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2005年12月

2005.12.31

湯治(九日目)

 夕方少し前に株湯に行くと、大晦日というのにひどく混んでいた。その混雑ぶりは、浴室の扉を開けて、思わず尻込みしてしまったほどだ。私がひるんでいると、地元のおばあちゃんが、
「待っていても、次から次へとお客さんがやって来て切りがないから、『すみません』と言いながらお入んなさい」
と言って、私の背中を押してくれた。私は、おばあちゃんの言う通り、少し遠慮がちに浴室の中に入った。すると、入浴していた人たちは、ちょうど出て行くところだったらしく、次から次へとお湯から上がって行った。

 株湯からの帰り、観光センターで、明日の高速バスの予約をしてもらった。いつもなら、高速バスのチケットを発券までしてくれるのだが、大晦日と元旦は窓口がお休みなので、予約のみ受け付けてくれるらしい。

 夕方、ガンモに電話を掛けてみると、そろそろ仕事に出掛ける頃だと言う。ガンモはお客さんのところで徹夜作業なのだ。ガンモに高速バスの予約をしたことを告げると、とてもうれしそうだった。

 いつもより遅めに旅館の岩風呂に入った。明日、ここを離れることになると思うと、とても複雑な気持ちだ。とうとう自然の恵みとお別れするという寂しさと、久しぶりにガンモに会えることの喜びが入り交じっている。

 さて、気になる湯治の効果だが、私の筋腫は、完全になくなったわけではないが、滞在前よりもずいぶん柔らかくなっている。果たして、この状態をどのくらい維持できるのだろう。

 そんなことを考えていたら、月見想のりえちゃんから、あるハーブティーを紹介していただいた。そのハーブティーを楽天で検索してみると、いくつかのお店で販売されていたので、早速注文してみた。不思議なことに、そのハーブティーを飲み続けると、ガンが消失したり、筋腫がなくなったりと、まさしく、ラジウム温泉で湯治するのと同じような効果が現れると言う。ハーブティーもまた、自然の恵みだ。しかも、湯治よりももっと身近だ。何とありがたことなのだろう。

 ところで、温泉は、比較的寒いところに湧いている。これが一体何を意味しているのか。私は、陰陽のバランスなのではないかという気がしている。つまり、冬の厳しさに対して、温泉の温かさが存在しているというわけだ。もちろん、すべての寒い地域にこれが当てはまるわけではない。暑さがメインの地域では、単に陽に傾いているだけで、寒さがメインの地域では、単に陰に傾いているだけなのだと思う。そして、病気を抱えている人も、陰に傾いている(陽性/陰性の考えとは逆)。しかし、おそらくどんな病気も、なかなか巡り合えないだけで、病気の状態を陰から陽に近づけてくれるパワーが自然の中に存在していると思うのだ。

 三朝に来てからの私は、自然の恵みに注目した。それらの自然の恵みは、格安で提供されているものこそが本物だ。だから私は、一回わずか二〇〇円の株湯に足繁く通った。ところが、インターネットでは、ラジウム温泉に効果があるということから、ラドンガスを発生させる人工装置が非常に高価な値段で販売されている。こういうのはどこか胡散臭い。

 私がラジウム温泉に注目し始めた頃、湯治では、秋田の玉川温泉が有名だと聞いた。その玉川温泉は、予約を入れようにも、一年待ちの状態だと言う。それを考えると、三朝温泉は近場かつ穴場だったと思う。ああ、三朝温泉よ、本当にありがとう。もうすぐお別れになってしまうのは寂しいけれど。またいつか、訪れたい場所である。今度はガンモと一緒に。

 いよいよ明日は十日ぶりにガンモに会える。私は、喜びと期待に胸をふくらませながら床に入った。

今日の写真:
鳥取県

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2005.12.30

湯治(八日目)

 前日あたりから、肩凝りから来る頭痛に悩まされていた。寒さのために、厚着をして寝ていたせいだと思う。カチンカチンに肩が凝り、鼻が詰まり、首の後ろの付け根のあたりがひどく痛むのだった。そのため、緊急用に持っているピップエレキバンを肩と首の周りに貼り巡らしてみたのだが、なかなか効果が現れなかった。いつもはこれですぐに楽になれるのだ。そう言えばと、以前、巣鴨のとげぬき地蔵尊で、ピタップという突起のついたエレキバンのようなものを試供品でもらったことを思い出し、試してみた。すると、これが驚くほど良く効いたのだ。私はピタップを貼ったまま、お昼過ぎまで布団にくるまって寝ていた。起きてからは、三十一日に鍼灸医院に予約を入れていたことを思い出して、キャンセルの電話を掛けた。

 「ガンまる日記」を書き上げたあと、私は株湯に出掛けた。いつもより遅い時間だったので、そろそろ混み合う頃かと思っていたのだが、お正月の準備で忙しいのだろうか。思ったよりも空いていて、私はまた湯船で一人になり、リラックスできた。

 最近、他のサイトを見ていて気がついたことなのだが、株湯の浴槽は、一つの浴槽を木の仕切りで男湯と女湯に分けている。これは何ともロマンチックな発想だ。真ん中にある仕切りの間から、常に新しいお湯がこんこんと沸き出ている。本当にありがたい温泉だ。

 株湯から帰ると、私の頭痛はすっかり良くなっていた。半身浴だけでは肩が温まらないので、意識して首の付け根まですっぽり入って温めたのが効いたようだ。

 そんな株湯は、大晦日の日に清掃のために営業時間を少し遅らせるだけで、元旦から平常通りの営業なのだという。地元の人たちにも、観光客にも、そこまで望まれている公衆浴場なのだろう。

 三朝に滞在してから一週間余りが経った。世間も年末年始の休暇に入ったようで、町を歩けば、たくさんの観光客とすれ違う。しかし私は、地元の人にもなり切れず、観光客にもなり切れない、中途半端な存在だ。観光客は、家族や恋人たちと一緒にやって来て、高価な旅館に宿泊し、おいしい料理を食べる。彼らの中でも、公衆浴場である株湯に足を運ぶ人たちは、ごくわずかだろう。

 この寒さの中、高級旅館の前には、宿泊客の到着を待つ係員がいる。彼らは、宿泊客の車が到着すると、名前を聞き出し、
「○○様、お待ち申し上げておりました」
とあいさつをする。そして、家族を降ろした車を駐車場へと誘導するのだ。何時にやって来るかわからない宿泊客のために、夜の寒い中でもずっと立っている。

 同じ三朝温泉に居ながら、宿泊客が来るのを外でずっと待っている係員が見ているもの、宿泊客が見ているもの、地元の人たちが見ているもの、そして、私が見ているものは、それぞれ違うことだろう。

 夕ご飯は、またまたスーパーのお弁当だった。これだけでは寂しいので、ブロッコリーをやかんで茹でて食べた。包丁がないので、ブロッコリーは手でちぎってやかんに入れた。茹で上がったあとのやかんのお湯切りは、やかんの口から可能だった。やかん一つあると、お湯を沸かせるだけでなく、漢方薬を煎じることもできるし、ブロッコリーも茹でられるし、なかなか便利だ。

 普段ほとんど見ることのないテレビを付けてみると、江原啓之スペシャル天国からの手紙という番組が放送されていた。最近の江原さんのご活躍ぶりには、かつての宜保愛子さんのような勢いがある。その番組の中で、末期癌の父親が、一人息子と離れるのが辛くて、病院にも行かずに自宅で療養していた話があり、私は思わず考えさせられた。彼らは二人暮らしだった。私は再び、焼却炉で亡くなられた老夫婦のことを思い出した。そして、現在の私たちの状況のことも照らし合わせて考えた。やはり、こうした状況が、私にはとても良く理解できる。まずは、ずっと二人だけで生きて来た絆があるということ。その絆を守りたいがために、病院にさえも行きたくないという気持ち。この絆を知らない人は、何故、離れ離れになるのが辛いのかと問いたがる。今の私が取っている立場は違うが、離れ離れになる選択をすることの辛さがとても良くわかるのだ。事実、私自身も、こちらに来てからの精神的ダメージがとても大きかった。これほどまでに精神的ダメージが大きいのなら、この選択は失敗だったのではないかと思ったほどだ。しかし、人によるのだと思うが、状況が変われば、次第に癒されて来る。そして、だんだん強くなって行く。だから私は、延泊ができたのだと思っている。

 ところで、ガンモは今日、コールセンタからの呼び出し要員だったらしい。しかし、何ごともなく、一日が過ぎたようだ。
「明日は徹夜で作業だ」
とガンモは言う。大晦日の夜は、客先で徹夜作業だと言う。
「ハリポタは、一月二日に行くから」
とガンモは言う。もうすぐ私が帰ることになっているので、ガンモは次第に元気を取り戻している。その日に鉄道関係のイベントがあるので、私を連れ出したいらしい。ハリポタを観るのは、そのイベントのあとになる。

 ガンモとの再会の場所は、私がどのルートで帰宅するかによって、自宅にもできるし、三ノ宮にも、大阪にもできる。しかし、やはり自宅がいいのではないだろうか。何しろ、涙の再会のときのように、どんなに泣き叫ぶかわかったものじゃないのだから。

※掲示板やメールの返信が滞っている中、今年は皆さんに本当に助けていただきました。深く感謝しております。どうか、皆さんも良いお年をお迎えください。二〇〇五年、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。

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2005.12.29

湯治(七日目)

 午前中、自然の恵みにありがとうという気持ちを込めて旅館の岩風呂に入りながら洗濯も済ませ、部屋で昼食を取ってからバスに乗って出掛けた。昼食は、スーパーで買っておいたお弁当である。コンビニ弁当よりも比較的薄味だ。あまり運動していないせいだろうか、こちらに来てからずいぶん少食になった。食べるとすぐにお腹がいっぱいになってしまうのである。しかし、すぐにお腹が空いてしまう。以前の勤務先で、小さなお弁当箱にお弁当を詰めて来ていた女性が、「お腹空いた」と口癖のように言っていたのを思い出した。

 今回、出掛けたところは、図書館のある停留所よりも少し先のほうにある、百円ショップダイソーのある停留所だ。実は、旅館の照明の紐が、思い切り根元付近でちぎれてしまったのだ。しかも、ちぎれたときの衝撃で、まめ電球が点灯しなくなってしまった。旅館の人にお願いして修理・交換してもらえばいいのだろうが、そろそろ生活の雰囲気が出て来ている部屋にお通しするのは何となく気が引けるので、自分で修理・交換しようと思い立ったわけである。おまけに、パジャマのパンツのゴムがすっかり伸びてしまい、取替用のゴムを手に入れたいと思っていたし、予定していたよりも長い滞在になり、シャンプーや石鹸がなくなりつつあったので、チビチビ使うよりは、それらを一気に揃えてしまおうと思っていた。しかし、百円ショップに出掛けるのに、往復六百八十円のバス代を掛けるのは、少々贅沢だったかもしれない。

 百円ショップダイソーは、それだけのために建てられた大きな建物だった。フロアは一階だけだが、すこぶる広い。おかげで、ありとあらゆるものが揃いそうだ。地元の人たちが次々に車でやって来ては、店内を熱心に物色している。私が品物を選んでいると、見知らぬおじいちゃんが、私に話し掛けて来た。
「すみませんが、これはいくらなんじゃろね?」
「ああ、ここは百円均一のお店なので、特に表示がなければすべて百円ですよ」
と教えてあげた。おじいちゃんは、初めて百円ショップに来たらしい。

 おじいちゃんから離れてしばらくすると、先生とかつての教え子らしい男の子が挨拶を交わしている様子が目に入って来た。
「○○先生ですよね? わかります? △△ですけど」
「おおお、△△か。元気にしとったか」
と懐かしそうに会話を弾ませている。先生との会話を、
「では、良いお年を」
という言葉で締めくくった△△という男の子は、彼女と一緒に来ていたらしく、彼が先生との会話が終えて彼女の元に帰ると、
「何が良いお年をじゃあ」
などと彼女に茶化されていた。

 私は、部屋の照明の修理道具として、セロハンテープやら、束ねてグイッと縛る補強用のグッズやら、瞬間接着剤やらを買い揃えた。また、香りの良さそうなシャンプーも買ってみた。石鹸入れに、くまのプーさんの入れ物も買った。パジャマのゴムも買った。あれこれ買って、お店を出た。百円ショップのすぐ隣に、スーパーがあったので、そこで食料品を買った。お店はすっかり年末年始の雰囲気だった。ずっと湯治宿に滞在中で、季節感のない私は、世間から離れてしまっていることで、ちょっぴり寂しくなってしまった。自分だけがお正月から取り残されているような気がしたのだ。

 旅館に帰ると、たくさんの靴があった。仕事収めをしたあと、家族で滞在する人たちが増えたのだろうか。確かに三朝の町には、年末年始を温泉で過ごそうと、たくさんの家族連れがやって来ているようだ。湯治宿ばかりでなく、観光旅館の傘をさして歩いている家族連れを良く見かける。

 部屋に帰ってから、照明の紐の修理に悪戦苦闘した。かなり短い根元部分でちぎれてしまっているので、ちぎれた紐とくっつけるのに苦労した。自宅なら、照明を取り外してじっくり作業するのだが、旅館の照明とあっては、手荒いことをするのに少々気が引けてしまう。しかし、セロテープを使って補強するにも、高さや紐の長さなどの問題もあり、なかなか苦しいものがあった。瞬間接着剤で留めようとしたが、重力の関係で、下に垂れ下がって来るだけだった。しばらく格闘したあと、ちょっと不恰好ではあるが、何とか紐の修理が完了した。また、買って来たナツメ球を取り替えると、まめ電球も点くようになった。パジャマのパンツのゴムも入れ替えた。

 夜になって、再び旅館の岩風呂に入ろうとすると、内風呂のほうに「家族入浴中」の札が掛かっていた。これまで見たことのない札だった。内風呂のほうからは、小さな男の子のはしゃぐ声が聞こえて来る。いいなあと思った。ガンモがこちらに来てくれたら、私たちも「家族入浴中」の札を使わせてもらえるのだろうかなどと想像してみる。そして、私が入ろうとしていた岩風呂には、「女性入浴中」の札が掛かっていた。岩風呂の脱衣場に降りてみると、四十代後半くらいの女性が一人、お湯から上がったところだった。彼女とは、簡単なあいさつを済ませただけだった。やはり、脱衣場では裸の付き合いにはならないようである。

 お風呂から上がって、ガンモに電話を掛けてみると、
「今日はいいことがあった」
と明るい声でガンモが言う。聞いてみると、ジョージアの缶コーヒーで、マクドナルドのクーポン券が当たったらしい。
「それは良かった」
と私が言うと、
「でも、家に帰っても奥さんいないの」
とガンモは言った。
「もう少しで会えるから」
と私はガンモを励ました。

 ガンモは、私が岩風呂に入っている間に電話を掛けて来たらしい。そのとき、私の携帯電話が留守番モードになっていたので、もしかするとコンサートに行っているのではないかと期待したようだった。私が折り返し電話を掛けて、コンサートに帰って来ていないことがわかって、ひどくがっかりしていた。

 湯治宿で過ごしている私が体験しているのは非日常だが、自宅で過ごしているガンモはずっと日常の中にいる。日常の中にいるのに、そこに私が居ないのだから、ガンモが感じている寂しさのほうが大きいのだろう。ガンモ、本当にあともう少しだから、どうか私のわがままを許してね。

※皆さん、暮のお忙しい中、いつも読んでくださって本当にありがとうございます。応援クリックにも感謝しています。本当にありがとうございます!

