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2005.09.28

言葉で表現したほうがいこと

 わかり切ったことであっても、言葉で表現したほうがコミュニケーションが円滑に進む場合がある。例えば、オフィスで使われる、「おはようございます」、「お先に失礼します」、「お疲れ様でした」などの類だ。

 驚かれる方も多いかもしれないが、私の職場では、これらのあいさつが徹底されていない。フレックスタイム制が導入されているせいだろうか。出勤時間はバラバラで、出勤して自分の席に着くときも、「おはようございます」のあいさつをしないし、帰るときも黙って帰る。私は最初、あいさつをしない職場というのに驚き、どうしても慣れなかったのだが、さすがに三年半もいると、郷に入れば郷に従えとなってしまう。何と言ったらいいのだろう。あいさつをすると、逆に浮いてしまうのだ。あいさつをすると、静かな人たちの中に、一人だけにぎやかな人が混じっているかのような、孤独感に襲われてしまう。今ではこれは、社風の一つかもしれないと思い始めている。派遣先の社風に馴染んで行くのは、派遣のつとめでもある。(^^;

 そんな職場だから、コミュニケーションが円滑に進まない場合が多い。あいさつに慣れていないと、言葉にすべきことまでも一緒に心の中に押し込めてしまうようだ。例えば、出張に出掛けた人がお土産を買って来てくれて、机の上にそのお土産をそっと置いてくれたとする。ほとんどの人は、そのお土産を誰が買って来てくれたのか、確認もせずに食べてしまう。私は、さすがにそれはイヤなので、周りの人に、
「これは、誰が買って来てくれたお土産?」
と尋ねる。そして、お土産を買って来てくれた人の名前を聞き出し、その人にお礼を言ってからいただくようにしている。

 掲示板の交流においても、言葉にしたほうがうまくことが運ぶことがある。例えば、非公開掲示板での交流において、全員が何となく気にかけながら存続させていることがある。それは、掲示板に参加している人たちのお誕生日を、みんなでお祝いするということだ。非公開掲示板は、非公開プロフィールと連携しているため、参加してくださっている人たちの誕生日がわかるようになっているのだ。密なやりとりを重ねて行くのだから、お誕生日をお祝いし合うのは当然、という考えである。お互いのプロフィールを公開し合うということは、非公開掲示板だからこそ実現できているのかもしれない。

 これ以外にも、返信を書くときでも、対話している以外の人へのちょっとした配慮をコメントの中に埋め込んだりしている。そうすると、例え時間的な余裕がないために、誰かと一対一の交流になってしまったとしても、他の人とも繋がっていられるのだ。そのため、今、関わりを持っていない人のことも、同時に考慮に入れながら交流を深めて行ける掲示板になっている。

 このように、言葉で表現したほうがいいことを積極的に表現して行くことによって、相対的な関係が成り立って行く。そして、相対的な関係を築き始めると、何となく、お互いの動作が似て来る。他の人が実践してうまく行っていることを、自分の中にも取り込もうとするからだ。

 私は、こうした交流方法がとても面白いと思い始めている。だから、mikiさんが、SHANAさんの楽しみにしているライブにカウントダウンがかかったことを気にかけていたことを見逃したくなかった。そうしたことを言葉にして行くことによって、コミュニケーションはどんどん円滑に進んで行く。しかし、残念なことに、実際は、それらのことが頭の片隅に残ってはいても、コミュニケーションの段階では、省略されてしまうことが非常に多いのだ。そうした現象は、当たり前のことを繰り返し言わない日本人という国民性を創り出している。だから、海外の映画を観ると、豊かな愛情表現が、新鮮に映ってしまうのかもしれない。

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