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2005.10.13

子供の頃からずっと会いたかった

 私が中学生の頃、テレビドラマ『西遊記』が大ブレイクし、そのテーマソングを歌っていたゴダイゴの曲も大ヒットを飛ばした。私は、当時、ゴダイゴにそれはそれは夢中になった。彼らのファンクラブにも入会し、彼らの歌う英語の歌詞を必死で覚え、モンキー・マジックのときに投げる白いくす玉を手作りしては、彼らの真似をしながら友達の前で歌ったりしていた。

 私が高校生になったとき、彼らは私の通っていた高校のすぐ近くでライブを行った。石油会社の宣伝のために行われた無料ライブで、新聞の広告に入場券がついていたのだ。その頃はもう、ゴダイゴの人気は落ち着いて来ていて、私自身も比較的静かな気持ちで彼らを応援していたのだが、こんなことはまたとないチャンスだと思い、私はそのライブに足を運んだ。しかし、自分の感覚が閉じていたためか、そのライブではあまり感動することができなかった。その後、私が大学生になった頃に彼らは解散し、長年のグループ活動に終止符を打った。このときも、私は感覚が閉じていたため、それほど辛くはなかった。

 そのゴダイゴが、今からおよそ六年前の一九九九年に復活コンサートを行った。私は、懐かしい気持ちでいっぱいになり、喜びいさんで復活コンサートを観に行った。もう、何と言ったらいいのだろう。最初から最後まで感動の嵐だった。とにかく、泣けて来て、泣けて来て、コンサートが終わったあとも、その感動に呼吸が苦しくなるほどだった。一言で言って、彼らの創り出す音の一つ一つを理解し、自分の中に吸収できた。私が彼らから離れ、別のアーチストの音楽を聞き始めたことが肥やしになり、彼らの復活コンサートを効率良く吸収することに役立っていたのだ。

 私がリアルタイムで彼らを応援していたのは、まだ中学生の頃だった。この頃の私はまだ、音楽的にも目覚めていなかった。だから、彼らの音楽がビートルズの影響を受けていることも、ミッキー吉野氏の天才的なキーボードも、浅野氏の素晴らしいギタープレイも、すべて素通りしてしまっていたのだ。ゴダイゴから離れたあと、別のアーチストに出会い、そのアーチストが影響を受けたというビートルズやその他の海外の音楽にも耳を傾けるようになった。そして、ゴダイゴのルーツもまた、ビートルズや他の海外の音楽にあったことを知ったのだ。つまり、他のアーチストに傾いたことが、ゴダイゴへの理解を一層深めてくれたのだった。

 私は、復活コンサートに参加したあと、放心状態に陥ってしまいそうなほどの強い衝撃を受けていた。そして、これまで閉じていた想いがにわかに吹き出し来て、一度だけ観れば気が済むはずのコンサートを全部で三回観ることになった。

 私のように、リアルタイムで彼らを応援していた人たちの中には、彼らが行った復活コンサートの十二本すべてに参加した人もいる。それくらいゴダイゴは、多くの人たちに愛されたバンドだった。しかし、私のように、音楽というものを理解する前に、彼らは解散してしまったのだ。あの復活コンサートは、そうした世代の人たちを対象に、トラウマ解消ツアーと呼ばれる位置づけだったらしい。以下、当時のツアーパンフレットからタケ(タケカワユキヒデ氏)の言葉を抜粋させていただく。

−今回のツアーを僕は"トラウマ解消ツアー"と呼んでいる。当時、見たかったけど見られなかった人に見てもらいたい。当時、子供でコンサートに行けないまま、大人になってしまった人に、その宙ぶらりんの気持ちを解消してもらえればいいなと思っている。−

 この文章を読んだとき、私の中に、じわじわと感動が沸き起こり、涙が出て来た。そうだ。ゴダイゴが一番好きだった中学生の頃、まだ音楽のことも良くわからず、コンサートにも足を運べず、といった状況だった。ようやく大人になりかけたとき、彼らに対する私の想いはすっかり落ち着き、やがて、時とともに彼らも解散してしまった。想いと現実のタイミングが合わずに、私は知らず知らずのうちに、トラウマを抱えていたのだった。だから、復活コンサートであんなにも泣けたのだ。そして、呼吸が追いつかなくなるほどの強い衝撃を味わった。

 後日、その復活コンサートの模様が、テレビでも放映された。その中で、当時、ネットで交流していた人が最前列にいて、画用紙のようなものに書いた彼らに宛てたメッセージを掲げて立っているのが見えた。最前列だから、もちろん、彼らの目にもとまっていたはずだった。交流していたネットの掲示板で、最前列でそのメッセージを持って立っていた人に、誰かが尋ねた。「あの紙には何て書いてあったの?」と。すると、その人は答えた。「子供の頃からずっと会いたかった」と書いていたんだと。その書き込みを読んだ私は、まるで私の気持ちを代弁してくれているかのような深い感動に包まれ、つるつると涙が出て来たのだった。

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