※湯治の効果ですが、今月の初めに体験した身体の変化が少しずつ起こり始めています。やはり、自然の恵みに感謝することが足りていなかったのかもしれません。

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2005.12.28

湯治(六日目)

 精神的な落ち着きを取り戻し、生理からも解放され、湯あたりの症状も乗り越えた私は、延泊するかどうかの答えを探しあぐねていた。仕事を持っている上での長期休暇。これは、滅多とないチャンスだ。しかも、年末に無理を言って休みをもらったのだから、もう少し湯治に専念したい。正直、そう思っていた。しかし、ガンモと離れたままでいることや、二十九日に参加を予定している好きなアーチストのコンサートのことが気にかかっていた。

 私は、判断に迷いながら、株湯に出掛けた。今年は迷いの年回りなのか、とにかく何かを判断することが非常に難しい。私は、判断したいと思ったら、答えが向こうからやって来るというこれまでの感覚を思い出そうとしていた。そして、密かにその答えがやって来るのを待っていた。

 株湯では、地元のおばあちゃん二人と一緒になった。二人の会話を聞いていると、おばあちゃんの一人が、家庭の事情で老人ホームに入ることになるらしい。そのおばあちゃんが、
「私は、老人ホームに入りたいと思ってはいるんですけどね、ここ(株湯のこと)との別れが辛くてねえ」
と、しみじみ語った。すると、もう一人のおばあちゃんが、
「わかりますよ。私も昭和四十八年からずっとここ(株湯)に入り続けてますけれど、もう自分の家のお風呂みたいな気持ちなんですから。米子にいる息子のところに行っても、『ああ、早く帰って家のお風呂(株湯のこと)に入りたい』っていつも思うんですよ」
「そうですか。私は、ここに入るようになってから二十年ですけど、この間の嵐の日みたいに、ここに来られない日があると、肩の具合が悪くなるんですよねえ。ああ、本当にここはありがたい」

 私は、地元のおばあちゃんの会話を聞きながら、答えが出たと感じた。特に、地元のおばあちゃんの使った「ありがたい」という言葉に私は敏感に反応し、胸がじーんと熱くなった。そうだ。今回、湯治に来てからというもの、私自身の中にこの「ありがたい」という気持ちが薄れかけていることに気がついた。初めて株湯に来たときの感動も、株湯が身近になったことで忘れかけてしまっていた。だから今回は、自然の恵みを十分に受け取る準備が整っていないように思えた。私自身の器が閉じてしまっていたのだ。私は、「ありがたい」という気持ちを思い出し、自然の恵みを受け取る器を開いた。

 株湯を出て、旅館に帰ると、事務所の人がちょうど別の部屋から出て来たところだった。私が宿泊している旅館は、宿泊客の出入りが自由で、事務所の人と顔を合わせることはほとんどない。それなのに、私が株湯から帰って来たそのときに限って、事務所の人と顔を合わせることになったのだ。そのとき、私の口から、ごく自然に言葉が出ていた。
「すみませんが、あと三泊、滞在を延ばせますか?」
それを発したあとも、迷いの気持ちはなく、とてもすっきりしていた。事務所の人は、事務所にいる別の人に声を掛け、確認してくれた。そして、
「オッケーです」
と言いながら、手でオッケーのマークを示してくれた。
「ありがとうございます。では、一月一日の出発とさせていただきます」

 私は部屋に戻り、仕事中のガンモに電話を掛け、予定よりも三泊延泊することを伝えた。ガンモは、
「明日帰って来るんじゃなかったの?」
と言いながら、とてもがっかりしていた。その落ち込み具合がひどかったので、私は何度も何度も謝った。そして、離れていてもガンモを愛していることに変わりはないことを伝えた。しかし、ガンモは仕事の忙しさも手伝って、かなり不機嫌だった。

 電話を切ってから、私はコンサートを一緒に見ることになっている友人たちにメールを送った。過去のメールを読み返してみると、彼女たちとは来年二月に別のコンサートで会うことになっていることがわかった。だから、預かることになっていた今回のチケット代金は、そのときでかまわないとメールに書いた。

 友人たちからは、すぐにメールの返事が帰って来た。何と、そのうちの一人が、私と同じ症状を抱えていた。彼女は現在、経過観察中だと言う。本当に多い。これだけ多いのに、医学的な選択肢が少ないのは非常に残念なことだ。

 夜、ガンモと何度も何度も電話を掛け合った。自宅近くのお客さんのところで作業をしていたガンモは、その帰り道、私に電話を掛けて来た。ガンモは歩きながら、私と電話で話をしている。まるで独身時代の頃のようだと私たちは語り合った。まだそれほど携帯電話が普及していなかった独身の頃、ガンモは神戸の震災の影響で携帯電話を持っていた。私も何故か、いち早く携帯電話を持っていた。付き合い始めてから結婚するまでのわずかの間、私たちは本当に良く携帯電話で会話をしたものだった。当時から、ガンモは私と意見が分かれると黙る癖があった。沈黙が怖かった私は、
「何で黙るの? 何か言って」
と良く言っていた。
「考えてるんだよ」
と、ガンモは言っていた。普段、べらべらしゃべるタイプではないガンモは、考えるために言葉を停止させるのだ。今回の私の決断についても、ガンモは何度も言葉を停止させた。

 「明日帰って来るって言ってたのに」
とガンモは何度も言った。私は、
「そう言えば、ガンモも一週間単位で出張に行ってたけど?」
と私が言うと、
「それでもまるみは出張の途中から俺に会いに来てた。今回みたいに長いこと離れるのは、結婚以来初めてのことだ」
「ガンモもこっちに来ればいいじゃん」
「仕事があるんだから仕方がない」
確かにそうなのだ。ガンモは、私が湯治を始めてからというもの、わずか一日半しか休みが取れていないのだ。年末もびっしり仕事が入っていると言う。ガンモはハードウェアのシステム屋さんなので、お客さんの会社が長期休暇に入ったときこそ、稼動中にはできない仕事ができるのだ。

 「お正月には帰るから。元旦は一緒に過ごそう」
と私が言うと、
「一人ぼっちで年を越すの?」
とガンモは言うのだが、そういうガンモは、大晦日から元旦に掛けても徹夜作業が入っている。私は、
「年越しが一人ぼっちなのは、自宅に居ても一緒でしょ」
と言い返した。自分だって、仕事を優先させることがあるくせに、自分が一人ぼっちになることについては文句を言いたくなるらしい。

 とまあ、このような流れで、私は正真正銘の不良ファンになり、もうしばらく湯治に専念しようと決意したのである。

※14万ヒット、ありがとうございました。

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2005.12.27

湯治(五日目)

 今日も三朝(みささ)は雪だった。それにしても、本当に良く降るものだ。

 湯あたりの症状が軽くなり、お昼前に少し晴れ間も出て来たので、お気に入りの株湯に行った。ちょうど三人組の女性がお湯から上がったところで、服を脱いで中に入ってみると、おばあちゃん一人だけだった。三人組の女性の話によれば、おばあちゃんは倉吉(三朝温泉からバスで二十五分くらいのところ)から来られたらしい。おばあちゃんは、男湯に入っているおじいちゃんとしきりにコミュニケーションを取っていた。その様子が、何とも微笑ましいのだ。

 そのうち、おばあちゃんは、
「では、ごゆっくりと」
と言いながらお湯から上がって行った。私は一人になり、リラックスしながらゆったりと株湯につかった。

 お湯から上がると、服を着込んださきほどのおばあちゃんが、男湯にいるおじいちゃんが出て来るのを待っていた。外はとても寒いので、脱衣所の手前の入口のところに座り、番台の女性に、
「まだでしょうかね」
と確認している。番台の女性が、
「ああ、今、出て行かれますよ」
と答えると、おばあちゃんはあいさつをして出て行った。雪の中を、わざわざ倉吉からおじいちゃんと一緒にやって来て、温泉に入って帰って行く。ここには、そんなそんなお年寄りの生活があったのだ。

 株湯からの帰り、以前、下見に来たときに立ち寄った喫茶店で昼食を取った。お店の女性マスターが私のことを覚えていてくださって、
「あれからずっとご滞在ですか?」
と聞いてくださった。私は、一度家に帰ってから再びこちらにやって来て、しばらく滞在しているのだと答えた。滞在先の湯治宿について、
「○○さんに?」
と聞かれたので、
「いえ、△△さんです」
と答えた。やはり、彼女のお店には湯治客も多いのだろうか。

 それから私は、スーパーで買い物を済ませ、いったん旅館に帰り、荷物を置いたあと、バスに乗ってみささ町立図書館へと出掛けた。滞在期間中、もっともっと図書館を利用できると思っていたのだが、ままならなかった。私は、図書館が大好きなくせに、普段、時間的にも距離的にも図書館とは縁遠い生活を送っている。だから、三朝に滞在したら、毎日でも図書館に通いたいと思っていたのだ。それなのに、生理やら精神的ダメージやら湯あたりやらが重なって、なかなか思うように利用できなかった。

 みささ町立図書館では、手塚治虫先生の火の鳥(未来編)と火の鳥(望郷編の一部)を読んで満足した。手塚先生の作品は、台詞の一つ一つが奥深い。時には近親相姦なども描かれているのだが、読んでいてちっともイヤな感じがしない。読み終わったあとも、心に残るものがある。また、何度でも読み返したくなる。本屋さんで買ってもいいのだが、手塚先生の作品はあまりにも数が多いので、私はときどき宝塚市にある手塚治虫記念館に足を運び、手塚先生の作品に目を通していた。三朝町の人たちは、図書館で手塚先生の作品を堪能できるのだから、ちょっぴりらやましい。

 夜、洗濯をしようと岩風呂と洗濯室のほうに足を運ぶと、「女性入浴中」の札がかかっていた。誰かが利用しているのにお邪魔をするのは悪いのではないかとも思ったが、洗濯をしなければ着替えがないので、思い切って仲間に入れていただいた。洗濯室に行くには、岩風呂の脱衣場のすぐ横を通るので、女性が岩風呂を使用しているときでないと、洗濯室に行き辛いのだ。私は洗濯物を素早く洗濯槽に入れ、着替えを済ませて岩風呂の中に入った。

 岩風呂を利用していたのは、私と同い年くらいのお母さんと、小学校低学年の男の子だった。今日、岡山から着いたばかりで、お正月明けの四日くらいまで滞在されるのだそうだ。
「どこかお悪いんですか?」
と聞かれ、これこれこういう訳で、と説明する。その女性は、特にどこかが悪いわけではなく、単にしばらく滞在するだけだと言う。倉吉にいる知り合いが、この湯治宿を紹介してくれたのだそうだ。
「やっぱり寂しいですよねえ」
と彼女が言った。
「そうなんですよ。夫は家にいますしね」
と私は答えた。

 彼女のおっぱいは、子供を産んで育てたおっぱいの形をしていた。子供を産んだことのない私のおっぱいの形とはまったく違う。彼女のおっぱいの形は、子育てをした勲章だ。私は、彼女のおっぱいに、母性を感じた。そして、自分の母のおっぱいの形を思い出していた。

 それにしても、通常の付き合いでは、裸の付き合いに至るまでに長い長い年月を要すると言うのに、こうした旅館では、いきなり裸の付き合いが始まるわけである。彼女と再びお風呂で会えるかどうかはわからないが、これからどのような展開になるのか楽しみでもある。

 さて、いよいよ湯治期間もあと残すところわずかとなった。実は、今、私の中に、延泊しようかどうしようかという迷いが湧き上がって来ている。最初はガンモと離れてあれだけ寂しかったのに、三朝に対する愛着も沸いて来たのだと思う。もともと、二十九日は、好きなアーチストのコンサートに参加するために帰るつもりでいた。しかし、本当に湯治に専念できるのはこれからのような気もしている。わざわざ仕事で休みをもらってまでやって来ているのに、まだそれらしい効果が現れて来ない。しかも、このような長期休暇は滅多にないチャンスだ。湯治宿も空いていることだし、もう少し延泊して、湯治に専念したいという気持ちもあるのだ。

 問題は、ガンモの了解が得られるかどうかということと、コンサートに一緒に参加する予定になっている友人たちに事情を説明しなければならないことくらいだ。幸い、今回のコンサートのチケットは私が手配して、友人たちに郵送している。これがもしも逆で、友人に手配してもらったチケットならば、自分の都合でコンサートを見送るのは忍びない。しかし、私がチケットを手配しただけに、コンサートの当日、彼女たちからチケットの代金を手渡しで受け取ることになっている。私がコンサートに行かないとなると、彼女たちからは銀行振り込みという形で代金を受け取ることになる。それは、彼女たちに余計な手間をかけてしまうことになる。そんなことをいろいろ考えている。

 ガンモに電話を掛けてみると、忘年会の帰りの電車の中だった。いつもの癖で、ついつい、
「何時に帰って来るの?」
などと聞いてしまう。
「何言ってるの。家にいないのに」
とガンモに切り返されてしまう。
「あのね、延泊しようかなと思うんだけど」
「何言ってる。帰って来い!」
とガンモは言う。私もガンモに会いたい。しかし、もう少しチャンスも生かしたい。はてさて、私はどのような選択を取ることになるのだろう。

この日撮影した写真:
鳥取県

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2005.12.26

湯治(四日目)

 朝、起きてすぐにガンモに電話を掛けてみると、わずか一回コールで電話に出た。まだガンモがベッドにいる時間帯のはずだったが、話を聞いてみると、夜中にコールセンタから呼び出されて仕事をしているのだと言う。何ということだ。しかし、前日の休みの日にたっぷり睡眠を取ったので、身体は元気だと言う。結局、ガンモは私の湯治期間中、わずか一日半しか休みが取れなかったことになる。しかも、私が帰宅するまで、びっちり仕事が入っているそうだ。

 さて、湯あたりの症状を緩和させるため、私は一日、身体を休ませ、温泉に入るのも控えてみた。すると、確かに身体のだるさが取れて来た。これからいよいよ本格的な湯治が始まるといったところだろうか。

 気になる外のお天気だが、さっきまで晴れていたかと思うと、また雪が降り始めた。まるで、誰かが空の上でカキ氷を作っているみたいに雪がしゃんしゃんと落ちて来る。雪は、ほとんど一日中降り続いていた。

 外に出掛けなかったので、お昼はカップうどん、夜はカップラーメンという貧しい食事だった。それでも、レタスを買って冷蔵庫に入れてあるので、レタスをちぎって食べた。かぼちゃの煮物のお惣菜もあったので、野菜不足にならないように、それをつついた。

 普段、何気なく捨てているカップ麺の入れ物や、惣菜の入れ物が、ここでは貴重な取り皿になる。私は、それらを丁寧に洗って、取り置きしている。レタスは、カップうどんの大きなお椀でじゃぶじゃぶ洗い、水を切って、そのままマヨネーズをかける。マヨネーズは、こちらのスーパーで買ったものだ。水道の水はひどく冷たく、手を洗うだけで手がちぎれそうになる。これほど厳しい寒さでも、水道の蛇口から、お湯は出ないのだ。

 同じ湯治宿に宿泊している人たちは、わずか数人のようだ。私の部屋の隣(トイレに近いほう)の人は五十代くらいの男性で、一人で来ている。トイレに行くには、その人の部屋の前を通るのだが、私が夜中の二時頃にトイレに立ったとき、たまたまその方の部屋のドアが開いて、
「びっくりしたあ」
と言われてしまった。確かに、夜中の二時頃に、薄暗い廊下で誰かに会うのは恐ろしい。私は、
「すみません」
と謝りながら、トイレに行った。

 女性客も、私の他に、少なくとも一名はいる。というのは、旅館のお風呂は、女性が入浴するときには、「女性入浴中」という札を浴室の前に掲げるのだが、その札を何度か見掛けたことがあるからだ。しかし、実際にお風呂で遭遇したことはない。だから、ほんの少し期待していた、他の湯治客との交流はほとんどないと言っていい。

 さて、この「女性入浴中」の札なのだが、男性が入浴しているときはその札が掲げられないので、その札がかかっていないとき、女性は、男性が利用しているのか、それとも、まったく誰も利用していないのか、区別がつかない。だから、その札がかかっていないときは、浴室の電気がついているかどうかを目安にする。

 女性客は、今日になって、もう一人現れた。部屋は、私の部屋の隣(トイレから遠いほう)だ。トイレに行くときに、たまたま会って、あいさつを交わした。六十代後半くらいの女性だった。半纏(はんてん。ちゃんちゃんこ。どてら)を着ていた。部屋の中でもコートを羽織っている私は、ちょっとうらやましかった。

 ホテルと違って、連泊しても清掃タイムがないのはありがたい。ゴミは、廊下に設置されている大きなゴミ箱に分別して、自分で出すことになっている。部屋に鍵がないので、外に出掛けるときに鍵を預けなくてもいい。旅館の入口に事務所があるが、ホテルのフロントのようにいつも人がいるわけではなく、窓も閉まっている。湯治客が自由にくつろげるように、気遣ってくれているのだ。そんな雰囲気だから、他の湯治客と会っても、話し込むまでには至らないのだろう。

 夜中に呼び出されたガンモは、夕方少し前に帰宅して睡眠を取ったようだった。相変わらず、
「何時のスーパーはくとで帰って来る?」
と電話で言ってはいるが、私の帰宅が少しずつ近づいて来ているので、次第に元気を取り戻しているようだ。私も、精神状態が安定して来たし、湯あたりの症状も緩和されて来た。二十九日の滞在期間終了まであとわずか。明日になって、体調が良ければ、再び湯治に専念することにしよう。

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2005.12.25

湯治(三日目)

 クリスマスということで、ツインソウルからグリーティングカードが届いた。しばらく音沙汰がなかったのでとてもうれしかった。あんなに対立しても、いきなり無言になっても、ネガティヴな感情が残らないのは不思議だ。「それにしても、毎年、クリスマスにグリーティングカードなんて送ってくれてたっけ?」と思い出してみる。きっと、ツインソウルのことだから、何となく送ってみたくなったのだろう。

 三朝(みささ)に来てから初めてのいいお天気だった。まぶしい太陽が、さんさんと降り注いでいる。太陽のおかげで、私は少しだけ元気になった。旅館の岩風呂に入ると、太陽のやわらかな光が浴室の中に差し込んで来る。キラキラした太陽の光は、浴室の中の水蒸気の細かい粒の一つ一つまでくっきりと映し出した。この中にラドンが溶け込んでいると思うと、私はうれしくなり、浴室の空気を思い切り吸い込んだ。

 一日に二回ペースで温泉に入っているので、既に洗濯物が溜まっている。岩風呂のすぐ隣には洗濯室があるので、私は岩風呂に入りながら洗濯をした。洗濯機は、懐かしい二槽式だった。私は、使い方を思い出しながら操作した。洗浄・すすぎが終わり、洗濯物を脱水機に入れてタイマーを回すと、脱水機がガタガタを音を立てながら大きく揺れてしまった。一体どうしたものかと苦慮していると、洗濯物が飛び出さないように固定する押さえ蓋のようなものが、洗濯機の側の金具にぶら下がっているのを発見した。脱水機を閉じるとき、これを中に入れなければならないことを思い出し、それで思い切り押さえ込んでやると、脱水機はおとなしくなった。

