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2005.11.02

職場で見た涙

 仕事中に、オフィスのすぐ外で、同じプロジェクトの派遣仲間の女性が、携帯電話で誰かと話をしながら泣いていた。電話を終えてオフィスに戻って来たときも、彼女は泣き続けていた。彼女は、私のすぐ前の席に座って仕事をしている。私は、一体何があったのかと、彼女に、
「大丈夫?」
と尋ねてみた。すると彼女は、泣きながら、
「きのう、友達が、交通事故で亡くなった」
と言った。その瞬間、私は言葉を失った。こんなとき、彼女にどんな言葉をかけてあげたらいいのか。彼女の感情と、自分の感情に、あまりにも大きなギャップがあり過ぎて、言葉にならなかった。私も、彼女と一緒に泣くことができれば、言葉を失わずに済んだだろう。しかも、ここは、人間としての感情を徹底的に押し潰すオフィスという場所だ。私は、戸惑いながらも、心を鬼にして自分の仕事に戻った。たった今、友人の死を知ってしまった彼女に、「元気を出してね」とも言えないし、ましてや、「死は誰にでも訪れるものだからね。やがて、私たちにも・・・・・・」などとは言えない。それに、彼女自身はご遺族ではないのだから、「謹んでお悔やみ申し上げます」と言うのも変だった。私は、もやもやした気持ちを抱えながら仕事を続けた。

 そのとき、私たちのグループのトップ責任者が、今後の作業の意識合わせをしておきたいので、これから打ち合わせをしたいと彼女に声を掛けた。彼女は、事情を説明し、今日は早退したいと言ったようだが、トップ責任者は、打ち合わせは十分程度で終わるからと言って、彼女を引き止めた。ああ、何という展開だ、と私は思った。こうして言葉を失っている私のほうが、まだましだと思った。

 実際、その打ち合わせは、十分程度で終了した。やがて彼女は、頼まれていた仕事を切りのいいところまでで終わらせて、早退して行った。

 彼女の涙を見て私が思ったこと。それは、彼女はとても素直ないい子だということだ。人間、歳を重ねれば、人前で泣くということがどんどんできなくなってしまう。彼女の場合、なりふりかまわず涙したというわけではなく、ただただ自然に出て来る涙を止めることも隠すこともできなかったといった感じに見受けられた。仕事中だから涙を止めなくてはとか、職場だから涙を隠そうとか、彼女は、頭の中でそういう計算をしなかったのだ。そこが、何とも彼女を人間らしく輝かせていた。

 彼女が早退してから、彼女に涙の理由を直接聞けなかった人たちが、私に彼女が泣いていた理由を尋ねて来た。それだけ、彼女の涙はオフィスで目立っていたようだ。しかし、友人同士の関係ならまだしも、オフィスでは、泣いている人に向かって、「どうしたの?」とは言えない雰囲気がある。泣いている人は、感情の防御装置が解除されているのに、普通に仕事をしている人たちは、感情の防御装置が解除されていないからだ。そして、泣いている人に対し、その理由を直接聞かないのは、泣いている人の抱えている状況に対して自分が責任が持てないことへの逃避であるようにも思う。

 今回、実際に、このような状況を目の当たりにして、私は言葉を失った。しかし、この次に同じようなことが起こったときも、やはり言葉を失うのだろうか。そのときまでに、言葉を失うこと以外の何かを見つけておきたいと思う。

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