祖母の涙
実家では、チェックアウトの時間も気にせずに眠り続けた。ガンモもリラックスして、遅くまで寝ていた。しかし、どうやら、寝ている間に私が布団を取ってしまい、布団からはみ出したガンモは風邪を引いてしまったようだ。ガンモ、ごめん。風邪薬を飲むと、ガンモの症状は、間もなく緩和されて来た。
実家に帰ると、母が手料理で私たちを歓迎してくれる。私には弟が一人いるのだが、弟たち夫婦は、実家から車でおよそ二〇分のところにマンションを買って住んでいる。私が実家に帰っても、私たち姉弟が顔を合わせることはほとんどない。弟と私は似ても似つかないが、家庭的な母と私もまた、似ても似つかない。母は、自分のためでなく、誰かのために人生を捧げているようなものだ。
また、母の陽に対し、父はもの静かな陰である。二人は良く喧嘩をするが、根本的には仲のいい夫婦だと思う。私は父母の関係を見ながら、夫婦は床やお風呂を共にすることが当たり前だとずっと思って来たのだから。対立の多い正反対の性格を持ち合わせているところからすると、もしかすると二人はツインソウルなのかもしれない。父と母の愛情表現は、まったく異なっている。母は能動的だが、父は受動的。能動的な母からは、受動的な父の行動が読み取れないのだ。しかし、父は、母がどんなに感情をあらわにしても、しっかりと母の言動を受け止めている。
さて、日々の気づきにも何度か書いて来たことだが、私の母方の祖母は、七年前に軽い脳梗塞で倒れ、それ以来、ずっと入院生活を続けている。母は、毎日、朝夕二回、祖母の入院している病院に、祖母の様子を見に行く。入院生活が長引くと、病院側の対応も倦怠ムードになるらしく、何度か病院を変わることになった。それでも母は、毎日、祖母の様子を見に行っている。
母は、自分自身の身体があまり強くないために、病人の気持ちが良くわかるらしい。だから、夏の暑い日に、病院内をせわしく動き回る看護婦さんが空調の温度を下げてしまうと、ベッドに横たわっている病人の気持ちになって考え、空調の温度を上げたり、空調の寒い風が直接祖母に当たらないように、ベッドの周りを布団で塞いだりする。また、ずっと寝た切りの祖母の身体は、もうすっかり固まってしまっていて、立つこともできないのだが、身体がこれ以上固まってしまわないように、足の間や手の間に抱き枕を持たせている。
私たちが帰省して、祖母のいる病院を訪れると、遠い目をした同室の患者さんたちに出会う。私は初め、そうした光景がとてもショックだった。患者さんたちが、すっかり生気を失ってしまっているかのように思えたからだ。しかし、それでも、ご家族の方たちは、しきりに身内の患者さんたちに話しかけている。その光景を目にすると、身内のそうした状況を受け入れて行く強さに感動せずにはいられない。反応がなくても、しきりに話しかけているその姿は、絶対愛そのものだ。しかし、良く観察していると、決して反応がないわけではないことがわかる。やがて、こうしたことを見逃してしまうのは、愛のない証拠だと思うようになった。
今回も、祖母の入院している部屋を訪れた。訪れる度に、毎回、顔ぶれが違っている。祖母はもう視力を失ってしまっているのだが、私が帰って来ていることを、朝のうちに母が伝えておいてくれたらしい。私が祖母の前に立ち、祖母に向かって声を掛けると、祖母の目が、じわじわと涙でにじんで来るのがわかった。私は、それを言葉にならない声で言った。
「ばあちゃん、泣かれん(泣かないで)」
人は、言葉など発することができなくても、感情を示すことはできるのだと思った。そして、そうした地道なコミュニケーションを諦めてしまってはいけないのだ。母の行って来たこうした地道なコミュニケーションが、祖母を奇跡的に生かし続けているのではないかと私は確信した。
祖母を見舞ったあと、私たちは帰路についた。三連休が終わり、明日からまた仕事だ。これから何かに息詰まったときは、祖母の涙を思い出そうと思う。
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