 脱水機から洗濯物を出してみると、既にほとんどの水分が取り去られていた。すぐ側に乾燥機もあったが、エアコン稼動中のため、部屋も十分乾燥しているし、これだけ水分が取り去られているのなら、乾燥機に入れる必要もないと判断し、そのまま部屋に持ち帰った。全自動洗濯機で洗濯をすると、脱水が終わっても、まだまだ多くの水分が含まれている。ニ槽式の洗濯機は、洗濯槽と脱水槽が分かれているため、それぞれの用途ごとに機能分担して頑張るのだと思う。ニ槽式の洗濯機で脱水すると、洗濯物がカラカラになるのは、小さな脱水槽で高速回転させるためだろう。

 予想通り、部屋に持ち帰った洗濯物は、すぐに乾いた。エアコンで、部屋が乾燥している証拠である。

 前日、徹夜作業だったガンモは、仕事が休みだった。本来なら、この休みの日に、二人で映画『ハリーポッター』を観に行く予定だったのだ。そのために、前売券も買ってある。私は、『ハリー・ポッター』のシリーズは大好きで、最新作以外は原作も読んでいる。日本語訳の本が発売された頃、オークションで落札して読んでいると、まだハリーポッターを知らなかったガンモが、
「ハリー・ポッター?」
と首をかしげた。私はガンモに、
「とにかく面白くて夢のある本なんだよ」
と紹介し、映画化されたときに二人で観に行った。それ以来、ガンモも『ハリー・ポッター』の虜になり、毎年、劇場公開の時期になると、二人で揃って映画を観に行っていた。今回の公開は、年明けくらいに観に行くことになるのだろうか。

 ガンモは、電話を掛ける度に
「帰って来い」
と言う。太陽のおかげで少しだけ元気を取り戻した私は、
「何故、良くなって帰って来いって言ってくれないの?」
とガンモに聞いてみた。すると、ガンモは、
「病院じゃないから」
と答えた。なるほど。ガンモは、温泉で私の状況が良くなるとは思っていないらしかった。しかし、それは、私の身体が知っていることだ。

 今回の滞在では、生理が始まったためか、前回のようにはっきりとした症状はまだ現れていない。生理のせいで、少し気後れしているのと、ガンモと離れたことによる精神的ダメージが大きかったと思われる。それに加え、少しずつ湯あたりの症状が出始めて来た。ここで言う湯あたりとは、温泉に長い時間入ったために具合が悪くなる症状のことではなく、湯治のために毎日何度も温泉に入った人が、温泉に入り始めてから数日後に倦怠感や発熱、食欲不振、不眠などの症状が出ることで、温泉の治療に効果が出ていることの目安だとされている。この症状は、人により様々だということだが、湯あたりの症状が出始めたら、温泉への入浴時間を控え、たっぷり休養すると、一、二日で回復すると言う。湯あたりの症状を乗り越えたときに、温泉の効果が現れることが多いらしい。私には、身体がだるい、関節が痛い、患部が痛いなどの症状が出ている。これらが湯あたりの症状であれば、患部が痛むのは、悪化しているのではなく、治癒しているととらえるらしい。更に、湯あたりは、健康は人ほど早く訪れるらしい。湯あたりの症状が出ることを考えると、湯治のための滞在期間は、湯あたりの症状を乗り越えられるだけの期間が望ましいとされている。

参考:Google検索:湯あたり 湯治

 お天気がいいので、私は買ったばかりの一眼レフ式デジタルカメラを持って外に出掛けた。雪はまだ残っているが、お日様の光がとても気持ちがいい。私は、三朝の町をパシャパシャとデジタルカメラに収めた。

 湯あたりの症状を乗り越えれば、温泉の効果が現れていることになる。生理もようやく落ち着いて来た。ガンモに会える日も近い。だんだん前向きの気持ちになって来た。

この日撮影した写真:
鳥取県

※皆さんへ
掲示板のコメントを書くと言っていたのに、なかなか書けなくてごめんなさい。最初のうちは、ガンモと離れたことのダメージが大きくて、あまり元気がなかったのですが、太陽からパワーを分けてもらいました。生理も落ち着いて来たのですが、今度は湯あたりの症状が出ていて、全身がだるいです。もう少しお時間をください。それから、年末の忙しい時期にもかかわらず、たくさんの応援クリックありがとうございます。m(__)m

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2005.12.24

湯治(二日目)

 湯治に出掛けては来たものの、ガンモと離れていることがとても大きな精神的ダメージになっている。ラジウム温泉に入って身体が元気な上、有り余るほどの時間があるはずなのに、なかなかやる気が起こらない。作業のシーケンスを頭の中で組み立てようとしても、なかなか思いつかないのだ。おそらく、寒さのせいもあるだろう。しかし、そればかりではない。

 こちらに出掛けて来るときに、ガンモが、
「良くなって帰って来い」
とは言わなかったことをずっと考え続けていた。個を尊重するツインソウルの関係なら、きっとこうはならない。先日送別会を開いた派遣仲間は、お金を貯めたらワーキングホリディを使って一年間、一人でドイツに行くそうだ。彼女には長年交際している彼がいるのだが、
「ドイツに行くことにしたから」
と伝えただけで、彼に相談することもなく一人でドイツ行きを決めたと言う。かと言って、彼のことを深く愛していないわけではない。一年間も会えないというのに、寂しくないのだろうか。

 ソウルメイトの夫婦は、同じ意思を持っている。常に相対的な関係を結び、愛が深まると、相手にだんだん似て来る。決して、個別にはならない。とにかく、いつも一緒にいることが喜びなのである。その反面、離れてしまうことにとても弱いのだ。またしても、焼却炉で亡くなられた老夫婦のことが思い出される。老夫婦が一緒にいるということに強くこだわり続けた気持ちが痛いほど良くわかる。

 ガンモに電話を掛けると、帰る日はまだまだ先だと言うのに、
「何時のスーパーはくとで帰って来る?」
などと聞かれる。私の帰りを心待ちにしているのだ。

 現在の私たちの状況を知って、私と同じように夫婦で一緒にいることが幸せだと思っている友人がメッセージをくれた。彼の言葉を少し拝借する。

二人一緒にいられる事。これが幸せ、これがすべて、後はおまけみたいなもの、いつも二人でそんな話をしています。

 本当にその通りだ。「後はおまけみたいなもの」という言葉に涙が出て来る。本当にそうなのだ。ああ、わかる人にはわかるのだ。

 私は、旅館の岩風呂に入ったあと、雪の中を繰り出した。お昼ご飯をどこかで食べたかったのだが、飲食店が開いていなかったので、近所のスーパーでお弁当を買い、雪のたくさん積もった橋の上で食べた。その足で路線バスに乗り、みささ町立図書館に行った。小さな図書館だったが、興味深い本もたくさんあり、日中、ここに通うのも悪くないと思った。

 図書館の前にはスーパーがある。私は、長靴と半纏(はんてん。ちゃんちゃんこ。どてら)が欲しいと思っていたのだが、そのスーパーには売られていなかった。雪のため、運動靴で歩くと足が濡れるし、寒さのため、部屋の中でもコートを手放せないからだ。

 旅館に帰り、こたつに入っているとだんだん眠くなって来たので、二時間ほど眠った。それから、スーパーで買って来たクリスマス寿司を食べ、再び旅館の内風呂に入った。午前中に入った岩風呂と同様、私の他に利用客はなく、とてもリラックスできたのだが、やはり、夜の旅館のお風呂は暗くて寂しい。ガンモが一緒ならきっと心強いのにと思う。

 徹夜明けのガンモは、夕方まで寝ていたようだ。クリスマスになると、近所のスーパーでスポンジケーキとホイップクリームを買って来てクリスマスケーキを手作りするのだが、ガンモは今年、自分一人でクリスマスケーキを作ったと言う。
「ホイップクリームいっぱい塗りたくっといたから」
などと言っていた。私が普段、甘いものを控えるようにガンモに忠告しているのを知った上での台詞だった。ガンモの家系は糖尿病の人が多いので、なるべく甘いものを控えるように気をつけているのだ。

 今の私は、精神と身体が、個別の喜びを求めているように思える。ラジウム温泉にゆったりとつかって身体は元気なのに、精神が元気でない。ガンモと一緒にいることの喜びを知っているだけに、そうじゃないときにギャップに苦しむのだ。しかし、いつまでもウジウジしていられない。明日こそは、精神も元気になろう。

 ということで、ちょっと頼りないけど、皆さん、メリークリスマス。

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2005.12.23

湯治(一日目)

 朝、起きてから、荷物をまとめて家を出た。ガンモは、
「六泊もしなくても、途中で帰って来ていいんだから」
などと言いながら、私を送り出してくれた。ガンモは、休日なのに徹夜作業が入っているとかで、たっぷり睡眠を取っておかなければならないようだった。私は、布団にくるまっているガンモに何度も何度もすりすりした。

 雪が降るまでは、高速バスで移動するつもりだったのだが、二十二日に雪が降ったとき、高速バスは運休していた。そのため、例え運行していても、凍結などの恐れがあると見て、三ノ宮から特急スーパーはくとで倉吉まで出ようと思っていた。三朝(みささ)温泉は、倉吉からバスでおよそ二十五分のところにあるのだ。

 最寄駅で特急スーパーはくとの指定券を購入しようと思っていたが、連休のため、みどりの窓口がひどく混雑していた。すると、駅の案内係の女性が、
「自動券売機でも指定券をご購入できます」
と声を掛けてくれた。私は、自動券売機のほうが早く購入できるのならと、並んでいた列を離れて外の自動券売機へと向かった。十一時四十一分の特急スーパーはくとの発車時間まで、あと三十分足らずだった。

 ところが、自動券売機の前では、男性がずっと張り付いていて、なかなか譲ってくれない。買い求めようとしている指定券を確保できないのか、何度も何度も同じ画面を行ったり来たりしている。時計を見ると、十一時四十一分まであと二十分ちょっとしかなかった。最寄駅から三ノ宮まで移動するのに、ギリギリの時間である。十一時四十一分発を逃すと、次の特急スーパーはくとは二時間後だったので、私は何としてでも十一時四十一分発に乗りたかったのだ。

 自動券売機に案内してくださった女性に相談すると、指定席に余裕があれば、車内でも切符を購入できるとのことだった。確かにその通りだと思い、私は切符を購入せずに三ノ宮まで向かうことにした。三ノ宮までは、通勤定期がある。ところが、改札を通って最寄駅のホームに出てみると、目の前で電車の扉が閉まり、あっという間に発車してしまった。あれに乗らなければ、三ノ宮到着はかなりやばい。私はイライラしながら次の電車を待ったが、計算から行くと、私が三ノ宮駅に着いた直後に特急スーパーはくとが入線して来るギリギリの時間だった。

 何とかギリギリで三ノ宮に着くと、
「十一時四十一分発の特急スーパーはくとは、およそ十三分の遅れで運行しています」
とアナウンスが流れた。私は、これ幸いと思い、いったん三ノ宮の改札を出て、みどりの窓口の前に設置されている自動券売機に向かった。ありがたいことに、自動券売機は誰も操作していなかった。しかし、画面に写し出された結果を見ると、特急スーパーはくとは十七時台の便まですべて満席だった。仕方がないので、私は自由席特急券を購入し、ホームに戻った。

 結局、特急スーパーはくとは、およそ二十分遅れで三ノ宮駅に到着した。最寄駅でみどりの窓口がひどく混雑していたのも、自動券売機をなかなか譲ってもらえなかったのも、一本早い電車に乗り遅れてしまったのも、すべて特急スーパーはくとが二十分遅れであることを暗示していただけなのかもしれない。

 自由席はひどく込み合っていて、座れる可能性もほとんどなかったが、私は車両の連結部分ではなく、車両の中に乗り込んだ。席に着いたら食べようと、お弁当とお茶を買っておいたのだが、どうやらその機会はなさそうである。しばらくすると、
「本日は、自由席車両が大変込み合っていますので、自由席車両につきましては、終点の倉吉まで、車内販売は中止させていただきます」
というアナウンスが流れて来た。お弁当を買っておいてラッキーだと思ったが、食べる場所がないのは残念なことだった。

 しかし、およそ一時間くらい走った頃だろうか。私のすぐ近くの席の人が下車したのである。おかげで私は席を確保できたばかりでなく、昼食にもありつくことができた。そして、特急スーパーはくとの中で、「ガンまる日記」を書いたのだ。

 車窓に広がる景色は、一面の銀世界だった。そのため、特急スーパーはくとは更に遅れ、倉吉に到着したときには既に五十分以上も遅れていた。

 倉吉駅に降り立つと、道路の脇に避けられたたくさんの雪が目に入った。私は、バスの時間を確認し、駅前のスーパーで夕食のお弁当と朝食のパンを買い、三朝温泉行きのバスに乗り込んだ。

 やはり、三朝温泉も雪が積もっていた。屋根の上に十五センチくらいの雪があるのだが、あれが落ちて来たら怖いなどと思いながら、私は湯治宿への道を急いだ。

 湯治宿は、いくつもの和室がある宿で、格部屋に自炊用の台所がついている。トイレは共同で、六畳の個室には、こたつとエアコン、テレビ、電話、洗面台がある。宿の方もとても親切で丁寧だ。ただ、寒い季節だからだろうか。ホテルに宿泊する観光客は多いが、湯治宿の利用客は少ないようだ。

 私は、旅館のお風呂に入るよりもまず、株湯に出掛けようと思っていた。しかし、あろうことか、生理が始まってしまったのだ。それで、いきなり憂鬱な気分になってしまった。せっかく湯治に来たのに、生理が始まってしまうとは・・・・・・。ある程度予測はしていたものの、もう少し先だと思っていたので、がっかりだった。今年の私のタイミングは、いつもこんなものだ。旅行に出掛けるとなると、生理が始まる。私は、タンポンを入れて株湯へと向かった。

 株湯までは、歩いておよそ五分ほどの距離だった。以前来たときは雪が降っていなかったのだが、雪景色もまた奥ゆかしい。まだ十七時くらいだったが、外は暗くなりかけている。私は、雪道の中をすべらないように注意しながら歩いた。

 株湯は、数人の地元の人たちで賑わっていた。新しい人が入って来ると、
「こんばんは」
とあいさつする。実際に知り合いなのか、それともそういう慣わしなのかはわからない。そう言えば、以前、マンションに防犯に関する説明に来られたおまわりさんが、こんなことを言っていた。
「マンション内であいさつをすることで、外部からの侵入者が警戒する」
と。以前も書いたように、株湯の脱衣場はオープンなロッカーだ。それでも、盗難などの心配がないのは、そういうコミュニケーションが実践できているからなのだろう。

 鍵がかからないと言えば、湯治宿もそうである。貴重品はフロントにお預けくださいとあるのだが、私はいちいち面倒臭いので預けない。中から鍵はかかるのだが、出掛けて行くときに鍵は掛けられない。それでも、何となく信頼関係で成り立っている。

 私は、久しぶりに、ラドンの溶け込んだ株湯の空気をたっぷりと吸い込んだ。しかし、どうやら、夕方は利用客が多いようである。そのため、浴槽で一人になってリラックスするという雰囲気にはなれなかった。今度は少し時間をずらして来ようと思った。

 株湯からの帰り道、まだ十八時前だと言うのに、外はすっかり闇に包まれていた。私は再び強い孤独を感じた。一人ぼっちの孤独と闇の孤独、そして、寒さの孤独。それらの孤独に支配され、まだ本調子が出ない。でも、もう少しで調子を取り戻せるだろう。徹夜作業中のガンモとは度々電話で話をした。それが私の支えだった。

※皆さん、年末の忙しい中、応援クリック、本当にありがとう。時間がたっぷり出来たので、掲示板のコメントをちょこちょこ書かせていただく予定です。ただ、少しだけ孤独に支配されており、もう少し自分の調子を取り戻してからになると思います。寒いので、皆さんも、風邪には十分注意してください。

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2005.12.22

非センチメンタルな夜

 私にとっては今年の仕事収めの日。朝、起きてみると、雪がしんしんと降っていた。雪の中、ガンモは自転車で出掛けて行った。しかし、この雪道を自転車で出掛けて行くのは危険だと、わざわざ私に電話を掛けて来てくれた。私は、ガンモの忠告に従って、路線バスを利用することにした。しかし、待てど暮らせど、路線バスはやって来ない。すると、通りがかりの人が、
「路線バスなら運休してますよ」
と教えてくれた。私は、最寄駅までの雪道を、えっさえっさと歩いた。そのため、仕事収めの日だと言うのに、三十分以上も遅刻してしまった。

 定時過ぎに上司や一緒に仕事をしている人にあいさつをして、私は今年の仕事を終えた。実はこのあと、同じプロジェクトメンバーの派遣仲間の送別会を開くことになっていた。彼女は、今年いっぱいで現在の派遣先での仕事を終えるのだ。そこで、他の派遣仲間たちを誘って、職場近くにあるイタリアンレストランで彼女の送別会を開くことにしたのだ。メンバーは、先日まで私と激しく対立していた彼女ともう一人、それから彼女自身と私の合計四人である。

