入らずにそのまま歩き始めた。

 お昼前にガンモに電話を掛けてみると、徹夜の仕事を終えて、たった今、帰宅したばかりだと言う。私は、もうすぐ高速バスに乗ることを告げ、私が帰るまでゆっくり休んで欲しいと言った。

 それから私は、三朝の町に別れを告げ、路線バスに乗り、高速バスの乗り場へと向かった。高速バス乗り場で待っていると、三朝温泉の旅館の送迎バスが一組の家族を降ろした。関西弁をしゃべる彼らは、さきほど株湯の周辺で見かけた家族連れのうちの一組だった。彼らも私と同じ高速バスで関西方面に帰るようである。ちょうどそこを、別の観光客が通りかかった。その人たちは、路線バスの乗り場を探しているようだった。路線バスの乗り場と高速バスの乗り場はほんの少し離れているのだが、初めての人にはわかり辛いのだ。関西弁をしゃべる家族は、路線バスのバス停を知らない様子だったので、私はまるで乗り慣れた人であるかのように、彼らに路線バスの場所を教えてあげた。しかし、何となく複雑な気分だった。私は、地元の人でもなく、観光客でもない。しかし、どちらかと言えば、地元の人に近い存在になりつつあった。

 高速バスは、ほぼ定刻にやって来た。さすが、元旦だけあって、利用客は少ない。しかし、元旦にも働いてくれている人がいるから、私はガンモの元へ帰れる。本当にありがたいことだ。

 三ノ宮まできっかり三時間、私は高速バスに乗り続けた。出発してしばらくは雪景色が続いていたが、兵庫県に近づくに従って、雪の量もだんだん少なくなって来た。

 三朝の町で十日間を過ごしたおかげで、どうやら私は寒さに強くなったようである。そして、大きな筋腫に膀胱を圧迫されているため、一時間に一回は行きたくなっていたトイレも、それほど頻繁に足を運ぶこともなくなっていた。そして、もう一つの大きな変化は、小食になったことだ。食べ物に関しても、直感的に、身体に良い影響を与えてくれるかどうかを判断できるようになった。

 ようやくバスが三ノ宮に着いた。久しぶりに都会の人込みの中に降り立った私は、早くも三朝ののんびりした雰囲気が懐かしくなっていた。行き交う人たちに、迷うことなくあいさつをする三朝の町。お年寄りが元気に雪かきをしていた三朝の町。しかし、都会の三ノ宮には雪はなく、行き交う人たち同士も無関心だ。一人一人にあいさつしていたら、それこそ切りがない。そこに、無機質な孤独を覚えた。

 私は、久しぶりに自分の定期券を自動改札機に通した。電車を目にするのも十日ぶりのことだ。電車に乗ると、毎日のように通勤電車で眺めていたはずの景色が、これまでとはまったく違って見えた。とにかく別世界だった。

 最寄駅に着き、駅の駐輪場に停めてあった自転車に乗り、私は家路を急いだ。ようやくガンモに会える! と思っていたが、心の中にはどこか落ち着いた気持ちがあった。早く家に帰りたいような、徹夜明けのガンモをもう少し寝かせてあげたいような、そんな相反する気持ちがあった。

 家に着き、私はガンモの寝ている寝室へと向かった。寝室のドアを開けると、中から懐かしいガンモの声がした。ベッドを見ると、私の立てた物音で目を覚ましたガンモが、布団を押しやり、両手を広げて待っている。私は、ガンモの胸に飛び込んだ。

 それからの私たちは、しばらくの間、歓喜天(「ガンまる日記」のプロフィールの写真)のように抱き合っていた。私は、再会の感動のあまり、大粒の涙をこぼしながら泣いていた。十日間、たった一人で私の帰りを待ち望みながらここで生活し続けていたガンモもまた、感極まっていた。そして、私たちは長いこと抱き合いながら、何度も何度も再会の喜びを分かち合う熱いキスを交わした。

※皆さん、改めまして、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。湯治中のご声援、誠にありがとうございました。皆さんの暖かい励ましに支えられながら、無事に帰宅しました。筋腫は消えたわけではありませんが、筋腫で固くなっていた場所が、以前よりもずっとやわらかくなっているので、それなりに効果はあったと思っています。りえちゃんに紹介してもらったハーブティーへの希望もあり、今後のことは、流れに身を任せながら、臨機応変に対応して行きたいと思っています。

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