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2005.09.18

選択の責任

 きのう購入した富山地鉄二日間有効の乗り降り自由切符を使って、私たちは宇奈月(うなづき)温泉へと向かった。

 宇奈月温泉からは、黒部峡谷鉄道に乗り換え、トロッコ列車の魅力を満喫した。黒部峡谷にはいくつもの黒部ダムがあり、たくさんの観光客で賑わっている。団体客が多いためか、どのトロッコ列車も満員だった。大の大人がトロッコ列車に乗り、はにかんだ様子をしているのを見ると、迷わず性善説を支持したくなってしまう。

 観光地に来るといつも思うのだが、私たち観光客は、黒部峡谷の厳しい自然を体験せずに、黒部峡谷の美しい自然だけを目にしている。しかし、地元の人たちにとっては、ここは決して美しいばかりの場所ではないと言いたくなってしまうのではないだろうか。実際、黒部峡谷鉄道は、冬の厳しい自然から守るために、冬場は鉄道のレールをすべて取り外してしまうのだそうだ。それほどまでの厳しい自然と、目の前に広がる美しい景色は、愛と憎しみの共存を想像してしまう。

 トロッコ列車を満喫した私たちは、宇奈月温泉に戻り、温泉街にあって、わずか二百五十円で宇奈月温泉を体験できると言う公衆浴場へと向かった。当然、男湯と女湯に分かれて入ったのだが、中に入ってみて、大変なことに気がついてしまった。脱衣場に用意されているのは、着替えを入れるための籠だけで、鍵の掛かるロッカーがなかったのである。

 旅行中の私たちは、財布の中に、たくさんのお金が入っている。クレジットカードも持っている。カメラもパソコンも持っている。そして、私は、ガンモのことを考えた。ガンモは私よりも用心深い。きっと、脱衣場に鍵の掛かるロッカーがないことに苛立ちを感じているに違いない。

 しかし私は、思い切って、公衆浴場の利用客を信頼することにした。これはきっと、信頼するということを学ぶために、私自身が引き寄せた出来事だと思ったからだ。私は脱衣場の籠の中にリュックと着替えを残し、お風呂に入った。公衆浴場の温度はとても熱かったが、利用客も少なく、私は二百五十円で宇奈月温泉を満喫した。

 脱衣場に戻って見ると、私の荷物は特に荒らされた様子もなく、無事だった。やはり、信頼して良かったと思った。そして私は、公衆浴場をあとにした。

 私が外に出てみると、先にお風呂から上がって近くをウロウロしていたであろうガンモが私の隣にさっと寄り添った。そして、
「脱衣場にロッカーがないのは禁止!」
と言う。見ると、ガンモはさっぱりと汗を流した様子がなかった。私が、
「何? 結局、お風呂には入らなかったの?」
と尋ねると、
「当たり前だよ。鍵の掛かるロッカーがないのに入れるわけない」
と言った。ガンモは、公衆浴場に鍵の掛かるロッカーがなかったことに怒りを感じていた。そして、お金を払って公衆浴場に入ったのに、お風呂にも入らずにそのまま出て来てしまったらしい。
「番台のおばさんには何か言ったの?」
と私が尋ねると、
「いや。タオルか石鹸を忘れたと思ったんじゃないの」
とガンモは言った。

 確かに私たちは、旅行中にたくさんのお金を持ち歩いているし、カメラもパソコンも持っているので、鍵の掛かるロッカーがないと、安心して湯船につかれない気持ちもわかる。脱衣場に鍵の掛かるロッカーがあるかどうかで、ガンモと私の選択は異なってしまったのだ。

 ガンモはとてもイライラしていて、お風呂に入ってさっぱりしている私をうらやましがった。私はガンモに、
「誰に対して怒ってるの? 自分に対して怒ってるんでしょ?」
と言った。すると、イライラしているガンモは、
「知らん!」
と言いながら、そっぽを向いた。私が、
「私が荷物見ててあげるから、もう一回お風呂に入って来なよ。気持ちいいよ」
と言っても、
「禁止!」
と言って公衆浴場に戻ろうとはしなかった。そして、熱い湯船につかって温まった私をうらやましいと思いながらも、自分がお風呂に入れなかったことに対して、しばらく腹を立てていた。

 そのときの選択で、結果が明暗を分けることがある。私の場合は、脱衣場を信頼したことで、二百五十円で温泉に入れるという喜びを体験できた。しかし、もしかしたら、ガンモの懸念したように、盗難に遭っていたかもしれない。そうなれば、二百五十円で温泉に入ったという私の喜びは、一瞬のうちにかき消されてしまう。選択とは難しいものだ。吉と出るか、凶と出るかは、選択してみなければわからない。しかし、その責任は、他の人ではなく、いつも自分自身に降りかかって来るのではないかという気がしている。もしも盗難に遭ったとしても、鍵の掛からない脱衣場に盗まれるようなものを置いたのは自分だという選択に対する責任を感じることも必要なのではないだろうか。また、ガンモのように、鍵の掛からない脱衣場に貴重品を置かない選択をしたということは、実際に盗難に遭ったときに責任を負い切れるかどうかを判断してのことなのだろう。それは、ガンモなりの責任ある選択だったに違いない。

 選択の結果は常に自分に降りかかり、また、責任を負い切れないときは予め防御するという選択もあっていいのだと改めて感じた出来事だった。

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