 送別会は、それほど深い話には至らなかったが、お互いの業務経歴やこれからの夢なども語り合い、なかなか面白い展開になった。かつて激しく対立していたはずの彼女とも、仕事で対立したことを笑い話にできた。

 私以外のメンバーは全員、職場に近い地下鉄沿線に住んでいる。帰りの電車の中で、一人、また一人と電車を降りて一人ぼっちになると、まるで待ちかねたように、荷物をまとめていたときに感じたあのどうしようもない孤独感に襲われ、涙が出て来た。私は、その波を受け止め、涙の流れるままに身を任せ、やがて落ち着きを取り戻した。

 三ノ宮に着いてガンモに電話を掛けてみると、ガンモも電車で最寄駅まで向かっている途中だと言う。私は、ホームに入って来た新快速電車に飛び乗り、最寄駅で待ってくれていたガンモと合流した。

 道路の一部が凍っていたので、ガンモは自転車を置いて帰ることになった。何か乗り物を利用しようと思ったが、、タクシー乗り場にもバス乗り場にもたくさんの人が並んでいたため、私たちは一緒に歩いて帰ることにした。
「二人一緒だと、寒くて長い道のりでも、楽しいよね」
と帰り道にガンモが言った。我が家は、最寄駅から徒歩で二十分以上かかってしまうのだ。ガンモは更に、
「明日からいなくなる人がいるけどね」
と付け加えた。ガンモはほんの少し、いじけているように見えた。そんなふうに、ちょっと素直じゃない自分を演じて、どこかにエネルギーを発散させているのかもしれない。私たちは、おしゃべりをしながら、自宅までの道を二人で歩いた。

 私はとうとう、明日、出発するのだ。それなのに、帰宅時間が遅かった私たちは、自分の用事に忙しかった。私はまだ完全に支度を終えたわけではなかったし、ガンモもまた、自分の書いているブログにコメントを寄せてくださっている皆さんに返信しておきたいようだった。そのおかげで、妙にセンチメンタルな気分になることを避けられたのだった。

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2005.12.21

人の優しさが身にしみる

 ガンモは仕事が忙しいと言うので、私は一人で帰宅し、二十三日から出掛ける湯治のための準備を始めた。持参するものをあれこれ選んでは、旅行用の大きなバッグに次から次へと詰めて行く。寒い土地で一週間を過ごすため、持って行くもののほとんどが防寒用の衣服だ。

 あれも持って行こう、これも持って行こうと、持っていくものを選んでいるうちに、私は急に強い孤独感に襲われた。ガンモと離れてしまうことの辛さが、突然、実感として沸き上がって来たのだ。私は、荒野の中に一人佇んでいるような感覚に陥り、恐ろしい孤独感を味わった。そして、ガンモと離れることの辛さを自分の中から追い出すように、ひとしきり泣いた。最近、朝、目覚めると、ガンモと私は固く抱き合って、身体を絡み合わせている。この感触が、あとわずかでお預けになってしまうのだ。ガンモと離れ離れになってまでわざわざ湯治に出掛けて行くのだから、何としてでも身体に良い結果をもたらそうと決意した。

 先日、派遣先の部長が、年内は、もう顔を合わさないかもしれないからと、わざわざ私の席に来てくれた。部長は、
「仕事のことなんて考えなくていいから、自分の納得の行くまで、とことん治療してください」
と言ってくださった。何とありがたい言葉なのだろう。私は、その言葉に感動した。そんな部長は、宇宙から帰って来たロシアの人であり、同じプロジェクトメンバーにお子さんが生まれるときに、男の子か女の子かの賭をした部長である。コンピュータ業界ではなかなか巡り会えない、人間的な部長である。

 また、先日、奈良に出掛けた頃から、私の左足の関節が痛くなり、整形外科で診てもらった。レントゲンを撮っても、骨にはまったく異常が見られなかったようで、お医者さんには、
「疲れと寒さのせいでしょう」
と言われた。痛み止めの薬と湿布を処方していただいた。とてもおだやかで、優しいお医者さんだった。処方箋を持ってそのまま薬局に行くと、薬剤師さんが丁寧に薬の説明をしてくださった。またまたとても優しい薬剤師さんだった。

 何故だろう。最近、人の優しさがとても身にしみるのだ。それと同じように、病気の人や、足をひきずりながら歩いている人たちに向けて、とても優しい気持ちが生まれて来る。

 もしも、世の中のすべての人たちが個の学びを選択しているのだとしたら、世の中には、お医者さんも薬剤師さんも必要ないことになってしまう。同じように、部長がかけてくれた優しい言葉も必要ないことになる。何故なら、身体の調子が悪いのは、その人の問題だからだ。だから、お医者さんが私の病気に対して手を貸すことは、私の学びを邪魔することになってしまう。しかし、実際の世の中はそうではない。

 個の学びは縦の学び。寄り添う学びは横の学び。陽の学びは縦の学び。陰の学びは横の学び。もしかすると、すべての人が縦と横の学びをまんべんなく体験しながら、魂としてのバランスを取ろうとしているのかもしれない。

※先日、奈良で撮影した写真
奈良の写真

※皆さん、応援クリック、本当にありがとう。

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2005.12.20

続・俺んだから

 奈良からの帰り、私たちはYodobashi-Umeda(ヨドバシカメラの梅田店)に立ち寄った。実は、先日から買おうかどうしようかと迷っていた一眼レフタイプのデジタルカメラを、とうとう楽天に注文して購入したのだ。奈良から帰宅すれば、注文したデジタルカメラのボディだけが届いているはずだった。しかし、ボディのみでレンズが付いていないので、Yodobashi-Umedaで適当なレンズを探し出して連れて帰ろうと思い立ったのだ。

 購入したデジカメのメーカはNikonだ。これまで使用していたコンパクトタイプのデジタルカメラも同じNikonで、非常にやわらかい描写をしていた。だから私は、次に買うデジタルカメラもNikonと決めていたのだ。しかし、Nikonの純正レンズとなると、ボディ以上に値段が張る。そこで、サードパーティのタムロンのズームレンズを買うことにしたのだ。お店に置いてあったデモ品にそのレンズを装着し、試し撮りをしてみると、驚くほどきれいに写っている。普段、PENTAXの一眼レフタイプのデジタルカメラを使用しているガンモは、その繊細でやわらかい写りに驚愕し、
「ちょっと待てよ。何でこんなにきれいに写るの? 俺のデジカメと替える?」
などと言った。

 私は、タムロンのズームレンズを一緒に連れて帰りたかったのだが、ヨドバシカメラの通販で購入したほうがクレジットカードでのポイントも一緒に付くということで(店内でもクレジットカードは使えるのだが、ヨドバシカメラのポイント還元率が違っていた)、記録媒体のSDメモリと予備のバッテリだけを購入して、レンズの型をチェックしてから帰宅した。

 家に帰ると、宅配ボックスに、楽天で注文したデジタルカメラのボディが届いていた。ガンモは、私がそれを宅配ボックスから取り出すやいなや、
俺んだから
と言った。
「おいおい、俺んだからと言ったって、それは私のだよ。ガンモには、PENTAXの一眼レフタイプのデジタルカメラがあるでしょ」

 帰宅してから私がパソコンの前でがちゃがちゃやっている間に、ガンモは届いたデジタルカメラを箱から取り出して、自宅にあるNikonのマニュアルレンズ(マウントが同じなので、Nikonのマニュアルカメラ用の一部のレンズは、デジタルカメラにも装着できるのだ。ただし、その場合は、マニュアルフォーカスになる)を付けて試し撮りしていた。そして、試写した映像を私に見せに来ては、
「開放(レンズの絞りをもっとも開いて、一番明るい状態で撮影すること)の写り具合もいいねえ」
などと言っている。私も、ガンモが付けたマニュアルレンズを使って撮影してみたのだが、感触がすこぶるいい。これまでコンパクトタイプのデジタルカメラを使い続けて、ピント合わせも露出調整もカメラ任せだったからだろうか。自分でピントを合わせるという行為がものすごく新鮮で、わくわくするのだ。やはり、カメラの醍醐味はこれだ、などと思ってしまう。もちろん、デジタルカメラ用のタムロンのズームレンズを装着すれば、自動露出/オートフォーカスも可能である。しかし、私のようなカメラ好きは、ときどきマニュアルで撮りたいなどと思ってしまうのだ。

 Nikonの新しいデジタルカメラがすっかり気に入った私だったが、ガンモはそれ以上に気に入って仕方がない様子だった。挙げ句の果てには、
「中身を入れ替えとくから」
などと言い出した。つまり、楽天のお店から届いたNikonのデジタルカメラが入っていた箱に、現在ガンモが使用しているPENTAXの一眼レフタイプのデジタルカメラをこっそり入れておくという意味である。

 それからガンモは、ヨドバシカメラの通販のページを開き、さきほど見て来たレンズを注文してくれた。そして、注文したズームレンズが届くと、早速Nikonのデジタルカメラに装着し、再び、
俺んだから
と言った。そして、
「これも三朝(みささ)にも持って行くの?」
などと聞いて来る。私が、
「もちろん、持って行くつもりだよ」
と答えると、何だかしょんぼりしている。私たちはそんな会話を楽しんでいるのだが、一見すると、ガンモは私と離れるのが辛いのか、それとも、新しいNikonのデジタルカメラと離れるのが辛いのか、わかったもんじゃない。

※皆さん、いつも応援クリックありがとう!

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2005.12.19

極寒の奈良散策

 旅館を出発した私たちは、興福寺へと向かった。ガンモは、先日出掛けた宮島の鹿から預かっている伝言を、奈良公園の鹿に伝えたいと言っていた。宮島の鹿から一体どんな伝言を預かっているのかと思いながら耳を傾けていると、ガンモは奈良公園の鹿に向かって、
「宮島の鹿が『元気か?』と言っていた」
と言っただけだった。

 宮島と同じように、奈良公園でも鹿せんべいが売られている。価格は一セット百五十円だ。観光客が鹿せんべいを買い求めると、あちこちから鹿がじわりじわりと寄って来る。彼らは、ことのなりゆきをちゃんと見ているのだ。最初のうちは、鹿せんべいを鹿が自分の手から食べてくれることがうれしくてたまらない様子の観光客も、やがて鹿せんべいをもらおうと興奮した鹿に驚きの声をあげる。おだやかな鹿も、興奮した鹿も、状態が変わるだけで同じ鹿のはずなのに、自分の身に危険が迫って来ると、鹿に対する信頼がまたたく間に失われてしまうようである。宮島の鹿もそうだったが、鹿たちはいつもお腹を空かせているようだった。

 外はとにかく寒かった。寒い上に、風もピューピュー吹いて来た。あまりにも寒いので、私は奈良の商店街で毛糸のパンツを買って履いた。全部で三枚買ったので、ガンモにも、
「どう?」
と勧めてみたが、
「いや、遠慮しとく」
と言われてしまった。ガンモが寒さを感じているのは、足の下のほうらしい。

 私は、帽子をかぶっていないガンモの頭があまりにも寒々しいのを見るに見かねて、自分のかぶっていた毛糸の帽子を脱いで、ガンモの頭に素早くかぶせた。実は私は、耳もすっぽり隠れるほどの非常用の超幅広バンダナを持っていたからだ。私が超幅広バンダナに切り替えると、ガンモは私のかぶせた毛糸の帽子を重宝していた。毛糸の帽子をかぶったガンモはとてもかわいらしくて、私はガンモの頭にかぶせた毛糸の帽子を見る度に、ガンモを抱きし寄せたい衝動に駆られた。

 思えば、今年は様々な世界遺産を訪れた。今回の興福寺、比叡山延暦寺、姫路城(中には入らず、周辺だけ)、厳島神社(こちらも中には入らず、周辺だけ)、原爆ドーム・・・・・・。その後、私たちは、JR奈良駅までてくてく歩き、電車に乗り、法隆寺で降りた。そこから、日本で初めての世界遺産という法隆寺へと向かうのだ。

 ちょうどお昼どきだったので、法隆寺の駅前で何か食べようと思っていたのだが、歩いても歩いても飲食店が見つからなかった。ようやく見つけたのは、好きな料理を一品ずつ取って食べる定食屋さんだった。私たちは、自分でカスタマイズできる定食に心を躍らせながら、自分の好きな料理をたっぷりいただいた。料金も安い上、味もおいしかった。

 法隆寺までは、駅からおよそ一.六キロの距離だった。日曜日だからだろうか。団体観光客を乗せたバスの往来もなく、個人の観光客ばかりでとても落ち着いた雰囲気だった。千円の拝観料を払って中に入ると、様々な仏像が私たちを迎えてくれた。

 実は、私は仏像が好きで、『仏像の見分け方』なる本を読んでいたくらいだ。私はガンモに言った。
「あの仏像は、薬壷を持っているから薬師如来だね」
「ほほう」
「あっちは、智拳印(ちけんいん)という印の結び方をしているから、大日如来だ」
「なるほど」
とガンモは感心していた。驚いたことに、法隆寺のご本尊は、薬師如来だったのだ。

 薬師如来と言えば、ちょっぴり苦い想い出話がある。以前、どこかに書いたかもしれないが、お寺巡りをしながら、
「このお寺のご本尊は何ですか?」
と尋ねることが楽しみになっていた私は、薬師寺に行ったときも、同じ質問をしてしまった。薬師寺の人は、しばらく間を置いて、こう答えた。
「薬師如来です」
「・・・・・・」
顔から火が出るくらい恥ずかしかった。

 法隆寺には、玉虫厨子や吉祥天像など、日本史の教科書に掲載されている有名な仏像や宝物(ほうもつ)がたくさん展示されていた。教科書でしか見たことのなかった実物を見ることができたのは、大きな収穫だった。奈良にも京都にも、こうした古いものがたくさん残されている。古いものが大好きな私たちは、骨董市などにも良く出掛けている。何故、古いものが好きなのかと言うと、歴史を感じることよりもまず、大量生産されることなく、丁寧に創られているからだ。創る人が喜びを感じながら、魂をこめて創り上げたものが好きなのだ。普段、観光地を訪れても、拝観料を払わずに回りをうろうろすることの多い私たちだったが、法隆寺は拝観して本当に良かったと感じた。

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2005.12.18

旅館の事情

 午前五時頃、どこかのお寺の鐘がゴーンと鳴る音で目が覚めた。鐘の音は数回続き、その音を聴く度に、ガンモも私もクスクスと笑った。早朝にお寺の鐘が鳴るなんて、奈良ならではの情趣である。

 朝食の時間を八時に指定していたので、八時前になると、お布団を片付けにうかがってもいいかという電話が掛かって来た。まだ布団から出ていなかった私たちは、慌てて飛び起きて支度を整えた。しばらくすると、ゆうべとは違う男性がやって来て、実にてきぱきと布団を片付け始めた。見知らぬ夫婦の泊まっている部屋に上がりこんで、布団を片付けるという行為は、かなり照れるのではないかと思う。しかし、その男性は、あくまでも事務的にその作業をこなして部屋から出て行った。

 その後、再びゆうべの仲居さんが部屋に朝食を運んでくれた。お櫃を開けてみると、ご飯がてんこ盛りに入っている。ゆうべ私たちが、お櫃のご飯をすっかり平らげてしまったので、「この部屋の客は良く食べる客だ」と思われたのだろう。朝だったので、それほど食欲旺盛というわけではなかったが、期待に応えないわけにはいかないので、私たちはできるだけたくさんのご飯をいただいた。

 おいしくてボリュームたっぷりの朝食でおなかいっぱいになったあと、仲居さんが自主的にお膳を片付けに来てくれた。夕食のときは確か、
「お済みになりましたら、片付けに参りますので、フロントまでお電話ください」
と言われていたのだが、朝食のときは言われなかった。そのため、朝食をとったあと、私たちがのんびりくつろいでいると、仲居さんが、
「お食事お済みでしょうか?」
と言いながららやって来たのだ。私は、
「はい、ごちそうさまでした。お願いします」
と言って、お膳を下げてもらった。そのときに、仲居さんは、部屋にあったポットとお茶セットも一緒に下げてしまった。おそらく、朝食を食べ終わった客には、できるだけ早い時間にチェックアウトして欲しいのだろう。

 しかし、旅館よりもホテルに慣れている私たちは、十時のチェックアウトの時間までもう少しあるなどと思いながら、部屋の中でのんびりくつろいでいた。そして、十時まであと十五分という時間になったとき、再び部屋の電話が鳴ったのだ。出てみると、仲居さんからだった。
「そろそろお時間ですので・・・・・・」
と仲居さんは言う。はいはい、わかってますよ。私たちは素早く荷物をまとめて、出発の準備を整えた。そして、いよいよ部屋を出ようかというときに、誰かがコンコンとノックをしながらやって来たのだ。ドアを開けてみると、仲居さんと客室清掃係の女性だった。ああ、なるほど、仕事を終えて早く家に帰りたいのだと私は思った。
「よろしいでしょうか?」
と仲居さんは言う。私たちは重い荷物をひきずりながら、部屋をあとにした。

 こうして私たちは、半ば追い立てられるようにしてその旅館をあとにした。私たちがフロントに鍵を返却し、旅館の玄関を出ると、フロント係の人は旅館に鍵をかけた。どうやら、私たちが最後の宿泊客だったようだ。旅館の人たちは、私たちがチェックアウトするのを辛抱強く待っていてくれたのだ。

