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2005.10.11

映画『この胸いっぱいの愛を』

 実家に帰っていたとき、私は、ガンモが初めて私の実家を訪れたときのことを思い出していた。交際を始めてからわずか一ヶ月足らずで結婚を決意した私たちは、結婚を決めたあとでお互いの実家を訪れることになった。つまり、初めてガンモが私の実家にやって来たときは、私の両親に結婚のあいさつをするためだったのである。

 あのときガンモは、しゃれたスーツを着込み、ビシッと決めていたと思う。私の両親は、私の送ったガンモの写真を見て安心していたので、ガンモのことを快く迎えた。しかし、ガンモは私の両親に対し、テレビドラマに見受けられるような、
「娘さんをください」
のような台詞は言わなかったらしい。私の両親は、ほんの少し、その言葉を期待していたようだった。そのことを思い出して、私はガンモに聞いてみた。
「どうして、『娘さんをください』って言わなかったの?」
すると、ガンモは、
「あのときここに来たのは、親の顔を見に来ただけだから」
と言った。ふうん。

 さて、火曜日は三宮の映画館がレディースディ。何となく、仕事を早く上がれる雰囲気になっていたので、私は定時前からソワソワしていた。定時過ぎに上がり、ガンモに電話を掛けてみると、やはり、まだまだ掛かると言う。そこで、またまた私は三宮で映画を観ることにしたのだった。

 今回、観たのは、『黄泉がえり』を制作された塩田監督の『この胸いっぱいの愛を』。題名につられて観たのだが、一言で言ってしまうと、『黄泉がえり』ほどは泣けなかった。おそらく、私自身の中に、タイムスリップしてまで修正したくなるような後悔がないからだと思われる。いや、むしろ、わざわざタイムスリップなどしなくても、そういう後悔があれば、輪廻転生の計画の中に自然に組み込まれることを知っているからかもしれない。

 ただ、考えさせられたのは、人を生かし続けているエネルギー源とは何なのだろうということだった。困難な状況に陥ったとしても、困難を乗り越えて行こうとするエネルギー源である。それは、例えば、今回の映画の中にあったように、不治の病に立ち向かえるだけのエネルギーを持っているのだろうか。この映画の場合、それがバイオリンへの徹底的なこだわりだった。そうしたこだわりは、自暴自棄に向かわせることもあれば、生きるエネルギー源に変わることもある。おそらく、すべてが陰陽のバランスなのだろう。その人の軸によって、陰に傾いたり、陽に傾いたりするということだ。

 いい映画を観終わったあとは、しばらく余韻を引きずるものだが、今回の映画は、すぐに現実に切り替わってしまった。ガンモに電話を掛けると、もう最寄駅まで帰っていると言う。いつもは映画を観終わると、ガンモもちょうど仕事を終える頃だったのに、ガンモと一緒に帰ることができなかったのも残念だった。

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