初めてのサイン
有名人を好きになると、その人のサインを欲しいと思うのは、ごく当たり前のことのように思える。しかし、私の場合、とても変わっていて、最初からサインを欲しいとは思わなかった。当時の私は、サインをもらうことで、ファンという認識をしっかりと持たなくてはならないと思い込んでいたようだ。
ファン同志の仲間たちの間でも、彼らからサインをもらうことは当たり前の行為だった。当時、仲間たちの間で流行っていたのは、新しいスケジュール帳やコンサートのチケットにサインを書いてもらうというものだった。サインはその場ですぐに書いてもらえるわけではないので、手紙などと一緒に添えて手渡しして、次に会ったときに書き上げたものを本人から渡してもらっていたようだ。しかし、紛失してしまったり、本人の手元に戻らなかったりすることも多くなり、そうした行為は、のちに禁止されてしまったそうだ。
今でこそ、サイン会などにのこのこと出掛けて行くようになった私だが、それまでに何度も何度もサインをもらえるチャンスがあったにも関わらず、実際、そのアーチストを好きになってから十数年もの間、一度もサインをもらったことがなかった。どうしても、サインをもらおうという気が起こらなかったのだ。しかし、あるとき、私にも、サインをいただかなければならないような事態が発生してしまった。それは、都内のあるオープンな場所で起こった。
いつしか、私の好きなアーチストと私は、趣味の世界で交流できるようになっていた。その世界で、私の好きなアーチストは、自分が集めて不要になったコレクションを売っていた。彼の売っているコレクションの中に、私の気になるものがあり、私はそれを手に取り、
「これください」
と彼に言った。私が欲しいと言ったそれには、専用の入れ物がついていて、その入れ物に、油性のマジックで既に彼のサインが書かれてあった。しかも、「○○へ」と、他の誰かの名前付きで。おそらくだが、それを欲しいと思った別のファンが、彼にサインを書いてもらったあと、購入をキャンセルしてしまったのだろう。
側に居たガンモが、その名前を読み上げ、
「○○ちゃんって誰ですかねえ」
と彼に言った。彼はそれを受けて、
「誰だろうなあ」
とすっとぼけた。そして、思いついたように、
「『みえへ』だ」
と私の本名を口にしながら、「○○へ」の中の一文字をぐじゅぐじゅっと黒丸でつぶして(○○の中の一文字は「み」だった)、「みえへ」に変えてくれた。それが、私のところにやって来た、彼の初めてのサインだった。他の人に宛てたはずの、修正入りのサインだった。
普通なら、初めてのサインなのだから、もっとちゃんとサインして欲しいと思うのかもしれない。しかし、私は、ぐじゅぐじゅっとつぶされた訂正黒丸付きのこのサインがとても気に入っている。どんなサインよりも、もっとも私らしいサインだと思えるのだ。
そのことがあってからは、サイン解禁となり、サイン会などに積極的に出掛けて行くようになった。最近は、ファンでいいかあと思えるこの頃である。
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