 私もかつて、旅館の仲居のアルバイトをしていたので、このような行動を取った仲居さんたちの気持ちも良くわかる。早朝から元気に働く彼女たちは、チェックアウトした前日のお客さんの後片付けを終えてから翌日のお客さんを迎える午後三時前までが、貴重な休息時間だ。そして、その休息時間は、長ければ長いほどありがたいのだ。一方、宿泊客は、チェックアウト時間が十時なので、朝食をとってからもついついのんびりしてしまう。しかし、中には朝食をとったあとすぐにチェックアウトする宿泊客もいるために、仲居さんや客室清掃係の人たちの都合が加味されて、そうした人たちに基準が合わせられてしまうのだろう。

 私は、こうした旅館の事情を知っているくせに、チェックアウト時間が十時であるのをいいことに、チェックアウト時間ギリギリまで部屋でのんびりくつろいでいた。仲居さんは、そうした私たちの行動にしびれを切らした。もしも私たちがテレビの力など借りずに、仲居さんとのコミュニケーションをもっと楽しんでいれば、あるいは違った結果になったかもしれない。コミュニケーションを後回しにしてしまったために、お互いが自分の立場を主張する結果になってしまったのではないだろうか。

※皆さん、いつも応援クリック、本当にありがとう。低迷中だったのが、少し復活して来ているようです。皆さんのおかげです。どうもありがとう。

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2005.12.17

テレビの力

 いよいよ冬の青春18きっぷのシーズン到来! というわけで、私たちは、またまた鉄道乗り潰しの旅に出ている。今回のターゲットは、和歌山と奈良だ。南海電鉄貴志川線が他社に譲渡されることになっているため、その前に乗り潰しておこうと計画したのだ。

 大阪環状線、阪和線、羽衣線、和歌山線、関西本線に乗り、和歌山〜奈良へと移動した私たちは、奈良の旅館に宿泊している。まだ十二月だと言うのに、外は底冷えのする寒さだ。私は、出掛ける前に、
「寒いから毛糸の帽子を持ってったほうがいいよ」
と言いながら、ガンモのリュックに毛糸の帽子を入れておいたのだが、旅の荷物を極力少なくしたいガンモは、毛糸の帽子なんかいらないと判断したらしく、私が入れておいた毛糸の帽子をリュックから出してしまったそうだ。しかも、ガンモが履いて来たズボンは、私が仕事に履いて行くために買い求めた薄手のズボンだった。
「そんな薄手のズボンじゃ寒いよ」
と私は出掛ける前にガンモに忠告したはずなのだ。しかしガンモは、
「大丈夫だから」
と言ってズボンを履き替えようとしなかった。そんなガンモは、移動中に、
「このズボンは寒い!」
と言いながら、身体を温めるためにぐるぐる動き回っていた。旅館に着いてから、私が非常用に持っていたレッグウォーマーを貸してあげると、ガンモはニコニコと幸せそうな笑顔を私に見せた。

 いつもはルームチャージのみのホテルに泊まり、地元のお店に繰り出して、おいしいものを食べている私たちだが、今回は、部屋で食事ができる旅館に泊まった。仲居さんが飯台に料理を並べてくれている間、妙な沈黙になってしまわないように、私たちは普段見ることのないテレビを付けて待機した。私たちがテレビを見ている間に、仲居さんがてきぱきと料理を並べてくれる。私たちがテレビの内容に反応していると、仲居さんもときどき話に加わってくれて、何とか無事に会話を成立させることができた。寒さについては、既に仲居さんに部屋に案内してもらうときに話題に昇ってしまった。私たちは、仲居さんとの間に、それ以上に発展しそうな話題を思い付くことができなかったのだ。それで、テレビの力を借りたわけである。

 おいしい料理でおなかがいっぱいになると、今度は布団を敷くために男の人が私たちの部屋にやって来た。私たちは邪魔にならないように、縁側のテーブルに移動して、布団を敷いてくれるのを静かに待っていた。そのときもやはり、妙な沈黙にならないように、テレビをつけたままにしていた。闇と友達になれたはずだと思い込んでいた私は、テレビの力を借りなければ、仲居さんや布団係の人とのコミュニケーションを成り立たせることができないということが判明してしまった。どうやら、私はまだ、闇と友達になれたわけではなかったようである。

 ところで、私は、学生時代に二回ほど、旅館の住み込みのアルバイトをしていたことがある。一回目はホテルで、二回目は高級旅館だった。だから、仲居さんの事情も、布団係の人の事情も、何となくわかっているつもりだ。そうした住み込みのアルバイトの経験談には、いろいろな裏話があるのだが、これはまた別の機会にお話しすることにしよう。

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2005.12.16

近くて遠い温泉

 ようやく超多忙プロジェクトの助っ人の仕事から解放され、それに伴い、早い時間に帰宅できるようになった。私にとっては驚異的なことだが、木曜日には、十九時過ぎに仕事を上がることができたのだ。この時間なら、天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯に入って帰れると思った。急な展開のため、洗面道具や下着を用意していなかった私は、百円ショップに立ち寄り、洗面道具とタオルと下着を買い揃え、天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯へと向かった。

 無料シャトルバスが運行されているという駅で降りてみると、無料シャトルバスの運行時間はとっくに過ぎていた。最終便は十九時二十分だったのだ。無料シャトルバスを利用するとなると、やはり、仕事帰りに立ち寄るのは難しいようである。別の駅で降りれば、路線バスを利用することができる。しかし、私が降りた駅からは路線バスが運行されていないので、私は仕方なくタクシーに乗り込んだ。近くて遠い温泉だと思った。

 五分程度で天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯に着いた。お風呂の他、宿泊施設や宴会場などもあり、思っていたよりも大きな建物だった。さて、気になるお風呂だが・・・・・・。

 お湯を循環させているのだろうか。まず、湯船に入ってすぐに、塩素の臭いがきついのが気になった。以前、城崎温泉に行ったときに、利用客が、
「塩素の臭いがプンプンする」
と文句を言っていたのを思い出した。私は、その温泉では、塩素の臭いがそれほどきついとは思わなかったのだが、天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯では確かに塩素の臭いがきついと感じた。おそらく、私自身が天然の温泉に何度も入り、自然の恵みをたっぷりと受けて来たせいだろうと思う。塩素で消毒しているのは、自然の恵みを出し惜しみしているように思えた。ただ、肌はツルツルになり、乾燥肌の皮膚が少しヒリヒリして、次第に治癒して来るような感じを受けた。

 帰宅すると、お風呂を沸かしたガンモが、
「さあ、一緒に入ろう」
と言ってくれたのだが、私は、
「なでしこの湯に入って来たからいい」
と言って断ってしまった。自分でそう言いながらも、何となく、ガンモと一緒にお風呂に入らないのは寂しいことのように思えた。自宅のお風呂にもう一度入ればいいのだが、それではせっかく身体にしみ込んだ温泉の成分を洗い流してしまうような気がしたのだ。

 翌日、天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯に行ったことを、ときどき利用しているという派遣仲間に報告すると、どんな浴室だったかと尋ねられた。岩風呂はあったかと聞かれ、なかったと答えると、
「あそこは男湯と女湯が毎日入れ替わるんですよ」
と言う。
「ええ? 岩風呂?」
その途端、私の頭の中は岩風呂でいっぱいになり、前日、あれだけ寂しい気持ちになったと言うのに、今日の帰りも天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯に寄って帰ろうかなどと思い始めた。しかし、ガンモに電話を掛けてみると、ガンモはもう仕事を終えて帰宅途中だと言う。私はいったん、
「今日もなでしこの湯に寄って帰る」
と言ったものの、三宮に着いてから急に気が変わった。せっかくガンモも私も早く帰宅できるというのに、私だけラジウム温泉に行くのは何だか寂しい。私は三宮に着いてから、もう一度ガンモに電話を掛けた。
「やっぱり帰る」
と。そのときガンモは、私を抱きしめたい気持ちでいっぱいになったらしい。そして私たちは自宅の最寄駅で合流し、お気に入りの回転寿司に出掛けた。夕食を取って帰宅しても、まだ二十時過ぎだった。ああ、一日は、何と時間がたっぷりあるのだろう。私は、帰宅してからの時間がたくさんあることがうれしくてうれしくてたまらなかった。

 ところで、一口にラジウム温泉と言っても、それぞれの温泉で、ラジウムの含有量に差がある。三朝(みささ)温泉は、二十五度以上の温泉としては、日本一を誇るラジウム含有量である。冷鉱泉であれば、山梨県や島根県にも含有量の多いラジウム鉱泉が存在している。天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯のラジウム含有量は、17マッヘ。それに対し、三朝温泉は、700マッヘ前後と言われている。わずか一泊二日の滞在で、私の身体にあれだけの影響をもたらしたのも、ラジウムの含有量が私の身体に適していたせいかもしれない。

 いよいよ、来週の今日には、私は三朝温泉で湯治を始めている。しばらくガンモと離れる時間も、刻一刻と迫って来ている。焼却炉で亡くなられたご夫婦は、離れ離れになることが辛くてたまらなかったはずなのに、今の私の選択は、老夫婦の選択とは異なっている。老夫婦の選択が、自分のことよりも一緒に過ごす選択なら、今の私の選択は、ガンモよりも自分を愛する選択になるのだろうか。

※皆さん、暮のお忙しい中、「ガンまる日記」を読んでくださってありがとう。応援クリックにいつも感謝しています。掲示板に書き込んでくださったコメントの返信が、少しずつできるようになりました。一ヶ月以上遅れての返信になりますが、どうぞご了承ください。

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2005.12.15

まちぶせ

 「まちぶせ」には、一方的なイメージがあるのだが、これは、一方的じゃない「まちぶせ」のお話である。

 ここのところ帰宅時間の遅い私は、仕事帰りにガンモと待ち合わせをすることもできず、一人で帰宅している。先日、たまたま、いつもより三十分ほど早く帰宅できた日があった。仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモはまだ仕事中だと言う。私がガンモの働いている最寄駅まで移動するまでにはおよそ一時間かかる。それまでにガンモの仕事が片付いていてくれることを祈りながら、ひとまず三宮に着いた私は、再びガンモに電話を掛けた。すると、
「悪い。もうちょっとかかるから先に帰ってて」
とガンモが言う。久しぶりに一緒に帰宅できると思っていた私は、少々がっかりしながらも、電車に乗り、自宅の最寄駅まで移動した。しかし、あと少しだけ待てば、ガンモと一緒に帰れるのではないかと思い、駅のホームにある椅子に座って掲示板のコメントを書きながらガンモを待っていた。吹きさらしの椅子だったので、PDAに向かって文字を打ち込んでいるうちに、次第に手が冷たくなって来た。

 二十分ほど待っていると、ガンモの乗った電車がホームに入って来た。電車の扉が開くと、中から見慣れた懐かしい人が降りて来るのが見える。私たちは、相手を認識しているときに使うポーズを取って、お互いに合図を交わした。私が待っていることを知ったガンモは、とてもうれしそうだった。
「先に帰っててとは言ったものの、昔はお互いに、仕事が終わるのを駅のホームでずっと待ってたのになあって思い出してたの」
とガンモが言う。
「そうだから」
と私は言った。既に皆さん、お気づきのように、「○○だから」という口調は、私たち夫婦の会話の特徴なのである。
「ガラス戸のある待合所に入ってれば良かったのに」
とガンモが私を気遣う。しかし、私が降りた目の前にホームに設置されている椅子があったのだから、仕方がない。

 私たちは、自転車に乗って、久しぶりに一緒に帰宅した。私は、ガンモと一緒に帰宅するということが、こんなにもあたたかいことだということを改めて実感した。寒くても、ホームでガンモの帰りを待っていて良かった。その日の私たちは、外の寒さとはうって変わって、とてもあたたかい気持ちに包まれていた。

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2005.12.14

湯治に向けて動き始める

 月曜日に派遣会社の営業担当が出向いてくれて、現在の私の状況を派遣先の上司のそのまた上司に説明してくれた。直属の上司は独身なので、その後の経過を報告し辛かったのだ。派遣先の上司のそのまた上司は、二十三日から年末年始の休暇に入ることを承諾してくれたようだ。とうとう湯治に向けて動き始めたのだ。

 その日の夕方の休憩時間に、休暇の許可をもらえたことをガンモに電話で報告した。ガンモは、
「行くの? 本当に行くの?」
と少し寂しそうな雰囲気を漂わせていたが、そのような反応を返しながらも、私の選択を受け入れてくれているのがわかった。社員食堂で夕食を食べたあと、私は湯治宿に予約の電話を掛けた。自炊型の湯治宿なので、宿泊料金も比較的安い。ただし、連泊が原則だ。電話を掛けるまでは、年末年始のこの時期に、果たして空室があるのだろうかと心配していたが、二十三日から六泊したいと申し出ると、あっさり予約を受け入れてもらえたのだ。もしも三朝温泉の宿が取れないなら、前回と同じように倉吉市内のホテルに滞在し、バスで三十分かけて三朝温泉まで毎日通うつもりだったのだが、三朝温泉の宿が取れたおかげで、そのような努力をする必要もなくなった。

 今回の選択で、およそ一週間、ガンモと離れることになってしまう。ガンモは、
「これは別居だから」
などと冗談っぽく言う。それでも、私たち夫婦は、普段から、ハプニングや非日常を楽しむ傾向が非常に強い。モノが多くて狭くなっている我が家の台所で、味噌汁がこぼれても笑う。新幹線よりも、寝台列車に乗ることが大好きだ。旅先でトラブルに見舞われても、状況が復旧して行くさまを冷静に見守っている。観光地を訪れたときに雨が降って来ても、最低だとは思わない。つまり、私たちには、楽しいか楽しくないかについて、外的要因に左右されないだけの絆があるのだ。

 しかし、現実的には、一週間も離れ離れで暮らすのは、結婚以来、初めてのことである。かつてガンモが一週間以上の出張に出掛けたときも、私は仕事の休みを取って、途中からガンモの滞在しているホテルに押し掛けたくらいだ。では、ガンモが私の滞在中に三朝温泉にやって来るのかどうか尋ねてみると、
「鳥取は寒いからイヤだ。それに、まるみと一緒に帰れるのならいいけど、一人で帰るのはイヤだ」
と言う。実際、私が三朝温泉に滞在している間、ガンモは二日くらいしか休みを取れないと言う。
「その二日だけでも、一泊二日の予定で来ればいいのに」
と私が言うと、そう言うのである。しかし、ガンモは、こんな強がりを言いながらも、あとからこっそり予定を変更して、私を喜ばせてくれることが多いのだ。

 実は、滞在を一週間にしたのは、二十九日に好きなアーチストのライブが控えているからだ。それがなければ、もう少し滞在することにしていたかもしれない。二十九日は、ガンモが仕事なので、私は友人たちと一緒にそのライブに参加する。年末のライブは、いつも四時間近い公演になるので、一週間ぶりにガンモに会えるのは、二十九日のライブが終わった深夜ということになる。ガンモとの涙の再会まで、イベントがてんこもりなのだ。

 ところで、先日出掛けた有馬温泉のラジウム温泉は、私には効果が薄かったと書いてしまったのだが、どうやら効果が遅れてやって来たようである。今、私の身体はとても元気でピンピンしている。しかも、とても不思議なことなのだが、以前はおなかを触ると固くて大きい筋腫を確認できたはずなのだが、それがすっかり柔らかくなっているのだ。ガンモにも、
「ちょっと触ってみて。筋腫が柔らかくなってるんだけど」
と言って、お腹を突き出して触ってもらった。ガンモは、
「これは脂肪だろう」
と言って笑うのだが、確かに感触が違うのだ。生理の前であるとか、生理の後であるとか、そういう時期も関係しているのかもしれない。しかし、現在の私のお腹は、確実に柔らかくなっているのだった。

 今週いっぱいで仕事が落ち着き、来週からは、もう少し早い時間に帰宅できるようになる。実は、先日、ここでもご紹介した天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯は、私の通勤沿線上にある。ただ、営業時間が二十二時までなので、これまで、仕事帰りには寄ることができなかったのだ。天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯に寄るために、来週からは、お風呂道具を持って通勤しようと思う。

※湯治の選択に関して、掲示板などであたたかい励ましの言葉をくださった皆さん、どうもありがとう。とうとう動き始めました。実際、三朝温泉と同じくらいのラジウム量が含まれている福島県の「やわらぎの湯」では、にわとりの卵大の筋腫のあった人が、ラジウム温泉に一ヶ月入ると、筋腫が消えてなくなっていたそうです。私の筋腫は既にダチョウ大(?)かもしれませんが、それでも何らかの変化はあるでしょう。もしも私がの筋腫が小さくなれば、同じ症状を抱えている人たちに、夢と希望をお届けできることでしょう。皆さん、いつも本当にありがとう。

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2005.12.13

KOBE ルミナリエ

 有馬温泉をあとにした私たちは、KOBE ルミナリエの会場へと向かった。私たちがKOBE ルミナリエに足を運ぶのは、一体何年ぶりのことだろう。確か、結婚した年とその次の年しか訪れていなかったはずだ。当時の私たちは、クリスマスシーズンがやって来る度に、サンタとトナカイの格好をしたまま新幹線に乗ったり、ディズニーランドに出掛けたり、カメラ仲間たちとの忘年会に参加したりしていた。だから、当然、KOBE ルミナリエにもサンタとトナカイのいでたちで出掛けていた。私がサンタの帽子をかぶり、ガンモがトナカイの角の生えた帽子をかぶっていた。ガンモはトナカイなのに、カメラ仲間たちからはクワガタと言われていた。

 私たちの足が何故、KOBE ルミナリエから遠のいてしまったかと言うと、とにかく人が多いということと、ひどい混雑のために、メインストリートまでの道のりを、誘導によって無駄に歩かされることあった。しかし、有馬温泉からの帰り道、三宮を経由して我が家まで帰るので、久しぶりにKOBE ルミナリエを見てみようということになったのだ。

 しばらく訪れないうちに、KOBE ルミナリエの会場はとても空いていた。日曜日の夜だったからかもしれない。おかげで、うんざりするほどの混雑に見舞われることもなく、私たちはゆったりと光と闇のコンビネーションが生み出したオブジェを鑑賞することができた。

 イルミネーションが飾られているアーケードに差し掛かったとき、私はその美しさに思わずため息を漏らした。私の目には、光と闇が同時に映っていた。前回見たときの印象とずいぶん違っているように思えたのは、私が闇と友達になったからだろう。かつての私は、こうしたイルミネーションを前にすると、光の美しさだけに酔いしれていた。しかし、今では、イルミネーションを美しく輝かせているのは闇のおかげだということを知っている。青森で、灯り(あかり)の灯されていないねぶたを見たときに、私はそう思ったのだ。威圧感を感じるほどのねぶたが、出勤前ですっぴんのクラブのママさんのように素朴な存在に見えた。私は、ガンモに借りたデジカメで、光と闇のコンビネーションが生み出したオブジェを撮影した。ああ、光と闇のコントラストは美しい。裏方に徹している闇は、光のことをこれほどまでも愛しているのかと思った。自分が自分が、としゃしゃり出ることもなく、光に主役を譲り、光が注目を浴びることを自分自身の喜びとしているのだ。

 かつて私は、「ルミナリエの怪人」というタイトルで、KOBE ルミナリエのイルミネーションを背景にして、ガンモのトナカイの後ろ姿を撮影し、写真展に出品した。果たして、あの怪人はどこへ行ったのだろう。サンタとトナカイの格好をして歩いていた頃は、いくつになってもこの格好ができるはずだと思っていたが、やはり、四十代になるとそれも難しいようである。

※最近、撮影した写真
有馬温泉
KOBE ルミナリエ

※皆さん、いつもありがとう!

