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2005.11.29

男尊女卑

 皇位継承について、女系・女性天皇を認めるという決定が、世間に波紋を投げかけている。この話題がいろいろなブログで取り上げられているのを見るにつけ、大胆にもそのほとんどが、この決定に反論する内容であるのは、ただただ驚くばかりである。世間の人たちにとっては、これまでの「伝統」を守り抜くことは、それほど重要なことなのだろうか。女系・女性天皇の受け入れに反対する人たちの中には、側室制度の復活を望む声もあるようだ。男女間の愛で何が大切かという観点から考えれば、まったくばかばかしい話である。はっきり言ってしまえば、こうした考えは、女性の位置づけが、子供を産むための道具となってしまっていることの証である。しかも、生まれて来る子供は男子でなければならないと来ている。私は、こうした男女間の愛や人権を無視した考え方に、激しい憤りを感じてしまうのだ。

 このような「男子優先の制度」が続く限り、皇室に入った女性たちは、男子を産まなければならないというプレッシャーに苛まれ続けることになるだろう。そもそも、子供を産むか産まないかは、夫婦間の自由意思で決められることなのではないだろうか。それなのに、日本に限らず、いろいろな国々で、こうした「男子優先」の考えが強く根付いている。特に、皇位を継承する家系では、後継ぎとなる元気な男子を産んでもらうために、何人もの側室を囲っていた時代があった。そうした時代を背景にした漫画を読むと、皇后対側室、または側室同士のドロドロとした人間関係が描かれている。そこまで人間関係を醜くしている制度なのに、そうした醜さに目を瞑り、いつまでも男子にこだわる理由は一体何なのだろう。

 日本において、側室制度が廃止されたのは、昭和天皇の時代からだと言う。しかし、男子優先の考え方が残っている限り、側室制度を廃止した分だけ、皇室に入る女性のプレッシャーは、むしろ強くなってしまったかもしれない。そういう意味で、私は、皇室に入る女性たちを大変気の毒に思うのだ。子供を産むか産まないかの自由意思がないことと、生まれて来る子供の性別を選択する自由意思がないことに対してである。

 いや、何も皇室に限ったことではない。愛し合う男女が結婚しても、子供に恵まれないと幸せになれないだとか、生まれた子供が女の子ばかりでは後継ぎがいないので家が絶えるだとか、そんなことを気にしている人たちは一体何様だ、と思ってしまう。側室が産んだ男子がいかに健康優良児であったとしても、二人の間に愛がなかったり、また、側室を迎えたことで、もともと愛し合って結婚したはずの正妻が深い悲しみを感じている場合、側室の産んだ男子が皇位を継承することで国が繁栄して行くとは思えない。

 天皇制度は残ってもいい。しかし、血筋だとか、男子でなければならないとか、そんな呪縛から、そろそろ解放されてもいいのではないだろうか。

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