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2005.10.29

連チャンコンサートと掲示板のコメント

 今夜も彼らのコンサートだった。コンサートと鉄道乗り潰しの旅をカップリングさせて、ガンモと二人で我が家からはちょっと遠い、滋賀県に来ている。普段、利用することのない京阪電車に乗ったり、叡山電車に乗ったりしながら、私鉄の乗り潰し率を上げるのに精を出した。そして、ホテルにチェックインしたあと、二人でコンサート会場へと向かった。

 会場に入ると、四階まである客席が、観客でびっしりと埋まっていた。土曜日だから、他の地方から遠征して来る人たちも多いのだろう。私たちが席に着くと、後ろの席に居た友人が、声を掛けに来てくれた。ああ、やはり彼女も来ていたのだ。
「きのうも来てたんでしょ?」
と彼女が私に言う。
「もちろん」
と私は返す。コンサート会場ごとに、そんな会話が当たり前になっている。この会場だから、あの友人はきっと来ているだろう。お互いにそんな感覚なのだ。

 コンサートは、きのうと同じく、およそ三時間余りの熱演だった。観客の手拍子が揃っているとき、会場は、波打つような感じだ。それをステージの上から体験するのは、一体どんな感じなのだろう。おそらく、この波打つような感覚を味わいたくて、彼らはステージに立ち続けているのではないだろうか。

 ホテルに帰ってから、掲示板のコメントを書かせてもらった。そのときに、改めて思ったことがある。それは、掲示板の書き込みをただ読んでいるのと、実際にその書き込みに対してコメントを書き込むのとは、まったく異なる体験になるということだ。掲示板の書き込みをただ読むだけという作業では、見落としも多い上に、客観的な作業に終わってしまう。しかし、実際にその書き込みと正面から向き合い、自分なりのコメントを書き込むという作業は、自分自身と向き合うことに等しいのだ。特に、相手のコメントを引用しながら行う対話に関しては。

 実際、そうした交流では、対話が屈折して、思わぬ方向に転んでしまうこともある。しかし、ちーちゃんのように、寸分の狂いもなく、的を射抜いてくれる人もいる。相手をどのようにして知るか。自分をどのように表現して行くか。魂の感覚を使わずに、頭で考えている限り、的を射抜くようなコメントを書くことはできない。そして、頭で考えれば考えるほど、中心から反れてしまい、その周辺だけを味わうことになってしまう。

 本当に魂に目覚めた人というのは、言葉に魂を込めることが可能なだけでなく、自分を防御するための皮がむけてしまっていて、開かれている。人は、その開かれた部分に集まって来る。何故なら、開かれていることが心地良いことを知っているからだ。久しぶりに、ちーちゃんへのコメントを書きながら、そんなことを思っていた。ちーちゃん、いつも心地良い交流をどうもありがとう。

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