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2005.12.12

有馬温泉

 私たちは再び六甲山上循環バスに乗り、六甲有馬ローウェイを経由して有馬温泉に入った。外ではみぞれのようなものが降っていたので、私たちは背負っていたリュックに防水カバーを掛け、雨天用の防水帽子をかぶって温泉街に繰り出した。

 有馬温泉は、道後、白浜と並ぶ日本最古の温泉の一つだそうだ。さすがに町並みも古く、歴史を思わせる温泉街で、これまで数多くの観光客を受け入れて来た温泉街としての皺のようなものを感じた。去年、下呂温泉に行ったとき、まるで映画のセットのような温泉街だと感じたが、有馬温泉もまた、日本の温泉街を象徴する町並みだった。ガンモは、職場の人たちとの親睦会で何度か有馬温泉に来たことがあり、日帰りできなくて無断外泊をしたこともあるくらいなのだが、私はまったく初めての訪問だった。温泉街の町並みがそうさせたのか、私は温泉街の町中でガンモとキスを交わした。

 ところで、有馬温泉には、金の湯と銀の湯という二つの外湯がある。金の湯は、温泉街の中心部にある外湯で、鉄分と塩分を多く含んだ茶褐色の温泉である。一方、銀の湯は無色透明のラジウム温泉である。私たちはまず、金の湯に足を運んだのだが、とにかく、その利用客の多さに圧倒された。利用客は、番台で脱衣場のロッカーの鍵をもらうシステムになっているのだが、既に他の利用客で脱衣場のロッカーが飽和状態のため、番台の前で鍵が空くのをしばらく待つのである。お湯から上がって来た人が番台にやって来て鍵を返却するやいなや、返却されたばかりのその鍵が、順番待ちの人の手に渡るのだ。

 私はガンモの後ろに並び、ガンモが先に男湯のロッカーを受け取るのを見送った。そのせいだろうか。その次に、男性客がロッカーの鍵を返却しに来たのだが、返却されたばかりの男湯のロッカーの鍵を、番台の人が私に渡そうとしたのだ。私は、「へっ?」と思った。確かに私は、自分でも女性性が欠如していると思う。しかし、男湯に入るほど欠如してしまっているとは思えなかった。番台の人は、私の反応に気づき、とても丁寧に謝ってくださった。その謝り方がとても好意的だったので、私は番台の人に向かってにっこりと微笑んだ。ごまかさないということは、こうも気持ちがいいものかと思った。

 ようやく女湯のロッカーの鍵を受け取り、脱衣場に入ってみると、思った通りの混雑ぶりだった。急いで服を脱ぎ、身体を洗い、茶褐色の湯船にどっぷりとつかった。お湯の温度が熱くて気持ちがいい。しかし、湯船の前をたくさんの人たちが慌ただしく行き来している様子を見ていると、どうしても自分のペースを失ってしまう。何となく落ち着かないまま私はお湯から上がり、待合所でガンモを待った。

 ガンモは、茶褐色のお湯がすこぶる気に入ったようだった。お湯の温度もちょうど良かったと言う。私たちは、待合所でしばらく休息を取り、再び温泉街へと繰り出した。お土産売場などに顔を出したあと、極楽寺でおみくじを引いたら大吉だった。そう言えば、宮島で引いたおみくじも大吉だった。少しずつ、運気が上向きになって来ているのがわかる。

 銀の湯に着いてみると、中はとても空いていた。私はゆったりと湯船につかり、ラジウム温泉を堪能しながら、空気中のラドンをたくさん吸い込んだ。やはり、利用客の少ない温泉はいい。脱衣場も広々としている。心なしか、私の肉体も喜んでいるようだった。脱衣場で、女性観光客と地元の方が会話をしているのが聞こえて来た。金の湯の混雑ぶりにうんざりしていた女性観光客が、銀の湯が空いていることにほっとしている様子だった。効能について、どちらがいいかという話になり、地元の方は、
「私にはどちらも同じように思える」
と答えているのが聞こえて来た。私は、ラジウム温泉に入って自分の身体が喜んでいるのがわかったので、誰が何と言おうと銀の湯がいいと思っていたのだが、健康な人にとっては、どちらに入っても大差はないのだろうと感じた。

 銀の湯を出る頃には、辺りがもう暗くなっていた。私たちは暗がりの中を迷いながら駅までたどり着き、ルミナリエの会場へと向かった。

 ところで、ラジウム温泉の銀の湯に入った私の身体であるが、先日の三朝(みささ)温泉のような良い変化は訪れなかった。帰宅しても疲れがなかなか取れず、椅子に座ったときも筋腫があることの違和感がなくならなかった。三朝温泉に入ったあとは、肉体的な疲労感もなく、椅子に座ったときの違和感もやわらいでいた。三朝温泉と銀の湯では、ラジウムの強さが違うせいだろうか。気になったのは、銀の湯の禁忌症として、悪性腫瘍が挙げられていたことだ。三朝温泉と同じくらいのラジウムの強さを持つ福島県の温泉(やわらぎの湯)では、ガンが消えてなくなったという方がたくさんいらっしゃる。三朝温泉でも、岡山大学の人たちが、ガンの研究を進めているらしく、温泉街の中に岡山大学の施設がある。また、岡山大学の大学病院もすぐ近くにある。三朝温泉の周辺では、ガンの発生率が全国の二分の一らしい。だから私は、ラジウム温泉の、古い細胞を押し出して新しい細胞を創るという働きが、ガン細胞を押し出してしまうのではないかと解釈していたのだが、同じラジウム温泉であるはずの銀の湯では、悪性腫瘍が禁忌症として挙げられていたのだ。これは一体どういうことなのか、少し気になってしまった。強さの加減があるということなのだろうか。

※皆さん、応援クリック、本当にありがとうございます。きのうは特にたくさんの方にクリックしていただいて、感謝しています。ありがとう!

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2005.12.11

ハーモニー

 現在、映画『ハリー・ポッター』の公開中であるが、これから書くのはハーマイオニーの話ではなく、ハーモニーの話だ。

 実は、神戸にもラジウム温泉がある。日本最古の温泉と言われている有馬温泉と、健康ランド的存在の天然ラジウム温泉 太山寺なでしこの湯である。今回、私たちは、鉄道乗り潰しの旅とセットにして、有馬温泉の1Dayパスを購入し、有馬温泉へと向かった。

 JRで三ノ宮まで出た私たちは、そこから阪急電車に乗り、阪急六甲まで折り返した。そこからケーブルカーの乗り場までバスに乗り、六甲ケーブルに乗り換え、さらには六甲ケーブルの終点から六甲山上循環バスに乗り、オルゴール館(ホール・オブ・ホールズ 六甲)を訪問した。ガンモは、ずっと以前からここに来たいと思っていたと言う。私は、ホール・オブ・ホールズ 六甲に関しての知識がなかったので、ガンモがここに来たいと思っていたということがとても意外だった。

 ホール・オブ・ホールズ 六甲では、クリスマスコンサートなるものが開催されていた。コンサートと言っても、楽器を奏でるのは人間ではなく、百年以上も前に制作された古い古いオルゴールや自動演奏装置である。それがまあ、とにかく驚くほど素晴らしい音楽を奏でるのだ。

 私たちがそこで目にしたオルゴールは、とても大きなものだった。大きな柱時計のような入れ物の中に、周辺に穴の開いたオルゴールの円盤が取り付けられ、それが一回転することで、曲を一曲だけ奏でる。その音色は、百年以上も前に作られたとはとても思えないほどの美しさだった。オルゴールの円盤が大きくなればなるほど、同時にたくさんの音を出すことができると言う。単音ではなく、低音や高音もあり、それらの複数の音が見事に合わさって、独自のリズムを保ちながら、美しい音楽を奏でていた。しかも、オルゴールの中には、鉄琴のような音が出る仕掛けも組み込まれていて、円盤が回転するときに、オルゴールに取り付けられている鉄琴も一緒に連動して動くようになっていた。それらの一つ一つの音が秩序を保ちながら、美しいハーモニーを奏でていたのだ。それは、百年以上も前の職人が造り出した、自動演奏のハーモニーという秩序を持ったメロディだった。

 きっと、そのオルゴールが造られたのは、今よりも生活が裕福ではなかった時代のはずだ。それなのに、これほどまでに深く、音に対するこだわりを持っていた人たちが、確かに実在したのだ。オルゴールだけではない。からくり時計のような造りの装置の中で、楽器を持った人形が美しい音楽を奏でている装置もあった。もしかすると、お金持ちの人たちが、単なる道楽のために職人さんたちに造らせたものかもしれない。それでも、これらを造った職人さんたちは、精魂込めてこれらを造り上げたはずだ。そうでなければ、百年以上経った今の今まで、大切に保管されているはずがないのだ。

 それを思うと、今から百年以上経っても残って行くものは何だろうと思ってしまう。大量生産に追われた現代では、未来に残して行けるものがないのではないだろうか。百年以上も前に造られた美しいハーモニーを奏でる装置を見て、そんなことを思った私だった。

 大感動のうちに、ホール・オブ・ホールズ 六甲を後にした私たちは、いよいよ有馬温泉へと向かった。 

※いつも、応援クリック、本当にありがとうございます。m(__)m

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2005.12.10

一長一短

 ようやくの週末。ガンモが待機要員だったため、鍼灸治療に出掛けたあとはずっと家にこもっていた。幸いにして、コールセンタからの呼び出しもなく、一日がおだやかに過ぎて行った。日頃の睡眠不足を解消しようと、私がベッドで寝ていると、いつの間にかガンモも隣に寄り添って来たので、二人で眠った。普段、鉄道乗り潰しのためにあちこち出掛けている割には、自宅で過ごす休日は実にのんびりしたものである。こうした平和な時間を過ごしていると、私は言いようのない幸福感に包まれる。

 さて、たまには煩悩の話をしよう。長いこと使っていたデジカメの調子が悪くなり、新しいデジカメを買おうかどうしようかと悩んでいる。壊れているのは液晶だけなので、修理に出せば確実に治って来るだろう。しかし、現在使用しているデジカメには速写性がない。速写性とは、撮影したいと思い立ったときの、シャッターボタンを押せるまでのカメラの立ち上がりの速さのことを言う。速写性がないと、シャッターチャンスを逃してしまうことになるのだ。実際、現在使用中のデジカメは、この立ち上がりがひどく遅いために、撮りたいと思ったものを直ちに撮影できないのだ。しかし、一眼レフタイプのデジカメなら、待機モードからの立ち上がりがすこぶる速い。そのため、この機会に一眼レフタイプのデジカメに買い換えようかどうしようか、悩んでいるのである。

 しかし、これまたなかなかうまく行かないもので、古いデジカメを修理するにしても、新しい一眼レフタイプのデジカメを購入するにしても、実に一長一短なのである。先程、古いデジカメの短所として、速写性がないことを述べたが、新しい一眼レフタイプのデジカメは、速写性はあるものの、サイズも大きい上に重量があり、旅行に持ち歩くにはなかなか根気のいるカメラなのである。しかも、現在、購入リストに挙げている一眼レフタイプのデジカメは、SDメモリというメディアを使用するタイプのものだ。私はこまでCFタイプのメディアを使用するデジカメを愛用していたので、CFにはとても馴染みがあるし、予備として、たくさんのCFを買い込んでいる。しかも、CFなら、ほとんどのノートパソコンにそのまま差し込んで使用することができる。こうした状況を合わせて考えているうちに、自分が本当はどうしたいのかを見失ってしまうのである。

 迷う年回りというのは、このようなところにまで影響が出てしまうようだ。おそらくだが、私は、古いデジカメを修理した上に、新しい一眼レフタイプのデジカメも購入することになるのではないかと思う。皆さんも、カメラマンが、二台以上のカメラを持ち歩いているのを見掛けたことがあるはずだ。あれは、例えば、レンズ交換の手間を省くためであったりもする。つまり、用途によってカメラを使い分けているのである。このように、いったん何かに対してこだわりを持ち始めると、それぞれの一長一短をカバーするために、いろいろと迷った末に、結局、あれもこれもということになってしまうのである。

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2005.12.09

案ずるより産むが易し

 派遣会社の営業が、何か話があったのではないかと、私を訪ねてくれた。先月、営業担当者交代のあいさつのときに、私が何か言いたそうにしていたのを、気にかけてくれていたのだ。もしかしたら、手術を受けることになるかもしれないということを、派遣先に伝えておいて欲しいと言いたかったのだが、新しい営業担当と初対面の上、単なる交代のあいさつの場だったため、何も切り出せず、
「話はあるけれど、また後日お話しします」
と言っておいたのだ。

 私は、新しい営業担当に、筋腫が大きくなって膀胱を圧迫していること、歩行時に痛みを感じることなどを切り出した。医師からは手術を勧められているが、私は、手術よりも湯治という形での温泉治療を望んでいるので、今月の二十二日まで働いて、そのあと冬休みに入りたいと申し出た。それを、派遣先に了解してもらえるよう、打診して欲しいと頼んだ。新しい営業担当は、私が思っていたよりも話しやすかった。案ずるより産むが易しである。

 新しい営業担当は、
「そういうお話なら、了解しました」
と快諾してくれた。ちょうど、来週の月曜日に、新しい派遣社員の面接が入っていて、私の上司と面談するので、そのときに話を切り出してみましょうと言ってくれたのだ。新しい営業担当によると、私たちのグループに、私と同じ開発担当の派遣社員が二人も増員されるらしいのだ。他に、今月いっぱいで辞めてしまう派遣社員がいるので、彼女の後任も募集しているらしい。つまり、来年になると、私たちのグループに新しい派遣社員が三人もやって来ることになる。

 新しい営業担当が、帰り際にこんなことを口にした。
「前任から聞いているのですが、まるみさん(実際に口にしたのは私の苗字)の技術力は、派遣先の会社から、最も高く評価していただいているそうです。どうか、これからも頑張ってください」
前任の営業担当が、かつてそんなことを私に言ってくれたことがあるが、社交辞令でそう言っているのだと思っていた。確かに私は、派遣社員の中で一番年上で、業務経験も長い。派遣社員で開発を担当しているのは、つい先日まで私と対立していた女性だけなのだ。年齢的に考えると当たり前のことなのに、こういう言い方をされると、つい冷静さを失ってしまう。

 金銭的な理由で働いているわけでもないのに、私は一体いつまで仕事を辞めないつもりなのだろう。確かに、健康なわけではないが、まったく働けないわけではない。休日だって、ガンモとあちこち出掛けている。かよわい女性なら、とっくに仕事を辞めてしまうのではないだろうか。やはり、私には、女性性が決定的に欠如しているのだろうか。

 二十三日から年末年始の休みに入ることに関して、派遣先の了承を得られたら、私は三朝温泉に行こうと思っている。実際、先日の一泊二日の滞在で、私の筋腫はかなり大人しくなっていた。歩行時の痛みはやわらいでいたし、座ったときの感じもまったく違っていた。しかし、その魔法は、わずか三日余りで解けてしまった。だから私は、再び三朝温泉に行きたいと思ったのだ。まだ空室状況は調べていないが、三朝温泉にもいくつかの湯治宿があることがわかった。そのことをガンモにも話した。しかし、湯治に関して、まだそれほど信頼していないガンモは、私の選択には少々戸惑いがあるようだ。それほど辛いなら、手術という選択肢もあるのでは、とガンモは言う。しかし、どうやら、私と離れるのが寂しそうでもある。
「クリスマスに、三朝温泉に遊びにおいでよ」
と私が言うと、ガンモは笑っていた。果たして、これからどうなるのだろう。とりあえず、頭で思い悩む期間は過ぎて、少しずつ動き始めたことだけは確かだ。

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2005.12.08

鑑定依頼と注目の範囲

 はづきさんのlesson144:「ツインハート」という記事に、ツインハートかどうかの鑑定依頼の記事があった。今、私が書いているのは前日の日記なので、この記事が完成すると、はづきさんの未来の日記にリンクさせていただくことになってしまうのだが、どうか細かいことはお気になさらぬよう。

 私は、ツインハートという言葉を今回初めて知ったのだが、質問された方は、ツインソウルと同義で使っているようだ。この方の質問に対し、実にはづきさんらしい切れ味のいい回答をされているので、私は記事を拝見しながら思わず微笑んでしまった。私のところにも、この手の鑑定依頼のメールや掲示板への書き込みが、これまでにいくつかあった。だから、はづきさんの書かれていることが良くわかるのだ。特に私は、はづきさんに質問された女性の、

出来ましたら、はづきさんからはっきり『ツインハート』ですよと言って頂けたらとても安心します。

という部分が気になってしまう。安心する? 自分のために?

