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2005.09.25

相対性と絶対性

 疲れが出たのか、体調が優れず、家の中で大きな息をしていた。何となく、春頃に感じていた、地を張っているようなあの感覚が蘇ったかのようでもあった。前に進みたくても、プールの中を歩いているような抵抗を感じてしまい、思うように前に進めないのである。力が湧いて来ず、まるで閉じてしまったかのような感覚だ。まさしく、低迷期である。お待たせしてしまっている皆さんに、コメントを返さなければと思うのだが、なかなか身動きが取れない。

 ガンモは休日出勤の日だったので、朝から仕事に出掛けて行った。一人になった私は、映画を観ようと思った。借りて来ているDVDと、先日買った五百円DVDを観た。タイトルは、パトリス・ルコントの『髪結いの亭主』とオリジナル版の『ジェーン・エア』だ。前者は、芸術映画と言われる類のもので、鑑賞するには、自分自身の感情と、視界に飛び込んで来る映像との切り離しが必要である。後者は、完全にストーリーにのめり込むことのできる恋愛映画だ。私は、リメイク版のほうを先に観ていたのだが、今回観たオリジナルのモノクロ版でも、雰囲気が十分伝わって来た。前者の『髪結いの亭主』はソウルメイトの映画で、後者の『ジェーン・エア』はツインソウルの映画だと感じる。もしも、ツインソウルの愛を感じてみたいという方がいらっしゃったら、シャルロット・ゲンズブール主演のリメイク版の『ジェイン・エア』(何故か、タイトルのカタカナが違う)を強くお勧めする。

 夕方、ガンモは仕事から帰って来るなり、私に抱きついて来た。そして、固く固く私を抱きしめた。私は、これは夕べの余韻だと思った。私がゆうべ、ベッドで感じてガンモに伝えた至福の感覚が、半日以上も経って、ガンモから返って来たのだ。もしかすると、こうした愛し合い方こそが、相対的な愛情の典型なのかもしれない。これに対し、絶対的な愛情とは、相手の態度や意志に関係なく、無条件で愛し続けることを言うのだろう。

 相対性のある愛情と、相対性のない愛情。前者がソウルメイトの愛情で、後者がツインソウルの愛情だ。だから、相対的な関係を結ぶソウルメイトは相手にだんだん似て来るが、相対的な関係を結ばないツインソウルは似て来ない。更に、絶対的な愛情とは、その真っ只中にいるときは気付かずに、誰かを敵に回し、愛から離れそうになって初めて、あのとき、あんなふうに愛してくれた人がいたと気付いて行くものだ。私も、いろいろな人たちとの様々な摩擦を通して思う。だとすると、絶対的な愛情とは、思い出すために、あとから取り出すものなのだろうか。

 相対性と絶対性について、書き加えておきたいことがもう一つある。ツインソウルと対立が生まれてしまうのは、ソウルメイトと同じだと思って、ツインソウルと相対的な関係を結ぼうとするからではないだろうか。

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