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2005.09.27

対立について

 掲示板で対立のことを取り上げたら、いろいろなご意見をいただいた。それらを拝見して思ったのは、対立反対派の人たちは、対立した結果、関係が悪化してしまうことを最初から懸念していることがわかった。つまり、ネガティヴな対立に転んでしまうことへの恐れがあるのである。これに対し、対立肯定派の私は、対立したことによって壁が打ち破られ、以前よりも仲良くなれるというポジティヴな対立があることを主張したかった。

 何かを選択するときに、私たちはいつも、その結果がポジティヴに転ぶか、ネガティヴのままで終わってしまうかを、無意識のうちに判断している。その判断に基づいているのは、その人の過去の経験である。経験の中から、ネガティヴな対立を引き出す人は、自分の感情を押し殺すことによって、周りとの関係を成り立たせている場合が多い。反対に、経験の中から、ポジティヴな対立を引き出す人は、もっと根本的な部分から人と関わろうとする。そういう関わり方で成功して来たために、ネガティヴなことを心の中に押し込めてしまう関係が、どうも嘘っぽく映ってしまうのである。

 この件に関して、ななこさんとmikiさんが、掲示板で以下のようなやりとりをされていたので、少し引用させていただく。引用記号付きの部分はななこさんの発言、引用記号なしの部分は、mikiさんの発言である。

> 相手が気づくのが何年先でも良いんですよ。
> 対立起こしてバラバラになるより、お互い笑顔の方が良いもの。
そうだけど その笑顔がぎこちない場合だってあるんだよ。片方だけがね。
以前にまるみさんに書いたんだけど こちらでつきあっている友達でいい関係できた分その心地よい関係をこわしたくなくて 言えないことがあるの。
例えば 彼女は仕事してるから おむつはずしは他人にしてもらった方が楽って自慢してて私はそうは思わない。でも 反論できない。こわしたくないから。
彼女 うちに来ると長時間居座るの。一度 7時間もいたことあります。
それもこちらの引っ越ししたての時。
2−3時間で帰ってって言えなくて 結局 呼ぶこと自体が面倒になって もう半年以上会ってない。
そもそも 対立を起こすのを恐れたから 今も恐れているから そういう悪循環が切れないの。
彼女のこと 大好きだから 失いたくないから 言いたいこと言えない。
でも 彼女は私の本心を知らないから 笑顔だけど 私の笑顔はひきつっている。
そういう場合もあるから あえて起こさなくてもいいけれど 起きてしまったらとことんやりあったらいいかなって思ってます。
それが 短期間で終わらないと嫌だけどね。

 まず、お二人がここで取り上げられているのは、ネガティヴのまま終わってしまう対立の例だ。

 私は、mikiさんの書かれている、

以前にまるみさんに書いたんだけど こちらでつきあっている友達でいい関係できた分 その心地よい関係をこわしたくなくて 言えないことがあるの。

の部分が気になっている。mikiさん、本当にそう? 心地よい関係を壊したくないのではなくて、本当は心地良くないと思っていることを、相手に知られるのが怖いんじゃないのかな? 私には、上記の関係が、mikiさんにとって、心地いい関係とは思えないんだけどな。

mikiさんは、私に対しては、厳しいこともはっきり言ってくれるのに、このお友達には何故、言えないのだろう? 彼女のことが大好きとmikiさんは書いているけれど、私にはそうは思えない。大好きだからこそ、言えるんじゃないのかな? じゃあ、いつも私に言ってくれていることは何? 私のことが、大嫌いだから言えてる?

 いや、実は、mikiさんの書かれていることも良くわかるのだ。それは、私にも、対立が成り立たないと思う関係があるからだ。そういう対象を観察してみると、もともと対等でなかったり、相手に受け入れようとする体制がなかったり、何が何でもポジティヴで解決しようとしている対象であることが多い。

 心配なのは、mikiさんとお友達の関係の先には、一体何があるのあるのかということ。もしかすると、mikiさんが我慢の限界に来てしまったら、プツンと切れてしまう可能性が大なのではないだろうか。そうなる前に、小さな爆発を起こしつつ、二人の基盤を拡大しながら、お互いの距離を縮めて行くことも必要だと思う。しかし、それができない相手だからこそ、わざわざこのような選択肢を取らなければならないこともわかる。

 掲示板での交流で言うと、対立が成り立たない人に対し、掲示板のコメントを返そうとすると、固まってしまい、言葉が出て来なくなってしまう。しかし、私がその人にコメントを書かなければ、掲示板は流れない。そこでしばらく考えて、パワーがみなぎって来るのを待ってみたり、今はこのコメントを吸収することができないから、順番を無視させてもらうという展開になってしまうのだ。

 対立が成り立つか成り立たないか。それは、一言で言って、相性と言ってしまえるのかもしれない。以前にも書いたことがあるが、普段の関係が良好であるほど、良好な対立が成り立つ。普段の関係が醜いほど、対立も醜くなる。そう言えば、ちーちゃんが、私たち夫婦の喧嘩のことを、とても好きだと言ってくれたことがある。私たち夫婦は、喧嘩の最中でさえ、抱き合ったり、キスしたり、愛していると口にする。そういう対立ならば、乗り越えたあとは楽しくて仕方がないものなのだが、すべての人とそういうわけにはいかないのもわかっている。要は、対立の背景にも、常に、愛と信頼があるかないかということなのだろうか。

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