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2005.08.21

途方に暮れる

 野外コンサートのニ日目。夕方から行われる野外コンサートの開始時間ギリギリまで、私たちは鉄道乗り潰しに費やした。今回、ターゲットになったのは、路面電車の都営荒川線である。

 私は、結婚直前までの十一年間を東京で過ごして来たにもかかわらず、都営荒川線には一度も乗車したことがなかった。この界隈にまったくご縁がなかったからだ。(実を言うと、浪人時代に早稲田大学を受験したのだが、受け入れてもらえなかった(^^;)しかし、今回初めて乗車してみて、下町の情緒溢れる都営荒川線沿線の魅力にすっかり取り付かれてしまった。

 電停を降りた目の前にある昔ながらのお店。お年寄りで賑わっている商店街。それらの光景は、人情味溢れる東京の下町を映し出すとともに、古いものがここでずっと守られて来たという証にもなっていた。

 新庚申塚(しんこうしんづか)で降りて、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている「とげぬき地蔵尊」で有名な巣鴨地蔵通に足を踏み入れたとき、私の下町好きの思いは、一気に爆発した。その商店街のお店には、とにかく値段の安いものがところ狭しと並べられていて、たくさんのお年寄りたちで賑わっていた。食堂に入っても、見渡す限りお年寄りばかりだった。街全体の年齢層がすこぶる高いのだ。そのような光景を見ながら、私はいつの間にか楽しくてたまらなくなっていた。

 商店街の中にあるお店で、第二チャクラに良さそうな、真っ赤な下着のパンツ(赤パン)を五枚買った。赤い下着を付けることは、身体を温めるとされている。その上、この赤パンは、丹田の少し上のあたりに力を込めるのと同じ働きを持っているそうだ。その働きにより、感情のエネルギーのバランスを保てるようになるらしい。ちなみに、この赤パンは、安売りで一枚百円だった。

 商店街の途中にあるとげぬき地蔵尊の高岩寺は、参拝者が絶えなかった。境内には、水をかけて祈願する洗い観音があり、その観音さまに水をかけたあと、おみぬぐいという手ぬぐいで拭くと、水をかけて拭いた身体の部分が良くなるという。私は、観音様に水をかけ、真剣な様子でそれを拭き取っている何人もの人たちの姿をそこで見た。しかし、自分ではどうしても他力本願になってしまうことに抵抗があり、観音様には願いを託さなかった。

 ご本尊の前で賽銭を投げ、お願いをした。私は何故か、こうした場所では、自分自身のことをお願いするのは気が引けてしまう。だから、ガンモや父母、義父母の健康を祈るとともに、最近、あまり体調の良くないツインソウルのことも、どうか元気になりますようにとお願いした。

 都営荒川線を乗り潰した私たちは、野外コンサートの会場へと向かった。夏のお祭りの最終日であったが、私は、ここ最近の掲示板の流れがずっと気になっていたので、アンコールの最中にPDAを取り出して、掲示板に目を通した。

 コンサートの最中に掲示板の流れを気にするなんて、まったくもっておかしいと思われる方たちも多いことだろう。率直に言うと、現在の掲示板には、私にとって、大変心地良い流れと、心苦しい流れの両方が存在している。しかし、そのような状況は、私がホームページを立ち上げてからずっと、解決を求めて来たことだった。

 ホームページに掲示板を設置し、訪問してくださる方たちと交流させていただくということは、私にとって、責任を一つ抱えていることに等しい。掲示板は、ホームページを訪問してくださった方たちと、双方向のコミュニケーションを成立させるために設置しているものである。しかし、書き込みの数があまりにも多くなってしまうとなかなか受け切れなかったり、私の伝えて行きたい内容とはかけ離れた流れが出来上がってしまうと、双方向のコミュニケーションを実現させることが非常に困難になってしまう。管理人は、すべての発言にコメントを返さなくてもいいのではというご意見もいただいたが、もともと双方向のコミュニケーションを実現させるために設置した掲示板なので、返信できないでいる自分に嫌悪感を感じてしまうのである。そして、ときにはプレッシャーを感じて言葉が停止してしまうこともある。

