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2005.11.18

続・朝令暮改プロジェクト

 朝令暮改プロジェクトに投入されてから四日目。また、派遣仲間の女性と激しい対立をしてしまった。それは、私が質問した内容を、
「何を言っているのかわからない」
と彼女が言って来たことから始まった。プログラムのことでちょっと説明し辛いので、私たちが作っているプログラムを、将来コンビニエンスストアになる建物に例えてみよう。建物に付けられる名前にはいくつかのパターンがあり、わかりやすくするために、LAWSON、ファミリーマート、サンクスとしよう。出来上がった建物は、特定の条件によって、LAWSONの看板が掲げられることもあれば、ファミリーマートの看板が掲げられることもある。その条件を、プログラムの中で判断し、制御するのである。

 通常、プログラムを作るときは、LAWSONやファミリーマート、サンクスといった文字を、プログラムの中で定義する。その定義が、今回の仕様変更により、まったく新しいものに置き換えられたのだ。置き換えられた新しい定義を、LAWSON、ダイエー、そごう、三越としよう。定義だけ見ると、LAWSONは両方に存在しているが、かつてあったはずのファミリーマート、サンクスがなくなってしまっている。しかし、プログラムの中には、ファミリーマートやサンクスを判断する箇所が残っている。これらを、新しい定義に置き換えなければ、プログラムを生成できない。

 そこで私は、ファミリーマートやサンクスは、新しい定義のどれと対応しているのかと彼女に尋ねた。すると彼女は、定義がまるっきり変わったのだから、プログラムも変えなければならないの一点張り。私は、そうじゃなくて、旧定義との対応を知りたいと主張した。そうしなければ、定義エラーになって、プログラムを生成できないのである。

 私は、私の持っている技術を見下しているかのような彼女の態度にカチンと来た。彼女は、「どうしてこんなこともわからないの?」というような口調で、開発言語であるC#(シーシャープ)の仕組みを説明し始める。私は、そんな初歩的なことは知っている。私が知りたいのはC#の仕組みではなく、新しい定義と旧定義の対応だと言った。私と一緒に仕事をしている助っ人メンバーも、私の言いたいことを理解してくれたのだが、私の技術が足りないと思い込んでいる彼女は、どこまでもC#という言語の仕様に話を持って行こうとする。

 大きな声でやりとりをしているうちに、どうやら、「仕様が変わった」というのは、「削除された定義もある」ということだということがわかって来た。定義が「変わった」と知らされていた私は、かつてあったファミリーマートやサンクスの定義が、ダイエーかそごうか三越のどれかに置き換わると思っていたのだ。しかし、実際はそうではなく、ファミリーマートやサンクスは定義の中からなくなり、代わりにダイエーとそごうと三越が追加されることになったらしい。

 そうした仕様変更は、これまでニ年近くも同じプロジェクトに関わり続けて来た彼女にとっては、ごく当たり前のことだったようだ。何故なら、新たに加わったダイエーやそごう、三越といった定義は、彼女たちが開発して来た製品名を象徴する名前だったからだ。私は、そのような背景もわからずに突然投入されたので、プログラムの定義エラーを出さないようにするために、狭い範囲だけを見ていたのだ。

 普段、普通に楽しい会話もできる彼女なのに、仕事の相性がこれほど良くなかったとは驚きだった。私も同じプロジェクトに三年以上いるのだが、同じプロジェクトで長く仕事をしていると、このあたりの感覚がどんどん麻痺してしまう。いつの間にか、自分のやっていることが「当たり前」になり、やがてそれが「基準」になってしまう。これは、同じプロジェクトで関わる人たちが、そこで相対的な関係を結んで行くからだろう。だから、その「基準」から外れる人たちのことを、やっかいだと思ってしまう。

 以前、私たちのプロジェクトに新たなメンバーが加わったときも、私はその手のギャップを感じたことがある。新たなメンバーにプログラムの動作確認を頼むと、私たちが普段検査しないようなことをして、プログラムのバグを見つける。それは、品質向上のためにはとてもいいことなのだが、感覚が麻痺してしまっているために、見つけられると仕事が増えてやっかいだという気持ちを起こさせる。

 彼女との対立は、愛がないだけに、とても後味が悪い。仕事を終えて帰宅してからも、後味の悪い感覚がずっと続いている。どうしてこんなに後味が悪いのか考えてみたのだが、どうやら、対立に対して対立で返した自分に対してひどい自己嫌悪を感じているようだ。つまり、そんな醜い自分が嫌なのだ。

 彼女は今、私の理想的でない鏡としての役割をかってくれている。人のフリみて我がフリ直せというのは、まさしくこのことだ。

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