 はっきり書いてしまえば、私は、この手の鑑定を依頼されると、
「それがどうかしましたか?」
という気持ちになってしまう。愛という観点からソウルメイトやツインソウルをとらえているのではなく、自分自身の気持ちを納得させるためにソウルメイトやツインソウルという関係性を利用しているように思えてしまうからだ。尊い愛よりも先に、ソウルメイトやツインソウルの存在が、「条件」として存在しているからである。

 以前、私のホームページの掲示板に、こんな書き込みがあった。ある男性からの書き込みだったのだが、特に異性としての魅力を感じていない女性から告白され、交際を断ると、相手の女性にしつこくつきまとわれ、更には頻繁に夢に出て来るようになったと言う。そういう女性は、果たしてソウルメイトなのかという質問だった。私は、彼女がソウルメイトならば、現在、特に異性として魅力を感じていない彼女のことを好きになれるのか? と問いかけてみたが、返事はなかった。彼にとって、彼女がソウルメイトなら、事態がどのように変化したというのだろう。

 他にも、ソウルメイトであることを恋人への「条件」として求めようとする女性からの書き込みもあった。愛よりも先に「条件」があるのは、どうしても不自然に思えたので、このときも私は率直に意見を述べさせていただいた。

 たいていの場合、「知りたい!」という欲求を抱えて突進して来る人は、誰かのことを真剣に愛しているようでいて、実は自分の足下しか見ていない場合が多い。だから、そういう人たちと対話を始めると、エネルギーが一方向にしか流れないので、対話が一方通行になってしまいがちだ。

 対話と言えば、今年は特に、掲示板にたくさんの方々が書き込みをしてくださり、まだまだ返信できていないコメントもたくさんあって大変申し訳ないのだが、そんな中にあって、私のホームページを訪れてくださった方たち同士の対話が活発になりつつある。掲示板を立ち上げた当初は、まだそれほど交流が活発でなく、掲示板のツリーが途切れてしまうことが多かった。ところが、現在は、ツリーが本物の木のように繋がっている。ひょっとするとこれは、クリスマスツリーかもしれない。

 誰かの書いたコメントに、再び返事を書くという行為は、その人と密に関わる覚悟がなければ、なかなか実践できないことである。それが今、心地良い方向に動き始めているのだ。私はそうした状況を静かに見守らせていただいているのだが、現在の掲示板は、関わる人を自分の鏡にしながら、対話を進める段階に入っていると思う。つまり。誰かに向かって行くのではなく、まずは相手を鏡にして、自分自身を探求しているということだ。これから先、掲示板がもっともっと進化すれば、関わり始めた人の状況を良く観察し、更に注目するようになって行く。そして、対話をしている人の変化に敏感になり、相手の変化を自分のことのように喜んだりする。そのときはもう、対話をしている人が、単なる鏡ではなくなっているのだ。中には、既にその局面を迎えている人もいる。掲示板に書き込みをしてくださっている人たちに対し、エネルギーを注ぎ込んでくださっている人たちはそうだ。これからの変化が楽しみである。

※申し訳ありません。平日は、まだまだ仕事が忙しく、深夜の帰宅になっています。いつも掲示板の返信が遅れてごめんなさい。それから、応援クリック、本当に感謝にしています。m(__)m

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2005.12.07

一年の計は元旦にあったのか?

 まるで、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』のようなタイトルだ。

 今年の元旦の出来事は、一年の計は元旦にあり?に書いた通りであるが、果たして、私の一年の計は元旦にあったのだろうか。元旦の記事を読むと、こんなことを書いている。

一年の計が本当に元旦にあるのだとすると、私たちの2005年は、ことごとく直感が外れ、遠回りする年になってしまいそうだ。

 確かに、この一年を振り返ってみると、遠回りすることが実に多かった。先日の三朝温泉でもそうだったが、行動を起こすタイミングが非常に悪く、時間のロスが多かった。また、通勤電車に座ってPDAを開いても、私が座った席に限って、おしゃべりの声がひどく大きい人や、ヘッドフォンからカシャカシャと音が漏れている人がすぐ側に座っていて、、読み書きに集中できなかった。また、通勤以外の時間に関しても、静かで落ち着いた環境を確保することができなかったように思う。

 もう一つ、元旦の記事の中に登場しているキーワードとして、「眠い」という状況がある。これは、まさしくドンピシャだった。私の場合、鉄分不足によるものだと思われるが、とにかく、仕事をしていても頭がぼーっとして、眠くて眠くて仕方がなかったのだ。これは、あくびの出る眠さではなく、鉄分不足から来る酸素不足の眠さだったようだ。この状況は、鉄分のサプリメントを採ることによって、かなり改善された。

 ガンモも今年は本厄だったが、きっと、西宮えびす神社で行った私のお祓いが効いたのだろう。特に大きなダメージもなく、この一年を過ごすことができた。それにしても、今年も二人で全国あちらこちらに足を運んだものだ。まったく、トラベリング・ガンまるだった。来年は、もう少し運気が上向いてくれるといいのだが。

 一年の計は元旦にありとは良く言ったものだ。遠回りしたことで、この一年、私は裏道を歩いて来たように思う。裏道を歩いたおかげで、陽の私がこれまで見ることのできなかった陰の世界を垣間見ることができた。裏の世界もまたよろし。リズムにだって、ンチャ、ンチャ、ンチャと、裏があるのだから。

※皆さん、応援クリック、本当にありがとうございます。m(__)m

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2005.12.06

魂の感覚を忘れた一年間

 しばらくご無沙汰していた人たちとの交流が復活し、その中で、明るかったはずの人が鬱になっていたことを知った。私は、鬱になった経験はないが、今年はとことんパワー不足の年回りだったので、その経験をもとに、彼女に向けて思いつく限りのエールの言葉を贈った。彼女のことを絡ませながら、今日は、この一年の私自身の状況について書かせて欲しい。

 私にとってこの一年は、日常生活の感動から遠ざかり、まるで地の底を這うような感覚が続いていた。エネルギー値がとことん下がり、些細なことでも感動の涙を流していた自分がまるで別人のように思えていた。そのため、魂の感覚を使うことができず、言葉に魂を込めることが困難な状態にあった。そんな中にあって、この「ガンまる日記」を書き続けることが苦しいと思うことさえあった。文月のふみの日に生まれ、書くことが好きで好きでたまらなかったはずの私なのに、書くということがこれほどまで困難になろうとは思いもよらなかった。「ガンまる日記」を読んでくださった方たちが、たくさんのコメントを寄せてくださったにもかかわらず、魂の感覚を使えないために、掲示板やメールの返信もすっかり滞ってしまった。今年から交流の始まった人も多いと思うが、とにかく、今の私は本当の私じゃないので、もっと元気な私を知って欲しいとさえ思っていた。

 私は、「ガンまる日記」を書き続けたい一心から、「ガンまる日記」を読んでくださっている皆さんに、ランキングへの投票をお願いした。このお願いは、実はとても心苦しかった。はづきさんも実践されているように、ブログランキングに参加されているほとんどの方は、一つ一つの記事にランキングへの投票リンクを埋め込んでいる。しかし、できれば私はその方法を取りたくなかった。それでも、皆さんにお願いしなければ、私は記事を書き続けられないと思った。自分がライフワークとして取り組んでいること(特に男女の愛)に対し、読んでくださっている皆さんに、一体どれくらいの波紋を投げかけているのかを知ることで、エネルギーを循環させたかったのだ。更には、書くということに関して、自分を厳しい状況に置いておきたかった。実際、私が魂を吹き込んだと思える記事に関しては、多くの方がクリックしてくださった。私は、その反応により、魂の感触を取り戻そうとしていた。そういう意味で、私は、皆さんから返って来る反応のパワーによって、記事を書かせていただいたと言っても過言ではない。本当に、応援クリックしてくださった多くの方たちに助けられた。名前は出さないけれど、毎日のようにクリックしてくださった皆さん、本当にどうもありがとう。

 魂の感覚を忘れてしまった私は、自分の感情を引き出すということが非常に困難な状況にあった。自分の感情を引き出すために私が取った行動は、たくさんの映画を観て、たくさんの漫画(グリム童話系)を読むことだった。それでもまだ、これまでの自分ではない気がしているのだが、春頃のような極度の低迷状態からは次第に回復しつつあるように思う。

 このような一年間を送って来たので、鬱になったという彼女の状況も、ほんの少しは理解できるのだ。それは、自分の体験して来た苦しみと置き換えて考えられるからだと思う。オフィスの空調があまりにも寒過ぎて、ビルの設備係の人を呼んでもらったとき、同じオフィスで働いている他の人たちは、「何でこのくらいで寒いんだろう」というような態度を取っていた。そのとき、私は、人の苦しみを理解できない人たちのことを大変気の毒に思った。私は、そのとき初めて、掲示板で交流させていただいている、ある病気を抱えている女性のことを思い浮かべ、その苦しみを少しは想像することができたのだ。(「日々の気づき」にも書いたことだが、ここでも書かせて欲しい)彼女は、自分の病気のことを、誰からも理解してもらなくて、ずっと孤独だったに違いないと感じた。そのとき私は、こういう苦しみは、体験しなければわからないのだと理解した。だから、何か苦しみを抱えている人に対して、言葉を投げかけてあげられる人は、自分も同じような苦しみを経験して来た人なのだと思う。その苦しみを知らない人は、声を掛けてあげることに対し、偽善者のような気持ちになってしまうのではないだろうか。苦しみは、他の人に寄り添うためにあるような気がする。そして、苦しみを知った人ほど、言葉に魂がこもっていて、私を泣かせてくれる。

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2005.12.05

メビウスの輪

 これは、りえちゃんの月見想陰と陽の捉え方の違い極と際へのダブルトラックバックである。

 早速、りえちゃんの記事を引用させていただく。

 私とフニさんと共通の事柄の中で、親との対立と友人との不和ということがある。
 二人の共通した見解は、相手を理解をしたいと思っているのに、相手からは理解されないという状況だと思っていた。
 先日の 「理解することされること」 を読んだフニさんから賛同を得て、話はその先へと進む。
 理解出来無い相手とはどこまでつき合うべきか。
 相手に合わせるべきだろうか、じぶんの考えを主張し続けるべきか、あるいは距離をとるということもあるだろう。
 理解出来無い相手とのすったもんだの付き合いは、軌道修正ができたなら幸いである。私は以前同棲していた彼のことを思い出し、泥沼の先を危うく見てしまうところだったことをふり返ってあることに気づいた。

 以前にまるみん(まるみさん)から極に向かうということを言われた。
 それからずっと、極に向かうとはどういうことかと考えていた。
 極に向かうことは苦しみが絶えずあって、極にたどり着く前に戻ろうとしたくなる。だからこそご褒美としてある種の真理が垣間見える。それが欲しいという自分がいるのだろう。
 さて、人間関係の極とはどこなのだろうか。フニさんと対話をしていて気づく、極には向こう側があるということ。
 いや、言いかえてしまえば際(きわ)を越えてしまうということ。

 なかなか興味深い話題である。まず、理解されない相手とどのようにして付き合って行くか。これは、お互いに、相手を理解しようとする姿勢があるかないかで異なって来る。結論から言ってしまえば、相手を理解しようとする姿勢がある場合、極に向かった関係は、ある時期を経て、お互いの極が入れ替わり、再び元に戻る。りえちゃんから際というキーワードが出ているが、際を越えた関係は、途中でねじれて裏返るのだ。ちょうど今、掲示板で、ななちゃんとSHANAくんがDNAの螺旋構造のはなしをしているが、その螺旋に相当するかもしれない。私は、メビウスの輪のような感覚でとらえている。

 相手を理解しようとする姿勢がない場合は、お互いの主張の繰り返しになるだろう。これは、私も何度か経験済みである。人間関係には凸凹、□□(凸凹のない同じ形の正方形)、凸凸、凹凹の組み合わせがある。凸凹の関係は、相手が主張しているとき(凸)にはもう片方が聞き役(凹)になって、ウンウンと頷いている。この凸凹の入れ替わりが行われるのが最も心地良い関係である。□□の関係は、対立の少ない共感の関係で、こちらも仲間意識を感じることのできる心地良い関係だ。凸凸は共感がなく、対立ばかりの関係。また、凹凹はお互いに受け身で、何も始まらない関係。

 どちらの主張もない場合は、凹凹の関係になるので、理解し合うことのない関係は、凸凸の関係ということになるだろう。凸凸の関係は、どちらかが凹になってあげれば丸く収まるのであるが、これがなかなか難しい。果たして、そんな凸凸の関係とどこまで付き合って行くか。とことん凸凸になると、お互いにエネルギーを激しく消耗する関係に発展してしまう。そうなると、その関係はやがて崩壊することになる。しかし、例え崩壊したとしても、相手を理解しようとする気持ちが残っている限り、実に不思議なことが起こって行く。具体的には、第三者を通して、頭と頭を付き合わせて対立していたときはまったく理解できなかった相手の凸を理解できるようになるのだ。その第三者とは、凸になって対立していた相手よりも、もっと醜い姿で登場する。そして、ああ、あの凸の相手が言いたかったのはこういうことだったのかと、ようやく理解するわけである。これが、私の体験して来た、極に向かったあとに極が入れ変わるという現象である。極が変わったあとは、再び自分の極に戻るのだが、そのときは、反対側の極も味方に付けているのだ。

 先日の記事で、欠乏→飽和→過剰という状態の矢印を書いたが、私はその記事を書きながら、欠乏と過剰は、マイナスとプラスなのにとても似ていると思っていた。対立の関係に発展する場合は、どちらかが欠乏していて、どちらかが過剰の状態である場合が多いように思う。そして、一つの事象を、片方は陰、もう片方は陽の見方でとらえていて、その開きが大きい関係である。

 例えば、いつだったか、掲示板で、
「対立を乗り越えて行かなければ、本当に親しい関係は築けない」
という話題が持ち上がったことがある。これは、対立をポジティヴにとらえた考え方である。しかし、一方では、対立をネガティヴにとらえている人たちもいた。そういう人たちは、対立しても、その先に和解のない関係もあるという見解を押し出した。

 どちらの立場も、対立だけがすべてではないと主張していたはずだった。しかし、対立を陽に転ばせている人は、対立のポジティヴな面を引き出そうとし、対立を陰に転ばせている人は、対立のネガティヴな面を盾にしていた。対話が平行線になっている場合、たいてい、このような現象が起こっている。しかし、自分の主張に夢中になってしまうと、そのことに気が付かないのだ。激しい議論に火花を散らせるのも良いが、一歩下がって客観的に見てみると、これまで見えなかったものが見えて来る場合が多い。

 愛情の際の向こう側は憎しみであって、もっと先に行くと最終的には相手の存在が許せなくなる。相手の存在が自分の不幸に直結して感じるからだ。
 私は際を越えてしまったので、自分の中にある濁りも見えてしまった。そして、相手への愛情と自分への愛情を天秤に掛けている状態が、まさしく極限=際だったのかもしれない。
 簡単に言ったら、無理はいけないってことだろうか。でも未熟な者で、今になってようやくその辺りが分かってきた。フニさんとの対話でフニさんに話すことで、自分の理解が進むのだから面白い。

 おそらく、愛情の向こう側にも憎しみはあり、憎しみの向こう側にも愛情があるのだと思う。それは、メビウスの輪のように繋がっていると思う。そして、通常、私たちが体験しているのは、ある局面だけだと思う。肝心なのは、メビウスの輪がねじれるときに、どんな行動を取れるかではないだろうか。

 さて、未熟なりに見えている答を出しておくとすれば、本当の愛情とは、自分への愛情がイコール相手への愛情になるのだろう。
 そうだなぁ、私が元気にここにある状態がフニさんの喜びになり。フニさんの元気な様子が私の喜びになるということだろうか。

