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2005.10.18

余韻

 先週末は、全部で五本の映画をDVDで鑑賞した。最近、映画を観るときに注目しているのは、映画の中で表現されている陰の世界だ。映画の中には、凹な人たち(陰の人たち)がたくさん登場する。お互いに好き合っているのに、好きと言えない人たち。まあ、それでもいいかあなどと思いながら、自らの選択を受け入れて生きている人たち。不思議なことに、日常生活の中では、凹な人たちの気持ちがとてもわかりにくいのに、映画を通して観てみると、彼らの気持ちが手に取るようにわかるのだ。映画の中では、凹な人たちの気持ちが、瞬間的な表情や間(ま)でうまく表現されているからだと思う。そして、不思議なことに、映画を見終わったあとの余韻がいい形で残って行くのも、凹な人たちが主人公になっている映画だ。

 おそらくだが、凹な人たちを主人公にできる映画監督や原作者は、もともと凹な人なのではないかと思う。だから、凹な人たちの対比のために登場する凸な人たち(陽の人たち)が、映画の中では悪役として登場している。何故なら、凸な人たちを悪役にしてしまうのは、凹な人たちが普段の生活で、凸な人たちにやっつけられているからだと思う。そういうシーンを目にすると、もともと凸な私は、自分が悪者にされたみたいで、ちょっと苦笑いしてしまう。反対に、映画監督や原作者が凸な人ならば、凹な人たちは、必要以上に引っ込み思案だったりと、極端な陰として描かれている。

 ところで、先日、大林監督の映画『青春デンデケデケデケ』を観た。一九九二年の作品なのだが、この映画がずっと気にはなっていながらも、まだ観ていなかった。映画の舞台は、香川県の観音寺である。

 この映画は、凹な人たち、凸な人たちという観点よりも、青春時代の情熱が、はじけるほどに表現されたものと言っていい。主人公が、同じ意志を持った仲間たちに出会い、彼らとともに駆け抜けて行く高校三年間。脇役のお寺の息子役の男の子が、本当にいい味を出しているのだ。そんな仲間に出会えたら最高だと思う。実は、私も、中学時代にバンドを組もうとして挫折した口である。楽器を買うのにお金はかかるし、それぞれの意志は、なかなかまとまらないし。だから、同じ意志を持った仲間たちが、三年間も同じ情熱を持ち続け、密に関わって行く姿を、ほほえましくもうらやましくも思いながら観ていた。

 映画を見終わって、もう数日経っているが、私の中にはまだ『青春デンデケデケデケ』の余韻が残っている。そんな余韻を味わいたくて、またまた仕事帰りにレンタルビデオショップに立ち寄ってみたら、旧作半額セールなるものが開催されていた。私は、これはチャンスとばかりに張り切って、一気に六枚も借りて来てしまった。ガンモには、
「映画の観過ぎ!」
と言われてしまう。

 でも、まあ、いいのだ。凸な私にとって、映画とは、凹な人たちの気持ちを理解するのに、格好の教材なのである。そして、いい映画に出会うと、いつまでも余韻をひきずり、人間を観察することがもっともっと楽しくなって行くのだから。

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