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2005.11.23

りんごの皮をむいてみたら

 去年の十一月頃からツインソウルとメールで人生論を繰り広げていたのだが、ここに来て新たな段階に入った。ツインソウルと私は、一回のやりとりでおよそ数百行から千行のメールを交わしていた。お互いの価値観がまったく異なるために分かり合えないことが多く、「何故? こうじゃないの?」を繰り返しているうちに、ついつい長いメールになってしまっていた。

 私にとって、お互いの価値観が異なるために理解し合えないことは、本当に苦しいやりとりになった。しかし、一人一人の価値観が異なることなど当たり前だと思っているツインソウルにとっては、それほど苦しくないことのように思えた。私は以前、このことについて、掲示板で以下のように報告したことがある。

私は、ツインソウルの価値観を受け入れられなくて、
交流を続けて行くことが苦しくて苦しくてたまらないと感じたとき、
「アンタと交流を続けて行くのはとても苦しい。でも、アンタは苦しくないの?」
と言ったんだ。
そしたら、相手は、
「苦しいのならやめればいい。それを、自分が苦しいのに、
 おまえは苦しくないのか、そう相手に責められる根拠はなんだ?
 苦しいほうが偉いのか。苦しくない方が軽いのか。軽率なのか」
と切り返された。何だ、こいつ? と思ったよ。
でも、それがツインソウルなんだ。

 それからも、私にとって苦しい対話はしばらく続いていたのだが、あるとき、私はとうとうギブアップしそうになった。こんなに苦しいのなら、ツインソウルとの交流なんて、もうやめてしまおう。しかし、そう決心してからしばらくすると、やっぱりもう少し頑張ってみようという気持ちが沸き上がって来るのだった。私は、プラスとマイナスの極を行ったり来たりしていた。そのことをツインソウルに話すと、ツインソウルのほうも、「対話なんてもうやあめた」という気持ちになったらしい。そして、長い長いこの対話はひとまず休戦したのだ。

 それからおよそ一ヶ月近くもの間、ツインソウルと私は連絡を取り合わなかった。こんなことは、交流が始まって以来、初めてのことだった。その間、お互いに、何となく調子が出なかったようだ。しかし、実に不思議なことなのだが、ツインソウルと頻繁にやりとりしていた時期にはわからなかったことが、ほんの少し離れただけで、まるで手に取るように理解できるようになったのだ。特に、これまでツインソウルが言葉にしなかった内容が、ツルツルと芋づる式に私の中に入って来た。そして、これまでツインソウルが抱えていたはずの苦しみまでも浮き上がって来たのだ。

 私は、これまで苦しいと思っていたツインソウルのやりとりが、まるで宝物のように思えて来た。私自身の経験から、自分から発信して行くことよりも、相手の言葉を受けながらの対話を進めて行くことのほうが根気のいる作業だということがわかっている。それなのに、途中で途切れることなく、十ヶ月もの間、りんごの皮をていねいにむくように、ツインソウルと私は長い長い対話を続けて来た。更に、対話を休止させてからは、言葉を交わさなければ交わさないなりに、相手を理解しようとする機能がぐんぐん発達して来た。それはまるで、たくさんの言葉を必要としていた時期を経て、一つの極に達し、そこから、言葉のあまり必要のない反対の極へと移行したかのようだった。

 一ヶ月経って、再びぽつりぽつり会話をするようになったものの、以前のようにたくさんの言葉を使ったパワフルな関わり方ではなくなっていた。これまでは、たくさんの言葉を交わしながらぶつかり合うことで、お互いのエネルギーの強さを確認していたように思う。跳ね返ってくる力で相手を知ろうとしていたのだ。しかし、今はそうではなく、静かに佇むのその関わりの中に、言葉では表現されないエネルギーの交流がある。そして、私はいつの間にか、ツインソウルが自分勝手な行動を取っても腹を立てなくなっていた。私にとって、これはものすごい進歩なのだ。

 かつての私は沈黙が怖かった。しかし、今は沈黙が怖くない。沈黙していても、確かに流れているエネルギーがある。かつて、ツインソウルは沈黙など怖くないと言った。耳を澄ませば、心の声が聞こえて来るとも言っていた。ツインソウルが言いたかったのは、こういう沈黙のことだったのだろうか。これから再びたくさんの言葉を交わすようになるかどうかわからないが、少なくとも私は、今の沈黙を楽しんでいる。

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