 それも一つの答えだと思う。逆の言い方をすれば、相手への愛情よりも自分への愛情のほうが勝るとき、人は苦しみの関係を自分自身から切り離して楽になろうとする。しかし、本当に愛しているときは、苦しみさえも忘却の彼方へと押しやってしまう。

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2005.12.04

続・三朝温泉

 夜寝るときに、久しぶりに過去世への回帰を試みた。このブログのサイドバーでもご紹介している山川さんご夫妻によるワイス博士の退行催眠CDを使ったのだが、やはり、このCDではリラックス効果は高いものの、なかなか退行できない。私には、これまで使っていた前世体験CDのほうが退行しやすいようだ。それでも、山川亜希子さんの優しい言葉に導かれながら、私は最近経験したもっとも楽しい食事について思い出そうとしていた。そのとき、先週、ガンモと一緒に広島で食べたお好み焼きのことが思い出された。二人でおいしいおいしいと言いながら食べたお好み焼き。その光景を思い出すと、涙がとくとくと溢れて来た。ガンモの暖かい愛に触れたのだ。そのガンモは今、私と同じ鳥取県にいるものの、別々の場所で寝ている。それでも、私たちの意識は深く繋がっているのだと実感した。

 いつも、このCDを聴きながら寝ると、気持ちが良くて途中で寝てしまうのだが、何故か私の意識ははっきりとしていて、最後まで聴いてから眠りに就いた。これも、ラジウム温泉の影響なのだろうか。

 さて、ホテルをチェックアウトしたあと、私は再び三朝温泉へと向かった。三朝温泉のホテルが取れなかったので、倉吉市内のホテルに宿泊していたのである。倉吉の名物白壁群を見物したあと、バスに乗り、倉吉駅まで出てみると、またしても三朝温泉行きのバスが出たばかりで、次のバスまでおよそ五十分も待つことになってしまった。私は根気強くバスを待ち、三朝温泉に降り立った。

 一泊の予定だったので、観光センターのようなところで三朝温泉から関西方面に向かう高速バスの空席状況を確認したところ、十六時台の便は既に満席だったが、十八時台の便にはまだ余裕があると言う。帰宅時間が遅くなってしまうが、私は十八時台の便で帰ることにして、高速バスのチケットを購入した。

 日曜日の昼間の三朝温泉は、ほとんど観光客がいなかった。そのため、昼食にありつけるようなお店も開いていない。私は、喫茶店のような、ラウンジのようなところでカレーを食べた。喫茶店の人が、
「今日はあいにくのお天気ですねえ」
と話し掛けてくれた。そう、外は雨だった。前日から、鳥取県では雨が降ったり止んだりしていて、時にはあられも降っていた。何もこんな日にわざわざ温泉に出掛けて来なくても・・・・・・と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、これは、
「晴れのときにまたおいで」
と言われているのだと思うようにしている。だから、雨のことはあまり気にしなかった。むしろ、雨のほうが、観光地も空いていて気持ちがいい。

 昼食をとったあと、私は、三朝温泉の株湯という公衆浴場に向かった。きのう利用したのも公衆浴場だったのだが、そちらは三朝温泉の中心部にある公衆浴場で、町外の人の一回の入泉料は三百円だった。株湯は、三朝温泉の元湯であるにもかかわらず、三朝温泉の外れにあり、しかも、一回の入泉料が町内、町外問わず、二百円均一だった。こぢんまりした建物の中に、木で造られた小さな浴槽があり、同じく木で造られた薄い仕切りがある。あまりにも壁が薄いために、男湯で話をしている人たちの声が丸聞こえだった。おまけに、お湯の温度はすこぶる熱い。もちろん、鍵の掛かるロッカーなど用意されていない。全体的に、どこか人間的なのだ。私は大きなリュックを背負っていたのだが、番台にいるおばあちゃんが、その大きなリュックはここに置きなさいと、赤ちゃん台の下を指示してくれた。
「誰も取りゃしないから」
と付け加えながら。脱衣場も狭いので、込み合っているときは、新しく来た人が外で少々待つことになる。本当に狭いのだ。それでも私は、このアットホームな株湯がものすごく気に入ってしまった。

 わずか二百円という入泉料は、自然の恵みである温泉に対し、経営者が欲を出していないことの証である。元湯でもある株湯は、その自然の恵みを他の温泉施設に惜しみなく分け与えているのだ。

 夕方になり、風もピューピュー吹いて来た。会社の人の車で帰宅途中のガンモに電話を掛けてみると、あと一時間程度で帰宅できると言う。私は、三朝温泉に一人でいることの孤独を感じていた。風が冷たく、雨も吹き付けて来る。それでも、十八時頃までは帰りの高速バスに乗ることができない。私は、三朝温泉のすべての足湯、すべての飲泉を回った。

 その後、木枯らしで冷えた身体を温めるために、旅館の中にある岩風呂を利用させてもらった。宿泊客でなくても、旅館で定められた入泉料を支払えば、お風呂だけ利用できるのだ。しかし、旅館のお風呂は、あまりにも美しく整い過ぎていて、感動がなかった。まるで、商売のために存在しているお風呂という気がしたのだ。私は既に、株湯が恋しかった。

 高速バスの時間が近づいて来たので、私は高速バス乗り場まで移動した。 ラジウム温泉の効果なのか、ハードスケジュールをこなしている割には、身体が元気だ。先週の広島旅行では、ぐったりと疲れて、忙しい中、火曜日には仕事を休んでしまったくらいなのに。また三朝温泉を訪れたいと強く思った。特に、私を強烈に惹き付けた株湯にもう一度入りたい。

 三時間余りで大阪のなんばに着いたが、JRが遅れて、帰宅したのは二十三時過ぎだった。ガンモは会社の人と話し込んだとかで、三時間しか寝ていなかったらしく、私が帰宅したとき、ベッドで寝ていた。ガンモは私の姿を見つけると、両手を広げた。そして、私はガンモの胸に飛び込んだ。

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2005.12.03

三朝温泉

 朝八時にガンモの会社の人がガンモを迎えに来てくれて、ガンモは出掛けて行った。私も、ゆうべのうちに終わらなかった下調べやホテルの予約などを済ませたあと、十時前には家を出て、三宮から鳥取行きの高速バスに乗り込んだ。鳥取行きの高速バスは、好きなアーチストのライブが鳥取で行われるときに良く利用している。この高速バスは、トイレも付いている便利なバスであるが、何となく遠慮があって、トイレを利用できなかった。途中のサービスエリアで十五分ほどの休憩があり、トイレと簡単な昼ごはんを済ませた。

 およそ三時間で鳥取に着き、鳥取から米子方面に向かう山陰線に乗り換えて、倉吉(くらよし)まで出た。いつもはガンモが時刻表や観光地図を持ってくれているのだが、行き当たりばったりで計画性のない私は、それらを持っていなかった。そのため、倉吉に着いてすぐに連絡していた三朝(みささ)温泉行きのバスに乗り遅れてしてしまい、次のバスまでおよそ五十分も待つことになってしまった。

 ようやく三朝温泉行きのバスに乗り込んだとき、時刻はもう十六時前だった。三朝温泉までおよそ三十分、バスに揺られ、ラジウム温泉のある三朝温泉までやって来た。降りたバス停の目の前に公衆浴場があったので、私はそこを利用することにした。中に入ってみると、選択の責任に書いたような状況になっていた。そう、鍵のかからないオープンなロッカーだったのである。しかし、五十円で鍵のかかるロッカーがあるのを見つけた。私は考え抜いた末、そこに貴重品を入れることにした。

 公衆浴場ということで、利用客は地元の人たちばかりだった。みんな、顔なじみの人たちなのだろう。新しい利用客がやって来ると、ごく自然にあいさつが交わされていた。このような状況で、盗難など起こるはずがない。だから、宇奈月温泉の公衆浴場にも、鍵のかからないロッカーしかなかったわけだ。ようやくそのことがわかったというのに、私は五十円かけて貴重品を鍵の掛かるロッカーに入れてしまった。そのことがとても恥ずかしく思えた。私の取った行動は、地元の人たちに対して、「私はあなたたちを信頼していませんよ」ということを示す態度だったのだ。

 ラジウム温泉は、ラジウムが崩壊してできるラドンが、ある濃度以上溶け込んだ温泉のことである。ラドンは、弱い自然放射線を出すガスの元素ということらしいが、微量な放射線なら、身体の細胞を活性化させる働きがあると言うのだ。ラドンによって細胞が活性化され、新しい細胞がどんどん増えて、新陳代謝が活発になるらしい。こうした効果は、放射線のホルミシス効果と呼ばれているらしい。

 私は先週、広島に行き、放射線の恐ろしさを目に焼き付けて来たばかりだ。ところが、三朝温泉では、微量の放射線が人体の細胞を活性化させる働きを持っていると言う。欠乏→飽和→過剰というそれぞれの状態があるときに、欠乏と過剰がネガティヴな結果をもたらすのだとしたら、陰陽がどこかで接点を持ち、繋がっていることの証なのではないだろうか。

 さて、ラジウム温泉の効果だが、確かに、森林浴を体験したかのようなリフレッシュした気分を味わうことができる。これは、放射線の電離作用によって、マイナスイオンが発生するからだそうだ。ホテルに帰ってから、身体がだるくなる症状が出た。おお、これは! と思ったのは、鍼灸治療で体験している身体のだるさと同じような感じだったからだ。このだるさが取れたときに、私の身体はいつもパワーアップしている。身体のメカニズムとは、実に不思議なものだ。

 睡眠不足だったため、ホテルにチェックインしたあと、少し眠った。身体のだるさが、快眠へと導いてくれた。二時間ほど眠って目を覚ますと、身体がすっきりしていた。三朝温泉には、飲泉もあり、ちょろちょろと流れている温泉を手持ちのペットボトルなどに入れて持ち帰ることができる。私は、持っていた小さなペットボトルに飲泉を入れ、ホテルに持ち帰って飲んでみた。たくさんのミネラルが含まれているとあって、確かに硬い。それでも、身体が拒絶反応を起こさないので、私の身体はこの硬さを受け入れているのだろう。

 まだ、たった一回だけの入浴だけなので、筋腫に対しては、はっきりとした効果は現れて来ないが、ハードなスケジュールをこなしている割には身体が元気である。もっと滞在すれば、もっと元気になれるのではないだろうか。そんな気がしている。

 ガンモとは、電話でちょこちょこ話をした。ガンモは、会社の人たちと旅行に行っても、大浴場には入らない。みんなの前で裸になるのが恥ずかしいのだそうだ。だからガンモは、身体に刺青があると会社の人たちには思われているそうだ。

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2005.12.02

住めば都

 十一月いっぱいまでの助っ人の仕事が二週間ほど延長になった。対立していた派遣仲間とも、その後、わだかまりなく話をしている。大噴火した怒りも、放出してしまえば、やがて終息に向かう。そして、私も、新しいプロジェクト特有のお約束ごとに慣れて来て、仕事をこなすスピードも上がって来た。新しいプロジェクトに参加した直後は、あんなに激しい怒りさえ感じていたというのに、本当に不思議なものだ。みんなで一つのものを作り上げるというプロセスにおいては、そこに参加している人たちとの間に相対的な関係が結ばれるのだろう。住めば都というのは、こういうことなのかもしれない。外から眺めているうちは、部外者に過ぎないが、中に入ってしまえば、人々は次第に連携して来るのだ。

 仕事を終えて二十三時半過ぎに帰宅し、明日からの旅行の準備をした。仕事疲れでへろへろだった上に、前日の夜、あまり眠れなかったので、かなり眠い。しかし、これから出掛ける三朝温泉の下調べもまだ不十分だ。宿も手配していない。それでも私は、三朝温泉に行くのだ。

 ところで、きのうの記事を読んだガンモが、
「慰安旅行ってのはやめてくれない?」
と言って来た。
「どうして?」
と尋ねてみると、
「慰安旅行って、女の人をお金で買うために、団体で出掛けてた時代の言葉だから」
「ふうん。そう言えば、『慰安婦』という言葉もあるもんね」
と答えた私だったが、慰安旅行は、本当にガンモが言うような響きを持っているのだろうか。確かに、そういう時代があったことも記憶に残ってはいるのだが。

 さて、ガンモは、会社の人の運転する車に乗って鳥取入りすることになっている。私も同じ方面に向かうので、
「私もその車に乗っていいのかな」
と尋ねてみると、
「残念。五人で定員なのよ」
と、あっさり断られてしまった。

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2005.12.01

湯治

 十二月になったが、冬至となるともう少し先だ。骨董市好きの私は、東寺の骨董市にも時々出掛けている。杜氏はお酒を作る人である。答辞は卒業式などで述べられる言葉だ。はてさて、今日の話題は湯治(とうじ)。温泉などで病気を治すことである。

 直径九センチにまで成長し、私の膀胱を圧迫している子宮筋腫の処置について、私が下した決断は、やはり手術はしたくないということだった。そのために、自分の身体に対してできることをずっと探して来た。

 先日、ふと、ラジウム温泉に入った人の筋腫が小さくなったという話を思い出して、ネットを再検索してみた。すると、秋田県や福島県にラジウム温泉で有名な湯治宿があり、全国から癌などの難病を抱えた人たちが集まって来ていると言う。それらの湯治宿におよそ一週間ほど滞在してラジウム温泉に入れば、身体も元気になるらしい。中には、筋腫が小さくなった人もいるということだ。手術を避けたい私の場合、難病などにはとても及ばないが、湯治という選択肢もあることに気が付いたのだ。

 しかし、仕事を持っている上で、一週間もの休暇を取ることは難しい。また、こうした状況を、まず、独身の上司に状況を説明しなければならないこともはばかられる。その上、私が抜けると、忙しいプロジェクトメンバーに更なる負担をかけてしまうのではないかという心配もある。それに加え、これまで担当してくれていた派遣会社の営業担当が今月から新しい人に変わってしまった。これまで世話をしてくれていた営業担当は、私の身体の状況を把握してくれていて、オフィスの空調の件(夏に十五度の設定になっていて、凍えながら仕事をしていた)についても、派遣先に改善策を申し立ててくれた。しかし、まだほとんど会話を交わしてもいない新しい営業担当に、婦人病について話をするのは何となく気が引けてしまう。そして、何よりも、こうした湯治宿は、常に数ヶ月待ちの状況にあるらしい。いろいろ立ち向かうべき課題はあるのだが、ここのところ、以前よりも歩行が困難になり、痛むところにカイロを貼ってしのいでいる。そろそろ、なかなか整わない状況に頭を悩ませている状況ではなくなって来ているたようだ。

 折しも、ガンモがこの週末に、社内旅行で会社の人たちと鳥取に行くことになっている。ラジウム温泉について調べを進めて行くと、鳥取にも三朝(みささ)温泉という日本で最も強いラジウム温泉があるという。どうせ家に居ても一人だし、ガンモも鳥取に行くなら私も鳥取に行ってしまおうと計画を立てているところだ。ただ、先週も広島に出掛けたばかりで、身体が疲れているので、ガンモは家で身体を休ませろと言う。しかし、私は出掛けるだろう。もしも三朝温泉で快適に過ごすことができれば、わざわざ秋田県や福島県に出掛けて行くよりも、交通費は安上がりだ。ただし、観光地の温泉街なので、旅館に連泊するのはかなりの贅沢だ。そういう意味で、ちょっと下見がてら、一人でふらっと出掛けて行くつもりである。ああ、何だかわくわくして来た。もともと、温泉や銭湯好きの私にとって、自分の身体のためにラジウム温泉に入りに行くなんて楽しすぎる。しかも、実際に湯治するとなると、難病を抱えた人たちが必死に生きようとしている姿に触れることができる。どんな生き様であれ、そこに新たな気づきがあるのは間違いない。

 ところで、先日、掲示板で交流させていただいているちーちゃんが、ドクター・フリッツの情報をくれた。実は、私も以前読んだ『愛しの筋腫ちゃん』という本の中に、ドクター・フリッツのことが書かれてあり、興味を持っていた。彼は、ブラジル人のコンピュータ技師に憑依している医師の霊らしい。ちょうど、シルバー・バーチのお医者さん版かもしれない。ドクター・フリッツは、そのへんのナイフやハサミで手術をするが、患部から血が出ることもなく、患者はニコニコしているそうだ。しかも、ドクター・フリッツの手にかかれば、わずか十五秒程度で難病が治ってしまうらしい。しかし、日本では規制があるため、実際の手術を行うことはできないそうだ。筋腫を抱えた日本人女性が、わざわざブラジルまで出向き、ドクター・フリッツの治療を受けて良くなった例もあると言う。ゴッド・ハンドとは、まさしく彼のような人の手のことではないだろうか。おそらく、霊的な存在が、彼の治療に手を貸しているのだろう。そうした霊的なパワーを、惜しげもなく他の人に分け与えることのできる人は、本当に素晴らしい。話を聞いただけでも、何だかわくわくして来る。そのうち、「ガンまる、ブラジルへ行く」などというタイトルで、記事を書くかもしれない。ああ、未来世紀ブラジルよ。

※この件について、コメントをくださった皆さん、どうもありがとう。今の私の選択は、とてもわくわくするものです。わくわくしていると、次第に状況が整って来るでしょう。

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