 私はこれまで、掲示板のバランスを取りたくて、様々な警告を発して来た。そして、それらの警告は、間接的な方法では相手に届かないことを何度も何度も学習して来た。だから、曖昧な表現はできるだけ避けて、こういう流れは困るのだということをはっきりと主張して来た。しかし、そのような努力も、今は裏目に出てしまっているような気がしてならない。

 ホームページを訪れてくださるタイミング、また、掲示板に初めて書き込みをしてくださるタイミングには、様々なバリエーションがある。それらすべての状況に、私自身がもはや対応し切れなくなってしまっている。

 月見想のりえちゃんが、「まるみんはどうしていつもそんなに元気なの?」と言ってくれたが、今の私はちっとも元気じゃない。たくさんの言葉や意思を受け取るだけの余裕がないのは無責任だ。それなら、いっそのこと掲示板を閉鎖してしまったほうがいいのかもしれないとも思い始めた。しかし、その方法では、これまで根気強く関わってくださった人たちや、掲示板で心地良い流れを作ってくださっている人たちまで切り捨てることになってしまう。困った。本当に困った。

 これは、光だけを選択し続けることはできないという証なのだろうか。しかし、たくさんの闇を受け入れて行くだけの余裕が、今の私にはない。ホームページを通じて伝えて行きたいことは、どうしても守り抜きたい。何故なら、ホームページを持つということは、自分自身の城を建てるようなものだからだ。普段、職場の人たちや友人たちと結ぶ人間関係では実現できないようなことを、ホームページに託しているわけである。それだけに、ホームページに対するこだわりも大きい。

 平日は仕事を持ち、毎日のように「ガンまる日記」を綴り、サイトの更新もしながら、掲示板にも返信する。週末は、旅行に出掛けてしまうことも多い。このような状況で、たくさんの人たちと関わりを持とうというのは、そもそも無責任なことなのではないだろうか。男女の付き合いだって、答えを出さずにずるずる付き合うよりも、最初から付き合えないとはっきり言ったほうが、お互いにとって、プラスになるのではないか。しかし、私は、男女の愛のはなしが大好きだ。掲示板で繰り広げられる、愛のはなしにむせび泣いたことも多かったはずではないか。ああ、一体、自分が何をしたいのかわからない。たくさんの人と関われば関わるほど、自分がどうしたいのかがわからなくなってしまう。まるで、自分自身を失って行くようにも思える。

 偉大な人たちは、このような状況を、どのように切り抜けて来られたのだろう。先日ご紹介させていただいたはづきさんは、「メールにはすべて目を通していますが、一つ一つにお返事は書けません」と宣言されている。私は、はづきさんほど偉大な人物ではないが、私も、そのような方法を取らせていただいていいのだろうか。しかし、その方法を選択したときに、こぼれて行ってしまうものは、一体誰がすくってくれるのだろう? はづきさんにメールを送って来られる方たちの中には、答えを求めてらっしゃる方もいらっしゃるのではないか。ああ、もう、何が何だかわからない。すべてを選びたいのに、選べない状況にある。掲示板で交流したいのに、交流できない状況にある。こんなことを私が書けば、きっと、これに対する反響がたくさん出て来ることだろう。しかし、自分が見えなくなってしまった今、それらに対応できる力もない。とにかく、私は途方に暮れている。

 おそらく、掲示板を大切に思う気持ちは、私も、書き込みをしてくださっている皆さんも、それほど変わりはないのだろう。しかし、異なっているのはその方向性だ。その方向性をどうするか。異なる意思を、どのように受け入れて行くか。それが、今後の大きな課題である。ありがたいことに、クッションになってくださる発言も多々ある。その方たちにご協力していただきながら、掲示板の運営を続けて行くことになるのだろうか。

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