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2005.09.14

魂の年齢

ようこさんから、「ガンまる日記」で取り上げて欲しいとリクエストをいただいたので、今日は魂の年齢について書いてみたいと思う。

 ニュートン博士の『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』によれば、スピリットの世界では、魂は、同じくらいの学びの段階にいる魂たちと一緒に同じ建物の中で学んでいるようだ。そこは、魂の学校のようになっていて、そのグループに属する魂よりも、少し進化した魂が先生となって、若い魂の成長を助けているらしい。

 更に、魂には段階によって色が異なっているのだそうだ。経験を積んだ魂ほど、紫色に近いと言う。実際、ニュートン博士の本の中にも、「段階」や「レベル」といった表現があちこちで登場する。しかし、ある被験者との間に行われたセッションでは、以下のように記述されている。(※ネンサムとは、被験者の名前であり、イディスとは、ネンサムよりも進化した魂のことである)

ニュートン ネンサム、すべての魂が進歩の階梯を登っていくとしたら、スピリットの世界には頂上に最高権力者が君臨する、巨大なピラミッド構造を成していると考えざるをえないのですが。
被験者 (ため息をついて)いいえ、それは間違っていますよ。それはピラミッドではありません。私たちはみんな巨大な織物の糸の一本だと言えます。みんなそれに織り込まれているんです。
ニュートン 魂の能力のレベルにこれほどの差があるのに、平坦な織物を思い描くことは難しいですね。
被験者 大きな高低差がある階梯のステップではなく、動いている連続体として考えてみることですね。
ニュートン 私は、魂はこの存在のなかを上の登って行くのだと思っていました。
被験者 それはわかりますが、水平に動いていると考えてみたら・・・・・・。
ニュートン なにか具体的なイメージはありませんか。
被験者 私たちはみんな、存在界を水平に延びる線路の上を走る宇宙的な列車の一部だと考えてみたらどうですか。地球のほとんどの魂は線路の上を走る同じ客車に乗っているというわけです。
ニュートン ほかのすべての魂も別の車両に乗っているということですか。
被験者 ええ、でも、みんな同じ線路の上にいるんですよ。
ニュートン イディスのような車掌はどこにいるのですか。
被験者 彼らは連結された車両から車両を行ったり来たりしていますが、自分自身の居場所は機関車の近くにあるんです。
ニュートン 機関車はどこにあるのですか。
被験者 創造主ですか? もちろん、いちばん前ですよ。

 スピリットの世界にピラミッド構造のような段階があると考えるのは、縦の解釈だ。しかし、実際はそうではなく、全員が横に広がる同じ列車の別々の車両に乗っていると、退行催眠の被験者は語っている。段階を表すものは、機関車から遠いか近いかということらしい。考えてみると、これは、横の解釈だ。

 いろいろな方たちと密な対話をさせていただくと、その方の魂が持っているカラーのようなものが浮き上がって来る。その魂が、何を経験して来たのか。また、何を経験していないのか。それは、深い感情を含んだコミュニケーションを行って初めて伝わって来る。

 私は、現世とは、肉体を使って、感情を体験する場所なのではないかと思っている。だから、ポジティヴでもネガティヴでも、感情というものをとことん体験し尽くせば、魂は年齢を重ねて行くことができるのではないだろうか。むしろ、怖いのは、感情の蓋を閉じて生きること。笑わない、怒らない、泣かないといった、喜怒哀楽の感情のない生き方を選択してしまったら、目の前でどんな凄まじい出来事が起ころうとも、素通りしてしまいそうな気がする。

 それから、魂の融合について。以前、私は、掲示板に、以下のようなことを書いた。

最近、霊界に関する本に目を通しているうちに、私たちは、既に他の魂を吸収している可能性もあるということがわかって来ました。
もしかすると、ようこさんの魂も、既に誰かの魂と融合している可能性があるんですよ。もちろん、私の魂も。
でも、もしも仮にそうだとして、私は既に他の魂と融合した状態にあることを実感しながら生きているのだろうかと考えると、決してそうじゃないんですよね。
ということは、一体化するということは、いつもいつも相手を側で感じているわけではないということなのかなあなんて思ったりもするわけなんです。
それなら、いろいろな摩擦や、対立や、激しい感情のぶつけ合いのある今のほうが、ずっと楽しいような気がしてしまうんです。
一つになってはまた離れ、また、一つになっては離れ・・・・・・。
そうした繰り返しが、魂として、もっとも効率良く向上できる形なのではないかなと思ったりもします。

 私たちの魂がいくつもの肉体に宿るのは、細分化したほうが学びやすいから、ということらしい。しかし、特定の学びが終わってしまえば、魂は、それぞれの経験をスピリットの世界に持ち帰り、別の魂との間に融合が起こるという説もある。融合が行われた魂は、複合魂などと呼ばれることもある。だから、魂が融合した分の人口が減るということは、ちっとも悲劇的なことではなく、細分化の必要がないほどに魂が経験を積んだと考えられるのではないかと思う。

 ところが、仮に融合が起こったとしても、それぞれの魂が、融合そのものを知覚しているとは限らないのではないだろうか。むしろ、融合した状態にあるときは、融合しているという意識さえ失っているのかもしれない。それならば、融合していない状態で、融合に向けて動いているエネルギーを感じ続けているほうが、魂としての躍動感を感じていられるのではないかと私は思うのだ。

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